老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『コレラの時代の愛』

2008-08-31 09:32:35 | 映画
久々の映画。夫婦割引初体験、と思ったらコノ映画館ではやってないってことらしく高い金払った。さすがトノサマ商売。
とゆうか、コノ映画は愛と結婚は別の問題、みたいな、そもそも愛って何よ、みたいなことがテーマになっているのでさすがに夫婦で来る人は少ないだろうという読みで夫婦割引をはずしたのか。真相はわからないが、やや結婚生活に飽きがきているだろうと思わせる年齢層の女性のグループが多かったのは確か。まあ、内容的にはお笑い的要素も多く、マルケスの南米コロンビア的寓話の世界が美しい映像のなかによく描かれていた。

話のほうは若い頃にお互いにミソメあった男女が、家柄とか親の反対とかで結婚できず、女のほうは金持ちの医者とうまいこといって結婚するのに、男のほうはいつまでも女への思いを断ち切ることができなくて、それでもって50年以上待ち続けて女の夫が死んで、やっと女と気持ち的に、いや、カラダ的にも一緒になれる、ってなはなし。
で、ここでマルケス的なのは、男のほうが女への純潔を守るとか言っておきながら、その純潔を守るため?に出会った女と手当たりしだいヤッてしまって、だいたい50年間で600人くらい。それをノートに記録して、詩にまでしてしまうところ。それで最後にお互い70過ぎて女と合体して、アナタのために純潔を守ってきましたみたいなことを言うと、女のほうがウソつき、みたいに言う。オトコってそんなものよ、ってこの辺は文学的に深い洞察。

で、そもそもなんでコレラの時代の愛、なのかというはなしだが、このタイトルを見て最初に思ったのは大江さんの核時代のナントカ、みたいなことで、やっぱり核爆弾1発で何百万人が簡単に死ぬ時代と、コレラが蔓延して明日にでも感染して死ぬかもしれないと思って生きていた時代とは、もしかしたら似ているんじゃないかということ。ようするに、モノの考え方が普通のときとは違うはずで、明日はどうなるかわからないからとりあえずヤリたいときにヤッておいて、それでもってもし最後まで生き延びることができればそれはそれでヨカッたという生き方だ。
それと似たような感覚は今ではよっぽど田舎の、インターネットなんかもない牧歌的な生活でもしていない限り、もう逃れられないものになっている。来月の住宅ローンとか、来年の受験代とか、老後の生活とか、それはその時生きていたらそこで考えればいい、みたいな。コレラが蔓延しているような感じ。

主演の女役はイタリア人のジョヴァンナ・メッツォジョルノ。34歳。20代から70代までの女の半生を、隆起してやがて重力に支配される胸の膨らみでリアルに表現していた。男役はスペイン人のハビエル・バルデム。こんなオトコにどうして600人も引っかかるのかという疑問をもたせるのも演技のうち。
監督はイギリス人のマイク・ニューウェル。2007年アメリカ映画。