窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

バルナバ・クリニックを訪問してきました

2012年08月18日 | 海外での出来事


  8月13日、弊社社員27名と共に、フィリピン・スービックで貧しい人たちの自然なお産を支援しておられる冨田江里子さんの、バルナバ・クリニックと併設されている子供たちの教育支援施設、ウィッシュ・ハウスを訪問してきました。



  場所はちょっとした丘陵地にあるため、途中でバスを降り、そこからトライスクル(改造したサイドカーみたいなもの。フィリピンではジプニーと並び大衆に親しまれている手軽な乗り物です)で向かいました。実はトライスクルに乗るのは、僕はこれが初めてです。この小さな乗り物に三人、なかなか貴重な体験でした。

  冨田さんとのご縁ですが、以前当ブログに掲載した「パムラクラキン・フォレスト・トレイル」の記事を見た知人から、クリニックのことを紹介していただいたのが始まりです。その後、7月に冨田さんがご帰国された際、クリニックの報告会に参加させていただき、冨田さんより直接お話を伺うことができました。そこから、会社としても微力ながら関わらせていただくようになり、今回の訪問に至りました。

  ただ、折悪しく、冨田さんが大怪我をされていた上、深刻な患者さんもおられたようで、こんなに大勢で少しご負担をお掛けしてしまったのではないかと思います。



  さて、最初に冨田さんからクリニックとフィリピンの貧困層が抱えるお産の現状についてお話を伺いました。日本に住んでいると、自然分娩の支援と聞いてもなかなかその重大さが分かりませんが、フィリピンにおいてはお金がなければ病院にいくことすらままなりません。お金はないけれども命に関わる緊急の患者だからといって、とりあえず診てもらえるということはないのだそうです。人命の前にお金、そればかりか、彼女達には病院に行かず自宅出産のためにお産婆さんを呼ぶお金もないのです。医療保険が発達しており、泥酔しただけで救急車が呼べる日本とは全く違うのだということを認識しなければ、このクリニックで行われていることを理解するのは難しいと思います。

  よしんばお産婆さんを呼ぶことができたとしても、そこにまた大きな問題が。フィリピンには妊婦さんのお腹を圧迫して出産させるという、昔からの風習が残っており、その結果、頭が潰れて産まれてくる赤ちゃん、死産して母体まで危なくなってしまうといったことが起きているのだそうです。助産師である冨田さんは、その惨状を目の当たりにし、お金はなくとも人間がありのまま、自然に産まれ、お母さんのぬくもりの中で育つという当たり前の姿を取り戻すことができれば、こうした人々を少しでも助けられるのではないかと考え、1991年にこのバルナバ・クリニックを始められたそうです。



  この日も、ちょうど赤ちゃんが産まれたばかりでした。この子のお母さんは何と16歳、病院へ行くことも、お産婆さんを呼ぶお金もなく直前まで我慢していたのを、このクリニックでお産をした事のある親戚の女性が気づき、急いでクリニックに運び、ぎりぎり待合室で出産することができたのだそうです。クリニックに運び込まれた時には、もう赤ちゃんの頭が出掛かっていたとか。初産だった若いお母さんもさぞ心細かったことでしょう。

  そんな赤ちゃんが、突然現れた28人の日本人に抱っこされ、この世に産まれてきたことを祝福されている。複雑な思いの中、それでも赤ちゃんの顔を見ていると幸せな気持ちになってしまうのでした。赤ちゃん、どんな名前になるのでしょうか...

  その他にも、ここには例えば末期癌のような重篤な状態であっても病院に行くことのできない貧しい人たちが、すがる思いで訪れるのだそうです。

NGO(国際協力団体)「CFP」
フィリピンの貧しい人のためのクリニック


<つづく>

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
  ブログをご覧いただいたすべての皆様に感謝を込めて。

よろしければクリックおねがいします!

人気ブログランキングへ

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第24回YMSを開催しました | トップ | ウィッシュ・ハウスを訪問し... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

海外での出来事」カテゴリの最新記事