強烈な違和感でした。
日本は「怖い国」だって…? ある「在日コリアン」が直面した「強烈な違和感」:現代ビジネス 2021/02/27
韓国では
日本社会で外国人に対する「差別やヘイト」の雰囲気が高まり、在日外国人たちが「いつ殺されるかわからない」という恐怖に怯えながら暮らしている、とのこと。
そういう目で韓国人は、日本を見ているのです。
これも「いい加減な吹聴をする韓国人社会」ならば大いにあり得ることでしょう。
「そうではないか」と疑問をもつのはいいのですが、「そうに違いない」と発展し証拠もないまま「そうでなければならない」からいつの間にか「それが既成事実になってしまう」のがいけません。
「証拠」に対する真剣さが足りないと言えます。
こういった日本社会のとらえ方から、勘ぐれば
「自分と同じ考えではないか」が「自分と同じ考えでなければならない」から「自分と同じ考えだと断定してしまう」ので、「怖い日本」というイメージが定着するのでしょう。
それだけ「自分」のひどさがよく表れているのかも。「自分」を「自分たちが作った社会」と置き換えるほうがより適切かも知れません。
こういった韓国人が日本へやってきて
「イメージと真逆だった」と言う笑い話はあとを絶ちません。
日本から韓国へ輸入されて「商売はこうでなければならない」と受け取った韓国人もいるはずです。
「万人が知っていることは証明する必要がない」は、強制的に「万人がそう信じる」事態を想定していません。
「最も明白なのは被害者の肉声による証言」であるとは、まさに未熟な社会ゆえの結論でしょう。まったく「証拠」に対する見方が異なるでしょうね。
韓国社会を考えることは、日本社会を考えることなのです。
こんなことが韓国社会では普通です。
ニューカマーとは「newcomer:新参者」の意味ですが
日本の一部メディアや著名人たちがオールドカマーの在日の口を借りて伝えるような「恐怖」は明らかに誇張されたものである。それを日本の全体的な雰囲気のように語るメディアの態度にも問題がある。
少数者の語りにわれわれが敏感であるのは好ましいが、少数者に被害者性を期待しすぎると、それに過剰に応えようとする者が、ときに出現してくることにも注意したい。
と言っており、重要な指摘です。
少数者の意見を取り入れるのは民主主義にとって大切なことですが、日本のメディアがそれをやり過ぎて、「少数者の被害性を期待し過ぎ」「捏造に至る」のが戦後の反保守につながっているとしたら、不幸なことです。
これを韓民族の「誇張癖」というのはたやすいことですが、実際に遭遇している場合、真剣にならざるを得ません。
在日朝鮮人韓国人には、2通りあるらしい。
古い世代(オールドカマー)と若い世代(ニューカマー)ですね。
「地上の楽園」とだまされて北朝鮮へ渡った人たちが、あの報道規制の激しい北朝鮮から、日本のこれからだまされて北朝鮮へ渡ろうとする人たちにむかって「(必死にだまされて)来るな」と言ったらしい。それは検閲を乗り越えて「切手の裏にも書かれていた」とのこと。
しかし現在の若い新参者たちによる膨大な情報で、韓国の人たちへ必死になって「(だまされて)来るな」と言っているとは想定できず、むしろ韓国にはない日本のいいところを宣伝しているために、膨大な人たちが韓国から日本へやってくるのだろうと思われます。
今の韓国よりも今の日本のほうが、はるかに住みやすいということですね。
さてさて、皆様はどう思われますか。