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ニュー・デリーにあるロディー・ガーデンは、1936年にイギリスによって造られた庭園で、その名の通り、ロディー朝(1451年~1526年)時代のモスクや王墓が庭園内に点在しています。
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1494年頃の世界(地図をクリックすると拡大します:「世界歴史地図」より)。
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しかし、最初に目にしたのはムガル帝国第12代皇帝、ムハンマド・シャー(在位1719年~1748年)の墓(冒頭写真)。内憂外患に苦しんだ皇帝の墓は、ぽつんとどこか寂しげです。
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次に、道を挟んで対称的に、一見すると見分けがつかないモスクのような建物が見えてきます。写真左がシーシュ・グムバッド(ガラスのドーム)、右がパダ・グムバッド(大きなドーム)です。
シーシュ・グムバッドの特徴は、その名が示すとおり、ファサードの上にわずかに残る、釉薬をかけた青いタイルです。元々はドーム全体がこの青いタイルで覆われていたであろうと言われています。ここも王墓ですが、誰の墓なのかは明らかになっていません。一説には、ロディー朝の初代スルタン、バフロール・ロディ(在位1451年~1489年)ではないかと言われています。
もう一方のパダ・グムバッドは、ロディー朝時代の関門ではないかと考えられています。19m四方、高さは27mあり、ロディー朝の遺構としては、デリーに残っているものの中で最大級です。
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その特徴は、外から見ると2層に見えることですが、中は写真の通り吹き抜けになっています。
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パダ・グムバッドの右手にあるモスクは、25m×6.5m、ロディー朝時代の彫刻や漆喰の技術を示す遺構となっています。
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さらに進むと、一際大きな、城砦のような建物が見えてきます。これは、ロディー朝第2代スルタン、名君の誉れ高い、シカンデル・ロディー(在位1489年~1517年)の王墓です。余談ですが、次回以降ご紹介するアグラの町を最初に建設したのは、このシカンデル・ロディーです。
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王墓の大きさは76㎡あり、外壁の高さは3.5mあります。そして、内部にあるこの八角形の建物がシカンデルの墓になります。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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