霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

下り松

2006-11-12 21:16:48 | 歴史/古文書
 剣豪宮本武蔵が京の吉岡一門との決闘の前、八大神社に参り、神の加護を受け様と神にゆだねようとしたが勝負は自己の力を信じることが大事であると気持ちを切り替えて決闘に望んだところである。その一乗寺下り松の古木がここに残っている。

 勝負の世界は神頼みでは生きて行かれません実力第一です。これは今の社会でも同じですね。

曼殊院門跡

2006-11-12 21:07:52 | 歴史/古文書
 曼殊院は伝教太師が草創されたものである(8世紀)。北区一乗寺にあるこの寺は天台宗の門跡寺院。大書院、小書院は重文である。

 またお台所は庫裡とは違い天皇やその親族が来院されたときのみに使う台所(重文)でものすごく上級にできていて普段は使うことができなくなっていたといわれている。
 庭は枯山水庭園で鶴島・亀島もあってその上には枯れ滝がある。この時期は庭師の剪定作業を行っていた。

 また国宝「古今和歌集」がぽつんと展示してあり、それも台所あたりに・・・不思議であった。ここの紅葉が一番赤く染まっていいて紅さす先年の都といった雰囲気でした。


秋の詩仙堂

2006-11-12 20:03:04 | 歴史/古文書
 これは別荘でしょう。こんなひなびたところと山すそに建ててあり、手入れが大変かかるところでもある。徳川家康の家臣石川丈山が江戸初期に建立し寛正18年ごろ手を加えている。

 中国の漢晋唐宋の詩家36人の小さな肖像を四方の壁の飾り詩仙の間としているところから詩仙堂と呼ばれている。まだここの紅葉は今ひとつであったがススキは穂が出て秋らしくなっていた。

 山荘としては庭が広くとってあり散策もできるほどで山荘としては贅をつくしていると思った。鹿おどしがカーン・カーンとなっていました森閑とした中でのあの音は落ち着くものでしょう。

東寺

2006-11-12 19:17:13 | 歴史/古文書
 前から行ってみたかった。京都駅から10分でいけるところにある。思い切って歩いていった。このお寺は延暦13年(794)桓武天皇が動乱の奈良から長岡京を経て京都に都を遷都した時羅生門の東西に東寺・西寺を建立したのが始まりである。

 講堂は東寺創建時はなかったが、天長2年(825)に弘法太師によって創建が始まり10年後に完成した。現在の建物は延徳3年(1491)の再建されたものである。この中には立体曼荼羅としてたくさんの国宝や重文があり、見るだけですごい迫力がありました。

 金堂は延暦15年(796)に創建されたと伝えられています。現在のもには慶長8年(1603)に再建されたもので造りは豪放である。中には薬師三尊と12神将の像があってこれも国宝が多くすごいです。

 最期は五重塔ですこの塔は今は初塔の部分が開放されていましたのでラッキーでした。初塔の中には弘法大師の像やその弟子達の肖像画や何度も火災にあっているので火災予防のための水と龍の絵が書かれているところもありました。心柱と塔の建物は別になっていて木材が乾燥したりして下がってしまいその心柱は50センチきられたあとが基部にあらわに出ている。50センチも下がると雨漏りなどがするのでそれを防ぐ為にきったと説明があった。

この塔は55メートルと日本では一番高い塔である。

Tちゃんの結婚式

2006-11-12 10:03:02 | 随想
 久しぶりに京に行きました紅葉のこの季節京は少しの賑わいを示していました。

 11日はT女史の結婚式に招かれ参列しました。チャペルでの牧師のお説教から始まり賛美歌、結婚宣言と荘厳な儀式が始まると何かまぶたがぬれて感情がこみあがってくるのです。
 そうですあの小さな可愛い子がこんなに立派に成長しこのようなイベントを自ら企画立案し取り仕切るのです。

 牧師さんの言われるように二人で愛をはぐくんで豊かな時も、そうでない時も、明るい時もそうでない時も二人で楽しい家庭生活をきずいてほしいものです。

 披露宴ではたくさんの友人知人が参加してのなごやかなパーティーでふたりの交友関係が広いのにビックリしました。まさにT女史の人柄であろう。

 古来「和気致祥」という言葉がありますが本当に和やかな心持の女史で幸せがやってくるのは間違いないと思うのである。