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日本人の9割に英語はいらない

2011-10-08 09:14:49 | 書籍
日本人の9割に英語はいらない
マイクロソフト日本法人元社長で、現在は投資コンサルティング会社取締役の成毛(なるけ)眞氏の、英語偏重社会に警告(反対)する著書。帯には、本文にもある「英語ができても、バカはバカ。」という文字が躍っています。

著者は、自動車部品メーカーから、出版業界に興味がありアスキーに転職。その後、米マイクロソフトとアスキーがアスキーマイクロソフトを設立した際に転籍。その後マイクロソフト日本法人の社長になった方ですが、英語がペラペラだったどころか、最初は全然聞き取れなかったそうです。それでも仕事を通して英語に慣れた、本当に必要なときは割りきって通訳を使ったりで、全く問題はなかったと言っています。確かに、外資であっても客は圧倒的に日本人が多く、もちろん日本語で商談。そう言う意味では、うちの営業のおっさんは英語はが変ですが、それでものらりくらりしながら仕事をねじ込んで来る営業力はさすがで、外資の営業としては適任なのだと思います。

話がそれましたが、本書では日本人1億2千万人のうち、英語が必要なのはその1割と計算。1割の根拠は、いささか乱暴で数字あわせの感があるものの...

外務省の海外在留法人統計によると海外滞在者は年間56.7万人。これが4年に1回入れ替わるとすると仮定し5歳から80歳までの75年の間に約19回だから、人生のうちで海外に長期滞在する人は56.7万人×19=1077万人。次に経産省の統計で外資系で働く人が2004年のデータで102万人。大型ホテル、外国人向け旅館の女将、新幹線の車掌など英語が必要な職業でざっくり100万人。で、この3つで合計1279万人なり。(わかります?)

内需の小さい韓国や、観光業が主要なブータン。母国語での有用な教材の少ない小国や、米英の旧植民地においては、英語教育は必然的だが、ある程度の市場を持ち、独自で特殊な言語を持ち、かつ母国語での高等教育が可能な日本においては、全員が英語を話す必要はなく、そのために社会や理科の時間を削り、国語力の形成もできていない状態で英語教育を行っても、無意味である。と言うのが本書の要旨。

そんな時間があったら、(翻訳書含めた日本語の)本をたくさん読んで、自分の幅、教養を広げることがなによりも大事であり、社会に出て、特に欧米の人と接した時に、その幅が物を言うと説いています。実際、氏の娘さんが商社に就職された際に、英語学習の義務があったにも関わらず、英語の学習は最低限にし、その分ゴルフをみっちり仕込んだおかげで、接待ゴルフに頻繁に駆り出され役立ったのだそうです。

何回かblogに書いたと思いますが、英語はあくまでもコミュニケーションの手段であり、それだけで外国人に対する武器にはなりません。アメリカ人やイギリス人はホームレスだって英語がペラペラなのです。よって、工学だろうが、経済学だろうが、何か1つでも秀でたものがあり、それを自分の中で論理的の整理できていて始めて、英語が武器になるわけです。むしろ、そういう専門性があれば、英語なんてだいたいで良いわけです。あとは気合いと度胸なのです。

そもそも、目的のない学習と言うものが苦手な私なので、英語だって海外の人との仕事を通して徐々に使えるようになったし(もちろんまだまだダメですが)、いろいろな本を読むのだって、外国人を含めていろいろな人達との会話を成立させるためと言うのが目的だったりします。学生の頃は本なんて全然読まなかったし、歴史も嫌いでした。なんで年号覚える必要あるの?と思っていたし、実際覚えていません。

小さい頃の勉強は大切ですが、勉強の動機付けと実体験のバランスこそが、その人の長い人生における人としての幅と深さを決めて行くのだと思います。そして知識と教養は、体力と違い年齢に比例していくもの。諦める必要はないし、まだまだ学び吸収するものは、たくさんあると思います。

本書は英語教育に焦点を当てながら、もっと深い、日本人の教養という部分に警告を発しているいい書籍で、もっとマスコミで取り上げられるべき本考えだと思いました。

「語学ができても、思想や哲学までは養えない。コミュニケーションは、やはり思想や哲学、知識があってこそうまくなるものである。英語は論理的な言語だといわれているが、欧米人は幼少のころから論理的な思考を身につけるトレーニングをしているから、その傾向が強いのである。だから英語を学ぶのは最後でいい。その前に学ぶべきことは山ほどあるはずである。」