カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

同時通訳者に落語を

2017年03月01日 03時23分51秒 | 社会

通訳はとてもありがたいものです。

まったく理解できない外国語の場合でも、通訳者がいるおかげで、言っている内容がわかるのですから、凄いことです。

尤も「通訳のおかげで、母国語のような理解に至る」というわけにはまいりませんが。

今回は、テレビニュースでの同時通訳について述べております。


記者が誰かにインタビューし相手が応える番組で、これを一人が同時通訳している場合です。

この時、映画のアフレコのように、登場人物の口の動きに合わせて翻訳する、というわけにもいかないので、本人がしゃべるのから少し遅れて同時通訳することになります。

このため、一方の話者が話し終わっていて、別の話者が次の質問を発しているのに、まだ最初の人の発言を翻訳中、という珍光景がしばしば見られます。

多くの場合、一人の通訳者ですから「同じ声」なので

遅れて翻訳する場合(画面と同期が取れなくなり)、どこまでが前の人の回答の翻訳で、どこからが次の質問の翻訳なのかが分らなくなる、のです。内容によっては「質問の意味が分りにくく」、また「応えの意味さえわからない」ことがあります。

質疑応答を「同じ人が同じ声で」同時通訳する場合 

  1. 声 :声色、しゃべり方(抑揚や速度)

こうやって2人の会話を翻訳するのが視聴者にとって分りやすいでしょうか。

落語の場合

たった1人の話者が、噺によっては大勢の登場人物を使い分けなくてはいけません。

同じ場面で複数の人物が登場する場合には、格別な工夫が必要です。たとえば、

  1. 声 :声色、しゃべり方(抑揚や速度)
  2. 所作:顔の向けかた、しぐさ 

もしも同時通訳者に、落語の心得があれば・・・・・・

通訳者の顔は見えないので上で「2.所作」の工夫はできず「1.声」のみが該当します。

これが「同時通訳者に落語を」と主張するゆえんです。

簡単そうに思われますが、たった1人ですべての登場人物を演じるというのは、それはそれは大変なことなんです。

はたして同時通訳者に、落語家のような強い心構えがあるのでしょうか。単に、言われたままのことをしているだけ、ではありませんか。本気で仕事に打ち込んでいますか?

もしも落語という世界でも珍しい話芸の本質を取り入れた翻訳システムを作れば、それこそ世界中の人が日本の仕組みを学ぼうとするでしょう。そして落語の本質も、そこから世界に伝わるはずです。

さてさて、皆様はどう思われますか。


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