まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

あら六月 京の都に 立ちたれど

2015年06月01日 | たまには旅など・・。

 京都市の天候は気圧の谷の影響で薄雲がかかっている。気温は17度から31度、湿度は84%から54%、風は1mから3mの東南東の風が少しばかり。

 

 高野山から戻って、準備もあたふたと、今度は京都に向かっての旅立ちである。高速バスのチケットはWEBで購入済み。三日分の着替えとお衣装があればいいというくらいのお出かけであったが・・・。

 

 9時25分に高松自動車道の「高速大内」からJRバスに乗って、一路、JR京都駅烏丸口に向かう。昨日に渡った鳴門海峡大橋を渡り、淡路島を縦断して、明石海峡大橋を渡る。「昨日もここを通ったなぁ~」という思いばかりが駆け抜ける。別にどうでもいいことなのだけれど。

 

 お昼過ぎにJR京都駅に着いた。ちょうど、お昼の時間だから、駅前あたりの食べ物屋さんは行列ばかり。この時期は外国からの観光客や修学旅行生が目立つ。

 

 この子たちは中学生みたい。リュックザックにお土産の紙袋というスタイル。白のズック靴がかわいいなぁと思う。そこから、いつものコースの東本願寺さんにお参りする。

 

 だいぶ、修復工事が終わってきている。でも、まだまだ、工事用の屋根や障壁が構えられている。

 

 こういう企画は、おとなにも用意されたらいいかなぁと思った。

 

 ふと、おなかが空いてきたのを感じて、こういうお店に入ってみた。

 

 で、冷やかけうどんを注文した。140円だった。おなかが空いていたせいか、呑み込むようにして食べたがおいしかった。出汁は少しばかり辛めだった。ま、140円だから仕方がないか。

 

 ここが、和ろうそくの「わた悟」さん。京都本山御用達のお店だし、私んちの和ろうそくはここのものを使っている。ここのご主人が、英国女王の前でハーモニカを演奏したお方。ハーモニカの名手なのである。その後、西本願寺などを回って、14時過ぎに、興正寺に入った。

 

 ところがである。荷物を整理してみたら・・・。

 

 なんと、ノートパソコンの電源コードを忘れている。これでは、ブログの更新ができないではないか。あとは、タブレット端末でなんとかするしかない。

 

 今日から三日間、お世話になるお部屋とお布団。25名分くらいかなぁ・・・。こういう場合も、「座」といおうものがあって、同じ人は同じ場所にお布団を敷く。まさに「領地の占有」だし、「居場所の確保」である。

 

 「居場所の確保」ができたら、今日の街を散歩。孫の「はやて君」と「なぎちゃん」のお念珠を買いに出たが、男の子のものは簡単に選べたが、なぎちゃんのものは難しい・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「ものが縛るのではありません ものをとらえる心に縛られるのです」というもの。これは仲野良俊師(1916~1988)の『三誓偶(さんせいげ)講話』1983年発刊、東本願寺出版部)にある言葉です。師は京都府のお生まれで、大谷大学卒業後、1942(昭和十七)年からビルマ(ミヤンマーで日本語学校の教員をされ、1956(昭和三十二年より真宗大谷派教化研究所所員をされ、それ以降は教学研究に携わられ、北海道教学研究所所長、教学研究所所長を歴任されました。また、真宗大谷派専念寺住職でもあった方。生活がよくなるのはいいことであるが、白黒テレビを買えば、カラーテレビ、その次は大きなテレビ、さらには二台目のテレビと欲望は広がっていく。物を得てしばらくは幸福感があるけれど、後は当たり前になり、欲望はさらに大きくなっていく。この欲望となってくる心に注目しないと、物に流されるだけの生活になってしまうもの。このことを仲野師は、便利な物を手に入れれば、もっと便利な物がほしくなるといい、結局は次々と出てくる欲しい物、必要な物に縛られた生活になっていくとされたのである。しかしその実は、欲しい物に縛られるのではなく、欲しい物をとらえる私の心に縛られていると言われるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。



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