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愚行とぼけ!

2011-09-14 11:33:13 | 日記
  写真は、「星の王子様ミュージアム」です。
  僕の愚行の顛末は、セージさんにいわれる前に白状することにします。自白(刑法)ではありませんからね。僕のお酒の呑み方はそんなにタチが悪いというわけではないと、本人としては自覚しているのです。しかし、いわゆる呑んべいは多分誰でも皆そのように云うのではないかとも思います。しかしそもそも僕は、夕食時の呑み放題がいけなかったのだと思います。だから僕の”まだら記憶と二日酔い”の大部分の責任は呑み放題にあるのだと信じています。これはとにかく思いこみ信仰ですからタチが悪い。真実・事実とは何かなどと問う思いこまない信仰の世界とは次元が違う訳です。妄信というわけです。
 まず、合宿の流れと僕の愚行の概略を時系列的に記してみます。夕食はアルコールが呑み放題でした。先にも書いたように、これがまずかった!(僕は幹事さんのために頑張ってしまった)。また何よりもあの氏名不詳の焼酎がよくなかった。ビールの後の水割り焼酎は何杯飲んだのか分らなくなってしまうわけ。普通の大人だったら自分の呑める適量はわきまえているいるはず!って?そんな事は分っています。でも「分っているけど止められない」のが愚行権者の謂れの訳。だってあんなに楽しくお喋りをしていながら「今何杯目だったっけ?」などと考えることは、できるわけがない!
 そしてその呑み放題・食事の後、皆で卓球大会をしたのです。僕は中学校で卓球クラブに2年間入っていたので、素人とやるのはつまらないなと思っていました。でもしかし試合の結果は、僕の記憶の果てでは何だか誰にも勝てずに全敗したような感じが…あります。但しその時々に公平であるべき審判が不公正で全くいい加減な判定をしていた様な記憶もかすかにあります、弁解ではなく。それからそうなんです絶対に許せないことがありました。卓球の生命はラケットなのです。プロであればある程ラケットの質と相性に拘ります。それなのにそのラケットは驚くなかれラケット状の一枚板にビニールを張り合わせただけの(それも少しはがれていた)、100円ショップ商品以下の代物だったのです。(お世話になったのに。)しかしこの事は誰にも異存がない、確かな真実のはずです!
 その後どこかの部屋で三次会でした。しかし殆ど何も記憶がない!でもセージさんのいつもの梅酒を呑んだのは確か!その後自分の部屋に帰って、トイレさまのお世話になった記憶がある…。朝方お目覚めの時も余り悪い感じではなかった。ユアサさんに寝る前のことを聞いたら、三次会の途中で僕は寝てしまったとのこと。しかしそれにしても朝の食欲がない。でも無理をして少し口に入れ込んでから一人で部屋に帰り、横になった。
 玄関での集合時間ころには「今日は大丈夫いけるかな…」と素直に思った。そしてそれから記念写真を宿の人に撮ってもらった。そして駅まで宿の人に送ってもらった(小型車でコバヤシさんと僕と荷物)。普通だったら僕は絶対に歩くはずなのに。その後湯本駅からバスで山に登り、何処に行くのかと思っていたら何と「星の王子さまミュージアム」に着いた。でも、とても入館する気にはなれずに、僕は一人ベンチでオネム。これは情けない大失態。サン・テグジュぺリには少しばかり興味があったわけなのです。見学と若干①名が仮眠の後またバスで湯本駅へ。そこでユアサさんが帰路へ。僕は昼食を一緒するつもりだったのだけどとても食べる気にはなれずに途中で、「帰る!」。その時のウノさんの僕を見つめる優しいそして気の毒そうな表情を想いだすのです。あの後、みなさん何を召し上がったのでしょうか?確か蕎麦を食べるとか云っていましたよね。
 しかし僕の”まだら記憶ボケ”は、前述でも分かるように憶えていることも多少はあるのです(しかしそれが、真実かどうかは別ですけどね)
。例えば確かそうな記憶では、セキグチさんが北山修さんの講義(群大?)を確か一年間受講したと云われていたということなのです。本当はその辺のお話をもっとお聞きしたかった。それから何だか北山先生の原書講読のグループがあって、そこに出ておけばよかったと云っていたのも…。それから教師で美術専攻も知りませんでしたし、確か子供さんの話もしていたような?こうしたおしゃべりは食事の時にしたのかもしれません?
 僕が知っている北山さんは昔、医学生をしながらフォーク・クルセダーズのメンバーで、その後九大の教授になりフロイトの専門家(臨床心理家)らしい、ということぐらいでした。吉本隆明さんと『こころから言葉へ』弘文堂、で対談をしているのですが、今その本を手に取ってみても読んだ気配は沢山あるのですが、何を話し合っていたのか皆目記憶がありません。つまり例によって、僕の中で何も引っ掛からなかった様なのです(かすり傷なしのすれ違い!)。でも今年3月だったか、定年退職に当たってののテレビ講義が4回あり初回は聞いて後はビデオに残っているのです。でも最終講義のテレビ中継というのは珍しいのでは?同じ今年3月に退職した、あの東大の上野先生の最終講義は今月号の文芸誌に載っていましたけど。でも北山先生はその初回講義で、その辺の事情を説明されていたと思いました。
 それから話は全く変わりますが、前回の僕のブログの記事の中で「事の顛末」と書いた部分があるのですが、それを書くときに僕はこの言葉を固有名詞みたいに使ったのです。というのは話が長くなり僕以外の方にとってはどうでもいいことについてなのですが(いつでもそうですよね)。その時に何かの流れからtagawaさんのHPに久しぶりにいったのです。それで前に行った時見落としていた「リンク」の中の「小説『安曇野』・・・」を読んだのです。臼井吉見という懐かしい名前もそうなのですが、そこで書かれている新宿「中村屋」の創業者の一人でもある相馬黒光さんとその周辺の方々のことについては、以前テレビの一時間番組で見たことがあったので少し知っていたのです。それからその記事に刺激されて、あちこちと”ネットサーフイン信州穂高”をしたのでした。リンク先のお仲間の宿とか市のHPからもあちこちとうろついてずいぶんと長い時間を過ごしました。またtagawaさんのHPの「・・・旅物語」の文章は素敵ですね。あのような文章を書かれる感性と言葉の抽象性はどこから獲得されたものなのだろうかと思いました。
 そして長い前置きになってしまった「事の顛末」なのですが、余りにもどうでもよいことについてなので終りにします とにかく問題は、僕のまだらボケをこれ以上進行させないために真面目に何か対処方法を考えて実行しないと、本当にまずいなと思うこのごろなのです。