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まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

持てあます 政治法螺好きな 老婆たち

2010年02月12日 | 歴史
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 丸亀市沖にあるさぬき広島の「茂浦」についてのお話。

 さぬき広島の北側にある茂浦地区の住宅地の中、東通に鎮座するのが塩竃神社だ。昔、立石の塩田をまねて、塩入川から入ってきた塩水で製塩業が行なわれた。今の住宅が密集する平野部だ。瓦焼きの森さん宅脇の堀は海水を引き込むためのもので、宮島さんの祠が堀の中にあり、お社も砂川石材店裏手にある。製塩業が栄えるようになると、東の櫻通りの山(岡氏の私有林中)にあった塩の神さまを塩田の地にお迎えして、その業の発展をいのり、住民の幸福を図るためにおまつりをしたのが今の塩竃神社だ。

 

 祭神は塩土神・綿積神の二神だ。本殿は三尺六寸に四尺の流造り瓦葺で明治四十年に改築されている。弊殿は一間に一間半の切妻造り瓦葺。拝殿は一間四尺に三間の入母屋造り瓦葺。境内坪数は八三坪。

  

 社殿には古くから千石船の絵馬が奉納され、山本利海氏の観音丸の奉納した日本で二番目に古いものがあったが、現在は県の民俗資料館に保管されている。

 

 一時期、今の境内が狭く、社殿も小さく古いので、近くの山頂に移転しようと、整備し、鳥居も建てて、遷座しようとしたが、ついに札が落ちず、神様が移転を拒否したということで、そのままになった。今も県道脇に、主のいない鳥居だけがぽつりと建っている。

 この・・茂浦港には、「おたみさんばし」がある・・。当地の藤本通子、正樹の兄弟は大阪で電気関係の事業に成功し、正樹さんは書道家としても著名で雅号「玄幽」の名で「玄幽美術館」を建てたほか、観光事業として「いろは石」を設置したが、茂浦港には「おたみさんばし」が残る。これも正樹氏の寄進したもので、金額は五十万円。昭和十二年八月のことである。

   

 玄幽美術館近くには藤本通子さんの「一億円の別荘」がある。鉄筋コンクリート製の三階建て。通子さんは小学校などにテレビや椅子なども寄付したし、近くには島の婦人たちを集めて藤間流の舞踊も指導していた。

 

  集会場のすぐ山手に、立派な石垣をもつ屋敷があるが、ここが松田登三郎さんの生家だ。この登三郎さんは東京で大倉組という建設業の重役を務めた方で、この人も故郷茂浦西海岸の防波堤を作ってくれた。その工事は昭和十二年九月に着工し、翌十三年九月に竣工した。その時に登三郎さんが寄付した金額は二千三百五十円だった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

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