老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

日課

2017-03-26 14:34:06 | 俳句
      

       🐢    澎湃と渓風にのり飛花落花    葉七子

朝 目を覚ますとまず一番に猫ちゃんに挨拶をして日課が始まる。

それから、スマホを覗く。
昨日の連歌がどういう運びになっているかを見る。

今 巻いている 連歌 も40日以上かかって、 いよいよ(挙句)になった。
師の 眼鏡 にかからない投句があれば何度でも(再募集)がある。

私は実力も無い。連歌は初めて。挑戦を試みている。
お荷物になっていないか時々気にかかるけれど、現在は俳句、連歌以外にやることも見つからない。
それで、皆さんの末席で細々との投句になる。
こんなことを言えば、お叱りを受けるだろう。
「へたな鉄砲も数打ちゃ当たる」
と、恥ずかしながら開き直って投句をさせてもらっている。

暇な時に 句を考えるのだが、一日中考えても、浮かばない時がある。
巻き初めて、すでに100日は過ぎている。
その内一度だけ 投句をやらなかった日があった。
締切時間の午后八時がきても句が浮かばない。
夫の健康問題が頭を占めていて、その日は句をつくる余裕も無い。頭の中を愁いがおおっていた。
心の中で 今日は再募集になれば良いのにと、自分に都合の良いように思っていた。
次の日、ほんとうに再募集であった。
だからと云って、再募集に挑戦をしたが、私の句はパス。いつものように。

いよいよ(挙句)でこの巻も巻き終えることになった。
素人なりに、連歌の本も繙いて、勉強はやった。   がなにせ難しい。

> 堂々たる花の句を詠め。
ここはもろに俳句の実力が試されるところ。

上揚の句は、とにかく大きな情景を詠んでみた。
採用はされなかったけれど、へぼ筋ではなかったようである。
今日は(挙句)を締切ぎりぎりまで考えよう。


(和田隆則さんの、写真をお借りしました。 埼玉の美の山公園)

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白木蓮

2017-03-25 10:09:53 | 俳句
       

    ☆   牡丹といふといえども紅ほのか    高浜虚子


散歩の途中 もうあの家は 白木蓮が咲く頃であろうと少し回り道をした。
期待にそぐわず、美しく気品にみちた白い木蓮が咲いていた。
坂の下の家である。
ほんの二~三の枝は目交に手に取るように見ることができる。
上から見下ろして花の芯を覗くことができるのである。

近くから見ると、花びらの付け根はほのかに紅色をしている。

有名な虚子の 牡丹の句を思いだした。
虚子が詠んだのは 白牡丹 であった。

昔 アートフラワー を習っていたことがあった。
布を染めて、花を造る。
その時、先生が
「たとえば 赤い薔薇を作るときは葉ぱに、花びらと同じ赤を刷くように染めてください。
紫の菫を作るなら 葉ぱに菫色をさりげなく」
そうすると、同じ葉ぱでもより深い味わいのある葉に染めあがるのであった。
何気ない些細な言葉であったが、今こうやって花を観察していると甦ってくる。
一家をなしている方の鑑賞眼の素晴らしいこと。
私の修行はまだまだ足りない。



昨日のしりとり俳句から。

     

     🍒    花韮や甘く酸つぱいドロップス

     🍒    鳥雲に定期航路の笛の音
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整理

2017-03-24 09:19:32 | 俳句
     

いつ引越しの事態になるやも知れぬので、荷物の整理をしている。
まず 必要のうすい本や雑誌の整理から始めている。

俳句の再開をして丸五年が過ぎた。
今は kOSI 一誌で勉強をしている。
正直なところは、この5年の間に、 KOSI 以外に3誌に投句をやった。
全国で名前のしれた超有名誌ばかりである。

そして最後に選んだのが KOSI。
一番、選句は容赦のない簡単そうな句風でありながら難しい俳誌であった。
ある俳誌は 5句投句でこの私でも月によっては5句載ることも。
あと2誌は現在のわが師の云うところの言葉のレトリックで、読者を煙に巻いてしまう。
それを抽象的だといえば聞こえはよいが、単にちんぷんかんぷんの句が混じっていたりして、私の肌にあわなかった。

一度同人になれば、俳句の良し悪しにかかわらず、同人欄に俳句以前の俳句が載っている。
一度、一時期に賞をとるような実力に優れた時期があったにしても、それがいつまでも続くかと云うこと。
主宰がそれに目を瞑り何も云わずに弟子達に阿る姿に疑問を感じる。
登龍門の一つ「角川俳句賞」をとっても、名前の消えていった人は数知れない。
同人が同人らしからぬ句を出して安穏としている俳誌はパスをした。
そんなこんなで KOSI に。

全没は悲しいけれど、全国的な賞をとろうが、没は没、何年も同人であろうが没は没、皆さんに平等の選をする。
師はそんなに、いつもいつも良い句ばかり、数を揃えて作れはしないと思うと云う。波があって当たり前とも。
それが、(死ぬまで推敲をしろ)と云う言葉になる。
昨日、今日、結社に入ろうが良い句は良い句として選をされたのが、そもそも私には新鮮であったし、今もって信じるところである。

       

必要の無い本を捨てる束を作りながら様々な5年間の俳句の取り組みを楽しく思い出しつ選り分けている。

散歩道での昨日の愛する里山の景。

    🐚    春風に大波小波ありさうな    

    🐠    蕗の薹跳躍力の欲しき岸  

        
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桃の花

2017-03-23 15:45:05 | 俳句
    

昨日の散歩の途中で見つけた 桃の花。
ここの畑のご主人は、桃の花が大好きなようである。
他の畑にも桃を植えている。
実が生る桃ではなくて、花桃ばかりである。
咲いた時はまことに派手で華やかである。


    
      この花は すももの花 かしら。

昨日は剪定を終えたらしく、桃の枝を山のように積んでいた。
夫が、剪定をやっている時に行きあわすと、きれいな枝をよく貰って来る。

    

緋桃は遠くからでも目を引く。


    ☆    里山の簪のごとき緋桃かな


今日はお客さんが見えることから、ブログにも熱が入らない。

しり取り俳句の投句から。

    💐    玉藻よし讃岐の水城夕かすみ

    💐    春愁や薬で生かされてゐる命

    💐    舌たらずの鶯鳴けり行宮趾

    💐    春夕焼さよなら三角指切つた

    💐    富士に見立てる築山の笑ひけり

    💐    下萌や未だ眠りゐるボート小屋

    💐    仏足石の辺り最もかげろへる

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馬酔木

2017-03-22 10:21:13 | 俳句

    

私がよく利用をしている 県立図書館 の建物に沿って いま馬酔木の花が満開である。
何年もここには通っていたのに、馬酔木の花に気が付いたのは、今年になってから。

花の無い季節で、図書館の楓や、欅にはまだ春の気配は無い。

     


「浄瑠璃寺の春」  堀辰雄

 この春、僕はまえから一種の憧れをもっていた馬酔木(あしび)の花を大和路のいたるところで見ることができた。
 そのなかでも一番印象ぶかかったのは、奈良へ著いたすぐそのあくる朝、途中の山道に咲いていた蒲公英(たんぽぽ)や薺(なずな)のような花にもひとりでに目がとまって、なんとなく懐かしいような旅びとらしい気分で、二時間あまりも歩きつづけたのち、漸っとたどりついた浄瑠璃寺の小さな門のかたわらに、丁度いまをさかりと咲いていた一本の馬酔木をふと見いだしたときだった。…」

この作品に出合ったのは 高校の時の国語の教科書である。
まだ 馬酔木 の花の実物は見たことがなかった。
その頃から、浄瑠璃寺と馬酔木の花に憧れを抱きつづけた。

    

後年、奈良 当麻の里への旅行。
石仏を見ながら、岩船寺から浄瑠璃寺への道を散策した。
それが、なんと 「秋」
憧れていた浄瑠璃寺の門を潜って、両脇に馬酔木が植えられている参道を通り 優美な屋根の曲線のある阿弥陀堂へ参拝をする。
池を挟んだ三十の搭から向かい側の阿弥陀堂が浄土世界をかもしている。

再び、馬酔木の花の咲いている時季に訪れようと思いながらその機会は未だかなっていない。

とんちんかん、雑な私がここでもいる。

    
      👩     馬酔木咲く昼灯もれくる連子窓


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