老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『From Hollywood to Hanoi』

2009-09-25 01:13:11 | 映画
ハノイ・シネマテーク・デビュー。よりによってスペシャルプログラムで満席。95%が欧米かよ、みたいな。残りの3%がベトナム人で1%がニッポン人のワタシで、あと1%は不明。闇の欧米人ブンカコミュニティーのようなところに紛れ込んだ居心地の悪さをかみしめながら、反共、反ホーチミンみたいな映画を、つくった本人のQ&A付きで見るというメッタにないシチュエーションを胆嚢、いや堪能した。

作者のTianaサンはベトナムで生まれたアメリカ人女優兼映画作家で、女優としての名前はTiana Alexandra。早い話、ベトナムの共産主義化を嫌ってアメリカに移住した親と一緒にアメリカ人になったヒトで、親はいまでもベトナムはホーチミンのせいで悪い国になったみたいなことを言っている。
で、親は絶対にベトナムには戻ろうとしないのだがジブンは戻ってみようという気になって、10何年か前に戻って、その後も頻繁に行き来している。それでベトナムの文化に触れなおしてジブンはアメリカ人なのかベトナム人なのかと悩む。結論的には特にないのだが民族の血はなかなか消えないみたいなことを意識させるナガレ。

二つのココクのあいだで揺れ動くココロ、みたいな話だが、中国残留孤児のような話に比べれば不幸の度合いはアリの体重ほどの重さもない。それよりアメリカ人が受けている情報ソウサというか、コッカに都合の悪いことはあまり知らされていないということがよくわかった。ソンミ村虐殺なんて誰も知らないだろうと容易に想像できる。永久に反省とオワビを続けなきゃいけないニッポン人の自虐的な歴史観のほうがよっぽど健全に思えるくらいだ。

1992年 オリバーストーンがプロデュース。

『嗚呼 満蒙開拓団』

2009-09-03 00:21:17 | 映画
中国の東北部に方正(ほうまさ)県というところがあって、そこは戦争中、ニッポンが侵略して満州国をつくっていたところで、そこに戦前から国策として移っていった開拓団の人たちのお墓が、中国人が作った公墓としてあるのを知ったドキュメンタリー作家の羽田澄子サンが、どうしてニッポン軍が悪の限りを尽くしたああいう場所に中国の人がニッポン人のお墓をつくったのかと不思議に思って、その理由を突き止めるべく取材した映画。

結論的には戦後の中国にも上層部のきわめて知的なヒトたちの中には非常にリベラルなものの考え方の人がいて、この場合は周恩来が、戦争で侵略してきたニッポン軍と移民としてきた開拓団の人たちとは別のもので、同じニッポン人だからと言って墓も作らずに骨を放置しておくのはよくないことだという考えを持っていたことがわかる。
そういう考え方は今のこの県の役人や住民にも浸透していて、公墓は公園のように管理されて住民にも広く知られていたり、ココを訪れるツアーの人たちが町の人に大歓迎されたりと、同じ国での何年か前のサッカーの試合で見せられた、あの恐ろしい野蛮な人民という印象からは程遠い。

映画のなかで今もまだ未解決の問題として中国残留孤児のことが中心的に取り上げられているが、その人たちの多くはこの満蒙開拓団の人たちが戦争が終わってニッポンに帰ろうとしたときに、満州国の役人とか満鉄の社員とかの家族が最優先で帰してもらえた中で、列車が何本も出ていくのにソレに乗せてもらえずに、疲れ果ててわが子をコロすか現地の人にあげてしまうかという究極の選択を迫られて、その結果、幸運にもというべきか、コロされずに何とか生き残った人たちが今孤児として、生きているうちに一度はニッポンに行ってみたいということでいろいろ問題になっている。身元をジブンで証明しなければいけないとか、ニッポンの役人が無理なことを言っていたりして。
それでもなんとかニッポンに帰った人の多くはニッポン政府から十分な援助もなく苦しい生活を強いられている。戦後、中国で捨てられて、今またニッポンでも捨てられているという、二度も同じ国家から捨てられるという不幸を味わっている。

こういうハードな内容でなくてもドキュメンタリー映画はおもしろい。知らなかったことがわかってくる。この映画でいえば戦争で実際に何が起きていたのかとか。
開拓団の人たちはニッポンの中で土地を持たない貧しい農民だったのが、あっちに行けば広い土地をもらえるからと言われて出て行ったのに、実際は満州を国として維持するために、だれでもいいからとにかくニッポン人を放り込めというクニの政策にだまされて行ったわけで、戦争の終わりの頃にはオトコたちは当然のように軍隊に駆り出されて無駄に死んでいく。
毎年夏になると公開されてきた国策戦争美化映画ではそういう悲惨な中にも美談をでっちあげるのだろうが、実際の戦争中にはキレイな話などあるわけがない。戦争が終わって何年かたって、こうやって墓でも建てようかという話がでてくれば、それはその場所に住む人たちの良心であって、いまだに戦争犯罪者を神として祀る神社に右派の政治家が行列をつくって参拝するこのニッポンにはそういうココロはまだない。
それでもそういうことも少しずつ変わっていくだろうという期待がもてる選挙の結果ではあったけれど。

2009.8.28 横浜・黄金町 シネマ・ジャックアンドベティにて

『Paris 36』

2009-09-02 19:15:46 | 映画
帰りの飛行機の中で見た映画。ハノイ-成田便はベトナム航空とJALが共同運航で飛んでいて、ベトナム航空の安い切符でも便によってはJALの飛行機になることがある。遅れること以外にもダメなところは山ほどあるが、JAL便の唯一の、これ以外には何一つないと言っていいくらいのいいところは、座席に画面が付いていて映画をジブンで選んでみることができることで、こういうニッポンでまだ公開されていないのまでときどきやっている。

コレはフランスで去年公開されて大ヒットした映画で、邦題は例によってコッ恥ずかしくて書けない。
1936年のパリが舞台で、パリの下町で人気のあった劇場というよりは演芸場のようなところが不況で閉鎖されて、そこで何十年も働いていたオトコが妻とコドモに逃げられて苦しい生活を送っていたのが、昔育てた若いオンナの歌手が成功して、それと一緒にもう一度昔の劇場を取り戻そう、、みたいにしていろいろ盛り上がる内容。そういうと毒にも薬にもならないモノのように聞こえるが、不況でヒトが死んだり、共産主義の空気が街を覆っている中で政治的な対立が舞台の上にも影を落としたりで話としては奥深い。
ただ本筋的には音楽と踊りでやっぱり劇場はサイコーみたいなところで、若い女の歌手役を19歳のノラ・アルネゼデールが演じていてサワヤカなマイナスイオンが漂う雰囲気になっている。

監督はクリストフ・バラティエ
2008年、フランス・チェコ・ドイツ映画

『Vu Khuc Con Co』

2009-08-21 09:55:27 | 映画
日曜に買ったDVD。ニッポン語のタイトルは「コウノトリの歌」。英語のタイトルは「Song of the stork」。ベトナム戦争で失ったモノ、みたいなことをベトナムの側からベトナム人が撮った映画で、そりゃ勝つには勝ったが、犠牲者の数でいえばベトナム側が100万人でアメリカは58,000人なわけで、街も破壊されまくって戦争に勝って闘いに負けた、みたいなキモチを描いた映画。
アメリカはイラク戦争でもそうだが、よそのクニに攻め込んでいって大勢コロシておきながら、ジブンのとこに犠牲者が出ると大騒ぎしてジブン達はこんなに傷ついたみたいに言う。ワールドトレードセンターの死者は約3,000人であるのに対し、イラクでは民間人を中心に10万~100万人がコロされている。恨みを何十倍にして返すのがアメリカ人の本性だから気をつけないと。

で、映画の内容はHPにあるとおり。ドキュメンタリー調な部分とお芝居的な部分が重なり合いながら進んでいく。ドキュメンタリー的には2000年頃のハノイの街が映って、たった10年前なのに今と違って白いアオザイのオジョーさん達が普通に歩いていたりする。バイクも走っていないしのんびりした雰囲気。
お芝居的なほうは戦争はもううんざりだという感じがよく伝わってくる。勝った余韻に浸っているという感じはまったくなくて、普通の神経を持った普通の若者が戦争で苦しい思いをしたことを、美しい農村の映像を背景にタンタンと描いている。

ニッポンじゃ毎年夏になると若いチャラチャラした役者を使った戦争映画がコクミンを洗脳するためかのように公開されるが、どれも戦争の悲惨さをウッタエながら、やっぱりどこかで戦争で死ぬことを美化している。それがまたコノ前のアソー総理のヤスクニ絡みの発言につながるわけで、戦争で死んだ人を悼むのはまったく否定しないが、あれはやっぱりジブンから死んでいったわけではなく、天皇の名のもとに死ナされたわけだから、ソレを首謀した者と一緒にするわけにいかないのは当たり前のことじゃないかと。それをなにかクニのために尊い命をささげたみたいに言いつづけるのは、前にも書いたがニッポンの一部の勢力が次の戦争を想定してのことなのだ。

それももうすぐ決着がつくとして、ニッポンが戦後64年であるのに対してベトナムはまだ戦後34年で、それが街を覆っている雰囲気の違いになっている。戦争の傷跡というか、ジブンと同じか少し上の世代の人が実際に戦争で戦ったわけで、たぶん何割かが死んで生きている人が少ないのだろう、世の中でパワーを持っているのは40代半ばくらいの人が多い。会社のカイチョーとか言って偉そうなのがジブンより若い世代なんだから勢いはある。そういう一部の世代が抜け落ちているのがいちばんの目に見える傷跡である。

監督はグエン・ファン・クワン・ビン
2001年、ベトナム・シンガポール映画。

『LUST CAUTION』

2009-08-17 01:07:58 | 映画
相変わらずハゲしく暑いのだが日陰で風が吹くと涼しい。ひとことで言うと太陽の熱だけの暑さでソレが遮られたところではそれほど暑くない。で、バイクタクシーのオジサン達がこんな暑さの中を歩いちゃいかん、みたいにして誘う中を、くねくねと曲がった道を探して2時間も歩きまわった。絵のネタは集まったのだが途中で買ったDVDを見始めたら止められなくなって最後まで見てしまったのがコレ
かなりエろくて、はっきり言ってタイイのオンパレード見たいな映画だというのをニッポンにいたころに聞いていて見ようと思っていたのだがハズかしくて行けなくて、、今日はアッサリ買った。

初めのうちはニッポン軍に侵略された中国の上海あたりで、ソレに反対する秘密組織の若者が学校のサークル活動的ノリでいろいろ作戦を練っているのだが、英語の字幕が早すぎてついていけないうちにいきなりそのサークル的な組織の仲間同士でセックすを始め出して、なんだコレ、と思っていたら、そのサークルの中の一番かわゆい女の子が敵のオトコのところに乗りこんでいくのに、そのオトコがどうやら相当のスーパーセクスィー男で、その相手になれるように練習として仲間内でハジめたというのがだんだん後のほうでわかってきた。
まあそこまでして世の中を変えたいと思っているのかと感心していたら、とうとうそのかわゆい女の子がスーパー男のところに潜入して、そのオトコも相当用心深いのだが、ついに!!、密会風にオトコに呼び出されて、日頃の練習の成果を試すことになるのだが、いきなりオトコがベルトでひっぱたいたと思ったら今度は腕を縛り上げて、服とかビリビリに破いてハゲしく合体する。まったく予想外の展開でこの先どうなるのかと思っていたらあとはオンパレードが断続的に最後まで。

ソノ部分はハッキリ言って可笑しい。それまで人民の敵みたいにしてニッポン帝国主義に反対する奴らはみんなトッ捕まえるみたいにしていたのが、いきなりシジュウハッテっていうんでしょうか、ツイストゲームみたいにして無理な体勢で汗かきながらヤリ続けるもんだから。そのかわゆいオジョーちゃんがスゴくて、口あけたまま見入ってしまいマシタ。
結末的にはそのオジョーちゃんがスーパー男にココロをゆるしてしまって、その結果、秘密組織は全員捕まって処刑される。このへんの展開は若干物足りない気もしたがシジュウハッテを除いても見ごたえはあったようななかったような。ヘンな映画だ。

監督はAn Ly(李安)、主演のかわゆいオジョーちゃんはThang Wei(湯唯)。ミスワールド中国代表からオーディションでこの役に選ばれた。
原題は『色、戒』。2007年、中国、アメリカ映画

『中国の植物学者の娘たち』

2009-07-16 00:25:44 | 映画
ベトナム映画であるはずがないのはわかっていたが、店のおばさんがコレ、ベトナム、みたいに言うのでわかったわかったみたいに買ったのがコレ。かといって中国映画でもなくフランスとカナダの共同制作。内容的には中国趣味マンサイのかなりいかがわしいモノで???的映画。

まず登場人物の設定が、大地震で親を亡くして孤児院で育った若い女性と、その女性が成長してご奉公みたいにして預けられたのが偏屈オヤヂの植物学者の家で、その家にチョー美人の娘がいてソレがレずで、、そこにそのレず女の兄というのがやたら神経が一直線の単細胞オトコで、あとひとり意味不明の山寺のセンセーみたいなのがでてくる。
で、この複雑な人物設定に何か深い意味があるのかというと、孤児院で育った若い女は何か影があってイケナイ道に迷いこんでいくのかと思うとそうでもなく、なんとなく偏屈オヤヂの娘に誘われて明るく楽しくレずの道に入っていく。偏屈オヤヂのほうはどうかというといかにも顔からして偏屈で、朝めしが少しでも時間に遅れるとワシはソンな物食べんっ、みたいにして若い娘に意地悪をする。それで若い娘がいじけるわけでもなく、偏屈オヤヂのムスコの結婚相手にさせられて、それを拒むわけでもなく結婚しながらアッチのほうを拒絶して息子にDV責めにされて家を飛び出したかと思ったら偏屈オヤヂの家に戻ってくる。
でそこで偏屈オヤヂの娘のチョー美人と、やっぱりアナタじゃないとだめなの、、みたいにして炎上する。そこを偏屈オヤヂに見つかって、オヤヂのほうが鬼の金棒みたいなので殴ろうとするところをスコップで逆に殴りつけてコロしてしまって、あとは人民ケイサツみたいなところにつかまって、結局は殺ジンではなくてレずの罪で死刑になって山寺のセンセーが二人の冥福を祈っておしまい、みたいな話。

人物設定に必然性がないというか、ストーリーに深読みを拒絶するようなところがあって、ただ単にチョー美人同士のレずシーンだけがこの映画のヤマ場ですよーみたいに、十分な前置きと余韻を感じされる構成になっている。かなりいかがわしい。中国ではレずというだけで死刑になるのか、その辺が事実だとしても、ヨーロッパ社会が近代化の中で失ったニンゲン本来の超えてはならない一線の大切さみたいなものを、中国という遅れてきた社会を舞台にノスタルジックに描いたというような内容。それにしてもなんで植物学者じゃなきゃいけないのか、まったく、120%理解できない。「タンザニアの野生動物監視員の娘たち」でも全然オッケーだったりする。

2005年、カナダ・フランス映画。

『パオの物語』

2009-07-13 00:55:36 | 映画
きのう、今日と土日とはいえクライアントからの電話を待ったりとか、ニッポンからのスタッフが来るのを迎えに行ってホテルで打ち合わせしたりとかで中途半端な休日。先週もまったく同じだったからこんなことが日常化するととてもじゃないがやってられない。野生の馬の面倒も見なきゃいけないから平日休むわけにもいかないし。やれやれ。。

で、今日は午前中だけ自由の身だったので久しぶりにDVDを仕入れに旧市街のお店へ。ベトナム映画っ、っていってるのに全然違うのひっぱり出してきたりで買うのもひと苦労だったが4枚買って3枚はベトナム制作のベトナム映画だったから前回よりは収穫があった。
で、最初に見たのがコレ。正式な邦題は『モン族の少女 パオの物語』。どこかで見覚えのある写真だと思ったら去年あたり、渋谷のシアター・イメージフォーラムでやっていたのを思い出した。

モン族とはこの前も書いたベトナム北部山岳少数民族のひとつ。色鮮やかな民族衣装で有名。東ヨーロッパの雰囲気に通じるものがある。それとパオというのはモンゴル人の可搬式住居のことではなく主人公の少女の名前で、お話し的には母を訪ねて海底二〇〇〇〇里、みたいな、カワイソスギ映画で、、、。詳しくはホームページでっ、ということにして、映画全体としてこれもこの前書いたサパとか、もっと山奥の少数民族の住んでいる村の風景とかが、もうホントにきれいで、、実際にはキタナイ部分も当然あるのはわかっていても、その上またこのパオを演じるドー・ティ・ハーイ・イエンちゃんがケナゲな山ムスメをチョーかあいく演じていてオヂサン的にはもうどうにでもしてくれ的展開。音楽もあまりにそれっぽすぎるのだが、現代シャカイの病理みたいなものをたまには忘れて、こういう素朴な映画作りに身を任すのもいいのではないかと思ったりして。

ただ選挙速報が気になって画面を二つ並べてアッチ見たり、コッチ見たりしてたので若干集中を欠いたが結果オーライ。

監督はゴー・クアン・ハーイ
2006年、ベトナム映画。

『Gardien de Buffles』

2009-07-08 00:12:25 | 映画
この前買った映画で最後まで置いといたのがコレ。最初の方だけ一度見て、あまりのリアリズム、というか、地味さ加減に最後まで見る気がしなかった。
邦題は「バッファロー・ボーイ」!?!。このタイトルで上映されたのかどうか知らないが2005年のアジア海洋映画祭、ってコレもまだやってるのかどうか知らないが、そこでグランプリを獲っている。

ストーリーはベトナム南部のデルタ地帯の農村を舞台に、ひとりの若い男がジブンが飼っている水牛と一緒にいろんなことを経験しながら成長していく、みたいな、じつに健全なモノ。特に驚くような話の展開もなく、ひたすらリアリズム。
雨季のメコンデルタの風景が、ホントに水に首までつかりながら日常生活を送っているような感じで、移動するのも立って漕ぐ小さなボートか、それこそ水牛と一緒なら水につかって歩いていくしかなくて、でもって水牛のほうは犬かきみたいにして泳いでいくのが何度も水中から映し出された映像がジツに水の濁りといい、水牛のゆっくりとした牛かきといい、いい絵だったと思う。
1930年代のフランス統治時代の設定ということで、農民の貧しさと対照的にピカピカの制服を着た兵隊サンの表情とか動きが、ホントにそこだけが不自然にぎこちないように見えたのはわざとなのかどうか。制作がフランス・ベルギー・ベトナムの共同だということは、植民地として統治していたのを、統治されていた側からはリアルに描ききれなかったということか。もしかして。

2004年、監督はグエン・ヴォ・ギエム・ミン。

『シクロ』 トラン・アン・ユン

2009-06-28 13:36:31 | 映画
先週買ったDVDは結局みんなベトナム出身の監督が撮った外国映画で純粋なベトナム映画はコウいうのを読むと衰退の一途をたどっているようだ。ハノイには映画館が6、7軒しかなくていわゆるシネコンみたいなのはココだけ。アメリカの安っぽい娯楽映画が中心でその辺はニッポンと似たり寄ったりだが映画産業自体は作る方も上映する方も風前のトモシビ状態。かと言ってテレビドラマのほうに流れが移っているかというとそういうわけでもなく、このクニの底の方に淀んでいる目に見えない制度によって何かを表現するエネルギーそのものが吸い取られている感じ。まあガイジンがそんなこと言っても大きなお世話なんだろうけど。

とりあえず記憶が消えないうちにコレを書いておくと、前の「パパイヤ」に比べてホーチミンの町中で撮影しただけあってリアルな雰囲気は出ている。内容もベトナムヤクザの勢力争いみたいな中で男女がくっついたり離れたり、ヘンタイ趣味のオッサンの前でオンナの人が・・・したり、はたまたマヤクでヨレヨレになってピストルでジブンを撃ったり、、ベトナムにもこういう闇の世界があるんデスかと心配になるような映画。ただコレでヴェネチア映画祭グランプリってのもヨーロッパ人の植民地思想的異国趣味によるモノとしか思えない。
だいたい話の流れが雑というか、そもそものギモンとしてなんでシクロの営業権くらいのことで家に火をつけたりリンチみたいなことをしなきゃいけないのか、その辺がヨーロッパ人のアジア人を見る、まるで野蛮な動物か何かを見るような見方がまる出しでイヤなモノを見せられたというようなあと味の悪さ。

ユン監督がベトナムの日常性を象徴化しているシクロというのは自転車の前の車輪が二輪になっていて普通の三輪車の前と後ろが逆になったような乗り物で、たぶん5、6年前くらいまでは一般にたくさん走っていたんだろうが今では観光客向けのイカガワシイ人たちだけが営業しているノリモノ。基本的に自転車なのでキワメテゆっくり走る。ニッポンの人力車みたいに観光地の文化保存的さわやかさもなく、ハタから見てるといかにもカッタルイ。その疑似的な日常性とその裏で進行しているベトナムの変化。ヤクザがハビこってひとびとの平和な生活が脅かされて、、そういう暗い社会のなかでも男女がたくましく生きていく、みたいなモノを作りたかったんだろうが、このクニにはもっとあからさまな血の社会みたいなのがあって、それがいろんなことの邪魔になっている、というようなところを撮らないとまったくもの足りない。

1995年、フランス・香港・ベトナム映画

『Tres Estaciones』 トニー・ブイ

2009-06-23 00:30:55 | 映画
きのうまでのはベトナム映画と言ってもベトナム出身のフランス在住監督が撮ったフランス映画で、今日のはアメリカ在住のベトナム人が撮ったアメリカ映画。結局この前買った6枚のうち、ホントのベトナム映画は1枚もなくて、いかに才能が流出しているか、というか、共産主義のもとでは芸術は育たないというか、、。なんとなくわかる。
町には画廊がそれこそニッポンでのコンビニと同じくらいあるが扱っている絵は観光客相手の模造品だったり、新しっぽい表現を試みているつもりの絵でも伝統的な技法から抜け出るようなものではなかったり、かなり内容的には停滞している。やっぱり表現の範囲を制限されていると結局何も飛び出てこないという感じ。

で、コレはアメリカ映画として見るとあまりに素朴っぽく作り過ぎていて、娼婦が出てきてもSEXも暴力もなく、純な蓮の花摘みのオジョーちゃんやら病気で先のない詩人やら、はたまた道端でたばこを売るストリートチルドレンとかが明日は希望の花が咲く、みたいな芝居をしてて、完全にアメリカ人化した監督だからこそ、こういうわが懐かしきソコク的なモノができたんだろうと想像する。そういう背景を知らずに見ればそれはそれでキレイな映像と、アジア的異国趣味が満足させられる映画になっている。

ちょうど今の季節、町中では花売りのオバサンが蓮のまだ開いていない大きな花を束にして売り歩いていて、紫がかったのとか白いのとかどういう匂いがするのか買ってみたいと思いつつなかなか買えないでいるのだが、蓮茶とかも試しに飲んで見たいような。。
まあ、そういうディスカバー・ベトナム的映画。ストーリーはさっきも言ったいろんな人たちがバラバラで出てきて3つか4つの話が別々に展開して、最後になんとなく一つにまとまったのかどうか、よくわからない。
原題は3つの季節という意味なのに邦題は「季節の中で」。季節が3つっていうところがミソだと思うのだがなんでマツヤマ千春になってしまうのか、、まったく意味不明。

1999年、アメリカ映画。