まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

気高くも 高砂ユリの 花の白

2015年08月16日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 丸亀地方は前線の影響で雲が広がり、夜は雨が降る見込みらしい。気温は24度から32度、湿度は86%から60%、風は1mから4mの北北東の風が少しばかり。明日の17日は、前線や低気圧の影響で雲が広がり、雨が降りやすい見込みらしい。

 

 賑やかな一夜が明けると、お盆休みの爆音族の競争とセミの大合唱で起こされた。昨夜のお客さんの半分は帰ってしまい、後の半分はそのあたりでゴロゴロと寝ていたが、田舎のおじさんらしく6時過ぎから起き出して早々に帰ってしまった。

 

 最後に残った私たち二人だったが、9時過ぎに、私も「じゃぁ、私も広島に帰りますわ~」と、いうことで、わが家を出た。後には奥方一人きりが残ることになった。奥方は今日はぐっすりと寝るのだそうだ。

 

 途中、三男の「たっくん」ちへ寄って、島の家の草刈りに誘って、丸亀港近くのスーパーで食材を調達して丸亀港に着いた。

 

 11時10分発の高速艇「ニュービサン」に乗り込んで、しわく広島に向かうが、大阪からの高校生の一団、30名ほども乗り込んできた。バレーボール部の広島での「讃岐合宿」なんだそうだ。

 

 今日もまた、蒸し暑い夏の日なのだが、照りつけるような暑さはなくなった。

 

 ところが今日もハプニング。島の軽トラのキーがない。いくら探しても。だから仕方なく歩いてわが家まで行くことになった。知り合いの人でもいれば送ってもらえるのに、今どきでは知った人にも出会わない。元気なのは合宿に来ている高校生くらいなもの。

 

 島の家のスペアーキーを取り出して、またも徒歩で港まで行かねばならない。徒歩ではおよそ10分くらいなもの。

 

 今回の目的は、またしても島の家の草刈りである。この19日から京都の大学生一行がやってくるというので、その前準備である。

 

 私と弟のたっくんとで、家の周囲の草刈りである。今日は薄曇りであったせいか、あの、お盆前のギラギラとした暑さはなくて、汗は出るものの、苦しい作業にはならなかった。

 

 およそ一時間の作業で周囲はさっぱりとした。今度は秋祭りの頃に草刈りだろうか。

 

 さっぱりとしたら、シャワーを浴びて洗濯を済ませ、夕食までは昼寝をしたり読書をしたりでのんびりと過ごす。ここは奥方パワーから脱出できる「治外法権」的、男の隠れ家でもある。今夜は静かに男の宴会を楽しむ予定・・・。

 

 高校生たちの歓声も聞こえなくなって静寂の戻った塩飽広島である。

 

 今日の掲示板はこれ。「見る気がなければ何も見えない。聞く気がなければ何も聞こえない」という荒了寛さんの言葉から。だからと言って、何でも見たがって、余計なものまで見てしまい気になってしまったり、何でも聞きたがって、余計な事まで聞いてしまい不安に陥ってしまったり。他人の事も、自分の噂も、事実とは違ってる事が勝手に出回っているということはよくある話である。そういうことに翻弄されない心構えが必要な時代でもあるなぁと感じる今日このごろである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


正座して 正午の慰霊の 鐘を聞く

2015年08月15日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は朝鮮半島付近に中心を持つ高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は22度から31度、湿度は92%から56%、風は2mから1mの東北東の風が少しばかり。明日の16日は、高気圧に覆われて午前中は晴れますが、前線や低気圧の影響で次第に雲が広がり、夜には雨が降る見込みらしい。

 

 さて、わが家では、お正月とお盆には親戚一同が集まって、宴会をする風習がある。昔、このあたりでは普通に行われてきたが、近年では過疎化と高齢化核家族化などによって、そういう風習も少なくなってきた。

 

 昔は娯楽も少なく、働くばかりだったので、こうした機会を捉えて、親戚一同が仏前に集まって、日常に感謝して、精一杯のご馳走を食べて情報交換をし、親戚の絆を確かめ合ったものだと思う・・・。これを、「正月礼」、「盆礼」と言った。

 

 で、当主は、仏前を荘厳し、ご馳走を準備して来客を待つ・・・。いつもは、8月16日のお昼・・・ということになっているのだが、今年は、二男から15日の夕方16時からだと言うので、それなりに変更して準備をした。この夕方というのは実に時間が永い・・・。

 

 で、二男家族5人、三男家族3人、娘家族4人にいとこ3人などで、総勢17人という近年珍しく多数の食事会になった。

 

 いつもは二人だけのわが家が、珍しく明るくにぎやかな楽しい日になった。

 

 予定していた席数を大幅に越えて、特別席までできてしまった。で、こういう場合には、ビールを冷やすのが間に合わないから・・・ということで、生ビールのサーバーをお借りして、19㍑の生ビールを用意したが、今年は時間内に完売となった・・・。

 

 少し前には叔父さんや叔母さんらが中心だったが、今年は私が最高齢になってしまって、おいや姪がはばをきかせるようになった。

 

 女性陣はみんなで「瀬戸の花嫁」を歌ったりして・・・。甥(弟の息子)に嫁が来たりして花嫁たちがあたらしく家族に加わったからである。

  

 最後は花火大会で締めくくったりした。

  

 で、わが家に泊まる人あり、帰る人ありで、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうのであった。

 

 今日の掲示板はこれ。「蓮は泥沼で華開く 憂世の苦しみの中でこそ人は磨かれる」というもの。お釈迦様は「高原陸地に蓮華生ぜず、卑湿汚泥にこの花を生ず」と話された。蓮華は泥中にあって、はじめてきれいな花を咲かせる。泥なくしては決して美しい花は咲かない。泥が大切で、泥があってこそはじめて咲く蓮華である。泥を如何にして肥料として昇華していくべきか、私たちの生きて行く道にも泥中に学ぶことがたくさんありそうである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


咲いて散る 盆の花火の 色の跡

2015年08月14日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨や雷雨となっている所があった。気温は24度から33度、朝方は肌寒さを覚えたものだった。湿度は90%から54%、風は1mから4mの北北西の風が少しばかり。明日の15日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 昨夜はいきなり激しい雨が降ったり雷鳴が轟いたりと賑やかなことだった。そのたんびに窓を閉めたり開けたり、洗濯物を取り込んだり広げたり・・・。

 

 そうそう、昨夜は奥方と二人でひっそりとお盆勤めをしたことだった。

 

 さて、恒例の資料館巡りはここになった。さぬき市志度にある「平賀源内記念館」である。現在の志度(旧志度町)で生まれた江戸時代の奇才、平賀源内は発明の才に富み、洒脱の気風があり、エレキテルの復元、本草学の著書、戯作浄瑠璃を発表したり、西洋画や源内焼を広めたりと天才的な業績を残している。

 

 その源内が残した発明品や著作は、「平賀源内記念館」に陳列されている。この記念館は、これまで源内に関する資料を展示していた平賀源内先生遺品館が手狭であったことから、近隣にあった旧銀行の建物を改装し、名称を変え、平成21年3月に移転・新装オープンしたものである。

 

 展示されているものは貴重なもの(当然だが)のようで、「撮影禁止」である。

 

 これが、ぜひとも見ておきたかった「物類品隲(ひんしつ)」である。でも、手の届かないショーケースの中にある。

  

 この本の中に、この絵の「原画」があるので、どうしても見たいものである。

 

 が、ここでは、このページは開いていなかった。

 

 一般の方は、どうしても、「平賀源内」と言えば「エレキテル」ということになるらしい。このおじさんが操作しているのが、そのエレキテルで、蛍光灯が一瞬だけピカリと光る・・・。

 

 で、500円の入館料を支払うと、記念館と、この、源内先生旧宅と薬草園の入園料金がセットになっている。本来は、こちらが、「平賀源内遺品館」だった。

 

 最初の頃は、この「遺品館」で展示が行われていたのだが、資料が多くなりすぎて、次には、隣の「生家跡」が資料館になっていた。薬草園もその頃から整備されていた。それが、近年になって、新しく「記念館」として再スタートした。

 

 源内は妹にこの家を任せ、妹は婿と一緒に「酢屋」を始めたらしい。その作業場が生家の土間として残されており、それらを一時保管した蔵があったが、その蔵の跡を後世になって薬草園にしたらしい。

 

 生家脇に立つ平賀源内の銅像である。作は「小倉右一郎」。

 

 源内さんのお墓は、四国霊場86番札所志度寺門前の「自性院」の境内にある。

 

 今日の掲示板はこれ。「千万(ちよろず)のいのちの上にさづかれし 平らけき世を生くる悲しさ」という大谷嬉子元西本願寺お裏方さまのお歌から。

      「海をよごし
       川をよごし
      空をよごし
       あさましい人間 
      然し地球は
       このあさましい人間を抱いて
      悠悠自転している」

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


客もなく 迎え火もなく 風呂洗う

2015年08月13日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は低気圧や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は朝方は低く22度から29度、湿度は91%から75%、風は1mから2mの南西の風が少しばかり。明日の14日は、湿った空気の影響で雲が広がるが、昼過ぎからは高気圧に覆われて晴れて来る見込みらしい。

 

 ということで、この時期恒例の「資料館巡り」で、今日はここ、「香南歴史民俗郷土館」にやってきた。「古きをたずねて新しきを知る」という言葉があるが、その昔は南北朝時代(1300年代)のこと、京都から讃岐に渡ってきた由佐秀助という武将がおったらしい。足利尊氏の元で功績をあげ、この地を賜って、ここに由佐城を築城した。この郷土館は、その居城跡に城の土塁といわれるものなど、古い屋敷の一部を大切に活かして庭を造り、城をかたどって創られた郷土館である。

 

 この土塁が当時の物だということである。このお城みたいな建物ができるまでは、荒れ放題のお化け屋敷みたいなところだった。

 

 由佐家に残された史料の中に『長宗我部合戦記』があり、それによると、天正11年(1583)四国平定の最後の段階に入った長宗我部元親は、羽床城を落とし、由佐城に押し寄せて来た。由佐氏は少ない人数で敵の大軍を引きつけ果敢な戦をしたが、合戦の末、元親勢との和議に持ち込んだ。この後、元親は三谷、香西と攻め、四国は全て元親に平定されたのであった。

 

 この穴は、クマゼミの出てきた穴なんだろうか・・。あまりにも見事すぎる穴ではある。

 

 さて、ここへ何をしに来たかというと、これである。「鯉を取らないように・・」という訳ではない。「昔の遊び・学び」というものを見に来たのである。

 

 ここは、割と楽しくて質も良くて量もほどほどにあるので、毎回、楽しみにしているのである。で、今回は、どんな展示が見られるのだろうかとワクワクしながらやって来たのである。

 

 これは、「五目並べ」という遊びである。

 

 コマにけん玉、輪投げ、達磨落とし・・・は、子供の遊びの定番だった。これに、ビー玉、メンコ、チャンバラ、竹馬、縄跳び、ゴム跳び・・・。

 

 と、思っていたら、「ファミリーコンピューター」やら・・・

 

 「スーパーファミコン」・・・。

 

 マージャンに花札・・・。これ、ホンマに子供が遊びよったん・・・??

 

 これを作って体験するのだが、もう、すっかりと作り方を忘れてしまった。

 

 これが、最近のこどものおもちゃらしい・・。教えられても、何がなんだかわからない。

 

 今日の掲示板はこれ。「子を持って知る親の心 子を持って忘れる子の心」というもの。この標題の『子を持って忘れる子の心』というのは、明らかに先の『子を持って知る…』を踏まえた逆説的な箴言(しんげん)=「比喩」あるいは「格言」の意 である。解説するまでもないが,「自分が親になるまでは子どものように自由な心を持ってのひのびと生きてきたのが、子どもを持ってしまうと、ついつい、そのような心を忘れて、子どもを厳しく叱りつけてしまう」という反省や自戒の表現なのだろう。 子どもは直観的に『子の心』を忘れてしまった『大人』を見ぬいている。これは上辺の言葉や態度で飾ることのできないほど人間の本質なのかも知れない。

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


盆の墓 大きな仕事を 残しつつ

2015年08月12日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は対馬海峡付近にある前線を伴った低気圧の影響で雲が広がり、雨が降っていた。今日の香川県は、低気圧や前線の影響で雲が広がり、雨が降りやすい天候になった。気温は24度から29度、湿度は81%から88%、風は2mから1mの南南西の風が少しばかり。明日の13日は、引き続き低気圧や前線の影響で雲が広がり、朝を中心に雨が降る見込みらしい。

 

 朝の涼しい間にお墓の掃除をしてきた。でも、どこからか人間様の臭いをかぎつけて、アブやブヨが攻撃してくるので早々に作業を切り上げた。どうにも、こういう虫たちには弱いのだ。

 

 来月末にも、東かがわ市で講演会があるので、その取材を兼ねて、徳島県板野郡上板町にある「岡田製糖所」にやってきた。言い伝えでは旅の修行僧が立ち寄ったとき、九州において同じような土質で砂糖黍が栽培されていた事を土地の者に伝え、それを知った丸山徳弥(後年、丸山姓をもらう)と言う若者が単身日向の国に赴き、砂糖黍の苗と製法を修得して帰って来て、この地に砂糖黍栽培の礎を築いたと言われている。

 

 だから、讃岐の和三盆糖と、この阿波和三盆糖とは、全く別の発端から始まり、全く異なった歴史を持っていて、全く関連のない和三盆糖であることがわかる。ここは、岡田製糖所の資料館である。

 

 当時作られていたのは白下糖であり、これだと簡単な設備で製造できた。やがて白下糖を精製して白い砂糖を作り出す技術があみ出され、和三盆糖の製造が始まることとなった。世界にも例をみない、水で研ぐという和三盆糖精製の方法は、どのようにして発見されたかは良くわかっていない。「昔、樽に入れた白下糖を運ぶおり、過って川に落としたものを引き上げたところ、上部が水で洗われて白くなっていた。」と言う話も有るのだが、物語としておくべきかも知れない。石の重石を架けて、てこの原理で糖蜜を絞り出す「押し舟」と言う方法は、明らかに当時の酒屋の糟絞りを流用したものと思われる。

 

 ここには、明治から大正、昭和までのさまざまな機械類が展示されている。省力化、生産性の向上のために、いろいろと工夫した様子が見て取れる。

 

 すぐ近くにあった、「上板町立歴史民俗資料館」にも寄ってみた。ここは210円の入館料が必要だった。

 

 町立の資料館ということで、町内外の雑多な資料が所狭しと並べられている。ここは、男性職員が直々に案内をしてくれて説明までしてくれた。この一番奥に、砂糖に関する資料が展示されていた。

 

 これがサトウキビを絞る「締め機」であるが、讃岐の物とは石材が違うが、構造や洋式はまるきり同じもの。道具もほぼ同じものが使われていたが、讃岐との交流なんぞは微塵もなかった。

 

 これらの野道具の多さには驚いた。とにかく、なんでもかんでも投げ込んである・・・という感じ。

 

 新しいお客さんがやってきたので、交代して私は資料館を出た。そして、今度は大坂峠を越えて香川県東かがわ市に戻って来て、「東かがわ市歴史民俗資料館」を訪ねた。

 

 ここにも若干の製糖器具が保管されていたが、民具や漁具の方が目立っていた。

 

 これで見ると、讃岐の「白砂糖」がダントツであることがわかる。薩摩の特産品であった砂糖は「黒砂糖」だったのか・・・。そして、阿波の和三盆糖も高順位につけている。

 

  この三連式の締め機は、久米通賢が改良したものだと言われている。

 

 この砂糖締め機(圧搾機)は、簡易締め小屋や、こうした「常小屋」に据え置かれていた。

 

 これは、平賀源内が紹介した中国の圧搾機である。最初はこれをコピーして使っていたらしい。で、圧搾胴は、木製であったらしい。これを、久米通賢が讃岐の庵治石に替えて効率化を図ったという。

 

 これは、大坂に送られた全国からの砂糖の流通量である。ここでもダントツで讃岐高松が多い。これで、讃岐三白のうちの、讃岐二白(砂糖・塩)が讃岐高松藩の特産品であったことが伺い知れる。あと一つは讃岐丸亀藩からの「綿」であった。

 

 今日の掲示板はこれ。「わたしでは役に立たぬとなげきつも お礼を申す大仕事あり」というもの。 私たちは親の愛情や苦労を当たり前のことと思ってばかりではないだろうか。一生懸命働く親の姿に目が向かず、お礼申すことを忘れ、自分のことばかりに目が向いていることが多々あるというもの。 親はそんな子供の姿に関係なく、子供のために一生懸命なのである。朝から晩まで働きづめの親であったのだ。お盆に入ってみて、あらためて生前の母を思い出してみると、私は母の休んでいる姿を見たとこがないように思う。私たち子供のために、朝早くから夜遅くまで一生懸命に働く母の姿ばかりが思い出て来る。一生懸命働いた母にありがとうとお礼を言ったことは一度もなかった。その、お礼を申すという大仕事が残っている・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


雲湧いて 空を見上げる アイス菓子

2015年08月11日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は26度から34度、湿度は96%から54%、風は2mから3mの南南西の風が少しばかり。明日の12日は、気圧の谷や暖かく湿った空気の影響で雲が広がりやすく、夜は雨の降る所がある見込みなのだとか・・・。

 

 今日は町内にある「雨滝自然科学館」という所に行ってきた。雨滝山南山腹の森林浴公園内にあって、自然の中で文化・自然が学べる体験型環境学習施設なのだという。室内外で自由に活動できるので、子供たちが主体的に五感を使い、楽しく遊びながら歴史や文化などを学ぶことができるというのだが、私に言わせれば、自然科学の楽しいガラクタ箱。

 

 玄関先にいるのがこれ。「白いナマコ」。近くの海で採れたものを寄贈してもらったらしい。突然変異で白くなっただけのものらしいが、珍しいものだとか。

 

 このチラシを見かけたものだから、これは珍しいじゃないか・・ということでやってきたというわけ。讃岐の国ではアンモナイトは見つからないし、採取はできない。若い頃には淡路島の北端あたりまで行って探し回ったが見つからなかった。

 

 これらのアンモナイトは、北海道からお借りしたものらしい。大きいものだと、直径50センチ以上もある丸太のようなものから、小さい物はボタンのような小さいものまで。

 

 これは化石をクリーニングしたもの。まるで金属工芸品のように見えるが、アンモナイトの化石である。

 

 実に、大小さまざま・・・。形も姿もさまざま・・・。

 

 これらは、スプリングみたいな「異常巻き」で、きれいな巻き貝になる以前のものらしい。

 

 で、生きていたころには、このような形をしていたらしい。まるでタコやイカの先祖がヤドカリのように住んでいたらしい。オウム貝も、この仲間らしい。

 

 今日は、「夏休み親子教室」ということで、10人ほどの子供さんが化石発掘の実習をやっていた。

 

 で、昨日は「アイス最中」を食べてベタベタになったので、今日はベタベタにならない、アイスキャンディーの「ガリガリ君」に挑戦してみた。

 

  今日は早く早く・・・という気持ちで食べたので、崩れることもなく、氷が溶けることなく見事に食べた。1本当たり・・・とあったが、こんなもの1本下げてお店まで行くのも面倒臭いので捨ててしまった。子供の頃ならば、鬼の首でも取ったみたいにはしゃいで飛び出すのだろうけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。いつもの赤松先生のお寺にあった掲示板から。「九条もて 平和維持せよ 敗戦忌」というもの。どこのどなたの句か存じ上げないが、賛成、反対の議論のある「安保法制」をじっくりと考えてみなければならない夏である。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


セミ時計 そろそろ日記を 閉じようか

2015年08月10日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は26度から34度、湿度は92%から64%、風は2mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の11日も、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みなのだとか・・・。

  

 今日から、島の家の草刈りに行く予定だったのだが、こう、暑いと草刈りどころではないなぁと、島に帰るのをやめにした。お盆明けにちょこっと帰って来ようかなぁと思っている。お客さんがおいでになるのは、20日ごろからだと聞いているのだし・・・。

 

 さて、例の「国会図書館への納本」の件だが、いつまでも捨ててもおけないなぁということで、改めて製本することになった。「まほろば工房」は予約制のの注文印刷だから在庫なんぞは置いていない。元もとが、「世界に一冊だけの本造り」「本屋さんに売っていない本を作ろう」というのがコンセプトだから、頼まれてから印刷製本という作業になる。

 

 で、印刷にかかったら、お決まりのように、エラーメッセージが出て来る・・・。

 

 「トナーがなくなりました。トナーを交換してください」というメッセージである。急ぐ時に限って、いつもこうなんだ・・・。

 

 で、トナーを交換して安心していると、今度は、こちらからもエラーメッセージが出て来る。

 

 そうこうしていたらば、見慣れたお寺さんがテレビに写っている・・・。

 

 四国霊場88番札所の大窪寺さん。で、さぬき市から甲子園に行った高校が、初戦で敗退したとのこと。なんまんだぶつのお疲れさん。

 

 で、出来上がった4冊の本を製本して、送る準備が着々と進んだ。

 

 宛先もちゃんと準備してくれていたから、このシールを貼ればいいようになっていた。

 

 私の方も、こういう大きなシートを用意しておいて、これを貼り付ければおしまい・・・。四冊を書籍扱いで460円だった。

 

 あんまりにも暑いので、冷蔵庫にあった、こんなものを取り出してきた。高校のテニス部の部活の後で食べて以来だ。社会人になってからはお菓子や甘い物は一切と食べなくなった。ここに、パリパリッ”と書いてあるので、いきなり、パリパリ・・と袋を切り裂いて捨ててしまって・・・、

 

 この状態で、これを食べたら、パソコンの周囲から、テーブルの上から、シャツからズボンからが溶け出したミルクでベトベトになってしまった。どこが、「パリパリッ!」なんじゃらほいと思ったことだった。やはり、袋のそのまんまで食べたほうが良かったのかしらん・・・。

 

 山の日暮れは早い。15時半を過ぎたらカラスが帰ろう・・・と呼びに来るし、ヒグラシが「カナカナカナ・・・」とカタカナで啼いている。最近は、ツクツクボウシが、「御免やっしゃ~、御免やっしゃ~」を連呼している。

 

 今日の掲示板はこれ。「ウソくらべ 死にたがる婆 とめる嫁」という川柳からのもの。姑(しゅうとめ)は、嫁が自分を大事にしないので、「わたしも歳だし、死にたくなった」と嫁に嫌味を言うのである。本心はもちろん死ぬ気などサラサラないのだから、真っ赤なウソである。
ところが嫁は嫁の方で、「お母さん、何を仰るんですか。お母さんはこの家の柱じゃありませんか。百までも千までも長生きしてくださらないと、私たちが困ります」と、心の中では“いつまで生きているつもりだろう。いい加減に死んだらいいのに”と思っていながら、役者よりも上手に演技する。こうして、嫁も姑も、心にもないことを言い合って、ウソくらべをするのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


長崎の 鐘の音遠く 草を引く

2015年08月09日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は26度から33度、湿度は90%から66%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。とにかく、「暑い」の言葉ばかり。今日も「高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みです。暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとってください。」というお願いばかり。明日の10日も、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日は、「前山をよくする会『88クリーンウォーク』」ということで、おへんろ交流サロン周辺のゴミ拾い活動に参加してきた。朝の6時半集合、7時から作業開始・・。歩き出してすぐに汗が噴き出してきた・・・。

 

 ゴミ袋と火箸持参で、お遍路さんが歩く道をみんなでゴミを拾って歩く。

 

 道の反対側とか、それぞれ、思い思いの方向に歩き出す。この日は80人ほどの人出だったように思う。

 

 この看板は草むらの中から私が拾ってきたもの。この頃は一番乗りだったから、こんなものだったが、やがてにみんなが戻ってくると・・・。

 

 空き缶、ペットボトル、空き瓶、陶磁器・・・・と、個別に分類されてまとめられる。

 

 8時を過ぎると気温がぐんぐんと上昇してきた。その後、「おへんろつかさの会」の渡邊会長から、「真念『四国遍路道指南』から見た現代の四国遍路との比較」という研修会があった。会場の「おへんろ交流サロン」の研修室は超満員になった。

 

 私は、昨日、家内のお兄ちゃんから廃棄を依頼された物品の確認作業。「個人情報をことごとく抹消して廃棄して欲しい・・」というので、こうしたスマートメディアやSDカードなんぞで使えるものはフォーマントして保管し、使えないカセットテープや3.5インチ2HDのメディアとか、MDなんぞのメディアは破壊処分・・・。

 

 これらのメディアには音楽データが入っていたのを完全消去。

 

 これらのパソコンは、WindowsXpの初期のものらしい。2007年以降のデーターはないから、その時期から後はパソコンにも触っていなかったらしい。これらのPCには「PC-トーク」とかいう音声案内ソフトが入っていてやかましい。目の不自由な兄が使えるようにセットしてあったものをアンインストールして音が出なくした。

 

 このカメラも「お宝」かなぁと期待していたが、単に古いものだけで、お宝ではないらしい。しかしのかかし、眼の見えない兄が、どうやってこれで写真を撮ったのかが気に掛かる。これからは一切、音は出ないし、案内もしてくれない。

 

 マニュアル・取説の間から出てきた「お宝」。この、産廃処理費が、「410円」なのかぁ・・・。

 

 奥方のけいこばぁも、今日は疲れ切って寝てばかりいる。夜も暑くて安眠はできなかったみたい。わが家の昨夜は寒いくらいだったのだけれど、山は山で、朝から「爆音族」の若者が3時過ぎから走り回ってうるさいこと。4時になればヒグラシが鳴き出すし・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「あるがままに生きる ないがままに生きる」というもの。荒了寛さんの言葉かも知れない。今の現代に於いては、なかなかに、こういう生き方は難しいのだが、要するに「財布の中身と生き方」とは関係するように思う。財布の中に余裕があれば、「あるがままに生きられる」し、財布の中身がさみしくなれば、「ないがままに生きる」しかない。わが家の今月もまた、「ないがままに生きて行くしかない」のである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


この命 どんなに生きるか 黒アゲハ

2015年08月08日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 神戸市地方は北部では高気圧に覆われて概ね晴れていたが、中部や南部では上空の寒気や湿った空気の影響で雨や雷雨となり、非常に激しい雨の降っているところがあった。気温は28度から35度、湿度は96%から59%、風は1mから4mの西の風が少しばかり・・。明日の9日、高気圧に覆われて晴れるらしいので、高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みで、暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとって欲しいということだった。 

 

 今日も朝から蒸し蒸しとして暑い朝になった。お施主さん二人の寝室にあるエアコンを、玄関からダイニングキッチンから居間からの20畳以上を冷房するのだから、私たちはサウナ状態で寝ていた。私はキッチンのフローリングの床の上で寝たものだから背中や関節が痛い・・・。

 

 で、町の住宅地だから朝の物音はすごい。だから、4時くらいから起こされて、寝てなんぞいられない。お店が開くのを待ちかねて、朝涼みを兼ねてホームセンターに行った。洗濯用洗剤・台所用・トイレ用・食器用などの洗剤を買ったりと不足品を用意しておかないと生活が出来ない。

 

 今は、二人とも放心状態・・。狭いマッチ箱のようなアパートに住んでいたのが、だだ広いシルバー住宅に入ったことだし、周囲の物音が違う、やってくる人が違う、手に触れる感覚が違う・・・。ともかく、この生活になれてもらわなければならないのだが、どうにも環境に順応できていないみたい。

 

 ともかく、私たちは、その応援しかできない。私たちが毎日サポートはできないのだから、基本的な用意だけはしておきたいと・・・。

 

 あとは、この、「あんちゃん夫婦」が生きる希望を持って、二人で生活をして行ってもらわねばならない。

 

 で、お昼と夕食の準備をして、私たちはお昼前にここを出た。やってもやってもキリがないし、私らが動けば動くだけ期待感が生まれる。いいところで切り離さなければ、ずるずるとした兄と妹が馴れ合いになってもいけない。「かわいい子には旅をさせろ」の心境だ。

 

 で、私たち夫婦は、お手伝いをしてもらった、「よしつぐさん」と会食になった。反省会という名目だ。「お疲れさん・・」というのが本音のところ。

 

 私はとにかく冷たいものを・・・ということで、「冷麺」になった。けいこばぁは単純に「ラーメン」。

 

 ともかく、涼しい場所で、おいしいものを食べたい・・・というのが正直な気持ちだった。

 

 楽しいお食事会が終われば、一路、讃岐を目指してひた走ることになる。途中、何カ所かでトイレ休憩をしながら・・・淡路島を走り抜け、徳島自動車道を通り過ぎて・・・。

 

 今日は、高松自動車道を走って、坂出インターまで走る。わが家のあるさぬき市を素通りしてしまう。坂出インターからを抜けてからは丸亀市に入り、丸亀市飯山町から、丸亀市綾歌町に向かう。ここで、預けておいた、「迷犬ごん」を三男「たっくん」ちで受け取って、そこからわが家に向かう・・という大変則行路。

 

 ということで、今日も短文で、今日の絵日記の宿題を書き終えておくことにする。

 

 今日の掲示板はこれ。「大切なことは何年生きてきたかではなく 何をして生きてきたかということです」という、荒了寛さんの言葉から。「あんちゃん夫婦」を見ていて、確かに確かにそうなんだ・・・ということを改めて感じたことだった。あの夫婦、これから先、どんな生きがいを見つけて、どんな生き方をするんだろうか・・・ということをこの身でしみじみと感じたことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


晴れた空 洗濯物が よく乾く

2015年08月07日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 神戸市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、上空の寒気や湿った空気の影響で、雲が広がり雷を伴い激しく降っているところがあるらしい。気温は29度から35度、湿度は98%から64%、風は2mから5mの南西の風が少しばかり。明日の8日は神戸市では、高気圧に覆われて概ね晴れるけれど、午後は雨や雷雨となるところがある見込みらしい。

 

 某大手通信会社に勤務した時の初任地がここだった。神戸市兵庫区は庶民の町だったが、ゴム工場とか靴屋さんとか製糖工場なんかもあった。この近くには製粉工場もあったように思う。向こうに見える「富士通・テン」は、その頃からあった工場で、当時はトランジスターやダイオードを作っていて、捨てられた不良品のトランジスターでバッジなんぞを作った記憶があった。

 

 ここに目の不自由な兄弟がいて、その人たちがアマチュア無線のアンテナを立てられずに困っていたのを手伝ったことから、その兄弟のお世話をしていた。高い場所は得意だったし、お手伝いをすれば、ビールやご馳走にありつけた。田舎から出てきた私は、身寄りもなく、この兄弟のお世話をし、お世話にもなった。その一番下の娘さんが・・・今の奥方のけいこばぁであるというわけ。で、今日も、段ボール箱との格闘になった。

 

 この整理タンスの中に日常の衣類が入っている・・というので、この前を片付けた。そして、この壁面上段にエアコンが設置されることもあって、ここは開けておかねばならない場所だということで・・・。

 

 ということで、取りあえず、「あんちゃん夫婦」が生活できる状態までには片付いた。

 

 で、お昼を過ぎてから、(それまではケアマネさんとか、介護サービスの担当者だとか、ゴミ収集業者さんだとか、介護ベッドのリース会社の方だとかの来訪や契約業務があって)この電気屋さんに行って、エアコン設置のお願いに行ったり、生ゴミ用の容器とかIH用お鍋やフライパンの購入、お昼の食材やら飲み物、夕食の食材なんぞの買い出しにも行って来た。

 

 で、14時過ぎからのお昼になった。もう、「行け行けドンドン」で、シャケ弁に缶ビール付きで宴会気分。飲まずにやっとれるか・・・みたいなところもあって。エアコンが付くのはお盆前だということで、今夜も私ら二人はエアコンなしのサウナ風呂状態で寝ないといけないのだとか・・・。

 

 これが、その、お施主さん。二人とも昼間からビールを飲んでご機嫌な様子・・。私ら二人は、まだまだ作業があるので、そんなに浮かれてばかりもいられない。

 

 神戸の町は34.8度とか言うていたが、このあたりでは、まだまだ涼しいと思った。

 

 ここは、シルバー対応とかということで、午前・午後の見守りサービスがある。だから、玄関のチャイムは鳴りっぱなし・・・。少しでも対応が遅いと監視員さんが部屋まで入ってきて安否確認を行う。それでも異常があると、奥方の携帯に音声通知が発報される仕組み。

 

 この間にも、あんちゃんの奥さんが靴下が滑ってこけた(転倒)して大騒ぎになったり、風呂場でこけて捻挫をしたとかで・・・前途多難。このように台所は使えるようにはなったけれど、当分は調理は無理だということである。

 

 でも、衣料品とかは、お施主さんの好みとかがあるので、このままになった。で、次回(約三ヶ月後)に来たときに、不要品を処分する予定。たぶん、三ヶ月後でも、このまんまになっているのだと思う。目の不自由なあんちゃんと、痴呆症が進んできたあんちゃんのお嫁さんなのだから・・・。

 

 今回のミッションはほぼおしまい。完全ではないけれど、概ね、見通しが付いた模様。明日は帰宅の準備をして讃岐に戻る・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「私の人生を変えられるのは私だけ。誰も私のためにそんなことやってくれないわ」というもの。キャロル・バーネットは、アメリカのテレビ・ミュージカル女優。コメディアン。ブロードウェイで舞台デビューし、テレビへと活動の場を広げていく。いくつかのテレビバラエティー番組のレギュラーを経た後、CBSで自らの番組キャロル・バーネット・ショーを受け持つ。同番組は12年続く長寿番組になった。

 

 でも、このあんちゃん夫婦を見ていると、自分たちでは何も出来ないでいて、そのほとんど、生ゴミ回収からペットボトル回収、宅食から掃除、買い物補助に至るまで、みなさんのお世話になって行くことになる。そういう世の中になったんだなぁと思ったことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


益す暑さ 広島の空を しのびつつ

2015年08月06日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 神戸市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は28度から34度、湿度は92%から64%、風は1mから2mの南西の風が少しばかり。明日は気圧の関係で雲が出る予想らしい。

 

 今日は4時起きの朝の5時出発でわが家を出た。朝の涼しい間に目的地に着きたいと奥方のけいこばぁが仰る。で、車の通行量の少ない間に、淡路島に入る。

 

 鳴門大橋を渡り・・・

 

 淡路島を北上して・・・明石海峡大橋をわたって、第二神明から国道二号線に下りて神戸市内へ・・・。

 

 とある住宅の中へ・・。若い頃には我が物顔で走っていたが、40年も過ぎたら浦島太郎状態・・・。どこがどこやら、ここが何やら・・・。ここへけいこばぁのお兄さん夫婦が引っ越しをしてきたのである。ところが二人ともが身体障がい者で、荷物の整理なんぞできないという。

 

 荷造りやら搬送は業者さんがやってくれたが、荷物の整理まではやってくれない。もう、部屋中が段ボール箱の山・・・。足の踏み場もない・・・というのはこのことだ。

 

 昼食の買い物とかもやらねばならんし・・・。

 

 回りの状況もわからんし・・・。兄弟だと言っても赤の他人みたいなもの。その荷物を片付けるというても、どれが必要でどれがいらないものかわからないし、聞いてもトンチンカンだし・・・。

 

 夕方にはよしつぐさん夫婦が応援に来てくれて、私らが寝るスペースくらいは確保できた。

 

 当然、エアコンはまだついていないし、蒸し暑いし、汗が噴き出るばかり・・・。

 

 おかげで、黙祷も、高校野球も、それどころではなかった。

 

 そんなことで、今日は短文で失礼することになった。

 

 今日の掲示板はこれ。いつもの赤松先生のお寺にあった掲示板から。「どこか何か 人の世狂い 原爆忌」というもの。今日はヒロシマの原爆忌。今日も広島は暑かったに違いない。私も15回ほど、つまり、15年、ヒロシマの「平和祈念式典」には出掛けたもの。いつもいつも暑い熱いヒロシマだった。こんな暑い夏こそが、広島の夏だなぁと思うことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


この暑さ 広島の空も 澄んでいた

2015年08月05日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、午後は大気の状態が不安定となるため、雨や雷雨となる所があるらしい。気温は24度から34度、湿度は92%から66%、風は2mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の6日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるけれど、午後は大気の状態が不安定となるため、雨や雷雨となる所がある見込みらしい。

  

 さて、夏休み恒例の資料館巡りは、香川県西部の観音寺市豊浜町まで飛んで、「豊浜郷土資料館」を目指した。元は旧三豊郡豊浜町の歴史文化、産業、そして農業と生活文化を映像や実物資料等により紹介、展示している施設だった。隣の「ちょうさ会館」とともに、平成の大合併によって、観音寺市に移管されている。また、讃岐三白の一つである「綿」をテーマとした映像、体験コーナー等で、あたたかい綿の世界も体験できる。

 

 ここに着いたのが9時前だったのだが、「さぬき市からやって来た」と言ったら、9時半開館の施設を9時前に開けて説明をしてくださった。

 

 ここは、「Cotton Museum」ということで、綿の体験実習もやらせてもらえる。コットンボールから種を取り、綿を打ち、糸繰りして糸に紡ぎ、その糸を染め、織物を作る工程などを体験できるらしい。私も少しばかりコットンボールで遊ばせていただいた。

  

 観音寺市豊浜町の関谷地区は、古くから『わた』に縁の深いところだった。最盛期には、この地域だけで20数社の製綿所が軒を連ねて営業していた。今でも、綿神社、綿廻船の関谷港、大正ロマン漂う製綿事務所跡などが、往時をしのばせている。そもそもは、水の少ない讃岐の地では稲が作りにくかったことから、水を必要としない綿作りが行われたのだという。本当は木偏の「棉(わた)」という字なのだが、人が手を掛けると、糸偏の「綿」になるのだという話が印象的だった。

 

 綿の花は、一日目は白かクリーム色で、二日目にはピンクになるのだという。そして、三日目からはコットンボールができはじめるのだという。

 

 そこから海岸線を東へと走り、多度津町の「多度津町立資料館」にやってきた。ここは、夏休み恒例の「戦争資料展」をやっている。

 

 戦後70年、戦争も風化してきたし、語り部も高齢化で少なくなった。小学生が数人いたが、ここに展示をしてある品物を見てもちんぷんかんぷんのようで、ほとんど興味を示さない。宇宙戦艦ヤマトやコミックなんぞの戦闘シーンのような派手さがないので、まるで骨董品かゴミでも見るような冷淡さ。そのお母さんだって、こういうものを見ても分からない・・・。

 

 お母さんだって、まだ、30歳台なんだろうから、こんなものを見せられても、何がなんだかわからない。なんで、こんなものを使うのか・・・と言う意味すらわからない。

 

 正面の桶。「これで火事を消す」と話したら、「消火器をなんで使わないの」という。昭和は遠くなりにけり。戦争は風化するばかり。かく言う私だって「戦争を知らない子供たち」だった。

 

 今日のメインはここ。丸亀市立資料館。丸亀城内にある。

 

 丸亀が生んだ勤王の志士、土肥大作を取り上げた展示会である。脇差しとか、印籠とか、焼き物とかもあったが、多くは書や歌などの軸ものが多い。その頃の、「勤王の志士」と言われても、全く知らない人ばっかり・・・。

 

 たまたま、このお店の前を通りかかったら、車の数もお客さんも少なかったので入ってみた。この暑いのに、並んでまではおうどんを食べたくはない。ここは、丸亀市飯野町という地区にある「飯野屋」という一般店。

 

 甘辛く煮た牛肉とうどんの相性の良さは、誰もが認める黄金コンビ。その絶妙なバランスを極めた飯野屋の肉うどんこそが、「肉うどん食べに飯野屋行くか!」と言わせる看板メニューとして知られている。ありきたりの薄切りタイプではなく、秘伝のだしでじっくり煮た厚み・大きさともボリューム満点とかみ応えのある牛肉。しかも、大ぶりな肉とモチっとした麺の食感が個々の存在感を発揮しつつも、互いに主張しすぎることなくひとつの美味となって口中に広がる様は、何度食べてもおいしいと思う。

 

 いよいよ明日が八月六日。今日の掲示板は決まってこれ。「忘れざることが供養や原爆忌」というもの。原爆を、被爆を、戦争体験を、風化させることなく伝えていくことこそが、先人への礼儀であり、供養であるというのである。今年で70回目の原爆の日、私の記憶も風化しつつあるが、若い頃の広島の暑い一日を改めて思い出しながら黙祷をしたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


蝉ひとつ ベランダで啼く 空の青

2015年08月04日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は26度から34度、場所に依ったら35度を超えていたかも知れない。湿度は91%から67%、風は1mから2mの南南東の風が少しばかり。明日の5日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるらしいが、午後は大気の状態が不安定となるため、雨や雷雨となる所がある見込みなのだとか。

 

 朝の5時起きで、水中ポンプの修理をして、東の津田川からの水をポンプアップして、奥方は野菜の水やりに余念がない。

 

 恒例の「俵札調査」も一段落したので、八月いっぱいはお休みさせていただいて、夏休みの自由研究の調査活動。あそこがいいか、ここがいいか・・と考えていたが、その途中でトイレ休憩のために立ち寄ったところ・・・。

 

 あの有名な「肝試しポイント」の前だった。ま、昼間だから怖くはないので、その前で失礼して・・・。しかしのかかし、こんな立派な建物を残して教祖様はどこへ行ったんだろうか・・。もったいないが、私はここに住みたくはないので早々に失礼した。

 

 で、13位ぐらいの目的地の「坂出市塩業資料館」に寄ってみた。香川県は、かつて坂出を中心に広大な塩田が開発されてきた。塩は、砂糖・綿と並んで”讃岐三白”のひとつに数えられ、坂出は全国でも有数の塩生産地として、その名を知られるようになった。この資料館では古代からの、主な塩づくり方法を見ることができる。ごく初期の土器製塩の頃の出土片からはじまって、入浜式塩田がどのように行われていたかを多数の道具とリアルな模型で見せるゾーンから始まる。

 

 藻塩製塩、揚浜式製塩、入浜式製塩と続き、昭和になると、「枝条架式製塩」が行われるようになる。

 

 久米栄左衛門が開いた塩田をきっかけとして,香川県では全国の塩の3分の1を生産するほどになったが,昭和30年代になって労力10分の1,生産量2倍という流下式塩田(枝条架を併設)が導入された。しかし、この画期的な塩田もわずか15年でその歴史に幕を閉じ、代わってイオン交換膜を用いてかん水をとる現代の方法が開発された。その後、製塩技術の発達とひきかえに、広大な塩田はしだいに工業用地や住宅に姿を変えてしまったけれど、そうした歴史を忘れてはならないなぁと思ったことだった。

 

 この人が「久米栄左衛門通賢」さんである。次には、この人を取り上げてのお話を考えている。

 

 で、今日の目的地はここ。瀬戸内海歴史民俗資料館である。瀬戸内海歴史民俗資料館は、瀬戸内地方の歴史、民俗等に関する資料の収集、保管、展示、調査及び研究を行うことによって、郷土の歴史と文化財に対する認識を深めることを目的として設立された施設である。

 

 夏のテーマ展では、「くらしの中の信仰-祈祷札(きとうふだ)・守り札・魔除け(まよけ)の民俗-」展がはじまっている。医者もいない、医者にかかる費用もない時代に民衆は何に助けを求め、何に癒やしを求めたのか・・・ということを考える展示である。このお札は、田植えの前、苗代に水口(水の導入口)に飾った、「水口(みなくち)まつり」の「ゴオウサン(牛王さん」のお札である。これで、稲の収穫と豊作を願ったのである。

 

 これは、しわく広島、江の浦に伝わる「ウシハナシ」の牛の飾りである。でも、私が聞いた限りでは、「そんなことはしなかった・・」と誰もが言ったのだが・・、未だに記録では、「広島・江の浦のウシハナシ」となっている。

 

 これは、門飾り、玄関飾りの「魔除け」である。「わが家には、鎮西八郎為朝さまという強い人がお泊まりである」という看板である。

 

 これは、カニの甲羅の魔除けである。いろいろと考えたものだなぁと感心するばかりだった。

 

 これは、今でも塩飽本島で行われている「虫送り」の行事である。古くから日本では、農業、漁業ともに自然頼み神頼みであり、多くの祈祷札や守り札が寺社から出され信仰されてきた。また、日々のくらしの中では、疫病や邪気を防ぐためのまじないや魔除けが欠かせないものだった。ここでは、家内安全や五穀豊穣、大漁祈願、航海安全、魔除けといった、くらしと密接に関わったお札などの収蔵資料を中心に紹介し、そこに生きた人々の祈りや願いについて考えることになっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「夏たけて 掘りの蓮の花みつつ 仏の教え思う朝かな」という昭和天皇のお歌である。 夏の訪れと共に、毎年思い出して胸を詰まらせる、昭和天皇の辞世のお歌として知られている。不治の病に苦しまれた晩年のある日、静かに詠まれたこの一首が最後の辞世の歌となった。皇室の宗教は「神道」であるが、仏教にも深い関心を寄せておられたことがうかがえていたましい。ご存じの通り、天皇家は皇宮神道の宗家本元。その家元さんが蓮の花を愛でて、お釈迦様の教えを改めて知った・・・というお歌を詠まれている。キリストさんがお釈迦さんの説法に感激した・・・みたいなことだ。実に謙虚で誠実な人柄が偲ばれるではないか・・・。私たちにもそんな謙虚さや誠実さがあるだろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ヒグラシに 今日のブログを せかされる

2015年08月03日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は25度から33度、湿度は96%から64%、風は2mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の4日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 昨日から泊まり込みでやって来た孫のハヤテ君が、部活があるからというので、朝の6時前に出かけて屋島まで行って来た。朝の通勤時間もカーチェイス並の速度が出ているので油断がならない。一時期は「和泉(いずみ)ナンバー」が恐れられていたが、近年の「香川ナンバー」や「徳島ナンバー」も恐ろしいと思う・・・。

 

 家に戻ってきたら、奥方が、「水中ポンプの水が揚がらない・・・」というので、ポンプを引き上げて簡単な掃除をしたら、水が揚がったが、すぐにまた、砂を噛み込んだようで動かなくなった。先の台風で、砂避けガードが流されたらしい。おかげで、吸水部分に砂が舞い込んで噛みついてしまう。

 

 そこで、100円ショップで、こういうカゴや、

 

 こういうザルを探してきた。これで吸水部分をガードするわけだ。こうしておけば砂は入り込まない筈。修理は明日の早朝の涼しい時間帯。うまくいくだろうか・・・。

 

 その後は、「おへんろつかさの会公式ホームページ」の予定表の更新。昨日の8月2日から、おへんろつかさ九期生養成講座が始まった。その、予定や内容などを公開するもの。

http://ohenrotukasa.com/schedule1.html

 

 朝の7時過ぎからエアコンを動かせての作業になっている。エアコンを効かせて作業服を着ている・・・というのも妙なものだが、脱げば肌寒いし、エアコンを止めれば暑いし・・ということで、まるで「我慢大会」のようないでたちではある。

 

 私の書斎の「温湿度計」はこんな表示になっている。エアコンは動いているが、パソコンが3台が稼働しているわけだから暖房器具が働いているようなものだ。つくづく、この時期はもっぱら、講演会ばかりをお受けしているが、とにかく、暑いの寒いのはあかんのだ・・・。

 

 とは言うものの、こんないい天気の日には、洗濯物を干したり、お布団を干したり・・・。

 

 少しは身体を動かさないと足がむくんでしまう・・。あ、そうそう、一週間前には足が赤く腫れて歩けなくて、県立病院に行ったのだけれど、もう、すっかりと足の痛みも消えて、赤みも腫れも消えてしまってウソのよう・・・。今日が診察日なんだけれど、パスしてもいいんだろうな。痛みは全くないのだからして・・・。「痛いときだけの医者頼み・・・」

  

  そうそう、処方してもらった一週間分の痛み止めと化膿止めはそのまんまでほとんど飲まずに残っている。もったいのだけれど、捨ててしまうほかないのだと思う。

 

  ついでに、私のホームページのメンテナンスもやっておく。そろそろと、九月の講演会の依頼が飛び込んできているし・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は学校である。そこでは幸福より不幸の方が良い教師である」という「フリーチェ 」(ロシアの文学者)のことばから。人生には、幸せだな・・と思うこともあれば、不幸だなぁと思うこともある。その、不幸なことも「良い教師」と考えることができるならば、今後の幸せのために活かすことができるのかもしれない。雨が降ったら傘を差すことを覚えるように、雪が降ったら長靴を履くことを覚えるように。「人生に無駄なことはない」「すべてのことはいい経験」のように考えることを覚えられたら、人生はもっと「楽(らく)」に生きていけるようになるに違いない。

 

じゃぁ。また、明日、会えたらいいね。


なごやかに ミンミン蝉の のど自慢

2015年08月02日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れているが、午後は大気の状態が不安定となるため、雨や雷雨となる所がある見込みらしい。また、高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みで、暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとるように呼びかけている。気温は24度から33度、湿度は97%から67%、風は1mから3mの南南西の風が少しばかり。明日の3日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 二男のよっくんは朝の5時起きで帰っていった。三男のたっくんも6時過ぎには帰っていった。男兄弟は酒がないと無口で会話がなかなか続かない。そういうことで、目が覚めるとてんでに布団を片付けて帰ってしまう。で、私とけいこばぁは高松空港に来た。

 

 娘からの連絡で、孫のはやてクンが、成田空港から8時半に高松空港に戻るので迎えに行って欲しい・・・という伝言があった。なんでも、早稲田大学のオープン・キャンパスだかに参加して、今朝、戻ってくるのだという。これかなぁ・・・、見慣れぬ飛行機だけれど。

 

 スプリング・ジャパン・・???。あのマークは「春秋航空」ではなかったのか・・・。娘のことだから、LCCしか使わない。ジェットスターだとばかり思っていたのだけれど。

 

 飛行機の離陸時間とか到着時間というのはよくわからない。この飛行機が空港に現れたのは8時15分ごろ・・・。一般的には、胴体車輪(主輪)が着地した時間、つまり、機体が最初に着地した瞬間が到着時間だと思う筈。それにしては・・・15分も前である。

 

 で、到着ゲートに行くと、こんなものが・・・。高松空港のゆるキャラの「たかポー」というのだそうだ。で、搭乗客が出てきたのが8時半過ぎ・・・。つまり、機体の前輪にロック(車止め)が掛けられた時間(ブロック・イン)が「到着時間」ということになるのだそうだ。出発時間というのは、その車輪止めが外された時間(ブロック・アウト)ということになる。

 

 最近は、こういうお仕事にも女性の進出が見られる。なんか、りりしいなぁと思った。

 

 この「たかポークン」はなんなんだろうか。両手には飛行機がついているし、背中は滑走路になっている。「TAK」は高松空港の略称である。高松空港のマスコットなんだろうが、よくわからない。

 

 奥方のけいこばぁは、「朝うどんを食べようよ~」を連発するが、まごのはやて君は「ここは高い」と通り過ぎてしまう・・・。

 

 あちこちと、うどん屋さんを横目に見ながら走るが、10時半、11時開店のお店が多くて、朝うどんが食べられるお店は少ない。結局の薬局で、町内のここになった。わが家から10分ほどの所にある「手打ちうどんまるたけ」である。

 

 おでんだの天ぷらだのをチョイスして、

 

 私とはやて君は「おろしぶっかけ小の冷や(260円)」、けいこばぁは定番の「かけうどんの小(220円)」である。ここは打ち立てのゆがきたてを食べさせてくれるので味はかくべつ。

 

 本当ならば、今日から「おへんろつかさ養成講座」、27年度の第一回講座が始まるのだけれど、そんなことで、今日は欠席。もちろん、私が講義を受ける訳でもないし、私が講義をする訳でもない。ただ、駐車場案内とか誘導とかなんだけれど。

 

 今日は、日曜日と言うことでゆっくりとさせていただくことにした。

 

 今日の掲示板はこれ。「本当は「わからない」で悩んでいるのに「わかったこと」にしている。私は永遠の「わからなさ」を抱えて生きてやる」という田口ランディさんのことばから。本当は「わからない」で悩んでいるのに「わかったこと」にしている。私は「わからない」を生きてやる。永遠の「わからなさ」を抱えて生きてやる。もし「わかって」しまったら、私は閉じてしまうから。 田口ランディ(『できればムカつかずに生きたい』より抜粋)

 

 田口ランディさんは、東京都に生まれ、日本の女性小説家でエッセイスト。本名、けい子。OL生活を経てフリーライターに。1996年、エッセイ『忘れないよ!ヴェトナム』を発表、その後インターネット上でメールマガジンを発行する。長編小説『コンセント』を上梓して小説家としてデビューした。複数の著作に盗作が発覚し、『アンテナ』『モザイク』は絶版。その後、該当部分を修正した文庫改訂版が出された。2001年には『できればムカつかずに生きたい』で第1回婦人公論文芸賞を受賞したが、私の好みではない。向こうさんもきっと、そういうだろうけれど。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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