hayashi5 blog

Time goes by, Life goes on...

Dachau Concentration Camp

2010-07-11 04:22:02 | Germany

ミュンヘン市内の見所もだいたい一回りしたので、ダッハウ強制収容所に行って来ました。

ドイツ国内に作られた初の強制収容所で、ヒトラーが政治犯を収容する収容所であると述べ、その後のナチスの強制収容所の原型になったとことです。

場所は、ミュンヘンから電車で30分くらい。バスに乗ること10分くらいのところにあります。天気もいいためか、非常に多くの人でした。

収容所一体の入り口。

Imgp0034

収容所は壁と鉄条網に囲まれており、とても広い敷地です。正面にあるのが当時の管理棟で、調理場や作業所、浴室などがあったそうです。

Imgp0058

管理棟の中はこんな感じで、仕切られた部屋がたくさんありました。

Imgp0062

収容所の設立は1933年で、実は第2次大戦前です。当時はドイツを中心に政治犯を収容し、労働や教育を通して更正(洗脳)をするのが目的だったようで、もちろん強制労働や拷問もあったようですが、それほど何千人も死ぬほど劣悪な環境ではなかったそうです。

展示の前半は、なぜナチス、ヒトラーが台頭してきたかが淡々と説明されています。

第1次大戦の荒廃と戦後補償、それに追い討ちをかけるような世界恐慌のため、ドイツ国内が疲弊し、そして新しいリーダー、政党を国民が支持し、狂喜したのでした。という皆さんご存知のお話しです。

ちょっと見難いですが、Dachauに収容された年度別と国ごと(当時)の囚人数です。やはりポーランドが一番多いですが、その次に自国と言うのが、捕虜収容所とは違うところです。

ただ、やはり第2次大戦の頃には、目に見えて収容員数の数が増えています。

Imgp0069

そして、戦局が危うくなり、敗戦が迫り始めた1942年から1945年までの死者数です。もちろん旗色が悪くなるつれ、囚人の扱いもより非人道的になるわけで、最後の方は毎月何千人もなくなったようです。

Imgp0077

管理棟前につくられた、記念碑です。

Imgp0081

人々がもがき苦しみ絡みあう様子を象徴しています。

Imgp0082

バラックと呼ばれる建物の中。囚人たちは3段ベッドで寝ていたそうです。ただ、終戦直前は、200人収容の建物に2000人もの囚人が収容されていたそうです。

Imgp0088

火葬場です。あまりにも死者が増えたため、1940年に追設されたとのこと。

Imgp0103

焼却炉。全部で4基(写真の右側にもう1基)あります。

Imgp0104

毒ガス室の入り口です。シャワーと称して中に囚人を入れ、毒ガスで大量に殺害するというナチスでは有名な話しですが、実際このガス室が使われた記録はないのだそうです。

Imgp0114

中はこうなっていて、背が高いヨーロッパ人には窮屈な感じでした。フラッシュ炊いてますが、実際は暗く、小さい窓から光が入る程度です。

Imgp0115

結構広い敷地で、主要な建物、情報、写真などなどたくさんの物を見せてもらえました。当時のドイツそしてヨーロッパが非常に混沌と殺伐としていたのが分かります。

ただ、それでも、それほど凄惨で息が詰まる思いをしなかったのは、今となってはのどかな風景であること、登場人物(ナチスと囚人)が西洋人であること(アジア人が出てこないこと)、そして何より虐げられた人々が、政治犯であり捕虜であったからと思いました。

広島、長崎、そして東京大空襲では、罪もない、そして戦争のことも原子爆弾のことも知らない、一般人が一瞬にして大量に虐殺されています。この記録は、世界でも数少ない、戦争における無差別大量虐殺であり、日本人であることを差し引いたとしても、世界史の中でも非常に大きな悲惨な歴史だと感じています。

このような収容所で虐げられた人々の苦しみ、無念さは計り知れないものがあることは分かっていて、このようなことが無い様、肝に銘じ、戒めていくことは大事なことです。

一方で、唯一の戦争被爆国である日本も、事実は事実として、自国民にも他国民にもその悲惨さ無念さを世界に伝え、戦争や貧困の無い世界を少しでも実現すべく、主張していかないといけないと改めて思いました。