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まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

約束の人にはぐれる虫の声

2020年10月05日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で概ね曇っており、朝方は一時的に雨も降っていた。夕方からは高気圧に覆われて晴れてくる見込み。気温は22.5度から26.1度、湿度は82%から54%、風は2mから4mの北北西の風が少しばかり。明日の6日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れるらしい。

 

 98/50/79 36.4c-94% 62.4Kg 24.5c-68%-1013hPa 昨夜も20:30分には布団に入り、朝方は5時過ぎに起きた。最近は長く寝るようになってしまった。かといって疲れるようなことは何もしていない。

 

 今日は奥方の定休日。おおよそで、月曜日と金曜日がお休みだが、前後することも多々あるのでわからない。で、早速に奥方は畑仕事である。今日も何かの種まきのようだが、私は少しも関知はしない。聞いても何が何だか話がわからないからだ。

 

 この頃は土砂降りの雨だったのだが、素知らぬ顔で畑仕事をやっている。

 

 私は相変わらずのプラモデル作り。これは指にあたる部分である。この爪が動くように組み立ている。

 

 これが我が家のキンモクセイである。二本あるが、どれも満開寸前というところ。いい香りがするらしいが、私は「香り音痴」で、何も匂わない。

 

 いよいよ胴体部分になってきた。その胴体の背中にロケットを取り付けたところ。少し前までは接着剤でくっつけたものだが、シンナー中毒になるとかで、今は接着剤も油性の塗料も使わない。だから、こうした部材も全て「はめ込み式」になっている。関節部分にはやわらかいPE部材でソフトに動くようになっている。

 

 これは腰から足に当たる部分である。これらも全て可動式。

 

 これで、胸や頭を乗せて、一応の接続完了。あくまで、つないでみた。というだけのもの。細部の削りや研磨、塗装などはこれから。「ああ、あの部材はここに、こうして使うものだったのか・・・」というパズルが一応解けたという段階。

 

 奥方が歯医者さんへ虫歯の治療に行くというので、10時半からの昼食である。久々に、富山の「氷見うどん:細麺」のかき揚げ天ぷらうどんだが、ほうれん草だかの陰でよく見えない。

 

 こういう感じの細麺で、奥方はこれがお気に入り。

 

 お昼からは、明日の「観光ガイド大窪寺班」の勉強会の資料作り。今年は感染症対策のために全ての行事が中止や自粛になってしまって、他の班がどうしているのかわからないが、我が大窪寺班だけは毎月の勉強会を欠かさない。

 

 勉強会たって、何をやればいいのか分からのだが、今のところは、「英語版ガイドマニュアル」の作成作業。

 

 それと、これは「四国八十八カ所道開」というもの。「七五調」の歌のようなものである。これが「真言在家勤行集」にあるというので探してみたもの。この中に、「なぜ、四国霊場は八十八箇所」なのかが書いてある。

 

 早速に、プラモ棚に飾ってみた。右は「宇宙戦艦ヤマト」と「戦艦大和」である。

 

 違う方向から眺めてみた。仕上げは数日後になる予定。明日は天気が回復しそうなので草刈りでもやってみようと考えている。

 

 今日の掲示板はこれ。「涼しさや 弥陀成仏のこのかたは」という小林一茶の俳句から。地球温暖化だ、環境保護だと騒ぐことは簡単だが、もはや文明生活を手中にした限り、私たちがそれを手放すことは容易ではない。いまさら、ろうそくや井戸水の生活には戻れないのは百も承知だ。阿弥陀さんはそんな私たちのありさまを救おうと、五劫という永い間、ひたすら思惟してくださって成仏されたという。人間の思考や歩みをはるかに越えた、悠久の過去から、そしてまだ見ぬ未来へ向けて大きな願い(本願)をかけてくださっ ているのだとも言う。しかしながら、今のごとき念仏なき生活からは一茶の感じた風ほども聞きとることはできないかもしれないなぁと思ったことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


金木犀暮れて日記がまだ書けぬ

2020年10月04日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨の降っている時間帯があった。気温は20.5度から25.5度、湿度は86%から72%、風は1mから2mの東南東の風が少しばかり。明日の5日のさぬき市地方は、午前中は気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、朝まで雨の降る所がある見込み。午後からは高気圧に覆われて次第に晴れてくるらしい。

 

 105/60/78 36.2c-98% 61.4Kg 23.2c-67%-1015hPa 昨夜は8時半から寝たのに、今朝も6時過ぎまでぐっすりと寝てしまっていた。最近、おかしいね。

 

 家の周囲の雑草が伸びてきたけれど、「彼岸花が終わるまでは刈ったらあかんよ」と、奥方に言われているので草刈りもできず、室内作業ばかりになって、精神的に疲れているのか知らんね。かと言って出掛けたい場所もないし、見たいところもないし。

 

 で、この6日には、観光ガイド大窪寺班の勉強会があるのだけれど、そのテーマがない。各種イベントは「感染症対策」ということで自粛だし、これという勉強会の科目が見つからない。

 

 で、先の続きで、大窪寺観光の英語版ガイドマニュアルの下準備である。こうしたお寺では、お線香は三本を立てる。三本とは「三密」を意味し、「身口意の三業を清める」のことで、「密閉・密集・密接」の三密ではない。または、「現在・過去・未来」、「祖先・自分・仏」とか、「仏・法・僧」などの三を意味するらしい。私たちは線香を二つ折りにして横に寝かすが、こうした札所では、他の人がやけどをしないように、中央寄りに線香を立てるようにする。

 

 それを、エクセルシートに整理して並べてみた。こうした言葉も、みんなで検討してもらうことにした。例えば「納経所」というのも、「Delivery office」でいいものかどうか。「 Awarding Office」とか、シンプルに「Temple office」とか。

 

 疲れてきたら、プラモデルの塗装計画。あんまり派手なものはいやだし、難しい迷彩カラーなんかも面倒だなぁと思うし。これは、ズゴック (Z'GOK) は、「ガンダムシリーズ」に登場する架空の兵器。有人操縦式の人型ロボット兵器「モビルスーツ(MS)」のひとつである。

 

 あれもいいな、これもいいなぁと眺めていてもらちがあかない。

 

 そこで、ここにある塗料で塗ってみることにした。塗装はいくらでも修正可能だ。

 

 で、お昼を食べてから組み立てに入ってみた。四の五の言わずにやってみる。やってだめなら考え直す。それだけだ。

 

 ところが、お歳のせいだろうが、小さなものや細かなものになると、まるで見えない。で、「ハズキなんたら」みたいな拡大メガネや卓上ルーペなんぞを使いながらの工作になる。

 

 プラモデルをうまく作れるかどうかは丁寧な作業に掛かっている。だから、小さな「バリ」でもきれいに削り取っておかないといけない。これはヤスリがけをしているところ。

 

 最近は、接着剤を使わずに「はめ込み式」だから、うまくバリをとっておかないとうまく接合できなくなってしまう。

 

 両足ができたころには二時間あまりが過ぎていた。今日はここまでだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「晴れた日と 雨の日があって ひとつの花が咲くように 悲しみも苦しみもあって 私の人生が深くなる」というもの。

  「悲しみの意味」

   冬があり夏があり
   昼と夜があり
   晴れた日と雨の日があって
   ひとつの花が咲くように

   悲しみも苦しみもあって
   私が私になっていく
                   星野富弘

 「雨はイヤだ。」と言う人もいれば「恵みの雨」と喜ぶ農家の方もいる。病気をしたからこそ健康のありがたさがわかったり、空腹だからこそ、一つのおにぎり が最高のご馳走だと感じたり、辛く悲しい思いをしたからこそ、人のここころの痛みに寄り添えたりするように、悲しみも苦しみもあって私が私になっていく。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


見上げれば葉っぱの落ちた空がある

2020年10月03日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は18.5度から25.4度、湿度は90%から68%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の4日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇るらしい。

 

 98/64/80 36.2c-98% 61.8Kg 24.3c-63%-1015hPa 朝方は晴れて秋の日到来とばかり洗濯物を干したり、家中の窓や引き戸を開け放っておいた。

 

 今日も3時半にトイレに起きて、今度目が覚めたら4時半だった。でも眠たいので布団の中で眠り半分状態でいたら、「大丈夫ですか」と奥方に起こされた。

 

 そうそう、これが10月2日の「満月」であり、十六夜である。我が家は山に囲まれているので、月が見えたのは21時過ぎ。私の寝る時間である。ちょうどそのころは雲がかかってきて見えたり見えなかったりする中の一枚である。ベッドに入ると窓からは雲のないきれいな満月が見えたが、もう、カメラを握る気にはならなかった。

 

 さて、先日にブログの読者さんから送っていただいた「三開仏」だが、柘植(つげ)の一木造りということだったが、どうにも落ち着かない。言うては失礼だが、プラスチック加工みたいな雰囲気がする。いくら中国の名人さんが彫ったにしても繊細すぎる。

 

 そこでまた、昨日のスーパーまで行って、塗料を買ってきた。最近は少子化の影響で玩具売り場がなくなってしまい、大きなスーパーでないとプラモデルなんぞは置いていない。プラモデルを売ってなければ、塗料も当然、売っていないことになる。

 

 で、今日は作戦を変更して、マイバッグを持たずに行ってみた。すると、今日はシールを一枚も貼り付けられなかった。マイバッグのせいなのか、店員さんによるものか、店員がお客を見て、「あ、この人は危ないぞ」と思ってシールを貼ったのだろうか。ちなみに一階のレジを見ていたが、大根やほうれん草やネギなんぞにはシールを一枚一枚と貼り付けない。ま、食品売り場でそれをやれば大混乱にはなるのだろうけれど。

 

で、「阿弥陀三尊像」の周囲なんぞにマスキングテープを貼って、塗料がつかないように保護する。塗料を塗りたくない部分にテープを貼り付ける訳だ。

 

 まずは、プラモデルから塗装をする。基礎塗装である。多くの人は、組み立ててから塗装をするが、私の場合にはまず塗装をしておいてから組み立てる。その後、細部に塗装する方式をとる。個人の自由であるし、裁量である。

 

 小さな部品などは組み立てる前に塗装する方が作業がやりやすいというものだ。

 

 で、仏像の方にも塗装する。色は「カッパー(銅色)」か、青銅色にしようかと迷ったが、田舎の玩具屋には、そういうカラーを置いてなかったのだ。それで仕方なく「ゴールド」のスプレーにした。

  

 マスキングテープを外せばこのようになる。キンキラキンの阿弥陀三尊像である。余った塗料はサンドペーパーで拭き取ればよくなる。あと、汚し(古びた感じを出す汚れやすり切れた感じをどうしようかと検討中。

 

 「汚し」というのは、こういう感じを出すもの。

 

 こういう雰囲気を作りたいわけ。ちと、これは古すぎるけど。

 

 今日の掲示板はこれ。「一つひとつ ゆっくり 解決していこう 人生にはムダなことなんて一つもない」というもの。これは、二つの別な言葉なのかもしれない。右の「一つひとつ ゆっくり 解決していこう 」はそれなりに納得できる言葉。ものごとはそうして一つずつ、ゆっくりと解決していかねばならぬこと。左頁の「人生には無駄なことなんて一つもない」というのも別な言葉かも。でも、これはこれで、それなりの言葉になっている。誰のノートにあった言葉かはわからないが、それはそれで、いい言葉だと思った・・・。

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


コスモスに目をくれもせず陽が落ちる

2020年10月02日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は17.0度から26.8度、湿度は90%から62%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の3日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるが、湿った空気の影響で昼過ぎから次第に曇る見込みらしい。

 

 114/69/80 36.2c-97% 61.8Kg 20.5c-69%-1014hPa 今日も6時前まで寝ていて、出勤する奥方に「大丈夫なの?」と起こされた。3時にトイレに起きて、そのまま寝入ってしまったらしい。「秋眠暁光を覚えず」。

 

 来る11月には、「フルムーン旅行」に行くのだと奥方は張り切っているが、「フルムーン」の意味を調べてみたらば、「JRの熟年夫婦向け得用切符」。二人合わせて88歳以上の年齢の夫婦であれば、JR全線のグリーン車が一部を除き利用できる・・・というもので、JRが作った言葉なのだとか。「ハネムーン」=新婚旅行にあやかったネーミングなのか。

 

 それはさておき、私たちは結婚してどのくらいになるのかなぁと計算してみたら、昭和46(1971)11月に結婚したから、今年が49年(2020-1971)になる勘定。来年秋が金婚式か。ふ~~ん、飽きっぽい私がよくぞ我慢をしてきたものだ。

 

 奥方も歯科衛生士からミニコンのプログラマーをやったり、介護福祉士やら介護支援専門員をやったりと働きずくめ。そういう人生らしい。

 

 さても、今日も赤い羽根共同募金のお願いに行ってきたが、なかなかに「ハイ」は言ってはくれない。

 

 顔なじみのお寺さんでは世間話や感染症のことなどで話し込んでしまった。

 

 そうそう、昨夜の十五夜の話でも盛り上がった。今夜が満月だということだが、完成されたものより、その一歩手前が美しいですねぇと話したことだった。完成された美もまた美しいのだけれど、その一歩手前とか、満ち足りて欠け始めた姿がいいですよねと話したことだった。

 

 さてさて、話は二転三転するのだけれど、私は小学校時代から模型作りが好きで、プラモデルも早い時期から始めていた記憶がある。

 

  若い頃のものは台風で流されてしまったのだが、最近のものはこんなもの。

 

 そう、ガンプラと呼ばれた、ガンダムシリーズを黙々と作っていた時代がある。親戚の法事にお招きを受けても、別室でプラモデル作りをやっていて叱られたことも。「大人買い」できた頃だっただろうか。

 

 で、その頃から使っていたプラモデル用の塗料である。久々に使おうとすると固まってしまって蓋が外れない。

 

 そこで、塗料を買いに行ったのはいいが、レジでこんなことをする。一点一点にシールを貼り付けるのだ。「ここでは大根やネギにもこんなことをするのか」と言うと、「それは下のレジで聞いてください」と愛想もクソもない。最近は、マイバッグ万引きが多いからだろうと思うが、これを張られた方は気分が悪い。思わず、全品を突き返そうかと思ったが、大人げないのでやめておいた。

 

 なんでもかんでも、感染症のせいにしたり、プラスチック減量を名目に手抜きをするのが我慢ならない。

 

 今日もプンプンと機嫌悪く帰ってきたら、我が家の入り口に、こんなものがいる。車が近づいても知らん顔をしている。「ここはオイラの縄張りだぞ」と言うようににらみつけてくる。

 

 ドラレコ画面だと鮮明なんだろうけれど、それを取り出すのも面倒なのでこのままだ。これは「やまどり:山鳥」らしい。クラクションをならすと、ゆっくりと山の中へ戻って行った。

 

 今日の掲示板はこれ。「人は 幸運の時には偉大に見えるかもしれないが 真に向上するのは不運の時だけである」という、フリードリッヒ・フォン・シラーの言葉から。フリードリヒ・フォン・シラーは「シルレル」とも読まれている。18世紀ドイツの詩人・戯曲家・思想家で、1759~1805。シラーさんは劇作家として有名だが、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」の原詞で最もよく知られるように詩人としても有名。彼の書く詩は「ドイツ詩の手本」として、今なおドイツの教育機関で教科書に掲載され、生徒らによって暗誦されている。人は、幸福期の絶頂にあるときには偉人にも見えるけれど、人が成長するのは不運の時期にどう生きるかであると言うているのである。今、日本ではノーベル賞受賞に沸き立っているが、吉野彰さんは今、絶頂期にあるけれど、彼が苦しく悩ましい時代を懸命に生きてきたことには余り目を向けない。苦しいけれど、ゴールは必ずあるのだと、懸命に歯を食いしばって耐えてきたからこその喜びなのであろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


しくじりをほらコスモスに嗤われた

2020年10月01日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、湿った空気の影響で昼前までは曇る見込みだが、午後は高気圧に覆われて晴れてきた。気温は18.5度から26.7度、湿度は90%から56%、風は1mから3mの北の風が少しばかり。明日の2日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 113/58/78 36.6c-95% 61.8Kg 24.4c-66%-1008hPa 体調的には問題はないが、なんだか眠たくてたまらない。だから、今朝は7時前まで寝ていた。いつもは4時45分だから2時間も余分に寝たことになる。それでもまだ眠たい。

 

 奥方も遅くまで寝ていたので「遅番」かなぁと思っていたらお休みなんだと。それにしては昨夜も19時半から寝ていたのだけれど。

 

 ということで、今日から「赤い羽根共同募金」が始まる。共同募金運動は、第二次世界大戦後、1947(昭和22)年に「国民たすけあい運動」として始まった。「困ったときはお互いさま」の気持ちから、第1回目の共同募金運動ではおよそ6億円の寄付金が寄せられたという。現在の貨幣価値にすると、1,200億円に相当するといわれている。

 

 現在では、「社会福祉法」に定められた地域福祉の推進を目的に、さまざまな地域の課題解決に取り組む民間団体を支援する「じぶんの町を良くするしくみ。」として、地域のさまざまな福祉活動を支援している。

 

 ま、そんなことで、私たち民生委員にもそれぞれの割り当てがあって、企業さんやお寺さんやを訪問して募金をお願いして回ることになる。先日には「自治会長」として1戸あたり800円をお願いしたところ。今度は違う制服に着替えてのお願いである。

 

 なかなかに「善意の募金」だと言われても、すなおに、「ごくろうさま」と声を掛けてくださる人は居ない。「社長がいないので・・・」みたいなことで出直すことが多くなった。期限は来年の三月末日までとは言うけれど、そんなに永くは付き合っていられない。仏の顔も三度まで。お寺の山門も三度まで。四回目にはさすがに門はくぐれない。

 

 ということで、それはそれで置いておいて、今度はこれである。インフルエンザの流行を前に、厚生労働省は、10月1日から定期接種の対象になっている65歳以上の高齢者などに優先してワクチンを接種し、それ以外の人は10月26日まで接種を待つよう呼びかけている。

 

 で、初日だから混んでいるかなぁと、町内の開業医さんに行ってみたら、なんと、私が最初の受診だという。問診票と体温測定を済ませてドクターの診察があり、待つ間もなくに終わってしまった。で、費用はいらないという。ありがたいことだ。

 

 ということで、インフルエンザ接種は終了。だからと言って安心していいと言うわけではない。

 

 奥方はお休みの日には午前中は畑仕事。お昼からは昼寝というパターン。よく寝るお方である。

 

 で、今日が「中秋の名月」で十五夜だというけれど、本当の満月は明日の10月2日だということらしい。

 

 今夜の西日本は晴れて、中秋の名月が見られるらしい。子どもの頃には、おばあちゃんがお団子を作ってくれて、それを里芋の葉っぱの上に並べたものだが、夫婦二人だけになってしまうと、そんな風習もなくなってしまった。

 

  それと、騒がしい酒税の引き上げだが、我が家は健康上、「ノンアルコールビール」を飲んでいるが、ニュースにはならないので、それだし、アルコールが入っていないのだから「酒税」なんてないはず。だから、値上げには関係ないぞと思っているのだがどうなんだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「ときにしくじりながら 一日いちにちの 味ふかくなる」というもの。榎本栄一さんのことばである。「結果が全て」とは、勝負事などでよく聞く言葉だ。何事も勝者が賞賛されればされるほど、敗者の存在は希薄になり、そのまま「優/劣」や「幸/不幸」とそれぞれの印象を強くしていく。「負ける=劣る」という価値観は、周りにも自分にも、完璧であることを求め、失敗は劣る事だとプレッシャーをかける。そんな環境では「失敗は成功の母」という言葉も空しく響くだけかも知れない。失敗が大きいほど後悔や孤独を強く感じ、苦しみや悩みも深くなる。しかしそこには、悩めば悩むほど、単なる反省ではなく、自分自身を問うということが始まる。当の本人には気づけないが、失敗して味わう苦悩や問いこそが、その人を味わい深い人間へと育てているのだという。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


コスモスのその明るさが欲しいとき

2020年09月30日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があったらしい。気温は21度から23.5度、湿度は90%から78%、風は1mから2mの北の風が少しばかり。明日の10月1日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で曇るけれど、夕方からは高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 107/57/78 36.1c-96% 61.8Kg 24.4c-61%-1008hPa 体調に変化はない。今年は夏がなくて梅雨ばかりだったようで、しかも秋もないような雰囲気。やがてには冬がやってきそうな気配すらする。

 

 昨日は「本願寺派富山別院」からケイタイに電話があったが、間違い電話だろうと相手にしなかったら、町内にある石材屋さんだったりする。どういう関係で富山別院の名前が表示されたのだろうか。また、ピンポンピンポンとうるさいから玄関に降りると「電気工事のものですが、何のご用事でしょうか」と言うが、電気屋さんに連絡した覚えはない。

 

 今日も「富山別院」だと表示されるから相手にしなかったら、昨日の石材屋さんで、今からお邪魔しに行きますとのこと。私の携帯はおかしくなっているのか、私のオツムがおかしいのか。

 

 今日は月末だというので銀行屋さんで通帳記載してきた。この表口座からは公共料金やら奥方が食材やらを買ったカードからの引き落としなどが行われている。通帳残高を見ながら、第二口座へ移したり、足りなくなったら裏口座から入金しておいたりする。詐欺やらあやしい引き落としがないようにとの配慮から。

 

 それを会計帳簿に記録しておく。

 

 こちらは支出項目ごとの月別一覧である。一部、赤い字があるが未支出金というか、支出予定金である。当面、10月の年金支給日までは、あの赤字分さえ残しておけばいい計算になる。

 

 今日のお昼は肌寒いのであたたかいおうどんにした。富山の「氷見うどん」である。このおうどんは細くてそうめんみたいなので、一束を湯がいたら二人分らしかった。それを食べ出したら減らないのには困ってしまった。迷犬ごんさんが入れば良かったんだけれど、とてもじゃないが食べきれなかった。

 

 私のおなかは大きいけれど、私の胃袋は小さくて、そのうえ、こころまで狭いのだ。(笑うところはここだけですよ)

 

 で、お昼からはお墓に行ってきた。

 

 すると、スルスルとクレーンのアームが伸びてきて、「法名碑」を吊り下げて持って帰ってしまった。私の法名を刻んでおこうかと思ったが、そうすれば長生きするぞと言われたのでやめておいた。十日もすれば、法名の追加彫りが終わるらしい。

 

 午後からも大窪寺班の英語ガイドの手引きを作っていた。

 

 まさに「秋の日は鶴瓶お歳」・・・やなくて、

 

 秋の日は「釣瓶落とし」。釣瓶が井戸に落ち込むようにあっという間に日が暮れる。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分というものをよくとらえないと 自分が生きていく方向が決まりません」という映画監督・新藤兼人さんの言葉から。母校の石内小に、新藤さんが卒業式に寄せた祝辞が残っている。「自分というものをよくとらえないと、自分が生きて行く方向が決まりません」。700字足らずの原稿に「自分」という文字が15回も顔を出す。悩み、もがき、追い込まれるたび、原点に立ち返ってきた。自分は何者か、何がしたいのかと。一世紀に及んだ人生の自問自答は、土壇場の日本でひときわ光を放つ。平成24年(2012)5月29日没。

 

じゃぁ、また。明日、会えたら、いいね。  


見残した昨日の夢の曼珠沙華

2020年09月29日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は18度から25.3度、湿度は90%から68%、風は0mから2mの東の風が少しばかり。明日の30日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、断続的に雨が降るらしい。朝から夕方にかけては雷を伴う所がある見込み。

 

 112/57/79 36.5c-97% 61.8Kg 21.1c-63%-1014hPa 体重61.8Kgの後は、室温摂氏21.1度、室内湿度63%、気圧1014ヘクトパスカルという意味であるが、これはバイタル・サインには含まれていない参考値である。

 

 さて、朝夕が涼しくなったからと、お布団を少し厚めの掛け布団に代えたり、パジャマも夏用から秋用に交換したりしてみた。すると、今度は少しばかり温か過ぎるように思いながら寝たが、夜中の2時過ぎになると・・・・、

 

 またまた、体中に湿疹が出てきて痒くてたまらない。まだ、蚊に刺されたようなかゆみが背中中に広がったみたいなところ。救急車の手配まではいかない。

 

 そこで、県立病院で調合してもらった「オロパタジン塩酸塩5mg錠」を1個飲んで寝た。朝方までぐっすりと寝たが、なんだか寝不足気味で眠たくてたまらない。

 

 奥方に、「昨夜には何を食べたかなぁ」と言うと、「おじいさん、老化ですか」と言うかと思ったら、「またですか。やっぱりお肉はダメねぇ。今日こそは皮膚科に行って頂戴!」と叱られた。

 

 で、皮膚科に行ってきたが、「ジンマシンなんて七割から八割は原因がわからんのですよ。あんたは”お肉だ””お肉だ”と言うけれど、花粉症が関係するやらイエダニが関係するかわからんのですよ」とつれない返事。

 

 「ま、血液を採取して調べますけど、食べ物アレルギーだとは判定できんですよ」という。そんなことを言われたら、何を食べたらいいのやら・・・。最初はカレイの煮物だった。その次は牛肉の肉うどんだった。その次が生ハムだった。で、今回がローストビーフらしいが・・。

 

 「ま、お薬は出しておきますので、寝る前に飲んでみてくださいな」ということで、薬はもらったものの・・・。

 

 一週間、寝る前に飲む・・・というても、ジンマシンが出るか出ないかわからんのに、飲めと言われてもねぇ・・・。飲んでなんともなければ薬のおかげか、なんともないのかがわからんではないか。

 

 さて、昨日から、私のお財布がない。財布たってお金もカードも持たない私だから、小銭入れ感覚で、真ん中の帆布製の小袋を使っている。いつもお世話になっている「にころこ」さんにいただいたもの。向かって右の汚い袋は、「お茶」の景品かでもらった巾着袋。この「にころこ」マーク入りの小袋と入れ替えで断捨離された。もう、残っていませんか>にころこさん。

  

 今日のお昼はマイブームになりつつある「梅がゆ」である。もう、ところてんは食べてしまったらしい。

 

 梅の下、手前は茄子の辛子漬けである。奥方作である。この梅干しも奥方作である。塩ジャケも奥方が焼いたものである(?)。右手前の卵焼きも奥方作である。

 

 NHK+ が何に使うものかも知らずに申し込んだのだが、スマホで防災情報とかが見られるというものだったが、私はスマホなんぞは持っては居ない。ま、パソコンで楽しめたらいいかなぁと思いながら・・・。

 

 そしたら、ピンポーンとやってきたのが郵便屋さん。何かと思えば、ブログの読者からのプレゼント・・・。「なんだ、これ・・・」。

 

 ジャジャジャーン・・・。これは懐中名号というよりか、小型仏壇のご本尊さま。これをお墓へ持って行って拝めということらしい・・・。恐れ入りました。

 

 さらにこれ。私のブログの読者さんからのプレゼント。幻の食材「麦こがし」という、珍しいお菓子らしい。皆さん、ありがとうございます。m(_ _)m

 

 早速、お仏壇にお供えさせていただきました。

 

 今日の掲示板はこれ。「葦と書いてもヨシと読む 勝手に決めるな人の善し悪し」というもの。葦(よし)は、葦(あし)のアシと読む音が「悪(あ)し」に通じるのを忌んで、「善し」に因んでヨシというようになったそうで、「悪し」の気持をもって葦の髄をのぞくともっと良くない結果になるのかも。ただ、ものごとの「音」や「ひびき」などで、勝手に、「あし」だの「よし」だのと変えられてはたまらない。人の善し悪しも気分次第で言い換えられたのではたまったものではない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


陽だまりを独り占めする秋桜

2020年09月28日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇る見込み。気温は16.5度から25.3度、湿度は80%から60%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の29日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 98/48/78 36.3c-99% 61.6Kg 23.2c-61%-1014hPa 体調に変化はない。さて、ここに並んでいる数字は、もう、おなじみになったのでその意味もおわかりのことと思うが、この数字の記録が私の身体の記録になっている。

 

 最初の二つ(98/48)が血圧blood pressure)で、血管内の血液の有する圧力のことである。正常値は、最高血圧が135mmHg未満、最低血圧が85mmHg未満。脈拍は(Pulse) で、65から85。私の場合はペースメーカーで80に設定されている。

 

 次が体温とサチュレーションで、36.3c は摂氏36.3度で、日本人の体温(平熱)は、平均36.89℃とされており、1日のうちの体温変化は、ほぼ1℃以内におさまるのが普通。今日の99%というのがサチュレーション。酸素飽和度というもので、SPO2 とも呼ばれ、95%以上が標準とされ、それ以下になると呼吸困難になる。

 

 これがSPO2を測定する「パルスオキシメータ」である。こういうもので、毎日測定しては記録している。それに私の場合には「体重計」が必須アイテムになっている。こういうものを全体で「バイタル・サイン(Vital sign)」、「生命の兆候」と呼んでいる。ほかに「意識清明」という項目もある。

 

 さて、今日も昨日の続きで大窪寺ガイドの英語版の作成である。この山門の入り方は、どこのお寺を見ても帽子も取らずに挨拶もせずに出入りする人が多い。その点、お遍路さんはしっかりと挨拶をして入り、挨拶をして出るのがすがすがしい。

 

 こういう項目がある。私が作った項目である。

 

 この、「四国霊場」の掛け看板のすぐ上にある小さな「木札」である。昔の人は、この木札を霊場に打ち付けた。このことから、お寺参りのことを「打つ」といい、打たれたお寺を「札所」と言う。昔は紙が貴重品だったから、山にある木を削って木札を作り、竹の釘で打ち付けたもの。

 

 大窪寺の山門は二つあり、この昔からの「二天門」と、新しくできた「仁王門」である。この山門は江戸時代のもので、唯一残る建物である。多くは天正の兵火と明治33年の火災で焼けてしまった。

 

 新しく鐘楼堂が完成するまでは、ここに釣り鐘があって、ロープを引っ張ると鐘が鳴る仕組みで、鐘楼門とも呼ばれていた。

 

 今日のお昼は珍しく梅がゆになった。野菜サラダ付きである。だからと言って身体の調子が悪いわけではない。

 

 たまにはさっぱりとおなかの掃除もいいものだ。

 

 これがなんだかわからない。四角いものは「心太:ところてん」だが、黄色いものは桃だろうか。みかんやリンゴではないしナシやバナナでもない。

 

 昨夜は、これが布団の中に転がっていた。かみつきはしないので安全だが、気分的にはうれしくはない。

 

 今日の掲示板はこれ。「先の不安を思うより 今をどう生きるかが大事である」というもので、町内の善楽寺さんの掲示板から。どこのどなたの言葉かは探す間がなかった。「あすのことを思いわずらうな」と言うたのはキリストさんだと聞いた。これは、明日のことを思うな、ということではない。思いわずらうな、ということである。将来や先々のことを考えて、不安や心配で悩んだり苦しんだりなどと思いわずらってしまうのは、よくあることだ。ただ、いくら考えても、わからないこと、どうにもならないこともいっぱいある。そういうもののために思いわずらうのは、もったいない。幸せに暮らしたいなら、そんな無駄は省きたい。いくら考えてもわからないと、ある程度考えたのなら、どこかで割り切る考え方が必要ではないか。「なるようになる」「そのときはそのとき」「やるだけやるしかない」「その時々に幸せに過ごすように心がければいい」と割り切るしかない。明日のことを思いわずらうのは、どのくらい明日のためになるのだろうか。それと「今を大切にする」ことのどちらが大切なのだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


カマキリがたどり着いたら彼岸花

2020年09月27日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は20度から25.1度、湿度は82%から62%、風は2mから4mの北北西の風が少しばかり。明日の28日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 114/58/78 36.3c-96% 61.4Kg 24.1c-68%-1010hPa 今日も元気に目が覚めた。新しい朝が来た。希望の朝だ。

 

 気がつけば、はや、9月も最終週に入る。月日の流れに圧倒されるばかりだ。

 

 私のブログ用の画像フォルダーである。ここに10日分だけを保管している。画像の容量の関係である。もちろん、これは、OneDrive というクラウドに保管してあるから、それぞれの端末からアクセス・共有できるフォルダーであるが、これを10日分だけ更新しないといけない。「もう、10日経ったのか」「はや、10日が過ぎたのか」と忙しくなる。

 

 さて、来月の大窪寺班の勉強会の資料作りである。今回は、大窪寺を英語でガイドするためのマニュアルを作ろうとしている。

 

 こういう形で、日本語と英語とを対比して並べてある。でも、自慢じゃないが、私は英語はまるきしダメなのだ。国語は得意だったが英語はいつも0点みたいなものだった。

 

 だから、左のパソコンで、「札所とは」というので調べては、google翻訳で英語に直して、それを単語ごとに、また、別のパソコンで調べて並べていくという地道な作業である。

 

 一般的な「杖」も、お坊さんや先達さんが持つものは「錫杖」と言うし、お遍路さんが持てば「金剛杖」という。大窪寺に納められている「鉄錫杖」は、「iron cane」という。専門用語というか仏教語も混じるので、簡単に英訳もできない。札所と言うことばも難しい。納経所とは少し意味が違う。

 

 「今になって英語かよ~」みたいな気分である。でも、過ぎ去った過去はどうにもならぬ。

 

 ようやくに、英語の「構文」というのが見えてきたような気がする。

 

 今日は晴れたり曇ったりを繰り返していて、なんとかと秋の空だなぁと思いつつの作業になった。

 

 で、久々の「ところてん」と「梅粥」になった。たまには、こうしたあっさり系も癒やしになるのかなぁと思ったりして。

 

 午後からは、仏教語辞典の追加修正作業もやっておいた。寺院仏具の独鈷杵・三鈷杵・五鈷杵と言っても分からない人が多いし、「閼伽井」が何だか分からない人もいる。真宗系が多い讃岐では、「護摩」ということば分からない人も居る。そういうことで、ガイドには「仏教語辞典」が必要になる。

 

 それを、こうした和紙の表紙を作って貼り付けていく。

 

 そうして、このようなガイドブックができあがる。もちろん、非売品で大窪寺班専用のガイドブックである。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は凸凹道だ 平坦な道はない」というもの。良くないことの後には必ず良いことがある。人生において平坦な道などはない。山あり谷ありで、まるででこぼこ道だ。人生を楽しむと言うことは、道をどう歩むかを判断し、歩き方を楽しむことであるような気がしている。お釈迦さんは、「人生は苦である」と悟られた。平坦な道ではないことを学ばれたのだろう。私も闘病記の中に何度も、人生は波瀾万丈・山あり谷ありだと書いた。「青天の霹靂」ということばも何回も使った。人生は凸凹道だ。平坦な道もあったのだろうが記憶にはない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


思い出は金木犀のような人

2020年09月26日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていた。気温は21度から25.3度、湿度は82%から68%、風は2mから4mの西南西の風が少しばかり。明日の27日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 106/58/78 36.4c-97% 61.2Kg 24.1c-68%-1006hPa 体調に変化はない。起床時間は04:30分、朝食は06:00分、昼食は11:00分、夕食は17:00分、就寝は20:59分。規則正しい生活を過ごしている。まるで入院患者みたいな生活だ。

 

 今月末は、さしあたっての用事はない。石材屋さんからの連絡もない。

 

 どうにも後味が悪いもので、表紙、中表紙などを修正してみた。「天使」から「女神」に格上げしてみたのだけれど。修正したらしたで、今度は語呂が悪い。濁点があればいい場合と、濁音がない場合があるようで、どうにも「女神」は落ち着かない。

 

 それだし、この子、女神さんというよか「天使」のほうが似合いそうな気もしてきた。40から50歳ごろになると「女神」さまに似合うようになるのかなぁと思案してみたり。でも、考えてみれば、どうでもいい話ではある。

 

 さて、娘の認可ももらったようで、例の「フルムーン」の旅行が本決まりになったらしい。旅行費用は15万円ということだが、当然二人だと倍の30万円になる。昨日、旅行会社に振り込んだのは20万である。つまり、10万円がお得・・・ということになるらしい。

 

 悲しいかな、九州新幹線「みずほ」には乗らずに、同型の「さくら」での往復になる予定。

 

 ということで、一泊目は北海道函館近くの「湯の川温泉」、二泊目は長野県北軽井沢の「鬼押温泉」、三泊目が岐阜県の「下呂温泉」で、四泊目が九州鹿児島の「指宿温泉」。超特急の日本縦断である。

 

 最初の日は、さぬき市からJR高徳線でJR高松駅へ。そこからマリンライナーでJR岡山駅へ。岡山駅からは新幹線に乗り、JR新大阪で合流する計画。最初が少しばかりハードスケジュール。足の悪い私用には車椅子が用意されている。昼食は全て駅弁になるとのこと。楽しみなんだか、さみしいんだか。

 

 奥方の職場仲間から「ところてん」のプレゼントがあったとか。久しぶりのところてんである。一昨年の夏頃は、食欲もなく、毎日毎日、「ところてん」と「梅がゆ」ばかりを食べていたのを思い出した。

 

 奥方の同僚の「まつもと介護士」さんのおかあさんが海藻から手作りで作ったものらしい。これで少しでもダイエットになればいいのだけれど。私の場合、身体自体は58Kg程度。あとは水分である。水分を控えたら59Kgくらいにはすぐ落ちる。でも、お茶だのガリガリ君だの白熊くんだのを食べるから60Kgあたりをウロウロしている。

 

 さて、過日、阿弥陀さんのいない場所では拝まない・・というようなことを書いた。我が家のお墓には「南無阿弥陀仏」と刻まれていないから、お墓は拝まないというような話だったのだが、「お坊さんがそれではあかんでしょ」と、早速に、こんなものを送ってくれた方がいる。

 

 これは何かというと、「三開仏」というものらしく、「阿弥陀三尊」というものである。阿弥陀さんを中央に、向かって左が「勢至菩薩」、右側が「観音菩薩」であるという。つまり、お墓に行く場合などには、これを持って行って拝みなさい・・・ということらしい。すみませんねぇ、わがままで。 

 

 今日の掲示板はこれ。「あいつは嫌い これは駄目 あいつは困る こいつはいいと切り続ける 私はどうもハサミのようだ」という平野修先生のことばからである。仕事が行き詰ったり、いろいろな場面で、他人の行動や言動が気に障ることがある。家庭ゴミをコンビニやスーパーのゴミ捨て場に投げ入れたり、車の灰皿を病院の駐車場に捨てたりと、非常識だなぁと眉をひそめることが多くなった。確かに、多くの人がそういう情景を見て、眉をひそめているということもある。その人のことをけしからん、と思って叱りつけたり注意する。そういうけしからん人も少なくないと思うのである。しかし、そういう人も、きっと、懸命に、ひたむきに、がむしゃらに生きているのだと思う。また、あまりまじめには生きていないだろうという人もいるけれど、すべての人は、生きている、生かされている。そのことで一方的に完全に排除するというのではなくて、大事な大事な、命ある人の、輝かしい個性を発揮したものだ、と思って、極力、排除しないでおきたい。「嫌い」「駄目」「困る」、ということではなくて、「ここにも一つ、個性的な命が育まれている」と思って、広く、受け入れてあげたい、ということらしい。人との関係を、ハサミで切って排除していくのではなく、糊になって人と人とを繋いでいくような、そんな生き方ができたら、素晴らしいなぁと、思ったりする今日この頃。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


彼岸花失敗ばかりの一里塚

2020年09月25日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、低気圧や前線の影響で曇り、昼過ぎまでは雨が激しく降っていた。気温は21.0度から22.5度、湿度は96%から82%、風は2mから5mの北東の風が一時は強かった。明日の26日のさぬき市地方は、上空の寒気や湿った空気の影響で曇る見込みらしい。

 

 116/58/79 36.3c-96% 60.8Kg 25.7c-66%-1004hPa 体調は変わらないが気分がものすごく落ち込んでいる。

 

 例の闘病記だが、あれだけ何度も何度も読み直して推敲し、校正もかけてきた。だから、これで万全だと印刷・製本して郵送してしまった後だった・・・。「なんで・・・」という無力感・・・。

 

 この表題である。”ビーバーみずほ”という天使がいた。となっている。次の表題も、その次の表題も同じく「天使」になっている。後書きも奥書もみんな「天使」になっている。わたしの言いたかったことは本文にもあるが、「女神」であった。本文は全文、「女神」になっている。愕然とした。

 

 「やってまったなぁ・・・」という失望感と脱力感・・・。原稿を見ても、余った冊子を見ても、当然のように「天使」になっている。既に贈ってしまった以上、その間違いは直せない・・・。昨夜から力の抜けてしまったわたしであった。

 

 奥方に頼まれていたお役目で、とある所にお金を送金して欲しいということだった。「この今月分の給料からお金を出して、この送金票で送って欲しい」というので郵便局に行ったら数人が待っている。みんな、給料日らしい。しばらく待って、通帳を入れたら、「この通帳ではお取引できません」と言う。よく見れば銀行の通帳だった。

 

 仕方がないからしばらく走って銀行に行ったら、ここも10人ほどの行列だった。しばらく待ってお金を引き出して、別の郵便局に行ったら・・・

 

 この金額に誤りがあります。と言う。聞けば、10万円以上は振り込めないのだそうだ。奥様の身分証明書か免許証を見せて欲しいという。そんなものなど持っていない。なんだかんだで、明日にせざるを得なかった。

 

 手ぶらで帰るのもシャクだと思って、所属寺院の年間護寺会費を払っておくことにした。昨夜からは踏んだり蹴ったりだ。で、郵便局員に相談すると、奥方のお金を、一旦、わたしの口座に入金して、そこから振込用紙で送金すればいいと分かって一件落着になった。そういう手もあったのか。

 

 気分直しに、近くでやっている写真展を見ることにした。この人の野鳥の写真はフェイスブックでよく見ている。我慢の写真家、野鳥の専門家みたいな方である。

 

 人のあら探しばかりをするお坊さんよりも、こんな美しい野鳥や自然を一瞬に切り取る鋭い目を持ってもらいたいものである。

 

 ま、室内で画像できれいには写せないが、ま、気分だけでも、雰囲気だけでもと。でも、こうしてみると迫力も美しさもまるでない。やはり、実物を見るしかないのかな。

 

 額が本物のガラスではないので、電灯のあかりが乱反射してきれいには移らない。ま、そのほうが安全だとは思うのだけれど。

 

 そうそう、この方の「カワセミ」の写真が素晴らしい。

 

 こういう写真がみごとだと思う。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分から回っている気の風車」というもので、いつもの赤松先生のお寺の掲示板からのおことばである。『仏説譬喩経』の「黒白二鼠のたとえ」がある。(以下概要)

 一人の旅人が悪ゾウに追いかけられ、木の根を伝って井戸の中に逃げ込んだ。ほっとするのもつかの間、目の前に黒と白のネズミが出てきて、代わる代わる木の根をかじり出した。下を見れば大きな毒蛇が口を開けて旅人が落ちてくるのを待ちかまえている。このままでは確実に根は切れて、大蛇に食べられてしまうことになる。そこに、木の根のミツバチの巣から甘い五滴の蜜が口の中に落ちてきた。その甘さに心が奪われ、もっと蜜をなめたいと思って、旅人は今にも切れそうな木の根をゆすりだした…。(以上)

 ゾウとは時間の流れ、井戸の中の大蛇は私を待ち構える死の影、木の根は自分の寿命のこと、黒白のネズミは夜と昼のこと、すなわち私のいのちが一日一日と死に近づいていることのたとえである。五滴の蜜とは、そんなきわめて危機的な状況も忘れて、食欲、色欲、睡眠欲、名誉欲、財欲という日常的な欲望にうつつをぬかしていることをいうのである。生きる目的は、金でもなければ財でも名誉でもない。「人身受け難し、今すでに受く」(よくぞ人間に生まれたものだ)と生命の尊厳と歓喜に目覚めて生きることなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


悩みつつ紫式部の花の陰

2020年09月24日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、湿った空気の影響で曇り、夕方からは雨が降るらしい。気温は22.5度から26.7度、湿度は86%から74%、風は1mから2mの北西の風が少しばかり。明日の25日のさぬき市地方は、低気圧や前線の影響で曇り、昼前まで雨が降る見込みらしい。

 

 106/51/79 36.5c-96% 60.6Kg 25.9c-63%-1014hPa こういう記録も、もう必要がないように思う。でも、心不全は治らないのだから、死ぬまで、この記録は必要なんだろうか。新しい心臓に交換できたら、これも必要なくなるのだろうが、それは無理というもんだ。

 

 朝の4時半に起きたら、6時前の朝食が待ち遠しい。その間に、FBFの大塚先生はNHK-BSのワールドニュースを見ているというので真似してみたが、英語ばかりで何が何やらわからん・・・。

 

 さて、奥方が何を思いだしたのか、「石屋さんに連絡しておいたから、ムレさんから電話があるから出歩かないでよ」と言い残して出掛けて行った。何をどうするんじゃろうかと聞いたが返事もないままに出掛けて行った。

 

 わたしの師匠に聞いた話だが、お墓に行っても、「南無阿弥陀仏」がなければ拝まないとか、「倶会一処」と刻まれていなければ拝む必要がないということだった。真宗は「阿弥陀一仏信仰」だからということだった。だから、我が家のお墓は拝めないということになる。だから、拝んだことはない。

 

 それだし、真宗のお墓は「法名碑」というものが大事で、我が家のように「霊標」というのは誤りだという。昭和の40年代かにお墓を建てることが流行したとき、母方の祖父が強引に建てたものらしくて、その頃の流行だったのかも知れない。だから、わたしはこの我が家のお墓には入らないと決めているし、奥方もそれに同意している。

 

 そういう相談かどうかは聞いていないが、今あるお墓を建て直すことは高価だし意味がないので捨ててある。お参りしたい人はお参りしてもらっている。

 

 「その電話があるから、家から出ないで」というので、県立病院のドクター用に闘病記を作り直していた。このドクター用には表紙が違う。内科のドクターに「天使がいた。」などという甘っちょろい表題は似合わない。

 

 うん、タイトルが違うだけだ。中身は全くおなじ。こうでもしないと、あのドクターは読まずに捨ててしまうかも知れないし、ゴミ箱行きかも知れないと思って。

 

 そうそう、医大付属病院の二人の看護師にも闘病記を郵送しておいた。これで、闘病記はおしまいになった。

 

 今日のお昼は暖かい「ぶっかけうどん」にした。いつものサンマの味噌煮が乗っている。それにしても石材屋からの連絡はない。せめて時間帯、朝か昼か晩かくらいは決めておいてもらいたいものだ。

 

 昼からは、来月頭にある6日の大窪寺班勉強会の資料の準備にかかった。秋の最大のイベントである「さぬき市88ウォーク」も中止になったし、ガイド養成講座も中止になった。はてさて今回は何をやろうかと思案中。

 

 簡単な英語でのガイドができるようにと、英語版のガイドマニュアルでも作ろうかと思案中。でも、「本尊」とか「錫杖」とか「霊場」とか「札所」とかをどう表現するのかが難しい。この場合には「Fudasho」となっているが、それでいいのか?単に「Temple」でいいのか。でも、後の「Temple」とでダブってしまう。

 

 この字は「薬」に似ているが「薬」ではない。これを、どう説明するのか。

 That is, the character of "medicine" of Yakushi Nyorai is incomplete.
The pilgrimage is a never-ending journey.
A new beginning. It seems that the meaning is put.

 というらしいのだが、わたしは英語がまるきしダメなのだ。ま、要するに、「薬」の字が未完成なのは、遍路が終わりなき旅であり、新たなる始まりであるという意味が込められている・・・ということらしい。この、「pilgrimage」が「遍路」ということである。「ピルグリミッジェ」みたいな音である。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間必ず死ぬ 病気にもなる この身の事実から目をそむける事 それを迷いという」というもの。生まれたものは必ず死ぬことになっている。しかし、死ぬために生まれてきたのではなく、死ぬために生きているのでもない。 未来のために現在があるのではないし、現在のために過去があったのではない。その時の「今」こそかけがえのない「いのちの時」である。過去に縛られることなく、未来を追うことなく、過去によって成り、未来を生む「今」を大切にしたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


法水の流れて清し秋彼岸

2020年09月23日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で概ね曇り、夜には雨の降る所があるらしい。気温は23度から28度、湿度は80%から68%、風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の24日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、朝晩は雨の降る所がある見込みらしい。

 

 103/50/79 36.2c-98% 60.5Kg 25.3c-60%-1014hPa 体調に変化はない。

  

 お彼岸の中日が過ぎて間もなくだから、今日か明日かが昼と夜との時間が同じになる頃らしいが、それにしても日の暮れるのが早くなったし、朝が来るのが遅くなった感じがする。朝の4時半といえば、まだまだ真っ暗だ。朝の6時になってもまだ薄暗い。

 

 今朝の体重である。やはり、尿管が詰まっていたようで開削すると安定してきた。これでもまだ水分が多い方だと思う。58Kgくらいにはなりそうな気がするが、どうしても喉が渇くとかで水分を摂ってしまう。

 

 四連休が明けたので、JAさんの支店に行ってきた。自治会費後期分の預け入れとお賽銭の入金とを済ませ、今度は赤い羽根共同募金のお金と歳末たすけあいのお金を引き出して、さらに郷社の祭典費の振り込みを済ませておく。今年は秋の例大祭はお休みなのに、祭典費は「年会費」だから納入せよとのお達しである。

 

 私は神さんなんぞ信じてはおらんし、氏子になったこともないのだが、神社の方はおかまいなしに「一世帯いくら」と言ってくるし、自治会長になれば、自動的に「氏子総代」になるのらしい。わたし一人がわがまま言っても無駄だからと黙って一年を過ごすしかない。

 

 これが終われば、自治会長のお仕事も終わったも同然。大きなお仕事は片付いたよう。後は毎月の電気代と水道代の支払いくらいなものだ。ま、毎月の広報の配布は続くのだけど。

 

 会計帳簿の記載も忘れずにやっておく。最近の物忘れはひどいものがある。こうして、毎日のブログに記録しておかないと、何をしたのかがわからなくなる。昨日の昼に何を食べたのか、昨日は何をしていたのかさえ、すっかりと記憶の彼方に飛んでしまう。そういうときには、このブログが役に立つ。役に立つが、このブログには不思議と夕食の記事がない。

 

 さて、JAさんの会計の待ち時間に、例の闘病記を眺めていたら、「はじめのことば」からミスがある。香川大学医学部付属病院には「救命救急センター」があるが、この闘病記では「救急救命センター」と記載されている箇所が実に七カ所もあった。普通の人にはどっちでもいいようなものだが、こと、香川医大付属病院の看護師さんに贈る本ではまずかろうということで、またしても書き直しの印刷し直しの製本のやり直しになった。

 

 「今日のお昼はおそうめんか、おでんの残りを食べておいてね」と奥方は出て行ったが、いまどき、そうめんかいな・・・と思ったけれど、「あたたかいそうめん」だってあるじゃろうと調べてみたら、どんどんとレシピがあふれ出てきた。そこで、「焼き鯖そうめん」というものを作ってみた。

 

 サバ缶の鯖をオーブントースターで焼いてみた。少し焼きすぎたかも。そのサバ缶の出汁や砂糖、醤油、みりん、酒、白だし、水などを煮立て、その中にそうめんを投げ入れてじっくりと味をしみこませる。まずまずの味になった。なかなかにいいそうめんになったなぁと自画自賛。

 

 食べ終わってから、長浜名物の「焼き鯖そうめん」を調べてみたら、余った出汁は掛けないようで水分が見えない。おだしナシというのは食べにくそうだが、どんなものだろうかね。

 

 今日の掲示板はこれ。「どうにもならないことは忘れることが幸福だ」というドイツのことわざからの言葉である。中国の孔子も言っている。『虐待されようと、強奪されようと、忘れてしまえばどうということはない。』と。時間というのは幸か不幸か一次元に流れる。人間はそれに合わせて生きていくことしかできない。それに逆らうことが出来ないのだ。 その圧倒的な力のせいで、人は死ぬこともあるが、そのおかげで生かされることもある。それが『忘れる』ということだ。時に人は、遠い記憶の彼方に忘れたい現実を置いて、自分の時を、前に進めるのである。そうか、そうなのか、忘れることがしあわせなのか。(注 法水: 仏法が衆生の煩悩を洗い清めるのを、水にたとえていう語。法雨。ほっすい)

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


曼珠沙華恥ずかしいほどの赤である

2020年09月22日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、前線や湿った空気の影響で昼過ぎから曇り、夜遅くは雨の降る所があるらしい。気温は21.0度から27.8度、湿度は86%から66%、風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の23日のさぬき市地方は、前線や台風第12号の影響で、断続的に雨が降る見込みらしい。

 

 105/53/79 36.2c-98% 60.6Kg 22.4c-58%-1014hPa 依然として体調に変化はない。尿道開削からほぼ180日、6ヶ月が過ぎた。あれからおなかの張りは全くないし、体重の変化もほとんどない。63Kgを超えたこともない。これで普通に戻ったということになるのだろうか。

 

 ただ、心臓病が治った訳ではないし、心臓を交換したわけでもないので、「健康になった」ということにはならないし、骨折した足はそのままで正座もあぐらをかくこともできないでいる。でも、足にむくみはなくなった。

 

 全くドジなことで、新訂改版したというのに、しようもないミスがあちこちに見つかった。でも、印刷・製本は終わったので、今更どうしようもない。不完全だが配送するしかない。

 

 こういう差出人もプリンターで印刷できるのだが、なかなかに実行できないで居る。ま、たかだか二部か三部だから、わざわざ印刷するほどのものでもないのも事実。手書きしたってたかが知れている。

 

 奥方は相変わらずの畑仕事だ。誰に教わった訳でもないのに、50年もすればなんとかなるものらしい。今はフツーの田舎のおばあさんだ。

 

 今日のお昼は焼きめしらしい。私が催促するものだから慌てて作ったものらしい。私は力仕事もしないのに、おなかが空くのはみんなと同じ。ま、それも元気な証拠だと思っていればいい。

 

 今日で四連休も終わるので、明日のお仕事を用意しておく。銀行や郵便局も明日には開店する。どうにも、この四日間は永かった。例の闘病記の発送もそうだし、20日の日に集金した自治会費や郷社の祭典費の入金や振り込みも片付けておかねば。

 

 地神さんのお賽銭も貯金しておかねばならないし、赤い羽根共同募金や歳末たすけあいのお金を引き出して、社協に持って行って納めるお仕事も溜っている。ひとさまのお金を預かっての四連休は永かった。

 

 四国には「へんど」ということばがある。今は差別用語的に使うことは憚られるようになったが、「今日四国地方で四国巡拝者をさすもう一つの呼び名、〈ヘンド(辺土)〉とも相通じると思われる。「食物や生活に必要な金品を他人に乞うて暮しをたてている者の総称。」と言われるようになった。もともとは仏教僧の托鉢(たくはつ)を意味する乞食(こつじき)からきているように、その多くは本来の意味からの転用であるが、募金や集金に行くことを、このあたりでは「へんどに行く」という。いよいよ来週からは10月。赤い羽根共同募金で企業さんや商店、寺社仏閣なんぞに募金に行くことになる。それが気が重い。

 

 よく、SNSなんぞで、ピンクの彼岸花が咲いていた・・・という記事があったりするが、これは「夏水仙」というもの。夏の終わりごろに花を開く。

 

 この黄色い彼岸花もよく話題になるが、これは「鍾馗水仙」というもの。彼岸花によく似ているが微妙に花の形が違うのだ。

 

 これは「たぬきのかみそり」というお花。少しお花の形が違うのだ。

 

 これは「リコリス・アリビフローラ」というお花。日本名は「白い彼岸花」ではなくして、「シロバナマンジュシャゲ」というらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「境遇や環境を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる」という、渡辺和子さんの著書、「置かれた場所で咲きなさい」の中からのことばである。「こんなはずじゃなかった」と思ったこと。あなたは、今日まで生きてきて何回あっただろうか。受験に失敗し不本意な進学をしたこと。目標を持ち、仕事をしていても会社に馴染めない自分。結婚し幸せになれると思ったが、理想とは違う現実。人生は嬉しいことも嫌なこともある。山あり谷ありだ。しかし、人は闇の中で、もがき苦しんでいるとき、自分も周りも見えなくなる。辛く悲しい気持ちは、脳を、身体をすべてを麻痺させる。今回紹介する本は、渡辺和子著「置かれた場所で咲きなさい」というエッセイ集。著者はシスターであり、岡山市にあるノートルダム清心学園の理事長だった。聖書の教えなどを交え、生き方や人生の在り方を説いたこの本は、悩める人々の心の支えになった。160万部のベストセラーである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


秋めいて讃岐うどんと曼珠沙華

2020年09月21日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は18.5度から26.6度、湿度は80%から50%、風は1mから3mの北の風が少しばかり。明日の22日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるが、前線や湿った空気の影響で夕方から曇る見込みらしい。

 

 114/57/79 36.0c-98% 60.8Kg 22.5c-60%-1015hPa 体調に変化はない。昨夜も牛肉を食べたからか湿疹が体中に出てかゆくて困ったが、病院でもらった頓服薬を飲めば一気に元通りになった。

 

 奥方は、この連休中に神戸に帰ってお墓参りなどを考えていたらしいが、みんなそれぞれに用事があって都合が付かなかったらしい。だから、今日も畑で種まき仕事。

 

 私は相変わらずの「闘病記」の修正作業やら印刷作業やら。本音の所、出掛けたいのだが、出掛けるとなると、「どこ行くの」「何しにいくの」「だったら、私も連れて行って・・・」となるのが面倒なのだ。だから、奥方が家にいる間は出掛けられない。

 

 すると、娘家族がお墓参りに来てくれて、「それではみんなでおうどんを食べに行こう」ということで、奥方お気に入りの「うどん亭いわせ」に行くことになった。ここは一般店である。

 

 私はお肉とお魚は避けたいので、「梅ぶっかけうどん」というものを頼んだ。少し前には「梅わかうどん」と呼んでいたような。「わか」は「わかめ」のことだった。手前の丸くて黒いものは「椎茸」である。

 

 この梅、「なんこうばい(南高梅)」らしいが、大きい梅干しだなぁと、いつも思う。

 

 帰りに奥方がスーパーで買い物をするというので付き合わされたが、私は自分のご用の印刷用紙だけを買っていた。スーパーへ行っての人混みは苦手だ。

 

 帰り道で、国勢調査の調査員を見かけたので、調査表をもらってきた。「いつお邪魔してもご不在でしたので・・・」と言うが、郵便ポストでもいいじゃないかと思うのだが、なんだかんだと言い訳をしていた。

 

 調査そのものは簡単に済んだ。ただ、奥方の職場のことなんぞ知らないから、ウエブで調べたり確認したりで、そういう手間に時間が掛かったし、奥方が正規の社員なのかパートなのか、ケアマネなのか、看護師なのか、介護士なのかも知らないし。聞くのも面倒だから、そういう雑用で時間が掛かった。

 

 で、闘病記を印刷していたらば、早くもインクのアラームが出た。インクジェットの容器は小さいから、少しばかり印刷すると、すぐにインクがきれる。で、いいところで切れる。それだし、両面カラー印刷ということもあって、「はやっ・・・」と言うほどに早くインクがなくなってしまう。

 

 だから、また、インクだけを買いに走って行ってきた。「プリンター インクなければタダの箱」そういうプリンターが幾つか眠ったまんまになっている。

 

 この夏、いろんなものを食べたが、こういうものもいいかなぁと思ったが、「昔なつかしい」味はしなかった。というか、私が子どもの頃には、こんなお菓子はあったのかどうか。全くの記憶がない。

 

 確かに「アイスクリン」という名前のお菓子はあったと思うが、こんな味だったかしらん・・と思い出せない。

 

 今日の掲示板はこれ。「人はみな 生まれて生きて死ぬ 何急ぐ なぜ急ぐ 死を問わず」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあった言葉である。人はみな、生まれて、生きて、老いて、病を得て死んでゆく。人は、なぜに生まれたかを知ろうともせず、いかに生きるべきかを問いつつも、なぜに生きているかを問われ、作り上げられた理想は崩れ去る。生きているのは偶然、死んでゆくのは必然。されど人は思う。生は必然、死は偶然と。昨日死んでいても不思議でない私が、今生きていることの不思議さ。人は必然する死を忘れて今を生きる。けれど、死は一刻たりとも私を忘れてはくれない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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