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まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

紅梅は 花振りまいて 天を突く

2016年03月17日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は3.8度から16.1度とすっかりと初夏の気温。湿度は94%から54%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。今日は「彼岸の入り」に当たるらしい。明日の18日は、低気圧や前線の影響で雲が広がり、昼過ぎから雨が降る見込みなのだとか。

 

 さてさて、今月8日の胃カメラ検査の時、マウスピースを思い切り噛みしめて下の前歯が折れてしまった。で、先週の9日に治療をして、ようやく元のように修理ができた。

 

 ま、これでしばらくはいけるだろう・・・ということだった。下の前歯もガタガタになっているが、その時、その時の修理で済ませるほかないらしい。

 

 でも、前歯の一本がないだけで、うどんもラーメンも食べにくいったらありゃしない。それだし、当分は「かぶりつくのは厳禁」なんだそうだ。硬い物をかじると、また、折れてしまうらしい。「お歳ですから・・・」仕方がないというものだ。

 

 孫が新聞に載ってるよ~というので、コンビニで新聞を買ってきた。なんか最近は、孫の方が活躍するようになってしまった。この前は「一日通信司令長」だかもやっていたし。

 

 さて、今日は天気もいいことだし・・・ということで、ウォーキングをやってみた。今回は南に歩いて行って、県営大川ダムを一周する一時間コース。

 

 

 ダムの桜は、まだ、こんなもの。来週の土曜日に花見を計画しているのだけれど、あと、九日で開花するんだろうか。なんとも頼りない蕾に見えるのだけれど。

 

 今日の関門はここの階段。これさえクリアすれば、あとは平坦な所ばかり。

 

 ダムの管理道路はこんなもの。ほぼ、水面に合わせてまっすぐに伸びている。途中で、腐った倒木や竹などが散乱している所もあるけれど。

 

 ここが「流入部」ここから県道に出て、今度は県道を北上する。

 

 ここにちょっとした奇岩がある。これが「千羽が嶽」というもの。その昔、ある武士がここにさしかかった際、盗賊が襲いかかってきたらしい。その時、武士の刀の小塚から千羽の鶴が舞い上がって、盗賊を追い払ったのだとか。

 

 そんな伝承を受けて、この橋のたもとに住んでいた女子中学生が、橋を新設する時に「せんばづるはし」という名前を付けたのだそうだ。

 

 わが家の「ハクモクレン」は満開状態。明日からの雨で散っていくのかも知れない。

 

 今日の掲示板はこれ。「やってやれないことはない やらずにできるわけがない」という斎藤ひとりさんの言葉から。「やってやれないこと」って本当に無いんです。なぜかと言うと、「あなたに起きる問題」は「あなたにできること」だからです。誰もあなたに、「戦争の無い地球にしろ」とか、「世界一のコンピューターをつくれ」とか言いませんよね?それは、「あなたに起きる問題」ではないからです。今「あなたに起きている問題」は、あなたがやる気を出せばすべて乗り越えられる問題です。やってみたらあまりに簡単に乗り越えられるので、ビックリします。そんなもんです。人生って!と、斎藤さんは仰るけれど、やってもやってもできないことはできないのだ。でもだ、「やらずにできるわけがない」というのは納得できる。歩き出さなければ目的地には到達できないし、目覚めなければ、今日を楽しむことができないのは確かだと思う。まずは目を開くこと、まずはあたまを動かせること。そうすれば、歩き出すことだって可能だし、走り出すこともできるのだから。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


日陰から 明日を見上げる ふきのとう

2016年03月06日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は湿った空気の影響で雲が広がり、夕方からは雨が降って来るらしい。気温は9.6度から19.6度と、早くも夏になったのかしらんと思うほどの気温になった。湿度は76%から60%、風は1mから2mの南南東の風が少しばかり。明日の7日は気圧の谷の影響で、午前中は雲が広がるけれど、午後からは高気圧に覆われて次第に晴れる見込みらしい。

 

 昨日、わが家に戻ると、ご近所さんが畑の周囲をきれいに片付けていた。元はサツマイモなどを作る畑であったらしい。ここをしげしげと観察をしていたらば・・・。

 

 こういう、旧道の姿が見えてきた。私が小学生の一年生の頃には、ここを歩いて通学したものだった。でも、その当時は、こんなに広い道であったかどうかは記憶にない。

 

 今回、発見した部分は、青色で示した部分、図面上はオレンジ色で示した旧道部分である。そこから先の、太い赤線で示した部分が、わが家が管理している旧道部分である。ここがうまく繋がって見えてきたと言う訳である。

 

 わが家部分は、このブロックで支えている細い旧道部分である。この草刈りをしてあるところである。本来は旧道の敷地であったが、この家の西側に旧町道(現さぬき市道)が開通したので、所管換えになって民地に移管されたものだとか。ま、どうでもいい話ではあるのだけれど。

 

 わが家のチューリップも大きく伸び出してきた。年賀状を予約したときに頂いたチューリップの球根からも葉っぱが出てきたし、北海道から頂いたチューリップも芽を出してきた。みんな、大きくなる時期を知っているんだ。

 

 ハクモクレンも花びらの用意を始めているし、向こうでは梅の花が満開である。

 

 奥方も私の身体に異常がないとわかると安心したものか、野菜畑を耕し始めた。で、この後、ホームセンターに出向いてジャガイモの種芋を買ってくる。で、来週あたりに植え付けをするのだそうだ。もちろん、私が給油をして、エンジンを掛けて、後から指導している訳だ。のんびりと眺めているばかりではない。

 

 郵便局や銀行に寄ったりしながら、今日のお昼は久々にここになった。さぬき市長尾東にある「うどん亭・いわせ」という一般店。ま、奥方の「手抜き」みたいなもんだ。

 

 で、私も久々の「肉うどん」で、760円。少々、お値段するが、一般店では仕方がない。

 

 ここの奥さんがお遍路好きなようで、「満願くじ」というものをサービスでいただいた。何が当たるのか知らないが、5月31日がお楽しみ・・・みたいなお話だった。

 

 おうどんを食べて終わると、唐突に「ふきのとうを探しに行こうよ」と言い出した。時期的には遅くもないのだけれど、今年はどうだろうかねぇ・・・と、やや、半信半疑で出かけたのだけれど。

 

 あちらこちらと、さぬき市内の山手を走りながら探すと・・・、レジ袋一杯のフキノトウが採れた。すっかりと大きくなったものもあれば、ようやく頭を出したばかりのものもあったけれど。

 

 きれいに掃除をすると、このくらいになった。さて、どういうものに変身するのだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「お金より大事なものがない不幸」というもので、いつもの赤松先生のお寺にあったもの。「お金で買えないモノはない」と、よく言われるし、、「よく、お金より大事なものはたくさんあるねという人がいますが、あれって正気で言ってるんですか?ただの綺麗事ですよね?」という人もいるのは事実。この言葉の是非は別にして、お金を自分の価値基準のどこに置くかは、人生でとても重要なことである。五木寛之さんは、「人間は誰でも自分がいちば ん大切なのです。そして、そのことをほんとうに自覚した人間だけが、自然なかたちで他人を大切に思うことができる」と述べている。あなたにとって、お金よ りだいじなものがあるだろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


春一番 明日の夢を 探そうか

2016年02月14日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夕方まで弱い雨の降っている所があった。気温は春のような13度から18度、湿度は82%から72%、風は1mから8mの西南西の風が吹き荒れていた。昨日には四国地方で、今日は関東地方ほかで「春一番」が吹き荒れたようだった。明日の15日は、冬型の気圧配置となるため雲が広がり、夕方からは雪か雨の降る所があるらしい。

 

 朝方は春のような陽気になったので、「ふきのとう」探しに出かけたが、だんだんと、ふきのとうも姿を消していく。農地は荒れ放題だし、イノシシが掘り返してしまうし、久々に出かけたら、水田がソーラーパネルの広大な発電所に生まれ変わっていたりする。

 

 こんな、かわいいものは残しておくが、来年にはもう、ここには姿を見せないのだろう。

 

 今日は母の祥月命日のお勤めをする・・というので、少しばかり、お仏壇のお掃除とお荘厳(しょうごん)をやっておく。本来の命日は2月19日なのだが、弟たちの都合で、今日になった。

 

 で、今日は香川県立ミュージアムで、「ミュージアム・プレゼンテーション2016」ということで、「香川の歴史研究最前線」というプレゼンがある。時間は13:30から15:00まで。場所は地下の研修室。

 

 で、最初は、大山眞充学芸員による「万葉集の長門浦はどこか」、次に、渋谷啓一先生の「歴史の『ウラ』を探る!!」というもの。三番目に古野徳久学芸員による「水戸徳川家とのゆかりを示す-松藩主松平日内山墓所」について。

 

 その後に、長井博志学芸員による「おもてなしの近代和風建築-彩られたトイレを中心に-」という講演があったが、時間の関係で中座させていただいた。

 

 なかなかに興味深いお話であったが、今日は来客があるので、気持ちはすでにわが家に飛んでしまっていたのは残念なことだった。

 

 帰宅すると、またしてもお内仏の点検・・・。何度、見ても同じなのだけれど、なぜか、気になってしまう。

 

 お花は良いか、お香は良いか・・・。蝋燭は「仮」の白が立っているが、正式には赤の和蝋燭に交換する。

 

 合間をみて、この本も増刷しておく。

 

 今晩の「おとき」の準備。メインは牡蠣フライと湯豆腐らしい。奥方は19時過ぎでないと戻れない。高松市内でのケアマネの研修らしい。

 

 今夜は、弟二人といとこが二人に私の五人でのスタートになる。奥方がもどれば六人ということにはなる。あと、ナマコとか酢の物とかなんちゃかんちゃら・・・。三年目になると、こんなものか・・。

 

 もう、すっかりと梅の花も満開になったころだが、思い出したように、

 

 今日の掲示板はこれ。「未来への希望を失うと、人生は退屈になってしまう」という、ベティ・デイヴィスさんの言葉から。未来に楽しみなことがなければ、日々の生活はつまらなくなる。希望を持って、それを叶えようとするなら、生活全体が明るくなる。この先の人生、楽しみなことがなければ、日々の生活はつまらなくなるだろう。何事も希望を持ってそれを叶えようとすれば、人生は明るくなるのだと、言うているのである。

 

 ベティ・デイヴィスはアメリカ合衆国マサチューセッツ州ローウェル出身の女優である。本名:ルース・エリザベス・デイヴィス。 尊敬をこめて「フィルムのファースト・レディ」と呼ばれた、キャサリン・ヘプバーンと並ぶ、ハリウッド映画史上屈指の演技派女優にして、未だに尊敬を集め る特筆すべき重要な存在である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


寒桜 明日の夢は 遠いのか

2016年02月12日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、弱い雨の降っている所があった。気温は1度から14度、湿度は78%から58%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。今日はまさに春のような暖かさだった。明日の13日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夜には雨が降るらしい。

 

 丸亀市綾歌町にある「福成寺」さんに行ってみた。ここの「寒桜」は有名なのだが、今年は少しも花便りが聞こえてこないので、確かめにやってきたという訳。

 

 すると、誰も居ない。平日の金曜日だから・・・という訳でもなさそう。

 

 いつもは、20日前後が満開だったような気がするのだが、今年は少し早いのか・・・。

 

 通りかかったおじいさんが、「一ヶ月も咲いたら、散り出したのぉ~」と、独り言を言いながら歩いて行った。一ヶ月前いうたら、1月の13日やないかい・・。そんなに早くから咲いておったんかいな・・・。そんなことはないと思うけれど、寒桜というだけに早いのは早いのだけれど。

 

  ここは、浄土真宗本願寺派梵音山真興院福成寺と称す。開基は、聖武天皇の頃、行基の開山と伝えられる。嘉承元年(848)真言宗に、応永28年(1421)、中興の祖、了圓により、真宗に改宗した。後小松天皇の応永元年(1394)、長尾大隅守の執権職であった幡多惣左衛門正家が68歳の時、出家し了圓と号し、この地に福成寺を再建した。了圓の後、 長尾元高の第9子、高乗をその嗣とし、乗高と号し、当山第二世となった。以後、法灯連綿今日迄及ぶ・・・とある。 諸堂宇も整い大いに盛んであったが、天正の兵火で焼失。以後再建され、天正14年には、羽柴秀吉から京都大仏殿供養に命ぜられている。

 

 例年、ふきのとうを探しに行く綾川町とまんのう町との町境の山に行く途中、久々に、ここのおうどんを食べようか・・と向かったお店は、これ、この通り。報道によれば先日の9日午前9時過ぎ、綾川町のそば店から出火していると消防に通報があり、この火事で木造平屋の店舗兼住宅が全焼。経営者夫婦が火傷を負って病院で治療を受けた。出火当時香川県には強風波浪乾燥の注意報が出されていた。警察と消防が火事の原因を調べている。とのこと。

 

 元は、こんなお店だった。このあたりには食堂もお店もないので、お昼時には満席、行列になるお店だったのに残念なことだった。ご夫婦の一刻も早い全快を念じあげた次第・・・。

 

 肝心のふきのとうは、これ一個だけ。早いのか、遅いのか、そのあたり一面にふきのとうが出る場所なのに、これだけとは・・。一個だけでは仕方がないので、そのままにしてきた。

 

 ふと、見かけたもの・・・。顔の長い動物・・。犬だろうか。下あごが長くてでかかった。でも、頭だけ・・・とは。胴体や手足があれば想像もしやすくなったのに・・・。

 

 帰りに、こんなものを見かけた。高松空港の消防自動車だが、なんで、公道を走っておるのやら。点検か、はたまた、修理か車検か・・・。

 

 木田郡三木町まで戻ったところで、久々のおうどん・・・。「手織りうどん・滝音(たきね)」さん。

 

 しばらくお肉を食べていなかったので、「肉わかうどんの小の温いん」をお願いした。480円だった。舌が老化したのか味がわからん・・・。それに量が少し多めかなぁと感じた。私の胃袋も老化して小さくなったのかも知れない。

 

 そこからさぬき市志度の市立図書館に寄って、借りていた本を返却して、別な本を借りてきた。

 

 どれも新刊書コーナーにあったもの。ただ、思いつきだけで借りたもの。たぶん、読まずに返却するのかも・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「今日為し得るだけのことに全力を尽くせ。そうすれば明日は一段の進歩があろう。」というアイザック・ニュートンの言葉から。ニュートンはイングランドの自然哲学者(物理学者・数学者・天文学者)。本人は自然哲学を自称したが、後代、近代科学最大の科学者の一人とされ、万有引力の法則を発見したことで知られる。 落ちるリンゴからヒントを得たニュートンは3つの運動法則を発見した。【慣性の法則】 【加速度の法則】【作用・反作用の法則】の三つである。そういう数々の発見を成し遂げたニュートンだが、人にはあまり好かれなかった。特に造幣局長官と下院議員を務め、宗教についての書物を著した晩年は人に疎んじられたという。「大天才」とは言っても、それは科学者としてのことであり、人格までもが大天才ではなかった・・・というお話である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


自転車を 押して遍路は 冬支度

2016年01月30日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がっていた。気温は7度から10度、湿度は88%から67%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の31日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 奥方が5時前に起きるので、つられて私も5時過ぎには起きてしまうが、あたりはまだまだ真っ暗け・・・。「起きたけど、寝るまでとくに用もなし」・・・。

 

 とくに用事もないのだけれど、起きてしまったらどうしようもない。何か用事を造らないと認知が進むだろうし、ボケても困る。取りあえず、朝食を作って食べて、朝ドラを見て、迷犬ごんの散歩とエサやり。9ヶ所のカーテンを開け、雨戸を開ける。これが朝のルーティーン。

 

 で、例の「俵札調査」の論文執筆に取りかかった。データーや図表は準備できているので、まずは概要のまとめから。俵札とはなにか。収め札とは何か。なぜ、この研究を始めたのか。経過はどう進んだのか。その結果はどうなったのか・・・。

 

 メンバーはどういう人たちで、どのような役割分担で・・・。

 

 どういうものが出てきて、それらをどうしたのか・・・。

 

 遍路行者を接待した際に受け取った納札を収める俵を「納札俵」という。接待は遍路行者の行程を扶助するものであると同時に、各家の厄や災いを託す願いも込められた。また、霊場を巡ったのと同じ利益があるとみる。それ故、接待の証左ととなる納札は大切にされ、その集められたる俵を家屋の梁に括り、家内安泰を願った。この俵が稲わら製であることから、五穀豊穣の祈願になるという。今回、調査した俵は三点であったが、小さい物は数十年、大きな俵になると百年間を越える分の納札が収められていた。

 

 気分転換と取材を兼ねて、お隣の徳島県鳴門市まで走ってきた。ここが四国霊場第一番札所の霊山寺(りょうぜんじ)さん。山門のところにいるのはマネキンさん。

 

 こういうお顔をしてはる・・・。

 

 ついでに仁王様も記念撮影・・・。

 

 本堂脇にはこのようなお方が微笑んでいる。あ、笠の下には、こうして手ぬぐいを巻くのか・・・。あごひもの結び方がいまいちわからん・・・。

 

 ここの本堂の照明は印象的。いろんな雑誌や案内書にも掲載される吊り灯籠である。

 

 この建物は、お寺のものか、そうでないのか、よくわからないが、ここでも「納経」をやってくれていた。正式には本堂の中に「納経所」があって、「お遍路用具一式をお求めください」という案内書きが随所にあるのに。で、お遍路用具販売のために、こうしたマネキンお遍路さんが三体、置いてあった。お店にも入ってみたが、話題になるようなものもなかった。

 

 これがまた、なんだかよく分からない。「クジラに乗った孫悟空」らしい・・・。ここには、こうしたアートも幾つか置いてあるが、どういうことなのか意味不明のものばかり。

 

 時期的なものかどうか、菅笠白衣姿のお遍路の姿は見えず、若者が数人、私服姿で納経されているのを見かけた程度。お天気のせいかも知れない。

 

 午後の4時になれば、お風呂の掃除をしてお風呂を沸かし、迷犬ごんの散歩とエサやり。9ヶ所の雨戸を閉めて、カーテンを閉じる。これが夕方のルーティーン。冬の日もあっという間に暮れてしまう。

 

 今日の掲示板はこれ。「福は内にあり 鬼も内にあり」というもの。添え書きに、「福を外に求め、鬼を外に見出す限り安住の地はない」とある。「鬼は外、福は内」などと豆をまく姿は節分の風物詩でもある。素朴に幸福を願い不幸を厭う気持ちは誰にでもあるし、否定はできない。しかし、鬼とは一体何だろうか。自分に不都合な事がらを鬼と呼び、自分に都合の良いものを福と言うらしい。だとすると、どこかに鬼がいるのではなく、自分に都合の悪いものを鬼と感じ、鬼を作り出す心があるようだ。そして、その心こそ鬼かもしれない。自分の思いや計らいを正当化し、限りなく福を外に求め、鬼を外に見出す限り、安住の地はない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


冬しぐれ 帰りを急ぐ 犬がいる

2016年01月26日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は寒気の影響で雲が広がり、雪や雨の降っている所があった。気温は0.7度から8.0度、湿度は78%から66%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の27日は、寒気の影響が残り、雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 今日は全国的に火曜日となったので、恒例のさぬき市前山にある「おへんろ交流サロン」に出勤(?)した。いつもの「俵札」のお仕事である。道路には雪は殆どないが、脇道や町道の山陰や樹木の下には雪が残っていた。

 

 で、先週からの宿題の「田淵家納札」ソート・リストから、100枚の納札を探し出す作業に入った。遠隔地(北海道や新潟・鹿児島など)から10枚、香川県の内から、現在のさぬき市に該当するもの90枚の合計100枚を23,00枚のファイルから探し出すのである。

 

 寒川家や飯田家からは江戸時代のものから100枚を抽出するのだが、私の田淵家は、どういう事情だか明治以降の物しかない。だから、この近くの人のものを展示して身近に感じてもらおうとしているのである。この100枚の中から、展示に耐えられるもの50枚程度に選別する。

 

 お昼からは、さぬき市津田町の古民家散策というイベントに参加した。主催は「さぬき市文化財保護協会津田支部」で、その会長も「渡邊会長」がやっている関係で誘われたのである。

 

 この津田町は、漁業と砂糖会所、砂糖の積み出し港として栄えた町だという。だから、大きな倉庫や大きな商店、海運業者のお屋敷があった。ところが近年は高齢化などで、旧商家などが次々と壊されていき、新しい住宅や駐車場に変貌している。そこで、電気屋さんでもあり二級建築士でもある安藝さんという方の案内で、津田町の古民家を訪ねることになったのだという。

 

 この日、集まったのは保護協会会員さんと私ら一般人らでおよそ20名あまり。私も昭和の50年代から60年代あたりには、この界隈を走り回ったことがあるのだが、電電公社からNTTに変貌してからは訪れたことがなかった。だから、まるで浦島太郎状態・・・。

  

 安藝さんだとか、大眉さんとか板屋さんだとかいう名前はうっすらと記憶にあるが、隣町なのに全くの記憶の彼方だった。

 

 途中でお茶のお接待を受けたりして休憩しながら町並み散策は続いた。

 

 栄華盛衰は世の常ではあるが、明治になり安い外国産砂糖が輸入されると、一気に讃岐三白の「和三盆糖」は衰退し、砂糖の輸送業も廻船問屋も崩壊してしまった。その上に、大型スーパーの郊外進出によって、旧商店街も閉店や廃業に追い込まれてしまった。

 

 今日の最後は、法道寺という真言宗善通寺派のお寺さん。ここは、昨年の秋にも紹介したが、あの「日本ハム・ファイターズ」のオーナー「大社(おおこそ)義規(よしのり)さん」の菩提寺である。檀家さんは大社さんだけ。

 

 で、近藤住職から、お寺の由来や縁起などについてのお話を伺った。

 

 ご覧のように、ファイターズのスタジャンを着用して、「ファイターズ・ミュージアム」の「館長さん」というイメージ。

 

 だから、大社オーナーのユニフォームや、

 

 ヒルマン監督のユニフォームや

 

 2006年の日本シリーズで優勝したときの写真パネルなどが所狭しと掲げられている。本堂には、毎日、北海道から送られて来るファイターズ新聞がお供えされている。

 

 今日の掲示板はこれ。「頼まれたらすぐやる、誠実にやる。それをコツコツ積み重ねることが一番大事」という伊牟田均さんの言葉から。経営不振にあえいでいた九州の名門ホテル「城山観光ホテル」の運営会社、城山観光(鹿児島市)を私的整理後、最高益に導いた伊牟田均社長(65)。野村証券で企業の育成・再生の腕を磨き、再建請負人として38年ぶりに鹿児島に呼び戻され5年半。「お客様も社員も幸せを重ねられる場所がこのホテル」とふるさとへ優しいまなざしを注いでいる。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


薄氷 割る人もなし 手水鉢

2016年01月15日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は2度から9度、湿度は64%から54%、風は2mから4mの西北西の風が少しばかり。明日の16日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 左側の昨年の工事が終わったと思えば、今度は右側も防災工事とかで山肌を削る作業が始まっている。さてさて、どのような形になるものやら・・・。

 

 平成27年の確定申告用の資料を整理し始めた。と言うても、わが家は「医療控除」だけ。それも、夫婦二人だけだから簡単なものだ。

 

 それでも、総額で24万円もの医療費になった。戻って来るのは数万円かな・・・。

 

 さぬき市志度図書館へ本を返却するために出かけたが、少し時間が早いので、久々にここに寄ってみた。東かがわ市小砂(こざれ)にある「庄松同行」の小砂説教所跡である。

 

 ここを、正式にはどう呼ぶのか確かめたことはない。「庄松同行墓所」とも、「正真同行墓所」とも「小砂説教所」とも、「正真講本部」とも呼んできた。

 

 庄松が臨終の床についた時、生涯独身であったため、一人で寝ていた。そこへ同行の市蔵が見舞いにやってきて、市蔵は庄松に「同行らと相談したんだが、お前 が死んだら、墓を建ててやるから、あとのことは心配するなよ」と言った。すると庄松は、「おらは石の下にはおらんぞ」と答えたと言う。既に阿弥陀仏の本願 に救われている身なので、墓石の中ではなく、浄土に生まれることを確信する中から発せられた言葉だと言えよう。

 

 しかし、現実にはこんなお墓が建っている。これは「報恩感謝」のお墓なのである。御恩報謝の念仏と同じである。供養のためではない。石碑には「庄松同行の墓」とあり、「釈正真信士墓」と刻まれている。 没年は明治四年三月四日と刻まれており、他面には、大同行 俗称 谷口庄松 丹生村 と刻まれている。

 

 これが、小砂説教所の内部である。正面には本尊阿弥陀如来立像。ここで、皆さん、合掌礼拝・読経される。あと、左三間は庄松さん関連の品物が展示をされている。詳しくはここにお参りしてご覧あれ。

 

 こういうものもある。ご勧章「聖人一流章」を上下逆にして、文字の読めない庄松さんが読んでいる図である。庄松さんは文字や本を読むのではなく、こころで「ほとけさまの願い」を頂くのである。

 

 東かがわ市丹生(にぶ)から国道11号線を西に走ってさぬき市志度に入る。JR志度駅から右折して海の方に進むと、この「さぬき市志度図書館」がある。現在、香川県立図書館は防災工事のために一部を開放しているだけで、大部分には入れない。そこで、2月上旬まではここを使うしかない。

 

 今回、借りたのはこういう本。私たち団塊の世代が歩んできた時代の遊びや風俗などをまとめたもの。

 

 こういう、なつかしいものがたくさん見られる。まだ、こんなものを懐かしむ年ではないのだが、頭を休めるにはいいかも知れない・・・などと。

 

 こういうものとか・・・。

 

 そういう点からすれば、私は「おへんろ」という信仰文化を、「仏教民俗学」的に見ているのかも知れないなぁと思った。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生 初の今日であり 今である」という、町内のお友達のお寺にあった言葉から。よく見かける言葉だけれど、どこの誰の言葉かわからなかった。私たちは、当たり前のように生きているのだけれど、「今」という一瞬は「今」でしかないし、「今日」という時間はまるきり人生で初めての「今日」であって、もう、二度と今日という日はやって来ない。その今日という日の積み重ねが、この私の「人生」となる。それだから、今日、出来ることは今日にやっておきたいものだし、今日、見ておきたいものは、ぜひとも今日に見ておきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


廃校に 思い出ばかりの 梅の花

2016年01月14日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は冬型の気圧配置が続くため、寒気の影響で雲が広がりやすく、昼過ぎにかけて雨や雪の降る所があった。気温は今季初の氷点下0.3度から7度、湿度は64%から56%、風は1mから6mの西南西の風が少しばかり。明日の15日は、冬型の気圧配置は緩み高気圧に覆われるため、概ね晴れる見込みらしい。

 

 奥方は今日もケアマネ研修で、長尾寺近くの電車の乗り場まで送って行ったが、途中の山道にはうっすらと初雪が・・・。ようやく冬らしくなったかなぁと思った朝だった。

 

 メダカの水槽にも氷が張っている。そんなに厚いものではないが、今期初めての氷である。ま、それでうれしいとか楽しいという気分にはならなかった。

 

 二階のベランダにもうっすらと粉雪が・・・。

 

 朝方は雨になったり、みぞれになったり、西風が強くなったりしたので、デスクワークに励むことにした。例の「俵札」のデータ整理である。田淵家の2,340件のものはほぼ完了したし、寒川家の850件のデーターもほぼ整理がついた。で、今日は飯田家の1,130件のデータを整理してみた。

 

 県別分類、郡別分類、地方別分類、年代別分類をして、それをグラフ化して記録に残す作業である。男女別分類や季節別分類もできればやっておきたい。

 

 うどんを食べると、「依存症だ」とか「うどんキチガイ」だとか「よく飽きないものだ」とかと言われるので、今日はこれでお昼の代用にした。コメを食べると胃の調子が悪くなるのだし・・。他人が何を食べようと干渉しないでいただけるとありがたい。

 

  で、昨日のリベンジでやってきたのが、高松市塩江町の奥地、「上西(かみにし)地区」にある「上西中学校跡」である。これは中学校の講堂跡らしい。今は、NPO法人のボランティア・ハウスになっているらしい。

 

 特定非営利活動法人(NPO)奥塩江交流ボランティア協会・・・が、この上西中学校跡と保育所施設を使ってさまざまな活動を行っているらしい。その名前が「モモの広場」というのらしい。

 

 門標があるがよく見えない。「上西なんたら会館」と書いてあるらしい・・。

 

 昭和22年5月、香山小学校の一部を仮校舎として開校した。当時の生徒数は110人であった。昭和24年3月、この地に二階建ての新校舎が落成した。同校は地域の特性を生かして産業教育に力をいれ、校庭にニジマスの養殖場を作ったり、シイタケ栽培その他農林業の研究に多大の成果をあげた。昭和38年に統合中学校ができてから講堂側の校舎は上西保育所が使用し、本館のほうはしばらくそのままにしていたが、昭和42年東山茶業組合に売却し茶工場となった。しかし同年9月10日の火災のため、講堂の一部を残して茶工場は全焼した。

 

  昭和29年4月、香山小学校内に上西幼稚園を併設した。学級数は一クラスだった。その後、地区住民の強い要望により昭和31年4月に西山小学校内に西山分園、東山小学校内に東山分園を設置した。昭和37年5月からスクールバスを運行して分園の園児を本園に収容し同年9月に上西保育所と改組して上西幼稚園は廃園となった。(塩江町史より)

 

 ここがNPO法人の集会場で、音楽会やうたごえ、映画会などが行われるらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「けさ 目がさめたらまっさらの命 今日もキラキラ」というもの。時間がまだあると思うからこそ、今じゃなくてもいいと思ったりする。今度、またにすればいいやと思ったりする。でも、私たちには肉体の期限はある。明日、 事故で肉体を失うことだって、ありうるのだ。ところが、私たちは永遠の命だと信じ込んでいる。だから、またにすればいいと思うのは、本当は 自然なことなのかもしれない。今朝目覚めたら、空気感がまるで違った。冬らしいさわやかな朝だった。まっさらな命をかかえた朝だった。今日もキラキラとした朝だなぁと実感する冬の朝を迎えていた。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


生ききると 決意もないが 寒ツバキ

2016年01月13日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で瀬戸内側を中心に雲が広がり、弱い雨の降っている所があったし、みぞれらしきものも降ってきた。気温は2度から10度、湿度は88%から53%、風は1mから6mの西の風が冷たかった。明日の14日も、寒気の影響で雲が広がりやすいらしい。

 

 朝から雨だと云うので、またもや納め札のデータ整理をやっていた。納め札というのはお遍路さんの名刺みたいなもので、各札所の本堂や大師堂、奥の院やお地蔵さんなどにも納めたりする紙札のことで、お接待を受けた方にもお渡しする。

 

 私たちが調べている物は、お接待をしたお礼に頂いたものを、稲藁で作った小型の俵に詰めて、屋根裏などに吊して、火災予防の意味で飾ってあったもの。それを頂いてきて、中に詰まっていた納め札を整理・分類して調べているのである。これは「飯田家」にあったものの、出身地調査である。ここの家の場合、香川県人のお札が多い。その最後に、「朝鮮国」というのがあった。

 

 その納め札には「朝鮮鎮海湾愛知○」とあって、「斎藤八重」とある。明治32年のことである。韓国慶尚南道からのお遍路さんであった。この地で働いている日本人が、お四国参りにおいでになったんだろうか。

 

 ここのおうちの場合、徳島県が案外と少ないことに気付く。

 

 毎年のことだが、今日、1月13日は「咸臨丸出航の日」とされている。万延元(1860)年のこの日、勝麟太郎(海舟)や福澤諭吉ら江戸幕府の遣米使節を乗せた軍艦「咸臨丸」が品川沖を出航した日とされている。(18日・19日の説もあり)

 

 万延元年(1860)、日米修好通商条約の批准書を交換するため遣米使節団一行がアメリカ軍艦ポーハタン号にて太平洋を横断。咸臨丸はポーハタン号の別船として、旧暦1月13日に品川を出帆、旧暦1月19日に浦賀を出港、旧暦2月26日(太陽暦3月17日)にサンフランシスコに入港。艦長は勝麟太郎(正確には勝は「軍艦操練所教授方頭取」、木村摂津守は「軍艦奉行」であったが、通訳の中浜万次郎は勝が艦長、木村が提督との説明で押し通した。福沢諭吉らも乗船していた。(Wikipediaより)

 

 お昼からはお天気がよくなってきたので、少しだけお出かけをしてきた。と言うのも、三本松のメガネのカワイさんの店長ブログに、上西小学校のことが出ていたように記憶しているので、そこを訪ねてみた。

 

 高松市塩江町上西(かみにし)という地区にあるこの小学校は、明治8年に内場小学校として開校。その後、幾多の変遷を経て、昭和45年に上西小学校になった。そして、平成27年3月に廃校になった。

 

 ここは鉄筋コンクリートの校舎だからとパスしていたのだけれど、

 

 カワイさんのブログには、こうした木造校舎があったような気がしたのでやってきたのだが、ここには、木造校舎なんぞ、どこにもない。帰って調べてみたら、「上西中学校跡」だった。

http://kawaimegane.blog40.fc2.com/blog-entry-2579.html

 

 ついでに、種田山頭火の句碑を確認するために行って来た。大窪寺の前の地獄谷という所の旧遍路道沿いにある小さな句碑である。「夜が長い 谷の瀬音 とほくもちかくも」と刻まれている。おそらく、この句碑は建立されてから、誰の目にも触れられていないと思う。そんな場所違いな所にひっそりとあるばかりの句碑である。

 

 もう、この八丁石をたどるおへんろさんもいない筈。そんな枯れていたんでしまった旧遍路道であった。

 

 今日の掲示板はこれ。「一年前の悩み事、言える人、いますか?」というもの。あぁ、そうだなぁ~。悩みのど真ん中にいるときは、不幸のどん底にいるような気分になるけれど、いつのまにか忘れてしまっているよなぁって思うことがあるもの。私も、一年前、左目の白内障という大きな山を抱えていて、不安の渦中にいた。でも、山を乗り越えてしまうと、悩みという者が杞憂だったことに気づかさる。そんな当たり前のことを、身をもって感じらたとき、悩みの内容というか深さが変わるのではないのだろうか。時間の経過が悩みを薄めてくれるとは言わないけれど、悩みの種というものは、いつまでも悩みの種として残ってはいるけれど、でも、あるときふと過去を振り返ったとき、「あれ?あんなに悩んでいたけど、いつのまにか気持ちが落ち着いていたなぁ」ってこともあるものだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


冬曇り 出会ってみたい 人が居る

2016年01月06日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がっていた。気温は6度から12度、湿度は82%から56%、風は1mから3mの北西の風が少しばかり。明日の7日は、冬型の気圧配置となるため雲が広がりやすく、明け方から朝にかけては雨の降る所がある見込みらしい。

 

 今日は「讃岐一の宮」である「田村神社」に行って来た。ここも初詣で有名な神社だと思うのだが、昨日の一覧表には出ていなかった。大きな神社なのだが、住宅地に隣接しているせいか、駐車場が狭い。だから参詣人が集まらないのだろうか・・・。

 

 ここに来るのも久しぶり。会社員時代にはトイレ休憩に寄ったり、弁当を食べるのに駐車場で休んだりしたものだったが、最近はとんと用事も興味もなくてきたことがなかったが、まぁ、いろんな石像やら石碑やらが林立しているようなお宮さん。

 

 通路の真ん中に、こんなでかいものが鎮座している。

 

 やはり、ここにも制服組やスーツ姿の会社員らがお参りに来ている。拝殿の中ではご祈祷が行われている。「なんたら株式会社のなりわいをことほぎ・・・・」会社さんの商売繁盛をお願いしとるんだろうか・・・。

 

 「まんのう町社会福祉協議会」とかのマイクロバスやデイサービスセンターの送迎用車両なども数台ほど見かけた。車いすの方も数十台がお参りしていた。

 

 これは大判小判らしいが材質はプラスチック製らしかった。小判が600円、大判が1000円。裏側に住所氏名を書いて納めるものらしい。みなさん、お金持ちやねぇ・・というか、お願いのためならばどんどんとお金を投げるみたい・・・。

 

 こういう石像やら干支の動物やらがそのあたりにいっぱい・・・。灯籠や照明ライトの上にも干支が乗って居たりする。それだって、寄付や寄進でできているものらしい・・。

 

 おみくじだって、干支の前ごとに置いて有る。お遊びで100円のおみくじを引いてみた。「吹きあるる嵐の風の末ついに 道うまるまで雪は降り積む」・・・・。遭難しそうな歌ではないか・・・。

 

 お姉さん方はおみくじの一句一言に一喜一憂してわぁわぁと賑やかである。

 

 この結んである一つが100円でも、これだけになれば、相当な金額になるなぁと、他人さんの財布を心配しても仕方がないが、おみくじもまた、神社巡りには楽しみなものかも知れない。

 

 帰り道、さぬき市の図書館に寄ってみた。宿題をしている中学生や新聞を読みふけるお年寄り・・・。のどかな田舎の一角である。

 

 まだ、お正月気分なのか、館内は静かなもの。

 

 暇つぶし用に、また、こんなものを借りてきた。この人の本ならば退屈しなくてもすみそうだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「生かさるる いのち尊し けさの春」という、町内のお寺にあったもので「中村久子」さんの句である。中村久子さんは、1897年、飛騨の高山で誕生し、三歳のとき突発性脱疽に罹り、両手両足を無くされた。中村さんは、その障がいの事実を真正面に引き受けて、人権意識が未成熟で障がい者への差別の厳しい、生きていくのも非常に困難な時代を、女性として、母として、そして何よりも一人の人間として72年の生涯を生き抜かれた。晩年詠まれた「手足なき身にしあれども生かさるる今のいのちはたふとかりけり」に、自己の「身の事実」を機縁として、真実の世界に目覚 めていくという、中村さんの心の軌跡が窺える。 春は、全ての「いのち」をはぐくみ、育てる自然の営みの尊さをひとしお輝かせて見せてくれる。中村さんは、その中に生をうけ、生かされている自らに気づか され、その事実によろこばれたことと思われた。目覚めるたびに今朝も生きているとの確認は、生かされていることの体感であり、実感であったのであろう。そ の体感が苦難の中を精一杯生きる力となったものと思われる。 「今日のことば(句)」は、新しい春を迎え、あらためて人間の存在の真実を考えさせてくれる ものであろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


初詣 肩幅が狭く なっていく

2016年01月04日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は6度から16度、湿度は88%から63%、風は0mから6mの西北西の風が一時強かった。明日の5日は、はじめ高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷の接近で昼前から雲が広がる見込みらしい。

 

 鬼の居ぬ間のなんとかやらで、残ったビールやら日本酒やらで一人宴会をやってばたんQ~で寝てしまって、起きたのはなんと7時半過ぎ・・・。残り物で朝食を済ませて、やってきたのは四国霊場第84番札所の屋島寺・・・。ところが、だあれもいない・・・。

 

 そこへやって来たのがおばあちゃん、おかあさんとこの子供さんの三人連れ。ご挨拶して写真を撮らせていただいた。

 

 この子、慣れたもので、山門できちんとご挨拶して境内へと入っていった。

 

 で、ちゃんと自分用のお経本も持っていて、「かんじぃざい・・・」とお経も読める。すぐれものだ。

 

 境内には、私と、この三人のおへんろさんだけ・・・。不思議なことだなぁと思った。駐車場には数十台の車が止まっていたのに・・・。

 

 今年の数字が出ていなかったので、昨年のもの。屋島寺だって、12位に入っていたのに、三が日を過ぎたら、こんなものか・・・。では、第4位の八栗寺はどんなんかなぁ・・・と、のぞいてみた。

 

 八栗ケーブルは7分間隔のピストン運転。乗り合い場には長蛇の列。定員が決まっているのか、すし詰め状態にはならなかった。

 

 たまげたのは、こうしたスーツ姿の会社員の人たちが目立つ。仕事中に初詣・・・??

 

 屋島寺にはなかった出店の数も多い。

 

 なんと・・・本堂へお参りするのに行列ができている。制服姿の女子社員とかもいる。某NTTの制服組も並んでいた・・・。職場単位とかで「商売繁盛」のお願いに来ているのか・・。

 

 この一団も会社の制服のよう・・。そう言えば、会社員時代、隣の支店の人たちはこんぴらさんへ「安全祈願」に行ったとかという話を聞いたことがあるが、「初出」の日にお寺に初詣か・・・。で、会社のお金で縁起物の「熊手」なんぞや大きなお札を買って、職場に飾ったりするのか・・・。道理で、混雑する筈だ。

 

 人混みは苦手なほうだから、早々に写真だけ撮って帰ることにした。

 

 ちなみに本日の支出は、屋島ドライブウェーの料金630円と、この八栗ケーブル往復の930円だけ・・・。お賽銭もおみくじもなし・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「たとえどんなに辛くても 春を迎えぬ冬はない」というもの。同じような言葉に、「止まぬ風はない」、「あがらぬ雨はない」、「山よりでっかい獅子は出ぬ」、「明けない夜はない」、「来ない朝はない」などが思い出される。「秋が来ない夏はない」、「春が来ない冬はない」シリーズみたいなことだ。けれど、時計は逆回りはしないのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


三が日 独楽が止まって 酒も尽き

2016年01月03日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がっていた。気温は8度から14度、湿度は82%から64%、風は1mから3mの南西の風が少しばかり。明日の4日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 昨夜は、娘と娘婿のかねちんと、私の弟「よっくん」と4人で久々のカラオケで楽しんできた。最近は「外飲み」が全くなくなって、忘年会や送別会やなどというものもないので、カラオケなんぞ、数年ぶりのできごと。

 

 その娘たちも帰ってしまい、今朝はひとりぼっちの朝食になった。で、新しく頂いた年賀状のお返しを作って投函した。今日は11枚の追加だった。どうにも、「いんぐりもんぐり」で、出した方からは来ずに、出していない方から頂くということが多くなった。

 

 郵便局から帰ってもつまらないので、香川県東部の人出の多い所に寄ってみた。ここは、東かがわ市の「白鳥(しろとり)神社。大きな絵馬に、みんなで寄せ書きをしている所。おばちゃんまで、脚立に上って願い事を書いていた。

 

 娘さんはおみくじが好きみたいで、みなさん、真剣な目つきで読みふけっては一喜一憂する。おみくじに書いてあることが「真実だ」と確信しているみたい・・・。ここにも、私のように、大きなデジタル一眼を構えて、こういう娘さんを狙い撃ちにするおじさん達が数十名もいた。

  

 ここも東かがわ市にある「田の口薬師」さん。国道が混雑していたので、脇道に入ったら、交通整理をしているおじさんに、「ここは一方通行やで。左に入れ~」と怒鳴られて、仕方なく駐車場に誘導されたので、ついでに、ここにも寄ってきた。

 

 ここも厄除け祈願の行列がずらり・・・と。皆さん、信心深い方ばかりだ。

 

 この石臼は、持参した自分の年の数だけの一円硬貨を入れて、年の数だけ杵で撞くのである。厄年の数で、普通の人がこれを撞いても意味はないらしい。

 

 それでは・・ということでやって来たのが、厄除けの寺「誉(与)田寺」さん。正月三が日の参詣人はこのあたりではトップらしい。すると、赤色灯を回しているレスキュー車と救急車が・・・。混雑整理でもなさそうだし・・。

 

 この行列は鐘楼門の鐘を鳴らすために並んでいるもの。関係ない人は列を無視して境内へ進んでいる。

 

 すると、山の上から救急隊員に運ばれてくるけが人? 顔面に傷がある模様・・・。山で滑落したのか転倒したのか・・・。

 

 ま、境内はたくさんの人が・・・。信心深い方が多いのか、年中行事でやってきているのか、ま、たくさんの人出である。

 

 で、これである。「立ちよれば そでになびきて 白萩の 花のか ゆらぐ 月の下かげ」という歌である。私のブログに、この頃によく検索される歌なのである。この歌が、おみくじには多いらしい。昨年もこれだった。今年もこれだった。この歌の「意味」を知りたい人が多いらしいのだが・・・。いろいろと調べてみたがわからない。ある人は「明治天皇の御製」だという人もいるけれど、それが本当かどうかもわからない。ただ、「第40番」というおみくじは、この歌になっているらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分が今どこにいて どこに向かっているのか わかれば 何をどうすればいいのかが もっと 良くわかる」という、リンカーンの言葉から。船でも自動車でも登山でもそうなのだが、まず、自分の位置を掴むことが先決問題。自分がどこにいるのかがわからなければ方向も方法も決められないのと同じ。物事を始めるにも、イベントを起こすにも、どこにむかって進むのかも、まずは自分の位置を見極めることが大切になる。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


冬ぬくし 沙弥の浜辺の 鼓草

2016年01月02日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がっていた。気温は2度から15度、湿度は72%から56%、風は2mから3mの南南西の風が少しばかり。明日の3日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 昨夜は早くから寝たもので、今日も5時半起き。今日はけいこばぁと孫二人が台湾旅行に向かう日。今日は前泊で神戸にお泊まりになるのだとか。高松自動車道・津田の松原SA内にある「高速津田」から高速バスに乗って神戸に向かう。

 

 孫のはやて君は高校1年生、なぎちゃんは中学1年生。はやて君はサンフランシスコ以来の二回目の外国旅行。なぎちゃんは初めての外国旅行になる。

 

 8時55分発の高速バスに乗り込んで元気よく出発して行った。

 

 残った私と娘と娘婿の三人は、氏神さんへ「クマデ」を納めに行くと言い出した。昨年だかに買ったクマデをお世話になりました・・・と納めたいと言うのである。ま、無碍に、そのあたりに捨てるわけにもいかない・・というのが本音のところらしい。

 

 ついでに、おみくじも引いてみた。ここは20円硬貨の自動販売機。電源もないのに、どうして、うまくおみくじが落ちてくるのだろうか。

 

 その後、私と娘婿の「かねちん」とで、廃校巡りに出ることになった。昨年の私のブログを見て、あの木造校舎をカメラに収めたいというので、山道経由で行ってみた。

 

 これが、「塩江町立安原小学校戸石分校」跡。2001年に休校、安原小学校とともに2015年に高松市立塩江小学校に統合廃校になった。

 

 続いて、綾上町立枌所小学校柏原分校へ。ここは1988年に廃校。枌所小学校も2015年に綾川町立綾上小学校に統廃合されている。

 

 11時を過ぎてしまったので、途中にあった「空海房」というプチセルフのお店で昼食になった。

 

 割と混雑していたので、手早く、「肉ぶっかけ小の温いの」を注文した。年明けうどんは売り切れだった。

 

 お昼からは無謀にも、坂出市番の州地区にある、「沙弥小・中学校」にも行って来た。ここは2010年に坂出小学校に統廃合された。さらに瀬居小学校にも行って来たが、ここは現在も使われているようだった。

 

 学校近くから見た瀬戸大橋の姿・・・。

 

 さらに、坂出市立大越小学校にも寄ってみた。ここは2011年に坂出市立松山小学校に統廃合されている。

 

 今日の掲示板はこれ。「一日を大切にする人は一年を大切にする 一年を大切にする人は一生を大切にする」というもの。年の初めに、こころしておきたい言葉である。「一秒を大切にする人は一分を大切にする 一分を大切にする人は一時間を大切にする 一時間を大切にする人は一日を大切にする」ということばが、この言葉の前についている。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


年の瀬や 庭木鋏の 音がする

2015年12月28日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は5度から12度、湿度は82%から52%。風は2mから4mの西南西の風が少しばかり。明日の29日は引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日も良い天気になったので、この前(今月20日)のリベンジ・・・ということで、高松市塩江町戸石地区に向かうことにした。あの、廃校探しの旅の続きである。「三本松 メガネのカワイ店長ブログ」に紹介されていた、あの戸石分校跡・・・である。

http://kawaimegane.blog40.fc2.com/blog-entry-2572.html

 

 このマップを見ても場所が分かる人は少ない筈。高松市・・・・とは名ばかりの山奥の一集落にある小さな学校跡・・・。

 

 私は、この石碑を見て、ようやくに思い出したが、こんな所に学校があったということは記憶にない。

 

 私は、この電柱を見て、「あ・・・、来たことがある・・」と思った。

 

 これが、その、塩江町立安原小学校戸石分校・・・跡である。左から便所、音楽室(3-4年生)と教室(1年生)。アコーディオンカーテンを開くと体育館にもなったらしい。白い建物が職員室と二階が会議室。フェンスの切れ間から入ると玄関があり、その奥に5-6年生の教室があり、最後の年の生徒数は5名だったそうだ。

 

 その続きに「教員宿舎」があるが、近年はここで宿泊する先生はいなかったらしい。本校の安原小学校はおよそ7Km余り、車で15分程度の距離らしいが、私には遠いなぁと思った。

 

 これは職員室側から見た教室と廊下。この学校は明治16(1883)年に開校し、平成13(2001)年に閉校し、118年の歴史を終えたそうだ。

 

 塩江町役場(現高松市塩江支所)から南西部に細い山道のような市道をくねくねと上ってきた谷間の集落である。およそ、20世帯50人余りが住んでいる集落で、農業や林業などで生活しているらしい。

 

 そうそう、この狛犬を調査に来たことがあるという訳だ。それも十数年昔の話である。学校のことなんぞは記憶の彼方であった。

 

 帰り道、白鳥町立五名(ごみょう)小学校・幼稚園長野分校分園跡にも寄ってみた。犬が激しく吠え立てたので、分校跡にどなたか入居しているらしかった。ときたま、洗濯物を干してあることもある。

 

 これが、その、記念碑である。

 

 さらに進むと、徳島県に入り、阿波市市場町境目にあった、市場町立大影小学校・大影幼稚園跡である。ここは2000年に、市場町立大俣小学校に統合され廃校になった。

 

 私が子供のころには、ここを通るたびに、「大影の学校はボロ学校ぉぉ~」と、大声でからかいながら走って通ったが、その頃は、木造の古い校舎だった。

 

 隣接して、立派な体育館も残されているが、使用されている形跡はなかった。その後、白鳥町立五名小学校跡、五名小学校・五名幼稚園 鈴竹分校分園跡を見学して帰途についた。

 

 今日の掲示板はこれ。「手を合わせ 今日もいのちをいただく」というもの。町内の下津先生のお寺にあったもの。私達は生きていくために、日常的に生き物の命を奪って食べている。切り分けられ、綺麗にならんだスーパーの鮮魚・精肉コーナーには、そこに命が宿っていたことを 忘れてしまいそうな程に、「命をいただく」というイメージから遠くなっている。そしてその結果、食べ物が粗末に扱われ、日本での1年間の食べ残し食品は、 発展途上国での、何と3300万人分の年間食料に相当するといわれているそうだ。ご飯を食べる時、手を合わせて、『いただきます』と言いうけれど、これ は生き物達への『命をいただきます』ということ。感謝のこころを失いたくないものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


あとかたも 残らず炎 落ち葉焚き

2015年12月25日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で瀬戸内側を中心に雲の広がっていた。気温は10度から12度、湿度は88%から53%、風は1mから5mの北西の風が少しばかり。明日の26日は、高気圧に覆われて午前中は晴れるが、午後からは寒気や湿った空気の影響で雲の広がる時があるらしい。

 

 空は雲が多かったが、気温は暖かく、風もないので気持ちのいい朝だった。庭木の剪定が残っていたが、今朝方の雨でしっとりとぬれていて、剪定をしたら、全身、濡れ鼠になりそうなのでやめた・・・。

 

 で、またしてもここにやってきた。高松市亀水(たるみ)町にある、瀬戸内海歴史民俗資料館、通称「歴民:れきみん」である。瀬戸内海を俯瞰する五色台の小高い丘に向かう稜線に、石積みと打ち放しコンクリートで構築された秘密基地のような山本忠司氏によるこの作品 は、香川でアトリエを持つことになる芸術家イサム・ノグチ氏とのインド旅行でその原型が誕生した。

 

 城壁のように積まれた外壁の安山岩は整地のために掘り起こした石を積上げ、中庭を囲む階段で結ばれた回廊式の展示場には、中庭や壁面上部の窓からの自然光が差し込んでいる。石工事を担当 したのは、後にイサム・ノグチ氏のパートナーとして活躍する和泉正敏氏。昭和49年度日本建築学会賞(作品賞)、第1回公共建築賞優秀賞を受賞し、公共建築百選にも選定されている。

 

 今回は、今月22日から展示が始まった、「小豆島霊場資料展」を見学にきたのである。2月6日には、おへんろつかさの会で、「れきみん講座」に参加をするのだが、一足先にやってきたもの。

 

 これは小豆島霊場を巡拝した女性が記録した「入用帳」で、支払った代金などをこと細かく記録したものである。これは天保15年(1844)に記録されている。この小豆島霊場は江戸時代中期の貞享3年(1686)の創設と言われている。

 

 こうした納経帳や観光絵はがき、案内地図帳なども展示されている。

 

  島四国の里程図である。これを見ると、土淵海峡が、まさに海峡であることがわかる。世界一狭い海峡である。これは大正7年に作られたもので村ごとに色分けされ、札所番号や道筋、札所間の距離などが示されていて、巡拝が大衆化してきたことがわかる資料である。

 

 これは第42番札所の西ノ滝で、奥の岩場が修行の場となっている。

 

 この写真は昭和9年の島四国巡拝の様子で、子供連れで歩いている。

 

 昨年は、空海さんが四国霊場を開創して1200年にあたるとされるなど、四国遍路が改めて注目されている。この四国遍路と同じく、霊場巡拝の場として、全行程およそ150キロメートルの小豆島霊場がある。小豆島霊場での巡拝は、江戸時代中期より盛んになり、現在まで続いてきた。この展示では、香川県立ミュージアムと「れきみん」に収蔵されている、古文書、絵図や絵葉書などの小豆島霊場についての資料を展示するとともに、現在、「れきみん」が行っている小豆島霊場の石碑調査の成果についても、その一端を紹介するとしている。

 

 この展示会では、「納め札」が一枚も展示されていなかった。私たちの「俵札調査」では、「小豆島霊場」の納め札が数枚、発見されているので、小豆島霊場で納め札がつかわれていなかった訳ではない。

 

 こういうものが見られなかったのが少し残念だった。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間とタバコは煙になって 初めて、その値打ちがわかる」という、いつもの赤松先生の所にあったもの。映画「春を背負って」の中のセリフである。山小屋の外で、亨と悟郎がくつろいでいる。悟郎がたばこを吸いながら、亨に語りかける。
悟郎:「亨ちゃん、人間とたばこの共通点って知ってるかい。」
亨:「・・・・・・・」
悟郎:「タバコも人間も煙になって初めて本当の価値がわかるんだよ。」

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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