まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

ぼんやりと ダムに漂う 緋のもみじ

2017年12月16日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響で曇り、昼前から雨や雪の降る所があった。気温は7.3度から11.1度、湿度は84%から64%、風は2mから7mの西の風が強かった。明日の17日は、気圧の谷や寒気の影響で概ね曇り、明け方まで雪や雨の降る所がある見込みとか。

 

 今日は奥方がお休みの日。朝の8時まで寝ていた。昨夜もサルが野菜を食べていると叱られたが、それを承知で野菜作りをしているんじゃないかと開き直っている。このあたりでは誰もあきらめて野菜など作っては居ないのだ。

 

 で、野菜畑で野菜を隠したり見えなくする工夫をしている間に、奥方の薬を処方してもらうために町医者に行って来た。土曜日ということもあって、若者とか子供とかがずいぶんと居て、ひとしきり待たされた。

 

 で、すぐお隣にある調剤薬局で薬を受け取ったが、千円札でおつりが出る程度の薬代。私の場合がいかに高すぎるか・・を実感した。

 

 で、午前中は「飯田家の納め札」の解読作業をやっていた。

 

 この納め札は印刷されたもので、そこに筆字で名前らしいものが書いてあるが、どう、読むのかと考えていた。「たミ」に見えるが、ひらがなとカタカナの名前なんておかしいし、となりは「文造」だろうか。脳トレの連続・・・。

 

 先日の忘年会の時に、坊さんの名刺が欲しい・・と、配ってしまったので、新しい名刺を作ってみたのだけれど、なかなかに用紙の設定が難しい。印刷されている用紙番号を指定するのだが、微妙に上下がずれたり、左右がずれたりと失敗ばかり。

 

 編集するときには大きい文字を指定するんだが、印刷してみると全く読めなかったり・・・。

 

 このQRコードだって読めないみたい。やりなおしかなぁ。

 

 昼前には少しばかりの雨が降ったが、お湿り程度の雨。

 

 昼からは食材を仕入れるためにスーパーに行って来たが、もうすっかりと店内は正月気分になっていた。

 

 山に食べ物がなくなってきて、そこらじゅうにサルが歩き回っている。車が近づいても素知らぬ顔。クラクションを鳴らすと、大きな口を開けて威嚇してくるのだからたまらない。

 

 明日にはお内佛の掃除でもやってみようか。最近は孫たちも受験生と言うことでお手伝いはしてくれないから、少しばかり面倒な気がしてのびのびになっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「よく聞け 金銭を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ」という、後藤新平の言葉から。後藤新平、ごとう・しんぺい。日本の医師、官僚、政治家、都市計画家。陸奥国胆沢郡塩釜村(のちの岩手県奥州市水沢区)出身。須賀川医学校卒業。台湾総督府民政長官、満鉄初代総裁、逓信大臣、内務大臣、帝都復興院総裁、外務大臣、東京市第7代市長、ボーイスカウト日本連盟初代総長、東京放送局(のちのNHK)初代総裁、拓殖大学第3代学長などを歴任。計画の壮大さから「大風呂敷」と呼ばれながらも多くの仕事を成し遂げた。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


南天の 赤さに勇気を もらう朝

2017年12月15日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は2.9度から10.0度、湿度は86%から65%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の16日は、気圧の谷や寒気の影響で概ね曇り、雨や雪の降る所がある見込みらしい。

 

 朝は気温が低くて冷たかったが、昨日は不在だった2軒を訪問して、共同募金の配分金をお渡しし、その領収書を社協の事務所にお返ししてきた。これで、今年のお仕事はおしまい。

 

 今日から年賀状の取り扱いが始まるというので、郵便局に行ってみたが、どことも年金の受け取りで混雑していた。

 

 しばらく待って、奥方のお小遣いを引き出して、年賀はがきを受付へ渡して、郵便局のお仕事もおしまい。

 

 家に戻ると、我が家のポチが震えている。ふと、畠を見ると、またしても大根や白菜が食べられている。奥方にまたまた叱られるが、24時間、畠の番をしているわけにもいかないではないか。

 

 白菜だって、おいしいところを抱いて持って帰ってしまっている。ポチを畠に閉じ込めておいたら、いつの間にか、ベランダの縁の下に逃げ込んでしまうではないか。番犬にもならない迷犬ポチである。

 

 しばらく、納め札の読み取りをしながら畠を監視していると、朝の食事が終わったものか、猿は姿を見せない。

 

 こういう具合にきれいに書いていてくれれば読みやすいのだけれど、あんまり達筆すぎてのくずし字だと一枚のお札を読むのに20分もかかってしまう。ま、だいたいのパターンが決まっているので、およその検討はつくのだけれど。

 

 昼からは銀行さんに言ってみたが、

 

 こちらも年金の受け取りで行列になっていた。私は通帳記入だけだから早いのだが、出したり入れたりと忙しそうにしている人もいた。

 

 で、会計帳簿に記録しておく。

 

 こちらは年間の記録集計表である。今日で今年のお仕事は全ておしまい。法務も体調不良でお休み中だし、講演会もご法話も今日以降はない。かと言って、お猿の番をする訳にもいかない。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生一生 酒一升 あるかと思えば、もう空か」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。のんべえの自分には、とても分かりやすい法語だ。まだたくさんあると思っていたお酒のビンが、いつの間にか空っぽになっていく。身をもって実感できる事実である。時の流れはひとときもとどまることはない。私たちの生は確実に終わりに向かって進んでいる。時間には限りがあるのだ。だから本当に急がなければならないことを、きちっと見定めて急ぐのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


霜の朝 寝過ぎた夢は 遠すぎる

2017年12月14日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、寒気の影響で瀬戸内側や山地では雲の広がっている所があった。気温は3.3度から8.1度、湿度は81%から61%、風は4mから1mの北西の風が冷たかった。明日の15日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 昨夜は隣町にある「カメリア温泉」という施設での忘年会だった。広々とした浴室ではサウナ、ミストサウナなどが楽しめ、レストランでは、讃岐和牛のカメリアステーキ、瀬戸内の新鮮な海の幸を使った会席料理も好評である。 ゆったりスペースの多目的ホール、会議室は、各種ミーティングやレクリエーションによく利用されている。なお、カメリアは旧寒川町の町花木ヤブツバキの英語訳(Camellia)である。

 

 昼間は民児協の定例会で、一旦帰宅してから、マイクロバスでここに集まってきた。私にとっては初めての忘年会である。昨年は「歓送迎会」という名前だった。

 

 こういう料理から始まって、あと、天ぷらだのカキフライだのとなんだかんだ出て、最後はコーヒーで〆だった。こういうものは持参したビニール袋に詰め込んでポチのエサにする。私には食べられないものが多い。

 

 こういうものは柔らかいのでほぼ食べたように思う。

 

 こういう時にでも、ついつい下の食べ物を見るから鼻血が流れて困ってしまう。

 

 で、今朝は冷たい朝になったが、昨日に頂いたお仕事のために担当地区内パトロール。

 

 ここが私たちにお仕事を用意して下さるところ。通称、「社協」と呼んでいる。

 

 今日は、共同募金の配分金を指定された人にお渡しして「受取証」に署名捺印していただくというお仕事。ま、いろんな家庭があるようだけれど、私の担当地域では、80歳以上の高齢者かなぁと思った。

 

 でも、10時を過ぎても寝ている人もあれば、お出かけしている人もあって、そう、簡単なお仕事ではない。だから、午前と午後と夕方の三回も訪問したりもする。

 

 手の空いた時間には、こうして本の表紙造りから・・・。和紙を折って、表紙を作る。

 

 見開きを貼り付けると表紙らしくなる。

 

 それに、昨日に作っておいた本文を鋏み込んでのり付けする。

 

 それに「題箋」を貼り付けて完成する。

 

 今日の掲示板はこれ。「辛いことも乗り越えれば 生きる力になります」というもの。これまた、誰の言葉かはわからない。辛いことも、悲しいことも、苦しいことも、それを乗り越えたとき、生きる力にもなるし、生きる励ましにもなる。人生に無駄な事なんてすこしもない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


年の暮れ とぼけ上手な 人になる

2017年12月13日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、冬型の気圧配置となっているため、概ね曇っていた。気温は今季最低の2.9度から7.0度、湿度は76%から59%、風は4mから7mの西の風が強くて冷たかった。明日の14日は、気圧の谷や寒気の影響で、概ね曇る見込みらしい。

 

 南国さぬきでも雪も降るし水も凍る。今日は今季最低の冷たさになった。

 

 山のサルたちも食べるものが減ってきたのか、我が家の周囲に集まってきている。昨日は大根を食べられたと奥方が憤慨していた。

 

 今日は水曜日だということで、県立図書館にやってきた。すっかりとアキニレは葉っぱを落として冬らしくなっていた。

 

 空気が冷たくなったからか、駐車場にも館内にも人影はまばらだった。今回も五冊の本を返却し、新たに五冊の本を借りてきた。ま、習慣みたいなもんだ。

 

 読むか読まないかはわからないが、適当に本を選んできた。

 

 帰ると、仏教語辞典を三部、作ることになった。A5版用にA4版を二つ折りにする。

 

 こうして、三部ができてきた。表紙は、また、明日になるだろうか。

 

 お昼からは民児協の定例会である。今日は夕方から忘年会になるので、会議にも気がそぞろだ。

 

 ま、役所からのお願い事ばかりの会議である。

 

 ほぼ1時間で会議は終わったが、実質は30分くらいなものだっただろうか。私の担当地域には子供が一人もいないので、子供に関することは「耳日曜日」。

 

 家に戻ると、空き缶を回収場へ運んでおく。この空き缶が全部、我が家のもの。来月はお正月があるから、これの倍くらいにはなる。

 

 今日の掲示板はこれ。「折れてみて/初めて見えた鬼の角/折れた思いが/また角になり」というもの。どうにもならぬ苦悩を抱えて、生きる望みを失っている時に、仏の教えに出遇い、仏の教えに生きた詩人の浅田正作さんは、1988年に法蔵館から出版された『念仏詩集・骨道を行く』の中に「自分が可愛い/ただ/それだけのことで/生きていた/それが深い悲しみとなったとき/ちがった世界が/ひらけて来た」と詩っている。この詩を読んだ時、私が今どう生きているのかと、問われていると受けとめた。「自分が可愛い/ただ/それだけのことで/生きていた」という生きようは、私の日常では当り前のことで、そのことが何も問題になることもなく生きてきている。しかし、浅田正作さんは、どうにもならぬ苦悩を抱え、生きる望みを失っている時に、救いの道を求め阿弥陀仏の深い願いに出遇ったのである。仏の願いに出遇うことは、私自身が阿弥陀仏の光に照らされるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


冬めいて ことば一つも 口に出ず

2017年12月12日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は、冬型の気圧配置となっているため、西部や瀬戸内側東部を中心に曇り、雪の降っている所があった。気温は3.4度から5.9度どまり、湿度は70%から64%、風は4mから8mの西の風が強くて寒かった。明日の13日は、引き続き冬型の気圧配置が続くため概ね曇る見込みらしい。

 

 朝の田圃で氷が張っているのを見かけた。ようやくに冬らしくなってきたなぁと思った。

 

 まだまだ薄い氷で、靴の先で軽く踏むと割れてしまう氷だった。

 

 今日は火曜日と言うことで、恒例の前山出勤の日。大窪寺ガイドは3月まではお休みになる。3月21日の「柴燈(さいとう)大護摩供養」まで、公式にはイベントもガイドも勉強会もない。

 

 こんな寒い中でも、歩き遍路の方が何人か休憩をされていた。

 

 先週に引き続いて、飯田家の俵札にあった納め札の確認作業である。箸袋みたいな小さな紙切れに書いてある文字を全て読み解くのである。

 

 今日も女性陣3名と、私の四人がこちら側からディスプレーに表示された文字を解読するのである。真ん中の会長は画像の操作、左の中島先生がデーターの修正をしている。

 

 今回から、こうして「くずし字辞典」を使用して解読するようになった。

 

 このアプリは優れもので、手書き文字からでもくずし字を検索できるようになっている。

 

 ところが、どうしたことか、今日は20分おきにトイレに走る。それだけ冷える・・・ということだろうか。利尿剤が突然に効き出したということでもあるまいに。

 

 午後からは自宅で続きの作業になった。来週のための予習である。

 

 左が正面のメインのPCで、ここにエクセルで作ったデ-ターを表示し、右側のPCで画像を表示する。

 

 こういう具合に大きくしたり小さくしながら解読していくのである。

 

 それをエクセル・シートに整理していくのである。ま、できることからコツコツと。

 

  今日の掲示板はこれ。「「そのうちやる」という名の道を歩いて行けば、「何もしない」という名札のかかった家に行きつくことになる・というセルバンテスの言葉から。ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラは、小説「ドン・キホーテ」(Don Quijote de la Mancha)の著者として有名なスペインの作家であり小説家。スペイン語における世界的大文学者のひとりであり、同時代や後世の作家に多大な影響を与えたことでも知られ、シェイクスピアやチャールズ・ディケンズ、ハーマン・メルヴィル、ギュスターヴ・フローベール、ホルヘ・ルイス・ボルヘス、ジェームズ・ジョイスなど多くの文学者たちに影響を与えた。(参考文献:ウィキペア+Amazon.co.jp)

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


山門は 風の出口か 落ち葉舞う

2017年12月11日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、冬型の気圧配置となるため概ね曇り、夕方から雪や雨の降る所があるらしい。気温は10.6度から5.4度、湿度は69%から60%、風は5mから9mの西の風が強く寒かった。明日の12日は、冬型の気圧配置が続くため概ね曇り、朝まで雪や雨の降る所がある見込みらしい。

 

 いよいよ本格的な冬がやってきたような朝になった。

 

 今日はお仕事のない日。図書館や博物館資料館みたいな月曜の休館日みたいなもの。奥方に頼まれていた食材やビールなんぞを仕込んでおく。

 

 もう、お正月のしめ縄や鏡餅なんぞを買っている人がいる。高齢者にはクリスマスよかお正月が楽しみなんだろう。

 

 ここでもお正月用品や掃除道具を買っている人が多かった。ここで、私は腕章を買った。例の観光ガイド用の腕章である。

 

 で、その近くにある量販店では・・・

 

 いつものインクである。この「大容量」というインクはすぐになくなってしまう。

 

 これでカラー用紙に印刷して、余分な所を切り落とし・・・。

 

 買ってきた腕章に差し込むと、観光ガイド用腕章が完成する。

 

 こういう腕章も作っておいた。

 

 お昼からはホームセンターや文具店をのぞいてきた。東かがわ市の「文遊館」である。

 

 こういうブックカバーがすぐさま、

 

 こういう観光ガイドマニュアルに生まれ変わる。

 

  今日の掲示板はこれ。「できるかできないかではなく やるかやらないか」というもの。この言葉は、いろんな人が同じように、この言葉を使っているので、どれが本当なのかわからない。いずれにしても、どんなにすばらしい希望や志を持っていたとしても、すばらしい実行力や能力があったとしても、やらなければ一生できないということだ。今「できる」か「できない」かというのは、たいして意味はなくて、できないのであれば、小さく実践して、検証して、問題を解決していくことだ。そうすれば、少しずつでもできるようになっていく。要は、やる気の問題だけなのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


冬うらら 冷めたおはぎを 食べてみる

2017年12月10日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、前線や湿った空気の影響で昼過ぎからは雲が広がり、夜のはじめ頃は雨が降るらしい。雷を伴う所もある見込みだとか。気温は1.3度から14.5度、湿度は77%から45%、風は1mから2mの南西の風が少しばかり。明日の11日は、冬型の気圧配置となるため概ね曇り、雨や雪の降る所があるらしい。

 

 今日は風もなく穏やかな初冬の朝になった。

 

 今日はひとり暮らし訪問事業の「年末訪問出発式」というものが町の公民館で行われるというので参加してきた。

 

 ところが、直前になって、またしても鼻血が流れ出した。すぐにティッシュペーパーを丸めて鼻に詰め、マスクを探してマスク姿で参加することになった。

 

 ま、時期的にマスク姿は何人かいて不審がられることもなかったので、黙って作業に参加した。

 

 さぬき市食生活改善推進員さんらが作ったおはぎ二個パックに、幼稚園児の書いた絵やメッセージで包む作業と、受け持ち区域ごとに並べたりする作業をやっている。

 

 これが出来上がると、忘年会の打合せなんぞがあった。

 

 10時半からは、事業の関係者らが集まって出発式が始まった。年末年始もあって、町の駐在さんも参加して、交通安全運動や振り込め詐欺や訴訟詐欺なんぞのお話があった。その頃になると鼻血も止まっていた。

 

 秋に調べたリストを元に、ひとり暮らしのお年寄りに、おはぎ二個とカイロのセットやティッシュペーパー5箱を配って歩くのである。今日は地区の防災訓練があるというので、午前中に5軒を訪問してきた。

 

 帰ってきて食事の準備をしようと流しに向かうと、またしても鼻血が・・。どうやら、下を向くと鼻血が流れるようだ。またしてもティッシュを鼻に詰めて食事をした。

 

 こういうものを一軒ずつ配って行くわけである。昼からもマスク姿だから、「失礼やけど、お宅はどこのどなた??」と言われてしまう。

 

 「民生委員の私ですがな・・」と言うても信用してもらえず、身分証明書を出して見せたり・・・。

 

 この集落でもおじいさんが亡くなったと聞いた。歩いていて転倒して骨折し、入院して間もなく介護施設に入ったのだが、あれよあれよ言う間に亡くなった。こういうパターンが多い。

 

 今日の掲示板はこれ。「船荷のない船は不安定でまっすぐ進まない。一定量の心配や苦痛、苦労は、いつも、だれにも必要である」というもの。ドイツの哲学者、ショーペンハウエルのことばらしい。例えばこれを『責任』、『責務』、『使命』、『信念』だと考えた場合、見えて来るものがある。それらはまるで、『作用の為にあるエネルギー』である。『作用・反作用の法則』とは、ある物体に力を加えた場合は、必ず、相手の物体からも力を受けることになる。相手から力を受けることなく、相手に一方的に力を加えることは出来ない。ということを指示した法則である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


ピラカンサ 歳暮に添えて 送りたし

2017年12月09日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていますが、寒気の影響で午後からは曇ってきた。気温は4.4度から10.0度、湿度は88%から61%、風は2mから6mの西の風が強くて寒かった。明日の10日は、午前中は高気圧に覆われて晴れる見込みで、昼過ぎからは前線の影響で曇り、夜は雨の降る所があるらしい。

 

 今日は奥方がお休みなので自宅待機になった。午後からはお歳暮などのお買い物にゆくらしい。だで、今日は宿題を片付けておくことにした。

 

 観光ガイド用のA4ファイルを作るといいと言うと、洋子女史が「わたし、パソコンないの・・」と仰る。仕方がないので、印刷してあげることになった。

 

 で、印刷を始めると、用紙がないというし、インクが少なくなったというし、これまた大変な作業なのである。実費を請求すると数千円にもなると思う。

 

 それが一段落すると、観光ガイドマニュアルの印刷もやっておく。会長からは、有料でしかも大窪寺ガイドをすることを条件にすること・・・と言われている。誰でも何でもホイホイと作ってはだめだと言い渡されている。

 

 大窪寺の観光ガイド以外のものには必要ないもの・・・と言われれば確かにそうであるし、会員以外に頒布することも禁じられている。それは確かにそうだと納得できる。

 

 これからは一冊500円で販売する。

 

 最近、トイレや風呂に入ると、なぜか鼻血が出る。「あれ、鼻水が・・」と思ったら鼻血で慌てたりする。血管がもろくなってきたんだろうか。血圧が高くなっているのだろうか。ま、しばらくすると止まるのだけれど。

 

 お中元は、いつも、このお店の天ぷらやかまぼこを送っていたのだが、ここのおばあさんが亡くなった・・・とかでお休みしている。

 

 でも、期間が長いので閉店したのかも知れないと聞いた。

 

 だから、今年からはここの「牡蠣」を送ることにした。ここは「牡蠣焼き」を楽しむところらしい。で、今日もお客さんがあった。

 

 こうして見るとのどかそうだが、けっこう、西風が冷たかった。

 

 120分で1名分で2600円から3000円というお値段らしい。牡蠣飯とか牡蠣汁も出るらしい。

 

 その後、灯油を買ったり、おうどんを送ったりとしながら戻って来た。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分の都合で他人を善人したり悪人にしたりはしない」というもの。とかく私たちは、自分に得をさせてくれる人は善人であり、損をさせる人は悪人である。相手が善人であるかどうかではなくて、自分にとってどうであるか・・。損か得かで善人にしたり悪人にしたりするかだけのことなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


年賀状 書き終えていた 昼下がり

2017年12月08日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となるため曇り、雨や雪の降る所があった。気温は6.4度から10.0度、湿度は88%から57%、風は3mから8mの西の風が強かった。すっかりと冬めいてきた。明日の9日は、寒気の影響で概ね曇り、明け方まで雨や雪の降る所がある見込みらしい。

 

 先日の火曜日に、「仏画を描きたいので来迎図を探して欲しい」と頼まれていた。

 

 来迎図と言ってもさまざまなものがあって、

 

 こういうものを、A3版にカラー印刷して10枚あまりが出来上がった。

 

 それを西芳寺さんへお届けしてきた。大黒さん(奥さん)は不在だったので院代さんに渡して戻って来た。

 

 なかなかに立派なお寺さんらしい。ここは真言宗善通寺派だと聞いた。

 

 帰りにふと、「久しくオイル交換をしていないなぁ・・。それだし、奥方のタイヤ交換のお願いもしておかねば・・」ということで、「テクニカルオート石川」さんに立ち寄った。すると、オイル漏れとかで緊急入院となってしまった。

 

 そこで代車をお借りして戻って来たが、またまた大きな出費になりそうな。で、残っていた年賀状の印刷を済ませておくことにした。

 

 退職して10年余。一時は250枚も出していた年賀状も、とうとう100枚を切ってしまった。多くは親戚や友人の逝去である。母が亡くなると、母の友人からの年賀状が一気に来なくなった。

 

 このように、奥方がⅡパターン、私がⅣパターンのⅥパターンを印刷した。

 

 この前に作ったおでんがおいしかった・・・ということで、今夜も寒いのでおでんを作っておいて・・・と頼まれた。

 

 で、実際にはこうした土鍋で温めて食べることになる。

 

 今日は娘の誕生日であり、

 

 今日、12月8日はお釈迦様がお悟りを開かれた「成道会」。成道会というのは、お釈迦さまの降魔成道(悟りを開いた事)を記念して行われる法要(行事)のことである。我が国では、釈迦は朧月(旧暦12月)の8日に降魔成道したと伝承されているので、成道会を臘八会(ろうはちえ)とも称し、この日に法要が行われる。南伝仏教では、ウェーサク祭として5月の満月の日に仏誕会、涅槃会と共に行われているという。

 

 一方、太平洋戦争開戦記念日・・というのも有名な日。1941(昭和16)年12月8日午前3時19分(現地時間7日午前7時49分)、日本軍がハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、3年6箇月に及ぶ大東亜戦争対米英戦(太平洋戦争)が勃発した。「12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」という意味の暗号電報「ニイタカヤマノボレ1208」が船橋海軍無線電信所から送信され、戦艦アリゾナ等戦艦11隻を撃沈、400機近くの航空機を破壊して、攻撃の成功を告げる「トラトラトラ」という暗号文が打電された。リメンバーパールハーバーの日でもある。

 

 今日の掲示板はこれ。「時の流れに心せよ 「まだ」は忽ち 「もう」となる」というもの。誰の言葉かはわからない。だが、この時期になるとついつい思い出す言葉。今年のお正月を迎えたのがつい先日のような気がするが、気がついてみれば、早くも 12月の上旬が終わる。あっという間の一年ではないか。先のことだ、先のことだと考えていたことが、もう、すぐそこにやってきたぞ・・・というのが、今日 の私の正直な気持ち。

 

 じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


廃屋の 農家崩れて 冬ざるる

2017年12月07日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、夜は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夜遅くには雨の降る所があるらしい。気温は今期最低の2.5度から12.03度、湿度は82%から52%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の8日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、明け方まで雨が降る見込みらしい。

 

 今日は2ヶ月ぶりの県立病院での予約診察日。8時半に病院に着いてすぐ、レントゲン室に向かった。

 

 胸に水が貯まっていないかの検査である。

 

 ボタンや金具がついてなければ、そのままでいいですよ・・というので、セーター姿のままでで胸部レントゲン検査を受けた。

 

 その後、30分ほど待たされて、検体検査ということで採血と検尿検査。このあたりも順調だった。

 

 ここは、東かがわ市という所にあるので、知った顔にはほとんど出会わない。

 

 こういうデータを毎日投入している。この24日がご法事の日で、前日から血圧が高くなっている。体重も増加している。で、ご法事が終われば血圧も下がっている。よほど、この日の法務がストレスになっていたみたい。

 

 今月に入ると、ほぼ正常に戻ってきている。

 

 でも、ドクターは、若干腹水が貯まっていると仰る。私的には全く正常な積もりだが、やはり階段の登りや重い荷物は持てない。それが腹水のせいかも知れない。

 

 で、正月明け早々の4日の日に、血液検査に検尿、胸部X線検査に心電図検査、腹部CT検査に心臓超音波検査をするという。ドクターの診察は一週間後の11日だという。

 

 私の場合は、こうした手法では根治できないらしい。胸を切り開いての心臓外科手術しかないと仰る。だから、それは最後の手段と言うことで、現在は様子見の状態。

 

 病院を出たのは10時前だった。帰りに町内の調剤薬局に寄って、薬を処方してもらった。

 

 これで28日分。朝と夕方だけでも、こんなにたくさんになる。

 

 右側が病院代で左側がお薬代。ほとんどが「利尿剤」のお値段である。おなかにたまる水分をとにかく出し続けなければ私の命は保証されない。

 

  今日の内容とは全く関係ないが、今日の掲示板はこれ。「他人の不幸は小さく見えて 自分の不幸は大きく見える」というもの。誰の言葉だったか忘れたけれど、「人間って、双眼鏡みたいなのを持っていて、他人の幸せは、大きく見えるけれど、他人の不幸は、小さく見えるんです。逆に自分の幸せは、小さく見えて、自分の不幸は、大きく見える。そこが解ってないと、一生、幸せになれない」という言葉があった。また、「いつだって、自分に足りないモノばかり数えてしまう。そんなことより自分が持っているモノを数えるべき。」という言葉も、思い出した。「本当の幸せって、それを感じ取れるチカラかも知れないな~」と思ってしまった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


初霜に 草白々と 染め抜いて

2017年12月06日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は4.3度から8.8度、湿度は70%から58%、風は4mから5mの西の風が強く冷たかった。明日の7日は、引き続き高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷や湿った空気の影響で夕方から次第に曇る見込みらしい。昨日には初霜も降りたし初雪が降った。今朝は大霜で初氷が張っていた。

 

 先月の16日から今月の4日まで、香川県立図書館はシステムの入替と資料整理のために休館となっていた。だから、今日は大勢の人が本の返却やらで大混雑だろうと思ったが、昨日に多くが返却したようで、今日はガラガラだった。

 

 昨日から開館していたら、みんなは昨日のうちに返却してしまっていたのか。私は前山出勤だから今日になったのだけれど。

 

 で、お勉強のために借りていた4冊の地獄に関する本を返却した。で、昨日、西方寺の大黒さん(真言宗の寺の奥さん)の依頼で、「来迎図」を探して欲しい・・というので、図書館システムで検索してみたら・・・。

 

 ほとんどが貸出禁止ばかり・・・。なんでも、その大黒さん、仏画を描いているのだが、今度は来迎図を書きたいので資料を探しているらしい。「それだったら、グーグルで調べたら?」というと、私はパソコンが使えないの・・と仰る。

 

 来迎図だったら法然上人だろうと、これを借りてきたが、ここにも少しだけ。

 

 これならどうだ!と開いたが、あんまり鮮明でない来迎図が何枚か・・・。

 

 これをA3版くらいに拡大できるだろうかと思案中。

 

 これをA3版にすれば下絵くらいにはなるだろうか。あ、大黒さん・・というのは、明治までは妻帯が公的には許されなかったから、台所の飯炊き女だということで、「大黒さん」と呼んだものらしい。台所には「大黒様」がお祭りされていたからだろう。

 

 さて、今、使っているメインマシンの動作が鈍くなってきた。そこで、Office2010搭載のWindows7マシンをお安く買った。Office2010のお値段だろうと思う。で、午後からは、そのマシンのインストールにかかってしまった。

 

 やはり、これが要るなぁということで、3テラのハードディスクも買った。プリンターが5台あるので、そのインストールにずいぶんと時間がかかった。無線LANの接続がうまくいかずやりなおしたり・・・。

 

 これで、ノートPCは8台になった。

 

  今日の掲示板はこれ。申し訳ありません・・・という意味で、今日は小さめの画像になった。「恵みの雨とか あいにくの雨とか ほんと身勝手でごめんなさい」というもの。雨がないと「雨が降りませんねぇ~」といい、降れば降ったで、「よく降りましたねぇ~」という。少なければ少ないで、「お湿りにもなりませんねぇ」といい、多ければ多いで、「そんなにもいらんのにねぇ・・」などという。最近では「寒くなったですねぇ」ということが多い。全く、身勝手といえば身勝手はありますことよ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


木枯らしが 古屋の屋根に 突き刺さる

2017年12月05日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、瀬戸内側を中心に概ね曇りで、雨や雪の降っている所があった。気温は5.9度から8.5度、湿度は66%から61%、風は5mから9mの西風が一時は強かった。明日の6日は、はじめは冬型の気圧配置となるため朝まで曇り、明け方まで雪や雨の降る所があるらしい。その後は高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 雨が降る日は天気が悪い。それだし、曇っている日は寒いし冷たい。

 

 今日は12月の第一金曜日ということで、今日もまた、「前山地区活性化センター」へ出勤の日。今日は大窪寺ガイド班の勉強会の日でもある。今日も大勢の歩き遍路さんが休憩していた。

 

 メンバーはほぼ一定。その上に、大窪寺ガイド班が3名プラス。今日はチーフの前田さんと六車女史はほかのご用でお休み。

 

 大窪寺ガイド班も、このようにして、ノートPCとディスプレーをつないで、パワーポイントでお勉強会。少人数なのでスクリーンに投影するほどでもない。

 

 地獄極楽を学ぶと言うことは、現世をどう生きるか・・・ということに直結する。決して昔話やあの世のできごとを学ぶことではない。

 

 大窪寺をガイドする中で、賽の河原や地蔵和讃などに触れることが多いし、志度寺ガイドでは、奪衣婆や衣領樹、閻魔大王に触れることが必須になる。それだし、六道輪廻や三悪道などに触れることもある。ガイドとしての教養科目みたいなことである。

 

 中学生への学校支援ボランティアでは、この地蔵和讃を基礎としたお話をする。

 

 こういう紙芝居形式で、両親よりも先に亡くなった子供を通して、親より先に死んではいけない。自殺やいじめはいけない・・・というお話をする。決して地蔵和讃の歌の練習ではない。

 

 これは、衛門三郎のお話から逆打ち遍路を通して、この私たちもまた、衛門三郎と同じようなこころを持っているのだよ・・というお勉強である。

 

 最後に、法衣史・袈裟史のお話である。一般的に「輪袈裟」と呼ばれているけれど、僧侶用と在家用は違うものだし、宗派によっても袈裟が違う・・というようなお袈裟の歴史と変遷を勉強するもの。

 

 五条袈裟から折り五条、畳袈裟、略袈裟、半袈裟、式章などと変遷する流れの勉強とか、

 

 五条袈裟のさまざまな使われ方なども勉強した。

 

 こちらでは、「梵字」について勉強している寒川大先達と舛本女子。さまざまな人がいるから楽しい会合である。

 

 今日の掲示板はこれ。「いいこと悪いこと 一切をひっくるめておかげさま」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。雨が降るのも晴れるのも雪が降るのも風が吹くのも単なる自然現象。雨はイヤだ、風は寒いの・・というのは人間様の都合の話。いいことも悪いこともみんながあって私が作られる。いっさいがっさいをひとくくりにして「おかげさま」なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


行く今日を 追いかけもせず 藪椿

2017年12月04日 | たまにはご法務

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、夜のはじめ頃まで雨の降る所があるらしい。気温は6.1度から11.5度、湿度は94%から72%、風は0mから2mの西南西の風が少しばかり。明日の5日は、強い冬型の気圧配置となるため概ね曇り、夕方まで雨や雪の降る所がある見込みなのだとか。

 

 今日は所属寺院、海暁山海暁閣勝覚寺の報恩講の日である。門に入ってびっくりしたのが、この本堂前の松の木である。秋の永代経の時には元気できれいな緑色だったのに、今は松喰い虫で枯死しかけている。

 

 10時過ぎに我が家を出て、勝覚寺に入った。天正十四年(1586)、徳島県、板西城主・赤沢信濃守の子息、正本法師は、丹生村小砂に勝覚寺を建立した。貞亨元年(1684)に、第九世・願故法師は、小砂坊を三本松に移し、堂宇を建立し今日に至っている。現在の明海住職は、第二十五世になり、開基以来四三一年の法灯を継承している。

 

 本堂脇にある「庄松同行」の銅像にもご挨拶。小倉右一郎氏の作という。何歳の頃か・・と質問されるが、元になった写真や似顔絵がある訳ではない。

 

 こういうお話などから作られた庄松さんの銅像なのだろうと想像している。今となっては、誰も庄松さんの顔を覚えている人なんぞいないのだから。

 

 勝覚寺は讃岐国名勝図会には、開基は明暦三年(1657)沙門正哲の草創とあるが、寺伝によると、天正四年三好氏落城のとき、その家臣板西城主赤澤信濃守は中富川の合戦において討ち死にし、天正十年(1582)赤澤信濃守の一子正本法師が菩提を弔うため、大坂天満興正寺で証秀上人につき得度し、丹生の郷小砂村に小砂坊を開基したのが勝覚寺の始めとされている。古い安楽寺末寺帖にも小砂正覚寺とあり、追加の記事にも三本松正覚寺とあり、創建も寺伝による天正年間が正確といえる。安楽寺末寺となったのは、阿波三好氏の関係であろうと思われる。

 

 正午に、この鐘を撞くのが私のお仕事になっている。

 

 私は相変わらず、トイレばかりに走っている。少し動いたらトイレ、少し歩いたらトイレ。そういう病気だから仕方がないが、そのたんびに略袈裟を外し、道服を脱がないといけない。終われば道服を着て略袈裟を掛けて・・・。ああ、ややこしや、ややこしや。

 

 13:30からお勤めになる。導師は赤沢善海さん。澄んだかわいい声が特徴である。まるで一休さんみたいな笑顔である。

 

 夏の残暑見舞いと兼ねて、秋の永代経と12月の報恩講の案内をハガキで出しただけだから、どれだけのお参りがあるかとハラハラしたが、おなじみの門徒さんがお参りにきていただいた。

 

 最近の報恩講は、この川田先生のご法話となっているようだ。明るくてやさしいお話だから、おばさん、おばあさんたちには好評のようだ。

 

  今日の掲示板はこれ。「にんげんはねぇ 人から点数をつけられるためにこの世に生まれてきたのではないんだよ にんげんがさき 点数は後」という相田みつをさんの言葉。確かに点数をつけられるために生まれてきたのではないのだけれど、ふと、見回せば、点数をつけられてばかり。今日の川田先生のお話は、「無量」。無量とは計らないことだとお話を聞いた。人間は計ってばかりだ。比較してばかりだ。でも、そうじゃないんだよと、阿弥陀さんはいうとるんやろうね。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


秋の空 手持ちぶさたの 昼下がり

2017年12月03日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は5.0度から13.4度、湿度は86%から56%、風は1mから2mの西北西の風が少しばかり。明日の4日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、朝から昼過ぎにかけて雨の降る所がある見込みらしい。

 

 気持ちの良い小春日和の朝。今日も前山地区活性化センターへご出勤。今日は「観光ガイド養成講座の六回目、「仏像の見方」という研修が行われる日。

 

 来てみると、いつもの駐車場にはロープが張ってあって入れない。今日は、ここの地区の「防災教室」が行われるのだとか。ここに消防車や救急車が入ってくる予定だとか。

 

 だから、受講生の車は「道の駅ながお」の駐車場に誘導しなければならない。昨年には十名もの駐車場係が集まったのに、今年は数名、今日は石井理事と前田理事と私の三人だけ・・・。

 

 でも、受講生は19名ほどが参加してくれて、定刻通りに講義は始まった。

 

 今日の講師は、香川県教育委員会事務局の三好賢子(まさこ)先生。1コマ目は、「仏像の見方」(基礎編)、2コマ目は「さぬき市内の仏像について」。

 

 まず、仏像とはなんぞや・・という所から始まり、「仏陀」とはなんぞや、釈迦とかはなんぞや・・みたいなところから始まって仏像の全体像にたどりつく。

 

 こうした素材や技法で時代や年代がわかるというのだが、檜の木像になると、いずれの時代にも使われてきたので、簡単には年代はわからないのだという。

 

 私も数年前には、こうして熱心に勉強したんだなぁと思いつつ、講義を聴いていた。しかしのかかし、この中から何人のガイドが誕生するかが気になる。単にお遍路が好き、歩くのが好き、歴史が好き・・・という人が多くて・・・。

 

 二講目は、「さぬき市内の仏像について」ということで、彫刻とは何か・・みたいなお話から。大きなものから削りだしていくカッティング、何もないところから盛り上げていくモデリングという話から、仏像の製作方法のお話。

 

 それから、さぬき市内の仏像についての講義があって、お昼前に講義は終わった。次回は来年1月28日で閉講式になる。

 

 午後からは、この講義が終わったことをホームページで更新しておく。小さな事からこつこつと・・・。

 

 昨日から、食事の量を半分以下にしてみた。当然、胃袋に食べ物が入らないからおなかはふくらまない。そのせいか、今日はおなかが張ることはなかったし、尿の量が減ることもなかった。

 

 その後、デスク上の全てのPCや文房具を片付けて、テーブルの掃除をしてみた。ほこりだらけだし、紙くずやお箸や爪楊枝なんぞがぞろぞろと出てきた。

 

 見た目的には何も変わっていないように見えてしまう。

 

 今日の掲示板はこれ。「教えてもらったものは忘れる。自分で盗んだものは忘れない」という小野二郎さんの言葉から。小野さんは7歳で地元の料理店に奉公に出た。その後、東京で修業。昭和26年(1951)に鮨職人となる。昭和40年(1965)に独立して、銀座の現在地にすきやばし次郎を開店した。 70歳で心筋梗塞を患って以降、禁煙している。手の保護のため、外出時は必ず手袋をはめているそうだ。寿司職人に限らず、サラリーマンでも農家でも主婦でもおなじこと。教えてもらったことはすぐに忘れる。学校で習ったことも忘れてしまう。でも、自分が苦労して体験して身につけたものは忘れない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


歴史道 秋の日暮れの 速いこと

2017年12月02日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は今期最低の4.4度から11.4度、湿度は72%から57%、風は1mから3mの西北西の風が少しばかり。明日の3日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日はさぬき市商工観光課の「ルンルン♪源平の古戦場~志度寺」というイベントが行われる日。一行はさぬき市役所に集合して、この「ことでん」という電車でやってくる。私はここでお出迎え。

 

 今日のゲストさんは12名だと聞いた。それを「おへんろつかさ」がガイドする。私は伴走と取材、写真記録である。

 

 まずは、「忠君・佐藤継信(つぐのぶ)」のお墓である。源義経の身代わりとなって倒れた佐藤継信の墓。1643年に初代高松藩主である松平頼重が新しく墓石を築き、継信の忠死を称えた。1931年には、継信の子孫が墓地の大改修を実施。現在の墓地公園に整備している。近くに太夫黒の墓もある。大夫黒とは、義経が後白河法皇から賜った名馬。一ノ谷の合戦の「鵯越えの逆落とし」で乗馬した。佐藤継信の供養の礼に志度寺の覚阿上人に贈り、死後は継信のそばに埋葬されたと伝わっている。

 

 次に向かったのが「射落畠(いおちばた)」である。源氏軍の四天王に数えられる名武将・佐藤継信が、大将の義経をかばって殉職した激戦地。継信の子孫が昭和6年に建てた石碑が残り、「胸板をすえて忠義の的に立ち」の文字が刻まれている。

 

 負傷兵や戦死者などが運び込まれたという州崎寺である。大同年間(806年~810年)に空海が創建したと伝えられる古刹。源平合戦の際は、義経軍が負傷した兵を運んだとされている。戦死した佐藤継信も本堂の扉に乗せられ、運ばれたそうである。

 

 境内には四国遍路の父、大法師「真念」のお墓もある。ここでもトイレ休憩である。

 

 サポートやガイドする「おへんろつかさ」の会員も駆けつけて、総勢40名ほどにふくれあがっている。こうした石材の町「牟礼(むれ)」の町並みを歩く。

 

 大勢の参加者が見つめている物は・・・。

 

 那須与一が扇の的を射た「駒立岩」である。那須与一は、海の中にあったこの岩まで馬を進めて足場を定め、波に揺れ動く船上の扇の的を見事に射落としたと伝えられている。 その後、「いのり岩」も見学した。那須与一が扇の的を射るとき、「南無八幡大菩薩、わけても私の生れた国の神明日光権現、宇都宮那須大明神、願わくばあの扇の真中を射させ給え」と祈りを捧げた場所。那須与一は、ここから駒立岩へと向かったのである。

 

 私が何度もトイレを借りた、マルナカ八栗店である。ここで、お昼の弁当も買っておいた。一行は安徳天皇の御行在所(ごあんざいしょ)となった六萬寺に向かった。

 

 源平合戦、平家一門の都落ち~一の谷の合戦の間と屋島合戦のおりの二度にわたり安徳天皇がこの寺におとどまりになられたという言い伝えにより安徳天皇御行在所と呼ばれている。仮の御所という意味らしい。

 

 8時半に歩き出して12時少し前には道の駅「むれ」の到着。ここは非常に混んでいるということで、昼食は自己解決。うどん屋に行く者、ラーメン店に走る者、ここで行列して食べる人、お弁当やらおにぎりやらとさまざま。12時50分にここを出発。

 

 四国霊場86番札所「志度寺」さんに着いたのは14時少し前。ここからは「志度寺ガイドチーム」がガイドする。寿永四年(1185)2月19日、屋島の戦いで平家の強豪能登守教経の強弓に狙われた、九郎義経の身代わりとなって、源氏の四天王の一人佐藤嗣信が忠死した。嗣信の戦死を悲しんだ、九郎義経に召されて引導を渡したのが、当時の志度寺の住職覚阿上人である。引導を渡したお礼として、九郎義経から一の谷、ひよどり越えの合戦にも参加した名馬「大夫黒」と太刀一振が贈られ、その寄進状が志度寺に残されている。

 

 この霊塔は昭和6年5月、嗣信30代目の子孫である山形県の佐藤信古が、先祖がお世話になったお礼と、覚阿上人追福のため建立したものである。名馬「大夫黒」は、飼育せられていた鴨部・極楽寺から抜け出して、嗣信の墓の側で死んでいたと言う物語もある。ということで、14時30分過ぎに終了、解散となった。

 

 今日の掲示板はこれ。「どうせするなら気分よく 重い荷物も軽くなる」というもの。私自身に言い聞かせたい言葉を選んでみた。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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