hayashi5 blog

Time goes by, Life goes on...

国家の自縛

2010-07-29 00:07:21 | 書籍

Kokkanojibaku

国家の罠の作者の佐藤優氏が、保釈後に産経新聞のインタビュー取材を受けた際の様子を纏めた本書。そしてそれを単行本化するにあたり、まさに佐藤優氏と同じく特捜部に逮捕され同じく有罪となった、小沢一郎元秘書である石川知裕とのやり取りとそれに対する考察が付け加えられています。正直、佐藤優が小沢一郎に近いということを初めて知りました。

さて、その中身。360ページ中、260ページがオリジナルの国家観、国体に関するインタビュー記事。最後の100ページが小沢事件に関する物です。

世の中には、表があれば裏があり、人のよって表と裏が入れ替わり、また別の表が出てきたりするわけです。と言うわけで、氏の言うこと、外務省や検察に対する批判が100%正当ではなく、鈴木宗男と佐藤優は確かにやりすぎて、出すぎたのだと思います。

ただし、それにしても彼等2人は間違いなく国益のために、裏舞台で身を挺して身を粉にして働いた人だと思います。

そしてそういう人だからこそ言える、政府、外務省官僚、そしてその先にいる国民に対して苦言を呈すことが出来るわけです。大前研一や寺島実郎のような、ある意味無責任で当たり障りの無い発言ではなく、自身の身を危険に曝してても言うべきことだと認識しているのだと思います。

彼が外務省を追われてから、外務省の優秀な人も腰が引けてしまい、インテリジェンス活動が退行してしまっているとずっと唱え続けています。その結果が日本外交の迷走であり、それにより安全保障、領土問題、経済問題で日本の国益を損ねているとすれば、検察と外務省は国民への背任行為を行っていることになります。検察も外務省も国民の利益(国益)より自身の利益(保身)を選んだことになるわけです。

インタビューの中で印象的な言葉が「軍人、外交官は、状況によっては無限責任、つまり自己の生命を投げ出す覚悟が就業規則に含まれているというのが国際スタンダードです。所与の条件化で小泉総理(インタビュー当時)を守ることが国益なんですよ。殉職によって国益に貢献するというのも当然あり得るシナリオです。それが嫌なら外交官という職業を選ばなければいい。それだけなんですよ」

彼が本当に外交官として、国に命を捧げることができたかは、今となっては分かりませんが、ノンキャリで外務省に入り、当時まだ混沌としていたロシアに派遣され、夜討ち朝駆けでロシアネットワークを作った人なので、この言葉にも信憑性があります。

そして彼が言いたかったのは、検察批判や外務省批判ではなく、日本国民に日本と言う国をしっかりと勉強し、理解し、次の世代に引き継いでもらいたいということ。ヨーロッパに来て思うことは、宗教や歴史がすぐそばにあること。先のユダヤ人をはじめ色々な宗教や歴史を持つ、色々な民族が一緒に住んで社会を、国を形成しています。そういう意味で、己を知り、相手を知ることは小さい頃から当たり前のように生活の中にあると感じます。宗教のみならず、文学、音楽、哲学も身の回りにあり、普通の教養として成り立っていますが、日本人は戦争とその後の高度経済成長の中で、日本の歴史、哲学を置いてきてしまったのだと思います。もうこれ以上の急激な成長を望めない日本です。そろそろアメリカのような競争社会ではなく、欧州のようなゆっくりとした社会にシフトしていくべきだと思います。むしろ日本人の性格、勤勉さをもってすれば、欧州以上に良い社会が作れるのではないかと思います。


相撲ネタ

2010-07-25 20:33:40 | Martial Arts
東京移動中。

名古屋で元横綱の武蔵丸が乗ってきました。場所が終わって帰京でしょうか?

え~、グリーンじゃないの?と思いましたが、グリーン1席では収まりきれないので、ひじ掛けが動く普通指定席を2席購入してるみたい。しかもそれでも窮屈そうです。現役引退したんだし、痩せれば今より安く、今より快適なグリーン乗れるのにね。と思ってしまいます。大きなお世話か…

ちなみに他の力士たちはどうやって移動するのだろう?バス?トラック?


成田到着

2010-07-22 10:48:40 | くらし

無事到着。

乗り継ぎしんどいので、成田エクスプレスで戻ろうと思ったら、向かいの京成線に新しいスカイライナーとまってました。

次回、近場の出張で体力に余裕がある時にでも。

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しかし、予想通り暑いですね、東京。もう萎えてしまいました。


イギリスへ

2010-07-19 04:49:33 | United Kingdom

イギリス(といってもそうとうの田舎のメルクシャム)へやってきました。なんと言っても、ヒースローついてからが遠い・・・

ヒースローエクスプレスでパディントンへ。

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お馴染みのパディントンベアです。

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それから、列車を乗り換えて西へ西へ。とてもいい天気です。

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で、7時半くらいにようやく到着。前にも止まった、古いお宿です。いや~、のんびりだ。

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ここに泊まると、仕事なんだかよく分からなくなるのですが、この辺にはこの手のB&Bしかなくて、ちゃんとした(?)ホテルとなると車で1時間近くのバースになってしまいます。

そんなに小さい会社じゃないんだし、会社経営的にはもっと都会の方に移ったら?って思いますが、こういう片田舎で暮らせることが、イギリスでは贅沢なのかもしれないですね。

大陸ヨーロッパにも輪をかけて、牧歌的であります。

今回は開発の話をしに来ましたが、話が(時間軸が)合うかどうだか・・・


ミュンヘンの夏

2010-07-18 03:23:46 | Germany

博物館の後、街をぶらぶら。今日は時折雨が降ったりで、昨日までのようなギンギンに暑い日ではなく、外を歩いても心地よい日でした。

お馴染みの(?)ビクトリアンマーケット。どこもかしこも人だらけ。昼間っからよう飲むなぁ~

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そして、English Gardenへ。曇り空だったので、甲羅干しの人もまばらでした。若い男の子らは運河に飛び込んで遊んでましたが、ちょっと寒そう。

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今日は土曜だし、曇りだしで少し人がまばらでしたが、みんなそれぞれ気ままに休みを過ごしてました。日本とは時間の流れ方が違います。


Jewish Museum

2010-07-18 02:32:37 | Germany

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昨日で予定していた仕事も終わり、ミュンヘン最終日。明日からUKなので、体力温存ということで、前から気になっていた、ユダヤ人博物館(Jewish Museum)に行ってきました。

博物館(写真右手)は地下1階、地上3階からなり、常設展示は地下1階のみ。長い間国を持たずひっそりと身を潜めて生きてきたユダヤ人を象徴しているのかな?と思えてきます。

地階は受付、ショップとカフェ。地上1,2階(日本で言う2,3階)は特別展示用のスペースです。

地下階の展示によれば、ミュンヘンにユダヤ人が住んだ記録は、1229年に始まるのだそうです。もちろん、宗教的な差別は当然あり、市民権はなく、厳しい環境だったようです。しかも、当時から商売上手なユダヤ人達は当時から迫害を受けていたようです。その後、15世紀に一度はミュンヘンから追放されたのものの、月日を経て18世紀には再びミュンヘンユダヤ人達が流れ込むようになり、紆余曲折ありながら、19世紀には他民族と同等の権利を得たのだそうです。

その後20世紀に入り、第1次大戦とその後の戦後補償、第2次大戦の中で、またも反ユダヤ運動が高まり、その後は教科書などでよく知るとおりの歴史となります。

先週のDachauに続き、ちょっと重いネタと思いながら見に行きましたがそうでもありませんでした。もちろん、第2次大戦中の歴史の1つとして大虐殺(holocaust)という言葉はありますが、非常に控えめな内容。それよりも、歴史的にユダヤ人が多かったミュンヘンにおいて、われわれユダヤ人は色々なことがありながら、あなたたちと一緒にいたのです。もっとユダヤ人やその文化を知ってくださいね。と言っているようでした。

考えてみれば、今もユダヤ人はミュンヘンにすんでいるわけで、そんな中「私たちはこのミュンヘンでこんなひどい目に遭いました」なんて声を大にして叫べば、自らの首を絞めることになってしまいます。

それに、いくら迫害を受けたと言っても、彼らはつれてこられた訳ではなく、自ら進んでまたは、どここから逃げる形でミュンヘンに来たわけで、ある程度そういうことが起こることは覚悟の上だった人もいるのかもしれません。

そういう意味でも、世界のいろいろなところで、世界を動かしているユダヤ人達の底力と言うか懐の深さを感じてしまった1日でした。(博物館の主旨とは違うかも)

ちなみに、ユダヤ人博物館は世界中にあるらしく、ニューヨーク、ロンドン、ベルリン、ブカレスト、ダブリン、アムステルダムなどなどと、これまた世界に寝づくユダヤ人を感じます。

ちなみに、ユダヤ人にとって日本は、「杉原千畝の国」として、非常に好意的に受け止められていくと聞きます。同盟国であるドイツに追われたユダヤ人達のため、自らの地位と命を危機に曝しながら、ビザを発給し続けた杉原千畝さんのことを、日本人よりも認知しており、評価しているかもしれません。逆に日本は、それだけ日本に好意的でいてかつ、世界に特にアメリカに影響力をもつユダヤ人ネットワークを借りることが出来ないのだろう?と思ってしまいます。


Dachau Concentration Camp

2010-07-11 04:22:02 | Germany

ミュンヘン市内の見所もだいたい一回りしたので、ダッハウ強制収容所に行って来ました。

ドイツ国内に作られた初の強制収容所で、ヒトラーが政治犯を収容する収容所であると述べ、その後のナチスの強制収容所の原型になったとことです。

場所は、ミュンヘンから電車で30分くらい。バスに乗ること10分くらいのところにあります。天気もいいためか、非常に多くの人でした。

収容所一体の入り口。

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収容所は壁と鉄条網に囲まれており、とても広い敷地です。正面にあるのが当時の管理棟で、調理場や作業所、浴室などがあったそうです。

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管理棟の中はこんな感じで、仕切られた部屋がたくさんありました。

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収容所の設立は1933年で、実は第2次大戦前です。当時はドイツを中心に政治犯を収容し、労働や教育を通して更正(洗脳)をするのが目的だったようで、もちろん強制労働や拷問もあったようですが、それほど何千人も死ぬほど劣悪な環境ではなかったそうです。

展示の前半は、なぜナチス、ヒトラーが台頭してきたかが淡々と説明されています。

第1次大戦の荒廃と戦後補償、それに追い討ちをかけるような世界恐慌のため、ドイツ国内が疲弊し、そして新しいリーダー、政党を国民が支持し、狂喜したのでした。という皆さんご存知のお話しです。

ちょっと見難いですが、Dachauに収容された年度別と国ごと(当時)の囚人数です。やはりポーランドが一番多いですが、その次に自国と言うのが、捕虜収容所とは違うところです。

ただ、やはり第2次大戦の頃には、目に見えて収容員数の数が増えています。

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そして、戦局が危うくなり、敗戦が迫り始めた1942年から1945年までの死者数です。もちろん旗色が悪くなるつれ、囚人の扱いもより非人道的になるわけで、最後の方は毎月何千人もなくなったようです。

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管理棟前につくられた、記念碑です。

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人々がもがき苦しみ絡みあう様子を象徴しています。

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バラックと呼ばれる建物の中。囚人たちは3段ベッドで寝ていたそうです。ただ、終戦直前は、200人収容の建物に2000人もの囚人が収容されていたそうです。

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火葬場です。あまりにも死者が増えたため、1940年に追設されたとのこと。

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焼却炉。全部で4基(写真の右側にもう1基)あります。

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毒ガス室の入り口です。シャワーと称して中に囚人を入れ、毒ガスで大量に殺害するというナチスでは有名な話しですが、実際このガス室が使われた記録はないのだそうです。

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中はこうなっていて、背が高いヨーロッパ人には窮屈な感じでした。フラッシュ炊いてますが、実際は暗く、小さい窓から光が入る程度です。

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結構広い敷地で、主要な建物、情報、写真などなどたくさんの物を見せてもらえました。当時のドイツそしてヨーロッパが非常に混沌と殺伐としていたのが分かります。

ただ、それでも、それほど凄惨で息が詰まる思いをしなかったのは、今となってはのどかな風景であること、登場人物(ナチスと囚人)が西洋人であること(アジア人が出てこないこと)、そして何より虐げられた人々が、政治犯であり捕虜であったからと思いました。

広島、長崎、そして東京大空襲では、罪もない、そして戦争のことも原子爆弾のことも知らない、一般人が一瞬にして大量に虐殺されています。この記録は、世界でも数少ない、戦争における無差別大量虐殺であり、日本人であることを差し引いたとしても、世界史の中でも非常に大きな悲惨な歴史だと感じています。

このような収容所で虐げられた人々の苦しみ、無念さは計り知れないものがあることは分かっていて、このようなことが無い様、肝に銘じ、戒めていくことは大事なことです。

一方で、唯一の戦争被爆国である日本も、事実は事実として、自国民にも他国民にもその悲惨さ無念さを世界に伝え、戦争や貧困の無い世界を少しでも実現すべく、主張していかないといけないと改めて思いました。


ミュンヘンの夜

2010-07-10 05:39:07 | Germany

今回の渡独の主な任務である、取引先のお客さん(日本人)をつれて、Hofbrauhousに行ってきました。2回目です。週末なので相変わらず人が多く皆さん大騒ぎで飲んで食って楽しんでいました。

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ローストチキン頼んだら、ご覧の通りの鳥半分が・・・。鳥でも結構重い・・・

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で、帰りにHauptbahnhofに寄ったら、ちょうどTGVが入ってきました。パリ行き夜行列車かな?

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取引先の方々はドイツ初めてなので、喜んでもらえてなにより。

明日はなんとか解放されました。体力に余裕があればDachauに行ってみたいな。と思っています。


ミュンヘン到着

2010-07-07 04:04:22 | Germany

ミュンヘン到着。さすが直行便。移動が楽チン。

で、ワールドカップ準決勝を控え、浮き足出っているかと思ってましたが、まったくそんな雰囲気は無し。ドイツ国旗をつけた車を数台見た程度です。瞬間湯沸かし器のドイツ人なので明日はそれなりに盛り上がるんでしょうけど。

サマータイム中ということもあり、9時でこんな感じ。夕方5時、6時くらいの感覚です。

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日暮里

2010-07-06 09:33:53 | 海外
日暮里
今日からドイツ人サポートのために2週間ドイツへ。ドイツ側が金出してくれるので、フライトはミュンヘン直行にしました。

で、成田エクスプレス乗るのも中途半端な時間なので、久々にスカイライナーに乗ってみたら、日暮里駅が新しくなってました。残念ながら新型スカイライナーは17日からですが、着々と進む、空港アクセス高速化です。スカイライナーも池袋まで伸ばしてくれたらありがたいのだが。