まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

借り物の 命尊し 蝉の声

2019年07月28日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、湿った空気の影響で雨や雷雨となってきた。気温は26度から31度、湿度は90%から72%、風は1mから2mの北の風が少しばかり。明日の香川県の29日は、高気圧に覆われて概ね晴れるが、午後は日射や湿った空気の影響で雨や雷雨となる所があるらしい。

 

 111/51/71 36.4c-96% 63.3Kg 1012hPa,28c,48% 食べ過ぎもなく飲み過ぎでもなかったのだが、気疲れなのか湿度のせいなのか、妙に身体が重くて7時過ぎまで寝てしまっていた。弟たちも帰ってしまい。奥方も出勤してしまった。なんだかけだるい朝。

 

 昨夜もカラオケを楽しんだが、私はいまいち、ノリが悪かった。だから数曲を歌っただけだった。それで早めに寝てしまったものだった。

 

 これが、弟の探し出してくれた父の葬儀のアルバムだった。当時は花輪や盛り籠の多さを競うような状態だった。でも、私や弟の会社からのものは間に合わなかった。私と弟と従兄弟の三人は、夏休みと言うことで足摺岬に向かう途中で父の死に遭遇したのだった。

 

 突然の死に面して呆然としていた私たちだった。憧れの水道事業を始めて、元気いっぱいではつらつとしていた46歳の父がまさか、突然にいなくなるなんて・・・。

 

 そんなことやなんかで、カラオケに夢中なる元気も出なくなっていた私だった。

 

 そういうことで、今日はまるでやる気スイッチが故障中の私で、寝てばかりいた午前中だった。

 

 昼前からは、突然に激しい雨が降り出して、雷鳴まで轟くようになった。道理で蒸し暑いと思えた朝だった。

 

 一方、母は、平成25年(2013)年2月18日に亡くなった。88歳だった。母の場合も故人の遺志で自宅葬になった。

 

 過去の日記を見ると、ちょうど、この時期に本山での布教使研修会があった。京都から戻ると家の片付けや葬儀の準備をやっていた。一周忌も似たようなことだった。

 

 この時代は、ほとんどが会館や斎場を利用してのお葬式だったが、おりしも大きな雪が降る中での我が家でのお葬式になった。もちろん私が喪主であり、私が読経をして送った。そんなことを思い出していた今日だった。

 

 夕方には雨も上がってきて、また、蒸し暑さが戻って来た。

 

 明日は、県立病院での予約診察日である。そのための書類を準備していた。

 

 仏教で、誰にでもできる布施行として無財の七施が説かれており、その中に「和顔悦色施」がある。穏やかな優しい顔つきで人に接することの意味である。作家の五木寛之さんに「顔は親の責任、表情は自分の責任」という言葉がある。亡くなった父の人生は、並大抵の苦労ではなかったことを、母や祖母から聞かされていた。確かにそうだ、そうだといいながら、そうは言ってもなぁ~・・・という自分がいる。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。