またまた聞きたくもない韓国の偽造・詐称・・・・・・
全米震撼!トランプ政権「米国務省韓国系美女職員」の経歴はウソだらけ:iza 2019.11.20
「韓国系の神話」ミナ・チャン氏、学歴偽造疑惑…米国務省、突然指名撤回: 中央日報日本語版2019.11.14
本当に
「全米が震撼」したのかどうかは別として、また「神話になっている」かどうかは別として、朝鮮半島の偽造・詐称そのものが、そしてそれを取り上げるメディアさえ、いつものでっちあげなんでしょう(笑)。
次に詐称・偽造の話があった時に
「また韓国系のうそ八百か」
と思うだけでした。ただそれだけのこと・・・・
♪ そこにはただ風が、吹いているだけ ♪
そしてこの傾向がおさまるまで
- 今すぐに解消されたとしても、あと30年はかかりそう
- 今すぐに解消されないばあい、あと60年はかかりそう
「学歴」や「詐称」で検索してみると・・・・・・
八重山も沖縄と同じく二重構造を持っていたようだ。
八重山のピラツカのことを沖縄ではウフゲンナー(大きな腕をしているのに芸事にうつつを抜かして怠けている者)ブツケーとか言う。天才の芽を摘んでいたのである。立身出世主義、学歴主義の犠牲者だったのである。
いくら、文部省が言い訳しても音楽の時間にピアノ、オルガンと五線譜一点張りの音楽教育を進める限りは、日本文化、郷土文化の排斥・弾圧、抹殺に手を貸していることになる。
日本の教育に国語(日本語)教育はあっても邦楽(日本音楽)の時間はなく、西洋音楽の時間があるだけである。それは言うならば日本国民にとって大切な国語は教えず英語ばかりを教えているようなものである。
まず、義務教育の中では郷土音楽、邦楽をしっかり教え、西欧音楽は外国の文化を理解し国際感覚を身につけるために高等教育の中で選択させてもいいのではないかと思う。極論すれば沖縄の音楽の先生とは三線の先生でなければならないと思う。灯台下暗しではいけないのである。そのため早急に学校教育の中で三線を教えることのできる教師の育成が急がれるが、沖縄のすべての学校の窓から音楽の時間に三線の音が流れてくるのは果たしていつの日のことであろうか。:宜保栄二郎「三線のはなし」沖縄文庫 ひるぎ社
著者は、正しいことを言っています。祭りの時に「ほかの家」の子供が三線を弾くと誉めますが、それは「自分の家」の子供でない時に限るという社会的な問題はあるでしょう。
しかし小学校の頃から西洋音楽ばかりを教えるのは間違っており、もうちょっと上の学校になってからでも十分間に合うでしょう。
小さい頃から西洋音楽に慣れさせる家庭があってもいいと思いますが、小学校の音楽の先生は、日本では「三味線や太鼓や琴の先生」でなければならず、ただヒステリー気味に「ベートーベン」を語る人ではだめなんです。
つまり初等教育では地元の音楽(琉球の場合には三線)を教えるのが常道だ、という説に私は賛同するのです。
明治以降の文部省の音楽教育に「学歴」偏重という大きな問題があったようです。
ただし学歴偏重主義の朝鮮半島では、パクリ・偽造をむしろ推奨する社会風潮もあり、引用のような経歴詐称の問題が、頻繁に起こるのです。
朝鮮半島諸国が「学歴」社会だとしても、日本はさらに進化して「学校歴」社会になってしまったようです。さらに進化したという説もありますが・・・・・・
思い出せば子どものころ、神主の子というのも恥ずかしかった。お宮のぼんと特別扱いされるのが子供心にはかえってつらいものがあった。あちこちで父親の職業を聞かれ、ついロごもったこともある。落語家になると学歴が逆の意味で負担になった。義務教育以上の学校に行ったということは、落語家の中では浮いてしまうのである。どうにも身の置き所のない世界だったが、上方落語復興を目指しての同志的連帯が、個々人の事情を飲み込み、いつしかそんなコンプレックスもどこかに吹き飛んでいった。:桂米朝「私の履歴書」日経ビジネス人文庫 日本経済新聞出版社 2007年4月1日第1刷
桂米朝は、旧制姫路中学(姫路西高等学校)卒~大東文化学院(現大東文化大学)入学という学歴のせいで、落語家の中では浮いていたというのです。
そのご、苦労が伴ったと思われますが、文化破壊の(上方落語が消え去った)おかげもあり、桂米朝は立派な人になったのでしょう。
年齢詐称で北朝鮮を2年間資格停止 国際体操連盟:日経新聞 2010/11/5
体操選手の年齢詐称やら、金正恩(最高指導者在位:2011-現職)の身長・体重詐称やら、根拠のない無数の韓国発祥説など、北朝鮮や韓国など朝鮮半島に関しては、話題にことかきません(不自由しません)。
そこで「なぜ韓民族はウソばっかりつくのか」という素朴な疑問に至りますが、それは「愚問」なのです。
北朝鮮高官の生き残り作戦から、異様な学歴社会の韓国などを見ていると、「ウソ」「詐称」は、まるで朝鮮半島に自然に備わっているように見えてくるため、「愚問」なのです。
さてさて、皆様はどう思われますか。