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まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

あやめ切る ハサミの音の 軽い朝

2018年05月11日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 東かがわ市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は9.4度から20.2度、湿度は88%から54%、風は1mから3mの東北の風が少しばかり。明日の12日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 朝の5時過ぎだっただろうか。院内放送で「コード・ブルー」が宣告された。「スタットコール! コード・ブルー! コード・ブルー! 担当者は全員何何号室へ集合!」みたいな男性の声で放送があって飛び起きた。けれども、廊下や病室には何の動きも声もない・・・。あれは、夢だったのか、訓練だったのか・・・。

 

 スタットコールは、病院内で起こる緊急事態を知らせるもので、緊急招集を行う総称である。 多くの場合は、患者さんの急変や蘇生処置等で緊急に人手が必要な場合に使われ、手の空いている医師、看護師等は診療科や担当に関わらず、その現場に向かうという事になっている。

 

 ちなみに、コード・ブルーは、患者さんの容体が急変した際の緊急コール。スタットコールの中でも最も一般的に使用されているものらしい。参考までに、「コード・レッド」は火災、「コード・グリーン」はテロ、「コード・ゴールド」は、臓器移植対象となる脳死患者の発生を知らせる緊急コール。「コード・ホワイト」は、病院内で不審者等が暴れたり、暴言を発する等のトラブル発生を知らせる緊急コール。主に警備員やガードマンを呼ぶ目的で、屈強な職員が招集されることになる。まぁ、必要かどうかだが、「コード・イエロー」は、患者様や患者様の家族の横暴(モンスターペイシェイト)等のトラブルを知らせる場合もあるようらしい。

 

 何か月も更新のなかった、このブログが更新されだしたわけは、この小さな機械のよっている。この装置を島の家の端末に接続したまんまになっていたのを、先日のお大師まいりの帰りに持って帰ったからである。

 

 この装置を、USB端子にさせば、インターネット回線に接続できるもの。これで、退屈な病院生活も暇がないほどに忙しくなっている。

 

 さて、何の苦労もなく自由に過ごしてきたけれど、「部屋代」の請求書が来た。一か月の「家賃」がこれだけだ。三食昼寝付きの美女看護付きだからお安いものだ。香川医大の請求金額もこれくらいだったように記憶している。取り立てての手術とか特別な薬をお願いしなければの話である。

 

 この右側の先生は朝食を食べ終わるとすぐさまに帰ってしまった。奥側のおじさんは、昨日のお昼に帰って行った。今夜からはまたも一人部屋だ。昨日だけでも数人の方が退院していった。残る私はいつになるやら・・・。

 

 お昼前に奥方が郵便物を届けてくれた。メインは、入院費用を銀行から出してきてくれたこと。そのほかに、車の税金が三台で36,000円、島の浄化槽点検費用が5,000円、それに、病院代が93,000だった。ま、想定内の出費にはなった。

 

 民生委員のお仕事がどっさりと。来週あたりにも外出か外泊をいただかねば片付きそうにもない。

 

 奥方が出金した通帳で、我が家の会計処理もここでやる。「まほろば工房・しろとり事務所」みたいなものだ。入院費用なんぞは保険金や市の高額医療費なんたらで帳尻合わせ。儲けにはなっていない。

 

 そうそう、今日は私の今後のことでの「カンファレンス」が開かれたらしい。この病院に入院して45日を過ぎた。そろそろ、私の処分を決めなければならない様子。この看護師さんが「チョンマゲ・ちょんちゃん」。前にも出てきたはず。

 

 こちらが、「私も出演させて~」と、出演依頼のあった、「あまがえる・はっしぃ」。

 

 はてさて、私の処遇はどうなったんじゃろうか・・・。ま、今日、明日の退院にならないことは明白である。

 

 私の担当看護師の「ショーボブ・はちねぇ」からの連絡がまだない。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生この先 何が起こるか分かりません。だからこそ1日1日を大切に、感謝の心で生きたいです」という西端春枝さんの言葉から。西端春枝(にしばた-/1922年-/女性)は、ニチイの創業者の一人として知られる元実業家、大谷派浄信寺副住職。 戦後、夫婦で行商などを行い、大阪で衣料品店「セルフハトヤ」を開店。その後、衣料品店「赤のれん」、卸問屋「エルピス」、「ヤマト小林商店」の4社が合併し株式会社ニチイ(後のマイカル)を設立。社長には夫の西端行雄が就任し、自身は人事部長や研修部長などを務めた。大谷派浄信寺副住職として講話活動なども行っているほか、大谷学園理事、商業界全国女性同友会名誉会長、商業界近畿女性同友会会長、日韓女性親善協会関西支部会長、雑巾を縫う会会長、自立人間をめざす会大阪名誉会長などを歴任。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp+致知)

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


芍薬を 切ったはさみが 濡れている

2018年05月10日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 東かがわ市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は10度から19度、湿度は76%から50%、風は1mから3mの北西の風が少しばかり。明日の11日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 これは白鳥病院のHPで見つけた昔の「しろとり病院」らしいが、ドクターによれば、当時は結核病院として設立されたとか。下側に国鉄の高徳線、その上に国道11号線が走っているから昭和初期のものかも知れない。関連の資料がないのでなんとも言えないのだが。私は、左上から右中央に流れる道路が旧国道で、ここをバスに乗って引田(ひけた)の町に向かったものだった。

 

 これが現在の写真で、下に見える道路が「旧国道」で、その上に、何段かの段丘が残っている。多分、その時のものと思われる段丘である。

 

 この部分であろう。今は山頂部は削り取られて姿は一変している。

 

 現在の航空写真である。うまく角度が合わせられなかった。なにせ、病院のベッド上でのお遊びである。

 

 私は、子供のころから、近くにあった「大川病院:現さぬき市民病院」に通い、成人してからは高松の日赤病院とか、わが社のNTT高松病院でお世話になったから、この病院のことは何も知らない。平成20年の冬、心不全で緊急搬送されたのがここだったもので、以来、ここでお世話になってきたが、そのころは、このような建物だった。

 

 ま、古い写真つながりということでこれ。女学校のようだが女学校ではない。昭和初期にのものと思われる写真だが、「手袋工場」の写真らしい。この町、東かがわ市の白鳥(しろとり)という町は古くから手袋産業の町として栄えてきた。

 

 明治時代の中ごろになると製糖業や製塩業が衰退し、それに従事していた人々は産業の衰退とともに、生活も苦しくなってきた。それとともに、歴代の高松藩主の手厚い保護と人々の信仰に支えられ朱印地として栄えた白鳥神社の門前町も、明治時代になると高松藩の保護がなくなるとともに特権もなくなり、その賑わいも失われつつあった。

 

 この現状を憂い、救済策を考えていた教蓮寺(東かがわ市松原)の住職楠正雄は、大阪で手袋製造を行なっていた棚次辰吉に相談し、教蓮寺境内で手袋製造を行なうことを決めた。明治32年(1899)に、技術の伝授や原材料の調達などは棚次辰吉が行い、資金は松原村村長であり塩田地主であった橋本安兵衛の出資により、積善商会(しゃくぜんしょうかい)が設立された。これが東讃地方における最初の手袋工場となったという。

 

 そのはじまりは、1888年、東かがわに住んでいた住職・両児舜礼(ふたごしゅんれい)と一人の女性との駆け落ちだった。現代のように当人同士の意思で結婚ができる時代ではなかった当時、2人は大阪へと移り住み、そこで生計を立てるために始めたのが手袋製造だったのである。

 

 その2人の事業を助け、拡大していくために、従兄弟の棚次辰吉らが経営に加わり、1892年、両児舜礼の病死後も、棚次辰吉がその意志を継いで事業を続けていくことになるのだった。

 

 東かがわ市の手袋づくりは、明治21年(1888)に両児舜礼がメリヤス手袋を製造したことを始まりとしている。その後、棚次辰吉が最初の手袋会社「積善商会」を設立し、本格的に経営がなされた。大正3年(1914)に勃発した第1次世界大戦特需で、香川県松原村(東かがわ市松原)出身者を社長とする大阪手袋株式会社と東洋手袋株式会社が相次いで設立され、産業としての基盤が確立した。次第に手袋産業が東讃地方の主要産業として発展してきたが、太平洋戦争中の戦時体制によって繊維統制が敷かれ、多くの企業が整理統合され、その発展が阻まれこともあった。しかし終戦後、昭和20~30年代には高度経済成長の波に乗り、ついに世界一の産地であったアメリカ合衆国を抜き、当地が世界一の手袋の産地となったのである。

 

 昭和63年(1988)には手袋産業100年を記念するハンドピア‘88手袋百年祭が行われ、更なる100年へのスタートを切っている。その後、いわゆるバブル景気の崩壊による長期不況や気象温暖化に対処する新技術・新商品の開発に努め、一方ではグローバル化に対応した海外生産体制の確立を図り、新しい地場産業としての環境整備がなされてきた。こうした努力により当市の手袋産業は、全国的なシェアを維持し続けている。これは多くの先人たちの努力や苦労の賜物といえるだろう。

 

 今日の掲示板はこれ。「他人がやると大悪党にみえるが、自分がやった時は必ずやむをえぬ事情がある」というもの。出拠・原典は不詳だが、「あの人、あんなことをやってる・・・。悪いヤツやなぁ・・」と思うことは多々あること。マイカーの灰皿をコンビニの灰皿に捨てて平然としている人とか、よさまのお墓を靴のまま、踏みつけたり蹴飛ばしたりして、さも、あたりまえのような顔をしている人とか・・・。でも、それが自分だったら、「これはこうだから、こうしたんだ・・」と、確かにやむを得ぬ事情らしきものを並べ立てる筈。自分さまが社会を汚し、世間を暗くしていることなどには気づきもしていないものだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


風受けて 開いたばかりの かきつばた

2018年05月09日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 東かがわ市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は13.7度から18度、湿度は89%から56%、風は2mから4mの北西の風が少しばかり。明日の10日は、引き続き高気圧に覆われて晴れるが寒気の影響で朝までは曇る見込みなのだとか。

 

 朝方は小雨が降っていたが、やがてにはすっきりと晴れてきた。今日もまた、ベッドで寝るにはもったいない日になった。

 

 朝方、頼まれていた、観光ガイドチームの新入会員さんの名札を作っていた。私はこうした雑用係である。ま、お役目があるというのはありがたいことだ。会に所属していても、何の用もなければ仕事もないというのはつまらんことだ。

 

 私のベッドは廊下側にあるので、廊下での会話はよく聞こえる。今日は、リハビリの先生が患者さんと話しているのを聞くとはなしに聞いていた。

 患者さん「あれ、あの葉っぱ、色が変わりよるなぁ~。枯れよるんかなぁ・・」

 コーチK「ほんまやなぁ。いろいろあるけんなぁ・・・」と、些細な話。

 昔、母が「若芽生え」とか「若芽立ち」とかと言っていたようなので調べてみたが該当するようなものはなかった。

 

 「そういう園芸品種で、成長すれば普通の葉っぱになる」とか、「そういう種類だ」とかで片付ける人が多い。しかしのかかし、いつだったか、NHKの子ども科学電話相談で聞いた話だが・・・。

 

 若い葉に含まれている赤色はアントシアニンとよばれる色素で、葉の細胞の中では主に液胞とよばれるところにある。それではなぜ、若い葉がアントシアニンをたくさんもっていて赤色に見えるのだろうか?若い葉は赤く見えるが、若い葉は光合成を進行させるための葉緑体を作り上げている段階で、まだ、太陽光の強い光、太陽光に含まれている紫外線による害作用を防ぐことはできない。ヒトが海水浴に行けば太陽光によって皮膚が日焼けでヒリヒリするが、葉も同じように可視光、紫外線によって生ずる活性酸素による害作用を受ける。若い葉はこれらの光による害作用を充分に防ぐことができないため、アントシアニンによって太陽光を遮り、葉緑体が害作用を受けないようにしていると考えられのだ(ヒトの皮膚の日焼けを防ぐための“日焼け止めクリーム”のような役割)。しかし、葉が成長して、葉緑体に太陽光の害作用を防ぐ機能が充分に発達すると、アントシアニンによって太陽光を遮る必要がなくなるためにアントシアニンはなくなり、葉が緑に見えるようになるのだそうだ。

 

 それと、まだまだ若い芽だから、「これはまだ食べてはいけませんよ」という、赤い危険サインでもあって、わずかながら毒素もあるらしい。植物というのもよく考えられているらしい。

 

 さて、五月も中盤に入って、来週には、運転免許証の「高齢者講習」を受講することになっている。それで、はたと思い出したことがある。

 

 最近、暇つぶしにパソコンばかりを叩いているせいか、キーボードや画面が見にくくなった。近い場所が見えにくくなってきたのである。そこで、眼科を訪ねてみた。すると、担当看護師さん経由で、担当医師の紹介をもらってくださいという。ダメもとで担当看護師にの「ショーボブ・やっち」さんにお願いしたら、いとも簡単に許可が出た。

 

 女性の髪形はよくわからんが、「おかっぱ」かと聞いたら、「ショートボブカット」だという。それは少しばかり長いので、「ショーボブ」と短くしたが、本人はよくわかっていないような感じ・・・。

 

 で、一連の目の検査をしてもらったし、瞳孔を開かせるという目薬を使うので、これまではやらなかった「眼底検査」もやってもらった。ここに入院しているのだから安全だ。

 

 これも参考画像だが、こういう写真で、眼底出血の痕跡はあるが支障なし。運転免許には支障がないとお墨付きをもらった。わざわざだと大変だが、ここにいる間に診てもらって得した気分。

 

 今日の掲示板はこれ。同じ町内にある善楽寺さんのお寺の掲示板にあったもの。俳句でなし、川柳でなし、短歌でもないし・・・と、調べてみたら・・・。真宗佛光寺派の本山『佛光寺』が毎月出している標語を集めたもの。全て八行。 幾つか分類されているが基本的には自分だけで生きているのではなく、生かされていることが謳われている。心を打つ、人生の糧になるような標語はなかったが、もう一度ページを捲って今の私の目に止まったのは「風薫る 五月 泳ぐ 鯉のぼり 泳ぐ ときは 向かい風」前に進む時は必ず抵抗があるものである。そう思えば抵抗のおかげで進むことができる。

 

 水の中を泳ぐ鯉は池などでゆったりと泳ぐ姿が印象的だが、空を泳ぐ鯉のぼりはいつも向かい風の中にあってその風を呑み込み、さらにその風が強ければ強いほど力強く泳ぐことができるのだ。なんともたくましい姿ではないか。強い向かい風に呑まれることなく、逆にそれを呑み込んで、さらに先へと進んでいくことができたらどんなにいいだろうと、鯉のぼりを見ていてそんなことを思ったことである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


雨となり ものも言わずに 山わかば

2018年05月07日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 東かがわ市地方は、低気圧や前線の影響で夜のはじめ頃まで雨が降り、夕方は雷を伴う所があるらしい。7日夕方まで急な強い雨や落雷に、7日夜のはじめ頃まで濃霧による視程障害に注意するようにとのこと。気温は16度から21.4度、湿度は86%から98%、風は1mから2mの東北の風が少しばかり。明日の8日は、南海上にある前線の影響で曇り、夕方まで雨の降る所がある見込みなのだとか。

 

 ここにいる限り、雨だろうが雪だろうが台風だろうが、何も心配することはない。大事なお仕事は終わったし、当面は大きなお仕事もないし・・・。その間を縫って、論文集を何部か印刷製本して、香川医大附属病院の看護師さんに送っておきたいのだけれど。

 

 さて、私の周辺ではああだこうだと言われているのだけれど、まだ、確定的な情報はない。担当ドクターは、胸水を抜きたいと思っているらしいが、執刀する外科部長は慎重な態度。私も、抜いてむ抜いても同じなのだから、確たる原因というかどうにもならぬまで放置しておきたい気分。

 

 今は胸水も、体重も、気分的にも安定している時期。胸水も増える傾向にはないので、このまま要観察処分ということでいかがだろうか・・・とお願いはしてある。

 

 こちらが、環(たまき)外科部長。外科手術はこの先生の担当になる。

 

 一方、こちらが、私の主治医で、私が命をお預けしている「日浦内科部長」。この方は胸水を抜きたい方針らしい。まぁ、どちらがどちらになっても、私はかまわない。すでに、ここにいる身だから「まな板の上の鯉」の気分。

 

 私の症状「心不全増悪(しんふぜん・ぞうあく)」の原因である。感染症・心筋虚血・コントロール不良の高血圧・合併症疾患以外は、それぞれに思い当たることばかり。私のほうにも責任があるのかもしれない。

 

 今はまだ、Ⅱ度状態。安全ではないが危険までもは到達していない。このままで、なんとかならないのだろうか。

 

 昔聞いた、不確かな話だが、おなかの水は抜くと増えてくるし、体力がなくなる・・・というようなことが、ついつい、頭の中を駆け抜ける。迷信かもしれないし、間違った話だったのかもしれないし。

 

 雨はだんだんと強くなってきている。明日のことは明日に心配すればいいか。

 

 今日の掲示板はこれ。「つまづいてころんで 腹をたてる人 悟る人」という荒了寛さんの言葉から。最近はクレーマーという人が多くなった。何にでもクレームをつけたがる人のこと。洋服から靴から食品から化粧品から・・・なんでもかんでもにクレームをつけて謝罪させて満足したり、金品を受け取ったりする。それで企業が倒産したり廃業に追い込まれることもある。が、一方では、そのクレームをただしく受け止めて新製品を作ったり対応のすばやさで評価されることもある。一つのことでも、どう、受け止めるかで、正反対の結果になることはしばしばあることだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


初夏ひとつ 暮れて明日が まだ見えぬ

2018年05月04日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 

 5月4日(金曜日)晴れ 111-58-72  36.2  99%  61.45Kg 

 今日もいい天気だが、全くのオーダーはない。点滴もなければ注射もない。採血もなければX線検査もない。私はここで何をやっておるんじゃろうかい・・とばかばかしくなる。動けないのならば仕方がないが足は自由だし歩行も問題ない。

 

 明日から「外泊」だもんで「外泊届」を書いて出してきた。明日の朝食からキャンセルだから早めに出しておいた。明日は午前6時出発の予定。途中、下の弟の家、綾歌町に寄るので、余分に時間をとっておいた。島行きのフェリーボートは限られている。早めに丸亀港に着きたい思いからである。一階の警備員さんに尋ねると、「夜間にここから出るのは自由だそうだが、入るには警備員の許可がいるらしい。そうでないと鍵があかないらしい。

 

 昼休みに、けぇず電機に行ってきた。マイ・体温計を買うためだった。ここでは、体温計は貸してくれるが、酸素計と血圧計は看護師さんのお役目というか、個人貸与までにはならないそうだ。そこで、マイ・血圧計、マイ・酸素計、マイ・体温計の三点セットをそろえてみた。明日からの島の生活用にも必要じゃないかと。

  

 こんな患者も珍しいじゃろう。そこまでの意気込みを示しておかないと。帰りに、緊急用のヘリポートを探したが見当たらぬ。うろうろしているとクラクションを鳴らされた。

 

 市内にある「白鳥動物園」に向かう車列の群れ・・・。みんな、GWの遊び場探しだ。狭い町道(現・市道)は車であふれている。あぶないあぶない・・。路地を抜けて病院に戻ってきた。

 

 今日は珍しく奥方が来た。ついでにくっついて、孫のなぎちゃんがやってきた。なぎちゃんのお目当ては「おこづかい」。おいおい、病人からお小遣いをせしめるのかい・・。「そういうときだけ病人だとは言わないで・・」とか。

 

「じいじは入院していてもお布施をいただいてるんだから・・・」と、奥方がいらぬ情報漏洩・・・。企業秘密だぞ、それは。

 

 そろそろと、明日の準備でも始めるとしようか。

 

 今日の掲示板はこれ。「晴れた日と 雨の日があって ひとつの花が咲くように 悲しみも苦しみもあって 私の人生が深くなる」というもの。

  「悲しみの意味」

   冬があり夏があり
   昼と夜があり
   晴れた日と雨の日があって
   ひとつの花が咲くように

   悲しみも苦しみもあって
   私が私になっていく
                   星野富弘

 「雨はイヤだ。」と言う人もいれば「恵みの雨」と喜ぶ農家の方もいる。病気をしたからこそ健康のありがたさがわかったり、空腹だからこそ、一つのおにぎり が最高のご馳走だと感じたり、辛く悲しい思いをしたからこそ、人のここころの痛みに寄り添えたりするように、悲しみも苦しみもあって私が私になっていく。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


花牡丹 悪も汚れも 知らぬまま

2018年05月03日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 5月3日(木曜日)晴れ 126-77-60  36.4  98%  61.40Kg 

  病院は今日から4連休モード。だから、看護師さんも4人か5人かの休日モード。それでも部屋替えとかでバタバタやっていた。

 

 いつだかに高松の病院に転院するとかで退院したおじさんがいたが、数日ほどで舞い戻ってきた。高松病院へは入らずに自宅で静養していたらしいが、庭掃除をしていて急に動けなくなって診察に来たら、即入院となって、元の病室の元のベッドで寝ている。

 

  私も似たようなものだなぁと、同病相憐れむ・・・という感じ。病名も同じで、「心不全憎悪」である。これを、ここの看護師さんたちは、「ぞうあく」と発音していた。医学用語的には「ぞうあく」なんだろうか。一般的には「ぞうお」なのだが・・・。

 

 改めて聞いてみると、「「しんふぜんぞうお」とは言いません。「しんふぜん・ぞうあく」です」と言われた。「ぞうお」よりも「ぞうあく」が業務用語らしくは聞こえるなぁ。

 

 そういえば、お正信偈にも「いっしょう・ぞうあく・ちーぐーぜー」だったな。「いっしょう・ぞうおー ・・・」とは読まないなな。

 

 懸案というほどのことでもないが、お大師まいりの人用に、歩きだと立石、江之浦、釜の越あたりを歩くマップを用意し、全体を歩く用に島全体のマップを用意した。それと、島の軽トラ用のガソリンと、私の車にもガソリンを入れて準備完了。

 

 この病院でも必需品のようなものが「心電図モニタ」である。赤・黄・緑の三本の電線が出た送信機で、ここでは、これをつけていて、ナース・ステーションで監視している。このため、患者の心臓に異常があればすぐさまにナースが駆け寄って来る仕組みになっている。

 

 一方、患者としては、病棟フロアから一歩出れば、電波が途絶えて行方不明になるので、すぐさま、捜索されることにもなるので、一階の売店や屋外に出ようものならすぐさま探知されてしまう。ま、電池切れとか、電極外れ・・・ということが多いのが実態。売店へ行こうが、屋外を散歩しようが捜索されることはまずない。

 

 その心電図モニターの電極から微弱な電気が流れていて、これが皮膚炎を起こしてかゆくなってしまう。医大も含めて、もうかれこれ、二か月、60日以上にもなるので皮膚炎はひどくなってきた。そこで、夜間は外して寝ていたが、最近は横着をこいて、わざと装着を拒否してきた。すると、「もう、いいです」というドクターの鶴の一声。今日からは心電図モニタなしである。

 

 普通の患者さんの場合、点滴が外れて、心電図モニタが外れたら「退院」なのだが、それはない。私の場合は、ここにいることが大事なのである。

 

 今日の掲示板はこれ。「それでいい それがいい あるがまま ないがまま」というもの。今、この時代の国家や個人に「あるがまま」を説くのはすでに無理なのだろう。ある状態の自分が「あるがまま」と思って暮らしていて、 それが行き詰まった場合、人にはそれ以上の逃げ場がなくなってしまう。「あるがまま」で駄目なら、どうやっても駄目だと思い込むだろう。「あるがまま」の虚ろさを知り、さらには「ないがまま」という人生の本質的「無意味」に触れた上で、仮に進むべき「一つ」を選びとらなければならないのだと思う。だからこ そ、例えば何かの役に立ったり何かを成し遂げることに人生の意味を感じる、という「仮の目標」が重要になってくる。しかもその場合、「仮の」と深く認識す ることが更に大切である。「仮の一つ」を信じて進むことを仏教では「方便」と云うが、それは人生そのものの虚構性に対する冷徹な眼差しの対極に生まれる、一種の熱気ではないだろうか?その熱気によって一途に進むのが通常の人生かもしれないが、それで挫折したら、また「ないがまま」というニュートラルに戻って 出直せばいいのじゃなかろうか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


藤の花 湿ったこころが よく乾く

2018年05月02日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 5月2日(水曜日)晴れ 115-68-75  36.4  100%  61.75Kg 

 今日の穿刺は延期。連休明けにまたもドレーンをやるらしい。同じことをやってもなあと思う。胸水を抜いても抜いてもだめなのだ。もっと、以前の問題だと思うが、ドクターは、それには「水分を控えろ」という一点張り。そうじゃないだろうと思えてならん・・・。

  

 今日も、論文の修正。追加をやって日が暮れた。

 

 昨日、銀行で通帳記載してから通帳が行方不明。車の中も探して探したが見つからぬ。あきらめて、再発行か、ごみを捨てた場所に戻ろうかと考えていたが、古い昔のものと思っていた通帳こそが新しいものだと判明、安堵、安堵の一安心。

 

 古い過去の通帳なんぞごみでもかまわない。それがまた、引き出しから出てきた。案ずるより産むがやすしみたいなことだった。

 

 おかげで何度も駐車場まで歩いて行って、いい運動にはなった。それに、リハビリで廊下を三往復したので3、600mは歩いた計算。

 

 はやてもなぎも、むすめたちも連休モードに入ったらしい。病院も明日からは4連休モード。しずかな夜になってきた。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生いい時もあれば悪い時もある 悪い時にはもうこれ以上悪くならないし、辛い時にはちょっと我慢していれば大丈夫」というもの。岡崎朋美(本名:安武朋美【旧姓:岡崎】1971年9月7日 )は元スピードスケート選手。都留文科大学特任教授長野オリンピック・スピードスケート女子500メートル銅メダリスト。所属は富士急行。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


吹き流し こだわりもなく 昼寝する

2018年05月01日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 5月1日(火曜日)晴れ 110-62-84  36.5  98%  62.35Kg 

 朝食を食べ、胸部X線検査を受けてから着替えをして出発。前山に着いたのは9時を過ぎて20分近かった。

 

  今日は定刻というものがない。みんなが集まれば会は始まるというくらいなもの。相変わらず、渡邊会長と中島先生は飯田家のデータ整理に余念がない。いよいよ、画像処理の段階に入っている様子。

 

 松原女史は総会の会計処理だなんだのと雑用をこなしている。猪塚さんや禮子女史もいたが、いつしか姿を消していた。いろいろと御用があるみたい。

 

 大窪寺Gは前田さん、寒川さん、お寺の奥さん水口さんと桝本さん、それに六車女史とフルメンバー。今年度の行事の創案作り。

 

 前田さんは子供相手のプログラムを強調している。それもやぶさかではないが、いかにプレゼンするか、アピールするかだと思う。それだし、介護施設の車いす参拝とか・・。安全面とか介護の問題がからみそう。

 

 有力なのが多和の護摩山伝説を訪ねての登山と天体望遠鏡見学のセットとか・・。

 

 今日のお昼も野菜の盛り合わせとひじきの山掛けという野菜ばかりのお昼。ダイエットにはいいかも。

 

 その後は島用のテレビ・掃除機、電球、ドアノブの購入やら、草刈り用燃料、かま、剪定鋏、手袋などや、飲み物。缶ビールに日本酒、麦焼酎、冷酒セットにウィスキーなんぞも。これで準備万端か。ついでにおつまみなんかも。食材は弟に一任。

 

 五日のフェリー便の予約も完了、帰宅の6日の予約もすませておいた。ただ、時間が問題だな。

 

 今日の掲示板はこれ。「こだわるな 心 空なり 吹き流し」というもの。これまた、どなたの言葉かわからない。分からないけれど、あちらこちらで見かけることば。吹き流しのように頭がなければこだわりも生まれない。私たちは頭があるだけ、こだわりが生まれる。この頭を空っぽにしてみたらどんなだろうかと思うけれど、なかなかにオツムもからっぽにはなってくれない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


つつじ園 声なき風が 二礼する

2018年04月30日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月30日(月曜日)晴れ 107-55-60  36.5  98%  62.25Kg 

 病人が入院をしているのに、毎日もは外出もできないので、今日は病室でおとなしく論文の整理をしたり、過去のデータを修正したりをやっていた。

 

 このあたりでは、「極早生:ごくわせ」という、超早場米を植え付けている。中には、讃岐でも「二期作」ということで、一年に二度のコメの収穫をする農家も出てきている。気候の温暖化もあるのかもしれない。

 

 本当は、香川医大付属病院を退院した時点で発行予定の論文だったのだが、何時迄経っても完治も退院もできないものだから、論文をまとめようにもまとめができないでいる。

 

 医大の看護師さんにお約束をしたのだから、四月発行予定が五月発行になるけれど仕方がない。

 

 一応、体裁は整ったので試験印刷も丁合わせもやってみたので、時期をみて医大の看護師さん用を仕上げて送らねば・・・。

 

 でも、なかなかに落ち着いた時間がとれなくて・・・。あれこれと雑用時間ばかりが過ぎていく。

 

 自分の時間なのに、自分では管理できない時間ばかりが過ぎていく。いよいよ、四月という時間が終わろうとする日。

 

 今日の掲示板はこれ。「不幸はすぐわかるが 幸せはなくしてからわかる」という、いつもの「荒了寛」さんの言葉から。普通に暮らしている時は、不幸だとは思うことはないが、特に幸せだと思う事もない。ところが、幸せを気づく瞬間がある。それは、なくした時である。「幸せはなくしてからわかるもの」なのである。なくして初めて気づいた幸せに、感謝するのである。あの時は幸せだったんだ・・・・と。健康もまたしかり。不健康はすぐわかるが、健康はなくしてからわかる・・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


植えられて 歴史を知らぬ アマリリス

2018年04月29日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月29日(日曜日)晴れ 113-61-60  36.5  96%  61.85Kg 

  今日は許可を頂いての外出である。今日は、さぬき市観光ガイドグループ(おへんろつかさの会)の年度総会である。私は一応、駐車場係と取材という形での参加である。

 

 7時半過ぎに病室を出て、途中のコンビニで小さなアンパンとコーヒーパックを買って、さぬき市前山の前山公民館に向かった。前山に着いたのは8時半前だったと思うが、早くも大野さんとか前田さんとか、常連さんが誘導をやっていた。

 

 総会は9時から始まったが、今年は会員さんの参加が少ないかなぁと思った。例年だと、駐車場がいっぱいになって、あちらこちらへと誘導をしたもんだが、今年は空きスペースが目立ったように思う。その分、会員さんの参加が少なかったように思う。ま、私がどうこう言う問題ではない。

 

 総会の頭取りをやれば、総会の流れは毎年おなじ。あとは受付ほかで待機していた。取り立てて、私の出番はない。

 

 9時過ぎに、記念講演のご講師の坂田知應先生がお見えなった。先生は、総本山善通寺善通寺派教学部長という、えらい先生らしい。しかも講題が「お大師さんと三教指帰」というものだから、私ら真宗学しかわからんものには、馬の耳に念仏だ。

 

 いつもは懇親会にも参加をするのだが、病院食以外は食べられない私には、少しハードルが高い。それだし、アルコールもだめだから、今年はいさぎよくパスさせていただいた。

 

 で、講演が始まるころから失礼させていただいて、私は自宅に戻った。今日のお昼は、スーパーで買った、新鮮野菜の盛り合わせと豆腐のそーめんである。なるたけ塩分のないものを選んだつもり。

  

 あとはブログの更新になったが、本文は毎日に書いている日記を流用し、コピー&ペーストで済むのだが、写真が問題になる。

 

  病室ではネットにつながらないので画像の準備ができない。病室の写真にも限度があって、実写ばかりも使えない。そんなこんなで時間があっという間に過ぎてしまう。

 

 今日の掲示板はこれ。「与えられた場所に生きる意味を見つけない人は、どこに行っても満足はない」というもの。「やりたい仕事が見つからない」とか、「こんな仕事をやるためにこの会社に入ったんじゃない」とか、そういう声をよく聞くのだが、目の前にあるものをまず はきちんとやるべきで、「生きる意味」とか、「仕事の意味」とかは人に教えてもらうものではなく、自分で見つけるしかないのである。自分の置かれている環 境に対して文句ばっかり言っていたって、何も解決はしないし、自分の人格を下げるばかり。だから、今自分にやれることをやる。自分で居場所を作って、自分 で生きる意味を見つけるしかない。シンプルだけど、生きてくってそういうことの繰り返しなのだと思うばかりである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


山吹の 花さわやかに 探墓道

2018年04月28日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月28日(土曜日)晴れ 91-45-87  36.3  98%  61.75Kg 

 最近なぜだか体中がかゆくてたまらない。背中のあせもみたいなものから始まって、足や手や首筋などもかゆい。医大から帰ってからシャンプーもしたし、身体も洗った。あと、ここでも一回、シャワーを浴びた。それでもかゆくて、夜中に寝られないで、「シャワー外出。」ということになった、

  

 朝食後、昼食までに帰院。

 

 こういう時間設定だとああただしい、シャワーを浴びるのがせいいっぱい。

 

 で、後はホームセンターめぐりと電気店巡り。あれこれと多くのものが並んではいるのだが、欲しいと思うものは、そう、多くはない。島用のテレビ。これもアナログ時代のものにチューナーを接続して使っていたが、どうやら本体がオシャカになったみたい。

 

 掃除機も、みんなが好き好きに使うものだで、パイプが折れてしまってガムテープで補強してある。誰かが余ったものを寄付してくれんかなぁと期待していたが、誰も相手にしてくれないので、新規交換ということになった。これも、みんなからのお見舞金から支出する。お返しはなしだ。

  

 で、シャワーを浴びてすっきりとして寝ようとしたが、やはり、寝るとなると体中がかゆくなってしまう。これはいったい、なんだろう・・・。

 

 宮本看護師さんが、「案外と、ニベアが効くよ」というので、それを買ってきて塗ったけれど、思ったほどでもなかったし、背中には塗れないからなぁ・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「どんなにつらい悲しみにも それにふさわしい幸せがきっとある」という、荒了寛さんの言葉かららしい。この後に、「いまが幸せと思わないと一生幸せになれない」と言う言葉が続く・・・。 こうして一日を大切に生き、揺るぎない座標軸を持てるようになれば、きっと満足できる人生と実感できるようになるのだろうか。しかしのかかし、それを毎日続けるには、強い精神力が必要なのではないだろうか。そんな力は無い私。まずは、その第一歩と考え、きょう一日をしっかりと生きていくことから始めていきたいと思ったことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


薄曇り たんぽぽ園でも 見てくるか

2018年04月27日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月27日(水曜日)曇り晴れ 107-50-60  36.3  98%  62.25Kg 

 昨日の運動がこたえたのか、身体が少し重い。重いけれど、体重は少しばかり減っている。やはり、少しばかりは運動も必要だなぁと、一階の売店へお茶を買いに行くついでだと、階段を下りて、階段を上ってきたが、少しばかり疲れた。そこをしっかりと薬剤師さんに見られた。

 

 午前中は雑用で無駄な時間を過ごしたように思う。ま、病院で何かをしようと思うほうがおかしいのかもしれない。かといって、寝てばかりいるわけにもいかないではないか。

 

 今日は、日浦ドクターの提案で、「カンファレンス」というものが行われて、担当医師、副担当医師、担当看護師から看護師長(婦長さん)、管理栄養士、リハビリ担当技師、薬剤師などに、奥方と私とで総勢10名あまりの会議。

 

 まず、ドクターが過去のレントゲン写真から現在のものまで映して、病状の変化や現状の様子を映して、このままだと退院はできないこと。五月の連休も最後の五日六日に一泊二日で島の家に行くことが了承された。

 

 五日は島の家の掃除、六日は、島の大きなイベントである「おだいしまいり」、「おせったい」の日である。この日、おへんろつかさ会も参加してお参りの予定。私はそのガイドとサポート役。ま、一本道だから案内せんでも大丈夫なんだけれど、肝心なポイントはガイドしなくては・・・。

 

 で、最大の宿題は、日浦Drのやってみたいことの切り札的なものが、「夜間無呼吸症候群」のマスクテスト。これだけは勘弁して欲しい・・と哀願したが、多勢に無勢だ。これは寝る前に装着すると、朝までこのままだ。夜中に数回はトイレに起きて廊下を歩くのに、こんな姿はみんなびっくりしている。

 

 ということで、今回は、このような家庭用の無呼吸検査キットなるもので実験をやってみた。本当に私は「無呼吸症候群」だから、胸水が貯まるのか・・??という試験である。胸水に関係ないなら、こういうものは装着しない。

 

 はてさて、実験の結果はこの週明けに発表だろうか。5月2日は胸水を抜く日になっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「言わないで後悔することが一番よくない」という吉永小百合さんの言葉から。言わないですむたくさんの言葉がある。だけど言わないとわからないたくさんの思いもある。言っても どうしようもない言葉がある。だけど言わないでいると少しも前には進めないこともある。言って後悔する言葉がある。だけど言わないで後悔する方がもっと悲 しい。簡単で難しいのが言葉。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね


夢抱いて じっと牡丹を みる遍路

2018年04月26日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月26日(火曜日)曇り晴れ 99-44-60  36.3  98%  62.5Kg 

 HDDがないというだけで不安でたまらない。HDDがあっても活用もしないし、とりたてて中身に用事があるわけでもない。あるものがない・・というだけの不安で、あればあったでどうしようにもないのだけれど。

 

 で、ついに、担当のなべさんにお願いして、そのままのかっこうで帰ってきた。病院のパジャマ姿のまんま、車に乗って帰ってきたが誰も私のことなんぞに注目する人はいない。

 

 昼からは気分がいいもので、三階から階段を下りてみた。降りるのは問題ない。一階で血圧とか酸素とかを測定ののち、吸う・吐く・吸う・吐くの呼吸で上がってみる。踊り場では呼吸を整えて、またも階段を、吸う・吐く・吸う・吐く・・・の呼吸で登ってみると、難なく三階まで上がることができた。

 

 それでは・・ということで、再度、階段をくだって登ってみた。ゆっくりだと階段も問題はない。

 

 戻ってきたところにリハビリコーチの木曽さんがやってきた。で、6分間ウォークというものをやることにした。当然、血圧・酸素などを計測記録してうえである。

 

 ここの廊下は63m。私の足で106歩。6分間でどれだけ歩けるか・・・だ。すると、普通に歩いて、苦しくなく楽でもなく、普通に歩いて、ジャスト一分で63m。だから、「はい、よろし」と言われたのは6回歩いた三往復ジャストだった。これは意外中の意外。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分の都合で他人を善人したり悪人にしたりはしない」というもの。とかく私たちは、自分に得をさせてくれる人は善人であり、損をさせる人は悪人である。相手が善人であるかどうかではなくて、自分にとってどうであるか・・。損か得かで善人にしたり悪人にしたりするかだけのことなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


薫る風 今日の荷物は 重すぎる

2018年04月25日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月25日(水曜日)曇り晴れ 114-59-70  36.3  98%  62.25Kg 

 朝、ドクターが、「今日は外出するんですかね・・」というので、「するんです・・・」と、渡りに船だった。「ま、いつでもいいんですが、胸の水を抜いておきたいもので・・」とドクターがいう。「そんなに溜まってるんですかね」と聞くと、「ええ、けっこう・・」という。やっぱり、胸水はたまってくるんだ・・・。こんなことでは連休にも帰れない。

 

 「ドクター許可済み」で外出届を書いた。銀行で当座のお小遣いと通帳記載。入院費用は掛かるが、お小遣いは減らない。病院にいると出費はしない。お茶代か自販機の飲み物ぐらいなものだ。

 

 四電のPR誌用のデータとして、私の著作の生データが欲しいというので、メモリーに移して郵送した。私の作品に「著作権」などはない。もともとが私のものではないし、私はそれを並べたり少し意見を書いたくらいなものだ。

 

 島の自治会長さんには、「英国士官レキ研究資料」を作るように言われていたので、送ろうとすると、原本がない。印刷・製本されたものは何冊かあるのだが、原紙がない。原紙がないと印刷するのに困る。製本したものを解体するかコピーするかだ。それもまた、面倒。

 

 病院に、このPCを持ってくるときに、「今更、レキなんか・・・」と、フォルダーごと消してしまったのかもしれない。印刷したデータがどこにも見当たらないのだ。私の人生、こんなことばかり。

 

 銀行にもよって、通帳記載してきた。何も働かないのに、出費ばかりが増えていく。ケーブルテレビ代、電話料金代(これもドコモのカード払いになった)、電気代、ガス代・・・。

 

 で、昔のレキ研究の資料なんぞが入った資料なんぞを郵送する準備なんぞをいている間に、大切な私の頭脳ともいうべきHDDを忘れて病院に戻ってしまった。医大では、PCもなにもなくても生活できたのに、PCだけあって、HDDがないというのは、何も映らないテレビだけがあるようなものでむなしいものだ。ましてやネットにつながらないPCなんて・・・。

 

  今日の掲示板はこれ。「かけがえのない自分の人生を そのまま受け取れない自分がいる」という、いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。二階堂行邦(にかいどう・ゆきくに)1930年、京都生まれの先生のお言葉である。『同朋』2002年9月号「真宗シリーズ」(東本願寺出版部)から。人はこの世に生まれた限りは、必ず死を迎える時が来る。誰一人として死を避けることはできないし、人生に代理人はあり得ない。しかし、私自身そうした人生 の無常性を感じながらも、どこかで自分だけは特別であり、例外であると思っている。いつも死を日常から遠ざけて、生に執着し続けている。代わってもらうこ とができない人生であるにもかかわらず、欲求ばかりが先行し、自分自身をそのままを引き受けることができずにいる。まさに「わかったつもり」でいることの 無明性から抜け出せない私がいるのである。私が「いつ死んでもよい」と覚悟をきめるものでもなく、思案をつけるのでもなく、かけがえのない人生にたいする まことの目覚めを持たない、あくまでそのような私のためにこそ思案をつけてくださった仏さまのお手回しにうなずき、ただおまかせしていくほかないと気づかされるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


藤の花 眺め続ける 人が居る

2018年04月24日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月24日(火曜日)曇り雨 119-49-80  36.3  98%  62.85Kg 

 眠剤の影響でもないのだろうが、トイレにはよく行った。で、また、よく眠った。

  

 この病院独自かもしれないが、四人部屋の場合、入り口から見て、奥側(窓際)右を、1-1と呼ぶ。その反対側左を1-2とよぶ。通路側右を、2-1、通路側を2-2とする。私は、その2-2にいる。通路側が出入りに便利だし、ほかの人の邪魔にならない。ただ、通路のあかりが邪魔だし、患者さんの出入りがわずらわしくもある。

 

 昨夜は、その1-2に新患さんが入り、今朝、オペがあるというので出て行った。オペが終わると個室に入る。今夜は重しを乗せられてつらい一夜を過ごすことになりそうだ。右足付け根の「鼠頸部」からカテーテルを通すために血管を傷つけるので、その止血のために足を動かさないように重石を乗せるのだ。ま、他人様を心配しても仕方がない。

 

 さて、その1-1に入院している77歳のおじさんは「夜間無呼吸症候群」ということで、今日の午後から、高松市番町にある高松病院に転院するらしく荷物をまとめている。ここではマスク(酸素マスクみたいなもの)をして寝ていたのだけれど、調子が悪いみたい・・・。

 

 ということで、今夜は久々に一人部屋になりそうな予感・・・。

 

 夜、島の自治会長さんから電話。8月の上旬に英国士官レキさんの子孫が墓前にお参りをするらしい。そこで、関係者が慰霊祭を行う予定。その会合を今週の木曜日に開催したいとのこと。それは今は少し無理みたい。五月の連休だって危ないのだから。そのお話も金曜日になるかどうかの不安定要素。

 

 実際のところ、大型連休に入れば病院だって、ドクターだって、看護師さんだってお休みになるはず。そこで、何もすることもなく、ただ、安静にして寝てればいいといわれてもだね。

 

 連休に入る前、4月の29日には、へんろつかさの会の年度総会がある。一応、取材ということでお邪魔予定。

 

 で、連休最後の6日には、丸亀市広島町の「おだいしいり」が行われる。そのガイド役をおおせつかっている。はてさて、どうしたものだろうかね。

 

 今日の掲示板はこれ。「今日始めなかったことは 明日終わることはない」というもの。あの、ゲーテの言葉らしい。どんなすばらしい願いを持ち、目標を掲げても、目の前の一歩を踏み出さなくては何も変わらないし、前には進んで行かない。いま何を考えるかではなく、何を行動できているかに焦点を当てて、目標に向けて進んでいきたいものである。でも、いざ始めてしまったら、終わることのない作業だったというのでは、これまた困ったことになってしまうのだが。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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