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窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

芦屋 串乃宴-横浜馬車道

2011年02月18日 | 食べ歩きデータベース


  このブログでもしばしば登場する幸喜屋さんが2月15日にオープンしたばかりの本格串揚げ屋、芦屋串乃宴に行ってきました。



  串揚げについてはほとんど何も知らないのですが、塩・辛子ソース・醤油・レモンの四種類の調味料。レモンは種が入らないようガーゼで包むなど細やかな配慮が見られます。



  幸喜屋の高田店長もいつもとは違った作務衣、少し緊張気味に見えます。



  芦屋串乃宴は幸喜屋のオーナーさんが馴染みだった芦屋の串揚屋さんが、大将の高齢で店を畳むことになり、それが縁でここ馬車道にオープンすることになったそうです。最初の3ヶ月、その大将(写真)が指導を兼ねて腕を振るっています。最初は職人気質の気難しい方かと思っていたのですが、穏やかで楽しい方でした。それでも「串揚げは仕事だと思っていたらとても続けられるものじゃない」とは職人らしい、心に響くお言葉でした。一方、「最近、魚や海老の頭を落とす時、可哀想になってくるとは俺も歳かな...」とも。  

  さて、肝心の串揚げの方は一本一本ご紹介していてはキリがありません。しかし、きっと満足していただけるこだわりの数々であることは間違いありません。ぜひ皆さんでお確かめください。  

芦屋 串乃宴

横浜市中区相生町4-66
第15須賀ビル2階



  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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岩屋城①‐本丸跡

2011年02月18日 | 史跡めぐり


  大野城がある四王寺山の中腹には戦国時代の山城、岩屋城があります。豊臣秀吉による天下統一の直前、九州制覇を目論む島津氏と大友氏配下の高橋紹運が激闘を繰り広げた「岩屋城の戦い」(1586年)が行われた場所です。



  岩屋城の本丸跡からは筑紫平野が一望でき、眼下には大宰府政庁跡(写真をクリックすると拡大写真が見られます)や水城が見下ろせます。島津側の総大将、島津忠長は大宰府政庁跡の東側にある観世音寺に陣を設けたそうなので、恐らくここから島津軍の本陣を見下ろしていたであろうと思われます。



  城の本丸と言っても、実に小さなところです。高橋紹運は、ここにわずか760名の手勢で約2万の島津軍を前に篭城したのでした。紹運は約2週間にわたって奮戦し、島津側におびただしい犠牲者を出させましたが力尽き、全員が玉砕して果てたといいます。しかし、この徹底抗戦によって島津軍は体制の立て直しに手間取り、その間に豊臣秀吉の軍勢10万が九州に上陸。島津義久の九州統一の夢は果たせずに終わったのでした。

  「屍をば岩屋の苔に埋みてぞ 雲居の空に名をとどむべき」、紹運が割腹して果てる前に詠んだ辞世の句です。

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