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まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

やりなおす 明日を目指して 藪つばき

2014年03月16日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は夕方まで強風や高波に、17日まで空気の乾燥による火の取り扱いに、17日朝は霜に対する農作物の管理に注意するようにという予報が出ている。天候は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は3度から18度。初夏のような気温になった。湿度は58%から47%と乾燥気味。風は1mから5mの西南西の風が強い一日だった。裏庭の植木が折れて倒れたほどの突風が・・・。明日の17日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今朝は暖かい朝になって、迷犬ごんの散歩も気分よくできた。朝方の風は少しばかり冷たいかなぁと思ったけれど、周囲の空気が暖かくなってきている。

 

 さて、今日は瀬戸内海一帯が国立公園に指定された日で、今年はその80周年に当たると云うことで、屋島山上あたりでは記念のウォーキングも行われたらしい・・・。

 

 ということで、研究報告会のタイトルバックもそれを記念するものに置き換えてみた。

 

 今日は天気も良いので集落内一周の1時間コースの散歩をしてみた。しかし、日曜日でも誰にも出会わない。県道に出ると自動車の数やバイクの数が多くなったが、人と会話することはなかった。

 

 今日は久々に町内(さぬき市大川町富田中)にある「杉本うどん」というプチセルフのお店に寄った。ここにもずぶんとご無沙汰をしている。

 

 で、時にはあっさりと・・・ということで、わかめうどんの小をいただいた。280円だった。いつの頃からか、麺の太さが細くなってマイルドになってきたかなぁと感じた。

 

 午後からも報告会の資料の手直しをやっていたが、午後の15時から集落の「地神さん」の掃除当番だというので出かけてきた。春と秋の二回ずつ、この「地神さん」と「山の神さん」の二カ所のおまつりがあって、あさっての12日がその例祭だと云う。その前の掃除当番。

 

 地神さんというのはこうした「地神塔」を建てて、「社日」という日には祭礼を行った。社日は、春・秋の彼岸に一番近い「戌」の日。この日は、農耕を休み「地神さん」の周りで祭礼を行う。この日に農作業をすると地神さんの頭に鍬を打ち込むことになるといわれ、忙しくなる時期ではあるが、総ての農家が農作業を休んだ。

 

 「地神さん」の周りには、こうしたのぼりを立て、注連縄を張り、沢山の供物が供えられた。
おまつりが済むと、その供え物は子供達に分け与えられた。だから、子供たちは「地神さん」の周りに集まって、お下がりを頂くのが楽しみであった。

 

 だが、近年はこどもはおろか若者の姿もない。肝心のおとなも特老の施設に入ったり入院したりでいなくなって、今日は二人で掃除をすることになった。このままでは、こういう例祭もできなくなるなぁと話したことだった。

 

 野の草花たちは力強く生き抜いて子孫を残し続けているのに、私たちはその自然の流れについていけていないなぁと思ったことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生はやりなおしはできないが 出直しはいまからでもできます」というもの。荒了寛さんの言葉だと思われる。私も65年間生きてきて、もう一度人生をやり直したいと思うことは多々あったし、反省も後悔も何度も何度も繰り返してきたが、時計の針を戻すことはできないし、カレンダーを書き換えることもできなかった。人は失敗して、落ち込んだり、ときには心に傷を負うこともあるけれど、過去を後悔しても仕方ないこと。だから、ほんの少しだけ勇気を持って、気分を変えて、出直すことしかできないのだと思った。人生とは、やり直すことはできないけれど、出直すことは何度でもできるし、これから、今からでもできるものだと思っている。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


午睡する 菜の花畑の 寝ぼけ顔

2014年03月15日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は3度から11度、湿度は75%から42%。風は2mから5mの西北西の風が少し。明日の16日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。今日は春めいてうぐいすの声や小鳥の鳴き声がよく聞こえたことだった。

 

 さて、昨日の不明の3人(水野忠精・水野千波・上野敬助)のことで教えられた本を探しに県立図書館に出掛けてみた。

 

 ここの馬酔木が咲き出していた。ここには白い花と薄紅色の花があって壷形の花をいっぱい咲かせる。かすかな香りがしていて、枝葉に「アセボチン」という有毒成分を含んでいるらしい。馬が食べると酔って足がなえることから、しだいに変化して「あしび」そして「あせび」となったという。漢字の「馬酔木」もその由来によるとのこと。

 

 これを見ると春らしくなったなぁと思う。

  

 こういう本ほか4冊を借りてきた。この中には英国技師のリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計した灯台の写真が収められている。この本を見て驚いた・・・。

 

 これは瀬戸内海にある「鍋島灯台」で、こんな変わった形の灯台はここだけだろうと思っていたが、この本の中には同じようなものが幾つもあった。そりゃそうかも。同じブラントンが設計したのだから。

 

 これは淡路島にある江崎灯台。ここは高い場所にあるせいか背が低いが同じような形である。

 

 これは下関にある「六連島灯台」これも背丈は違うが同じような建物である。ほかにも何カ所か似たような灯台がある。灯台と云えば背丈の高いろうそくのような灯台だと思っていたのだが、同じ人が設計すると似たような形になるものか・・・。

 

 他にも四冊ほど借りてきたが、明治初期の写真集ばかり・・・。

 

  上野敬介という人物を捜し出してきた。正式には上野景範(かげのり)と云うのだそうだ。薩摩藩のころから洋学を学び、新政府に取り立てられて、ブラントンに同行して各地の灯台建設に関わった。その後、ハワイへの勤務を命じられ、ハワイ移民第一号となった人。

 

 水野千波という人は、水野若狭守良之という幕府の外国官から新政府の外務小丞を勤めたり、福岡県権参事から参事として活躍した人だとか・・・。同じ水野でも、系統の違う水野家であるらしい。だから、この人もブラントンに関係していたらしい。

 

 ということで、今日のお昼はここになった。木田郡三木町上高岡にある「手織うどん。滝音(たきね)」というプチセルフのおうどん屋さん。

 

 で、トッピングが8種類という「まかないぶっかけ・小・温い」を注文した。肉・わかめ・大根おろし・かまぼこ・あげ・温玉・ねぎ・レモン・・・。これだけ乗っているおうどんも珍しい。それでも飽きたらずに、おろししょうが・天かすを載せる強者もいるというお店。

 

 この我が家にあるもの。私の母だったさっちゃんは、「サンシュウ」と言うていたし、このあたりでは「サンシュー」と云うているのだが、FBF(フェイスブック友人)の北海道の「きなこさん」から、これの正式名は「サンシュユ」と云うのだとメッセージを頂いた。漢字で書くと、「山茱萸 (さんしゅゆ)」ということで、「サンシュ」+「ユ」なのだという。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるうえで「悩み」はつきものです。 全く悩みのない人生など有り得ません。 生きるということは すなわち悩みと共に歩くことなのです。」と言う桝野俊明さんの言葉らしい。しかしのかかし、悩みが生まれる原因はただ一つ。それは何かにとらわれているからで、欲望や夢、ときには人間関係にさえも執着してしまう。その執着にこそ、悩みの発端があるのではないか。執着をまったくなくすことはできないが、それを受け入れて生きて行くことはできる。 悩みを悩みとして共存して生きてゆくことはできるもだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


すぐそこに 梅の花あり 六地蔵

2014年03月14日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすく、午後は雨の降る所があるようだった。気温は4度から9度、湿度は78%から56%。風は4mから3mの北西の風が少し。でも寒い一日になった。明日の15日は高気圧に覆われて概ね晴れるし、気温も上昇する見込みとか。

 

 まだまだ先だとばかり思っていた、「レキ報告会」まで五日しかなくなってきた。それでもまだ、満足できる結果になっていない。いつになっても完成までにはほど遠い。でも、そうも云ってはいられないので、二・三日中にはまとめなければいけないのだが・・・。

 

 と云うことで、今日もデスクワーク三昧。乾いた目玉がなおさら乾く・・・。目薬ばかりが痩せて行く・・・。

 

 外では雨が降ったりやんだりしながら、冷たい風が吹き流れていく。だから、今日は散歩にも行かず、朝夕の迷犬ごんの散歩のみ。お昼のおうどんも今日はなし。まるきりの引き籠もり状態。

 

 今日は日本側の、「水野和泉守忠精」・「水野千波」・「上野敬介」という人物を捜していたが、肝心のことが出て来ない。水野忠精はある程度の情報はあるが、忠精と千波は関係があるのかどうか。同じブラントンの周辺にいたのだが、同一人物なのか違う人なのか・・。上野敬介がまた、これ、わからない人だ。

 

 今朝方の2時6分だかに伊予灘を震源とする深度5強の地震があったらしい。確かに大きな横揺れだったし、時間も長かったように思う。けいこばぁは飛び起きてテレビを付けたり、廊下を歩き回っていたが、夜中に歩き回るのも危ないものだ。我がさぬき市では震度4とか云うていたが、そんな大きなことにもならなかったようだ。

 

 私はゆりかごみたいだなぁとのんびりと寝ていた。我が家にはタンスとかの家具が全くない。全くないと云うてもけいこばぁの嫁入り道具は屋根裏部屋にあって、人の居る場所にはないってこと。ま、テレビとかパソコンとかの幾らかのものはあるが、それらが飛んできたり倒れたりすることもなかったし、階下の台所の食器とかもなんともなかったようだった。

 

 我が家は8年前に新築した耐震建築の家だから、こわれたりすることはないと安心して寝ていた。慌てて行動するより、布団を被って寝ているほうが安心だわいとそのまま眠ってしまった。気が付いたら7時を大きく過ぎていた。朝のラジオ体操に間に合わなかった。

 

 朝のテレビでも、四国ではそんなに被害もなかったようだった。それだし、東南海地震の前触れでもないみたいで一安心。でも、比較的地震のすくない四国にしては大きな揺れだったかなぁとは思った。

 

 そうは云うても、ガラスが割れたり、食器が割れたりとすごい音が聞こえたら、そんなに呑気には寝ていられなかっただろうとは思う。ま、単に大きく揺れただけ・・・ということだから、ぐっすりと寝ていられたのだろうとは思う。携帯電話やタブレット端末も別室にあったから、「エリアメール」が鳴り響いても聞こえなかったのかも。

 

 ま、そういうことで、我が家は何もなくて通常の一日になった。当たり前がありがたい・・ということだ。

 

 午後からはプロジェクターや、接続コードの点検をやっていた。いざというときに、これが動かないとお仕事にならない。ま、報告会場にはプロジェクターやらスクリーンはあるのだけれど、自分の使い慣れた機器を準備しておくことも大切。まさかの時にはこれが役に立つ。接続コードも長さの違うものを何パターンか用意してある。備えあれば憂いなしだ。

 

 ということで、少しずつ、準備が進んでいる。既に報告会のチラシは配布され、ポスターは掲示されているし、当日配布用の資料も印刷されて準備万端。あとは、この私が会場にパソコンと、そこに内蔵された「パワーポイント」資料を持って行けばほぼ準備完了。最後は私がどれだけの報告ができるかだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「どんなにつらい悲しみにも それにふさわしい幸せがきっとある」と云うもの。どんなにつらい悲しみにもそれにふさわしい幸せがきっとある。そのあとに、「いまが幸せと思わないと一生幸せになれない・・・」という言葉が続く。ご存じ、荒了寛先生(天台宗米国ハワイ開教総長)の言葉である。今が幸せな時は、過去のどんなに辛いことも必然であったと思うのは不思議なことだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


侘び助が 明日の予定を のぞき込む

2014年03月13日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は前線を伴った低気圧の影響で雨となり、しっとりとした雨の一日になった。気温は9度から18度と暖かめ。湿度は87%から84%。風は1mから4mの西南西の風が少し。明日の14日も気圧の谷や寒気の影響で、雲が広がりやすい予報。

 

 と言うことで、今日もデスクワーク三昧。来週に迫った「報告会」のためのリハーサルと、パワーポイントのスライドの修正と追加。今日はとうとう「薩英戦争」を追加した。あの、広島で亡くなった「Lake」さんは、アーガス号という戦艦に乗って、薩摩藩攻撃に参加していたと云うのだ・・・。

 

  赤の④番、アーガス号に乗っていたというのだから、この攻撃に参加していたことは確か。この戦いでどちらが勝ったのかは別として、この頃の英国海軍はやりたい放題だったような・・・。

 

 こういうことをやっていると時の過ぎるのを忘れていて、今日もお昼を食べ逃してしまった。ま、おなかが空くような仕事でもないので、お茶でも飲みながらのコツコツ作業。

 

 お昼過ぎからは雨が強くなったが、それでもしとしとと静かに落ちてくる細い雨だから全く気にはならない。この二階のバルコニーはこのように床板と床板の間に鉄板が挟んであって、水滴が一階部分に垂れないように作られている。一枚一枚、鉄板をコの字に折り曲げて、溝を切ってはめ込んであるという手間の込んだ作品になっている。

 

 ちなみに、「ベランダ」というのは屋根と床があるものを「ベランダ」。二階以上にあって屋根がなくて手すりや壁があるもので仕切られていて、床のあるものを「バルコニー」と云う・・らしい。ちなみに「テラス」というのは平らな床のある場所で屋根のないものでリビングやダイニングに連結する屋外フロアのこと。

 

 だから、我が家の場合も、一階はベランダで洗濯物を干す場所になっていて、二階がバルコニーと云うことで、布団を干したり気分転換をする場所とか、最近は「野猿」の監視所とか「ジェット花火の打ち上げ場所」になっている。たまにはエアガンも発射される・・・。

 

 野の花も少しずつ少しずつ花開いてきている。私たちも少しずつ少しずつ歩んでいかないといけない。昨日より今日、昨日より今日を繰り返していけば、少しずつだけれど成長してゆけるのではあるまいか。

 

 そそ、「おへんろつかさの会」から行事の案内が来たが、徳島から高知に至る「おへんろバスツアー」も魅力的なのだが、時間的に無理。5月の中旬に行われる「つかさの会総会と懇親会」には是非とも行かねば・・・と思ったのだが、あいにくと、所属寺院の「春の永代経法要」とぶつかった。

 

 暇なときには暇なのだけれど、行事があるときにはぶつかってしまう。あれ、今日は「流水灌頂」の日ではなかったのか・・・。しまった、しまった、島倉千代子・・・。貴重な行事だったのだけれど、あの雨の中でも法要は行われたのだろうなぁ・・・。

 

 例年、この時期には気候の変動で、肺炎になったり心不全になったりして入院することが多かったのだが、今年は精神的にも安定しているのか、そういう病気にもならずに済んでいる。五年前には、入院したまま・・・退職してしまったということもあったし・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「何千ものろうそくは、一本のろうそくで灯すことができる。それでろうそくの命が短くなることはない。幸福も分かち合って減ることはない」という仏陀のことばらしい。何千ものろうそくも、一本のろうそくより火を得ることができる。それでいて、最初のろうそくの命が短くなることはない。(厳密にはそのろうそくが働いている間、ろうそくは短くなっているのだが)。幸福は共有して分け合っても、その幸福が損なわれることはない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


落ち椿 明日の道が 見えてきた

2014年03月12日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で夕方から雲が広がり、夜には雨の降る所があるらしい。気温は3度から13度、湿度は52%から44%、風は1mから4mの北北東の風が少し。明日の13日は、前線を伴った低気圧が西日本を通過するため、朝から夕方にかけては雨となり、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 今日は天気もいいことだしと、奥方のお布団を干すことにした。先日は干してしばらくすると雪が降り出したものですぐに取り込んだことだったし・・・。

 

 午前中はプラスチックゴミのゴミ出し・・・。先月は京都での研修に行っていたもので、プラスチックゴミと空き缶ゴミは二ヶ月分。朝にはプラスチックゴミで、夕方には空き缶ゴミ。これがまた半端でない数量。ついでに生ゴミと燃えるゴミも処分して・・。

 

 11時半前に奥方のけいこばぁが戻ってきて、「おうどんに行くよぉ~」と云う。泊まり勤務から戻った時はいつもこうだ。「今の時間からは混むから・・・」と云うのだけれど、「たまりは回転が速いから・・・」というので、「うどん溜(たまり)」に行くことになった。

 

 元は醤油の醸造元だったというが、外観は普通の民家風。ここはお昼時になると行列のできるお店。お店に着いたのは12時前だったのだが、丁度、早い人と、お昼を過ぎてからの間だったものか、並ばずに食べられた。

 

 私は珍しく「しっぽくうどんの小」。けいこばぁは「かけうどん小+溜まりうどんの小」。よほど、おなかが空いていたんだろうか・・。

 

 こういうお店で、うどん屋、それも「セルフのお店」とは思えない雰囲気。まるで、「古民家カフェ」みたいなお店。

 

 この左手がカウンターだが、12時過ぎとは思えないほど静寂・・・。外に出たら、もう、行列ができていた・・・。

 

 午後からは1時間コースの散歩に出たが、それぞれの時期を待っていたんだろうか、そろりそろりと花が開き始めてきている。

 

 お隣さんのサンシュウも黄色い花を開き始めている。それにしても、この集落も人の居ない集落になった。お年寄りたちは寒いせいで出て来ないのか、それとも体調を崩して寝込んででもいるのだろうか。まるでしわく広島のように静かな里になってきている。

 

 ま、全く人が居ないわけではなくて、若いというても中年の人たちは働きに出ていることもあって人が居ないということ。しかしのかかし、ここも限界集落に近いなぁとは思うことしきり。

 

 ということで、今日も例の「英国士官レキ研究報告会」のスライドのリハーサルと画面の入れ替えや追加をやっていた。リハーサルをするごとに、「あ、あれも入れたいな」「あれを入れると、こちらは不要やな・・」と、加えたり削ったりの連続。

 

 でも、ああだこうだと述べてきて・・、最後のまとめが弱いなぁと思って考え込んでいる。「話の落としどころが分かっていない」と、法話の実技でも叱られたけれど、最後の盛り上げ部分、サビの部分がイマイチだなぁと思った今日の一コマ。

 

 今日の掲示板はこれ。「自信とは自分を信じることじゃない。自分のしてきた事を信じることだ」と云うもの。これも、誰の言葉かはわからないが、あちらこちらで見かける言葉。確かに言えることは、「自分のしてきたことを信じること」。逆に言えば、「自分のしてきたことが信じられないならば、私は何をやってきたのだ・・・ということになる。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ほっとして 春の息吹を 知った朝

2014年03月11日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていた。気温は0度から10度、湿度は72%から41%。風は2mから6mの北北東の風が強かった。明日の12日は、引き続き高気圧に覆われて晴れるらしいが、夕方からは気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夜には雨の降る所がある見込みとか。

 

 今日は奥方は勤務で不在だし、天候もいいし・・ということで、少し足を伸ばしてのドライブになった。

 

 やってきたのは高松市西部の亀水町(たるみちょう)。五色台の坂出市寄りにある「瀬戸内海歴史民俗資料館」。とくに珍しい資料館でもないし、先日にもここにやってきている。

 

 というのも、この3月16日は「瀬戸内海国立公園指定80周年」ということらしい。そこで、テーマ展・「瀬戸内海国立公園指定と観光開発」展が始まっている。会期は5月25日までらしい。

 

 これがそのロゴマーク。平成26年3月16日、香川県を中心とする瀬戸内海が国立公園に指定されて80周年をむかえる。そこで、当時の瀬戸内海国立公園指定に向けた香川県国立公園協会などの活動を館蔵のパンフレットや絵葉書で紹介しているとともに、小豆島や女木島、屋島、高松をはじめとする香川の観光開発が国立公園瀬戸内海とどのような関わりを持ちながら進められてきたのかをふりかえると云うもの。

 

 また、戦前戦後期に地元の教育関係者や郷土史家、大学などが地域振興や日本の復興を目指して観光開発にどのように寄与したかについても、桃太郎伝説や浦島太郎伝説の観光化などを例に紹介している。(写真は香川県国立公園協会依頼・吉田初三郎鳥瞰図「史蹟と風光の香川県」(部分))。

 

 今から10年前、「こんぴら信仰と塩飽諸島」というテーマで、香川県ミュージアムで講演会をしたことがあった。そのときに、パワーポイントを使って、その画面上に、この「瀬戸内海国立公園指定70周年記念」のロゴマークを使ったことが印象深い。

 

 あの時は、台風で我が家が流された直後で、弟にノートパソコンを貸してもらって、社宅から香川県ミュージアムまで電車で行った記憶が残る。このパワーポイントのデーターは、かろうじてリュックザックの中に残されていたUSBメモリーに記録されていて助かった。

 

 あれから・・・10年なのか・・・という印象が強くて、この展示会にやってきたという訳。折しも今日は、あの「東日本大震災」から三年目。それもまた、印象深いことだった。

 

 ということで、今日も発表用のパワーポイントを使ってのリハーサルを行いながら、少しずつの修正作業。説明をする言葉と、スクリーンに映っている言葉の違いの修正を行ったり、追加したり削除したり・・・。いつになっても完成はないと思う・・・。

 

 このまま、暖かくなって、春になってくれればいいのだが、彼岸を過ぎるまでは、まだまだ、安心できる状態にはない。

 

 今日の掲示板はこれ。「死ぬる命を生きているんじゃない。み仏に生まれる命を今生きている」というもの。感動法話 『死ぬる命を生きているんじゃない』 釋順章さんの法話の中で紹介されている言葉から・・・。

https://www.youtube.com/watch?v=x4k3TEMAsbI

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


早い春 遅い春あり 風の中

2014年03月10日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、寒気の影響で山地を中心に雲が広がり、雪や雨が一時降ってきた。気温は2度から6度、湿度は75%から58%。風は5mから7mの西北西の風が強くて冷たい一日になった。明日の11日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

  こういう天候の良い日には散歩だな・・・ということで散歩に出かけたが、風が強くて冷たいので諦めた。こんな日に無理して散歩をして肺炎にでもなったら大変だな・・・ということで。昨年の今頃は、肺炎になって一週間ほど入院していたことだったし・・・。

 

 ということで、ここにやってきた。東かがわ市丹生(にぶ)という所にある「小砂(こざれ)説教所跡」。この二十七段余の石段を登り切ると広場に出る。ここが「小砂(こざれ)説教所跡」で、この地区の真宗の道場であり、昔の集会所であった。ここが、今では「正真講本部」となっていて、庄松同行の情報発信源ともなっている。

 

  石段を登り切った左手にあるのが鐘楼。その先に墓石がいくつかあるが、その中に一段と高くなって花が供えられている石碑が「庄松同行の墓」で、「釈正真信士墓」と刻まれている。没年は明治四年三月四日と刻まれており、他面には、大同行 俗称 谷口庄松 丹生村 と刻まれている。と言うことは、今年が142周年ということになるのか・・・。

 

 五十二 「石に下には居らぬ」 この一条は、石田村の市蔵同行が見舞いに来て云えるには、「同行が死んだら墓を建ててあげましょ」と云えば、庄松、「おれは石の下には居らぬぞ。」と云われた。絶対の慈悲に浴して、大信を授かった者には、墓も卒塔婆もいらぬ。追善・供養・施餓鬼供養一切無用である。追善供養は悪道に堕ちた者へする仕業である。庄松は極楽往生は治定の身であるからである。

 

  ”親鸞聖人は、自分のなきがらは加茂川の魚に与えよ”と仰せられたではないか。「庄松は墓石の下にはいないぞ」である。しかし、庄松の墓があるのは、御同行による報恩謝徳のはからいである。御恩報謝の念仏と同じである。決して追善供養のためではない。

 

 これが、小砂説教所の内部。やはり、中央にあるのは「阿弥陀さま」。戸帖の奥には正面に阿弥陀立像や庄松同行の絵像や人形、掛け軸などが安置されている。

 

 しかしのかかし、あまりにも風がきつくて寒くてたまらない。それで我が家へと引き返した。こんな日は我が家で暖かくしておくほうが得策だとばかりに・・・。

 

 で、我が家に戻ると風はやんでおだやかになって、空はすっかりと晴れ上がってきた。それでは・・・と、奥方のふとんをベランダに干した。昨日は私の布団を干したのだが、「私の布団はなぜ干さないの・・・」と云われたものだから・・・。

 

 ということでお布団を干したのだけれど、二時過ぎになると、急に空が暗くなり、遠くの山が白くなってきた・・・。これは大変だぞ・・・と、布団を取り込むと同時にはらり、はらりと雪が降り始めてきた。一階のベランダには洗濯物が・・・・。

 

 一階に駆け下りて、洗濯物を取り込んだら・・・・。雪はあっという間に上がってしまって。太陽が差し込んできて空が明るくなってきた・・・。春先の天候不順とは云うけれど・・・。

 

 その後は、例の「英国士官レキ研究報告会」のリハーサル。今日はサービス精神いっぱいでの講演になったら、軽く1時間半を超えていた。ま、報告会の時間は2時間を予定しているもので、余裕はあると思うのだけれど・・・。

 

 ただ、13時30分から15時30分という予定は、島外からお越しの方は、丸亀発11時10分の高速艇で、11時32分着。ただし、島には食堂がないので昼食の準備はお願いしなければならない。で、帰りは16時40分の高速艇ということで丸亀港着は17時過ぎというのが少し気にかかる。

 

 ただ、十分な知識的なおみやげはしっかりと用意しておきますので、どうぞ、お越しくださいませませ・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。朝の「小砂説教所跡」にあったお皿に書かれていたことばで、「庄松いわく また生えにゃよいがのう 角(つの)があるまんまと聞こえなんだか」というもの。京都から名僧と評判の御使僧が来られたので、庄松さんもお参りしていた。すると、お説教を聞いていた隣の人が、涙を流して「いやぁ、今日のお説教はありがたかった。おかげで日頃の邪見の角が折れたわいなぁ・・」とつぶやきながらお念仏するのを、そばで聞いていた庄松さんの一言。「また、生えにゃよいがのぉ。わしは角があるままのお助けと聞いたがのぁ」と・・。「煩悩を断ぜずして涅槃を得る」という他力の大悲におまかせしてみると、悪業煩悩の角があるままお助けに預かっている悦びがある。凡夫のままに救われていく世界を庄松さんは感得されていたのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


のんびりと 背伸びしてみる 梅の花

2014年03月09日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は4度から9度、湿度は78%から47%。風は1mから3mの西北西の風。明日の10日は、冬型の気圧配置となるため、雲が広がりやすく、雪や雨の降る所があるらしい。すっかりと春めいてきたなぁと思ったことだった。

 

 だから、久々にお布団を干した。気温はそんなに上がらなかったが、日差しが強くなったのと、そんなに風が吹かなかったので、いい、布団干しの日になった。

 

 で、これまた久々に、香川県立図書館にやってきた。日曜日だから、大勢の人がいるかなぁと思ったが、そうでもなかった。

 

 学生・生徒さんも、この時期には忙しいのか、さほどの人数でもなかったし、最近はスマホやパソコンで勉強できるし、ここで本を利用しなくても済む時代になってきているのかもしれない。

 

 しかしのかかし・・・、「タマシイはあるのかないのか」という宗教概論のレポートは難しい。真宗的には「ない」と云うほうが正しいように思うが、本山の研修会のレポートだから「ある」と書く方が正しいのだろうか。それと同じように、「こころはあるのかないのか」というのも似たような質問だと思えてきたが、違うのだろうか。「こころ」もまた、重さも形もないし、どこにあるのかさえわからない。強いて云えば「頭」の中、頭脳の動きなんだろうか。だとしたら、タマシイというものも、頭の中にあるのだろうか。

 

 などと云う、素朴な考えが頭の中を駆け巡っていた。考えても意味のない考えなんだろうけれど。

 

 昨夜に泊まりにやってきた娘家族は朝食を食べると帰ってしまい、奥方のけいこばぁは、「東日本復興支援のチャリティーコンサートに出掛けてしまって、今日は自由な日曜日。午後からはレポートの勉強やら、レキ研究報告会のスライドの修正作業などをやっていた。

 

 おかげで・・・というほどでもないが、そういうことで、発表時間は1時間15分程度になるようにした。後の15分間は質疑応答に宛てることにして・・・。質疑応答がない場合には、アンコールタイムならぬ。特別サービスの画面を用意して説明することになった。

 

 午後からは、またも、集落一周の1時間の散歩をしたが、少しずつ、少しずつ、春めいてきているのが実感できる。

 

 夕方の15時を過ぎると、慌ただしく作業が始まる。干したおふとんの片づけ、洗濯物の取り込みと片づけ、お風呂の掃除と準備、迷犬ごんの散歩に生ゴミと空き缶の片づけ・・・。そして入浴と夕食の準備・・・。おかげで、今日のブログの更新が遅くなった。

 

 今日の掲示板はこれ。「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」というもの。これは、エリック・バーン(1910-1970)というカナダの精神科医の有名な言葉だそうだ。わたしたちが犯す間違いのひとつに、他人を変えようとしてしまうことである。他人とは、友人や恋人、配偶者や我が子であるかも知れまない。しかし、人間というのは、自分を変えることさえ困難な場合がほとんどなのに、自己改善、自己変革もできないのに、他人を変えようと云うのは僭越であるし、おこがましいもの。過去という変えることができないことにこだわっているよりも、これから起こる未来をより良くすることの方が得策ではないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


爪切りが よく切れそうな 霜の朝

2014年03月08日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷の影響で夕方からは次第に雲が広がる見込みらしい。気温は0度から8度、湿度は66%から48%。風は2mから3mの北西の風が少しばかり。明日の9日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日も天気がいいので近所周りの一時間コースの散歩をしてきた。少しずつだが、庭木の花が少しずつ開いてきたような気がする。そろそろと三月の中旬に近づいてきたのだから・・・。

 

 その後、パワーポイントを起動して、「英国士官レキ研究会」の報告会のリハーサルをやってみた。ユックリ目に噛みしめるようにして説明するのだが、やはり、1時間少しだった。もう少し、ゆっくり目にしたほうがいいのか・・・。かと云うて、付け加えるような新しい情報も出て来ないし・・・。

 

 明日、奥方のけいこばぁが「ジョイント・コンサート」に参加するということで、今日はリハーサルがあるというので、一緒に行くことになった。そこで、早めの昼食になった。

 

 で、木田郡三木町という町にある、「サンサン館みき」という建物に行った。香川県三木町にある「サンサン館みき」は、さまざまな生涯学習講座を開講している三木町の公共施設。ここで、けいこばぁはピアノのレッスンを受けているらしい。

 

 正式には、「三木町健康生きがい中核施設」と云うそうで、愛称を「サンサン館みき」と云うのだそうだ。運営は、公益財団法人三木町健康生きがい財団がやっているのだとか。

 

 会場がいいのか、ピアノがいいのか、すごく大きな音での演奏で、6階にいても演奏が聞こえてきた。

 

 この立っている長い髪の女性がピアノの先生らしい・・。詳しいことを聞いても覚えられないので聞かないことにしている。お互いの趣味の部分には入り込まない方が良さそうだ。

 

 こういうエントランスホールでの演奏会になるらしい。なんでも、明日行われる「東日本大震災の復興支援チャリティーコンサート」の一環らしい。

 

 午後からは、新しい「ホームビルダー18」というソフトを使って、新しいページを作る練習をやってみたが、どうにも難しい・・・。やはり以前の「IBM」製のものが使いやすかったように思う。「JUSTシステムになってからは操作や手順が複雑になったもので、どこから手をつければいいのか・・・まるで迷路に踏み込んでしまったような感じになった。

 

 今、現在のホームページを更新するにはなんら問題も疑念もないのだが、最近、はやりのスマホ対応とかにしようとすると・・・頭がウニウニ・・・になってしまう。ホームページの構造や組み立てができていないのだろうとは思うのだけれど。もう少し基礎勉強が必要だなぁと思った。

 

 なにせ、私がスマホを使っていないのだから、それに対応するホームページを作ろうとするので無理があるのかも知れない。もう少し、構想をしっかりと練ってからだな。

 

 とにかく、今月19日の「イギリス士官レキ研究報告会」を成功させることがまずもって、当面の目標。それには、パワーポイントの「電子紙芝居」のストーリーを頭の中に読み込むことが大切。ところが、加齢のためか、なかなかに頭の中には入ってくれないのが困る。

 

 と云うことで、今日の掲示板はこれ。「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は変わらざりけり」という、山岡鉄舟の言葉。これは、幕末の政治家・山岡鉄舟が剣の悟りを得た時に詠んだ歌だとされている。「人はとかく自分の不幸を周囲の環境のせいにしがち」と指摘し、「本来あるべき自分をただそのままに生きていけばいい」と説いているのだと云う。天候に関わらず常に富士の山であり続ける故郷・静岡の富士山のように、逆境にあっても自分を失わずに生きていたい。またそれこそが人の生きるべき道の証明なのであるが、しかしそれにしても、迷ってばかりの我が人生。晴れても曇っても泰然自若の日々が訪れることを願いたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


梅咲いて 桜咲くまで 一休み

2014年03月07日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、晴れということなんだが、瀬戸内側では雲の広がっている所があった。気温は-1度から8度、湿度は66%から42%。風が強くて1mから7mの西の風が吹き荒れていた。だから冷たい一日になった。明日の8日は、冬型の気圧配置が緩むため、概ね晴れるらしい。

 

 今日はいい天気になったなぁ~ということで、朝の散歩に出掛けた。久々に県営大川ダムを一周する二時間コース。この頃はそよそよ程度の1mとか2mの風が吹いたり、止んだり・・・。

 

 このダムの下から階段を昇って堰堤まで昇る。そして保守用道路を南に歩いて、県道に出て、今度は北上するというコース。

 

 ②と書いてあるすぐ左が我が家。少し赤い線が切れているところから出発して下に進む。それから大川ダムの左の山道を歩いて先端から折り返して県道二号線を北上する。我が家を左に見てさらに北上して、さぬき市道に入って戻って来るというコース。ユックリ目に歩いて1時間半だったから、約6Kmくらいなものか・・・。もっと少ないかも知れない。

 

 天気はいいのだが、いかんせん、風が冷たくて・・・。これではまたしても肺炎になるのでは・・・と心配したほど。

 

 帰ってみると、こういうものが届いていた。と云うのも、前回はダウンロード版というものを購入したのだけれど、デスクトップ・パソコンをリカバリー処理をしたとき、うっかりと削除してしまって、シリアルナンバーから一切も消えてしまった。

 

 ま、たいしたことあるまい・・と、その前のバージョンでメンテナンスしてきたのだけれど、なにかと機能が古いものでやりにくくて仕方がない。ポイントもたまっていたものだからと、お安いバージョンを購入したもの。ところが、一歩下がって二歩進むものだから・・・今度は何から何までやり直し・・・。

 

 大正時代から明治に戻ってウロウロしていたものが、いきなり、平成に飛び込んだみたいなもので、「なに?これ?」みたいなことの連続で・・・。

 

 今日のお昼もダイエット食。少しは効き目があるのかしらん・・・。云うと云わんと、おなかは空くように思う。ま、肉体労働者ではないので、なんとか我慢はできるのだけれど。

 

 さぬき市の「光化工事」で、四国電力系の「ピカラ」というプロバイダーになったものだから、私のブログやHP(ホーム・ページ)をOCNからピカラに移動させたほうがいいとは云われているのだけれど、これがどっこい面倒な作業。メールアドレスもOCNからピカラに移転させる準備はできたのだけれど、案外と、メル・アドはいろんな所で使われているし、周知もされているもので、おいそれとは切り替えられない。かと云って、いつまでもダブル・アドレスでは不便で仕方がない。

 

 この二台のパソコンに、業者さんが設定したメーラーは、ウィンドウズ・メール。それ+に「シュリケン」というメーラーが入っている。つまり、左右に二個ずつのメーラーがあるということは、四つのメールをチェックすることになる。同じメールを4回ずつ読んで削除するという手間、さらに、二つのメルアドがあるから・・・。

 

 さらに、横のおこたの上にもデスクトップがあるから・・メールの削除だけでもうんと時間がかかってしまう。どうにかせんといかんなぁと思いつつ・・・思いつつ・・・。

 

 ホームページ移動作戦の準備もしなくてはならんのだけれど、当面は、19日の報告会。これに集中しないとあかんのかな・・・。

 

 今日の掲示板はうまいことにこれ。同じ組(そ)の下津先生のところにあったもので、「大丈夫 心配するな 何とかなる」と云う一休禅師の言葉らしい。らしいというのは、原典がはっきりしないからである。一休禅師は87歳という当時の平均寿命の倍近くの高齢で亡くなったと記録に残っているが、最後に弟子たちに「どうしても困った時に開けなさい」と一通の手紙を残して旅立った。数年後、弟子たちが困窮した時、固唾を呑んでその手紙を開けた。すると、中には「大丈夫。心配するな。何とかなる」としたためられていたと云うもの。 「大丈夫。心配するな。何とかなる」-まさにそうなのだ。それがどんなに深刻な問題でも、時間が全てを解決してくれる。 「その職は余人を持って変え難し」などと言う話をよく聞くが、そんなことはまずないのである。「俺が辞めたらこの部署(会社)は終わりだ」なんて話もよく聞くが、そんなこともまずない。ほとんど全ての事柄が「何とかなる」ものなのだ。所詮、人間の能力など大して変わりはしないのだし、ほんの少しの幸運とひとかけらの“才”があれば、どんな人間にも特別な存在になれる可能性がある・・・ということである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


寒桜 カメラばかりが 取り囲む

2014年03月06日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、瀬戸内側や山地では雲が広がっていた。気温は3度から7度、湿度は70%から48%。風は3mから5mの西北西の風。明日の7日は、引き続き冬型の気圧配置となるため、雲が広がりやすいのだと云う。

 

 今日は暦の上では「啓蟄」なのだそうだが、寒い一日になった。お昼過ぎには粉雪がちらついたりもしたが、大事にはならなかった。

 

 さて、しわく広島の事務局から研究報告会の案内状が届いた。私のデザインしたチラシとポスターが印刷されて同封されている。

 

 報告会は三月19日(水曜日)の午後ということだから、もう、二週間を切った・・ということになる。昨日は少しリハーサルをしたけれど、一時間少しだった。もう少し、ゆっくり目に、しっかりとお話しなければ・・と思った。

 

 それはそうと、Facebookというソーシャル・ネットワーク上に、私が掲載した画像を、ペン画作家の伊丹さんという方が「絵」にして下さっている。それが何枚かたまってきたので、どうにかしたいと考えていた。

 

 以前に、まんのう町の亀山さんという方の写真を、その伊丹さんがペン画にしたものを、亀山さんはコラボの写真集にしておられた。そこで、そこまでの枚数はないので、とりあえず、パワーポイントで、電子紙芝居風アルバムにしてみた。

  

 という風にして、12組24枚の写真集ができあがった。伊丹さん、ありがとうございました。

 

 まぁ、こんなことばっかりやっているからか、ほかの原因なのか、目の調子が相変わらず悪い。目が乾くし、目がかゆいし、左目はかすんでいるし、焦点が合わないので、ものが二つに見えるし・・。だから、目薬をさすことばかりをやっている訳だ。

 

 「シュマズ・イタマヌ・・」というのでは効き目がないのでは・・とおもうのだが、昔の広告はこんなものだったんだな。

 

 私がこどもの頃には、こんなものがあったように思う。

  

  でも、なんでか、ついつい、口を開いてしまうんだなぁ・・・。

 

 ということで、今日のお昼はこれになった。これで成果があるのかないのかはわからないが、体重は65Kgまでには下がったけれど、ここからが減ってくれない。ドクターは58Kgがベストだと云うのだけれど、60Kgを切るのは至難の業だ。

 

 昼からは粉雪が吹き荒れたが、まるでひやかしのように跡形もなくなってしまった。ま、雪が珍しくて嬉しいわけではない。

 

 ということで、午後からは相変わらずのお勉強。この本の船が英国海軍の測量船「シルビア号」である。英国士官レキが乗っていたとされる船である。

 

 夕方になると雲の間から太陽が顔をのぞかせるようになってきたが、気温は下がる一方である。

 

 今日の掲示板はこれ。「心がしっかり定まっていないと 人の言葉に乗せられて転ばされる」という、荒了寛さんの言葉である。近年の「オレオレ詐欺」とか「振り込め詐欺」とかがなくならないのは、こういうことかも知れないと思った。そんな話があるわけないとはわかっていても、ついつい、人の言葉に乗せられてしまうのだろう。こころがしっかりと定まっているいないの問題以前に、我が家には預金通帳に残がないのだから、どうしようもないというのが実情なんだけれど・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


春の空 見えぬ地蔵を 載せて行く

2014年03月05日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雨が降っていた。その後は冬型の気圧配置となり雲が広がり、昼過ぎまで雨の降る所があったようだ。気温は6度から10度、湿度は94%から58%。風は1mから4mの西北西の風が少しばかり。明日の6日は、引き続き冬型の気圧配置となるため、雲が広がりやすい見込みなんだとか。

 

  朝の間も細かな雨が降っているものだから、遊びにいきたし傘がいる。それだし、遊びに行きたい場所もない。困った、困った、こまどり姉妹。

 

 こうした雨の日は気分的に出かけたいという気分にはならない。そこで、二週間後に迫ってきた「イギリス士官レキ研究会」の発表用のスライドショーを起動して、報告会のリハーサルをやってみた。

 

 この、パワーポイントを使っての報告資料のシートは70画面。つまり、電子紙芝居の画面が70枚もある超大作の紙芝居になっている。これを淡々と説明してゆくと、およそ、1時間。予定時間は1時間30分だから、もう少し、丁寧に説明しないといけないなぁと思った。

 

 今回の第一回目のリハーサルで気づいたことは、「広島住民への英国からの感謝の言葉」。これを強くアピールする必要があるなぁと感じた。大英帝国の海軍のトップにしてみれば、名もない一下級士官の墓を、30年もの間、夏の盂蘭盆会を始め、ことあるごとに野の花を供え、花のない冬にはサカキを供えて線香を手向けて慰霊してくれていることには感激したことだろう。その感謝の言葉を、しわく広島の住民に対して声を高くして讃えたいと思った。

 

 お昼前に泊まり勤務から戻ってきたけいこばぁが、「おうどんに行こ!」と云う。「え~・今から行ったら混むやろ・・・」と云うのに、「行こ!行こ!というので、仕方なく出かけた。案の定、こんな行列が・・・。場所はさぬき市造田宮西にある「セルフうどん・溜(たまり)」。

 

 で、ここに来たら、このうどん・・・ということで、お店の名前の付いた、このお店推奨の「溜うどんの小」を注文した。これで350円。あれだけの行列でも10分もすれば麺を注文して会計をすませて席に着ける。それだけ回転が速いってことだ。

 

 実際はこんなおうどん。あたたかいうどんに、とろろがたっぷりと載っていて、削り節と大きな梅干しが載っている。ネギはフリートッピング。ここに、添付されたお醤油を回しかけて食べる。

 

 店内にはこうした調度品が展示されているし・・・

 

 こうした、アンティークな品物も展示されている。

 

 午後からも、英国士官のおさらいとかまとめとか・・・。

  

 今日、明日はまたも冬型の気圧配置になって雲が広がりやすい天候が続くらしい。なかなかに、気分がすぐれないことだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「苦しいのは 自分を中心にしているからだ」というもの。平野修先生(真宗大谷派明証寺住職)のお言葉らしいが、詳しいことはわからない。「苦」は、私の回りや上下やその周辺にあるものではなくて、この私の中にあるということなんだろう。この私が、あんなこと、こんなこと、さまざまなことに思い巡らせて、「苦」というものを生み出しているのだぞ・・と云うているのだと思った。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


梅咲いて 明日の夢が わき上がる

2014年03月04日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、夕方からは気圧の谷や湿った空気の影響で次第に雲が広がり、夜遅くには雨となるらしい。気温は0度から9度、湿度は80%から55%。風は2mから3mの東北東の風が少し。明日の5日は、低気圧が四国沖を東へ進むため、昼前にかけて雨となる見込みで、午後は次第に冬型の気圧配置となり、雲が広がるという。

 

 今日はお天気もいいことだし、おでかけをしようと出掛けたものの行く宛がない。そこで香川県南部の山道を走ってみた。ふきのとうがないかなぁと鵜の目鷹の目で・・・。ところがどうしたもんだか、ふきのとうなんて見つからない。大きくなれば蕗の葉っぱになっているだろうに、それすらもない。

 

 さぬき市の大川町から寒川町を経て長尾から三木町の鹿庭地区から山の中に入って奥山・神山という集落を経て元のさぬき市多和という集落から前山地区へ。そこで小休止。「道の駅長尾」でのトイレ休憩。

 

 ここには産直市場もあって、こんなものが並べてある。ふきのとうの鉢植え。

 

 値段を見て驚いた。これで650円。ま、植木鉢が半分くらいするんだろうか・・・。「えっ!これで・・・」。それにしても、こういうものを買って帰る人がいるんだろうよ、ここに並べてあるのだから。

 

 長尾東から、またも寒川町の山中に入って東に向かう山道を進む。対向車が来れば、どうにもならないような細い道だ。だが、幸いなことに誰とも対向しなかったし、人にも出会うことはない。そんなことで、寒川・大川へと舞い戻り、今度は東かがわ市に入って国道377号線を東に入る・・・。

 

 ようやくに一個だけ見つけたが、一個ではどうしようもないので、そのままにして先に進んだ。今日は奥方のけいこばぁはいないし、ふきのとう一個では何もできない・・・。

 

 会社に居たころには、故障修理や調査業務などを走り回っていたので土地勘はあるのだが、細かな部分になると記憶が飛んでしまっている。おうちも新しくなっているし、道幅も改良もされているから、「ここはどこなんだろう・・・」と思う場所もたびたびあった。

 

 最近、「小欲知足」という心境になったんだろうか。ついでに立ち寄った本屋さんでも、家電量販店でも、これぞ・・・というものがない。「これもあるしなぁ・」「こんなもの、必要ないしなぁ」とかと・・・何を見てもこころが動かない。ついでに、大型スーパーにも立ち寄ったのだけれど、同じようなことで、何も買い物カゴには入らない・・・。

 

 と云うことで、今日のお昼はこれ。リンゴ一個にしては多いなぁと思ったけれど、単に容器が小さかっただけ。これに野菜ジュースを飲んでおしまい・・・。

 

 でも、天気がいいのに何をやってるんだろうか。行きたい場所もないし、会いたい人がいる訳でもない。結局の薬局で、我が家に戻ってパソコンの前に座らないと落ち着かない。依存症ではないと思うのだけれど、パソコンの前が居場所だなぁとは思ってしまう。もう少し温かくなって、桜の花が咲き始めると、それこそ、じっとしては居られなくなるのだけれど。

 

 夕方、しわく広島のセンター長から「USBメモリーが着きました」の連絡が入った。あと、資料や画像の使用承諾はイギリスのグラハムさんと事務局が対応してくれるみたい。それだし、報告会の配布用資料も印刷してくれることになった。ポスターやチラシはすでに印刷が終わって、各家庭にも配布されている様子。私は私の準備をすればいいだけになった。

 

 そういう肩の荷物が少し下りたら、今度は、私のホームページを「OCN」から「ピカラ」のサーバーに移し替える構想がわき上がってきた。ただ、ピカラというプロバイダーにも「容量制限」というものがあるので、大きなデータになると、やはり、有料になってくる。そのあたりをどうするか・・・思案中。

 

 今日の掲示板はこれ。「宗教は病気を直したりはしない 本物の宗教は病に苦しむ人間そのものを救う」というもの。これまた、どこの誰の言葉かはわからない。どこから引用してきたのかもわからないが、「そうなのかなぁ・・」とは思うし、同じ組(そ)の住職さんの言葉だから、「確かにそうなのかもしれないなぁ~」とは思う。

 

 じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


日陰から 明日を見上げる ふきのとう

2014年03月03日 | ひなまつり

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、ときおり曇ったりもしていた。気温は5度から8度、湿度は82%から49%。風は北北西の風が5mから3m程度。明日の4日は、高気圧に覆われて晴れるらしいが、気圧の谷や湿った空気の影響で、午後は次第に雲が広がり、夜遅くには雨となる見込みとか。落ち着かない毎日が続くことよ。

 

 さて、例の「英国士官レキ研究会」の資料が完成(?)したので、配布用資料とともにusbメモリーで郵送した。メールで送信して欲しいと云われていたのだが、通信エラーで送信できずに、二等分にしたり、三等分にしたが、やはり大きすぎたのか送れない。パワーポイントは画像が多いために重くなってしまうのかも。せっかく光になったのだからと頑張ってやってみたがあかんかった・・・。

 

 で、今日はH(Hiketa)I(ichimatsu)N(Ningyou)48総選挙のセンター発表会だというのでのぞいてきた。トップは41番さんだった。私の投票した45番さんは全くの番外だったようで・・・。

 

 今年は「かかし」も展示されていてカメラマンが集まっていた。そうそう、「カメラ女子」というのも多かった。この「かかし人形」は徳島県で盛んになって、さぬきの地でもあちらこちらで展示されるようになった。

 

 昨年からかな、金魚びなが登場したのは。金魚びな・・・と云うても、金魚の泳いでいる水槽の前にひな人形を並べただけのものだが、案外と評判だったようで・・・。

 

 ということで、今日はここの模擬店でのおうどんになった。毎年、お店の数が増えてきているし、商品の数も多くなってきたように思う。

 

 で、一番安い「かけうどん」でも・・・と思って入ったら、この「ひなうどん」が最低で350円だった。このお雛さん模様のかまぼこと、ひなあられが入っているようなもの。このおひなさん用のトッピングで50円アップなんだ。

  

 ということで、東かがわ市の「ひけた・ひなまつり」は今日でおしまい。また、来年ってことになる。

 

 これが、この「引田:ひけた」の名物の「うずまき」というお菓子。さほど甘くなくてあっさり系なのだというが、どうにも手が出ない。普段には、「讃州井筒屋敷」で販売されているのだとか。

 

 もう、そろそろかなぁと、東かがわ市の湊川沿いに植えられている「川津桜」を見てきたが、」まだまだ蕾の状態。かろうじて見つけた1本だけに少しだけ花びらが開いていた。まだまだ寒いっていうことかな。

 

 午後からは、東かがわ市の五名(ごみょう)地区に行って、ふきのとうを探してみたが、寒いせいなのか全く、眼につかなかった。それでもあちらこちらへと走り回って、眼のトレーニング。ここ数日、パソコン作業をやっているせいで眼がおかしくなっている。それで野山を見て、視力の回復でも・・・と考えて。山裾や道路脇にある、かすかな黄緑色の「ふきのとう」を見つける・・・。

 

 それでも、1時間ほどで今夜のおかずくらいにはなった・・・。

 

 ゴミや荒皮などの掃除をすると、めっきりと少なくなったけれど・・・。

 

 ということで、背中におぶさっていたお荷物の二つが片付いた。一つは発表用原稿の完成と、配布用資料の提出。あとは、何回かリハーサルをやって、時間調整をすればいい。70枚もの電子紙芝居を1時間半で説明できるか・・・ってことだな。

 

 今日の掲示板はこれ。「同じことでも 「なんだ、これしかできない」と不満に思う人 「これだけはできた」と喜ぶ人 喜ぶ人が幸せへ」というもの。「3歩しか歩けない」と嘆くのか、「3歩も歩けた」と喜ぶかの違い。それが人生には大きなことで、1,000Kmしか歩けないのか、1,000Kmも歩けたと喜ぶのかみたいな差になって来る。人生は、そんな少しの差が大きな喜びに実って来るものだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


精出すと 決意もないが 梅の花

2014年03月02日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は気圧の谷や南海上の前線の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は7度から12度と暖房のいらない一日になった。湿度は92%から54%。風は1mから2mの北西の風が少し。寒い風ではなかった。明日の3日は、冬型の気圧配置となるため、雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 今日もお天気が悪いし、奥方がいるもので外出禁止。仕方がないので、今日もデスクワークの引きこもり状態。朝夕の犬の散歩に出た程度。

 

 三月の第一週中に、例の「英国士官レキ研究」の「パワーポイント」データを事務局に送らないといけないのだが、その構想がまだできあがっていなかった。行き当たりばったりで、データや情報を追加・追加・修正・改造をやってきたものだから、話の筋が通らない。

 

 今朝方、布団の中で、ハタと気がついた。肝心の「英国士官レキ研究会」のことが何も出てこないのでは、研究報告会にはならないではないかと夢の中で気がついた。そら、そうだ。

 

 「なぜ、この研究テーマを選んだのか」「どういうメンバーが集まって、どういう研究をしようとしたのか」という所から始めないといけないじゃないか・・ということに気がついた訳だ。そこで、シート(画面)を追加したり、入れ替えたりして、ストーリーを組み替えてみた。それでは話がつながらなくなって、またもや、シートを入れ替えたり並べ替えたり・・・。

 

 ま、紙芝居の絵の順番を入れ替えて並べ替えるみたいな作業なわけだ。絵の順番を並べ替えるとお話が飛んでしまったり、切れてしまったりするから、新しい絵を差し込んで話をつなげてみたりするってことだ。まるで、とんちんかんなことをやっていることになる。

 

 普通のお話は、「起・承・転・結」で組み立てるもの。新聞とかでは、「結・起・承・転」とかの技を使ったりするが、普通はそういう流れは考えずに流れを決めてしまっているのが実情。時系列で情報を並べてしまって、それで報告を終わってしまうスタイルである。

 

 で、今日もお昼はリンゴと紅茶という簡単なもの。こんなんで大丈夫かなぁと思ったけれど、リンゴもまるごと一個を食べると、それなりにおなかも満足している。不思議なものだ。

 

 お昼もそうだけれど、夜の部の、20時からのテレビを見ながらの二次会で、清酒二合あまりと、生玉子二個を飲むのがカロリーオーバーになるのだと、けいこばぁは云う。それをやめて二週間。果たして効き目はあるのだろうか・・・。

 

 近くの畑では麦が若葉を出してきた。これを見ると春だなぁと思う・・・。 でも、最近は「麦踏み」というものを見なくなったが、それでも麦は大丈夫なんだろうか。

 

 我が家の裏庭を見ると、ここにもふきのとうが少しばかり生えてきている。ここは、いつでも採れるからとそのままにしてきたのだけれど、あんまり大きくなっても・・・ということで採ってきた。

 

 大きいものばかりだから、どうして食べようか。フキの佃煮にでもするのだろうか。

 

 母のさっちゃんの植えたチューリップが、今年も芽を出してきた。自然は律儀でけなげでまじめで真剣だなぁと思う。時期が来れば、それなりに芽を出してつぼみをつけて花を開かせるのだから・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「精だせば凍るひまなし水車」というもの。世間には三日坊主という言葉がある。計画を立てることは誰でもするのだが、それを長く続けることは大変なことだ。正月の初めに目標を立てた人も、この時期は忘れがちになるころ。 わたしたちは、悩み、苦しみが続くと、色々な神さまに頼ったり、一心に仏様を拝んだりするもの。だが、少し良くなるとやめてしまって、忘れてしまいがち。 このような姿を「火の信心」と云い、一時は火が燃えさかるように熱心になるのだが、いつのまにか消えてしまうもの。 その反対に、目立ちはしないが、いつまでも続けている姿を、「水の信心」と云う。 川の水は、たとえ細くとも、止まることなく流れ続けている。この姿が大切なことである。 「精出せば、凍る間もなき、水車かな」 私たち人間は、どちらかと言えば、苦労を嫌って安易を求めがちである。一度怠け癖がつくと、なかなか立ち戻ることができない。何事も継続することが大切なのであるのだが・・・。

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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