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まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

秋寒の独り遊びや曼珠沙華

2020年09月20日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は19.5度から27.2度、湿度は74%から52%、風は1mから2mの南の風が少しばかり。明日の21日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 98/53/78 35.7c-97% 60.8Kg 23.5c-61%-1014hPa 相変わらず体調に変化はない。これが死を宣告された男なのかというくらいに元気になった。でも、まだ、走り出すほどの身体でもない。

 

 今日は集落内の「地神(じじん)さん」のおまつりである。おまつりだと言っても、ピーヒャラピーヒャラの笛の音も太鼓の音もない。単なる「例祭」である。まずは、境内の掃除からである。いつからか、このように枯れた竹が覆い被さって危険な状態になっていた。これを先輩が切って落として片付けてくれた。

 

 あとは草や雑木を切ったり抜いたりしながらのお掃除。7時集合だったが、全員が揃ったのが6時半前だった。ここは昔からそうらしい。6時半集合というと、6時には集合するらしい。夏場は6時集合となっていたが、そうすると5時半集合になった。そういう風習らしい。

 

 こういう五色ののぼりがあるのは、このあたり(香川県東部)でも、ここだけらしい。これも昔からの伝統らしい。

 

 このあたりの「地神さん」は五角形の石柱で、五柱(はしら)の神様の名前が刻まれている。それを色で表現してあるのが、この五色の幟である。詳しくは述べない。

 

 で、掃除が終われば、例祭になる。例祭たって神主が来る訳でも祝詞(のりと)を奏上するわけでもない。全員で、二礼二拍手一礼して、一合の御神酒を八人で分けていただき、お洗米と塩を少しいただくだけ。実に簡素化された神事である。地神さんは、田の神さんらしいが、農家は九戸の中で三軒だけになった。

 

 今日は帰ってからの朝食になった。それでも7時半前だった。奥方は今日もお休み。

 

 その奥方は夏野菜の枯れ木や落葉などを燃やして肥料にして、冬物の種を蒔くのだそうだ。そうそう、この奥方、結婚を決めたのは、私が山林や田畑を持っていたからだという。やがて、それが自分のものになると思うとわくわくしたそうだ。神戸の下町の住宅街で育った人には、「自分の山がある」「自分の畑が持てる」というのは夢みたいな話だったそうだ。私にはあまり興味がなくて、「お兄ちゃんたちを大事にしてくれる人」くらいにしか思っていなかったらしい。

 

 私は自治会費の集金やら、郷社の「祭典費」の集金やら、防災無線のスピーカー局の設置交渉なんぞをやっていた。できることからコツコツと。小さなことからコツコツと。

 

 畑仕事から戻った奥方は「暑い、暑い」と言いながらおそうめんになった。私は肌寒いくらいなのだが、逆らったら、「じゃぁ、あんたが作ってくれたらいいでしょ!」と反撃砲が戻ってくるから黙って食べるしかない。

 

 例の「闘病記」を眺めていたらば、あちらこちらでことばが途切れたり、文字が抜けていたりするのが気になった。そこで、全編を見直し読み直ししながら、「改訂版」を作ることになった。個人名が随所にあるのを削ったり、書き換えたりもした。

 

 彼岸花はお彼岸近くになると咲くから「彼岸花」というのかと教えられたけれど、ヒガンバナ科 ヒガンバナ属の多年草であるとのこと。別名は曼珠沙華(マンジュシャゲ)、学名からリコリス・ラジアータとも呼ばれて、中国原産ということらしい。

 

 昔は、この球根に毒があって、モグラが近寄らないからと、田んぼの畦に植えたものらしい。大飢饉の時には、これが非常食にもなったという。先人の知恵だなぁと教えられたことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「鉄は錆によって朽ちる。人間は愚痴によって自分を崩す」という(釈尊)のことばからである。一読して、はっとさせられる言葉である。我が身のあり様を、深く内省させる力がこの言葉にはある。確かに鉄は放っておけば錆によってボロボロに朽ちてしまうもの。しかし、放っとけば錆によって腐ってしまう鉄も、いつも油をつけて磨いていると、顔が映るような鉄にもなる。人も愚痴によって心を腐らせず、磨いていくことが大事だということを教えてくれる言葉であろう。(「2017年版 人生心得帖」より)

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


彼岸花見る人もなく土手を占め

2020年09月19日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で夜は曇るらしい。気温は21.0度から28.5度、湿度は74%から54%、風は1mから4mの西南西の風が少しばかり。明日の20日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇る見込らしい。

 

 104/54/79 36.3c-96% 60.9Kg 26.3c-60%-1015hPa 今日も寝不足ながら起きられた。おなかの張りもないし、身体が重いとも思わない。

 

 珍しく今日から奥方は四連休。「種まきをするの・・・」と言うてはったが、そんなに広大な畑があるわけでもない。ま、そういうことで、6時起きの7時が朝食になった。相変わらずの朝食である。

 

 「お彼岸の入りだから、誰がお墓参りするかわからんから、お掃除に行くよ~」ということで、今日はお墓の掃除に行くことになった。

 

 ま、一ヶ月前のお盆の前に掃除をしたのだから、そんなに汚れてもいないが、私は周辺の草刈りから。奥方は山からの落葉を拾い集める係。今日はブロアーを持ってこなかったので、一枚一枚の落葉を指で拾い集めていた。

 

 まぁまぁのできばえだ。お花はお参りに来た人が用意する・・・はず。我が家がお花をお供えしておくと、我が家のものは捨てられることが多い。花立てに入りきらないからだと思う。だから、我が家は遠慮しておく。

 

 なんだかんだのがあって、今日の昼食は午前11時前。で、富山の氷見うどんの細切りに、昨夜の残りの野菜天を載せている。サツマイモと茄子の天ぷらである。今年はサルの被害にも遭わずに、茄子とキュウリは大々豊作。産直場で売ろうかと思うほどの収穫になった。ま、みんな、奥方の職場仲間に配ってしまったそうだ。このリンゴはそのお返しみたい。

 

 さて、思いがけなく所属寺院からの書留郵便物。そういえば、しばらくお寺ともご無沙汰ばかり。二年か三年かはお手伝いにもお参りにも行けていない。足が不自由だから座ることもできないし、座る・立つという、蹲踞とかのお作法がまるでできないのだ。

 

 そういうことで、年会費の案内状ですか・・・。

 

 お寺にもご無沙汰だし、小砂説教所にもご無沙汰だなぁと、久々に行ってきた。このコンクリートの石段などは150年忌の際に修繕したものだろうか。まだ、新しいものだなぁと思いながら歩いたものだ。

 

 庄松さんのお墓であるが、ここは代わり映えがしない。

 

 建物などにも変化はない。下屋根と上屋根のあいだのしっくいがきれいだが、ここも補修をしたものだろうか。150年忌ということで、盛大なイベントをやるやると言うていたのだが、ま、いろんな事情でこうなったものだろう。

 

 説教所の中は、少しも変わっていないし、最近はお参りの方もすくないみたい。四国遍路のおへんろさんが減ったように、ここもお参りの方がめっきりと減ったのだろうか。芳名録にも記録がほとんどなかったし。

 

 本文とは関係がないのだが、今日の掲示板はこれ。「"人"の"為"と書いたら "偽り"という字になりました」というもの。「人の為」だと思って物事を為すことは尊いことである。「人の為」と思うからこそ、物事を為すことができるのかもしれない。しかし、たとえ純粋な想いで始めたことでも、いつの頃からか「お礼を言われなかった」「誉められなかった」「見返りがなかった」など、不平不満の気持ちが溢れて来るもの。そのことを否定する つもりは毛頭ないけれど、本当に「人の為」を想ってのことなのかどうか、自分を中心に考えていなかったか?不平不満が出たときにこそ、問い返されることである。「偽り」と表現すると、わたしの想いや行動を否定されるように聞こえるかもしれないけれど、そうではなくて鏡のことばとして受け止めよう。「偽り」とは、わたしの姿を映し出していることばなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


世の中の愚痴や悩みや曼珠沙華

2020年09月18日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があった。気温は22.3度から28.0度、湿度は84%から68%、風は1mから5mの西北西の風が少しばかり。夕方までは雷を伴う所がある見込み。明日の19日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇るらしい。

 

 113/54/78 36.5c-96% 60.6Kg 24.5c-72%-1009hPa 体調に依然として変わりはない。

 

 今朝の朝食である。特段の話題もない。そうそう、例のスーパー高速フルムーンは11月の1日から5日の4泊5日になった。奥方のお休みの都合なんだそうだ。10月の中旬という案もあったが、それは私の民生委員の定例会があったり、さぬき市広報の配布時期とかで11月になった。11月は完全フリーにするように言われた。

 

 一応、闘病記の印刷製本が終わった。印刷ミスや二重印刷やら失敗作やらで、左のような廃棄用用紙が貯まった。個人情報もあるから回収には出せないし、燃やすにしても大量だし・・・。

 

 そういうことで、5冊の闘病記ができた。看護師用2冊、ドクター用1冊、ケアマネ用1冊に読者用が1冊。思い入れはすごくあったが、できあがってみればこんなものだ。下手にページ数を増やしても意味はないので、このままにした。

 

 で、発送すべき所へは郵送しておいた。来週あたりには着く予定。自治会関連の書類も一緒に郵送した。私は永年電話の世界にいたから、電話は見るのも触るのもいやだから、郵送ばかり。これだと証拠書類にもなる。

 

 郵便局も大嫌いで、重さがどうだ、厚さがどうだとうるさいが、この際は仕方がない。

 

 今日もサンマの味噌煮のおろしぶっかけうどんにした。マンネリ気味だが、そうめんは時期が終わったし、まだ、ラーメンには時期でないような。

 

 今朝も0時半、1時半、2時半、3時半、4時とトイレにおきて、まだ早いなぁと寝たら、5時半にもなっていた。そういうことでか、なんだか眠たくてたまらない。

 

 今日はさぬき市の広報が届く日である。明日が19日で土曜日だから、切り上げで今日に配達されてきた。配達は20日の予定。

 

 来月号はこんな表紙。市内のコミュニティバスの路線が増えるとか変わるとかだが、わたしんちらは全く関係がない。バスも通わぬ山の中の集落なのだ。

 

 こういう書類の束を戸別に並べ替えて、各戸配達用にまとめるのもお仕事。

 

 時期的に、赤い羽根の共同募金がやってきた。一戸あたり800円の計算になるらしい。これは自治会費からまとめて支払いをする段取りになっている。はやくも歳末助け合いの書類も入っている。こちらは一戸あたりが500円。

 

 うっかりとしていたら、私のポータルサイトの更新ができていないことに気がついた。ま、あまり必要もないサイトだが、あんまり放置しておくと「不精者」と思われかねないので、一ヶ月くらいで更新はしておく。

 

 11月のフルムーンの予定もいれておいた。しかしのかかし、何のための旅行なんだか皆目わからん。北海道まで新幹線で行って、新幹線で北陸へ行って、新幹線で九州鹿児島まで行くという。で、新幹線で帰ってくるという。奥方が鉄道マニアという話は聞いたことがないし、温泉旅行でもない。ただ、新幹線を乗り継いで旅するばかりだ。

 

 でも、新幹線「みずほ」には乗りたかったのだが、予定にはない。「ひかり」や「こだま」にも乗らない。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間の大きさは その人が出会っている世界の大きさ」であるという言葉。町内の善楽寺さんの掲示板からである。農業をやっている人はどこに旅行しても、稲のできばえとか野菜の育ち具合しか見ないという。会社の事務職員は自分の仕事の範疇しか知らないし、技術者は自分の担当している職場しか知らない。昔、会社の連中と慰安旅行に出かけたら、電柱の姿や公衆電話機の設置方法とかしか話題にならなかった。孫悟空がどこまでもどこまでも飛んでいったのに、お釈迦様の手のひらの中で遊んでいただけのように、「人間の大きさは、その人が出会っている世界の大きさ」なのである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


秋晴れが恋しいばかりの洗濯日

2020年09月17日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎから夕方にかけて雨が降ってきた。気温は23.5度から29.0度、湿度は92%から72%、風は1mの北東の風が少しばかり。明日の18日のさぬき市地方は、引き続き前線や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎから夕方にかけて雨や雷雨となるらしい。

 

 98/49/78 36.4c-94% 60.8Kg 25.6c-71%-1012hPa 体調に変化はない。昨年あたりのおなかの張り具合や身体の重みなどがまるでウソのようになった。考えてみれば、昨年末から今年の春にかけての入院騒動はなんだったのか。すっかりと遠回りをしたことだなぁと思う昨今。

 

 今朝の朝食だが、これも変化がない。最近はコーンスープからリンゴジュースになったくらいが変化と言えば変化。

 

 さて、いつもの闘病記である。この本文も推敲や校正が終わったからと、今日から印刷に掛かったのだが、何の弾みか、画面と誌面が違って妙に印字がずれたり飛んだりする。妙な記号や図形が混入していないかと何回も確認するが、今度は正常になったりする。

 

 ワードというアプリがおかしいのか、それを使いこなせていない私が悪いのか、印刷するたびに紙面がおかしい。だから、紙くずばかりが増えてしまう。

 

 最後のページまでうまく印刷できることもある。最初は、担当の看護師さん二人と、私の担当ドクターの三冊だったが、ケアマネさんと、読者の方が希望されているので五冊になった。ま、今月中には形になりそうだが。

 

 今日、この自治会用の「防災無線スピーカー局」の電柱の建設位置についての電波試験の報告があった。この日曜日に、集落の「地神(じじん)さん」の掃除があるので、その際に、皆さんに周知して建柱位置を確定することになった。

 

 こういう設備である。さぬき市が指定してきた場所と、地元が推薦した場所との二カ所に二本の電柱を立てて、有線で結んで放送する案が提案されたので、みんなと協議しないといけなくなった。

 

 何の加減なのか、これ以降の画像が壊れてしまった。ま、そういうことで、今日は「温泉タマゴとおろしそば」とお好み焼きである。元気になった証拠で、これらをぱくぱくと完食してしまった。昨年の今頃は、おうどん一玉でも持て余したくらいだったのに。まるで別人のようになった。

 

 この闘病記は10月10日が発行日になっている。まだまだ先だとばかり思っていたら、もう、20日あまりしか残らなくなった。ま、本文さえきれいに印刷できれば、あとはモノクロ版でもいいのじゃないのかなぁと思ったりする。でも、10月になれば、赤い羽根の共同募金が始まるのか・・・。

 

 こうして見るように、あんまりきれいな印刷ではないのだが、一応、カラー印刷になっている。用紙をいいものにしたいのだが、そこまでの値打ちがあるのかどうかと、普通の用紙を使ってみた。

 

 今年のカレンダーには、「オリンピック開会式」だの「パラリンピック開会式」だのと印刷されていたが、来年のカレンダーにも暦にも、そのような印刷はない。うむ?オリンピックはあきらめたのか、日程がまだ決まらないのか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「転ばなかったら起き上がり方もわからない」というもの。いつもの町内の善楽寺さんのお寺の掲示板から。元SMAPの中居正広さんのことばから。「転ばなければ起き上がり方も覚えられないんだから 転ぶことだって必要」というのが元のことばらしい。「失敗しなければ成功することも覚えられないから、失敗することも必要」という風にも味わえる。最近の若いお母さんを見ていれば、「ほら、危ないよ」「危ないったら!、転んだらどうすんの!」などと怒ってばかりだが、まさに、「転ばなければ起き上がり方もわからない」。ころんだきり、泣きわめいている子どもを見ることも。だからと言って、わざと転ばせる必要はないけれど、失敗を恐れていては成功はおぼつかない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


素通りも供養の一つ彼岸花

2020年09月16日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があった。気温は23.0度から27.5度、湿度は88%から72%、風は1mから3mの東南東の風が少しばかり。明日の17日のさぬき市地方は、引き続き前線や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎからは雨で雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 109/53/79 36.2c-96% 60.8Kg 26.0c-66%-1012hPa 体調は変わらない。足のしびれもむくみもない。でも正座はできないし、片足立ちはまだ無理だ。もう、このまま良くはならないのかも知れない。ま、そういう処置はしていないもの。

 

 今日は奥方が「早出」だというので、朝食は5時半からだった。今日のパンは、昨日のファミレス近くのパン屋さんで買ったもの。見かけはおいしそうだったが、お餅が固くなったみたいで、あんまり好みではなかった。

 

 昨日、奥方が畑仕事をして何かの種を蒔いたみたいだが、「タンク二つをお水で満杯にしといてね」と言い残して出掛けて行った。ま、電源コードをコンセントに差し込むだけだから簡単なことだ。ものの20分もあれば一杯になる。

 

 このひしゃくで、種を蒔いたあたりに水をやるらしいのだ。昨年はキュウリやなすびの苗が安かったからと私が植えたばっかりに、このひしゃくで水やりをしなければならなかったので、今年は畑に近寄ろうともしない私。

 

 そろそろ時期かなぁと本屋さんに行ってきた。毎年恒例の「ダイアリー」と暦である。暦は旧暦とかさまざまな行事などが掲載されているので、予定線表を組むのに便利なのだし、ダイアリーも行事予定を書き込むのに便利だからだ。どうにも、携帯電話やタブレット、パソコンなどの予定表は開くまでがまどろこしくていけない。それに、それらを更新するのも面倒くさい。

 

 会社員時代から、この会社の、この形式ばかりを使い続けている。「継続は力なり」である。これで、何月何日はどこで何うどんを食べたかまで分かったりする。ここに残してあるのは10年分。屋根裏部屋には残りの30冊が保存されている。

 

 さて、闘病記だが、ほぼ形がまとまってきた。だらだらとした部分は削ってしまったので、50Pほどになった。それを両面印刷すると30Pほどになる。少し物足りないが、読む方は短い方がいいだろうということで。

 

 で、本印刷用にインクも買ってきた。表紙用には厚手の用紙を探してきた。 だから、一冊あたりの単価は高いものになるが、これは「道楽」である。趣味の領域を超えた「大人の遊び」ということだ。

 

 これでいいかなぁと思っていると、どうでもいいところで「句読点」が抜けたり余分だったりして印刷のやり直しになったりする。歌の文句のように「三歩進んで二歩下がる・・・」みたいなことだ。

 

 「今日はタマゴ掛けご飯よ」と奥方が言い残して出掛けたが、それではつまらないなぁと、「釜玉・サンマの味噌煮うどん」に「ちらし寿司」にした。

 

 今日はサンマの味噌煮がはっきりと見えるように置いてみた。ま、お魚をお皿に盛るか、うどんの上に並べるかの違いだけだ。横着といえば横着、合理的と言えば合理的。洗うお皿が一枚減るだけだ。

 

 デザートは朝についていたリンゴである。コップの中身は肝臓用の煎じ薬だ。ま、こだわりと言えばこだわりメニューだが、大雑把料理と言えばそうかも知れない。あんまり、こだわりも執着もない。

 

 今日の掲示板はこれ・・・ではない。これは「確かにそうだな、心を開くってことがなくなったなぁ・・と反省させられた掲示板である。

 

 今日の掲示板はこれ。「良い加減に生きる 張り詰め過ぎは互いにしんどい」というもの。これまた、どこの誰のことばかはわからなかった。私たちは些細なことを深刻に考え込んでしまうもの。他人からみれば、ほんのささいなことなのに、本人は生きるか死ぬかみたいな形相で悩んでいることが多い。考えなければ楽なのに、いろんなことが気になってしまうもの。見なければ楽なのに、ちらと見えたばっかりに気になってしまうことも多い。気にしない、気負わない。迷ったときは「まあいいか」。困ったときも「まあいいか」と悩みなんて放り投げてしまえばいい。苦しみなんて捨ててしまえばいい。肩の力を抜いて生きてみるがいい。そうすれば今よりも生きるのが楽になるはずだ。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


曼珠沙華今を生ききる夢をみる

2020年09月15日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、夜は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がるらしい。気温は19.5度から27.3度、湿度は86%から64%、風は1mから3mの東の風がそよぐ程度。明日の16日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎから夕方にかけては雨の降る所がある見込み。

 

 103/57/80 36.2c-94% 60.8Kg 25.2c-64%-1013hPa 相変わらず変化はない。

 

 今朝は奥方がお休みだから、と朝食は7時過ぎから。お皿の黄色い丸いものは冷凍ミニトマト。冷凍すると皮がくるっとはじけるのだそうな。だから、まだ凍ったまんま。

 

 私は相変わらず、朝の4時半から闘病記の推敲やら校正やら。『不思議な区分・・・』とあるのが、何の区分なんだろうかなぁとしばらく考えていたら、『不思議な気分・・・』だと気がついて一人で嗤ったりする。

 

 これが本文である。一昨年の論文を下敷きにしてある。それを今年風に書き直してある。最初は論文調だがすぐにブログ風になってくる。本文はブログを抽出しながら書き進める体裁になっている。

 

 このような書き出しで始まっている。

 

 奥方は野菜畑の除草や古い野菜の枯れ木や枯れ草を片付けたり、畑を耕して、あたらしい種を植え付けている。私はそういう趣味はない。生き物を育てるとか植木を植えるとかという趣味がないのだ。

 

 で、お昼は近くのラーメン屋さんに行こうと出掛けたが、あいにくとここは定休日。行きつけのうどん屋さんにも行ってみたが、そこも定休日。それではと、中華料理店にも寄ってみたが、あいにくとそこも定休日。「休みの日くらい、外食させてよ~」と、ぶつぶつ。

 

 「じゃぁ、じゃぁ、あそこ!」と、ファミレスに行ってみた。ここは定休日はないはずだと行ったのだけれど。いきなり、「マスク、お願いしています。」「アルコール洗浄もお願いしていますから」と小うるさい。

 

 「タブレットのあるお席にお願いします」というので、座ったのはいいが、どうやるかわからない。私は自分のタブレットは操作できるが、こういうものは手が出ない。奥方がウロウロと触っていたら、

 

 私にはこんなものが、奥方はネギトロ定食が二人分も。どうやら操作を間違えたらしい。「でも、お客様がリクエストされて、注文履歴に残っていますので」と、奥方は一つをテイクアウトする羽目に。おら、知らないっと。

 

 明日からは天気がくずれそうだからと、私の部屋のお布団を干したり、

 

 となりの和室のお掃除をしたりと、まるで主夫みたい。奥方は昼食を食べるとお昼寝をする習慣がある。「だって、わたし、働いているのだもの」と葵のご紋を出すのだからたまらない。どうせ、私は働いていませんから・・・

 

 午後からも闘病記の微調整・・・。どうでもいいようなことを書いたり消したり直したり・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるとは悦び。一日一日を大切に精いっぱい生きる。何があっても前向きに生きる。それが私の人生の心得」という宮本亜門さんのことばから。普通、”よろこび”と書く時は、”喜び”を使うものだが、ここでは”悦び”が使われている。どんな違いがあるんだろうと、<Bingって>みると「喜び」は一般的に使われるようだが、外発的のようだ。外からの刺激を受けて喜ぶということらしい。この場合の「悦び」の方は、内発的のようで、自分が満足しているかどうかの話らしい。人生を語るっていうのは自己の内面の話だから、”悦ぶ”の方がいいのかも知れない。ま、それはそれとして、一日一日を大切に精いっぱい生きる。というのは私の生き方の目標でもあるので、当たり前のようなことばだけれど、あえて、ここに掲示しておく。注(最近、ググると「寄付をお願いしています」とかと小うるさいから、Bingを使っている)

 

じゃぁ、また。明日、逢えたら、いいね。


ススキの穂どう生きるのかを問うてみる

2020年09月14日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は21.0度から26.4度、湿度は80%から64%、風は1mから2mの北西の風が少しばかり。明日の15日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 84/53/78 36.3c-93% 60.6Kg 24.7c-66%-1014hPa 全く体調に変化はない。

 

 今朝の朝食である。朝食が待ち遠しいというのは元気な証拠かな。朝の4時半と言えばまだまだ暗いが、それでも起きればお仕事はいくらもある。それをこなしてからの朝食である。朝食がパンのおうちの「お仏飯」はパンでもいいですよ・・という話は聞いたが、そういう習慣は我が家にはない。お昼にはご飯が炊けるので、お昼に「お仏飯」をお供えしている。

 

 本の体裁上のことなんだが、「はじめのことば」を1枚にするか2枚にするか、つまり、表・裏の二頁にするか、表だけにするか、表・裏の見開きにするかは、その本の時のイメージに合わすことになるし、両面印刷にするか片面印刷にするかでも違ってくる。今回は1Pを2Pにすることにした。

 

 9時になったのでお出かけをする。昨日の敬老事業費の件の報告書を市役所に返送しておく。忘れない間にしっかりと。また、「まほちゃん口座(第二口座)」から現金を引き出して銀行さんへ振り込んでおく。表口座は詐欺被害を防ぐために少額ずつしか置かないようにしてある。

 

 JAさんでは、昨日の「山の神さん」のお賽銭を自治会口座に入金しておく。みんなのお金だから忘れないように素早く処理しておくことだ。その後、「社協(社会福祉協議会)」へ、秋の一日訪問予定者や、年末訪問の予定者などを報告しておく。忘れないうちに確実に処理する。

 

 それから銀行さんに寄って通帳記載やら支払い確認などをやっておく。ご隠居さんでもなんだかんだの雑用が多いのだ。

 

 で、プロトタイプ、テスト版の印刷テスト。右からカラーの両面印刷、つぎにカラーの片面印刷版、ついで左にモノクロの両面印刷、左端がモノクロの片面印刷版。こうしてページあわせや体裁確認をする。こうして、どれが一番見やすいか読みやすいかを比較検討する。

 

 カラーの両面印刷だと、こういう感じの仕上がりになる。その分、薄っぺらな本になってしまう。表紙だけを厚い用紙に印刷してみようか。などと。

 

 今日もカレーなんだと。奥方はメニューに困るとカレーにしてしまう。だから、今日もサンマの味噌煮と野菜たっぷり・おろしカレーうどんにした。野菜サラダ付きである。

 

 夕食もカレーと肉じゃがだとメモ書きにある。今夜も帰りが遅いのだそうだ。奥方元気で留守がいい。

 

 朝夕はめっきりと涼しくなってきて、ススキやリコリスが元気になってきた。でも、朝は長袖、昼間は半袖、夜になったらどうしよう・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「「なぜ生きるか」と悩むよりも、「どう生きるか」を考えて行動する。」というもの。後は余分だ。「人はなぜ生きるのか」、「わたしはなぜ生きるのか」と問う姿勢も尊いが、そんなことよりも、「人はどう生きるのか」「私はどう生きるのか」を問うべきではないかと小宮さんは言う。船はなぜ走るのかと考えてみたら、さまざまな答えが出るだろう。でも、船はどう走ればいいのかを考えてみたら、目的港、母港を目指して走ればいいのだと見えてくる。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


凜として生まれて伸びて曼珠沙華

2020年09月13日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、湿った空気の影響で曇っていたが、夕方からは高気圧に覆われて晴れるらしい。気温は25.0度から29.1度、湿度は94%から68%、風は3mから5mの西の風が少しばかり。明日の14日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるが、朝から昼過ぎにかけては湿った空気の影響で曇る見込みなのだとか。

 

 101/56/78 36.1c-96% 59.8Kg 24.5c-70%-1010hPa 身体はなんともない。これまでの、あのおなかの張りはなんだったんだろうと思う昨今。まるでおなかの中に宇宙人でも住み着いたのではないのかと思える毎日だったが。

 

 4時半起きで6時から朝食。充分に時間はある。6時半には我が家を出て「山の神さん」に向かう。

 

 みんなで境内や参道の落葉かきをする。ここには不思議と雑草は生えない。落葉だけを集めたらきれいになる。さっぱりとする。

 

 「村の総出で」と言っても、これだけだ。自治会の総会員が9軒、うち1軒は足が悪くて参加できない。そこで8軒、8人での掃除と秋祭りだ。ここに並んで居る石積みがあるが、拝殿跡の礎石である。ここができたのは文化文政年間 (1804~30) で、江戸幕府 11代将軍徳川家斉が、将軍職を家慶に譲ったのちも大御所として幕府の実権を握っていたころである 。

 

 娯楽のない時代には人々の信仰心も厚く、ここでお籠もりしては日常の憂さを晴らしたり情報交換をしていたらしい。今、ここにいる人たちは、ここが何であるのかさえ知らないで育ってきた。

 

 7時集合が、6時半には集まってお掃除を始めて、7時には祭礼も終わった。祭礼たって、長老が代表して二礼二拍手一礼しておしまいである。形ばかりに「洗米」と「塩」をつまんで「神酒」を少しばかりいただくばかり。それが終われば解散になる。あっさりとしたものだ。

 

 私は、さぬき市から振り込まれた金額で、市の商品券を買って、それを80歳以上のお年寄りにお届けする。500円券が三枚入っている。

 

 それを、私なりに和紙で包装しておいた。それを三軒の三人にお渡ししてきた。

 

 帰ると早速に実績報告書を作成して送り返す準備をする。なにせ、公金だから収支報告書やら領収書の添付が義務付けられている。我が集落は少なくていいが、大きな自治会になると数十人にもなるらしいので大変だろうなぁとは思う。

 

 今日もあっさりとサンマの味噌煮とおろしぶっかけうどん小の冷やである。今日は炊飯器がご飯を炊き上げる前におうどんを食べてしまったので、ご飯ものはない。だから、夕食は早めの16時半過ぎになる予定。今日も奥方は「日勤」で帰りが遅い。

 

 来週は土地の神さん、田んぼの神さんの「地神(じじん)さん」の秋祭りで、2班が当番である。私はさぬき市の広報「さぬき」を配って、下半期の会費を集金する日になっている。

 

 午後からは「闘病記」の最終チェックの段階。「結論」「まとめ」も書き上げた。

 

 ということで、表紙もデザインできた。発行は10月10日。医大付属病院の看護師さん二人と、県立病院の内科担当のドクターとの三人だけに作るもの。私には下書き・校正用しか残らない。そういう「非売品」である。

 

 今日の掲示板はこれ。「おこないはおれのもの、批判は他人のもの、おれの知ったことじゃない。」という「勝海舟」先生の言葉から。これは維新後、新政府の要職についた勝や榎本を福澤諭吉が「痩(やせ)我慢の説」という著書で批判をして、二人にその著書を送りつけた。その時に、勝が福澤諭吉への手紙で述べた言葉である。原文は、「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存候」(世に出るも出ないも自分がすること、それを誉める貶すは他人がすること、自分はあずかり知らぬことと考えています)ということ。江戸開城を止めるために、上野のお山で彰義隊は命を捨てて戦っている最中、福澤は御殿山からその戦いを自分の弟子と一緒に傍観していたらしい。勝にすれば、「お前も曲がりなりにも武士だろう。命を懸けるほどの仕事をしてみい。学者気取りで偉いもんじゃなあ」というのが勝さんの本音だったものと思われる。批判をする方は簡単である。勝手なことを言っていればいいのだから。でも、批判されるほうは堪ったものではない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。 


朝冷えに逃げるとんぼを追ってみる

2020年09月12日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で雨が降るが、夕方からは曇る見込み。雷を伴う所があるらしい。気温は23度から29.9度、湿度は88%から66%、風は1mから3mの東南東の風が少しばかり。明日の13日のさぬき市地方は、引き続き前線や湿った空気の影響で曇り、昼前まで断続的に雨が降るらしい。雷を伴う所もある見込み。

 

 118/76/78 36.4c-96% 59.8Kg 24.6c-73%-1010hPa 体調に大きな変化はない。呼吸苦もなければ、おなかの張りもない。

 

 今朝も4時半からデスクワーク。例の闘病記も仕上げ段階で、校正も兼ねながら文章の推敲中。

 

 午前6時からが朝食タイム。今日は奥方は日勤だから18時半過ぎに帰宅予定。私の夕食は17時。お先に食べておくことになる。あの黄色い丸いものはトマトだという。あまり、おいしいものでもない。

 

 さてだ。約束のしめ縄は今日が締め切り日。天候は悪そうで稲の乾燥具合はまだまだ。それに稲穂がついたまんま・・・。この稲をどうしようかと思案中。

 

 うだうだと言うてないで実行実行。指で一本ずつしごいて脱穀する。稲穂を指で挟んで、しごいて稲を下の桶の中に落としていく。気の遠くなるような作業だが、やらないとしめ縄は作れない。途中、当番さんが会堂の鍵を採りに来たが、「大変やね」と言ったきりで「手伝おうか」とは言わずに帰って行った。誰も当該者でないと、この苦労はわからないし、自分の仕事だとは思わない。

 

 雨がぽつりぽつりと落ちてくるが、本殿の分くらいは作っておかねば・・と、とりあえずなわないを始める。ロープを作るのを「縄をなう」という。編むのでも組むのでもなくて、縄を「なう」のである。これが簡単なようでなかなかにこつがいる。

 

 雨が落ちてくるのだが、家の中ではゴミがするから外でやる。1mのロープを2本作った。本殿用と脇殿用だ。ものはついでだと、しめ縄柱用の4mのロープを作ってみた。

 

 去年のものと比べながら長さを足していく。4mで良いのだが6mくらいにはなっただろうか。長いのは短くできるが、短いものは長くはできない。

 

 こうして1時間ほどで、縄ができた。でもまぁ、なんと不細工な縄だこと。

 

 今度は、縄のヒゲを切る。ぴんぴんとした継ぎ穂や葉っぱの残りなんぞをハサミで切り落としていく。ライターのある人はライターの炎で焼くこともある。

 

 こうしてヒゲ掃除をすると、それらしくなってきた。これに「七本」「五本」「三本」のわらを垂らす。それ用のわらも作っておいた。それは明日、現場でわらに挟み込む。紙垂(しで)も当日に現場で飾り付ける。御幣もすでにできている。これで、私の宿題は全て完了。大きな雨にあわずに作業完了できてほっとしている。

 

 これが私の新しい「クラッチ」である。皆さんがお勧めの「ライトグリーン」にしたが、なんだか安っぽくは見えまいか。黒い方が重厚感はあったような気がする。ま、助手席の飾りに置くだけだから大丈夫と言えば大丈夫。まだ、これが必要なほどには不自由はしていない。だて眼鏡ならぬ「伊達ステッキ」である。

 

 奥方は困ったら「カレーライス」である。だから、今日は「野菜たっぷりカレーうどん」にした。野菜サラダ付きである。

 

 今日の掲示板はこれ。「追えば逃げるぞ赤とんぼ 待てばとまるよ竿の先」というもの。どこの誰の言葉かはわからない。幸せもお金も地位や名誉も健康も・・・そんなものかも知れない。追いかけている間は手に入らないが、ふっと、無心になったときに、「あ、ここにあったのか・・・」みたいにすぐそばにあったりする・・・。あのしあわせの青い鳥も、探している間は見つからないが、我が家に戻ってみれば、そこにいたりする。しあわせも似たようなものかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


そぼ濡れて一雨ごとの涼しさや

2020年09月11日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で昼過ぎにかけて雨が降ってきた。気温は24.0度から26.8度、湿度は92%から80%、風は1mから4mの東の風が一時は強かった。雷も時々鳴っていた。明日の12日のさぬき市地方は、引き続き前線や湿った空気の影響で曇り、夕方は雨が降るらしい。明日も雷を伴う所がある見込み。

 

 116/64/78 35.8c-96% 59.6Kg 25.4c-78%-1013hPa 体調は安定している。

 

 今日の朝食である。パンが切れたからと、今日はおむすびになった。「だから、お昼はおそうめんだけよ!」と言われた。多分、「これでご飯はおしまいよ、だからお昼はおそうめんだけしかないのよ」という意味らしい。で、自分は職場の仲間とランチ会に行くのだそうだ。ふ~ん。

 

 で、朝の間は「部外秘」のお仕事。誰も来ない間にお仕事を済ませておく。

 

 なんだかんだとの調査もの。お役所仕事は変わらない。私は平社員ばかりだったから、こういう作業の毎日だった。それを退職したのに、いまだに、そういうお仕事に追われているのだから皮肉なものだ。

 

 お友達の「大塚先生」が心配してはったが、今年の赤い羽根は紙のシールではなくして本物の赤い羽根である。多分、一戸あたり、一世帯あたり800円の募金になるらしい。募金だからいくらでもいいと言えばそれまでだが、それでは収拾がつかないから800円になったのかも。「知らんけど・・・(笑)」

 

 裏はやはりシールみたいになっている。針が危ないとかケガをしたとか云々あったのかも。知らんけど・・。

 

 で、今日も闘病記の仕上げ段階。原因の追及から問題点の抽出、対策の実施・検証まで来た。その証明もできた。後は結論、感想、評価・・・。

 

 だんだんと闘病記の形ができあがってきた。

 

 今日のお昼は、オーソドックスにすなおなおそうめん。おろしショウガも入れてある。

 

 表題も写真も入れ替えてみた。小難しい論文調の表題はやめにした。これは”ビーバー”という動物らしい。

 

 お昼前から雨になった。

 

 せっかく干して、いい塩梅になってきたのに濡れてしまった。これでは今日のお仕事にはならぬ。明日中には6mもの縄をなわないといけない。しめ縄作りは明日に回そう。

 

 今日の掲示板はこれ。「「できない」と「やらない」を混同しない」という大塚全教さんのことばから。大塚全教さんは大正7年広島生まれ、4歳で小児麻痺を患い、両手の自由を失い、昭和14年、大石順教尼に弟子入りした。
ご両親の心からの介抱で6歳には歩けるようになるが、両手は動かなかった。しかし、左手は肘から先は感覚が戻る。小学校に通うことはできたものの、その後は家で鬱々と暮らすうち、漠然と死を考えるようになった。そんな時、ひとつの新聞記事を見つける。両手のない尼僧が身体の不自由な人を引き取って絵を教えているという記事だった。口に絵筆をくわえて絵を書いている写真も載っていたと言う。その人こそ、明治38年に大阪の遊郭で起きた一家五人惨殺事件で、養父に両手を切り落とされた大石順教先生だった。
全教さんは順教先生に便所掃除を頼まれる。しかし、両手の使えない全教さんは「できません」と答える。順教先生は井戸に連れて行き、背中でポンプを押し上げ、脇に挟んで押し下げてみせる。しかし、勢いがないので、水はポタポタとわずかしか出ない。でも、水は汲める。次はバケツの水を運ばなければならない。左手の肘から先しか動かず、力が弱いため、持てるだけの水がバケツの底にたまったところで運び、便所にもうひとつバケツを置いておいて、それにあける。それをくり返すことによって、バケツ一杯の水が運べることを教わる。「あなたはできないと言うが、できないのではなくやらないだけ。やらなくてできるはずがありません。人間、やればできないことはない。できないとやらないを混同してはいけませんよ。」順教先生の言葉が身にしみて、目の前がパアッと明るくなったそうだ。私たちはとかく面倒なことは「できません」と逃げる。しかし、どうしてもやらなければならないことからは逃げられない。どうにかしてやらなければならないこともある。今の私だってそうだ。しめ縄を作れと言われて「できません」と言える間は良かったが、どうにも逃げられなくなると「やらなくてはならなくなる」。「できない」と「やらない」を混同してはならない時もある。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


稲を干す束の重さの実りかな

2020年09月10日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で概ね曇り、雨の降っている時間帯があった。気温は23.0度から29.7度、湿度は88%から74%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の11日のさぬき市地方は、引き続き前線や湿った空気の影響で断続的に雨となり、昼過ぎから夜のはじめ頃にかけては、雷を伴う所があるらしい。

 

 102/54/79 36.2c-96% 59.6Kg 23.8c-63%-1012hPa 全く体調に変化はない。食欲もあるし、歩けるし、階段も昇れる。息切れもないし動悸もない。

 

 今朝の朝食である。特段の話題があるわけではない。今夜も遅出だから先に食べておいてねという伝言メモのみ。若い頃から一人には慣れている。

 

 さて、午前9時になったから、隣町にある商工会の事務所に行ってきた。ここで「さぬき市共通の商品券」を買う約束をしてあった。こういう商品券がまだあるんだなぁと思いながら、これもお仕事の一つである。

 

 「敬老の日」というものが、今月の21日になっているようであるが、最近は行政による「敬老会」というものはなくなったらしい。いつごろからなくなったのかは知らないが、その「お祝い」ということでさぬき市から補助金が出る。それをお年寄りに配分するものらしい。この自治会では該当者が三名である。

 

 それが終われば、今日もJAさんの口座から預金を引き出してきた。「赤い羽根共同募金」である。自治会から各家庭にも募金が行われるが、今回は民生委員・児童委員としての募金である。

 

 ということで、民生委員分を社協(社会福祉協議会)に納めてきた。これは大川民児協の会計担当のお仕事である。

 

 これが、今年の「うどん県」の記念章である。今年はしっぽくうどんがデザインされている。

 

 自宅に戻ると会計帳簿の記帳をやっておく。あいだを空けると忘れてしまうのだ。物事をその場、その場で片付けないと忘れてしまうという年頃である。

 

 こちらが「大川地区民協」の会計帳簿である。昨日の「災害支援金」と、今日の「共同募金」の出費を記帳しておく。高校生の頃に「商業簿記3級」は受かったが、そういうものは役に立っているのかいないのか。

 

 その後は、この日曜日に「山の神さん」の例祭日なので、その準備である。私は「御幣」と「しめ縄」の当番である。当番というか専属みたいになっている。御幣を切ったり「紙垂(しで)」を切ったりする人もいなくなったし、しめ縄をなえる人もいなくなった。私だってできないのだが、YouTubeやホームページやらを参考にして作ってるだけだ。この竹を探してくるのも大変になった。

 

 近所のおじさんが稲を刈り取って持ってきてくれた。それが昨日のことだ。昨日からは曇や雨で、稲は乾かない。こんな状態ではしめ縄にはならない。ましてや稲の穂がついたまんまだ。それくらい、なんとかして欲しいもの。おじさんだって当番なんだから、自分のこととして考えてくれたらいいのにと不平たらたら。

 

 その山の神さんに行ってきて、しめ縄の長さや本数を確認してきた。この「しめ縄石」用が4m、正面の本殿が周囲1m、その隣の脇殿も1mという寸法だ。短いのは下手でもなんとかなるが、この4mというのは難しい。同じ太さにしないと見栄えが悪い。藁をねじる力がバラバラだと蛇がタマゴを呑み込んだみたいになってしまう。

 

 今日はしめ縄はできないから、「紙垂(しで)」と「御幣」を切っておいた。できることからコツコツと。小さなことからコツコツと。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生というのはものすごく大きな碁盤みたいなもので、最後の最後に石を置くまで勝負は分からない」という、上智大学の渡部昇一さんの言葉から。「80歳を過ぎてつくづく思いますが、人生というのはものすごく大きな碁盤みたいなもので、最後の最後に石を置くまで勝負は分からない。渡部昇一(上智大学名誉教授)『致知』2010年10月号 特集「一生青春、一生修養」から。
 碁は、高校生の時に、ほんのちょっと齧っただけだが、最後に並べ替えてみて、ほんの一目、半目の差で、勝ち負けが決まることがあるもの。物事も人生も、最後まで分からない、どんな環境になろうとも、あきらめる必要はない、ということである。私も何度かの命の危機を迎えたが、それが何の弾みかで、まだ、こうして生きている。「おまえは”死ぬ死ぬ詐欺だ”と言われたことがあるが、私が死を選べるわけでなく、私が「生」を選択した訳でもない。最後の最後の息を吐き終わるまで勝負は分からない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


コスモスや火曜三時の宅配便

2020年09月08日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は24.5度から32.0度、湿度は86%から52%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の9日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れるが、湿った空気の影響で昼過ぎから曇り、雨の降る所があるらしい。

 

 102/55/78 36.2c-96% 59.4Kg 27.6c-68%-1010hPa 今日も元気だ麦茶がうまい。

 

 今朝の朝食である。このキュウリは奥方の育てたキュウリである。サルにもカラスにも食べられずに残ったものらしい。我が家では貴重品だと、奥方は鼻高々である。

 

 今日は親戚のお葬式に参列してきた。しかしのかかし、お寺や仏教のことを書くと、あれこれと言う人が増えるのでこれには触れない。

 

 で、相変わらずの闘病記である。左の画面はブログから抜き出した闘病記だが、これでは、画像の右側が空白のままになる。そこで、右の画面は、右にテキストを流してから画像を貼り込む手法に切り替えた。つまり、最初から書き直している訳だ。この左の画像を、マウスでコピーしてきて、右のテキストボックに貼り付ける作業をやっている。もちろん、マウスは一個だし、キーボードも一個である。

 

 「暇な人やなあぁ~」と言うかも知れないが、どうせ人生は暇つぶしだ。そのヒマをどう潰すかが人の生き方だ。食べて寝て、それで終わりの人もあれば、あくせくあくせく働いて、それで終わりの人もある。

 

 一昨年の夏休みの自由研究は、「胸水滞留による心不全症候群に関する対策と社会民俗学的考察」だった。ところが、昨年から今年に欠けての入院で、全く胸水には関係がないと知れた。そして、全く心臓には関係のない「尿道閉塞」が原因だと突き止めて、外科のドクターにオペをお願いした。で、今がある。

 

 今日のお昼はこれ。塩鮭と椎茸のそうめんである。別に深い意味はない。たまたま、目の前にあったものを並べただけだ。

 

 今日はさぬき市の防災無線の電波試験の日である。名前がしっかりと「防災無線」とうたってあるのに、私は有線で、近くの電話柱から電話回線で放送するものと思い込んでいたら、「そこの地点では電波が通りません」と言う。そこで、もっとも電波状態の良い地点を選ぶことになったのだ。やはり、有線屋は有線のことしか頭にはないみたいだ。

 

 で、「ロフストランドクラッチ」の契約である。これは「デモ用」ということで、使用感を確かめるもの。これも、歩き慣れたら便利なものだ。

 

 これは、こうやって使うもの。この微妙な角度が有効なのである。妙な安定感がある。

 

 で、この「ライム・グリーン」を買い取りにした。レンタルだと月に100円らしいが、面倒だから現金買い取りにした。これは、デモ用とは少し違って、腕輪が半分しかない分、少しばかり軽くなっている。

 

 闘病記のメインになるお話はまとめることができた。これからの「考察」が難しい。医者が投げ出したものを、どうやって医学のお話にまとめられるのか。医者の悪口や批判や批評にならぬようにせねばならんし・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「満ち欠けに一喜一憂するわたし お月さまはいつもおなじだよ」というもの。昨年のAnカレンダーから。Anカレンダーというのは、「美馬ひろみ」さんが毎年発行しているカレンダーである。とかく私たちは物事の一部部分だけを取り出して、ああだ、こうだと言いたいもの。全体を眺めていれば、少しも変わったところはないのに。似たような言葉に、「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は変わらざりけり」というものがある。これは、幕末の政治家・山岡鉄舟が剣の悟りを得た時に詠んだ歌だといわれている(東京都神社庁『生命の言葉』三月)

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


酔扶養通夜に行く道揺れる花

2020年09月07日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は27.0度から33.5度、湿度は82%から64%、風は8mから1mの東南東の風が一時は強かった。明日の8日のさぬき市は、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 116/63/79 36.2c-96% 60.6Kg 27.2c-74%-1003hPa 体調に変化は全くない。

 

 普通の平凡な朝になった。取り立てての話題もない。毎日毎日のルーティーンである。

 

 で、相変わらずの闘病記である。お世話になった香川医大付属病院の看護師さんに、「元気になったよ」というお礼を言いたいために、そのお土産としての闘病記を急いでいるのだ。

 

 こういう誌面は、ブログをコピペ(複製して貼り付けて)したものだから、画像の横の空白が気になってならない。でも、これを最初から作り直すとなると、これまた大変だ。

 

 あれこれとやりながら、試作版を作ってみた。全体の流れとか、全体を通しての体裁のあれこれとかを眺めるために。

 

 こうして、表紙もできあがったし・・・、

 

 今のところ、ページ数は100ページほど。両面印刷すると半分になる。もう少しページ数が欲しいところだ。

 

 すっかりと秋の空になってきたが、昨日の雨のせいか、妙に生暖かくて蒸し暑い感じがする。

 

 今日もカレーうどんになった。温泉タマゴ付きである。最近はバッタかキリギリスみたいに野菜を食べる。

 

 魚やお肉はアレルギーがあって湿疹が出ると・・・と思うと、簡単には食べたくない。ただ、それだけのことで深い意味はない。

 

 午後からも似たような作業をやっていたが、なかなかに納得できるものにはなりそうもない。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分の辞書から次の言葉を消す。「ねばならない」「べきである」あなたは誰に対しても「ねばならない」負い目などない」というドミニック・グロシューの言葉から。ドミニク・グロシューは、仏ルーアン商業高等学院卒。情報通信とメディア論のDEA(専門研究課程修了証書)を持つ。’80年代に実業家として、またベストセラーとなった『ボス・ジェネレーション:成功するための方法』の著者として一躍時代の寵児となるが、交通事故に遭い数ヶ月の昏睡状態とリハビリを経験して人生観が一変。経済効果至上主義を捨て、新しい幸せの方法論を伝える本を、多数執筆している。邦訳されている著書に『バラ色の人生の送り方』(KKベストセラーズ)、『幸福の予感』(PHP研究所)などがある。『強い組織をつくるための小さなヒント』より

 今年の春、香川医大付属病院に60日ほど入院したが、「前にはこうしてくれたのだが」と言うと、「前は前です。今日はこうしますから」といい、「先の看護師さんはこうしてくれたんですが」と言うと、「私は私の方法で看護しますから」という。「でも、私は・・・」と言うと、「そんなことは、患者さんの考えることではありません」とぴしりと言われてしまう。この話は、それの逆のお話である。「でも・・」と言いかけるそのこころがそもそも間違っているのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


空仰ぐ布袋葵の優しい眼

2020年09月06日 | 自然ありのままに
 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、台風第10号が接近する影響で次第に曇り、夜には雨が降る見込み。6日夜のはじめ頃から強風や高波に、6日昼過ぎから竜巻などの激しい突風や急な強い雨や落雷に注意したいもの。夜遅くには雷を伴い激しく降る所がある見込みらしい。気温は26度から32.0度、湿度は90%から72%、風は2mから6mの東の風が強くなるらしい。明日の7日のさぬき市地方は、台風10号の影響で荒れた天気となり、明け方まで雷を伴い激しく降る所があるらしい。午後は高気圧に覆われて次第に晴れる見込み。

106/54/78 36.2c-95% 60.6Kg 25.4c-67%-1003hPa 体調に変化はない。
 
 今朝の朝食である。取り立てての話題はない。台風が接近しているらしいが、今のとことは何の兆候もない。静かでのどかな山あいの里の朝である。もう蝉の声も絶えた。
 
 朝一番ということで、近所の農家のおじさんを訪ねてきた。今度の日曜日に「山の神さん」というお宮さんの祭礼なのだが、そのしめ縄を用意することになっているが、肝心の「稲わら」がないのである。ちょうどやってきた弟にお願いしたけど、「ない!」の一言だった。
 
 山の神さんというのは、文字通り山全体の神様である。昔は食事の用意や風呂や暖房や照明の意味で「たき木」を山からもらってきた。仕事も伐採や材木の切り出しやらという「山仕事」も大きな山の恵みだった。そんな神様に対するお礼のおまつりだったらしい。今は、そんな必要もないので、単なるイベントでしかないが、そのイベントには、しめ縄や御幣なるものが必要になる。
 
 で、同じ集落のおじさんに稲わらを頼んだが、「そんなものはない」とおっしゃる。今はコンバインで稲わらは全て細かく切り刻んで田んぼの肥料にしてしまう。でも、無理にお願いして、生えている稲を刈り取って乾燥しておいてもらうことになった。
 
 その後は、「闘病記」の論文作成に戻った。「おなかが張る」ようになったのが平成28年の2月だった。その後、香川医大付属病院での第一次入院騒動があり、退院しても張りは治まらず、あれこれと治療したがどうにもならなかった。で、昨年の暮れの「第二次入院騒動」になった。
 
 でも、医大付属病院では「治療不能」「治療方法なし」で退院し、「死」を待つだけになった。その判断に異議を称えて、あれこれとした結果、令和2年3月27日に「復活」をすることができた。ここまでが文章になった。これからが本論になる。
 
 今日のお昼はこれ。「超もち生パスタ」というもの。「芳醇・和風きのこ」と書いてある。「電子レンジで「チン」して食べてね」との置き書きがあった。これに野菜サラダ付きであった。
 
 食事が終わったらすぐに、叔母の訃報が入った。私の親父の姉さんである。お通夜は明日、葬儀は8日のお昼だという。だんだんと親戚が減っていく。もう、直属は叔父(親父の弟)だけになった。
 
 お昼からは空が曇ってきて、細かな雨になった。まだ風はない。
 
 今日の掲示板はこれ。「阿弥陀仏と称える口で愚痴を言い」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。これまた、どこのどなたの言葉かはわからない。ご法座の席でお聴聞しながら「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・・」とお称なえしたその口で、お隣のおばあさんと愚痴の言い合いをする。よくあるお寺での一幕である。似たようなことばに、「墓参り 合わせたその手で 蚊を殺す」というものもある。私たちのこころというものは、そんなものなのである。
 
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。
 
 

青空はトンボのために透き通る

2020年09月04日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は湿った空気の影響で概ね曇っていた。夜のはじめ頃にかけて雨や雷雨の所がある見込み。気温は25.5度から31.5度、湿度は88%から82%、風は1mから4mの東の風が少しばかり。明日の5日のさぬき市地方は、引き続き湿った空気の影響で曇り、昼過ぎから夜のはじめ頃にかけて雨や雷雨となる所がある見込み。

 

 104/43/78 36.0c-93% 61.2Kg 25.2c-78%-1005hPa 昨日は水分を少しばかり摂り過ぎたかも知れない。暑いとどうしても熱中症予防とかで飲み過ぎてしまうのかも。我が家では水分摂取量とか排尿水量とかは記録していない。

 

 年寄りは早起きだ。朝の4時半から起き出してお仕事をする。ま、お仕事たって、一円の儲けにもならないばかりか赤字になるばかりのボランティアである。

 

 朝からたくさんのお手紙を書くものだ。気分が良ければタックシールなんぞで宛名書きもやるのだが、今日は気分が優れなかったようだ。

 

 奥方の切手ファイルだが、最近は小遣いが足りないのか、それとも飽きた物か、「使っていいよ」というので、切手は使い放題。ただ、5円や2円やら10円やらをパズルのように貼らないといけないのが面倒くさい。

 

 時には10円や5円くらいは多すぎることもあるが、他人様のふところだから気にはしないでペタペタと貼っておく。不足分よりも気分がいいではないか。

 

 それが片付く頃になって、ようやくに朝食ができあがる。奥方が寝過ごしたらしい。それで大慌てで出掛けて行った。

 

 当面の夏休みの自由研究である闘病記である。こうしたブログを参照しながら、これをコピペしながら、

 

 メインPCで闘病記をまとめてゆく。メインのマウスで、左のPCのブログの記事をコピーしてきて、メインの画面に貼り付けていく。

 

 二台のパソコンを一台のように扱って居るわけだ。当然、画面のスクロールやファイルの切り替えも一つのマウスで大丈夫だし、キーボードだって一台で両方を操作できる。

 

 で、そもそもの始まり・・・から始まって、香川医大付属病院に入院して退院して、すぐさま、県立病院に入院して退院して・・・。ここまでが1年4ヶ月。そこから、昨年の暮れの第二次入院騒動までの1年7ヶ月分をまとめてみた。2年と11ヶ月を駆け足で駆け抜けた感じ。

 

 まだまだ、台風のそぶりも気配もない。今日は「無停電電源」をパソコンなどに接続した。昨日のような突然の停電は心臓に良くないことだ。

 

 今日のお昼は、これまたマンネリみたいなおそばである。あっさりといただいてしまった。

 

 奥方はメニューに困ると、カレーかお寿司かである。そんなにたくさん作って誰が食べるのか・・・って聞くと叱られる。「そんな心配より自分の身体を心配しなさい!」って。奥方の職場の仲間のお弁当になるらしい。朝の朝食のミニトマトは、そのお返しだと思う。

 

 今日の掲示板はこれ。「お前が死んでも何も変わらない。だがお前が生きて変わるものもある」という「玄奘三蔵」の言葉である。玄奘三蔵と言ってもアニメ『幻想魔伝 最遊記』の中のお話である。どんなに生きるのが辛くても、死んでしまっては何も変わらない。辛いという気持ちから解放されるという考え方もあるけれど、それは嬉しさも楽しさも「全てなくなってしまう」ということを忘れてはならない。つまり、自ら命を絶ち、その場所からいなくなるということは「変化」ではなく、「消失」だということでしかない。生きてさえいれば変わることもある。どんなに生きるのが辛くても、時間が解決してくれることが世の中にはあるはずだ。人間関係が上手くいかずに辛い思いをしていたとしても、突然その相手がいなくなることもあるし、大きな悩みごとも時間が経ってみたら気にならなくなるなんてことある。もちろん、自ら進んで行動して自分が生きやすいように環境を変えていけるのなら、それに越したことはないが、時にはそっと身を潜め、機をうかがうしたたかさも必要かもしれないと思ったりする。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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