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まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

半夏生 折り返し地点で 立ち止まる

2014年07月02日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、一時、雲が広がり雨の降っている所があったという。気温は21度から31度、湿度は94%から63%・風は1mから4mの南東の風が吹いたりもした。明日の3日は、前線や低気圧の影響で雨が降り、昼過ぎからは雷を伴う所がある見込みとか。

 

 今日は「半夏生」の日。半夏生(はんげしょう)は雑節の1つで、半夏(カラスビシャク)という薬草が生える頃。一説に、ハンゲショウ(カタシログサ)という草の葉が名前の通り半分白くなって化粧しているようになる頃とも言う。本来は七十二候の1つ「半夏生」(はんげしょうず)から作られた暦日で、かつては夏至から数えて11日目としていたが、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっていて、毎年7月2日頃にあたる。この頃に降る雨を「半夏雨」(はんげあめ)と言い、大雨になることが多い。地域によっては「半夏水」(はんげみず)とも言うらしい。

 

 昨日、瀬戸内海歴史民俗資料館で、このパンフレットを見つけたので、今日は高松市玉藻町にある「香川県立ミュージアム」に行ってみた。高松城の東手、香川県民ホール近くにある建物で、少し前までは「香川県立歴史資料館」とか言うておったような・・・。

 

 すると、県展をやっているというので、順路上だからと、まずは県展から見ることにした。

 

 これは、65歳の誕生日になればいただける「長寿手帳」。これを受付で提示をすれば、このミュージアムは無料で見学できる。

 

 今季の県展は「書」の部門。これでも「書」なのか?と思うような作品が眼に付いた。当然、普通の楷書体とか草書体とか隷書体とかの作品も並んではいる。これは書ではなくて「絵」だろう・・と思うようなものもあった。でも、どの作品も「落書きだな」と思うようなものは一つとしてない(当然なのだが)。

 

 香川県美術展覧会(通称「県展」)は、県民の日頃の創作活動の成果である優れた美術作品を展覧し、美術に対する理解と鑑賞の機会とするため、昭和9年から始まっている全国で最も歴史のある、地域に根ざした公募展で、今年で79回目の開催となる。

 

 その後、常設展示の空海展を見たあと、今回の特別展示の「撃てっ!」の火縄銃の展示を見た。戦国時代に普及し、強力な兵器として定着した火縄銃。大名家の軍団に大量の鉄炮が配備される一方、将軍や大名自身が鉄炮を愛用するということも行われた。鉄炮を所有したのは武士階級の者だけではなく、江戸時代の農村や山村にも多数の鉄炮が存在し、その総数は武士階級のそれをはるかに上回る数であったともいわれている。

 

 この展覧会では、このミュージアムが収蔵する火縄銃やその他の鉄砲を展示し、古文書や古記録から近世において鉄砲がどのように位置づけられ、取り扱われてきたのかを見せてくれている。(写真は図録から)

  

 毎年7月2日頃に暦の上の「半夏生(はんげしょう)」が来るが、この日を「うどんの日」と1980年に香川県生麺事業協同組合が制定し、以来「半夏生」の日が「うどんの日」になっている。農家においては田植え終了の目安の日。半夏生(はんげしょう)のころは、天から毒気が降るという言い伝えがあって、井戸に蓋をしたり、酒や肉を断ったり、野菜や筍を食べるのを控えたりする風習が各地にあった。讃岐地方の農家では半夏生のころ、田植えや麦刈りが終わった労をねぎらう為に、うどんを打って食べる風習があった。それにちなんで「うどんの日」の由来となったということだ。

 

 ということで、久々にここにやってきた。さぬき市長尾西笠堂にある「笠堂や」というプチセルフのお店。ここも半年ぶりくらいになる。

  

 で、夏らしく、「梅おろしぶっかけうどん小の冷や」をお願いした。ま、早く言えば、普通のぶっかけうどんに大根おろしと大きな南校梅を乗せたもの。大根おろしに梅の酸っぱさが混じって、暑さを忘れるような味だった。これで330円。そろそろとうどんの味にも慣れてきて、おいしくうどんが食べられるようになった。

 

 火縄銃つながりで、鎌田共済会郷土博物館にも寄ってみたかったのだが、少し方角が違うもので、明日にでも行ってみようと思っている。それに、東かがわ市歴史民俗資料館にも・・・。

 

 今日の掲示板は右側のこれ。「命には所有権もなく価格もつけられないからこそ尊いのです」というもの。これまた、意表を突くような言葉。ググってみても出典も出拠もわからない。「いのち」の所有権とか、「いのち」の価格・・・というのは民事裁判を連想するんだけれど、この場合にはそういう話ではない。命の大きさとか、いのちの重さとか、いのちの形とか・・・、とにかく、そういうものではかることができないから、いのちって、尊いのだと思うし、それぞれに違っているからこそ、尊いものだと思う・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


梅雨ごもり 「野バラ」ばかりを 弾いている

2014年06月27日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は22度から27度、湿度は92%から68%。風は1mから4mの南東の風が吹いていた。明日の28日は、引き続き気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降る所がある見込みらしい。

 

 天気予報では雨が降る、強い雨が降る・・と云うのだけれど、パラパラと小雨程度で雨らしい雨にはなっていない。ただ、ねっとりとするような空気がまといつくばかり。

 

 草刈りという肉体労働が終わったもので、これからはアカデミックにと、香川県立図書館にやってきた。このかまぼこ形の建物は「文書館」で、図書館はこの左手に似たような建物がある。

 

 新聞閲覧台にはずらりとおじさんたちが並んでいたが、こういう「郷土コーナー」にはほとんど人が来ない。私はもっぱら、ここが安らぐ場所。先日にも紹介したが、左手が「空海コーナー」で、密教関係の本がずらりと並んでいる。右手には「市史」や「町史」などの郷土資料が並んでいる。私の本も、この郷土コーナーに並んでいる。

 

 今日はこのような本とか、

 

 このような本を借りてきた。「遍路」と「辺路」、「辺土」や「ヘンド」の違い。「遍路」と「お四国さん」の違い・・・などの「比較遍路学」というか「遍路分類学」みたいな「比較分類学」的研究。元々の「修行僧」は「行乞」をしながら、食料や旅費を喜捨していただきながら修行してきた。

 

 それがいつの間にか、信仰遍路と乞食遍路に別れ、幾つかの分類に別れてきた。所によれば、「遍路」と「お四国さん」に別れたり、「お遍路さん」と「職業遍路」に別れたりもする。この日曜日には、さぬき市のバス研修で高知方面への「フィールド・ワーク」に行って来る。その資料整理も大変だ。

 

 今日は早くも千葉の無邪鬼さんかのお中元が届いた。お中元第一号だ。ボーナスをもらえなくなって久しいから、その感覚が薄れていたからひどく驚いたもの。そんなにもお世話も「いいね」もしていないし、ましてや「シェア」や「コメント」もしていないのに・・・。本物の缶ビールだというから、今夜は「ののさま」にお供えして、明日からおいしくいただきたいもの。

 

 さて、今日のお昼は久々にここになった。さぬき市志度にある「こがね製麺所志度店」というプチ・セルフのお店である。ここも昨年から来ていないように思った・・・。

 

 こういう夏場にはおいしい、「おろしぶっかけ小の冷や」で300円。消費税アップ分くらいは値上げしたのかな。わかめだのねぎだのはフリートッピング。少しずつ、うどんの味が復活してきているみたい。味がわからない・・というのも「お年」なのかも知れないのだが。

 

 天気予報を見てみると、明日の土曜日は雨のち曇りだが、日曜日には曇りのち晴れになっている。雨だったら傘がいるのか、雨具がいるのかと考えていたが晴れて暑くなりそうな31度。ま、明日は明日の風任せにしかならないのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「奪いあえば足りず分かち合えば余る 一人勝ちしようとすると絶対に長続きしない」という、浅利妙峰さんのことばから。浅利の店は、江戸時代から300年以上続く老舗のこうじ屋。今も代々伝わってきた手仕込みの伝統を守り続けている。しかし、浅利はその伝統をただ守っているわけではい。肉も魚も簡単においしくできるという“塩こうじ”を使ったレシピを1000以上考案。その魅力を伝えようと定期的に料理の講習会を開催する。今年はなんと、ニューヨークにまで出向き、その良さを伝える活動を行った。浅利は今、各地のこうじ屋に足を運び、これからの「こうじ屋」のあり方をともに考えようとしている。ブームを一過性で終わらせず長く定着させるには、浅利の店だけが一人勝ちするのではなく全国のこうじ屋全体が良くなることが必要だと考えるからだ。店先で料理講習会を無料で開いたり、客を呼ぶ工夫を伝えたり、そして何より自信をなくしている仲間たちが前向きになれるよう共に考え、励ます。(NHKプロフェッショナル・仕事の流儀より)

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 


そうめんに こころの乾きを 拭われる

2014年06月23日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がっている一日になった。雨が降ることはなかった。気温は20度から27度、湿度は90%から48%。風は1mから2mの南南西の風が少し。明日の24日も気圧の谷や上空の寒気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 今日は月曜日ということで、事務処理を何件か。県立病院の予約診察日の変更とか国民保険の限度額適用申請とかもろもろ・・。最近の役所は「クールビズ」のせいかカジュアルな服装で、これまでの役所とは打って変わってフリーな服装になっている。

 

 その途中で聞いていたラジオから「アリの通販業者」という話があった。日本ではここだけらしいが、アリの家族を売っているらしい。女王アリと働きアリ五匹前後で一万数千円もするんだそうで、これで生活ができているんだと・・・。高いものだと数万円もする。アリがペットになっているらしい・・・が、アリえない話でない。

 

 アリならばどこにでもいると思うが、女王アリを見つけるのがなぁ・・。ま、私は睡蓮とメダカで充分。アリを飼ってみたいとは思わない。

 

 それにアリのエサやりも大変らしい。同じ物ばかりだと飽きてきて食べなくなって死んでしまうそうで、野菜や果物や小昆虫などと雑食性なんだそうだ。角砂糖だけではダメだそうだ。

 

 我が家の緑のカーテンのゴーヤーの背も伸びて、黄色い花が数輪咲いている。

 

 さて、先週、ドクターに「糖尿病の値が上がっている」と云われたので、清酒や米飯を減らして、昼はそうめんやラーメンやうどんにしているが、効果があるもんだろうか。

 

 夏はあっさりさっぱりがいいとは思うが、それだけではパワーが出そうにない。

 

 午後からはまたもデスク・ワーク。四国遍路の電子化作業。相変わらず、「四国遍路の思想」という項目の中でも、「職業遍路」と「病気遍路」に眼が向いてしまう。今日は、それプラス「御利益」というお話。

 

 「目からウロコが落ちる」というのはイエスの奇跡の一つであるのは有名。イエスがその弟子アナニアを遣わして、かつてユダヤ人を迫害した盲目のサウロの目を開かせたという奇跡を起こした。「するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった」(「使徒行伝」第九草)。サウロとはパウロのことである。合理的な宗教と考えられがちなキリスト教ですら奇跡は山ほどある。いわばご利益や奇跡は宗教にはつきものらしい。

 

 そういえば、法然上人も舟を動かす「櫂:かい」で砂浜を掘ったら清水が湧いたとか、杖で岩をどかすと清水が吹き出たとか言うし、親鸞聖人も「国府の片葉の葦あし」・「田上の繋ぎ榧がや」・「小島の八房梅と珠数掛け桜」・「保田の三度栗」・「鳥屋野の逆さ竹」・「川越波切の名号」など多くの不思議な話が残されている。

  

 我が家でも今朝、梅を塩漬けにした。青いものもあったが、熟してきたものが多くなったので漬けることにした。あれだけの量で20Kgというのは意外だった。もっと、あるかなぁと思ったのだけれど。

 

今日の掲示板はこれ。「またひとつしくじった しくじるたびに目があいて 世の中少し広くなる」という榎本栄一さんの言葉から。仕事で失敗したことは、とり返しのつかない嫌な気分に陥るもの。しかし、そのことによって自分というものが照らされ、気づかされて、自分中心の狭い世界が破られてゆくならば、この失敗でこんなことが教えられ、学ぶことができ、却って人生の味わいが深まり、世界が広くなったと気づかされて、そこに少しだけ広がった世界が見えてくる。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


睡蓮の その明るさが ほしい時

2014年06月12日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は20度から26度、湿度は92%から71%。風は2mから4mの北北西の風がゆるやかに吹いていた。明日の13日は、寒気の影響で雲が広がりやすく、未明まで雨の降る所がある見込みらしい。

 

 昨夜は弟と旅談義なんぞをやりながら呑んだもので、今朝は幾分か、頭が頭痛で痛かった(笑)。しかしのかかし、弟もけいこばぁも朝の5時から起き出して犬の散歩やら畑仕事・・・。私は6時過ぎに起きたのだけれど、頭が重たいし、眼が霞んでねぼけまなこ状態の夢うつつ症候群・・・。

 

 今日からは通常モードにシフト・チェンジすべく、高松市林町にある香川県立図書館に行ってきた。先週は「資料整理」ということで休館だったもので、借りていた本を大至急で返却しなければならなくて・・・。確か、期限は昨日までだった筈。

 

 開館10分後はこんなもの。それでも早い人は行列して待っていたのだとか・・・。熱心な方もいるものだ。そういう私もその仲間みたい。

 

 今日は気分を入れ替えて、「讃岐の民衆史」なんぞを読んでみたくなった。ここは「郷土資料」のコーナー。私は歴史学でもなく、民俗学でもなく、一般社会大衆学・・・みたいなものが好みかなぁとは思ったりする。

 

 続いて専門書のコーナーに行ってみる。哲学だの仏教だのというコーナーは閑散としたもの。

 

 それとか・・・昨日の続きの「かくれ念仏」と「かくし念仏」に関するものも・・・。

 

 九州南部は「かくれ念仏」。山の中や、船の上や、地面の下で真宗の教えを守り続けた人たちがいた。私たちは「キリシタン」の弾圧とか殉教というのは歴史の教科書の中で習ったけれど、それと同じように、一向宗・浄土真宗の門徒たちもまた石責めや拷問などで改宗を迫られ、従わない者は処刑されたことは教えられなかった。

 

 一方、親鸞聖人の一子善鸞らの教えの流れを汲む教えは仙台藩や南部藩に伝わり、「隠し念仏」となって根を下ろし、本願寺からも弾圧され、仙台藩からも弾圧されるという二重の苦しみを与えられたという・・・。それが今もなお、残されているというのだから、根深い信仰になっているらしい。興味のある方は以下の動画をご覧あれ。

https://www.youtube.com/watch?v=e_N1WTAskJ8


 

 その中から参考になりそうな部分をスキャナーで読み込んで電子化しておく。画像はスキャナーで、文字は「読んでココ」というアプリを使って、ワード文書にまとめてしまう。

 

 こうしておけば、読みたい時に、調べたいときに開けば読める。ただ、これも手間な作業で、誤変換をなおしたり、変な文字が入っていたりと、一日かかっても、そんなには読み込めない。

 

 ワード文書で40ページも読み込めば、これまた、頭が頭痛で痛くなる(笑)。

 

 弟は朝早くに帰ってしまい、奥方は訪問介護に出掛けてしまい。迷犬ごんの散歩や、洗濯物の取り込みとかお風呂の準備とか・・・夕方になると、全くの日常のパターンに戻ってしまった。

 

 梅雨らしく、夕方からは雨になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「わたしたちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません でも、その一滴の水が集まって大海となるのです」というマザーテレサさんのことば。マザー・テレサはインドの修道女、「死を待つ人々の家」創立者、ノーベル平和賞受賞、(1910~1997)。自分のしていることが、世間から見れば小さいことだからといって、自分の無力さを嘆くことはない。少なくともその分だけは周りに貢献しているのだから。私たちのしていることは大海の一滴(ひとしずく)に過ぎないけれど、私たちがやめてしまったら、確実にその一滴は減ってしまうことだろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


夜が来る 梅雨のしずくの あいだから

2014年06月05日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は四国沖に停滞する低気圧や前線の影響で雨や雷雨となっている。大雨が降ると聞いてはいたがこぬか雨のような小さな雨が降ったりやんだり。気温は17度から25度、湿度は92%から84%。風は1mから2mの東の風が少しばかり。明日の6日は、四国沖の低気圧の影響で雲が広がり、雨の降る所がある見込みらしい。

 

 まさしく梅雨だなぁと思う雨。奥方のけいこばぁは野菜に水やりをしなくて楽だと喜んでいる。ご近所の田んぼでは田植えの準備が進んでいる。この上流の県営ダムの放流が例年、10日に行われて、一斉に田植えが行われるらしい。

 

 さて、この週末から千葉のほうへお出かけするので、その準備が始まった。法要のための色衣や袈裟、着替えなどの荷物を先に送ったり、お土産を送ったり。午後からは弟が迷犬ごんを預かってくれるというので引き取りに来る。3日か4日の旅なんだが、なんだかんだとやることがいっぱい。

 

 この教区の機関誌の原稿依頼が早くも来た。6月末ということだったが、旅行に行く前に片づけておかねば・・ということで、朝の間はこの原稿書き。

 

 ま、ひな形もあるし、資料もたくさんあるから悩むような作業ではないが、何カ所の記事を、どのくらいの分量で配置するか・・・みたいなささやかな心配。ま、編集担当に調整していただくことにして、記事と写真とをメールで送っておいた。旅先で何が起こるかわからん時代だ。

 

 前の山の掘削工事は、今日もお休みだ。そんなに工事を止めるほどの雨でもないのだが、それなりの「段取り」というものがあるのかも知れない。

 

 けいこばぁは、できあがった荷物を宅配屋さんに持って行ったり、自動車屋さんに行ったりと、これまた準備に余念がない。来週の月曜・火曜のお仕事の振り替えとかもあって。

 

 昼前に弟がやってきて、ごんの手入れとか食器を洗ったり、ドッグフードの準備とか・・・。ねぇ、3泊4日の旅なのにてんやわんや・・・とやっている。その後、3人での昼食会。

 

 迷犬ごんは、何もわからずままに、車に乗せられてレオマワールド近くの綾歌町に連れて行かれてしまった。ま、7日から10日まで、犬の散歩とエサやりのために通ってくれ・・というお願いをするけいこばぁもけいこばぁだ。

 

 午後の3時過ぎにようやく準備が終わって、けいこばぁはお昼寝タイム。私はやり残している作業を始めた。昨年の研修で頂いた資料を電子化する作業・・・。スキャナーで読み込んだり、「読んでココ」というアプリで資料を読み込んで電子化してしまう。

 

 「この金剛杖といいましたらね、これは生きてるときは大師です。ほいで我が身で同行二人といいますけどね。まあ、お四国まいる方はね、これはもう有難い有難いいうてね、宿へ行ったらね、杖の先、足を洗いましてね、床の間に置くんですわ。誰もお茶蕩も線香も供える人はおらんわけです。金剛杖にはね。普通はありがたいから供えるのが本当ですけどね、それはそれでかまんのです。ここにこれ四つきずがあるんです、金剛杖にはね。ここには、きゃ、か、ら、ば、と書いとるわけですね。これは真言宗で四角塔婆です。塔婆に書く文字を書いとる訳ですよ。この四国の霊場まいるからね、お大師さん御利益をくださいと。くださらなくなったらね、自分は死んでもかまいませんと。死んだときはどうぞこの枚をね、自分の石塔のかわりに立ててくれとね。自分の石塔をもって歩いとるわけですよ。」                                      語り・文殊院荒井浩忍 採録・大塚実

 

 遍路が金剛杖を大事に扱う気持ちは現在でも変わりがない。遍路を迎えいれる宿の側でも、金剛杖をたてておく設備を宿の玄関や部屋のなかにもっているほどである。金剛杖は大師の分身と考えられ、道をゆく遍路にとって心身両面の支えである。あえぎつつ難路をゆく遍路はこの杖にすがり.「南無大師遍照金剛」と唱えていく。そして彼らはみずからの墓をもたずさえて道を歩んでいるのである

 

 本当は、その前にあった、遍路の死とその処理・・なんぞを載せたかったのだが、あまりにも生々しいので割愛したら、なんということのないお話になってしまった。

 

 今日の掲示板はこれ。少し読みにくい画像になっているが、「人は生まれによって尊からず その人の行いにより尊し」というもの。あるバラモン青年が、「バラモンは生まれによるのでしょうか、それとも行いによるのでしょうか」と問いかけた。仏陀は「草や木や昆虫や動物や魚や鳥には、生まれによる種類の区別がある。しかし、人間には生まれによる区別は存在しない」と説かれた。さらに「牛によって暮らす人は農夫であり、技能によって暮らす人は職人であり、売買によって暮らす人は商人であり、盗みによって暮らす人は盗賊である。このように、人はその行いによって、それぞれの名称で呼ばれるだけである」と教えられた。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


雲のない 空いっぱいに ほととぎす

2014年05月29日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。また、昨日から黄砂を観測している所があったらしい。気温は17度から29度、湿度は86%から56%。風は2mから3mの南南東の風が少し。明日の30日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。引き続き、黄砂を観測する可能性があるらしい。

 

 我が家の前の山の工事も着々と進んでいるらしい。今日は切り倒した木材をクレーンで下に落とし、それをチェーンソーで切り分けているらしく、チェーンソーの音が響き渡っている。

 

 午前中は、この「巡礼の文化人類学的研究」ということで、「オヘンロサン」と「ヘンド」の相違点や違う点などを聞き書きや取材を通して調べたものの電子化作業。四国の中でも、曖昧な地区もあれば、はっきりと区分されている地区や、言葉にできない地域などさまざまであった。その赤裸々な言葉の数々が生々しい。この本を電子化するのに三日もかかってしまった。

 

 お昼前には、さぬき市前山地区にある「遍路資料展示室」をのぞいてきた。ここは一般的は「前山おへんろ交流サロン」というが、本来の目的は「前山地区活性化センター」と云うもの。

 

 ここにはさまざまなお遍路に関する資料などが展示してある。

 

 今日の目的物はこれ。「往来一札之事」と題する毛筆で書かれた文書で、一般的には「往来手形」とか「往来切符」とかいう。私らはこれを「捨て往来」と呼んでいる。これを昼食まで読んでみた。

 

 「越後の国の百姓五郎右衛門の弟、毎太(23歳)が神社仏閣拝礼の旅に出るので国々の関所を通して下さい。もし行き暮れた時には御慈悲をもって一夜の宿をお願いします。宗旨は代々禅宗にして円通寺の旦那に間違いありません。もし、いずこかの国で病死した時はその所の作法で葬って下さい。その節には国元への届けは不要ですので、念のため往来手形一札を入れておきます」という内容の文書である。

 

 一方、こちらも越後の国の女性、片桐屋三九郎の母が巡拝に出た時のもの。「代々浄土真宗拙寺旦那に紛れなく御座そうろう。祖師(親鸞)聖人御旧跡(二十四輩など)拝礼ニ罷り出そうろう」とあって、以下、「捨て往来」の記述がならぶ。東浄土真宗というのは大谷派の寺院であろうか。

 

 江戸時代には何人たりとも、国外へ出ることは許されなかった。そこで、神社仏閣拝礼とか四国霊場辺路とかの口実で旅に出たもの。伊勢参りや金比羅参りも同じような口実だった。

 

 これは四国遍路が札所に収めた「納め札」と云うもの。天保十一年のものである。隣は弘化四年のものである。その時代は飢饉や地震が相次いで、多くの人々が南国四国へ逃げ込んできた時代だった。

 

 これは安政三年というからオランダで咸臨丸が建造中の時期。いわゆる幕末期のことである。黒船来航などで世情が混沌としてきた頃で、人々は温暖な四国目指して、和歌山や堺あたりから小松島などに上陸してきたのである。

 

 午後からは奥方のお供で夏用の衣服や食材の買い出しに出たが、途中からエアコンを稼働させた。窓を開けても信号待ちで止まれば汗が噴き出してきた。あの頃は30度を超えていたんじゃないかなぁと思った。

 

 今日の掲示板はこれ。「私のものさしで問うのでなく 私のものさしを問うのです」というもの。これも正行寺さんの門前にあったものだろうか。仏教で説かれる智恵というのは、自分の物差しを問い正せる智恵であり、自らの愚かさに目覚められる智恵だとも指摘される。自分の物差しが絶対的なものではないということに気づけない状態こそが無智であるということである。 とかく、私たちは、自分の物差しだけで物事を見聞きし、考え、行動することが多いもの。そして、それが苦しみや迷いのもとになっている。 人間は、エゴ(自我、我欲)、つまり、その人の好みや癖、偏りに影響されながら、観たり、聴いたり、嗅いだり、味わったり、触れたりして、外界の世界を認識している。それ故に、なかなか真実の姿(実相)を認識することはできないもの。選り好みや思い込みにより、真実の姿を歪めて取り入れてしまうからである。「心こそ 心まどわす心なれ 心に心 心許すな」という古歌もよく紹介されるが、このような特質をもつ、心の危うさを詠ったものだと思うことである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


すぐそこに 梅の花あり 六地蔵

2014年03月14日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすく、午後は雨の降る所があるようだった。気温は4度から9度、湿度は78%から56%。風は4mから3mの北西の風が少し。でも寒い一日になった。明日の15日は高気圧に覆われて概ね晴れるし、気温も上昇する見込みとか。

 

 まだまだ先だとばかり思っていた、「レキ報告会」まで五日しかなくなってきた。それでもまだ、満足できる結果になっていない。いつになっても完成までにはほど遠い。でも、そうも云ってはいられないので、二・三日中にはまとめなければいけないのだが・・・。

 

 と云うことで、今日もデスクワーク三昧。乾いた目玉がなおさら乾く・・・。目薬ばかりが痩せて行く・・・。

 

 外では雨が降ったりやんだりしながら、冷たい風が吹き流れていく。だから、今日は散歩にも行かず、朝夕の迷犬ごんの散歩のみ。お昼のおうどんも今日はなし。まるきりの引き籠もり状態。

 

 今日は日本側の、「水野和泉守忠精」・「水野千波」・「上野敬介」という人物を捜していたが、肝心のことが出て来ない。水野忠精はある程度の情報はあるが、忠精と千波は関係があるのかどうか。同じブラントンの周辺にいたのだが、同一人物なのか違う人なのか・・。上野敬介がまた、これ、わからない人だ。

 

 今朝方の2時6分だかに伊予灘を震源とする深度5強の地震があったらしい。確かに大きな横揺れだったし、時間も長かったように思う。けいこばぁは飛び起きてテレビを付けたり、廊下を歩き回っていたが、夜中に歩き回るのも危ないものだ。我がさぬき市では震度4とか云うていたが、そんな大きなことにもならなかったようだ。

 

 私はゆりかごみたいだなぁとのんびりと寝ていた。我が家にはタンスとかの家具が全くない。全くないと云うてもけいこばぁの嫁入り道具は屋根裏部屋にあって、人の居る場所にはないってこと。ま、テレビとかパソコンとかの幾らかのものはあるが、それらが飛んできたり倒れたりすることもなかったし、階下の台所の食器とかもなんともなかったようだった。

 

 我が家は8年前に新築した耐震建築の家だから、こわれたりすることはないと安心して寝ていた。慌てて行動するより、布団を被って寝ているほうが安心だわいとそのまま眠ってしまった。気が付いたら7時を大きく過ぎていた。朝のラジオ体操に間に合わなかった。

 

 朝のテレビでも、四国ではそんなに被害もなかったようだった。それだし、東南海地震の前触れでもないみたいで一安心。でも、比較的地震のすくない四国にしては大きな揺れだったかなぁとは思った。

 

 そうは云うても、ガラスが割れたり、食器が割れたりとすごい音が聞こえたら、そんなに呑気には寝ていられなかっただろうとは思う。ま、単に大きく揺れただけ・・・ということだから、ぐっすりと寝ていられたのだろうとは思う。携帯電話やタブレット端末も別室にあったから、「エリアメール」が鳴り響いても聞こえなかったのかも。

 

 ま、そういうことで、我が家は何もなくて通常の一日になった。当たり前がありがたい・・ということだ。

 

 午後からはプロジェクターや、接続コードの点検をやっていた。いざというときに、これが動かないとお仕事にならない。ま、報告会場にはプロジェクターやらスクリーンはあるのだけれど、自分の使い慣れた機器を準備しておくことも大切。まさかの時にはこれが役に立つ。接続コードも長さの違うものを何パターンか用意してある。備えあれば憂いなしだ。

 

 ということで、少しずつ、準備が進んでいる。既に報告会のチラシは配布され、ポスターは掲示されているし、当日配布用の資料も印刷されて準備万端。あとは、この私が会場にパソコンと、そこに内蔵された「パワーポイント」資料を持って行けばほぼ準備完了。最後は私がどれだけの報告ができるかだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「どんなにつらい悲しみにも それにふさわしい幸せがきっとある」と云うもの。どんなにつらい悲しみにもそれにふさわしい幸せがきっとある。そのあとに、「いまが幸せと思わないと一生幸せになれない・・・」という言葉が続く。ご存じ、荒了寛先生(天台宗米国ハワイ開教総長)の言葉である。今が幸せな時は、過去のどんなに辛いことも必然であったと思うのは不思議なことだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


草萌えて 夢や理想を 詰め込んで

2014年02月19日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 丸亀地方は気圧の谷や寒気の影響で瀬戸内側を中心に雲が広がっていたが、午後からは概ね晴れていた。気温は3度から7度、湿度は72%から54%。風は3mから4mの北北東の風が少し。明日の20日は、引き続き寒気の影響で雲が広がりやすい見込みとか。

 

 午前中は気温も低く風も若干強かったし、肌寒い空気が流れていたので、散歩もそこそこにしてデスクワーク三昧。

 

  昨日の「紙屋仁蔵」だけれど、地元の女性と一緒になり、一子をもうけたが早くに亡くなった・・・という話だったのに、「直系の子孫が横浜にいる・・」という報道が出てきたので、「なんじゃ、これは・・」ということになった。奥さんが再婚をして、ソバ屋を継いだんだろうか。それに、これらのメディアでは「紙谷」と書いて「かみや」と読ませている。この変更はいつからなんだろうか・・・。また、「仁蔵:じんぞう」が、「仁蔵:にぞう」と変化もしている。

 

 その「仁蔵」の乗った塩飽の船は「金比羅丸」と云ったらしいが、それならば、江の浦の向井さんという人が「金比羅丸」を持っていたし、明治以降も「こんぴら店」という商店をやっていたらしい。だから、江の浦にある「紙屋」という屋号の家も可能性はあるのだが、なにぶん、古い記録の中にも「仁蔵」なる人物は見当たらないのだとか・・・。次男・三男は過去帳にも名簿にも載せてもらえない時代だったのだろうか。

 

 それはそれとして、私は私のお仕事をやっておかねばならない。ポスターとチラシができたので、今度は発表用のパワーポイントの資料の追加・修正作業。報告会は2時間を予定している。だから、休憩を含めておよそ1時間半程度にするのだけれど、それって、ずいぶんと長い時間になる。

 

  手元にある「英国士官レキ」に関する資料は少ない。その、限られた資料を、いかに有効的に使うか・・・。そういう・・企画力というかセンスがうまくない。単に、思いつきだけでしゃべってしまっているのが、これまでの現状。

 

 こういう場合、「起承転結」という手法や「導入」、「展開」、「比喩」、「結論」みたいに、論理的に構成するんだろうけれど、追加・追加・修正・削除・・・みたいなことを繰り返して、「改造」「改造」を繰り返してきたものだから、どうしようもなくなってきている。それじゃぁ、ダメじゃん、春風亭昇太。

 

 自治会長さんから、紙屋仁蔵のことについて、小松由佳さんのお見送りもあるので、センターに来て欲しい・・・という連絡があって、行ってきた。

 

 小松さんたちは横浜に子孫がいることなどはご存じだったので、再会を約してお見送りして別れた。近く、また、近日中にしわく広島に来られるのだとか・・・。

 

 さて、夕方のこと、お風呂の準備をしてお湯を浴槽に入れたのだが、風呂に入ろうとして驚いた。お湯が沸いていない。水風呂なのだ・・。でも、リモコンスイッチは正規に点灯しているし、台所のコンロは使えるのに・・・。またしても、壊れたのか・・と。

 

 あれこれと、電源を入れ直したりしていると、なんと、プロパンガスのタンクが空っぽになっている。ガスが切れたらお湯は沸かない。予備のタンクに切り替えて、無事にお湯が浴槽に入り出した。おかげで、薄着で走り回ったので、身体が冷えてしまった。

 

 この家も、築20年も経てば、あちらこちらが傷んでくるのは仕方がない。仕方がないが・・・。当面、修理しなければならないのが、①浄化槽の排水パイプの詰まり。②洗濯機の漏水対策 ③リビングのテレビの更改 あとはこまごまとした幾つかの事項。

 

 ここの軽トラも、そろそろ寿命かもしれない。バッテリーは傷んできたし、電気系統がおかしい・・・。タイヤの摩耗もひどくなってきたし・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「わたしは傷を持っている でも その傷のところから あなたのやさしががしみてくる」という、星野富弘さんの言葉から。星野さんは首から下が完全にマヒしており、重い障害を背負って生きている。しかし、その障害という重い傷が、多くの人々の優しさに触れる源泉になったのも事実。人はいつの日にかこの世を去って神様の元(天国)に帰って行く。重い病気か事故か災害かあるいは老衰などを通してしか死ぬことは出来ない。永遠に生き続けたい人もいるかも知れないが、人間は日々「死を背負って」生きている。死ぬべき有限な存在なのである。であるから、「傷」はまた神様が与えて下さった「恵み」と受け取ることも出来ると、星野さんは云うのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


降りしきる みぞれしんしん 阿弥陀堂

2014年02月14日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 今日の京都は湿雪からみぞれ・・・。気温は1度から3度。湿度は88%から95%。風は0mから3mの北西の風が少し。とにかく・朝から降りしきる雪・・・。

 

 だからと云って、講義が中止になるわけではないし、学級閉鎖になるわけでもない。たんたんと普通のスケジュールで流れてゆく。6時起床、7時10分から御堂清掃。

 

 8時から「ご晨朝:おあさじ」。その合間に、今日は帰る準備として、お布団の片付けがある。

 

 使った布団のシーツをはがして折りたたみ、種別ごとに(敷き布団・毛布・掛け布団・枕)分けて片付けて・・・。みんな手慣れたものでてきぱきと片付ける。

 

 それから着替えて、「ご晨朝:ごじんじょう」。阿弥陀堂は「讃仏偈」、御影堂は「正信偈」と「観無量寿経」、「御勧章」のおつとめ。

 

 それが終わってから朝食。朝は普通の朝ご飯になる。普通の・・・と云うても、ごはん+味噌汁・納豆・海苔に、つけもの・梅干し・昆布など。

 

 今日の講義は「本山史」。仏光寺が本願寺と一緒になり、本願寺が東西本願寺に分離し、本願寺から興正寺が分派独立する課程・・・みたいなことの学習。

 

 いよいよ、雪は本降りとなってきて・・・。

 

 「これでは帰れないぞ・・」という不安がみんなを取り囲む・・・。でも、皆さん、土曜・日曜にはご法事やらご法務が盛りだくさん。みんな、帰る算段ばかりに夢中になる。

 

 最後のお弁当を食べて、午後からは「法話実習」。それが終わったのが15時前。あとは一目散に帰途につく。私の場合は、JRの高速バスを予約していたのだが、当然ながらの通行止めで払い戻し処理をやってもらった。

 

 で、とにかく早く帰る方法と云うことで新幹線に切り替えた。15時20分に京都駅を出て、高松駅に着いたのが18時前。結局、我が家に着いたのは20時前になってしまった。ともかく、なんとか、無事に我が家にはたどり着いた。

 

 明日は母の一周忌法要の準備に当てる。

 

 今日の掲示板はこれ。「生かされて生きている」というごく、シンプルなもの。植物にしろ、生物にしろ、どれもこれも、私たちも、みんな、自分で生きようとして生まれてきたものではない。自分の意志で生まれたくて生まれて来たわけでもない。それでもみんな生きている。それは、太陽や水や空気や温度や湿度や養分やらという、限りないものに助けられて生かされているのである。

 

じゃぁ、また、明日、また、会えるといいね。


紅梅が ときおる薫る 御影堂

2014年02月13日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 今日の京都は曇り。気温は3度から6度、湿度は83%から52%。風は0mから4mの北の風がときおり。明日の京都は雪からみぞれになるらしい。

 

 昨日は全く飲酒なしの三食しっかりと食べての健康モード。さすがに昨夜は寝付きが悪かったけれど、しっかりと寝ていて、眼が覚めたのは6時半だった。大急ぎで起きて朝のお掃除。7時10分から30分程度、阿弥陀堂、御影道の参拝者席の畳のから拭き。これが結構、広いのだ。

 

 それが終われば白衣・道服・略袈裟に着替えて・・・阿弥陀堂での「ご晨朝」、朝のお勤めである。その後、御影堂での「ご晨朝」。それが終わったら、朝食になる。

 

 今朝はみんなそろっての朝食になった。今日は温かいご飯に味噌汁もついている。

 

 数年前にはおかわりもしたが、近年はこれだけで、もう、十分。

 

 今日は、布教法・宗教概論・真宗教義(歎異抄)・人権教育・実習など。今日も歎異抄は龍谷大学の原田哲了師、人権教育は東本願寺の雨森慶為師の講義。過去帳の閲覧禁止などについて。個人情報の取り扱い方なんぞを学んだ。

 

 お昼はいつものお弁当。夕食はビュッフェ形式。

 

 座ってばかりだから、どれだけも入らない。みんなは、明日の法話実習があるので、その話材探しやまとめのために早々に食事を終えて自習室へ・・・。だから、今夜の更新もまた、短か目・・・。明日は帰宅日なので、更新は明後日になってしまうかも・・。

 

 ということで、今日の掲示板はこれ。「眼を開けば どこにでも教えはある」というもの。そうは云うものの、眼が開いていないのか、どこにも教えが見えてこない。連日の講義と、密室状態での講義のためか、どこにも教えが見えてこないし、浮かんでも来ない。

 

じゃぁ、また、明日、あえるといいね。 


底冷えに 記憶の糸が また切れる

2014年02月12日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 今日の京都は高気圧に覆われておおむね晴れていた。気温は氷点下1度から8度。湿度は89%から55%。風は1mから6mの北北東の風が強くて底冷えがした。

 

 今朝は早くに起きて、本願寺さんの「晨朝(じんじょう)」、おあさじとも云うのだが、朝のおつとめに行こうと思っていたのだが、暗いのと寒いので、ついつい布団の中にくるまっていた。

 

 で、我が寺の「ご晨朝」は朝の8時からだが、今朝は私ともう一人の二人のおまいりだった。明日からは二十人近くになるのだろうけれど。

 

 で、今日から二泊三日の冬の研修が始まった。今日の午前中は人権問題、それも自死を私たちがどう捉え、どう対応してゆくか・・・みたいなことだった。自死は本人だけでなく残された家族遺族にも大きな問題で、アパートやマンションの修理費用やら建て替え費用やらの莫大な費用負担を迫られる場合もあるのだとか。やはり、自殺した家は気持ちが悪いからと借り手が付かないからだとか・・・。

 

 今日のお昼はこんなお弁当。夜も似たようなものだった。でも、お米のご飯なんてずいぶんと久しぶり。ここではお米を食べないといけないらしい・・。それだし、飲酒は厳禁だから、おなかがびっくりしていている感じ。

 

 午後からは原田先生の「歎異抄講義」今日の講義は「大無量寿経上巻」の講義が主になった。だから、歎異抄の概要だけになってしまった。明日も講義がある。

 

 その後、阿弥陀堂内でのお作法の実習。冷房がない建物だから冷たい冷たい。底冷えするから、肺炎が怖い私には辛い授業だった。

 

 講義は19時近くまで続いて、それから夕食。ブログを書き上げてから入浴。明日の予習のために、今日のブログは短めに。

 

 今日の掲示板はこれ。、「終わりと始めは遠くて近い 失敗したら出直すだけさ」というもの。初めから終わりへの道のりは遠い場合もあるけれど、ひとつの物事が終われば、それは別の物事の初めになる。物事をはじめてみて、失敗したらやり直すだけ、出直すだけだ。失敗したって悔やんでいても仕方がない。へこんでいても落ち込んでいても仕方がない。あの「STAP細胞」みたいに、やり続け、なし続けなければ結果は出てこない。

 

じゃぁ、また、明日、あえるといいね。


煩悩を 積み上げて行く 朝の霜

2014年01月12日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後からは気圧の谷の影響で雲の広がる時が多かった。気温は0度から8度、湿度は74%から54%と乾燥気味。風は2mから4mの西北西の風が少し。明日の13日は、冬型の気圧配置となるため、雲が広がりやすい見込みなんだとか。

 

 今朝はみんなが休みと云うこともあって、朝は八時過ぎまで寝てしまっていた。昨夜は娘家族がやってきてにぎやかな夕食になったことだったし・・・。で、目覚めると、霜で真っ白け・・・。

 

 睡蓮池も氷が張って、この通り・・・。久々に冷たい朝になった。でも、最近は露出した土が少ないものか「霜柱」は見jかけない・・・。

 

 朝の間は良く晴れて気持ちが良かったし、大霜だったから、暖かくなるぞと布団を干したのだが、そんなに暖かくはならずじまいだった。

 

 孫のはやて君はマウンテンバイクで近くの山でトレーニング。道なき山を登ったり、走り降りたり・・・。

 

 やるもんだね。

 

 妹のなぎちゃんも、まけじと、山の旧宅から二キロの道を走って帰ってきた。手袋もせずにヘルメットもかぶらずに・・・。

 

 私はいただいた、「おへんろつかさ養成講座」の資料の電子化。スキャナーで取り込んで、電子データベース化で日が暮れた。

 

 それと並行してして、四国遍路の基礎データも取り込んでいた。こうして電子化さえしていればいかようにも調理・味付けができるから。

 

  これは江戸時代の巡礼の様子。信仰心いくらかで、息抜きの観光気分いっぱい・・・みたいな雰囲気だろうか。巡礼だ、お遍路だと云わないと旅もできなかった時代があったんだな。

 

 で、資料集の表紙造りもついでにやっておく。これで和綴じにすれば、それなりの資料集になる。ということで、今日はデスクワークの一日になった。

 

 夕方の迷犬ごんの散歩でも、すっかりと冬さなかの風景の中はもの寂しいものがあった。

 

 今日の掲示板はこれ。「足るを知るは最上の富 良友と語るは最上の楽しみ 法を聞くは最上の福」というもの。お釈迦様の最後の教え「佛遺教経」で、「少欲知足」を説いている。後の言葉はわからない。でも、全体としてのあじわいはなかなかにいいなぁと思ったりする。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


一日が あっという間だ 藪つばき

2014年01月11日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて、概ね晴れていたが、午後からは寒気の影響で雲の広がっている所が出てきた。気温は1度から8度、湿度は62%から52%。風は2mから4mの西北西の風が少し。明日の12日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日はさぬき市観光協会が行っている「おへんろつかさ養成講座」の閉講式の日。8時半に、さぬき市前山地区にある「おへんろ交流サロン」にやってきた。9時からが講義。

 

 今日は香川大学の教授お二人からの講義で、大賀先生からは「四国遍路は人生のたとえ話」という講義。「人生は谷あり山あり・・」とか「雲のように悠然と・・」とか云われるように人生は旅、お遍路も旅・・・みたいなお話。四国遍路の旅から人生のたとえ話を学ぶ・・・という講義だった。

 

 二講義目は、稲田先生から「納経帳に見るお遍路の旅行」というテーマで、江戸時代末期から明治初期におけるお遍路の旅程について、納経帳から旅のルートを探るものだった。その時期、土佐藩・宇和島藩ではきびしくお遍路の通行を禁止した。その理由とか、お遍路の行程を考える講義だった。

 

 その講義が終わると閉講式。主催者挨拶とか市長さんのお話があって、修了証書が授与された。

 

 ちなみに、スーツ姿の男性が授与する側で、黒い女性が授与される方。

 

 これが修了証書。記念品に、講師の先生が推薦していた「四国遍路」という岩波新書がプレゼントされた。

 

 その後、実行団体である「おへんろつかさの会」の活動状況なんぞの紹介があって、その会に入会して、今後とも研究したり、活動したりすることにした。年会費は1000円。ま、よほどのことがない限り、受講生は、その会に入るものらしい・・。この7回の講義をうけただけで、観光ボランティアができるようになるわけでもない。

 

 この名札も返却して、4月からは違う名札になるらしい。

 

 閉講式の後の意見交換会では、おはぎとコーヒーが出されたが、どちらも苦手なものだから、そこでは食べずに、戻る途中のここに寄った。さぬき市長尾東にある「うどん亭いわせ」という一般店。

 

 時間は13時半を過ぎていたが、いつもの「しっぽくうどん並」550円をいただいた。一般店のおうどんはいつ食べても味が一定なのは安心できる。

 

 13時半を過ぎると、多くのお店はお客さんがいなくなる。そういうことで、ゆっくりとおうどんを食べる事ができた。どうしても、セルフのお店などでは、おうどんを流し込む・・・というようになってしまいがち。

 

 ということで、一つのミッションが終わって、来週は「英国士官レキ研究会」の総括編。

 

 今日の掲示板はこれ。「「寒いね」と話しかければ「寒いね」とこたえる人のいるあたたかさ」という俵万智さんの短歌である。人生、それなりに長い年月を生きていると、どうでもいいことに有り難さを感じたり、当たり前のことに優しさを感じたり、求めてもいなかったことに恋焦がれたりするものである。寒い時に、「寒いね。」って同意してくれる人がいることって、とても素敵なことだし、有り難いことだとおもう。どんなささいなことでも、同意して、共感して、肯定してくれる人がそばにいるっていうのは、ありがたいことなぁと思う今日、このごろである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


山茶花に 明日の予定を 見抜かれる

2013年12月06日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は、朝方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後からは寒気の影響で曇ってきて夕方からは小雨になった。気温は8度から15度、湿度は77%から56%。風は2mから4mの西北西の風。明日の7日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 朝の間は本山に提出しなければならないレポートを考えていた。しかしのかかし、いいアイディアが出ないので散歩に出た。

 

 我が家から北に進んで、小学校を過ぎて県道に出る。そこから西に進んでみろく公園の方向に進む。そこからみろく自然公園をほぼ一周して県道2号線を南下して、砕石という集落を回って戻るという約6キロの二時間コース。

 

 途中にあった「手打ちうどんまるたけ」さんでおうどんタイム。お散歩して、歩いて、それでおうどんを食べたら何にもならん・・・とは云われているんだけれど、この場合は仕方がない。

 

 ここにはしっぽくうどんがないらしいので、仕方なく「温泉ぶっかけうどんの小」を注文したのになぜか、普通のぶっかけうどんになっていた。ま、仕方がないねぇ・・と、野菜のかき揚げ天を乗せてみた。これで390円だった。計算が合わないけれど・・。

  

 そこから、みろく自然公園に入って坂道を歩くことしばらく・・・。

 

 屋久島でのトレッキングを考えた訳でもないが、こんな山道を歩いてみた。今日は「ゼーゼーハーハー」とは云わずにすいすいと歩けた。「お、練習の成果かな・・」と思ってみたのだが、そんな一週間たらずで効き目が出るとも思えない。

 

 ここはなにかの神社らしいが、何も書いていないのでわからない。

 

 みろく自然公園の秋もおしまい・・・。そろそろと木々は落葉を始めている。

 

 最近、足の指の爪を切ろうとしても手が届かない。おなかが邪魔して手が伸びない。そうそう、靴下をはくのも手が届かない。「それじゃぁ、ダメじゃん。春風亭昇太」ということで、歩き始めた・・・ということ。それに体重も64キロにもなっていると云われたし・・・。

 

 おうどんを食べてしばらくはおなかが重たい感じだったが、すぐにおなかは落ち着いてきた。そこで、みろく池をぐるりと回って戻ってきた。

 

 今度は、南に向かって進んで、集落をぐるりと回って我が家に戻った。午前10時に家を出て、戻ってきたのが12時だった。おうどんタイムを含めて、二時間コースだった。

 

 お昼からはまたも本の発送作業。年内はこれがおしまいになる。その後はレポートの清書作業。夕方からは雨になった・・・。

 

 雨と云うても小雨程度。ようやくようやく、予定が少しずつ片付いていく。

 

 今日の掲示板はこれ。申し訳ありません・・・という意味で、今日は小さめの画像になった。「恵みの雨とか あいにくの雨とか ほんと身勝手でごめんなさい」というもの。雨がないと「雨が降りませんねぇ~」といい、降れば降ったで、「よく降りましたねぇ~」という。少なければ少ないで、「お湿りにもなりませんねぇ」といい、多ければ多いで、「そんなにもいらんのにねぇ・・」などという。最近では「寒くなったですねぇ」ということが多い。全く、身勝手といえば身勝手はありますことよ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


山いちご あれから一千日が 経ったのか

2013年12月04日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて太平洋側を中心に概ね晴れていたが、気圧の谷や寒気の影響で、雲が広がったりした時期もあった。気温は7度から14度。湿度は72%から60%。風は1mから4mの西北西の風。すっかりと木枯らしのような冷たさだった。明日の5日は高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 昨夜からは風が強まってきて、隣の山から落ち葉が激しく降って来るようになった。当分の間は、掃いても掃いてもこの通りになる。これが玄関まで降り注ぐにだからたまらない。

 

 今日は早くも師走の四日。ひたひたと年末が近づいてくる。うかうかとはしていられないぞ・・ということで、昨日に引き続いてこれ・・・。

 

 この12月20日発行分の「讃岐に於ける法然上人遺跡調査研究報告書」の印刷と製本作業。とりあえず、注文の入っている5冊分だけ。というても、120頁あるから、ちと、よいしょがいった。

 

 途中で用紙の補給やらトナーの交換もあったりして・・・。急ぐときにはそうしたものだ。それに表紙や絵伝用のカラー印刷にはインクジェットなんだが、これもまた、インク切れのアラームが・・・。

 

 それでも、午前中には印刷・製本ができあがって、早速に注文いただいた方には郵送しておいた。請求書は入っていないけれど、地元のお菓子でもお酒でも贈ってくれればさいわいであるのだが。

 

 さぬき市図書館や丸亀図書館、香川県立図書館やら国立国会図書館には来年に入ってからになりそう。そんなに急ぐところでもない。

 

 ということで、郵便局で書籍を発送していたりして、今日のお昼はここになった。水曜日というのも案外と定休日が多い。ここは昨日の火曜日が定休日だった。

 

 ここには「しっぽくうどん」がないので、久々に「肉うどんの小」にした。380円だった。麺はソフトでまろやかだったが、お肉が少し硬かった・・・。硬いというても、これが平均なのかも・・・。ここはおネギはお店側が入れてくれる。

 

 お店もあっさりとしていて、うどんのメニューもサイドメニューも少ないし、おでんも少し。簡素でいいといえばいいのだけれど。

  

 昼からは、「五念門」についてのレポートの清書。これで、五分の四が終わった。後は法話の原稿のみだが、これがまたやっかいなしろもの。ま、今週中にはなんとせねば・・・。

 

 いよいよ冬めいてきたなぁと思った昼下がり・・・。お日様の光も熱もがやわたかくて弱々しい・・・。つい、先日までの、かっかとするようなお日様とは大違い。あの頃のお日様が懐かしくはないが、いきなりの寒さには少しばかり戸惑ったりしている今日このごろ。

 

 とにかく、12月、やらねばならぬことはやらねばならぬのです。

 

 今日の掲示板はこれ。「にんげんはねぇ 人から点数をつけられるためにこの世に生まれてきたのではないんだよ にんげんがさき 点数は後」という相田みつをさんの言葉。
 確かに点数をつけられるために生まれてきたのではないのだけれど、ふと、見回せば、点数をつけられてばかり。そういう世界はいやだとリタイアしたけれど、行く先々で、点数をつけられてばかり。そうなんだ、にんげんがさき 点数は後・・・なんだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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