今朝気がついたのですが、我が家の裏にある古墳の木木のつくつく法師が、なんとも心細い掠れがちな鳴き声をだしていたのです。盛夏の頃にたくさんのつくつく法師がうるさいほど賑やかに鳴き交わしていたのが嘘のような、数匹の淋しい鳴き声なのでした。少し前までは、みんみん蝉とつくつく法師が、お互い同士しゃにむに自己主張よろしく鳴き方の競演をしているようにも感じられたのです。(つくつく法師の鳴き声 http://9oo.jp/evY13)
でも、今朝のあのうらぶれてしまったつくつく法師の鳴き声を聞くと、盛夏のころのあの賑やかで一大イベントのような多重混成重唱?は何だったのだろうかと思うわけです。その頃のセミたちの鳴き方は、”俺だって蝉だ””俺がセミだ””この俺を見ろ”といった激しさがあったと思いますね。あの一途で過激な鳴き方から想像できたことは、少なくとも”俺はもう駄目だ”とか”俺は負けそう”といった自己否定的な声は聞き取れなかったわけです。
しかし、あのファーブル先生は蝉の生態も研究されていたのでしょうか。以下は少し検索した結果ですけど、とにかく知らないことをネットですぐに教えていただけるというのは有難く全くの感謝です。昔だったら百科事典で調べるしかないわけです。ぼくも平凡社版24巻だったかありました。あれをひく面倒くささは大変です。殆ど積読で本を処分するときに一応古書店に電話で聞いてみましたら、「版が変わったらゼロ円です」とのことでした。他の本とと一緒に捨てるとか、kgいくらの資源素材とかですね。種類・内容・程度によってはバザーにだすとか、ネットでの一般の通販とか、古書店とのネットや電話での売買もできるみたいですね。
いま検索したら、次のようなセミ大好きさんにお会いできました。ファーブルと訳者の奥本先生(前のブログに書いた)の所説を下敷きに以下のように書かれています。
「…(産卵後のセミは)土の中にもぐるとかなり深くまでもぐるらしい。餌は、植物の根から吸う樹液である。この養分が希薄なので生長に長時間がかかり、結局、彼らは、4,5年間という長い間、地中で生活することになるのだそうだ。アロエやサトウキビなどで人工的に高濃度の養分を与えてやればもっと短い年数、約半分の期間で地表に出てくることも知られている。先日のテレビによると、アメリカ北中部で、17年ゼミというのが今年発生したという。この地域の樹木は、よほど養分が希薄なのであろうか。他の要因もありそうである。
出てきた幼虫は、脱皮して飛び立ってゆく。その様子は、夏休み、ほとんどの子どもたちの目にも触れる。そして、雄がうるさいほどの声を立てて鳴く。ファーブルは、大砲の空砲を撃ってみたがセミたちはびくともしなかった、そこで、セミは耳が聞こえないのではないか、と書いているが、これは、セミの聞いている波長が大砲の音を含まないからだと奥本さんは解説している。交尾が済むと雌は産卵にかかる。そして次の世代への輪廻が始まる」 。
この、交尾と産卵が終ったあとには”次の世代への輪廻が始まる”ということは、何ともいえない厳粛な思いをもたされます。生き物たちの間には、親である自分の身体を犠牲(餌)にして子供の出生を可能にするといった行為をする種族もあるみたいです。ユーチューブには、様々な生き物の”生と死の限界的な有様”もアップされているのでビックリしたことがあります。 http://9oo.jp/fyDGO
ファーブル昆虫記3、奥本大三郎 編・訳『セミの歌のひみつ』もあるりたいです。HP「せみの家」の冒頭には、”このホームページは国内のセミを中心に、日本で最初の本格的なセミのページを目指しています”と書かれています。http://9oo.jp/aqNQW 以下のカッコ内の情報はこのHPからです。
セミはなぜ鳴くのかということについて、「基本的にはオスが鳴いてメスを呼び寄せるため(配偶行動)」なんだそうですね。その通りだとしたら本当に納得できることです。あの泣き方の一生懸命さは生物の本能的な何かを感じさせられます。また夏に鳴く理由については、<夏に羽化し、その寿命が2~4週間程度という事から、「羽化し、成虫である期間が、主に夏だから、夏だけ鳴く」と言える>ということだそうです。また、変な時間帯に泣いたりする場合があるわけですけど、鳴く時間が狂っているような場合は、<「気温と光が関係」するという事が説明されています。羽化も、気温が関係してくるみたいですので、セミの体内時計は、主に温度が関係している、と言えそうです>。蝉も生物である限り、体内時計といった人間と同じような遺伝子レベルの仕組みがセットされているわけなんでしょうか。たかが蝉されどセミ、ということでしょうか。
「気象庁、熊本地方気象台」のHPには、アブラゼミの”初鳴き日”がデータとしてアップされています。1968年頃からのようですが、7月14日(2012) ,7月11日(2011) ,7月9日 (2010),7月11日(通年平年値) ,6月26日(1978年) ,7月25日(1968年) , といった統計もあり、ビックリです。しかしこの統計値はどのようにして調べるのか興味をひかれますね。桜の開花と同じように、その地域の特定の場所での初鳴きを調べるということでしょうか。それにしても音響機器でもセットしない限り厳密な調査はできないはずです。人が立ち会って調べるフィールドワークといった手法はできないはずですよね。体内時計が狂っている蝉が深夜に初鳴きをする場合もあるし、しかしそもそも、そのようなことを調べる意味がどの程度あるものなのか、この方にこそ興味をひかれてしまいます。
しかし、もう夏も終わりですね。これは当り前のことで、いまは初秋とか中秋というのでしょうか。俳句をやっている人に聞くといいのかもしれません。それにしても10月にもなろうとするのに、まだ30度を越す日があるわけです。きょうは久しぶりのテニスをしたのですが、出かけるときには念のために、スポーツ用の薄手の長めのパンツと長袖ウエアを持参したのです。もちろん汗をかいた後の帰り道が寒くなったときを考えてのことなのです。
しかし今夜は、前のブログでコレステロールのことを書いたので、そのことと絡めて近藤誠先生のことを書こうと思ったのですけど、また変なところで引っかかってしまいました。などというわけではないのですけど、どんなことでも少しでも調べてみようとすると時間がかかるわけですね。あっという間にこんな時間になってしまいました。今月の『文藝春秋』には近藤先生の「『先進医療』はカネの無駄」が11ページ書かれています。「『粒子線治療』と免疫療法。『先進』とは名ばかりの実態を暴く」とあります。前回書こうとした「アエラ」のコレステロールの記事についても、その内容は、近藤先生が昔からいわれていたことなのです。今回の方も勇気をもって言ってくださったと感激したのでした。
しかし突然なのですが、僕は難病にかかった場合のセカンドは、近藤先生にお願いするつもりです。ただ先生はもう少しで定年ですから、それが心配です。ただきっとどこかで父上と同じように開業されるとか、奥様とご一緒にでも相談に乗っていただけるようなシステムを作っていただけたら有難いわけです。でも、基本的には、ご著書の精読が必須なわけです。ご著書は40冊くらいは出ているのではないでしょうか。僕は妹の乳がんを契機に出会ったドクターなのですが、以前このブログにも少し書いたとおもいます。なぜ医師になったのかということも1冊書かれています。先生の医学的知見だけではなく、その医療理念や生き方にまず魅かれるわけです。
しかし余談ですけど(ぜ~んぶですが)、今月号の「文藝春秋」の値段は840円なのですが、週刊誌2冊分と大体同じくらいです。この値段は本当に安いとおもうのです。本の安さというのは一概に言うことはできなくて、値段と内容と自分の判断のバランスのわけです。例えば、前回のブログで最近刊のご著書の書名だけを書かせて頂いたような内田樹さんの本ですけど、僕にとっては最近では最高に安い激安の本なのです。つまり、自分にとって価値があるとおもえた本はその程度に応じて、自分が新たに値段をつけることができるという訳です。内田さんのその本の定価は1600円ですけど、読んだ後の僕にとっての価格値は1万円以上なのです。1万円以上の本を1600円で買わせて頂いて有難うございます。というわけなのですが。
しかし、ある人にとって、ある時に出会った本によって、自分の人生が決定的に変えられてしまった、という話を聞くことがあります。そうした場合のその人にとってのその本は、お金の問題ではないはずです。お金には代えられない∞の価値に出会ったということになるのでしょうか。そうなのです、うろうろとバカみたいに歩き回るのも、そうした出会いによって…という道筋もあっても仕方がないというわけですが。しかし、こうした方途にもどこか危ういものがあるような感じもします。。よく分らないけど、近代主義者とか認識至上主義者とかそんな感じもするのですけど、どうなんでしょうか。いずれにしても、遠からず今生にお別れしなければならないということだけは、このことだけは真理の筈です。でもどうなんでしょうか…。しかし須らく、”私が”私は”私を”私に”と、”私”だけのオンパレードという道程が見え隠れもするというわけです…
また今週の「アエラ」も立ち読みが面倒なので買ってしまったのですが、読みたい記事の他の記事に大変興味深い記事が幾つもあってラッキーでした。数学の”独立研究者”・森田真生さんの記事などもそうでした。中沢新一、内田樹の両先生も関わっている方みたいですけど、その方の紹介記事を読むと全く圧倒されてしまうのです。その方の優秀な能力と生きざまの過激さについてなのです。
またその「文藝春秋」なんですけど、いつもほんとうに安いなあと思いつつも実は半分程の感謝なのです。半分の理由はいつもトイレに数冊という惨状な点もあるのですが、反芻よりも半数半読でしかないからなのです。これは見当はずれなもの言いでしかないわけですが。しかしそれにしても、70年前後だったら、『文藝春秋』は敵性品種の指定本みたいにいわれていたはずです。
画像はクリックで大きくなります。 (不忍池から根津方向です。画面外の左方向は東大病院。池には終りかけの群生古代ハス。)
しかし、大好きな夏が終りそうです。終ってしまったというにしてはまだまだお名残り惜しいというわけです。どんなに汗をかいても、主にスポーツの汗ですけど気持がいいのです。そんな夏の象徴的な夏雲を撮った写真です。この夏、上野公園に2度いったのです。例のフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」に会うためです。でも余りにも見学者の列が長く続いていたので諦めました。それで3度目で逗子の帰りに「真珠の首飾りの少女」に変更した次第なのです。勝手な想像ですけど、福岡伸一先生他何人もの人がフェルメールに一度は会いなさいといってくださっていたので、今生の想い出にもと思ったわけです。つまりその、”フェルメールの光と影”というのを感じてみたかったのです。見た結果ですが、まずゆっくりと見るといったことはできなかったですね。少し離れたところでしか立ち止まれなかったわけです。でも、あの光の淡い温かさというのは何となく、”oh!そうなのか”といった感じではあったのでした。
でも、一番興味をひかれたのは、あの宗教改革者の「マルティン・ルターの肖像」でした。少女の方は亡くなった女優の音羽信子さんに似ていて、少しオバさん風だななんて思ったりしたのです。しかし、ルターの表情は素晴らしかったのです。ルターの肖像は他にもありますけど、今回観たのは教科書などにも載っているのと同じではないかと。今手元にハガキ大の写真があります。美術館でルターの顔の表情を観たときに、おもわず引き込まれるような感慨をもたされたのですが、うまく言葉にできないですね。とにかく、その目が一番印象的でした。ルターは時の絶対的な権力に抗したわけです。その過激な行動とそれを為さしめたルターの信仰のあり様ということも考えてしまいます。ルターのその優しい眼差しのなかにものごとを真っ直ぐに見てゆこうとする強い意志力が感じられます。それと、きりっと引き締まった口元と鼻筋の確かな強さは、何ごとにも動じることがないルターの信念の強さが感じられるのです。ルターの作った讃美歌も昔歌ったことがあります。力強い歌詞と曲でした。1曲しか知らないのですけど、「神はわがやぐら」といって宗教改革記念礼拝とかクリスマスなどによく歌われるとおもいます。
ここでウイキペデイアをURLしたいのですけど、宗教色付だし上記で既にたくさんupもしたので控えた方がよいかもしれないのでやめます。それと今週号の「アエラ」に<「ウイキペディア馬鹿」が増殖中>が2ページあります。ずいぶんと前に、国会議員の方が委員会の質疑のなかでか、ウイキを資料に使ったことを批判されていたことがありました。その時は引用されたウイキの記事の間違いが指摘されていたと思いました。「アエラ」の記事では、学生や会社員の間でウイキがどのような使われ方をして、どのように評価をされているのかをレポートしてくれています。そして、使い方について慎重であるに越したことはないという結論があるわけです。その記事の最後は「必要なのは時間と手間をかけた、健全な猜疑心だ」ということでした。