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まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

今日は自衛隊の音楽隊の演奏会でした。

2005年07月10日 | Weblog
 今日も一日雨でした。ラジオネームにした「空梅雨屋たまらんなぁ」は「長梅雨屋かなわんなぁ」に変更しないといけません。
 朝は新築現場を見て、山の家の冷蔵庫を掃除して(これを新築現場に運んで大工さんたちの飲み物を冷やすんだそうです)、ホームセンターをのぞいてきました。家ができるとなると、あれもこれもと考えてしまうものです。
 午後からは県民ホールへ自衛隊の演奏会に行ってきました。善通寺の第二混成団音楽隊と、海上自衛隊呉音楽隊の二部構成でした。行く前から「チャンチャンチャカチャカ・・」と軍艦マーチを口ずさんでいるとケイコおばが「そんなんはしないわよ~」というとったのですが、映画「連合艦隊」の中で使われた「群青」なんかもあって楽しかったです。アンコール曲はドレミの歌。会場と舞台が一つになって歌いました。そして最後を締めるのは海上自衛隊のもっとも得意とする「軍艦マーチ」でありました。楽しい音楽会でした。

 

今日はお坊さんの総会でありました。

2005年06月28日 | Weblog
 今日の香川も記録的な暑さではなかったかと思います。お昼から有給休暇をもらって、歩いて社宅まで帰るときにはクラクラしましたもの。社宅に帰るとすぐさまシャワーをあびて、缶ビールを飲んで、エアコンを浴びながら着替えをし、1時半に社宅を出ました。
 コトデンで三条から築港まで。そこからJRで高松から讃岐津田まで行って、あまりの暑さに駅前のスーパーで休んで、それから津田の松原にある洗心亭へ。そこが真宗興正派東讃一組(いっそ)の組内会(そないかい)の総会会場でありました。ま、活動報告やら決算・予算、人事などを話し合って、後は懇親会であります。ま、坊さんといっても、そんなに変わることをやっているわけではありません。普通の企業や団体の活動と似たりよったりであります。ただ、言葉が専門語であるのは仕方ありません。
 私も、今回はなんとかセーフでしたが、二年後あたりには役回りがあたってきそうな雰囲気でした。会は6時半に終わり、社宅に戻ったのは8時半でした。やれやれ。明日は多度津方面へお出かけです。明日も暑いかなぁ~。

  

今日は海技免状の更新でした。

2005年06月27日 | Weblog
 今日の高松は33.6度。蒸し暑い昼間でした。軽四の冷房なぞ効きません。まるでサウナ風呂状態です。四国の水がめ、早明浦ダムの貯水量は大幅に減ったようで、第三次取水制限に入るようです。どこかの町は夜間断水に入るようです。聞くところによれば、市内のホームセンター系からポリタンクが消えたそうです。早くも高松砂漠に対応しているみたいです。皆さんに、「水送れ」のお願いが届く・・・かもです。
 さて、今日は小型船舶操縦士免許、いわゆる「海技免状」の更新手続きの日でありました。屋島西町の「高松海技専門学院」の三階で身体検査と更新講習がありました。海保の職員からの注意やら、新しい免許制度のお話がありました。感動したのは、今までは5トン未満の船しな乗れなかったのが、20トンまで乗れるようになったこと。旅客や釣り客などを乗せる渡船もできることなどです。ま、そんなことはないと思うのですが、さぬき広島の高速船などの操船もできるってことです。

  雨は当分、のぞめません。 あ、新築現場の風景はホームページを見てください。


今日、かわいいお店を見つけました。

2005年06月17日 | Weblog
 観音寺に行く途中、かわいいお店を見つけたので入ってみました。ローズマリーという名前のお店で、詫間大橋のすぐ近くです。ログハウス風のお店で、狭い店内にはこれでもか・・・と、いろんなものが積み上げてありました。店内にはおばさまが一人、所在なさそうにお店番。いろんなものがあるんだけれど、今すぐ買いたいものもありません。この詫間の港近くにもかわいい品物を売ってるお店がありました。
 最近、ところてんが店先からなくなってしまったとのこ。あちらこちらのスーパーをついでにのぞいてみたんですけど、全く、どこのお店にもありません。豊中とか詫間とか高瀬とかのお店ものぞいたんですが、○ナカ全店にないっていうのは、異常な現象。そこで思い出したように顔を見せているのが「ナタデココ」あの異常フィーバーで人気になったナタデココも、一瞬のうちに下火となって、狂想曲は終わった品物。それがまたぞろ、トコロテンに代わって出現とは・・・。抜け目ない商魂か・・・。さて、やなぎの下にドジョウがいるんでしょうか。

 蒸し暑い一日でした。

父の日のプレゼント

2005年06月17日 | Weblog
 父の日が近くなりました。私は六月二十日が誕生日なもので、今年は父の日が十九日。誕生日と父の日が一緒くたになってしまいます。まぁ、57歳にもなれば誕生日でもないのでありますが。
 さて、昨日、思わぬ荷物が届きました。神戸のみっちゃんから母でもない人へ、一ヶ月遅れの母の日のプレゼントと、父でもない人への父の日のプレゼントだとか。
 家内には洋服。私にはバッグです。ノートパソコンが入りそうなバッグです。ノートパソコンも3台が土砂に飲み込まれてしまい、新しいのを物色しているところです。
 さて、今日は観音寺に向かって出かけます。


今日は蒸し暑い一日でした。

2005年06月16日 | Weblog
 マスコミや商業系は、さかんに梅雨どきを強調しますが、近年の梅雨はジメジメもしないし、シトシトもしないもんです。「いやぁな梅雨ですねぇ」というのですが、きれいさっぱり、空梅雨です。住宅事情も変わっていますから、昔のような梅雨はありません。
 さて、今日のお弁当は坂出市の府中、香川県埋蔵文化財センター近くで食べました。で、そのお昼休みに、その埋蔵文化財を観てきました。
 はるかな昔、さぬきの地に生きた人々の生活の様子がくっきりと浮かび上がってきます。土器とかお墓とかのさまざまな遺物が、その当時の生活を教えてくれるのです。
 私たちは、物がなければ買えばいい・・・という感覚ですが、古代の人々は、それを作るしかなかったのですね。お寺の瓦や梵鐘、木魚から数珠、経典まで、みぃぃんな手作りなんですねぇ。先人って、偉大だなぁと思ったことでした。


今日はお勉強に行ってきました。

2005年06月15日 | Weblog
 今日は、塩飽諸島の仲間らでつくる「塩飽史談会」の総会でありました。さぬき広島の横瀬さんに誘われて出かけたのでありますが、「木村先生」「木村先生」と大もてで、「先生の著書は、興味深く読ませていただいております」とか「木村先生の狛犬の本はたいへん、参考になっています」とかとにぎやかなことでした。
 今日は本島の入江会長から「辞世墓碑」などの講演があり、なかなかに興味深い内容でありました。
 一方、奥方のけいこおばは、自治会入りする九軒のおうちに手土産を添えて挨拶回りをやってきたようです。本当にすこしずつ、カメの歩みのように、ものごとは進んでいるようです。まだ、大工の棟梁は棟上の日時を明らかにしてくれません。


鎮め物ってこんなもの。

2005年06月10日 | Weblog
 「鎮め物って、どんなもの??」と、個人的に質問があったので、その貴重(?)な写真を公開しましょう。こういうものって、めったに見ることはないし、地域によってもあったり、なかったりするんでしょうが、桐の小箱に入った金物です。材質はアルミか薄い鉄板なんでしょうか。
 これを家の中心部の地下30センチ程度の場所にうずめるのだそうです。これを大工さん経由で田岡建設の社長に渡してあります。これが、近く、我が家の新築予定地の地中に埋められるのです。
 こういうもので、土地の神様を鎮めることができるならば安いものでありますが、相変わらず、棟上の餅投げなどで、喧々諤々の毎日が続いておるのです。


テロ発生か、火災発生か??

2005年05月30日 | Weblog
 今日、坂出駅前を走っていると駅前地下から白煙がもうもうと立ち込めておるんです。こんな光景を見ると、「テロ発生か?」「火災発生なのか?」と思うでしょ。でも、あたりを歩いている人も車も知らんぷり・・・。こんな光景が坂出駅前では当たり前なんでしょうか??
 車ではいつもNHKラジオを聴きながら走っておるんですが、大三島の山火事の報道は何回もやってますけど、坂出駅前で火災発生とか、テロが起きたとも報道しないんです。あれれ??
 今日の香川は29度になるとかいうとったですが、27度は超えていたかも知れません。なんか、蒸し暑い一日でありました。

高松のマンホール 那須の与一

2005年05月28日 | Weblog
 船の修理ができたので、多度津町のマリーナまで電車を乗り継いで行ってきました。その前に、インターネットでマンホールについて調べてみたら、なんと、「マンホール友の会」というのがあるじゃないですか。で、高松のページを見ると、カラー版のマンホールが掲載されておるんです。
 で、その場所に行ってみると、本当にカラー版の「那須の与一」があるんです。高松市の場合、フルカラー版、黄色一色版、着色なし版の那須の与一型があるようです。そのほかにも、多くのマンホール蓋のタイプがあるんですが、こういうのは、正式のホームページにまとめたいと思っています。しかし・・・、マンホールを調べて歩く人って多いんだなぁと思ったことです。


着々と柱や梁・桁ができています。

2005年05月27日 | Weblog
 今日は26度を超える暑さで、屋外を歩けば汗が流れました。
 我が家の部材の切り込みをしている某木材工場の資材倉庫を訪ねました。もう、ほとんどの大きな部材の切り込みは終わって、これからは直立する柱の切り込みにかかるそうです。
 一般的には専門の工場に図面を送って、「プレカット」という基本的切込みを機械で行うのですが、我が家は大きくて、背の高い建物になる関係で、プレカットができず、一本・一本、手作業で切り込んでいます。写真に見える部材は桁材で屋根や天井を支える水平材ですが、長くて大きな材木群です。
 来週半ば頃に基礎工事を行う前の「位置決め」を行い、いよいよ基礎工事にかかる予定です。
 しかし、喜んでいいのか、悩んでいいものか、家を建てる予定地付近から、多量の「茗荷:みょうが」が芽を吹き出してきたのです。前の所有者が植えたもので、これを市場に出しておったとか。踏むつぶすにはしのびないし、こんな多量の茗荷を移転するというのも・・・。
 次々と問題が出てくるものです。


高松空港付近を走っていると・・・。

2005年05月27日 | Weblog
 天気のよい日、高松空港付近を走っていたとき、ふと・・見ると・・・「オール1」必ずあるんでしょうが、めったに見ることのできない、「111111.1」
 もう少しで気づかずに通りすぎてしまうところでした。
 私が3年前に、この車を預かったときには、ただの3万キロあまりだったのですから、8万キロを走った計算になります。これを3で割ると、1年に2万7千キロ。実によく走ったもんです。
 マイボートの修理が終わったようなので、明日は多度津までJRの電車に乗ってゆき、そこからマリーナまで町内路上観察をしながら歩いて、そこから「あかつきー2」に乗ってさぬき広島に行きます。島で一泊して母のさっちゃんの話相手になって、お昼過ぎにフェリーで丸亀に出て、また、JRで高松に戻る予定です。


奉公記念像「いちたろう やぁい」

2005年05月26日 | Weblog
 丸亀市の西に「多度津町」という町があって、小高い山が「桃稜公園」と呼ばれて親しまれています。少林寺拳法の総本山「少林寺」のあるところです。
 この山の頂上にお母さんが手を上げて子どもを呼んでいる像、「いちたろう やぁい」があります。日露戦争に行くために、この多度津の海から出征してゆくわが子を見送り、「お国のために奉公するんだぞぉ~」と呼びかけている母の像です。この話は美化されて映画や舞台、浪曲にまでなって、先の世界大戦が終わるまで「軍国の母」として賛美されたものです。
 今は、「子を思う母の像」として再建されて、今も多くの人たちがここを訪れています。
 パソコンが流行りだしたころ、文章作成ソフトに「一太郎」というのがあって、(今もあるんですが・・・)パソコン愛好家が多く集まったという場所でもあります。今は「ワード」が有名になって、かつての「一太郎、やぁい~」と叫びたい想いになったものであります。


路上観測1:マンホールのふたって・・・。

2005年05月25日 | Weblog
 普段、何気なく通り過ぎている道路にも、実にさまざまな情報が横たわっておるのです。その中でも、マンホールのふたぶたが静かな観察視点になっておるそうです。このデザインは各自治体ごとに決めるんでしょうが、中には単に町のマークだけを鋳込んであるものもあるんですよ。そのデザイン大会もあるそうです。
 こうした下水や汚水のマンホールのフタを調べるだけでも、一冊の本ができそうです。それに、四国ガスや四国電力・電電公社やNTTなどと調べてゆくだけでも、結構な「香川学」になりそうです。近年には「平成の大合併」が行われることから、古い町名が刻まれたマンホールのフタが高くなるかも知れません。ちなみに、これは高松空港が開かれた「香南町」の汚水ふたの写真です。
 私たちの足元には、さまざまな情報が転がっておるのです。ただ、こうした調査をされる人は、交通安全に注意してください。


橋物語その1 龍の子どもとかりんの実

2005年05月24日 | Weblog
 今、鋼鉄製の橋が話題になっていますが、関係があるのかないのか・・・。
 さて、このモニュメントは最近できた国道32号線・満濃・綾歌バイパスの満濃町がわの橋の上にある「龍の子ども」のモニュメントです。あのこんぴら丸のお土産売り場の近くです。
 龍の子どもは満濃池に移転してきたお母さん龍を、三谷三郎池から、はるばると訪ねてやってきたのでしょうか。手にしているかりんは町の木です。満濃町近辺には、こうしたユニークなモニュメントがありますので、おいおいに、つれづれにお話してゆきたいと思います。
 橋の名前は「はらいがわおおはし」、上り側から見れば、「祓川大橋」となっています。昔、こんぴらさんにお参りするとき、この川で体を洗って清めたことから「祓川」の名があるそうです。
もっとも、こんぴらさんには遊戯場や芝居小屋、賭場などがあって、この川で身包みはがされて支払いされられたことから、「払い川」だといわれたこともあったとか。

  あじさいの 揺れて昼寝の 揚羽かな  暁光

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