まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

晩秋の楓の赤に急かされる

2021年10月27日 | 時には日々是日

 27日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れるという天気予報だったのにずんやりと曇っていた。気温は13.6度から21.7度、湿度は86%から62%、風は1mから2mの西南西の風が少しばかり。明日の28日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 114/61/78 36.3c-98%-64.2Kg 17.9c-56%-1020hPa 数字的には問題ないが、やはり身体全体が重い感じがする。

 

 昨夜から今朝がたにかけて、1時間ごとにトイレに起きたのは少々疲れる。眠ったという感じが全くない。水分を出したらそれだけ体重が少なくなる計算だが、実際にはそうはならない。

 

 目が覚めてから朝ドラが終わるころまで(朝ドラを見ているわけではない)、自分史「昭和は輝いていた」の文章に画像を挿入する作業をやっていた。

 

 最近の小学生は学校でぞうきんがけをするのだろうか。京都の本山でお勉強をした時には、この雑巾がけが朝の大事なお仕事だったのでたまげたのだから、小学生や中学生が雑巾がけをすることはないのかもなぁと思う今日このごろ。

 

 

 先日(10/22)に草刈りを始めたら呼吸困難になって中断されていた裏庭である。中央のヒノキの木あたりでギブアップしてトラ刈りみたいになっている部分。あれから五日も休んだから・・・と思って続きを刈ってみた。

 

 こういう長い柄の刈り払い鎌と短い草刈り鎌を使っての作業になった。

 

 相変わらず、この「おかめ蔓」が異常繁殖していて、おとなりの畑にまで侵入しようとしている。それを鎌で切り分けて阻止するのである。

 

 だと・・・、こんなだったところが、

 

 こんな風になった。このあたりが手が届く範囲である。

 

 トータルでは、こんな風に我が家の境界線までは草を刈ることができた。今度は、その上の段の草刈りが待っている。これが、8時半から10時までの1時間半のお仕事になった。

 

 その後空き瓶を回収場へ運んだり、乾電池や古い蛍光灯なんぞも回収場へ運んでおいた。別に「主夫」をしているわけではないが、なんやかんやと雑用係をやっている。で、今日も「こがね製麵所寒川店」に行ってきた。50円引きの割り引き券をもらったので、仕方なく行ってきたのだ。

 

 で、相変わらずの「温玉ぶっかけ小の温いん」をお願いした。今日は控えめでおいなりさんも天ぷら物もない。ほかに・・・と言っても、お肉が食べられないのだから、「おろしぶっかけ」とか「しょうゆうどん」とかでは寂しいし、寒くなってのザルうどんはどうも・・・となると、やはり、これしかなくなってしまう。

 

 若いころには「かけ大(三玉)」を平気で食べたが、今はもうそういう元気はない。

 

 今日の掲示板はこれ。「眠られない人には夜が長いように 正しい教えを知らない人にはまよいが長い」というもの。
  (前略)
 弓矢を作る人が、矢を削ってまっすぐにするように、賢い人は、その心を正しくする。心は抑え難く、軽くたち騒いで整え難い。この心を整えてこそ、安らかさが得られる。花の香りは、風に逆らっては流れない。しかし、善い人の香りは、風に逆らって世に流れる。眠られない人に夜は長く、疲れた者に道は遠い。正しい教えを知らない人に、その迷いは長い。愚かにして愚かさを知るのは、愚かにして賢いと思うよりまさっている。愚かな人は常に名誉と利益とに苦しむ。上席を得たい、権利を得たい、利益を得たいと、常にこの欲のために苦しむ。大工が木をまっすぐにし、弓師が矢を矯(た)め直し、溝(みぞ)つくりが水を導くように、賢い人は心をととのえ導く。堅い岩が風に揺るがないように、賢い人はそしられてもほめられても心を動かさない。おのれに勝つのは、戦場で千万の敵に勝つよりもすぐれた勝利である。正しい教えを知らないで、百年生きるよりも、正しい教えを聞いて、一日生きる方がはるかにすぐれている。(後略)

          仏陀の言葉 (仏教伝道協会編『仏教聖典』より)

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。