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まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

ひまわりも うなだれている 午後である

2019年08月08日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は25度から31.5度、湿度は88%から70%、風は0mから2mの東北東の風が少しばかり。昨夜も熱帯夜でドライモードで寝ていた。明日の9日の香川県は、引き続き高気圧に覆われて晴れるが、大気の状態が不安定となるため、夕方は雨の降る所がある見込みらしい。

 

 118/58/64 36.4c-96% 64.6Kg 1005hPa,25c,86% 体調に変化は無い。

 

 さて、昨日の観光ガイドの大窪寺班が秋に行うイベントのPR広告がまだ届いていないと叱られた一件。会長からさらに、私の所にはチラシ用の原稿しか届いていないが、どうする気かと追い打ちのメールが来た。会長に原稿を送ったのだから会長がやるべしと返事をしたが・・・。どうにも朝方の夢見が怖い・・・。

 

 そこで5時起きで、パワーポイントを開いてカタカタと原稿を打った。ものの30分もは必要ない。それを、そのままメールに添付したが、どうにもこうにも送れない。そこで、pdfファイルに変換して、さぬき市観光課と会長宛に送信しておいた。今度は間違いなく送信しておいた。

 

 朝方はけだるかったが、今日は第二木曜日。空き缶の回収日である。これを忘れると大変なことになる。一回では運びきれなくて二回になった。

 

 迷犬ごんは、「遊んでよ~」「散歩に行こうよ~」と喉をくんくんと言わせるが、それどころではない。

 

 最近、私の皮膚が弱くなったのと、血液サラサラ錠を飲んでいるせいもあって、そのあたりが真っ赤に染まる。腕や足や顔から血液がにじみ出るらしく、枕からシーツからパジャマから・・と。それらを早くに洗わないと取れなくなってしまう。そういうわけでお天気のいい日はお洗濯。

 

 それに、昨日、バタバタとしたせいか、メガネがない。たくさんあっても、これらは老眼鏡。車の運転にはまだまだ近視用のメガネが必要。そのメガネが見えない。昨日、民児協の定例会では外したのを記憶しているし、写真にも写っている。その後がわからない。

 

 メガネがないと車には乗れない。そこで午前中はお勉強することにした。

 

 こういう本ならば老眼鏡で読めるし、「ハズキルーペ」でも読める。読むと行っても、「笈摺・白衣」に関することがらだけ。今はそれだけ。

 

 こういう人たちが、室町時代からいたらしいという。でも、江戸時代後半の「真念」さんや「澄禅」さんらは、こういう衣装には全く触れていない。ということは、それまでに廃れてしまったということなのか。江戸時代から明治大正に至るまでのお遍路さんの姿に、こういう「笈摺」は見られない。

 

 これは、はてさて?四国八十八ヵ所としながら、「四国二十一度」とは、これいかに。

 

 「今日のお昼はおそうめんよ~」と言うていたので、冷やし中華風のそうめんにしてみた。いつもは、ダイエット風に、半分だけにして、あとは「迷犬ごん」用に残すのだが、今日はおいしかったのか、完食してしまって「ごん用」のご飯はない。

 

 今日の掲示板はこれ。「あるがままに生きる ないがままに生きる」という荒了寛さんのカレンダーの中のことばから。全てのものは、ああしよう、こうしようという主体性をもって生まれて来たわけではなく、「自然に」生まれて来たのである。全ての対象は自分も含めて観察するべき対象というよりも観察されるべき対象と言えるかもしれない。観察できる主体はどこにもない。あると思っているだけである。日本人は自然にまかせて、 あるいは自然と同化してあるがままに生きるということを脈々と実行してきたのではないだろうか。また日本文化に大きな影響を与えた仏教の縁起説では(物事の発生と展開)において、全てのモノに「自性がない」ということがある。そんな難しいことを言わなくても、あるだけの食材で生きる。なければないで、なんとか食べて生きるのである。今の現代に於いては、なかなかに、こういう生き方は難しいのだが、要するに「財布の中身と生き方」とは関係するように思う。財布の中に余裕があれば、「あるがままに生きられる」し、財布の中身がさみしくなれば、「ないがままに生きる」しかない。わが家の今月もまた、「ないがままに生きて行くしかない」のである。

 

 じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


撫子や 四国参りの 夫婦連れ

2019年07月23日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は朝方は晴れていたが、湿った空気の影響でやがて曇り、昼過ぎから夜のはじめ頃にかけて雨や雷雨となる所があるらしい。気温は25度から29.5度、湿度は88%から74%、風は2mから5mの西南西の風が少しばかり。明日の24日の香川県は、引き続き、湿った空気や上空の寒気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 116/78/84 36.4c-96% 64.8Kg 1006hPa,28c,66% 体調は相変わらずである。同じようなものを食べ、同じようなものを飲み、同じような生活をしていたら、同じような体調は続くばかりだ。

 

 という訳でもないが、今日は火曜日ということで、はるばるとはるばると、高松市亀水(たるみ)町にある瀬戸内海歴史民俗資料館にやってきた。通称「れきみん」である。

 

 ここの中庭に、このような道標がある。後ろの看板に書いてあるように「真念の道標」である。

 

 という道標である。大切な道標を、資料館に保存するのはどうかと思うが、これまた、大切な「資料」なのかも知れない。

 

 五色台の「根香(ねごろ)寺」の近くの山中にあったものである。歩き遍路は根香寺から打ち戻り、オレンジパークから山を下って岩田神社に向かって行く。次の札所は83番一宮寺である。

 

 本来、道標はその場所にあってこその道標であるが、道路事情とか宅地の改良とかで邪魔になって打ち捨てられることもある。これはさぬき市志度にある86番札所志度寺であるが、この山門向かって右隅にも道標があったらしい。それが事故か偶然かで倒れて久しかった。

 

 それがこの、武田徳右衛門の建立した道標である。「是より長尾寺へ一里半」と読める。

 

 その場所が、この納骨堂前で、ここにも久しく放置されていた。

 

 この面には、「享和元年酉八月 願主 豫州越智郡朝倉上邑徳右衛門」と刻まれている。この少し弧を描いている石材が、その昔、お堀にかかっていた橋である。お堀は、現世とあの世を遮る三途の川を意味していた。俗に三途川の名の由来は、初期には「渡河方法に三種類あったため」であるともいわれる。これは善人は金銀七宝で作られた橋を渡り、軽い罪人は山水瀬と呼ばれる浅瀬を渡り、重い罪人は強深瀬あるいは江深淵と呼ばれる難所を渡る、とされていた。その橋を意味していた。

 

 その道標が近年に納経所入り口前に移設されていた。

 

 これが志度寺の境内図である。ま、こういう移転ならば仕方あるまいというか、ありがたい移設であると言わねばなるまい。

 

 さて、今日は「大暑」。大暑は、二十四節気の第12。一年中で一番暑い時だとされている。現在広まっている定気法では太陽黄経が120度のときで7月23日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。期間としての意味もあり、この日から、次の節気の立秋前日までである。

 

 いよいよと、夏本番になってきそうな天気予報である。

 

 今日の掲示板はこれ。「斯(こ)う居るも 皆骸骨ぞ 夕涼み」という小林一茶の俳句である。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。文化七年、48歳の頃、「七番日記」執筆開始。帰郷して遺産交渉するも不調。11月、成美宅に滞在中、金子を紛失し、5日間足止め。「大江戸や芸無し猿も花の春」「故郷やよるも障るも 茨(ばら)の花」遺産相続で疲れた。故郷の人々は茨の花のように棘を刺す。「蝶飛んで我が身も塵のたぐひ哉」一茶は蝶に我が身を重ねることが多い。塵のようなつまらない人生だったか。「斯(か)う居るも皆骸骨ぞ夕涼み」こうやって生きてはいるが、死ねばみな骸骨だ。「ちる花や已(すで)におのれも下り阪」散る花のように、人生50を前に、何もなしえていないのにすでに下り坂か・・・。反省ばかりの一茶であった。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


愚痴もあり 言い訳もある 団扇かな

2019年07月22日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、湿った空気の影響で断続的に雨が降り、雷を伴う所があった。気温は25度から27.5度、湿度は80%から92%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の23日の香川県も湿った空気の影響で概ね曇り、昼過ぎから夜のはじめ頃にかけて雨や雷雨となる所がある見込みらしい。

 

 116/77/59 36.4c-96% 64.6Kg 1008hPa,26c,79% 体調に変化は無いがおなかが張るようで体が重いし、湿気の具合だろうか呼吸困難になる。安静にしていればどうということはない。

 

 さて、宥辨(ゆうべん)真念のことばかりで恐縮だが備忘録みたいなことである。高知出身の江戸時代前半の高野聖だが正式な僧侶ではない。大坂で活動し、四国を訪れて弘法大師が修行したと伝わる霊場を巡った。四国遍路の父とも、四国遍路中興の祖とも言われる。「四國邊禮道指南」「四國偏礼功徳記」など庶民に遍路を紹介する書物を表した。高松市牟礼町の洲崎寺に墓があることは先日にも触れた。

 

 その真念法師が四国には37基の道標を建てたとされており、徳島には11基、高知には5基、愛媛には9基を残し、我が香川には12基の道しるべを残している。だが、我がさぬき市にはわずか1基しか残されておらず、それが、この志度寺庭園内にあるこの道しるべである。(三豊1、観音寺5、善通寺2、丸亀1、高松2)

 

 「右 遍ん路みち 左 徒た(つだ)みち」「願主真念」と刻んである。

 

 こちらには、「南無大師遍照金剛」とあり、左面には、「為父母六親 摂津大坂西濱町 木屋○○」とある。

 

 ということから、「大坂西濱町 木屋半右衛門」とのことらしい。

 

 この、道標は、志度寺を南に進んだ旧道の交差点にあったと推定されている。赤丸から右(東)に進めば、「津田」の町であるし、下(南)に進めば長尾寺に向かう遍路道である。

 

 さて、昼食後、何気なくCATVを見ていたら、何やら見たことのある風景が飛び込んできた。ドローンが南から北、つまり、水源から津田の海に向かって飛んでいるらしい。

 

 津田川という2級河川(県道と我が家の間の溝のような部分)は、こんなにも狭い小川のようなものなのかと知らされた。我が家の西(左)には「みろく奥池」に向かう水路があり、さぬき市道がある。二階のベランダに屋根がついているから、最近の画像らしい。

 

 その頃、13時前あたりから、大粒の雨になった。

 

 雨樋からあふれた雨が噴き出して暴れている。空には稲妻が光り、雷鳴がとどろいている。まだ、県営大川ダムの放流サイレンもさぬき市からの避難情報も無い。

 

 そんな中でも、迷犬ごんは素知らぬ顔で寝ている。若い頃には少しの雷でも泣きわめいて、部屋に入れてくれと大騒ぎをしたのに、尻尾が濡れてもわからぬほどに寝入ってしまっていた。もう、すっかりと認知症が進んでいる様子。飼い主に似てきたのかも知れない。

 

 それでも、二時間ほどで雨はおさまった。そろそろ、梅雨明けだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「くらやみの中で 宝があっても つまずくだけだ」というもの。前川五郎松という人の、阿呆堕落偈(あほだらけ)から。闇と光について、いつかこんな言葉をお師匠様から聞いたことがある。「暗闇の中で宝があっても、つまづくだけやぞ。燈明(あかり)をつけてもらうだけや、何にも変らぬが、見える見える、見えると安心や」。と。暗闇の中では、宝物もご馳走も有り難い仏様も見えぬ。仏法を知らぬ者には経典も仏像も何も見えぬ。光という智恵を頂いてこそ、宝物やご馳走が見えるというものである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


ひまわりに 明日は東だと 教えられ

2019年07月21日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、湿った空気の影響により太平洋側を中心に雨で、猛烈に降っている所があったし、雷を伴う所もあった。気温は25.5度から29.7度、湿度は86%から69%、風は1mから2mの東南東の風が少しばかり。明日の22日の香川県は、湿った空気の影響で断続的に雨が降り、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 128/70/67 36.4c-97% 64.4Kg 1009hPs,25c,81% 体調に大きな変化はないが、体重が微妙に増加している。水分が体内に貯まりだしているようで、足がむくむようになってきたし、湿気のせいか運動不足か呼吸するのが苦しくなってきた。

 

 ということで外出する用事も無いし、出かける必要もないので、久々にポータルサイトの更新をしておいた。全く、一ヶ月ぶりだった。

 

 最近は体調が思わしくないので、講演会も法話会も法要の出仕もお断りしているので、取り立てての行事予定もない。あるのはゴミ出しの予定とか、民生委員のお仕事だとか病院の診察日くらいなもの。

 

 お昼からは、前山の活性化センターへの出勤である。今日は「ホームページ班」の勉強会である。梅雨らしく、雨がしとしとと降っていた。

 

 まずの話題は、「真念庵の再建問題」であった。高知県土佐清水市の市野瀬地区にある番外札所「真念庵(しんねんあん)」の老朽化に伴い、地区住民らが改築費用の募金活動を始めた。活動を知った県外の遍路経験者が全国の仲間に情報を発信するなど活動が広がっている。

 

 弘法大師像を祭っている約20平方メートルのお堂は代々住民が管理しており、約30年前に補修したが老朽化が進み、今年1月の地区総会で改築実行委を組織した。同規模での建て替えには500万円が必要というが、地区世帯数は26しかない。実行委員長の沖上芳幸区長(64)らは「年金生活者も多く住民だけでは難しい」と寄付を募ることにした。

 

 真念は江戸時代初期、ガイドブックに当たる「四国遍路道指南(みちしるべ)」を刊行するなど、遍路文化を広めた高野聖僧の一人。「公認先達・歩き遍路の会」の山下正樹会長(73)=奈良県=は「真念さんの名を冠し、番外札所の中でも重要な場所。こうした取り組みは広く薄く募ることに意味がある」として、全国の遍路仲間らへ情報発信を始めた。沖上区長は「皆さんの助けで広がりが出ている。建て替えに向けた力強い後押しです」と感謝している。

 

 さて、本題の「ホームページ班」の会議である。各班からの代表者が集まっての会議は、これまではパソコン用のHPだったが、最近はスマホが主流となっているためにスマホ対応として、各班からの代表がHPを更新できるようにという勉強会である。

 

 これまでは、私が一人、取材から写真からHPの更新作業とやってきたのだが、体調が思わしくないのと、若いパワーとみんなの力を合わせての更新作業となるようにと話し合っている訳である。

 

 こちらが、新しい試験用のHPである。現在のものと似たような構成になっている。ま、実験用のHPである。

 

 で、「JIMDO」というシステムを使って、ワープロ感覚で更新できる・・・というのだが、いろいろとメニューが多すぎて、何が何だかわからない。確かに簡単そうなんだが、どこの何を押せばメニューが出るのやら、どうすれば画像が取り込めるのか、さっぱりわからん・・・。

 

 ま、一ヶ月ほど、あれこれと試験用画面をいじくってみないと要領がわからない。いろんなことができるというのは、いろんな機能があるということで、それを理解できないと更新出来ないわけだ。

 

 これは、夏休みの大きな宿題になりそうだ。それはそうと、昨日の夕暮れに、「カナカナカナ・・」という「ヒグラシ」の声を聞いた。これは昔は夏休みが終わりそうな頃の寂しそうな秋の夕暮れに聞いたものだったが、まだクマゼミもミンミンゼミもアブラゼミも啼かないうちからカナカナが啼くなんて・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「5分間なら5分間でできる仕事がある。「これだけの時間がなきゃ、できません」なんていうことでは死ぬまで待ってもできない」という平山郁夫先生の言葉から。要は「やる気の問題」ではなかろうか。やりたくない人間は、「時間が無い」「暇が無い」「忙しい」とかのやりたくない理由ばかりを並べたがる。やろうとすれば時間なんぞ問題ではない。自分が釣りに行こうとしたら、どんな仕事だってやりとげて明日に備えるに違いない。自分がゴルフに行こうと考えたら、30分の仕事だって数分で片付けてしまうことだろう。とは言いつつ、「蒸し暑いなぁ・・」、「雨やなぁ・・」を連発しながら動こうとしない私がいるのだけれど・・・。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


蓮散って 経の一つも 出せぬまま

2019年07月20日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は湿った空気の影響で雨が降り、雷を伴う所があるらしい。気温は25度から28.7度、湿度は91%から74%、風は1mから4mの東南東の風が少しばかり。高温が予想されるため、熱中症など健康管理に注意するよう呼びかけている。明日の21日の香川県は、湿った空気の影響で曇り、未明は雨の降る所がある見込みなのだとか。

 

 114/48/58 36.4c-98% 64.6Kg 1012hPa,26c,68% 数字的には問題ないが、湿気が多いせいか呼吸が重たい感じがする。じっとしていれば問題は無い。

 

 ここは、屋島寺と八栗寺の間にある「洲崎寺」である。高松市牟礼町という場所にある。昔の源平の古戦場跡で、多くの負傷者が運び込まれた寺としても知られている。

 

 ここに、かの有名な「四国遍路道指南(しるべ)」の著者、高野聖だった「真念」さんのお墓がある。真念法師の墓は昭和48年(1973)牟礼町塩屋南三昧の共同墓地で発見され、昭和55年(1980)現在地。洲崎寺に移され整備されたもの。

 

 こういう碑もある。

 

 その中に、「(四国遍路は)惣じて足半(あしなか)にてつとむべしといいつたへたり。草鞋(わらじ)は札所ごとに手水なき事有て手を汚すゆへに、但草履わらうつにても苦しからず」と述べる。要するに「草鞋(わらじ)は手水なき札所もあるから、紐を縛り直したりすると手が汚れてしまう。草履(ぞうり)だと手が汚れない」の意である。足半は草鞋に比べると履きやすく、予備品としても手軽であった。よって長道中の四国遍路においては、足半草履で通すのがよろしいというのである。

 

 これが、その「足半(あしなか)草履」である。近年はまた、健康のために静かなブームになっているという。見ての通り、草履の後ろ半分がない。

 

 だから、かかとは地面についている。

 

 かの西郷さんも足半草履を愛用していたという。またこの草履は江戸期のみならず、令和の現在でも長良川(犬山)の鵜匠が用いている。水垢や魚の油で足が滑らないために履くのである。

 

 旅姿だと、どうしても足下は「草鞋(わらじ)」を思い浮かべてしまうし、昔はそうだったのだろう。でも、四国の道は悪く、便所もきたないし、札所によれば手水もないところがあった。そんなところで、わらじのひもを結んだり解いたりすると手が汚くなってしまう。

 

 そこで、草履(ぞうり)や、足半草履を勧めているのである。

 

 即ち四国遍路においてこの草履が用いられたのは、海浜の道、あるいは山の難所の岩道などで滑らないという効能も見逃せない。例えば現在でも、岩屋寺の奥の院の二十一段の梯子のように、一歩誤れば命を失う危険な所もある。江戸時代をふりかえると阿波から土佐にぬける難所をはじめと岩屋寺奥の院よりして、もっと多くの難所、滑落所があったと思われる。『四国八十八ケ所道開』の一節には、「……阿波と土州の国境、八坂坂中難所にて、八浜浜中又難所、飛石はね石ごろごろの、石の数々ふみ分けて……」と表現されている。

 

 ところが明治期に入ると四国路も大分開けてきたこともあり、足半草履よりも普通の草鞋が大半を占めた。また地下足袋も現れた。大正七年、高群逸枝は白地下足袋に草鞋をはいている。大正、昭和期では下駄も珍しくなくなった。それだけ道が開け、交通が便利になったのである。靴の普及もあった。

 

 なお、昭和二十年以前のころ(戦前)では、足半草履はすっかり廃れ、普通の草鞋が遍路道の随所に、いも、蜜柑などといった食べ物と一緒に吊って売られていた。その光景は地元の古老らには懐かしい想い出となっている。いわゆる無人販売所である。現在でも遍路の道筋に、季節の果物および野菜が売られている。

 

 今日の掲示板はこれ。「傲慢になったり卑屈になったり 一喜一憂している我が人生」というもの。いつもお世話になっている町内の善楽寺さんの掲示板にあったことばから。あの人の奥さんはきれいで優しそうだから幸せな家庭だろうなぁと、うらやんでみたり、あの人は大きな会社の社長さんだから優雅な生活をしているんだろうなぁと考えてみたりするけれど、他人より優れている人が幸せか・・・というとそうでもない。その人たちも自分と同じで、傲慢になったり卑屈になったり一喜一憂してるのである。世の中に幸せだけの人なんていないのだし、不幸だけの人もまたいないのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


長梅雨に カサブランカも 下向いて

2019年07月19日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は梅雨前線や湿った空気の影響で断続的に雨となり、雷を伴う所があったらしい。気温は23度から25度、湿度は92%から96%、風は0mから3mの東南東の風が少しばかり。明日の20日の香川県は、台風第5号周辺の湿った空気の影響で断続的に雨や雷雨となる見込みらしい。

 

 106/53/59 36.3c-92% 64.3Kg 1012hPa,25c,80% だんだんと体重が増えていく。トイレに行く回数はかわらんのだけれど。雨と湿気のせいで運動不足かも知れない。

 

 今日は終日雨だった。奥方もお休みだが、さすがに野菜畑には入れない。私のオバカ指数も高く高くなりつつある。

 

 さて、昨日の出前講座の時、前田ガイドが、この遍路の白衣はいつからこうなったのかを話していたが、その時に、昭和28年からの伊予鉄バスが遍路バスを運行しはじめてから・・・と話したのだが、いささか耳慣れない言葉に聞こえた。そこで再確認のために資料を調べてみた。

 

 一般的には、このように、「死に装束」だと書いてある。遍路が亡くなれば、死に装束のまま埋葬し、菅笠が天蓋になり、杖が墓標になると説明しているし、私たちもそのようにガイドしてきた。

 

 しかしのかかし、江戸時代前期の貞享四年(1687)に刊行された真念の「四國徧禮道指南」には白衣のことには触れていない。つまり、その頃には白い衣は着ていなかったことになる。

 

 その後に出た、寂本の「へんろ功徳記」にも出てこない。

 

 江戸時代には、普通の服装で旅をしていたことになる。

 

 大正10年の遍路でも白衣なんぞは着ていない。

 

 昭和28年に初めて伊予鉄が遍路バスを始めたが、まだ誰も白衣なんぞ着てはいない。

 

 これが昭和33年の伊予鉄おへんろバスである。ここに来て、全員が白衣姿になっている。つまり、おへんろバスによって、今の白衣姿が流行し始めたことになる。右端の二人は乗務員であり、中央左寄りの黒衣はお先達の住職さんである。

 

 だから、今日のこのスタイルは戦後の30年代から40年代ごろから定着したものと思われる。

 

 ただ、要素として、西国巡礼が使っていた「笈摺(おいずる)」が四国にも流入してきて、それが行者や修行者たちに及んだ可能性は考えられる。

 

 この背書きが変化して、「南無大師遍照金剛」になり、同行二人が定着したと考えられる。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分は手を出さないで 人のやったことに口を出すな」という荒了寛さんのカレンダーの言葉から。嫌と言うほどこの言葉の例を見て来た。自分は逃げてばかりで仕事にも企画にも参加せずにいて、私の成果に対してあれこれと口出しをする上司や同僚がいた。 私が成果をあげるとやっかみになったし、そんなものはおれにもできるさとうそぶいた。実際、支店長に言われて、やると言って手を挙げたら部長から電話がかかってきた!「やる言うたんか!勝手にやるんやな!」と一方的に言われて電話を切られた。なんとか友人らの努力により何とかなりそうになると、とたんに手のひらを返したようになった。『手柄は自分の物!ミスは部下のせい!』 そう言う人間に限ってそういう事を言いだしたもの。同じような格言は一杯ある。自分はそんな事をしないでおこうと思っていたが、それができないままに定年退職になった・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


三振も 空振りもある 梅雨さなか

2019年07月18日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は梅雨前線や湿った空気の影響で曇り、断続的に雨が降っていた。気温は24.5度から27.6度、湿度は92%から82%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の19日の香川県は、引き続き梅雨前線や湿った空気の影響で、雨や雷雨となる見込みらしい。

 

 120/81/68 36.4c-96% 64.2Kg 1010hPa,28c,88% 数字的に問題はないが、湿度のせいか呼吸が重たい感じがする。

 

 この前には「利剣名号」について調べたが、この文字阿弥陀如来は全くわからない。

 

 今日は、出前講座があるので、移動用端末を確認していたら、突然に自動アップデートが始まって、延々と2時間半、さらに再起動して再構築が始まってしまって間に合わなくなった。そこで、左側のノートPCを外して持参することになった。とんでもないときに、とんでもないことが起こるものである。

 

 で、左側の端末の試験をやってみたが、こちらは順調に動いた。

 

 お昼前からは大雨になってきた。洗濯物を取り込む間もなかった。

 

 お昼からは、さぬき市にある「介護老人保健施設」に出かけてみた。ここで、今日は出前講座ということで、四国遍路なんぞについてお話をする。

 

 会場に行ってみると、もう、すでにスクリーンやプロジェクターもPCも準備ができていた。これでは、私の出番がないではないか。講師は、大窪寺班の前田チーフガイド、ガイド歴10年の大ベテランである。

 

 聴衆は、こういうお年寄りたちで20数名ほど。案外と元気で、質問にもすばやく答えてくれる。

 

 難しいお話だなぁと思ったが、ガイドが上手なのか、聴衆が賢いのか、お話がとんとんと進む。智拳印の結び方なんぞ・・・と思っていたが、

 

 指の体操みたいに、みんな、上手に結べるようになった。

 

 「西国三十三観音にお参りするのは何と言うん?」「巡礼!」「ほな、お四国参りは何と言うん?」「お遍路!」と答えるのだから、まるで予習でもしてきたみたい。あっという間に、90分、1時間半の出前講座は終わった。

 

 でも、だらしがないのは私である。出かける前にパソコンが自動更新を始めたし、左側のPCを持って行ったら、マウスを忘れたし、とっくに先輩が用意してくれていて出番がないし、帰り際には、車のキーがないと言って、施設長に大騒ぎして迷惑をかけたし。

 

 帰ってくると、洗濯物がずぶ濡れだし・・・。何か、梅雨入りした頃からオバカ指数が進行しとるみたい・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きている時間は現在しか無い。だから、いま、最高の生き方をしていれば、過去も全部良かったことになる」という芳村思風さんの言葉から。最高の一日、最高の一日を連続していったら、それを繋げてできあがった過去は、最高のものになることになる。板画家の棟方志功も、「一大事とは、今、ここのことにて候」と、生きている時間は、いま現在しかないと言った。だから、いま、自分が最高の生き方をしていれば過去も全部よかったということになるというのである。なんか、うまく、言いくるめられているような気もしないではないが、ひとまず、そういうことにしておきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。 


梅雨寒で 今年は蝉が 啼かぬらしい

2019年07月16日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、久々に夏が来たかのように晴れていたが、夕方からは気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇ってきた。気温は22.5度から27.3度、湿度は86%から76%、風は1mから2mの東の風が少しばかり。明日の17日の香川県は、梅雨前線が北上してくるため概ね曇り、昼過ぎから夜のはじめ頃にかけて雨や雷雨となる所があるらしい。

 

 103/58/58 36.4c-98% 63.6Kg 1010hPa,25c,78% 体調に変化はないが、健康体ではない。少し動くと呼吸が乱れるし、身体がなんでだか重たい感じがする。

 

 今日は7月16日だからと志度寺さんにやってきた。ここは四国霊場八十六番札所でもあるが、お遍路さんの姿はほとんどない。

 

 今日は、ご本尊十一面観世音菩薩と両脇士のご開帳の日だというのでやってきたのだが、お参りの人はごくわずか・・・。10時になったので本堂に入ったときは、わずか3人だけだった。

 

 10年前までは、このような「十六度市」というものが行われていて、農具市や植木市、お菓子やおもちゃなんぞの出店があった。それがやまってしまって、今日が十年目だということだった。趣味の多様化や娯楽の多様化、農具の変遷や少子高齢化なんぞのさまざまな事情が重なってのことだろう。

 

 それでも、10時からの法要が始まってみれば、バラバラとお参りの人が増えてきて十数人にはなっただろうか。でも、これでは露天も商売にはならんかなぁと思った。

 

 これが本尊拝観の記念品である。ミサンガのようなものは「金剛線」と呼ばれるもの。

 

 本堂内は「撮影禁止」のために、これはネット画像から。というか、数年前までは撮影可能だったのだが、一昨年あたりから、設備保護のために・・ということで、内陣への拝観も中止になった。開帳は同寺に伝わる「海女の玉取り縁起」にちなみ、藤原不比等の妻である海女の命日とされる旧暦6月16日に合わせて毎年実施。本尊は像高146センチのヒノキ材の一木造りで、脇侍の不動明王像、毘沙門天像とともに国の重要文化財に指定されている。

 

 これは、本尊裏手側に描かれた阿弥陀如来坐像である。この日には、小豆島からも大勢の参詣人が船で押し寄せてきたので、その目印に、裏の扉を開けば、この阿弥陀さまがお迎えしてくれるという仕組みだった。

 

 今、この扉を開いても海は見えず、小豆島も見えなくなった。ましてや、小豆島からの参詣人なんぞいなくなってしまった。

 

 こちらが「閻魔堂」で、ここも扉を開いていて特別開帳が行われていた。

 

 ここの閻魔さまは、頭上に「十一面観音」を載せている特殊なもの。16日は午前10時から法要が行われ、開帳は16日が午前11時~午後4時、17日が午前10時~午後1時。拝観料500円。両日は県有形文化財の閻魔(えんま)堂と奪衣婆(だつえば)堂も公開する。

 

 こちらが奪衣婆(だつえば)堂で、ここも公開されている。

 

 奪衣婆は、三途川で亡者の衣服を剥ぎ取る老婆の鬼。脱衣婆、葬頭河婆、正塚婆姥神、優婆尊とも言う。 多くの地獄絵図に登場する奪衣婆は、胸元をはだけた容貌魁偉な老婆として描かれている。奪衣婆が剥ぎ取った衣類は、懸衣翁によって衣領樹にかけられ、亡者の衣の重さにはその者の生前の業が現れ、その枝の垂れ具合で死後の処遇を決めるとされる。 奪衣婆と懸衣翁は、35日目の閻魔大王の裁判に陪席し、亡者が嘘の申告をできないようにしているのだそうだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「針を踏んで痛む足が蟻をつぶして平気だ」というもの。いつもの赤松先生のお寺にあったものだと記憶をしている。「クギを踏んで痛む足が、アリを潰して平気で、身勝手な被害者」というものが出拠だと思う。「アリを踏まずになんて、そんなことをいちいち気にしていたら 歩けない。それは仕方がないことだ」と思うものだが、その「仕方がない」「しょうがない」という自分の思いこそが、自分を正当化し、自分を中心にしてしか 物事を受け止めていない自分の身勝手さの象徴ではないかと言うているのである。人が生きるということは、多くのつながりの中に生きていて、他の人や動植物、自然にも迷惑をかけながら、しかも傷つけながら生きているのだということ、そういう自分の身の事実を見つめ直すことの大切さを噛みしめたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


お役目は これからだぞと 梅雨さなか

2019年07月15日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があった。気温は22度から29度、湿度は98%から68%、風は1mから2mの北北東の風が少しばかり。明日の16日の香川県は高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 109/54/60 36.4c-92% 63.4Kg 1005hPa,25c,75% 体調に変化は無い。

 

 今日は海の日。少し前までは大喜びで島の家に遊びに行ったものだが、最近は、そういうこともなくなった。海の日とは、元々「海の記念日」という民間での記念日だった。明治天皇が明治9年、東北地方を御巡幸(天皇が各地を回られること)されたのち「明治丸」という船にご乗船し、7月20日に横浜港に無事ご帰着された。それを祝ったものが「海の記念日」だった。それまでにも軍艦による御巡幸はあったのだが、天皇が軍艦以外の船に乗船されたのはこの時が初めてだった。そこで昭和16年、この日を記念し「海の記念日」が作られたのだった。

 

 讃岐の天候はこんなもの。なかなかに梅雨明けはしそうにもない様子。

 

 さて・・ということで、気分転換に香川県立図書館にやってきた。昨年はなんだかんだで来られなかったので、ずいぶんと久しぶりになる。

 

 今年も、セミの季節になったのだが、今日は気温のせいか、セミの声はまだ聞こえなかった。例年だとクマゼミのせわしない音が響き渡っている頃なのに。

 

 今日は、こういう「円形名号」というものを調べに来たのだけれど、どこを探しても、そういう記録や資料は見つからなかった。これは他に呼び方、読み方があるのだろうか。

 

 そういうことで、むなしく戻ってきたものだった。

 

 お昼からは昼寝をしたり、ケーブルTVで高校野球を眺めていたが、我が母校は、3-1で一回戦敗退となってしまった。

 

 青空が見えるようになると、一度は県営球場に出向いて、球場うどんを食べてみたいものである。

 

 その後は、18日の介護施設への出前講座の準備と確認をやっておいた。講師は、大窪寺班の前田チーフガイドが担当して、私は技術担当ということで、PCやプロジェクターの操作などを担当する。

 

 でも、お年寄りに、難しいお話をするものだなぁと思った。「阿弥陀定印」だの「来迎印」だのというのはお坊さんでもお勉強しないものだが。

 

 この調子だと、1時間半あまりにもなって、お年寄りは居眠りしてしまいそうかもしれないなぁと思ってしまった。

 

 今日の掲示板はこれ。「迷ったままでは生きていけませんが 迷っていることがわかると道は見えてきます」というもの。自分が、どの方向に進めばいいのいかがわからないと、その一歩が踏み出せないので歩けない。でも、右か左か、今日か明日か、朝か夕方かなどと、迷っている事柄がわかると、それを克服すればいいのだから一歩が踏み出せる。その迷っている事柄を探し出すことが先決問題だというのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


繋がれて 寝てばかりいる 梅雨の犬

2019年07月05日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は22.5度から26.8度、湿度は88%から73%、風は2mから3mの北東の風が少しばかり。明日の6日の香川県は、引き続き気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇るらしい。

 

 116/77/60 36.4c-95% 62.4Kg 1003hPa,24c,82% 数字的には問題ないが、されど健康体ではない。

 

 そうは言うてても、芝生やガレージ周りには雑草が伸びてくる。これは充電式のバッテリ式の草刈り機。ペースメーカー対応である。これには切り刃がついていなくて、ナイロンロープで刈り取る仕組み。

 

 ナイロンロープ式だから効率は悪いが、軽くて簡単に操作ができるので、短い草はこれで刈り払う。でも、時間は10分か15分だ。この時期に草刈りはきつい。

 

 さて、再来週の18日に、介護施設へ出前授業に出かけることになっている。ま、お年寄りのお勉強会だ。

 

 弁士は、チーフ・ガイドの前田先輩。私は技術担当。PCの操作やプロジェクターの担当である。

 

 ま、基本的なことからぼつぼつと・・・。

 

 有名な高僧、チューラ・パンタカのお話も出てくる。

 

 ここで、先輩は、このような数字を出してある。その根拠は・・・ということで、いろんな本を調べてみたら・・・、空海さんが35ヶ寺、行基さんが28ヶ寺となっていた。

 

 ま、本によってもいろいろと違うらしい。総本山善通寺は空海さんがお父さんのために建てたのだが、開基は書いていない。それとか、なんたら天皇の勅願によって空海さんがお寺とした・・とかと曖昧な表現もあったりする。昔のことはわからんのだ。

 

 なんでもかんでも、古いものは「行基菩薩」にしておこう・・・と言ったかどうかは知らないが、案外とすくないなぁと思った。聖徳太子や鑑真和上の開基というのが1ヶ寺ずつあった。

 

 我が家のロータス・ポンド(睡蓮池)だ。

 

 全くのほったらかしだが、メダカが元気に泳いでいる。一時、ここに蛇が侵入していたので食べられたのかと思ったのだが、蛇が食べたのはカエルだったような。

 

 今日の掲示板はこれ。「 象は自分が大きすぎるとは 思っていない ペンギンは自分が飛べないのを 嘆かない ヒトだけだ 不平に不満に不安に不幸 自分を不の字で飾りたてるのは」という谷川俊太郎の詩の一節である。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。

 

 その後に、こう続く「だが生きとし生けるものの それぞれの姿が それぞれに美しいと 知っている人は 畏れとともに 喜びとともに 神のわざを 真似る」仏のわざも真似てみたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


四十雀 早く巣立てと 誘う親

2019年07月03日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、梅雨前線や湿った空気の影響で、昼過ぎから雨が降り、雷を伴って激しく降る所があった。気温は22.5度から24.5度、湿度は96%から86%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の4日の香川県は、梅雨前線や湿った空気の影響で明け方まで雨が降り、雷を伴って激しく降る所が見込みらしい。

 

 121/52/63 36.3c-95% 62.2Kg 1009hPa,24c,82% 数字的には変化は無い。やはり眠たいだけだ。

 

 今年は空梅雨だ、異常気象だと騒がしかったが、梅雨入りが発表されると連日の雨。四国の水瓶「早明浦ダム」の貯水率は100%になっている。

 

 雨は確かに降ってはいるが、瀬戸内海側は比較的おとなしい雨である。

 

 昨日、スズメの巣箱をお掃除してしまったら、我が家がなくなった・・・と、スズメが悲しそうにいつまでもたたずんでいた。ないものはないのだから、お諦めなされまし。

 

 我が家の庭に、こんなものが生えてきた。この時期になると生えてくるキノコの一種らしい。

 

 さて、昨日の「虚空蔵菩薩」に色鉛筆で色を塗ってみた。雨の日では出かける場所もないし、出かける用事も無い。

 

 虚空蔵とは宇宙のような無限の知恵と慈悲が収まっている蔵(貯蔵庫)を意味し、人々の願えを叶えるために蔵から取り出して知恵や記憶力、知識を与えてくれるとされているらしい。真言宗の開祖・弘法大師は虚空蔵菩薩の真言を100万遍唱えるという虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を行ったそうで、無限の記憶力がつき、仏の知恵を体得することができるといわれている。

 

 若き日の修行僧時代、室戸岬にある「御厨人窟:みくろど」は、修行時の住居として使われていたと伝えられている。 約1200年前の平安時代、青年時代の大師が悟りを開いたといわれる洞窟で、内には五所神社とばれる社がある。 “空海”と名前をつけたのも、ここから見える空と海に感銘を受けたからと言われており、ここで、虚空蔵菩薩が明星となって口の中に飛び込んだという伝説がある。

 

 上半身は丁寧に塗れたのに、だんだんと飽きてきたのか蓮台になると子供みたいな塗り方になっている。30分が限度だな。

 

 やはり、紫陽花には雨がよく似合うというものだ。

 

 シジュウカラの方は、しきりに親鳥が誘うのに、なかなか巣立ちをしようとしないヒナ。もう、そろそろ、旅立ちの時期ですよ。

 

 今日の掲示板はこれ。「雨の日も風の日も また悩む日も それがそのまま人生なり」と言うもの。一度かぎりの人生、くりかえすことのできない人生。その人生を充実感を持って生きるか空しさと淋しさを持って生きるかは、全て自分自身の責任であろう。「花の生命は短くて、苦しきことのみ多かりき」と言った小説家がいる。喜怒哀楽の交錯する人生であるが、思いおこされることは実に苦悩に類したものが多いように感じる。しかし、このことばには何かしら心ひかれる響きが感じられはしないだろうか。はかない青春の生命がかみしめた、ほろにがい甘さが感じられるように思った。苦しみは大切にしなければならない。悩みをそまつにしてはならない。雨にも風にも嵐にも、それぞれかけがえのない妙味がある。森羅万象、全てが私の人生を塗り替えてゆくクレヨンである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


梅雨半ば 色決めかねる 半化粧

2019年07月02日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は梅雨前線や湿った空気の影響で、昼過ぎまで雨の降る所があった。気温は22度から26.7度、湿度は94%から78%、風は1mから2mの南西の風が少しばかり。明日の3日の香川県は、梅雨前線や湿った空気の影響で雨が降り、昼過ぎからは雷を伴って激しく降る所がある見込みらしい。

 

 128/68/59 36.3c-96% 62.4Kg 1009hPa,25c,83% 数字的には変わりが無いが、気分的には眠たいし、おなかが重いような感じ。トイレに繁く通って、昼前には普通に戻った。

 

 こんな天気だから、皆さん、集まるのかなぁとやや不安げに前山地区活性化センターにやってきた。今日は、観光ガイド「大窪寺班」の例会の日である。いつもの会長や副会長などの事務局はお休みだったが、大窪寺班のいつものメンバーは集まってくれた。

 

 で、今日のメインは、10月のイベントで「仏画体験」をしてもらう予定なので、まずは、私たちが体験してみて、時間やどんな仏様がいいのかなどをやってみる日である。まずは先生の(西方寺さんの奥様)用意した「ほとけさま」を、カーボン紙を通して、色紙の転写する作業から。

 

 守り本尊なんて知らないから、阿弥陀さまではもったいからと、虚空蔵菩薩を選んでみた。これがまた、案外と難しい。用意してくれた図案の下にカーボン紙を置いて、赤のボールペンで線をなぞっていく。黒いボールペンだと、どこをなぞったのかがわからなくなるから。

 

 こうしていくと、なぞった部分が見えてくる。

 

 男性陣も無口になって、およそ1時間で下絵の転写が終わった。

 

 右の赤く見えるのが原紙で、それを複写した色紙が左。これを墨で清書するというのだが、それは時間的に無理。このままで色鉛筆で塗っていくのだが、私はここでギブアップ。右手がしびれてきれいな線にならないのだ。色塗りは後日・・ということになった。あと、準備するものの確認なんぞをやって、9月の最初の火曜日に現地の下見をする予定。

 

 「半夏生(はんげしょう)」夏至から数えて11日目。毎年7月2日頃から七夕(7月7日)頃までの5日間が半夏生となる。農家においては田植え終了の目安の日で、半夏生(はんげしょう)のころは、天から毒気が降るという言い伝えがあり、井戸に蓋をしたり、酒や肉を断ったり、野菜や筍を食べるのを控えたりする風習が各地にあったらしい。讃岐地方の農家では半夏生のころ、田植えや麦刈りが終わった労をねぎらう為に、うどんを打って食べる風習があり、それにちなみ「うどんの日」の由来となった。また同じような風習では「田に植えた稲の苗が蛸の足のように大地にしっかりと豊作になるように」との願いから、関西では「半夏生」の前に無事田植えを終えた農家では、蛸を食べる習慣があって、甘露煮、柔らか煮、酢だこ、天ぷらなどが作られという。

 

 だから、各地の神社などでは「献麺式」や高松市内では無料でうどんが振る舞われたりする。

 

 水辺に高さ60Cmほどに生え、半夏生(夏至(げし)から11日目。太陽暦では7月2日ごろ)のころだけ頂の葉の下半分が白くなり、白い穂状の花が咲く、どくだみ科の多年生植物をハンゲショウと呼ぶ。その葉っぱが、「半化粧」したかに見えるところかららしい。

 

 さて、ベランダの西側にある巣箱にはスズメの夫婦が住み着いていたのだが、ここ最近はスズメが近寄らない。毎日観察しているのだが、スズメは来ない。今日は、意を決して、この屋根部分を外してみた。

 

 いつの間に、こんなにたくさんの草を運び込んだのやら。案の定、中にスズメはいなくて、タマゴが5個、そのまんまで残っていた。無精卵だったのか、孵化しなかったのか。それで、スズメの親子は、お隣さん家のシジュウカラを育てているのか・・・。

 

 かわいそうだが、巣箱を清潔にしないといけないので、中身全てをゴミにした。放っておくと腐ったりカビが生えたりするのだそうな。

 

 今日の掲示板はこれ。「絶望のとなりには希望が(そっと)すわっている」という、やなせたかしさんのことばから。60歳過ぎてからアンパンマンがヒット。改めてすごい人生。病気や戦争で家族を失い、代表作を生めない日々が続いた。それなのに全然悲観的になっているように感じないのはなぜか。とても絶望しているようには思えない。たとえ経験がなくても、お願いされるとやってしまう性格だったらしい。そのおかげで仕事が仕事を、人が人を呼び、いろんなご縁がつながっていく。続けることと縁をつなぐこと。この2つがあれば、きっと思わぬ形でも何かしら実を結ぶのだろう。人生を満員電車に例えていた表現は分かりやすかった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


妻の弾く ピアノはダリアを 染めていく

2019年07月01日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は梅雨前線や湿った空気の影響で曇り、昼前まで雨が降っていた。気温は23度から27度、湿度は98%から76%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の2日の香川県は、梅雨前線や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎまで時々雨が降る見込みらしい。

 

 116/66/73 36.4c-96% 61.2Kg 1002hPa,28c,74% 体調に変化はないが、猛烈に眠たい。今朝方は疲れもあってか午前4時半に起きただけだったのに、なぜか眠たい。

 

 今日から「文月:ふづき」七月である。だからどうした?という話もない。ただ、これから夏になるんだなぁという気分にはなった。

 

 これは、日々の血圧や脈拍、体重なんぞを記録したエクセルシートであるが、これを更新しても記録しても、元に戻ってしまうという現象が起きている。今朝、7月1日の血圧や脈拍数なんぞを記録したはずなのに、6月28日のまんまである。昨日も一昨日も記録したのに消えてしまう。私がお馬鹿さんになると、パソコンまでもがおバカになってしまう。

 

 で、今日も雨である。それに奥方がお休みでもある。「♪雨は降る降る~まほろば精舎に~情け無用の雨がふる・・・」

 

 明日は、観光ガイド「大窪寺班」の例会がある。その準備なんぞをやっていた。雨だからと言って寝てばかりもつまらない。

 

 秋のイベント用のチラシの修正もやっておいた。

 

 それをメンバー数分、印刷しておいた。修正箇所の確認用である。

 

 それと、今月中旬の出前授業用のスライドの準備もやっておく。リハーサルはやらないでも大丈夫なんだろうか。

 

 お昼前、「ごはんですよ~」というので、台所に降りていくと、奥方のお休みの日はおうどんだった。「ご飯じゃないねぇ」と言うと、「ご飯ですよ」と言う。

 

 私は、「ご飯」というと、米の飯を連想する。おうどんはおうどん、ラーメンはラーメン、おそばはソバである。うどんをご飯とは呼ばない。

 

 最近、気になるのが中井貴一の「サラメシ」である。サラリーマンの飯らしいが、ソバだってなんだって、「サラメシ」なのである。サラソバとかサララーメンとかとは言わない番組である。

 

 お昼から、外が騒がしいと思えば、道路脇の草刈り作業をやっている。そうそう、七月になれば、市内の建設工事屋さんが動員されて国道県道市道の草刈りをすることになっている。「道路清掃月間」みたいなことらしい。これは香川全域で行われているが、全国でもやってるんだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「平等を願いながら平等を嫌う私がいる」というもの。たぶん、いつもの赤松先生のお寺にあったものだろうと思う。私たちの世界は、三途の世界を越え出て、平和、平等を願いながら、なぜ、あいも変らずの戦争、殺し合い、憎しみ合い、また差別 、排斥、排除、誹謗中傷が続くのだろうか。私たちは平等を心底、願っているのだろうか、希望しているのだろうか。それとも、平等を心底、嫌っているのだろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


梅雨空は 嬉しくも無し 亀の首

2019年06月26日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、昼過ぎからは雨や雷雨となる所がある見込みらしい。気温は21度から29度、湿度は90%から84%、風は1mから4mの東の風が少しばかり。明日の27日は、熱帯低気圧から変わる台風が四国付近を通過する影響で雨や雷雨となり、夕方から夜のはじめ頃にかけて激しく降る所があるらしい。

 

 107/56/72 36.4c-96% 61.6Kg 1013hPa,25c,70% 体調は安定しているが健康体ではない。

 

 梅雨入りしようがしまいが、私たちの生活には一切関係が無い。ま、新元号みたいなもので、ものの区切りみたいなことで、大騒ぎしようがしまいが、私の体調には全く関係の無いお話である。

 

 さて、今月の初め、4日のことに、「秋のルンルン事業」を県の広報誌に掲載するのが6/9だと知らされて、慌てて事業を計画して、翌日の6月5日には会長宛にメール送信しておいた。

 

 ところがどうだ。昨日のことに、「大窪寺班の原稿が届いていないが・・」という電話が庶務担当からあった。送った筈だ、いや、届いていないのやりとりの中で、お互いのメル・アドが全く見当外れのものだったことが判明した。そこで、急遽、様式が送られてきて、それに記入して返信したのが今朝の早朝。

 

 聞けば、今日が県の広報誌の原稿締め切りの日らしい。そんなこんなで、朝から、わぁわぁと言うてた訳だ。

 

 そんなことよりも、私にはこちらの手続きのほうが最優先。

 

 毎月のことだで、手際よく記入して役所に向かった。そうそう、その前に、大窪寺の観光ガイドマニュアルと、おへんろ資料展示室のガイドブックの資料もメールで送信したのに届いていないので、USBメモリーに詰めて交流サロンの館長に預けるようにとの指示もあった。こういう時代に、それに逆行するような話ばかりだ。

 

 今年になってオープンした寒川庁舎である。

 

 ここの国保課で手続きを済ませた。

 

 これはさぬき市図書館の蔵書検索したもの。私の本が10冊、出てきたが、やはり、「四国遍路の闇と陰」は出てこない。被差別用語がふんだんに入っているからだろう。危ないかなぁと思ったがやはり・・なぁ・

 

 こういう本こそ、残しておきたい郷土資料なのになぁと思うのだが。

 

 この本もまだ、登録されていないのだろうか。

 

 納本制度だから、形になった物は公共の図書館には納本することが義務づけられているのだけれども。

 

 今日の掲示板はこれ。「乗れば人 歩けば車 邪魔になり」というもの。狭い道で自動車と出くわした時、自分が徒歩だったので、道を譲ると、あいさつもなく走りさった時、「なんてやつだ。本当に車は邪魔なものだ」と腹を立てるだろう。かと思えば、自動車で出かけたが、遅刻しそうになった。ところが、狭い道の真ん中をご老人が悠然と歩いている。どうやらこちらには全く気 がつかない様子だ。クラクションを鳴らしてびっくりさせてもと思い、結局イライラしながら後ろを付いていった。内心は「まったく邪魔だ、もう少し気をつけて歩いたらいいのに」と腹を立てるだろう。「済めば人 治れば病院 邪魔になり」会計が終わった患者は、もう他人。治った患者に病院いらぬ。とにかく、我々は「自分以外は全て邪魔」・・・なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


紫陽花は 勇気凜々 今を咲く

2019年06月23日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、昼過ぎからは雨や雷雨となる所があるらしい。気温は21.5度から24.7度、湿度は88%から76%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の24日は、上空の寒気や湿った空気の影響で概ね曇り、昼前から夕方を中心に雨や雷雨となる所がある見込みらしい。

 

 116/77/76 36.4c-98% 61.6Kg 1004hPa,25c,68% 体調に変化は無い。明日の予約診察日も順調に通過できそうな雰囲気。一方、天候は梅雨にもならず夏らしくもない日々が続いている。

 

 来週には、梅雨前線がついに北上を始めて活発化しそう。大雨のおそれもあるらしく、26日(水)は梅雨前線が西日本まで北上する見込みだそうな。湿った空気が流れ込んで、前線の活動が活発になる。九州から近畿は広い範囲で雨が降り、梅雨入りが記録的に遅れていた地方もようやく本格的な雨の季節を迎えそうだということらしい。

 

 さて、昨年の入院だなんだかんだで止まっていた作業が少しずつ動き出してきた。昨日は「さぬき市を歩いた山頭火」という本を4冊、印刷・製本できた。それに続いて、今日は、「島の乙女たちと四国遍路」という「島遍路」のお話やら、

 

 少し危ない、「四国遍路の闇と陰」という原稿も見つけ出して、印刷・製本できた。

 

 また、「新・塩飽小坂小誌」という本も印刷・製本できた。これらは、さぬき市立図書館への献本用である。我が家に置いてもゴミになるだけの書籍ばかりである。

 

 で、とうとう、「トナーガ ナクナリマシタ」というエラーメッセージが出たので、今日の製本作業はこれでおしまい。

 

 で、お昼前に、トレース台が届いた。トレース台と行っても、「なつぞら」に出てくるようなアニメーション用の立派なものではない。まさにタブレット端末みたいなもの。これを、USBケーブルでパソコンにつなぐと、LEDライトが点灯する。

 

 そこに原紙をおけばトレースができる。

 

 その上に、原図を置いて、さらに用紙を置いてトレースすれば、簡単に仏画が複写できる。これを彩色すればいいようになる。

 

 私の書いた阿弥陀如来図である。ま、最初だから、こんなものだ。

 

 これが、今日までの「まほろば工房」発行の「世界にこれだけの本」である。香川県立図書館にはこれ以外に15種類の本を納本している。最近は、国立国会図書館からは「納本しなさい」とは言わなくなってきた。

 

 今日の掲示板はこれ。「またひとつしくじった しくじるたびに目があいて 世の中少し広くなる」という榎本栄一さんの言葉から。生きていれば必ず過ちを犯すもの。言ってはいけないことを言ったり、やってはいけないことをやったり、間違ったり失敗することもたくさんあった。問題はそのあとで、そのあやまちをどう受けとめるのかである。居直ったり、ふてくされたり、他人のせいにしたり、責任転嫁したりして事実から眼を背けるのが普通のありかた。だれを恨むことはないのだし、身から出た錆なのだとあきらめるしかない。現実を引き受けたところにしか真実はありえない。過ちを通して学ぶこと、気づくこと、目覚めることは多いもの。あやまちを通して人間は成長するもの。一つのあやまちによって、人生が大きく変わることもあるだろうし、出世コースからはずれることもあるだろうし、失脚してしまうこともあるけれど、しかし世間の評価とか、社会的地位の高いのが良い人生ではない筈。どう、いのちを輝かせて生きるか、悔いない人生を生き切るかである。あやまちは人間を、人生を決めない。あやまちのあとが人間を、人生をきめるもの。仕事で失敗したことは、とり返しのつかない嫌な気分に陥るもの。しかし、そのことによって自分というものが照らされ、気づかされて、自分中心の狭い世界が破られてゆくならば、この失敗でこんなことが教えられ、学ぶことができ、却って人生の味わいが深まり、世界が広くなったと気づかされて、そこに少しだけ広がった世界が見えてくるというもの。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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