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まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

降る雨に 命生み出す 布袋草

2018年08月16日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、気圧の谷や日本海から南下してくる前線の影響で雨や雷雨となり、昼過ぎから夜のはじめ頃にかけて激しく降る所があるらしい。気温は26.5度から32.1度、湿度は84%から72%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の17日は、気圧の谷や湿った空気の影響で昼前まで曇り、明け方まで雨の降る所があるらしい。昼過ぎからは高気圧に覆われてくるため次第に晴れる見込みだそうだ。

 

 今日も蒸し暑くて呼吸困難な一日だった。朝のポチの散歩も半分ほどの距離も歩けなかった。いつものように、血圧は、102/42 少し低いのかしらん。(70歳代正常値:146/80)。プレスは59、体温は36.5度、オキシメータ(酸素)は97、体重は65.2Kg。いつもと変わらない数字で異常なものは何もない。だのに歩けない。

 

 気分転換に、県知事選挙の期日前投票に行ってみた。その前に銀行に寄って通帳記載してみた。わずかばかりの年金が入っていた。今月も緊縮財政だな。

 

 投票立会人が暇そうにしていた。それでも、一人、二人、三人と、パラパラと投票に来る人がいた。

 

 投票は一分そこそこで終わってしまい、気分転換にはならなかった。

 

 で、懸案のタブレット問題である。アイパッドをやめるか、アンドロイドに戻すのか、違約金を支払ってタブレットをあきらめるのか・・・。10時開店を待ちわびて飛び込んだ。

 

 で、ドコモ・レディに、アップルサポートからの報告書とか一式をお願いして、まずはトイレに駆け込んだ。今日はおしっこの出る日らしい。出した後は水分補給ということで、サービスの煎茶の冷やを飲んで戻ったら・・・。

 

 「はい、これでどうぞ・・・」と、アイパッドが生き返っていた。「なんで、なんで・・・」。パスコードが入力できずに、サポートセンターに連絡すると、初期化プログラムを教えてくれて、初期化をしたら、「パスコードが入力されませんでしたので作業は中止します」というエラーメッセージ。で、アップルケアサービスに送ったら、「担当者は修理の処理を行えませんでした」と返送されてきた。それが、生き返っているのだ。おじさんにはわからん・・・。

 

 この時期、早くも稲刈りが盛んに行われている。早いのはお盆前の収穫だとお値段が相当高くなるらしい。ま、よそさまのふところを心配してもしようがないのだが。

 

 お昼前には体調がよくなるのだが、昼食を食べると、おなかが張って呼吸困難になる。かと言って何も食べないではいられない。いつもの半分ほどしか食べないのにおなかが痛くなる。来月の初めに、おなかのCT検査をやってもらうことになっているが、ドクターは「脂肪ばかりでしょうね」と言うのだけれど。

 

 で、この薬を飲むと楽になる。ドクターは、「あ、胃腸薬も朝のお薬に入っていますよ」とは言うのだけれど、おなかは少しも楽にはならない。私のおなかには何が住んでいるのだろうか。「胸水」は消滅している。

 

 で、24時間中、冷房の中にいるものだから、喉が痛い・・・。いがらっぽいので喉のお薬も選んでもらった。やさしい薬剤師のおねえさんがいるお店。

 

 今日の掲示板はこれ。「死に向かって進んでいるのではない 今をもらって生きているのだ」という、鈴木章子さんのことばから。町内の善楽寺さんの掲示板から。鈴木章子(あやこ)さんは、北海道の真宗大谷派西念寺の坊守(奥様)だった。42歳の時に乳癌が見つかり、その後肺などに転移し、5年間の闘病生活の後、昭和63年に47歳で亡くなられた。章子さんは闘病中に4人の子供達へ詩を残されている。その中から、『変換』と題する詩を紹介致する。

死にむかって進んでいるのではない
今をもらって生きているのだ
今ゼロであって当然な私が
今生きている
ひき算から足し算の変換
誰が教えてくれたのでしょう
新しい生命
嬉しくて 踊っています
“いのち 日々あらたなり”
うーん 分かります

  ここに松尾芭蕉の一句がある。「春雨や蓬(よもぎ)を伸ばす草の路」少しうすら寒い春先、目の前に広がる田園の全てに春雨がゆったりと降っている。この雨は天地のぬくもり、いのちのぬくもりであり、私のいのちのぬくもりだと降って来るのである。芭蕉の句には、詠まれる対象と、それを見ている芭蕉とが別々でなく、一人称の世界が表現されている。天地いっぱいのいのちの声を聞くような自然の調べが、そのまま私のいのちのぬくもりとなってくるような安らぎが心のすみずみにまで行き渡っていく。それこそ、見えないもの、聞こえないものが、実は見えるもの、聞こえるものを支えていることを、私たちは心して観察していかないと・・・と、考えたことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


久々の 雨にまどろみ 破られる

2018年08月15日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、台風第15号に向かって流れ込む暖かく湿った空気の影響で雨や雷雨となっていた。気温は27.6度から31.7度、湿度は90%から76%、風は2mから4mの東の風が少しばかり。明日の16日は、台風第15号から変わった熱帯低気圧や、四国地方に南下する前線に向かって流れ込む暖かく湿った空気の影響で、雨や雷雨となる見込みらしい。

 

 その気圧の関係か、今日のポチの散歩は皆目歩けなかった。特段、何をしている訳でもなく、暴飲暴食をしている訳でもないのに、呼吸困難になったり、少し歩くと動けなくなったりする。数値的に血圧や脈拍や体温や酸素も問題はない。ただ、体重ばかりがやたらと増える。

 

 昨夜は町内の夏祭りがあって、我が家から、毎年、こうした花火が見えるのだけれど、昨夜は20時前から寝てしまっていた。奥方が待ちわびて二階へ上がってきた頃に花火大会が始まったようで、ドーン、ドーンという音が聞こえていたが、私は眠ってしまっていた。

 

 今日の讃岐路は雨のち曇りで気温は26度から33度くらいになった模様。

 

 体調は悪いし、外は雨だし、お盆で財布は軽くなったし・・ということで、一週間ぶりにホームページを更新してみた。

 

 ま、これで世の中が変わるとかひっくり返るとかというものではない。物事は惰性というものがあって、やり始めたらやめることができないでずるずると引きずってしまうってこと、あるものだ。

 

 そうそう、今日は8月15日。甲子園球場では正午になると、ゲームが一時中断になって、一分間の黙祷が行われる。

 

 グラウンドも、ベンチ前も、スタンドの観客も応援団も、事務所の職員も審判員も、すべてが立ち上がり、脱帽して黙祷をする。

 

 私も若い頃は、このスタンドに立って、黙祷をしたいと、甲子園球場に通ったものだった。今はもう、遠い風景になったのだけれど。

 

 15時頃、ピンポーンと来客があった。誰かと思って出てみると宅配便屋さんだった。

 

 先日、修理に出したタブレット端末が戻ってきたのだが・・・

 

 こういうメッセージ付き。「担当技術者は修理のご依頼を処理することができませんでした」と言うのは、「修理ができませんでした」ということだろうと思う。へんてこりんな日本語だなと思った。

 

 やっぱり、このタブレットはおかしい。明日、携帯電話機屋さんに持って行って相談しなければいかんのだが、携帯電話機屋さんは、修理はできんと言うし、取り替えも契約変更もしないと思う。と言うて、途中解約して違約金を払って、新規契約なんてばかなこともできんじゃないか。どうすれないいんじゃろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。今日は敗戦忌。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板から。この前半は説明的。要は、「過去に目をつぶるものは 現在も盲目である」という一語に尽きる。広島、長崎の原爆忌が過ぎた。被爆体験を語る人が少なくなってきたと聞く。被爆の事実を知る人が減ってきたのも事実。だからと言って、過去に目をつぶるものもは、先の事実「フクシマ」や、近年の熊本地震や広島の土砂災害なんかに対しても目をつぶっているのではあるまいか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


盆の月 冷え冷えとして 空にあり

2018年08月14日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は26.9度から34.8度、湿度は74%から68%、風は1mから5mの東の風が一時は強かった。午後は雨や雷雨の所があるらしいのだが、さぬき市ではそんな気配はない。明日の15日は、湿った空気の影響で曇り、昼前から雨や雷雨の所がある見込みらしい。

 

 昨夜は恒例の「盆礼」ということで、飲んで食べて歌って・・・の大騒ぎだった。

 

 私らが子どもの頃は、まだカラオケだのというものはなかったので、もっぱら、おとなたちは酒を酌み交わし、農作業のことだとか、だれがどうしたとかの世間話に夢中になった。こどもらはお給仕で、「熱燗を持って来いや~」とか、「おつゆのおかわりやでぇ」とかとこきつかわれたものだった。まだ、ビールなんてなかった時代だ。

 

 でも今は「生ビール」にカラオケでエアコン完備というのだから贅沢になったもんだ。

 

 で、私たちの「お盆」って何なんだ・・・というので、少し、お勉強をしてみた。「お盆には法要時の荘厳をし、季節のものを供え、先祖に報恩感謝のまことをささげます。真宗では精霊棚を作ったり、迎え火・送り火を焚くことはしませんので、その必要はありません。お彼岸と同様お墓を清掃して、家族一同お参りして亡き人を偲びます。また近くのお寺へ参詣するよう 心掛けたいものです。お盆の期日は、七月十五日や八月十五日など各地の慣習によって違います。」(門徒教本183p)

 

 「お盆」とは正しくは 「孟蘭盆」といいます。梵語のウランバナの音訳で、中国では 「救倒懸」と訳しております。「倒懸」とは 「さかさづり」の意で、餓鬼道の苦しみをあらわします。その「さかさづり」の苦しみから救うという意味が「救倒懸」で、これが「孟蘭盆」 の意味です。それには次のような故事があります。

 

 お釈迦さま在世のころ、高足の弟子に日蓮という方がいました。目蓮はお釈迦さまの教えをよく守り、一心不乱に修行し、ついに尊者と崇められる聖者となりました。ある日、神通力をもって、亡くなられた母がどこへ生まれているかを見ますと、母の宿業により餓鬼道に堕ちて骨と皮とにやせ衰え、しかも食物を食べることのできない、いわゆる餓鬼の苦しみを受けているのでした。孝行者の目蓮はこれを悲しみ、母を救う方法をお釈迦さまに尋ねました。ちょうどそのころ、インドは雨期で、仏弟子たちは恒例の安居(一定期間外出しないで修行すること)に集まっておりました。その安居があける七月十五日は衆僧自咨の日として、仏弟子たちの休息をとる日になっていました。お釈迦さまは、その七月十五日に衆僧に供養すればどうかと目蓮に教えられたのです。目蓮はよろこんでその教えに従い、衆僧を供養して、その母は 「倒懸」の餓鬼道の苦悩から救われたといいます。

 

 これは『孟蘭盆経』に説かれている話ですが、これから「孟蘭盆」が先祖をまつる行事として、毎年七月十五日に行われるようになったのです。私たち真宗門徒は、目蓮が母を救ったその心根に注目しなければなりません。その心根にならって、こうした年中行事には先祖を偲び、感謝の気持ちを新たにしたいものです。」と。

 

 今朝、暗いうち(5時)から次男は帰り、三男はビールサーバーを解体して玄関まで運び出してから帰って行った。奥方も出勤だと言って7時過ぎには出かけてしまい、娘家族も8時前には帰ってしまった。私一人がお留守番。

 

 孫たちが小さい間は、毎年、島の家で釣りだ、ウェイクボードだ、海水浴だと遊びほうけていたが、その子たちが大きくなり、社会人となって、島の家で仲間たちと遊びほうけているらしい。私は山の家でお留守番だ。

 

 そうした遊びもマイボートが壊れてしまい、子どもたちも忙しくなり、親たちも学資稼ぎに忙しくなるとやまってしまった。

 

 先にお話しした目蓮尊者の話。8月の雨季に入ると目連は国々の僧侶たちに施しをされ、そのお陰で母親が餓鬼道から救われたと言う話だった。のちにこの話を聞いた人たちは、これを逆さづり供養祭と呼び、雨季になると先祖を偲び、施しの料理をもてなすようになったそうで、この逆さ吊りの事をインドでは「ウランバンナ」と言った。そしてこの物語は中国へ渡り、「ウランバンナ」に漢字をあてて盂蘭盆(うらぼん)となった。それがさらに日本に伝えられて もともとの先祖崇拝と結びついて今のお盆参りになったそうな。お盆にはご先祖を偲び、心静かに手を合わせ 、今ここに生かされていることを感じてみたいもの。そして、喜ぶ心、相手を思いやる心、許す心を施しとしていただければとてもありがたい『盂蘭盆会(うらぼんえ)法要』になるかと想うのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


咲いて散る 盆の蓮華の 色の跡

2018年08月13日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、湿った空気の影響で雨の降っている所があったらしい。気温は27.1度から33.2度、湿度は92%から78%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みなので、暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとるように。明日の14日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日はまた蒸し暑い日。朝から蝉も啼いてにぎやかな朝になった。

 

 今日は我が家の「盆礼」の日。お盆だからといって、特別なことはしない。

 

 涼しいうちに一座、おつとめをしておく。

 

 メインはもっぱらこちら。町内の酒屋さんからサーバーを借りて生ビールの用意。これが11時から11時半ころまで。試し飲みが最高においしい。

 

 先日の私の快気祝いでは大量に食材が残ったので、今回は控えめになった。

 

 それだし、今年はなぜかメンバーが少ない。私の兄弟三人と娘家族のみ。だんだんと参加者が少なくなっていく。

 

 これが今年のフルメンバー。これに私を入れての7人になった。みんな、それぞれに忙しいらしい。昨年は、この二倍か三倍くらいの人がお参りしてくれたのだけれど。

 

 1時間もあれば、ごちそうもおなかにいっぱいになる。あとはカラオケ自慢になってしまう。

 

 でも、今年はなぜかバラバラ・・・。歌う人は歌うばかり、寝る人は寝てしまう。食べながらしゃべる人はしゃべるばかり。なんだか、みなさん、お疲れみたい。夜の部に楽しみを残しているのだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「千万(ちよろず)のいのちの上にさづかれし 平らけき世を生くる悲しさ」という、元本願寺お裏方大谷嬉子さまのお歌からである。

      「海をよごし
       川をよごし
      空をよごし
       あさましい人間 
      然し地球は
       このあさましい人間を抱いて
      悠悠自転している」

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


蝉の声 一期一会の 歌合わせ

2018年08月12日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は湿った空気の影響で概ね曇り、雷を伴った非常に激しい雨が降ったりしたが夕方からは晴れてきた。気温は26.5度から32.5度、湿度は92%から76%、風は0mから2mの北東の風が少しばかり。高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みらしい。暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとるよう呼びかけている。明日の13日は、高気圧に覆われて概ね晴れるけれど、午後は雨や雷雨となる所がある見込みらしい。

 

 昨日は体重が67Kgにもなり、おなかも張るし足もむくんでつらい一日だった。土曜日だということで病院はお休みなもので、じっと我慢の子であったが、一晩明けると嘘のように身体は軽くなり、おなかの張りも足のむくみもなくなった。

 

 体重も許容範囲まで下がってきた。かと言って、私の生活が激変した訳でも、何かを控えた訳でもない。この変化は何なんだろうか。

 

 appleさんから委託を受けた運送業者さんがくるまでは外出はできない。とにかく故障したiPadを引き渡すまでは自宅からは出られない。

 

 だから、この闘病日記を印刷したり、製本したりの事務作業をやっていた訳だ。

 

 運送会社さんは10時半過ぎにやってきた。で、iPadを手渡しすると外出OK。

 

 奥方からは、「お仏壇用のお花を買ってきておいてちょうだい」とだけ言われていたのだけれど、台所とか冷蔵庫の中身を見ると、あれもこれも・・・と不足が目立つ。要らぬ物はたくさんあるけれど・・・。

 

 お仏壇のお花は交換しておいた。先日の父の命日の時は、お花を買って、台所のバケツに投げ込んであった。「ねぇねぇ~お坊さん~。ついでにお花を交換しておいて欲しいわねぇ~。」と言われたので、交換しておいた。明日は弟たちもやってくるのだからと、お供えとかも買っておいたし、お佛飯も交換しておいた・・・。

 

 お盆灯籠も用意した。これは母のお葬式に使ったものだが、私の葬式用に保管してある。これを組み立ててお盆灯籠にしてみた。涼しそうでいいじゃないか。

 

 我が家では、お盆だからと言って特別なことはしない。よそさまは「お盆勤め」とか「棚経」とかがあるらしいが、我が家にお寺さんがお参りに来たりはしない。ただ、毎年、親戚の者が「ほとけさん・まいり」とか「ぼんれい(盆礼)」と言って飲み物や食べ物を持って集まってくる。それが明日だ。

 

 ついでに、お墓にもお花をお供えしてきたが、お墓さんには線香をあげたり、お経を読んだりもしない。母も父もおばあちゃんも、このお墓の中にはいないのだ。みんなお浄土に行ったきり戻ってはこない。「石の下には居ない」のだ。

 

 だから、私も奥方も、ここに入るつもりは毛頭ない。「石の下には居ない」のだし、「草葉の陰にも居ない」のだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「何が起こるかわからないのが世の中、何をしでかすかわからないのが自分」というもの。妙好人の源左さんの、こんな話を聞いたことがある。ある人が、「村の者がお爺さんを妙好人伝に載せるというがのう」と言うと、源左さんは、「いやいや待ってつかんせい、死ぬるまでは何をするか分からんでのう」と応えた。「何が起こるか分からないのが世の中。何をしでかすか分からないのが自分」。「さるべき業縁の催せば、いかなる振舞いもすべし」(『歎異抄』)何かが起こったときに、どうするかは、実は、そのときまで分からないもの。そのときに頂いている、気づきの深まり具合に応じて、自ずとすることが決まるもの。人生にシミュレーションなどない。人生は、つねに本番である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


ヒグラシの 啼いて会いたく なるゆうべ

2018年08月11日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて午前中は晴れていたが、午後からは湿った空気の影響で曇り、雨や雷雨となる所があるらしい。気温は26.3度から32.9度、湿度は94%から74%、風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。高温が予想されるため、熱中症など健康管理に注意して欲しい。明日の12日は、湿った空気の影響で曇り、雨の降る所がある見込みだとか。

 

 朝方は気持ちのいい朝になって、散歩も少しばかり進んだようだった。

 

 気温の方も少しばかり涼しくなったように思ったが、お昼からは一気に気温が上昇したのには驚いた。香川全体が雨の表示だが、まだ、雨の気配はない。

 

 さぬき市も雨マークだが、その模様もない。降水確率からすれば夕方からか・・・。

 

 今日は、appleさんに委託をされた業者さんが、タブレット端末を取りに来る・・というので、午前中、ずっと待っていたのだが現れなかった。明日の午前中だろうか。おかげでお出かけできなかった。

 

 このタブレットのために、どれだけ苦労さされるやら・・・。気に入らぬタブレットだ。私とは相性がよくないみたいだ。

 

 その間に、闘病日記の正式版を作ろう・・・ということで、あれこれ、修正したり、追加したりやっていた。

 

 正式版たって、立派なものを作ろうとしている訳ではない。あちらこちらに漏れとか追加したい文章があって、ほどよく調整しているところ。お出かけできない間の暇つぶし。

 

 しかしのかかし、秋の文化祭用の「夏休みの自由研究」のテーマがまだ決まらない。夏休みは残り少なくなってきているのに・・・。

 

 こんなことばっかりやっているからか、体重がじわりじわりと増えてきている。水分を控えろとか塩分を控えて・・・とか言われているのだけれど、熱中症がこわいので、ついつい、水分も多く飲んでしまいがち。お盆明けまでは病院もお休みだ。それまでは発症しないようにしておかねば・・・。

 

 今日は「山の日」ということで、88番札所大窪寺の「柴燈大護摩供(さいとう・おおごま・く)」の日だが、今年はパスだ。大窪寺ガイド部長としては取材をしておかねばならんのだが、この暑さでは病気になりそうな予感。

 

 来年三月の春のお彼岸の大護摩供養にはゲストさんを案内してお邪魔するのだけれど、もう、担当者は決めてある。今年の私は、全くのパワー不足で動けない。

 

 エアコンの効いた部屋で、こんなものばかりを食べているから体重も増えるのだと思う。思うが、これも熱中症対策だと開き直っている。

 

 今日の掲示板はこれ。いつもの赤松先生のお寺にあった掲示板から。「九条もて 平和維持せよ 敗戦忌」というもの。どこのどなたの句か存じ上げないが、改正論議のある九条問題だが、この九条を楯ににして、今こそ平和を維持しなければならないと、かみしめる敗戦忌も近くなった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


夏草に 日頃の怠惰を 嗤われる

2018年08月10日 | 今日もなんだかなぁぁ・・・だった日。

 さぬき市地方は湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は25.6度から32.7度、湿度は90%から68%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の11日は、引き続き湿った空気の影響で概ね曇り、午後は雨や雷雨の所がある見込みらしい。

 

 夜中にはなぜかおなかが張って息苦しくなる。だから、2時間おきくらいにトイレに起きる。わずかでも排出できたら、おなかも楽になったように思う。んで、また、寝る訳だ。

 

 今日が奥方の公休日だからと、奥方は19時から寝てしまう。エアコンの関係で私の部屋で寝られると、私も仕方なく寝なければ、明るいとか賑やかだとかと叱られる。だから、私も19時半には寝たのだけれど、足がむくんでかゆくて寝られない。

 

 仕方なく、安定剤を飲んで寝たのだけれど、朝方はぼんやりとしている。何もできないから、没後150年祭のレポートを書いてみたが、夢の中で書いたようなぼんやりとした記事になった。

 

 それを、丸亀市広島町のセンター長にメールで送ろうとしたらエラーで送信できない。別に設定を変更したわけでもないし、何かをいじくった記憶もない。隣のマシンで送信してもダメ、左のマシンでもダメ、廊下を隔てた奥方のマシンでも送信不可・・・。どうしたん???

 

 旦那がぐうたらだからと、奥方が充電式草刈り機で草刈りを始めた。その頃はまだ、暑くはなっていなかったが、自分の畑だから、自分でやるしかないと覚悟したんだろうか。

 

 で、機械を使ったり、鎌やスコップを使ったり、手で草を抜いたりと、およそ、1時間あまり。「バッテリーが切れたから充電しておいてねぇ・・」というのだが、そのくらい、コンセントに刺すだけだからやってくれたらいいものを・・・。

 

 メールが送れないとか、PCの調子が悪いとか、プリンターのインクが少なくなったとか・・・。気分が悪いときには悪いことが重なるもの。気分転換で、「残暑見舞い」のはがきを印刷したら、同じ相手に何枚も印刷してしまったり・・・。

 

 年賀状の余ったものとか、印刷ミスとかを集めると二千円分近くになった。ダメ元で、近くの郵便局に持って行くと、10円切手を20枚、2円切手を21枚、通常はがき62円分を34枚、手数料250円・・・総計2,600円にもなった。あやうく、ゴミにしてしまうところだった。

  

 お昼からは、懸案のiPadのことで、携帯電話機屋さんに行ってみた。この「パスコードを入力してください」という、ロック現象である。ロックした記憶も、パスコードを設定したことはないし、パスコードの記録もない。全くの使用不能状態。

 

 で、「それはお客様の責任ですから・・」と、Appleコールセンターへ連絡して6時間あまりもかかってやってみたけれど、「パスコードが入力されないのでロックは解除できません」という非情なメッセージばかり。

 

 困り果てて、携帯電話機屋さんに「おかしいやないですか・・」と、文句を言うたけれど、ヌカに釘でにっちもさっちもどっちも・・・「ここで買った機械だのに、お宅が責任持たないとは、どういう商売するんですか・・」。昔は「売る方」だったのに、今は「買う方」になると、手のひらを返したようになるから不思議なものだ。

 

 結局の薬局で、日曜の朝にサービス担当が受け取りに来るので、本体を手渡して「修理サービス」を受けることになった。当然、無料やろう・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「口が濁れば愚痴になり 徳が濁れば毒になる」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。意思が濁れば意地になり、口が濁れば愚痴になり 徳が濁れば毒になる。ああ、意地になってたな。意地にとらわれて、ちっとも子ども達のことを考えていなかった。子ども達のためのつもりの言葉が、いつの間にか愚痴ばかりになっていた。知らぬうちに心が濁ってしまっていたんだ。徳のつもりが独りよがりになっていた。独りよがりの人生観・教育観なんて、子ども達にとってみればはき出すしかない毒にすぎないじゃないか。でも、「ダメ」も濁りがとれれば「タメ」になる。子供を思っての「ダメ」も、濁りがとれれば「タメ」になる。親だって父親だって、もちろん先生だって、ダメ、ダメと言わずに、こどもの「タメ」になるような言葉を用意したいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


夏空に 出会ってみたい 人がいる

2018年08月09日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は湿った空気の影響で曇っていた。気温は25.5度から32.5度、湿度は88%から76%、風は1mから4mの西の風が少しばかり。明日の10日は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、昼前から夜のはじめ頃は雨の降る所がある見込みらしい。

 

 昨日とは打って変わって蒸し暑い朝になった。湿度が高いからか、妙に身体が重たいし、おなかも重たい。

 

 今日は香川県の西の方にある「豊稔池ダム」に向かってみた。本当は昨日が、「ゆる抜き」だったのだが、昨日は会議があったので、今日にずらしてみた。「ゆる抜き」というのは池やダムを放流・放水することである。昔は「ゆる」という「木栓」を調整して放水したものだった。今では「ゲート」や「バルブ」で放水する。

 

 昔のゲートやバルブである。

 

 今年は下流の池に水が充分に溜まっているために、放流は控えめ。ここのダムについて語れば永くなるので、今日はここまで。

 

 今年の放流はこの程度。でも、涼しくていい気持ちだった。

 

 その後、観音寺市内のお寺さんにお参りしたが、ここの後住さんの名前を「ど忘れ」してしまって、訪問できず。携帯電話まで忘れてきてしまっている。「認知」が進んでいるのだろうか。

 

 途中でおうどんを食べて、お昼からは、私が入院していた、「香川大学医学部附属病院」へ寄ってきた。私の前任者が「心筋梗塞」で緊急入院したのだと、昨日の定例会で聞いたからだ。

 

 病院名もどこに入院したかも聞かぬままで、「ここしかあるまい・・・」ということで、香川医大附属病院に入ったが、工事中で、間仕切りばかりが多くて、まるで浦島太郎状態。目指すのは「南病棟三階」の心臓血管センターだった。ここのスタッフステーションで、聞いてみたら、「376号ですが、わかりますか」というので、「ええ、私が入院していた部屋ですから」と答えた。私が30日間、入院していたのが、376号室。

 

 まさしく、この部屋だった。で、このチューリップの画面にタッチすると、入院患者の氏名が表示される。これまた、私の寝ていたベッドだった。

 

 そ、全く、この部屋の、このベッドだった。私の前任者も手術が成功し、肝臓だの内臓だのと、いろんなところをチェックされて、近く、退院できるということだった。

 

 で、私の担当看護師だった、「ビーバーみずほ」がいるか、訪ねてみたら、昨夜が夜勤だったもので、午前中で帰った・・・とのこと。これまた空振りだった。

 

 まるで、梅雨に戻ったような蒸し暑さに耐えきれず、早々に病院を後にしたことだった。

 

 その頃の数値である。

 

 数値は全く正常になったのだが、体重は似たり寄ったりで、相変わらず、呼吸苦や足のむくみ、しびれなどは改善されていない。心臓そのものは正常になったのだけれど、胸水もなくなったのだけれど、そのほかに何かが障っているらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生 初の今日であり 今である」という、町内の善楽寺さんの掲示板にあった言葉から。よく見かける言葉だけれど、どこの誰の言葉かわからなかった。私たちは、当たり前のように生きているのだけれど、「今」という一瞬は「今」でしかないし、「今日」という時間はまるきり人生で初めての「今日」であって、もう、二度と今日という日はやって来ない。その今日という日の積み重ねが、この私の「人生」となる。それだから、今日、出来ることは今日にやっておきたいものだし、今日、見ておきたいものは、ぜひとも今日に見ておきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


ひまわりも うなだれている 午後である

2018年08月08日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は24.0度から33.5度、湿度は88%から60%、風は1mから3mの北西の風が少しばかり。朝夕はすっかりと過ごしやすくなってきた。明日の9日は、湿った空気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 朝方は肌寒くて4:30過ぎに起きてしまった。昨日は蒸し暑くて眠れなかったのに、一気に肌寒くなってしまったのだ。

 

 だから午前中は二階のマシン室でもエアコンはなしでも作業ができた。一階のリビングでの昼食もエアコンなしで食べられた。昨日とは打って変わっての涼しさだった。

 

 今朝の体重は65.5Kgと、昨日よりも1.6Kgほど軽くなっている。そんなに簡単に体重が変わるもんだろうかと、体重を調べてみた。

 

 食事をしたり、トイレに行ったりするだけで、2Kgくらいはすぐに変化してしまう。つまり、これは水分の変化なのだ。夏場だからと、熱中症予防だと水分を多く摂ればそれだけ体重が増えて、おしっこを出せば、それだけ体重が減るってことだ。

 

 そういうことをすぐさま、記録に残しておく。ドクターや心不全ナースへの対抗策だ。

 

 奥方のご用で銀行さんに行ってきた。来週のお盆用の資金を用意しておくためだ。そのついでに、奥方に頼まれた食材なども買っておく。

 

 で、会計帳簿に記載をしておく。赤字は予定額で決算上の赤字ではない。

 

 今日は第二水曜日・・・ということで、民児協の定例会。この頃になると暑くなってきて「真夏日」、気温は34度。でも、暑くてたまらない・・・というほどではなかった。

 

 研修会の案内やら情報交換やらをする会議である。

 

 ひとり暮らしのお年寄りが孤独死をしていた場合などに、どこまで介入して、どこまでお手伝いするか・・・みたいなことで少しばかり議論になった。ま、結論は出ないのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「あるがままに生きる ないがままに生きる」という荒了寛さんのカレンダーの中のことばから。全てのものは、ああしよう、こうしようという主体性をもって生まれて来たわけではなく、「自然に」生まれて来たのである。全ての対象は自分も含めて観察するべき対象というよりも観察されるべき対象と言えるかもしれない。観察できる主体はどこにもない。あると思っているだけである。日本人は自然にまかせて、 あるいは自然と同化してあるがままに生きるということを脈々と実行してきたのではないだろうか。また日本文化に大きな影響を与えた仏教の縁起説では(物事の発生と展開)において、全てのモノに「自性がない」ということがある。そんな難しいことを言わなくても、あるだけの食材で生きる。なければないで、なんとか食べて生きるのである。今の現代に於いては、なかなかに、こういう生き方は難しいのだが、要するに「財布の中身と生き方」とは関係するように思う。財布の中に余裕があれば、「あるがままに生きられる」し、財布の中身がさみしくなれば、「ないがままに生きる」しかない。わが家の今月もまた、「ないがままに生きて行くしかない」のである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


立秋や 火曜の朝の 握りめし

2018年08月07日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は27.度から33.7度、湿度は84%から64%、風は1mから4mの北東の風が少しばかり。昨夜は我が家で初めての熱帯夜で、朝までエアコンをつけて寝ていた。夜中に涼しくなったと消してみたが、やっぱり暑くて寝られずに電源を入れてしまった。明日の8日も、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 朝方は蒸し暑くて、ポチの散歩もそこそこにエアコンをかけての朝食になった。我が家でこんなことは初めてだ。

 

 さぬき市の明日も、こんな風になるらしい。

 

 今日は「立秋」夏が極まり秋の気配が立ち始める日。七月節(旧暦7月)。『暦便覧』では「初めて秋の気立つがゆゑなれば也」と説明してある。夏至と秋分の中間で、昼夜の長短を基準に季節を区分する場合、この日から立冬の前日までが秋となる。

 

 二十四節気が成立した中国内陸部は大陸性気候のためこの時期は気温が下がり始めているが、海に囲まれた日本列島ではピークがずれ込み猛暑の時期となることが多い。翌日からの暑さを「残暑」といい、手紙や文書等の時候の挨拶などで用いられる。また、翌日から暑中見舞いではなく残暑見舞いを出すことになる。(Wikipedia)

 

 朝一番の体重計である。島に行く前には、64.3Kg。病院で計ったら、65.1Kgだった。服装が違うからなぁと説明したのに、島から戻ってきたら、こういう数字だ。これは、2Kg増えたら【即入院】という数字ではないか。でも、どこがおかしいとかの症状はない。しばらく様子をみることにしよう。

 

 広島町の「レキ研究会」の会長から、先日の記念式典の様子を広報紙「ひろしま」に載せるので原稿を書くように・・と依頼があった。今度は9月号になるらしい。

 

 で、カタカタと文章を並べてみたが、400字では収まらない。目標は350字らしい。続きは明日だ・・・。

 

 今日は、奥方の定休日だもので、外出禁止の自宅待機。8月の行事予定の追加修正作業をやってみた。気分転換みたいなものだ。

 

 それに併せて、私のHPも修正追加をして更新しなければならなくなって。

 

 ああだ、こうだと、やってみた。

 

 お昼からは、こころなしか、涼しくなってきて蒸し暑さもなくなったような。でもまだ、ひぐらしは啼かない。

 

 朝ドラで、和子さんが心臓病で、それも「拡張型心筋症」だとか言うていた。そ、心臓が大きくなる病気なのだ。

 

 私も遺伝で「先天性」が頭に付いていて、「先天性拡張型心筋症」である。で、和子さんはまもなく亡くなるらしい。私は僧帽弁や三尖弁の手術をしたし、ペースメーカーも植え込んだので9年間はほぼ大丈夫らしい・・・。あくまで「らしい」状態。いつ、止まるかもしれないのが心臓だ。

 

 今日の掲示板はこれ。「大切なことは 何年生きてきたかではなく 何をして生きてきたかということです」という荒了寛さんのことばからである。人生に意味があるかどうかを考えればさまざまな考えに出会うのだけれど、その意味も考えることなく、ただ、漫然と年齢を重ねるだけの人生ではなく、この私が何を成し、何を発言し、どのように生きたのかが大切であるよ、と、言うている。先日の「余生」という言葉にも関連するけれど、「静かな余生」も、それは それなりの生き方だから尊いのだけれども、「私が生まれてこなければ、この世に生まれなかったものもある」という生き方もまた、尊いだと思うのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


汗のまま 黙祷礼拝 原爆忌

2018年08月06日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は26.9度から35.7度、湿度は90%から62%、風は1mから2mの北北西の風が少しなかり。高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みらしい。暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとるように。明日の7日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みなのだとか。

 

 今日は8月6日、広島原爆の日。どの新聞紙面も「原爆の日」と高校野球と土砂災害などでいっぱい・・・。

 

 唯一、地元の四国新聞にはこのような記事があった。

 

 このときのものである。向かって右の女性が、お墓の主、航海士官候補生レイクさんの遠縁にあたる子孫の方。左の男性が、このお墓を建てた「岡良伯」さんのご子孫の方。このお二人が献花をした時のもの。お二人とも遠路はるばるとおいでてくださった。

 

 さて、今日も讃岐路は猛暑日。おまけに朝方は湿度が高くて蒸し暑かった。でも、今日は帰らないといけないので、早めの朝食を食べ、室内の片付けをしておく。来週の14日から神戸の大学生十数人がやってくるらしい。冷蔵庫の中もからっぽにして、ゴミも空き缶も片付けておく。

 

 今日のさぬき市は猛暑日。丸亀市だって猛暑日だった。

 

 さて、このレキの墓記念碑は当初は小さな、安い石に「絆」という文字を刻むつもりだった。単に150周年記念のつもりだった。それが英国在住のレキ研究家のトーマスさんが、フランク・トーベィ・レイクさんの事実を書き込んだ。それを石屋さんが島の石、青木石で立派なものにしてしまった。私たちの会はお金なんぞ持っていないので、トーマスさんが費用を負担したとか聞いた。

 

 これがトーマスさんの碑文である。しかし、どこにも「レキ研究会」とか「トーマス」さんの名前もない。

 

 これが岡田さんが訳した日本語の碑文である。

 

 ものはついでに、こちらが、英国大使館の駐日英国大使・ポール・マデン氏からの感謝状である。最初の感謝状は、明治9年にシルビア号のセント・ジョン艦長から頂いたもの。二番目に、明治32年に、英国大使のアーネスト・サトウ氏からいただいたもの。これが三度目の感謝状になる。

 

 こちらが岡田さんが訳された日本語文の碑文である。岡田さんというのは歴史研究家のトーマスさんの奥様で、この丸亀市広島町青木浦出身の方である。あの、サンフランシスコで亡くなった、咸臨丸乗組員の「岡田源之助」のご子孫かどうかは知らない。

 

 ものはついでで、この記事もここに格納しておく。もう、ミッションが完了したのだから、すべてのドキュメント類は焼却してしまうからだ。

 

 ガスの元栓を閉め、室内の掃除を済ませて、8時35分発のフェリーボート「しわく丸」に乗って、私と弟は島を後にした。今度は10月の秋祭りの頃だろうか・・・。

 

 昨日の喧噪とは打って変わって、静かで人影もない丸亀市広島町。私の中で、大きな一つのミッションが完了した。明日からは普通の寡黙な無職のご隠居さんに戻るはずだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「忘れざることが供養や原爆忌」というもの。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板から。今日は八月六日。今日の掲示板は決まってこれ。「忘れざることが供養や原爆忌」というもの。原爆を、被爆を、戦争体験を、風化させることなく伝えていくことこそが、先人への礼儀であり、供養であるというのである。今年で73回目の原爆の日、私の記憶も風化しつつあるが、若い頃の広島の暑い一日を改めて思い出しながら黙祷をしたいものである。

 

 じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


夏草を 踏んで肩の荷 軽くなり

2018年08月05日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 丸亀地方は高気圧に覆われて晴れている。気温は27.5度から35.9度、湿度は84%から56%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとってください。明日の6日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今日は第100回高校野球選手権大会の開会式に、おへんろつかさの会発足10周年記念講演会に・・・

 

 おへんろつかさ養成講座の第一回目の開講式の日。それよりも何よりも・・・

 

 今日は、「英国士官レキ没後150年記念式典」の日。どれだけの人が集まるのかが関心ごと。ふたを開けてみなければわからない未知数・・・。

 

 でも、英国在住のトーマスさん・岡田ご夫妻やら、レキ士官の親戚のブリジットさんをお迎えしたら、俄然、報道陣の数が多くなる。

 

 10時半からの墓前祭。

 

 レキ研究会の横瀬会長のあいさつ、私の研究発表・・・(五分を過ぎたかも)があって、

 

 レキ士官の親戚のブリジットさんと、このお墓を建てた岡良伯さんのご子孫による献花。そのあと、地元代表のあいさつもあった。

 

 その後、オーボエ奏者の廣瀬さんの演奏と善通寺からの中学生20名によるイギリス民謡をバックに、全員が献花(榊)した。

 

 除幕式に先立って、イギリス大使館の駐日英国大使ポール・マデン氏からの感謝状が紹介され、梶丸亀市長に手渡された。代読はレキ研究家のトーマス氏と通訳は岡田聡子さん。

 

 これが新しいレキの墓歴史記念碑である。

 

 これが、その記念碑のレプリカで、左が英文で右側が訳文になっている。左がトーマス氏が書いたもので、右側は奥様の聡子さんが訳した文章である。その後、梶丸亀市長のあいさつがあって墓前祭は終了。

 

 以降は暑さ対策のために室内でのセレモニーになる。概算で、中学生が20名に成人が80名、合計100名ほどの参加者だと聞いた。

 

 室内では、ブリジットさんから岡良伯さんの子孫の方へ「絵」のプレゼント、

 

 同じく、梶丸亀市長さんへも「絵」のプレゼントがあった。

 

 お返しに、岡さんからブリジットさんへは「ヤマモモ」の絵のプレゼント。ヤマモモは丸亀市の市の木になっている。

 

 その後、「レキの墓ものがたり」という紙芝居が行われた。少し前、ここの広島中学校の文化祭で上演した同名の演劇を書いた山地先生が作ったものらしい。

 

 この紙芝居はテレビ画面でも上映された。

 

 最後に、この紙芝居の絵を描いた方の紹介があって、一連のレキ没後150年祭は終了した。これで、わたしのレキ研究もこの時点で封印をすることになった。

 

 今日の掲示板はこれ。「走ることに疲れたら休んだらいい 休むことに疲れたら また走りたくなるから」というもの。作詞 中山真理/作曲 中山真理 「Message」からの言葉。

1.人生の中で こうでなきゃいけないことなんて 何一つないよ
走ることに疲れたら 休んだらいい
休むことに疲れたら また走りたくなるから
きみのこと 遠くから 見てるだけしか
できやしない 頼りない ぼくだけど
それでも いつの日か君が 心から笑う日がくると信じてる
それでも いつの日か君が 心から笑う日がくると信じてる

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


まどろみに つくつくぼうしの お説教

2018年08月04日 | 自然ありのままに

 丸亀地方は高気圧に覆われて晴れている。気温は26.2度から35.8度、湿度は88%から68%、風は0mから2mの北北西の風が少しばかり。明日の5日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今日もさぬきは猛暑日となった。特に朝方の暑さは異常とも思える暑さだった。

 

 そして、明日の朝も暑そう・・・。

 

 昨日の新聞である。

 

 こういうご夫妻が明日の記念式典にはおいでになる。

 

 で、今朝も某放送局のクルーが取材にやってきていた。俄然、この変哲もないお墓が注目されだしてきた。この左側から二人目の青年であるが、新しく、このレキの墓守になる予定の廣瀬青年である。今日は、今までの墓守のおばちゃんとの交代式の撮影だったのかも。

 

 この青年、廣瀬さんは、北海道釧路市生まれ。大学は北海道教育大学札幌校の音楽科を卒業した。クラシック好きの父親の影響を受け、中学校からオーボエを始めたのが吹奏楽のスタートだった。演奏も好きだったが、リードなどの道具面の研究も大好きな廣瀬さんは、大学在学中に気になっていたオイルの研究に没頭し、演奏と道具の研究を共に進め、大学卒業後は演奏のエキストラや講師などしつつ研究を続けてきた。そしていざ開業となり、現在の奥さんが住む横浜へと引っ越し、部屋探しなどを一緒に手伝ってもらい、無事結婚となった。「結婚するときは、どちらかの故郷で暮らそう」と思っていた廣瀬さんは、奥さんのおじいさんが暮らしていた塩飽諸島の広島を見学した。そして、フェリーを降りたときに「ここで暮らそう」と感じたいう。今ではなくてはならない、島の住人だ。

明日の記念式典でも、廣瀬さんのオーボエが響き渡ることになっている。

 

 さらに驚くことがまだまだ続く。「Dear People of Hiroshima」親愛なる広島の方々へと綴られたこの感謝状は、東京の「英国大使館」からのものである。今回のこの式典のために寄せられた「平成の感謝状」である。明日は、梶丸亀市長あてに贈られる。

 

 感謝状の贈り主は、駐日英国大使、ポール・マデン氏からである。

 

 この広島沖に、英国軍艦をお招きして祝砲でも打ち上げて欲しかったのだけれど、暑い時でもあり、早々に切り上げたいのでお招きしなくてよかったなぁと思ったことだった。

 

 明日の「調査研究発表」を簡略に・・と言われているのだけれど、いくらやっても4分はかかってしまう。

 

 今日の掲示板はこれ。「わが心にごせばにごる すめばすむ すむもにごるもこころなりけり」というもの。我が心は濁すのは簡単だけれど、澄ませようとするのは難しい。我が物であって、我が物は何一つ無いのがこの世のありさまなのである。第一、この私の小さないのちですら、私達は生かすも殺すもできないのだからして・・・・。

 

 じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

 


国歌吹く オーボエ静かに 墓の裏

2018年08月03日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 丸亀地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は27.2度から35.6度、湿度は92%から66%、風は2mから4mの西の風が少しばかり。明日の4日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 昨夜は和室で網戸だけで寝ようとしたのだけれど、「エアコンも使わずに老人が亡くなっていた・・」というニュースが多いので、わざとエアコンのあるリビングで寝たが、これが寝付かれない。ほぼ1時間ごとにトイレにおきて眠れない。仕方なく、安定剤を飲んで寝たためか、一日中、眠たい一日になった。

 

 島の家は、セキスイハウスさんの鉄骨製ユニット工法だから暑い暑い・・。で、ついつい、冷たいものを飲みすぎてしまう。

 

 さて、8時半になったので、コミュニティーセンターに出かけてみた。金曜日という平日に役所が開いている間に日曜日の準備をしておかないといけない。丸亀市の職員が帰ってしまうと施錠されて、ここは使えなくなってしまうのだ。

 

 若い人や島の住人たちは、墓前祭の準備で、テントや机・いすなどを運びに行った。私たち展示班・説明員たちは、屋内展示の準備に回った。

 

 大会議室にテーブルを並べ、イスを並べて展示場を作るという寸法らしい。

 

 ところが、ここも新しい施設なもので、壁に貼り付けたり、壁を汚したりしてはいけないという。だから展示方法も工夫が必要。細い竹を切ってきて、テーブルに縛り付けて、そこに展示物をつるすという手法。

 

 一方、こちらは「墓前祭」用の土地。テントを三張にテーブルを4つ、イスが26脚などを用意。来賓用である。一般の方は考慮していない。テントの後ろに「ムシロ(莚)」を敷くか・・というてるらしい。

 

 こちらが「墓前祭」用のメインである。お墓の後ろには、英国国旗「ユニオンジャック」を掲揚する。ブルーシートのものは、今回、建立される「記念碑」である。詳細は内緒。日本式のお墓だから、花筒はふたつ。そこへ、レイクさんのご子孫のブリジッドさんと、岡良伯さんのご子孫が献花をされる予定。あとは、記念碑の除幕式。暑い時なので短時間でてきぱきと進行する。

 

 で、最初に、簡略に調査研究発表をやれ・・と言われているのだが、まだ、原稿もできていない。暑い時期だから簡潔に・・・と言うのだから困ったものだ。明日と今夜中になんとかしなければならない。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるということは 思い通りにならないということが はっきりとわかることです」というもの。真宗大谷派の「祖父江文宏」先生のことばである。この言葉を残された祖父江文宏さんは、長年、児童養護施設「暁学園」の園長を勤められた方だという。祖父江さんは子供を尊重し、「子供」と言わず、「小さい人」と呼んでおられたそうで、体を張って虐待をうける子供を保護してこられた、その姿勢は子供たちに伝わり、子供たちから親しみをこめて「園長すけ」と呼ばれていたとも聞いている。この掲示板の言葉は、その祖父江さんの姿勢をつらぬく芯のようなものではないかと思っている。この思い通りにならないからこそ、人は苦しみ、悩み、怒り、泣き、わめいて、暮らすのだ。それが「生きること」だからである。そのことをはっきりとわかれば、悩みも怒りも悲しみもそねみもやわらかくなるというのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


水のない 蝉の聞こえる 川がある

2018年08月02日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 丸亀地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、湿った空気や強い日射の影響で山地を中心に雨や雷雨の所がある見込みらしい。気温は25.8度から33.9度、湿度は92%から72%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の3日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みなので、暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとるようにして欲しい。

 

 今日も朝から蒸し暑い朝になった。

 

 昨夜は父親の49回忌ということで、三男の「たっくん」がお仏壇まいりに来てくれた。奥方が戻るまでに、先日に草を刈ったところがまたも草まみれになっているので、草刈りをやってくれた。

 

 で、たっくんと私ら夫婦の三人で簡単な夕食を囲み、飲んで呑んでしゃべった楽しい時間になった。ところが・・である。

 

 今日は、県立病院の予約診察日。朝の体重は64.4Kgだったので安心をしたが、その後、みんなで二階のベランダで朝食会をやった。その結果・・・65.6Kgにもなった。当然、ドクターのチェックが入った。仕方ないなぁ・・・。

 

 胸部レントゲン検査では異常なし。右の肺の胸水に変化はみられない。でも、最近、おなかが張るような状態になるというと、来月は腹部CT検査をすることになった。ドクターは、おなかには水はたまっていないはず・・・だというのだけれど。

 

 今のところ、おなかの具合が悪いくらいだから、来月の検査をお願いした。「脂肪がたまってるんですよ」と、ドクターは言うのだけれど。

 

 検査が終わればすぐに薬局に向かい、

 

 いつもと変わりないお薬を処方してもらった。

 

 心配していた医療費だけれど、二割負担になったものだから、2万+3万の予定が、1.5万+1.8万で、3.3万ですんだ。

 

 お薬が手に入ったら、一目散で丸亀港に向かう。予約してあるフェリーは15時ジャスト。余裕しゃくしゃくの13時半には港に着いた。時間があるので、港近くのスーパーで、追加の野菜や焼酎、日本酒を少しばかり追加買いをしておいた。日曜日に、三男が記念祭を見学して、島の家で一泊してカラオケをやるということになったからだ。

 

 今日のフェリーには、農用トラクターが乗っていた。町の農協さんで修理をしてもらったらしい。なんとものどかな風景である。

 

 島の家「暁光庵」に着いたのは、15時45分、我が家に着いたら16時前・・・。

 

 運び込んだ食材や飲みものを冷蔵庫に納めたら汗まみれになった。今日から5日間は、塩飽の住人になる。

 

 今日の掲示板はこれ。「カメはウサギにはなれないが、日本一のカメにはなれる」というもの。「一番はもちろん尊い。しかし一番よりも尊いビリだってある」。生涯を初等教育に捧げた東井義雄先生の言葉である。先生は師範学校に入学後、マラソン部に所属し、四年間もビリを走り続けた人である。いつも、走りながら考えた事は、「ウサギとカメ」の話だったという。「カメはウサギにはなれないが、日本一のカメにはなれる。俺はビリから逃れる事は出来なくても、日本一のビリになれるはずだ。ビリであることは恥ずかしい事ではない。怠ける事の方がよっぽど恥ずかしい」と書いてあった。

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


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