「TPP開国論のウソ」①で『孫子』を少し引用しました。2500年も前に編まれた『孫子』が長い歴史の試練に耐え、今日でも広く読み継がれているのは、それが単に軍事に関わる戦略戦術論ではなく、極めて政治的で柔軟性に富み、また戦争の根底に流れる人間の本質にまで踏み込んでいるため、応用範囲の広い内容であるからだと思います。ナポレオンが『孫子』を愛読し、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世が第一次世界大戦に敗れた後で『孫子』に接し、「これをあと20年早く知っていたら…」と嘆いたという話は有名です。
5回に分けた感想の最後2回は、本書に登場したTPP参加を巡る議論の問題点を『孫子』十三篇から整理してみたいと思います。
1.兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり。察せざるべからず(始計篇)
「戦争は国家の重大事であって、国民の生死、国家の存亡がかかっている。ゆえに細心の検討を加えてかからなければならない」。『孫子』の著者である孫武は、2500年も前に戦争とは政治手段の一つであり、国の存亡に関わる極めて重大事であることを認識していました。ゆえに最初に「始計篇」として、戦争の方法を説く以前に、戦争が及ぼす重大性を認識することを説いたのです。外交交渉も国益を巡る国家間の争いですから、その影響について慎重に検討しなければならないという点では同じです。
「軍争篇」に「故に諸侯の謀を知らざる者は、予め交わること能わず」(諸外国の動向を察知していなければ、外交交渉を成功させることはできない)とあります。当たり前のことなのですが、交渉に当たっては、相手の戦略意図を察知しなければなりません。しかし、TPP賛成論からは、TPPによってアメリカが何を狙っているのかについての考察がまず出てきません。いくら自国の損得を計算したとしても、相手の意図が読めなければ交渉のしようがありません。本書がかなりの紙幅を割き、何故TPPという話が持ち上がったのかの背景について説明しているのはこのためなのです。
また、その損得勘定がどうも腑に落ちません。経済産業省がTPPに参加しなかった場合の自動車・電機電子・機械産業におけるマイナスの影響を試算しているのですが、『TPP亡国論』で指摘されている通り、その算出根拠が不明瞭かつ恣意的です。逆に参加した場合のマイナス影響については農林水産省の農産物における試算があるのですが、既に述べましたようにTPPが関係するのは輸出製造業と農産物だけではありません。それよりはるかに影響が大きいと思われる金融・投資・政府調達・労働にどんな利益がもたらされるのか、説得力のある説明がありません。
あまつさえ、国を代表する総理大臣が2011年1月の施政方針演説において、川田龍平議員の質問に対し、「(前略)仮にわが国がTPPに協定に参加した場合に予想される影響については、(中略)どの分野にどのような影響があるのか具体的にお示しすることは困難である」と答えています。また、川内博史議員によれば、TPP担当である平野副大臣が党の部会において「自分たちでさえTPPのことが、よく分からない」と発言したといわれています。有名な、「彼を知らず己を知らざれば、戦うごとに必ず殆うし」(謀攻篇)を引くまでもない有様です。
一方、アメリカの方はといいますと、本書の中で東谷氏が実に興味深い指摘をしています。1987年に対日貿易戦略基礎理論編集委員会が日本の外交交渉における行動を分析ました。一部本書における引用と異なりますが、そこではこう述べられています。
「日本人は外形、外装を重んじるから、最初に理想的な目標事項を示せば、たとえ実行不可能が十分予想される場合でも、頑張ってやるというであろう。彼等は、喜んで自主規制とか目標協力をするであろう。(中略)われわれは、外圧を日本にも利益をもたらすと信じておこなうべきで、日本人にも外圧が予想どおりのものであったと信じさせることが賢明である。」
情けなくなるくらい図星で、実際90年代以降の日本の外交交渉はほとんどこの通りとなりました。しかもこの論文は『公式日本人論』として邦訳までされているというおまけつきです。
<つづく>
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
ブログをご覧いただいたすべての皆様に感謝を込めて。
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5回に分けた感想の最後2回は、本書に登場したTPP参加を巡る議論の問題点を『孫子』十三篇から整理してみたいと思います。
1.兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり。察せざるべからず(始計篇)
「戦争は国家の重大事であって、国民の生死、国家の存亡がかかっている。ゆえに細心の検討を加えてかからなければならない」。『孫子』の著者である孫武は、2500年も前に戦争とは政治手段の一つであり、国の存亡に関わる極めて重大事であることを認識していました。ゆえに最初に「始計篇」として、戦争の方法を説く以前に、戦争が及ぼす重大性を認識することを説いたのです。外交交渉も国益を巡る国家間の争いですから、その影響について慎重に検討しなければならないという点では同じです。
「軍争篇」に「故に諸侯の謀を知らざる者は、予め交わること能わず」(諸外国の動向を察知していなければ、外交交渉を成功させることはできない)とあります。当たり前のことなのですが、交渉に当たっては、相手の戦略意図を察知しなければなりません。しかし、TPP賛成論からは、TPPによってアメリカが何を狙っているのかについての考察がまず出てきません。いくら自国の損得を計算したとしても、相手の意図が読めなければ交渉のしようがありません。本書がかなりの紙幅を割き、何故TPPという話が持ち上がったのかの背景について説明しているのはこのためなのです。
また、その損得勘定がどうも腑に落ちません。経済産業省がTPPに参加しなかった場合の自動車・電機電子・機械産業におけるマイナスの影響を試算しているのですが、『TPP亡国論』で指摘されている通り、その算出根拠が不明瞭かつ恣意的です。逆に参加した場合のマイナス影響については農林水産省の農産物における試算があるのですが、既に述べましたようにTPPが関係するのは輸出製造業と農産物だけではありません。それよりはるかに影響が大きいと思われる金融・投資・政府調達・労働にどんな利益がもたらされるのか、説得力のある説明がありません。
あまつさえ、国を代表する総理大臣が2011年1月の施政方針演説において、川田龍平議員の質問に対し、「(前略)仮にわが国がTPPに協定に参加した場合に予想される影響については、(中略)どの分野にどのような影響があるのか具体的にお示しすることは困難である」と答えています。また、川内博史議員によれば、TPP担当である平野副大臣が党の部会において「自分たちでさえTPPのことが、よく分からない」と発言したといわれています。有名な、「彼を知らず己を知らざれば、戦うごとに必ず殆うし」(謀攻篇)を引くまでもない有様です。
一方、アメリカの方はといいますと、本書の中で東谷氏が実に興味深い指摘をしています。1987年に対日貿易戦略基礎理論編集委員会が日本の外交交渉における行動を分析ました。一部本書における引用と異なりますが、そこではこう述べられています。
「日本人は外形、外装を重んじるから、最初に理想的な目標事項を示せば、たとえ実行不可能が十分予想される場合でも、頑張ってやるというであろう。彼等は、喜んで自主規制とか目標協力をするであろう。(中略)われわれは、外圧を日本にも利益をもたらすと信じておこなうべきで、日本人にも外圧が予想どおりのものであったと信じさせることが賢明である。」
情けなくなるくらい図星で、実際90年代以降の日本の外交交渉はほとんどこの通りとなりました。しかもこの論文は『公式日本人論』として邦訳までされているというおまけつきです。
公式日本人論―『菊と刀』貿易戦争篇 | |
クリエーター情報なし | |
弘文堂 |
<つづく>
「TPP開国論」のウソ 平成の黒船は泥舟だった | |
クリエーター情報なし | |
飛鳥新社 |
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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