まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

行き先の あるあたたかさ 秋の暮れ

2018年11月11日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は10.6度から19.0度、湿度は88%から58%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の12日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇る見込みらしい。

 

 今日は天気もいいし体調もいい。おなかのツッパリがないだけで、こんなにも呼吸が楽になるものかと思うほど。それに、奥方もいないし、完全休養日。

 

 だから・・・というわけでもないが、県都高松までやってきて、香川県立ミュージアムをのぞいてみた。ここも昨年に来てから久しぶりだ。それだけ、気分が良くなった証拠だろう。

 

 で、こういうものを見たのだけれど、全く、目からうろこどころか涙もこぼれなかった。私の眼の付け所が違うのかしらん・・・。

 

 今年は明治元年から150年ということで、全国各地で150年祭とか150周忌が行われているが、これもその一つで、「高松藩の明治維新 -新時代を生きた侍たち-」という展示である。

 

 現実には、明治2(1869)1月に版籍奉還を建白し、明治4(1871)7月に高松藩は廃止され、高松県となり、藩主松平頼聡(よりとし)公は東京へ移住して華族となった。上の「大礼服」は、その子頼寿(よりなが)が着用した伯爵位のもの。襟や袖口の地色が爵位によって定められていた。(ネット画像から)

 

 

 この桃色の地色が「伯爵」を示している。

 

 この獅子は、初代藩主松平頼重公をまつる玉藻廟の神殿内に奉納されたもので、高松城太鼓楼の棟木から彫刻されたものであるという。

 

 その後、高松県と丸亀県が合併されて「香川県」となり、明治6年には、名東県(阿波国・淡路国)と合併し、同8年にはそれが廃され香川県となるが、今度は愛媛県に編入されてしまう。現在の香川県が誕生したのは明治21年12月のことだった。

 

 その独立運動の中心になったのが旧藩士たち。なかでも「中野武営(たけなか)」(上写真)や小田知周、山田政平らだったし、高松電灯株式会社や百十四銀行・香川新報社・高松電気軌道などを創立したのも旧藩士たちだった。

 

 これは高松電灯株式会社の初代社長の「牛窪求馬(右)」と専務の「松本千太郎」で、写真館の筧三友舎も、旧藩士の「筧政又」が始めたものという。そういう旧藩士たちの推進によって、現在の香川県が生まれ育ってきたということである。

 

 ということで、久々に歴史のお勉強をした私であった。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるとは呼吸することではない。行動することだ。」という、ジャン=ジャック・ルソーの言葉から。ただただ日々を無駄に過ごしていることは、意味がない。意味が無いということはその一日を生きた意味が無いとも言える。そんな日々を、明日も明後日も、まだまだ積み重ねるのかどうか。ジャン-ジャック・ルソー(1712年6月28日~1778年7月2日)は、フランスで活躍した]哲学者、政治哲学者、作曲家。哲学や倫理学、人間学、自然学の他、音楽や音楽理論、文学や文学理論、舞台芸術などの芸術分野など、幅広い関心を持ち、多方面で独自の思想を残している。啓蒙思想の時代にあった18世紀フランスで活躍し、百科全書派の一人に数えられている。「人間不平等論」、「社会契約論」などで民主主義理論を唱えた。「新エロイーズ」などで情熱の開放を謳ってロマン主義の父と呼ばれたし、「エミール」では自由主義教育を説いている。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。



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