まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

法水の 流れて清し 秋彼岸

2017年09月23日 | たまにはご法務

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていた。気温は19.0度から27.8度、湿度は92%から66%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の25日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 この花は、お彼岸を知っているのか、決まってこの時期に咲く。今年は遅いなぁ・・と思っていても、お彼岸が近づけば律儀に花を咲かせる。

 

 さて、大窪寺観光ガイドマニュアルも大詰めを迎えて、メンバー用の「仏教語辞典」の作成に入った。いつものA4版のマニュアルから、その半分のA5版のサイズダウンしたものにする。

 

 だから、表紙は和紙にしてみた。表紙は使いやすいようにソフトカバーにしてみた。

 

 こちらは女性用。華やかなものにしてみた。男性には濃紺の落ち着いたものにしてみた。

 

 私の物は、バインダー形式で、マニュアルと仏教語辞典をミックスにしてある。こちらはハードカバー形式。私は、マニュアルは持たないタイプ。もう、マニュアルのほとんどが頭の中に入っている。

 

 10時過ぎに我が家を出て、勝覚寺に入った。海暁山海暁閣勝覚寺という。天正十四年(1586)、徳島県、板西城主・赤沢信濃守の子息、正本法師は、丹生村小砂に勝覚寺を建立した。貞亨元年(1684)に、第九世・願故法師は、小砂坊を三本松に移し、堂宇を建立し今日に至っている。現在の明海住職は、第二十五世になり、開基以来四二五年の法灯を継承している。

 

 例年、このお彼岸の中日のこの日に、秋の永代経のおつとめになる。で、いつも、この日に、行事や講演会やガイド役を引き受けてしまって大騒ぎになる。今年も、我が家での「BBQパーティー」を引き受けてしまったのだ。

 

 だから、生ビールのサーバーの設置やら、BBQコンロの準備なども済ませておいてからの出勤になった。

 

 この、秋の永代経のご講師は、佐々木安徳先生。「愛顔敬語」、良き言葉を聞きなさい・・・というようなお話だった。いつもの、シルバー川柳を使ってのお話だった。

 

 お話が終わると、我が家へ一直線。もう、弟たちはお墓参りを済ませてバーベキューの準備中。みんな、忙しい・・・と言いながら、それでも、16時からは佳境に入った。

 

 今回は、お年寄りバージョンと言うことだし、孫たちは試験だ模試だと来ないものだから、量も控えめ。

 

 夕方からは室内でカラオケ大会。弟二人は歌う曲目が大幅に増えている。とにかく、歌ってばかりいる。三男の「たっくん」なんぞは、去年あたりは昔の山男たちが歌う歌をトンチンカンな音程で歌っていたのだが、最近は歌謡曲からJポップまで歌ってばかりいる。どこで、そんな歌を覚えたのか・・・と、みんなが驚いている。

 

  今日の掲示板はこれ。「どうにもならないことは忘れることが幸福だ」というドイツのことわざからの言葉である。中国の孔子も言っている。『虐待されようと、強奪されようと、忘れてしまえばどうということはない。』と。時間というのは幸か不幸か一次元に流れる。人間はそれに合わせて生きていくことしかできない。それに逆らうことが出来ないのだ。 その圧倒的な力のせいで、人は死ぬこともあるが、そのおかげで生かされることもある。それが『忘れる』ということだ。時に人は、遠い記憶の彼方に忘れたい現実を置いて、自分の時を、前に進めるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。



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