今日も薄暗くて遅い朝を迎えた・・・。今日も曇ったまんまの一日であったのかも知れない・・・。
暦では・・・昨日が親鸞聖人のご命日・・。一般的には・・「親鸞聖人忌」と言ったが、宗派内では・・そういう言い方はしないと叱られた。「ご遠忌」というのだそうだ・・。どっちもどっちだなぁとは思う・・・。
京都の本願寺さんでは・・・・来年の一月九日あたりから・・親鸞聖人のご遠忌法要の「報恩講」が行われるそうだ・・・。
それはそれとして、戦の前の腹ごしらえだ・・・。で、今日は・・東かがわ市落合にある「手打ちうどん・讃岐屋」に寄ってみた。ここの・・・しっぽくうどんはおいしいだろうなぁと思って。
したらば・・・「うちにしっぽくはありません」と店員さんに言われた。それならばお店を出てやろうかと思ったが、「今日は報恩講」の日だから・・・ということで、気分を取り直して・・・「野菜ぶっかけ天」を注文した。正式には・・・「野菜ぶっか天」というものらしい・・・。なんでかな?
ということで、うちのお寺(海暁山海暁閣勝覚寺)では今日が「報恩講」の法要だった・・・。
ご存じのように・・・京都では・・「親鸞聖人七百五十回ご遠忌法要」が各地で行われ、その師である法然上人八百回忌の法要がお勤めされた・・・。
で、今日は・・・所属寺院での・・・親鸞聖人七百五十回忌の報恩講・・・という訳だ。
これが・・・勝覚寺で、山門から本堂をみたところ・・・。なかなかにきれいなお寺でしょ・・。
これが・・・鐘楼と本堂を見たところ。境内も広くてゆったりとしたお寺。香川県東部では・・・それなりのお寺だと思うのだけれど・・・。
法要は・・・13時過ぎから始まった・・・。
写真が鮮明ではないが、これが法要の内陣部分・・・。読経は・・「仏説阿弥陀経」。
その後、高松市由良町の・・「秋山和信」先生のご法話・・・。
ま、こういう若い方だ・・・。この人も・・本山の布教師なんだが、「節談説教」を取り入れている・・・。ま、浪花節みたいな・・詩吟のような・・・落語の元祖みたいな話芸で・・仏法を教えるみたいなものかな・・。うまく表現出来ないけれど・・・。
私も・・・最初は布教師を夢見ていたけれど、ちょうどいい時期に・・・台風に遭って、一切合切を失って、その復興に夢中になっていて・・・時期を逸してしまって。気がつけば・・・定年退職の時期だった・・・。
私は・・・音楽法要とか落語+法話とか、大道芸+法話・・・みたいな手法だったけれど、途中での・・・「敵前逃亡」みたいなことで、布教師は諦めざるを得なかった・・・。悔しかった思い出は今も残っている・・・。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。
非常に失礼な言い方でしょうが。
宗教とは根本的に何なのですか?死しての救済でしょうか?
今ある命への偽善的慰めなのでしょうか。
宗教法人が無税で良いのでしょうか。お布施以外にも収入が有ると思いますが。
邪気払い等の祈祷に関して如何なお考えでしょうか。
宗教ていうのは、自分がどう生きるのかってことですよ。この私が、どう生きればいいのかを考えるのが宗教です。
ですから百人の人がいれば百人の信心があり、百人の宗教がある・・。みんな違って、みんないいんですよ。宗教が必要な人もあればいらない人もある。それで幸せならそれでいいじゃないですか。
宗教法人が金儲けなんていうのは新興宗教だけですよ。みんな、お寺も神社も生きていくのが精一杯。多くの神社やお寺がつぶれていくのが現代ですよ。核家族化、少子化で、家族が崩壊していくと、お寺も神社も維持できなくなる。それが現実ですよ。宗教というと、へんな宗教を考えていませんか?
私らは、迷信も祈祷もおふだもおみくじも信じないし、信じる必要がないのですよ・・。ありのままに生きる。なすがままに生きる・・・。それが真宗のあり方だと思うのですよ。
青信号を信じて渡るのが・・信心ということですよ。その信号機を信じるかどうかが宗教かもですね。