まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

雲のない 空いっぱいに ほととぎす

2017年05月18日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は14.4度、湿度は94%から53%、風は0mから1mの北東の風が少しばかり。明日の19日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今日は月に一回の「予約診察日」。毎月の定期診断日。毎日の薬の処方をしてもらう日。

 

 まずは放射線科で胸部レントゲン撮影。これで腹水・胸水の有無を調べる検査。その後、検体検査という採血による検査がある。今日は尿検査はなかった。

 

 患者さんの人の数は少ないのだが、予約診察が多いためか案外と時間はかかる。

 

 やはり、胸水が貯まっているらしいのだが、心不全の症状は改善されているということで、薬はそのまんま・・ということになった。薬は昨日までだから、今朝は「利尿剤」を飲んでいないから胸水がたまっているし、足は少しばかりむくんでいる。

 

 今日の予約時間は11時半だったが、今日は「春の永代経法要」が行われるので早めに病院を出たかった。そういうことで、早め早めに検査を終えたが、血液検査の結果が出るのに、一時間ほどかかるというので、しばらく待たされたが10時半には病院を出た。

 

 で、軽く昼食を食べてお寺には11時半に着いた。もう、すっかりと準備ができている。

 

 そこでカメラ片手に境内散歩。

 

 本堂脇にある「庄松同行」の銅像にもご挨拶。小倉右一郎氏の作という。何歳の頃か・・と質問されるが、元になった写真や似顔絵がある訳ではない。

 

 こういうお話などから作られた庄松さんの銅像なのだろうと想像している。

 

  勝覚寺は讃岐国名勝図会には、開基は明暦三年(1657)沙門正哲の草創とあるが、寺伝によると、天正四年三好氏落城のとき、その家臣板西城主赤澤信濃守は中富川の合戦において討ち死にし、天正十年(1582)赤澤信濃守の一子正本法師が菩提を弔うため、大坂天満興正寺で証秀上人につき得度し、丹生の郷小砂村に小砂坊を開基したのが勝覚寺の始めとされている。古い安楽寺末寺帖にも小砂正覚寺とあり、追加の記事にも三本松正覚寺とあり、創建も寺伝による天正年間が正確といえる。安楽寺末寺となったのは、阿波三好氏の関係であろうと思われる。

 

 13時半からのお勤め。導師は善海さん。14時からはご法話で、川田慈惠師。お正信偈の中身のお話だった。お正信偈には何が書いてあるか・・ということだった。

 

 今日の医療費は・・・32,320円だった。今月も苦しい生活になりそう・・。

 

  今日の掲示板はこれ。【「目をあけて眠っている人」 私も、その一人でした】。この私の目は確かに開いているのだけれど、心の目が眠ってしまっている人。ものごとを見てはいるのだけれど、本質や真実を見る目は眠ってしまっている人。目をあけて快楽や娯楽にうつつを抜かしながら・・・自然から与えられるものに気づかないでいる人・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。



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