今朝起きたらハノイは電気のスイッチが入ったようにいっせいに動き出していた。クラクションとか違法駐車とかも。でもってきょうから本格的にまた、ほぼNon-stopで1年間はたらく。ときどきニッポンに帰るとしてもアタマの中では何十もの皿を回し続ける皿回しとしてのワタシが右に左に飛びまわっている。動くのをやめると手の届かないところで皿が割れる音がして、ソレはすなわちクレームという形で何十倍かのダメージとしてワガ身に降りかかってくる。たまにわざと割ったりもする。見えないふりをしているヤツらに見せつけるために。
そういうときに、皿回しではなく綱渡りの映画を見ようと思った。綱渡りでヒトをhappyにするって、、皿回しももっとタノしくやれってことかな。
2008年のアカデミー賞を長編ドキュメンタリー部門で獲った。今は亡きニューヨークのワールドトレードセンターの2本のタワーの間を綱渡りしたときの記録映画。見ようと思ったが結局見なかった。きのう、散歩しすぎて夜には歩けなくなった。朝と昼で2時間ずつ歩いただけなのに足がだいぶ弱っている。
で、話はそれるが今週のHanoi Cinematequeはドキュメンタリー映画特集でこのあとニッポンのイルカ漁の映画もあるがわざわざ見に行くほどの自虐趣味はない。それぞれの民族にはソコだけは責められたくない、他国にとやかく言われたくないブンカの痛点のようなものがあって、ニッポンの場合はクジラ・イルカ関連とか死刑存続問題とか。クジラもイルカも食べなくたってほかに食べるものはあるのに、他国から責められれば責められるほど譲れなくなる。ココで批判を受け入れたら民族のアイデンティティを失うくらいの大問題と思っている。
そういうのはどの国にもあることで中国や韓国やこのベトナムでは犬喰いのこととか、中国ではもっと政治的なこともあるが、アメリカにだって人種差別問題があるしその反動としての黒人大統領でもあるわけで、いまさら演説がうまいだけといっても仕方ない。
ソレは一言でいえば自己矛盾のような、高らかに掲げているモノに対してそこだけぽっかり穴があいているような感覚でやっぱりいつかジブンでそれをふさがないことには先に進めない。ずうっと前に筑紫哲也サンが、クジラ問題に対してはニッポンは堂々と他国に対して主張をすべきであるが、その上で、その批判に応じるのではなくクジラ捕獲はいずれ自主的にやめるべきだと言っていた。まったくそういうこと。ブンカの違いを理解したうえで妥協し合っていくことが重要なのだ。
妥協し合わない相手にはどうすればいいか、それはあまりに日常的で面倒な問題だ。少なくともヨソの国に土足で入ってきて、そこのさわってはいけない痛いところを暴きだして何かを告発している気になっている映画を進んで見ることはない。
そういうときに、皿回しではなく綱渡りの映画を見ようと思った。綱渡りでヒトをhappyにするって、、皿回しももっとタノしくやれってことかな。
2008年のアカデミー賞を長編ドキュメンタリー部門で獲った。今は亡きニューヨークのワールドトレードセンターの2本のタワーの間を綱渡りしたときの記録映画。見ようと思ったが結局見なかった。きのう、散歩しすぎて夜には歩けなくなった。朝と昼で2時間ずつ歩いただけなのに足がだいぶ弱っている。
で、話はそれるが今週のHanoi Cinematequeはドキュメンタリー映画特集でこのあとニッポンのイルカ漁の映画もあるがわざわざ見に行くほどの自虐趣味はない。それぞれの民族にはソコだけは責められたくない、他国にとやかく言われたくないブンカの痛点のようなものがあって、ニッポンの場合はクジラ・イルカ関連とか死刑存続問題とか。クジラもイルカも食べなくたってほかに食べるものはあるのに、他国から責められれば責められるほど譲れなくなる。ココで批判を受け入れたら民族のアイデンティティを失うくらいの大問題と思っている。
そういうのはどの国にもあることで中国や韓国やこのベトナムでは犬喰いのこととか、中国ではもっと政治的なこともあるが、アメリカにだって人種差別問題があるしその反動としての黒人大統領でもあるわけで、いまさら演説がうまいだけといっても仕方ない。
ソレは一言でいえば自己矛盾のような、高らかに掲げているモノに対してそこだけぽっかり穴があいているような感覚でやっぱりいつかジブンでそれをふさがないことには先に進めない。ずうっと前に筑紫哲也サンが、クジラ問題に対してはニッポンは堂々と他国に対して主張をすべきであるが、その上で、その批判に応じるのではなくクジラ捕獲はいずれ自主的にやめるべきだと言っていた。まったくそういうこと。ブンカの違いを理解したうえで妥協し合っていくことが重要なのだ。
妥協し合わない相手にはどうすればいいか、それはあまりに日常的で面倒な問題だ。少なくともヨソの国に土足で入ってきて、そこのさわってはいけない痛いところを暴きだして何かを告発している気になっている映画を進んで見ることはない。