窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

ガンガラーの谷

2018年11月10日 | 史跡めぐり


  11月8日、沖縄県南部にある数十万年前の鍾乳洞が陥没してできた亜熱帯雨林、ガンガラーの谷へ行ってきました。「ガンガラー」というのは、地元住民がこの谷に石を投げ入れた時に反響する音からそう名付けられたそうですが、2008年より一般公開されています。1967年にこの谷の先の港川集落で約2万年前の旧石器人(港川人)の人骨が発見されたことから、この谷は港川人の居住地ではないか推定され、2007年より発掘調査が進められています。



  沖縄本島の中南部は、更新世に珊瑚礁が隆起してできた琉球石灰岩と呼ばれる地層。谷の入口は、この石灰岩の浸食でできた見事な鍾乳洞になっており、現在「洞窟カフェ」として開放され、洞窟内にはステージが設けられ、コンサートなども行われるようです。



  この洞窟が現在港川人の発見が期待され発掘調査が進められているところで、これまでに約2万年前の大量のカニの爪や、2万3千年前の貝で作られた世界最古とされる釣り針、1万4千年前の沖縄最古の土器のかけらなどが、上の写真の発掘箇所から発見されています。恐らくここは港川人のゴミ捨て場だったのでしょう。



  洞窟を抜けると、鬱蒼と木々が生い茂り、川のせせらぎの音が聞こえる大きな谷へと降りていきます。ここが実際、かつて鍾乳洞だったところが陥没してできたところです。



  クワズイモの葉。沖縄に広く自生しており、ガンガラーの谷のシンボルマークに使われています。里芋の仲間ですが、その名の通り毒性があり芋は食べられません。



  世界最大の竹と言われるジャイアントバンブー。ただし、この竹は台湾から移植されたものだそうです。



  谷底を流れる小川。かつては上流から排出される家畜の糞尿で汚染されており、公開が延期されていました。それから三十有余年を経て浄化が進み、2008年に公開されました。


  
  ガジュマルの木。これまでフィリピン、タイ、カンボジアなどこのブログでご紹介してきた自然や遺跡度々登場したお馴染みの木です。木から垂れ下がるヒゲのようなものは根で、これが地表に降りると、地中の養分を吸って木が太くなります。これを繰り返すことで、ガジュマルの木は長い時間をかけて他の木を覆い尽くしたり、樹木であるにもかかわらず移動しているように見えることがあるのだとか。以前フィリピン原住民、アニタ族の居住地を訪れた際、アニタ族の間ではガジュマルの木は「悪霊が住む木」とされ、人の気を吸うと信じられていたという話を思い出しましたが、それも分かる気がします。ガイドさんに尋ねたところ、沖縄でもガジュマルにはキジムナーが宿るとされているそうです。キジムナーは、沖縄諸島周辺で伝承されてきた伝説上の妖怪で、樹木の精霊とされています。各地に似たような伝承が残るガジュマルの木には何かあるのかもしれません。

アニタ族の居住区(フィリピン)

ガジュマルの木に浸食された寺院(カンボジア、タ・プローム)

ガジュマルの木に覆われた仏頭(タイ、アユタヤ遺跡群)



  さらに先へ進むと、いなぐ(女)洞といきが(男)洞という二つの洞窟にたどり着きます。手前のいなぐ洞は、縦型の洞窟なので入ることができません。中には乳房や女性の尻のような形をした鍾乳石があるということで、生命の源として信仰の対象となってきました。



  いきが洞。こちらは大きな横穴の洞窟で、ランタンを手に置くまで入ることができます。やはり生命の源として信仰の対象であり、入り口には礼拝に使う香炉がおいてありました。



  その名の通り、こちらは男根を思わせる形をした鍾乳石が多数見られます。ここの鍾乳石は1㎝伸びるのに40年ほどかかるとのこと。つまり、1mあれば4,000年かかっているわけです。優に2mはある鍾乳石は、少なくとも縄文時代後期には既に信仰の対象であったことでしょう。



  クワズイモの葉の裏にいたのは、ナナホシキンカメムシ。他にもたくさんいました。



  ガンガラーの谷の最も有名なスポット、高さが20mにも及ぶ大主(うふしゅ)ガジュマル。先ほど述べたように、ガジュマルの木に霊力が宿ると信じられていたとすれば、この木も信仰の対象であったことでしょう。



  大主ガジュマルの付近には、人工的に石灰岩積み上げた建造物がいくつか見られます。これは300年以上前の墓の跡だそうです。だとすると、昔の人はやはりこの地に霊的な力を感じていたのかもしれません。尤も、ガジュマルの木は成長が早く、これだけ大きな大主ガジュマルであっても、樹齢わずか150年ほどだそうです。かつて信仰を集めていたのは、このガジュマルとは別にあったかもしれません。



  この付近でも、港川人の発見が期待されています。



  右側をガジュマルの木に、左側を石灰岩に支えられた木造展望台、ツリーテラス。先には港川フィッシャー遺跡(フィッシャーとは、崖の割れ目のこと。港川人1号は崖の割れ目から発見されました)のある港川集落、さらに太平洋を望みます。



  最後の洞窟は武芸洞。ここ南城市玉城前川は、棒術が盛んだったそうで、村祭りのためにここで棒術のけいこをすることもあったことから、この名で呼ばれています。地面は平たんで風通しが良く乾燥しているため、港川人の発見が期待できるとして最初に発掘調査が行われました。



  2008年、身長150㎝、年齢40歳と推定される男性の完全な人骨の残る石棺墓が発掘されました。ただし、これは3000年前のものであり、港川人ではありません。このほか、4000年前の焼けた猪のあごの骨や3000年前の土器のかけらも発見されており、長い間ここに人々が居住していたことは間違いありません。

  なお港川人は、縄文人より前からいた、現在のオーストラリアのアボリジニやパプアニューギニアのパプア人に近い人々なのではないかという説が有力となっています。

ガンガラーの谷

沖縄県南城市玉城前川202



  最後に。ガンガラーの谷とは関係ないのですが、今回の沖縄訪問で生で聞いたこちらの歌がずっと頭の中をめぐっていました。

やなわらばー「平和の歌」



繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした


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