まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

日の暮れて 秋雨が駅を 過ぎてゆく

2011年10月30日 | たまには旅など・・。

 朝起きて、ふとテレビの電源を入れたら、こんな人が画面に映った。勝海舟とクララさんだ。

  

 ハロウィンが近いせいか、パンプキンパイの話で、勝海舟もパンプキンパイが好きだったようで、勝家には「お菓子部屋」があったという話だが、みな子さんは、ここのホテルに泊まってるんだけど・・。

土肥(とい)の宿を九時に出て、山道をくねくねと走って、戸田(へだ)という町に入る。この先にある出会い岬から眺める富士山がきれいだというので、そこに案内してくれたのだが、

 

 あいにくと曇り空で富士山はかすんで見える。それでもみんなは「わぁ~すごい」を連発する。富士山が見えたら、それで幸せ!みたいな喜びようだ・・。

 ここに造船資料館がある。「戸田造船郷土資料館」というそうで、幕末にやってきたロシア船が津波で壊れ、この入江まで曳航したがついに沈んでしまったのだという。そこで、急遽、日本人の協力で代船を作ったらしい。それを記念する資料館らしい。

 右手に見えるものがプチャーチン提督の乗っていた「ディアナ号」の錨だというもの。

 

 これが代船の「ヘダ号」。この地の「戸田:へだ」を採ったものらしい。これでロシア人は本国に帰ったが、この時に初めて、洋式の船を作った大工たちが、やがて各地で軍艦などを建造する技術者になったという。

 

 そこから「伊豆の国市」という所に向かい、韮山(にらやま)地区にある「反射炉」を見学するが、そこの関連施設の「反射炉ビア」という地ビール工場やそのレストランでの食事。もちろん希望者は自己負担で好きなビールを飲むことができる。

 

 食事はアジのひらきなどを網で焼いて食べる。やはり、地ビールは地ビールかなぁという感じ。ビールに角があるみたいな・・・。

 

 で、これが反射炉の煙突。本体は下の方にあるが、やけに煙突が目立つ。幕末の下田沖に黒船がやってきて大騒ぎになった。その前から、この地の代官、江川太郎左衛門は大砲の必要性を感じ、オランダ語の本を読みあさって、こういう反射炉を考えて作り、銑鉄をつくり、それで大砲を作ったというのだ。

 

 これは臼砲(きゅうほう)というもので、これでも一キロくらいは飛ぶんだそうだ。もちろん、普通の大砲や小銃なんかも作ったらしい・・。これらのことから、「江川砲術」というものが行われ、咸臨丸乗組員水夫たちも、この「江川砲術」を学んでいたという。

  

 知ってる人、いるかなぁ・・。

 それを見学したら、連結しているおみやげもの屋でおみやげタイム。おばさまたちはおみやげが好きやね・・・。

  

 で、これが韮山(にらやま)代官屋敷の「江川邸」の薬医門から本宅を見たところ。大河ドラマの篤姫の嫁入りシーンはここで撮影されたとか・・。手前の赤いものは雨避けフードをかぶった見学者の頭。

 

 ま、代官役所というからには立派なもの。立派だが、質素なもの。で、ここにある古文書の中から、咸臨丸関係の何点かを見せて頂いた。「官軍に追われて敗走する咸臨丸が沖を通っている・・」という通報文書や、それらをまとめて幕府に連絡した文書の写しとか・・・。

 

 これが貴重な文書の一つ。鼓手として乗船した斉藤留蔵は若干16歳。その留蔵が咸臨丸船内で書き留めた物が「亜行新書」。現在、活字版のそれは多く出版されているが、原本はどこにもなかった。それがここで見つかったのだ。これを開いているのが佐々倉さん。手だけ見えるのが、留蔵の子孫の森田さん・・・。感激のご対面だった・・・。

 

 そんな有意義なお勉強をした一泊二日の静岡の旅だった。とてもじゃないけど、おつむの中には入りきらない・・・。

 

じゃぁまた、あとで・・。



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