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まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

草刈りに行きました。

2005年05月22日 | Weblog
 今日はあいにくの小雨でしたが、新しいおうちになる場所の草刈りにゆきました。この土地は元々は水田でしたが、やがてには畑となっていた土地です。畑部分はお隣の大隈さんがトラクターで耕してくれて草は少ないのですが、田んぼの周り部分の雑草が伸びていたので、今日、その草刈に出かけたのでありました。
 私が周囲の草を刈り、母のさっちゃんがそれをかき集め、けいこおばが中の宅地部分の草刈をしたのです。そろそろ基礎工事にかかるそうです。
 お昼は、よしおさん、功治くん、寺井のゆきよしさん夫婦らと私ら三人で、うどん屋で生ビール、おでんで楽しく過ごしたものです。


久々に栗林公園に行きました。

2005年05月21日 | Weblog
 今日は社宅内の一斉清掃日で午前中が消えました。で、昼過ぎには、母のさっちゃんと坂出のおじさん夫婦がやってきました。その後、久々に近くの栗林公園を散策しました。今の時期ですから、とりたててのお花もなく、とりたてての風景もないのだけれど、やはり、天下の名園なんでしょうね、多くの人たちが入園しておるのです。
 さて、その公園を見るのは当たり前なんですが、公園の入り口にある民芸館とか瓦館とかには、普通の人は目を向けませんが、じっくりと、そのあたりを観察すれば、さぬきの本当の姿を知ることになるでしょう。古民具とか古家具とか、ふだん、目にすることのない風景に触れてみれば、こころの乾きが消えてゆくことでしょう。

世界で一番狭い海峡・土淵海峡を渡る

2005年05月20日 | Weblog
 小豆島の西部に位置する土庄町淵崎地区と、その前にある前島に挟まれた水路のような海が「土淵(どぶち)海峡」と呼ばれている。この海峡は1997年版ギネスブックに「世界で一番狭い海峡」として認定・掲載されて話題になった。
 この土淵海峡は長さ2500メートル、最大幅400メートル、最小幅は9.93メートル(永代橋下)で、漁船やプレジャーボートなどの小型船舶が航行できる海峡だ。この海峡には、オリーブ大橋から永代橋を経て、土庄町役場前の「フレトピア公園」、平和の群像前までの2500mの流れがあり、土庄港へと続いている。
 よく晴れた初夏の風の中、そっと、この幅10mの橋を渡ってみたが、とりたてての感動も湧いてはこない。

  夏遍路 きらめいており 麦畑  暁光

私のお仕事。

2005年05月18日 | Weblog
 ええ~。こういうブログをやってますと、遊んでばかりいるような印象を与えてしまうのですが、実は過酷なお仕事の背景に、自然に癒しを求める感情に襲われるわけです。
 で、私もお仕事をやっていますよ~という写真を掲載します。今日は高松市市内から香川町、丸亀市・琴平町で産業廃棄物の引渡しがあって、一日中、走り回っておりました。NTTの工事によって発生した建設廃材やら撤去通信設備などを、産廃業者さんに引き渡すのも、私の大切なお仕事です。
 この写真は、香川郡香川町の某通建業者さんの事務所内から廃棄プラスチックくずを引き渡しているところです。こうした作業に立会い、付近の設備に損傷を与えないか、事故や負傷などを起こさないか、作業が安全に行われたか、後始末は完全か・・・などを監視するのです。

  春蝉の 鳴いて遍路は 歩をゆるめ  暁光

お別れ焼肉パーティが行われました

2005年05月15日 | Weblog
 弟(二男・ヨシオ)から、「思い出の山の家がなくなるんやから、お別れ焼肉パーティしようぜ」との提案があり、本日のお昼に、そのパーティが開かれ、母のさっちゃん・坂出のおじさん夫婦・ヨシオさん、その子の功治、目川さん親子、大工さん親子・従姉妹の美智代さん、それに私ら夫婦の11人。鮎の塩焼き、サザエ、エビ、貝柱などと豪華な焼肉にみんな満腹・満腹。
 今度は、新しい山の家建設に向けて頑張ることを誓いあいました。今度はおよそ二キロ下流の、穏やかな場所に、木造二階建て、60坪ほどのログハウス風の建物が建つ予定です。
 私たち夫婦の力は微力ですけれど、多くの人たちの応援や支持があり、さまざまな意見や感想を受け入れながら、確かな歩みにつなげて行こうと思っています。
 今日、ようやくに、インターネット環境が復活しました。やれやれです。

  行く初夏に 追われるように 日が過ぎる  暁光

まったく痕跡もなく家がなくなりました。

2005年05月14日 | Weblog
 さて土曜日。お別れ焼肉パーティーの準備のために、私一人で山の家に出かけました。すっかりと壊れた家の痕跡もなく、さっぱりとした宅地跡になってしまい、ここで五十年余も生活していたのかと思うほど、その面影もなくなってしまっておりました。パワーショベルの威力というか、職人さんの腕前というかには感心してしまったものでした。雨が降ったときのための流水面まで考慮して整地をしてくれているのです。
 「こんなにきれいになるのならば、ここに家を再建すれば良かったのでは・・・」と思えるほどになりました。あの台風23号で荒らされてしまった住宅が、まるでなかったかのように消えてしまっておりました。人生って、そんなことの積み重ねなのかも知れません。

  雉も鳴き 鶯もなく 日のだるさ  暁光

埋め立ても終わって・・・。

2005年05月13日 | Weblog
 昨日の山の家の解体に続いて、今日は埋め立てや車庫周辺の土砂の取り除きです。車庫の土砂に埋まった部分ではシロアリに食べられており、早く土砂を取り除かないと早くに腐ってしまうとのこと。おかげで、車庫の裏手にあったコデマリの木やシャクナゲ・高野槙なども移植されました。
 車庫の中にあったトラクターはバッテリーが弱っているらしく、ランプは付くもののエンジンは始動できません。明日、ブースター・ケーブルを使って、イスズ・ビッグホーンをつないでみようと思います。たぶん、始動できるはずです。これが動けば100万は浮きそうです。たぶん、コンバインも動くに違いありません。
 こうした車庫周辺の土砂の取り除きで、流失した宅地のほとんどの埋め戻しができました。
 この旧宅の解体が終われば、いよいよ新宅の基礎工事に着手することになります。そして。明日はバーベキュー・パーティの準備、あさっての日曜日は焼肉・生ビールの楽しい日になりそうです。

   主なし 庭に石楠花 凛と咲き   暁光



早くも解体されてしまった。

2005年05月12日 | Weblog
 昨日には、まだ、山の家の外観は残っていたのに、今日には完全にその姿が消えていました。さすがに大型重機のパワーはすごいものです。
 車庫内にあった娘の赤いワーゲン・ゴルフは強引に引き出され、ケイコおばの軽トラと一緒に盛り上げてあり、近日中にくず鉄屋さんに引き渡されるのだそうです。車庫の中の土砂も掻き出され、建具などがきちんと並べてありました。
 こうなってみると、ここで長年暮らしてきたことが、まるでうそのような風景となり、まったく場違いな思いにかられてしまったものです。木材は細かく砕かれて、窪地に埋められ、その上から土砂を盛り上げてしまうのだそうです。この工事が終わると、西側の津田川の復旧工事が始まるのだそうです。

  新緑の 渓に水なし 鳥の声   暁光

解体工事が本格化します。

2005年05月11日 | Weblog
 いよいよ山の家の解体工事が本格化します。火曜日午後から大型重機が搬入され、解体工事が始まりました。まずは砂に埋まった車両二台を撤去し、車庫の中の片付けをします。
 台所にあったシステムキッチンや建具などを車庫内に移し、その後、本体を一気に解体し、流失してくぼ地になった宅地内に埋め込んで宅地を元に戻す段取りです。
 建物の解体は木曜日に終わってしまう予定で、弟の希望の「お別れ焼肉パーティー」が行われる日曜日には、あの山の家の姿はなくなってしまっていることでしょう。何にお別れするのか疑問がわくところですが、細かなことをいわず、田植えの終わった「田休み」「農休み」気分でいいのでしょうか。今は誰を招待するか、やっきになっているところです。
 代書屋さんへの資金計画の報告もすませ、新しい山の家の基礎工事も間もなく始まる予定です。紆余曲折があったものの、ようやくに、解体工事・新築工事がスタートします。

  時期の来て 蝶の羽化する 日和かな  暁光


母の日のプレゼント

2005年05月08日 | Weblog
 プレゼントなんぞ縁がないというのがケイコおば。うちの奥様です。私もずいぶんとプレゼントなぞしたことがありません。
 そのケイコおばに娘からのプレゼントが届きました。母の日の贈り物です。
 さっそくにはいてみて大喜びでありました。で、いろいろとポーズをとってみるのがおかしい。

いよいよお別れです。

2005年05月05日 | Weblog
 明日の金曜日は、普通の学校や幼稚園、それに一般の会社や企業はお仕事です。この私も本来ならばお仕事ですが、「リフレッシュ休暇」というお休みを使って、お休みなのです。
 そういうことで、第三弾のお客様がお帰りになるというもので、私も仕方なくお帰りです。
 で、坂出市の先端にある「カサデルマール」というお店で打ち上げの会食をしました。ここは、娘の恭子が披露宴をした記念のお店で、「ロブスター」のお料理で有名です。
 近くには最近できた、「東山魁夷せとうち美術館」がオープンして、大勢の人々で賑わっておりました。
 ずいぶんと長いと思った連休でしたが、あっという間に終わってしまった気分です。
 あとの残りは体力回復・気力回復のお休みにしたいものです。

   ついと過ぎ 五月の休みの 雲の色  暁光

海を楽しみ、満喫する島

2005年05月04日 | Weblog
 午前中は港の沖の一文字の波止へ釣りに行って、大きな魚を釣り上げたりして喜んだものです。
 昼過ぎにケイゴ君が帰るというので、丸亀まで送って行ったのですが、そのときに大きな軍艦に出会いました。丸亀市の「お城まつり」のイベントの船で、毎年、こうした軍艦への体験乗船ができるのだそうです。昨年も、丸亀沖の海上で出会って驚いたものです。
 ケイゴ君を港に送り届けて、その軍艦、海難救助艦「くまの」とかいう船を追いかけたのですが、さすがに軍艦は早い・早い。追いかけても追いかけても遠くなるばかり。
 魚の数はめっきりと減ってしまった瀬戸内海ですが、たまには、大きな魚(?)と出会ったものです。

   銀鱗に 夏のすがたを 描きたり  暁光  

第三弾目の来客です。

2005年05月03日 | Weblog
 連休も終盤に入ってきました。この朝一番のフェリーで、奥様の「ケイコおば」や、神戸のおじいさん、ケイコおばの姪家族四人が島にやってきました。
 午前中は釣りに行ったり、海で遊んだりして、お昼はお弁当。女性軍の休憩ということで、丸亀の割烹店へお弁当を注文し、それを近くの公民館前の広場で食べました。桜の花はなかったけれど、氏神様の境内の若葉や新緑が鮮やかでした。
 ケイゴ君やトオル君は朝からウェイク・ボードの練習です。その後は魚釣りやら海遊びやらと楽しい一日を過ごし、昼からは隣の手島に貝堀りに行ったり、夜は花火や宴会で、楽しい時間を共有しあいました。

  新緑の 社の庭に 和む声   暁光

山の家の解体工事が始まりました。

2005年04月28日 | Weblog
 いよいよ、山の家の解体工事が始まりました。
 瓦を外す事から始まって、宅地を埋め戻しながら、徐々に解体を進めてゆくようです。
 なにせ、住宅の基礎部分が流失して、中部ぶらりんの状態ですから、作業は慎重に進めてゆかねばならないようです。宅地の半分以上が流失していまっているため、足場を確保しながらの作業だそうです。



   山笑う 谷の小道の 槌の音  暁光 

なぜか、トンボ

2005年04月28日 | Weblog
 あかんぼうは赤ん坊ですが、トンボはトン坊でもトン棒でもありません。「飛ぶもの」という意味だそうです。
 この大きなトンボは、五色台の北端、坂出市大越町乃生の高松・王越・坂出線の道路脇に立っています。方向としては北に向かっているようです。しかし、なぜ、トンボなんでしょうか。ここを通るたびに考えてしまいます。このトンボの少し東にも、同じようなトンボが立っています。
 誰が、何のために、なぜ、トンボを選んで作ったのか・・・。不思議なトンボに首をひねってしまうのです。

  春風に 花びらの舞う 寺の庭   暁光

  連休のため、4月29日から5月8日までおやすみします。

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