今日も猛暑日で湿度も70~90%もあって、なかなかに残暑厳しき毎日だが、木陰に入ると風があって気持ちがよくなってきた・・・。
今日は日曜日ということで遠出のお出かけはやめにした。日曜日に出かけると混むし、人出も多いし・・・。まだまだ気温は高いので熱中症になっても困るし・・・という名目の休養日になった。
いきなりお坊さんが現れたが、この人は「種田山頭火」という人。自由律俳句を詠むお坊さんだった。今日、8月19日は語呂合わせで「ハ(8)イ(1)ク(9)の日」なのだそうだ。もちろん、俳人ならば小林一茶でも松尾芭蕉でも正岡子規でもいいのだが、私的に、こういうお坊さんの方がいいのだ。尾崎放哉も同じような自由律俳句で、五・七・五という形式にとらわれない句を詠んだ。
こういうのが山頭火の自由律俳句。なかなかにこういう俳句にはならんけれどねぇ・・・。
こちらは尾崎放哉。晩年は小豆島で過ごし、土庄の小さな庵で亡くなった。
これは小豆島に残る句碑で、「いれものがない 両手でうける」と刻まれている。自由律俳句とはそういうもの。季語もなければ五・七・五でもない。でも、私らがそういうものを作っても俳句にはならないで、単なる駄文にしかならぬ。
で、今日のお昼はここになった。東かがわ市白鳥(しろとりにある「讃州うどん・ほそかわ」はぶっかけうどんのおいしいお店。今日は日曜日ということで少し早めに行ってみた。ここは11時開店だから、開店と同時にお店に入った・・・。
で、ちくわ磯辺揚げぶっっかえうどん小の冷や」をお願いした。ここは一般店。テーブルに着いて注文してから・・・15分くらいは待つだろうか・・・。ま、チクワの磯辺揚げのあつあつが食べられるのだから仕方がない。これで450円。
と言うてる間に早くも行列ができている・・・。土日・休日には家族連れなどで混み合って行列になる。ここは一般店だから・・・セルフ店のように簡単には食べて出ることはない。
このあたりは三月初めから田植えをしているので、今の時期に収穫になる。最近のコンバインはこのようなスタイルになっていて、モミ(稲の実)をトラックにはき出して、そのままカントリーエレベータに運んでしまう。
だからあっという間に収穫は終わってしまう。でも、機械代が高いんやろうねぇ・・・。
今日は珍しい写真を見つけた。こんぴらさんの参道なのだが、いつの頃のものだろうか。昭和の30年代くらいだろうか。国立善通寺病院を抜け出した傷痍軍人さんが、軍歌を演奏しながらお金を恵んでもらっている。福祉なんて言葉のなかった時代、軍人さんも苦しかったのだろうが、誰もが目を伏せて黙って通り過ぎた・・・。
そういう行為が禁止されたのか天寿を全うしたのか、しばらくすると、そういう姿はどこの観光地からも消えてしまった。こちらになると、最近のもののような服装に見える。
今日の掲示板はこれ。「笑っても泣いても怒っても、あなたはあなたでしかありません」と、突き放しておいて、「そこであなたはどう生きるのですか」と、詰め寄られてもどうしようもない。「あるがままに生きて、なすがままに任せきるしかないと、私は開き直ってはいるのだけれど。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。
東京では、地下鉄の通路や、新宿の繁華街で見かけました。いつも、包帯が白くきれいで、偽物の傷痍軍人になりすまして稼いでいる人もいたとか。
昭和30年ごろには、見なくなりましたね。
自分がそうだからそんな気がするだけなんだろうか。
なんか、あまり憧れるような生き方じゃないような気がする。
もっとあるがままを生きれば少しは楽で幸せな生き方が出来るような。
分からん・・・・・・
今朝は幾分涼しい気がする。
湿度が少し無くなったか、気温が少し下がったか。
朝からエアコンは入れなくて済んでする。
空気循環の意味も兼ねて扇風機君は働いてもらっとるが。
偽物・・・・。「こんぴらさんに行くとサクラがおるから気をつけないと・・」という言葉を覚えています。ああいう人に「かわいそうに・・」とかとおかねをあげる人がいて、それでつい、みんなが小銭を投げるとか・・・。
あの頃、どこにでもいましたねぇ・・。
偽物か・・・。そうだったかも知れないなぁ・・。
確かに朝夕は涼しくなった・・・。何か一枚羽織らないと、ごんの散歩にも行けないかなぁと思案中。
思いを文字に残すのは簡単なようで、年月の波に洗い流されない強さが二人の句にはあるのかなと思います。
放哉が晩年を過ごした庵を訪ねたことがありますが、今でいうとホームレスのような訳の分からない人が暮らせたのも、島と時代の懐の深さでしょうか。
止むに止まれずそういう生き方しかできなかったし、それを貫いたのだから二人ともある意味立派ですよね。
こんぴら参りの写真、興味深く拝見しました。
二枚目の長いお堂は灯篭を納めるもので、船大工がたてたそうですね。先日行ったときに、立派で丁寧な作りに驚きました。
長いコメント失礼しました。
とかく、こちらでは「塩飽大工」が有名なんですが、ここのお堂は「芸予諸島の大工さん」によるものらしい・・。
山頭火と放哉さんのお話、興味深く拝聴しました。
>自分を見る別の目があるからでしょうか
さすが・・・文学おねえさんです。メモメモ・・・。何もかも捨て去ったあとの・・・「山下清」的野放図さかも知れません・・・。欲だの得だのという色眼鏡をかなぐり捨てた後の澄み切った空気感かも知れません・・・。