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まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

松飾り まだある医院の 温かさ

2019年01月07日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は1.5度から10.9度、湿度は84%から64%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の8日は、冬型の気圧配置が次第に強まるが、概ね晴れる見込みらしい。

 

 116/62-64 36.3c-97% 62.6Kg 1023hPa,8c,56% 今日も体調は落ち着いている。

 

 今日は午後から「ペースメーカー外来」が予定されているので、午前中に「眼科」に行ってみた。最近、右の眼が霞むようで、車の運転がおぼつかない。単なるパソコンの叩き過ぎの疲れ目なのか、白内障が進んできたのかと思うようになった。

 

 今日はお正月明けの月曜日・・・ということで、駐車場は満杯状態。だから、眼科もしっかりと患者さんが並んでいた。今日から「手術入院」と言う方が4名もいた。

 

 右目が霞むというのに、左目の視力ばかりを計ったりする。担当のドクターは、「右目の白内障はほとんど進行していません。まだ、手術のレベルまでは遠いです」という冷たいお言葉。それじゃぁ、やっぱり、疲れ目なのか。目薬一本も処方されなかった。9時に入って、ここで10時。

 

 午後のペースメーカー外来の診察前検査として、胸部レントゲン撮影だが、ここも長蛇の列。でも40分ほど待って撮影終了。ここで10時40分。

 

 ついで、心電図検査。これはすぐに終わって、午前の部は終了。ここで11時前。これからどうしようかと考えたが、お正月前から、右耳がおかしい。エレベーターに乗った時のように、耳が詰まったような状態。気圧が変化したときみたいな、耳を圧迫するみたいな感じ。

 

 そこで、同じ東かがわ市に昨年秋にオープンしたという耳鼻科を探して行ってみた。ここも駐車場がいっぱい・・。それに民家のようなありふれた建物だから、本当にここなのかと恐る恐る入ってみた。

 

 すると、中はホテルのロビーみたいな変わった待合室。「ええ、大丈夫ですよ。でも、40分くらいはお待ちいただくかも・・」というので、待つことにした。

 

 診察室も受け付けも電子化されていて最新式みたい。ほかの耳鼻科を知らないもので。で、耳垢を取ったり、鼻やのどの検査もしたり・・・。聴力検査もしたけれど、とくに異常はないという。10日分薬を飲んで、また、10日後に来てくださいとのこと。ここで、12時20分ごろ。

 

 家に帰っても仕方がないので、そのまま、県立病院まで戻り、売店で野菜ジュースを飲んで待っていると、13時過ぎに早速、ペースメーカー外来に呼ばれた。ここでは、ベッドに寝ているだけ。ペースメーカーの上に電磁コイルを置いて、そこからペースメーカーの磁気情報を読みだして記録するだけ。

 

 先に胸部レントゲン検査で撮った画像を見て、位置などを確認しておしまい。

 

 その検査情報は、この「ペースメーカー手帳」に記録されている。私の機械は、あと、7.2年は有効とのこと。まさに、「死」を背負って生きている・・という実感。さすがに、13時半を過ぎると足元がふらふらとするようになった。

 

 そこで、たまにはいいか・・・ということで、「温玉肉ぶっかけ小の温いん」をお願いした。540円だった。今日の医療費は〆て5850円だった。で、帰ってくると14時半を過ぎていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「不精をしない。ポケットに手を入れてては何も手にとれません。」という石井ふく子さんの言葉から。【いしい・ふくこ】 1926年、東京生まれ。61年TBS入社。プロデューサーとして「女と味噌汁」「肝っ玉かあさん」「ありがとう」「渡る世間は鬼ばかり」など多くのドラマを制作。舞台演出も手がけた。この言葉、子供のころにはよく言われた言葉だ。不精したり、格好をつけたり、あるいは寒い冬の日なんぞにポケットに手を入れていると、先生たちに言われたものだった。こうして年をとってくると、今度は倒れた時に頭を打ったり骨折するからおそろしい。幾つになっても不精はしないことだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


冬風は 後生後生の 音がする

2018年12月27日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっており、夕方までは晴れるが、夜は寒気の影響で曇る見込みらしい。気温は7.5度から11.0度、湿度は74%から58%、風は4mから6mの風が一時は強かった。明日の28日は冬型の気圧配置が続くため概ね曇り、夜は雪の降る所がある見込みなのだとか。

 

 110/60-62 36.2c-96% 62.3Kg 1014hPa,12c,72% 快適な朝になった。奥方と一緒に6時半に起床、すぐに「防風通聖散」を飲んでおき、朝食はスープとみかんで簡単に。8時半にトイレで身体をすっきりとさせて出発した。

 

 今日は四週間ごとの「予約診察日」で、今年最後の診察になる。

 

 まず最初はいつもの胸部レントゲン撮影。大勢の人が待っていたが、お年寄り1人に付き添いが二人ずついてて、あっという間に順番が来た。ものの5分と待たずに撮影も終わった。

 

 次の採血も、見ていたかのように処理室に呼ばれて、すぐさま採血。今日は「採尿」はないという。せっかく、しっかりと溜めてきたのに・・・。

 

 内科の受け付けを済ませると、自動的にこういう用紙が出てくる。うむ、わざと軽装に着替えてきたのに、我が家のものとは「0.4Kg」ばかり多い。前月は、「65.4Kg」だったから、良しとするか。

 

 受け付けを済ませてから診察までには40分から1時間はかかる。血液検査の時間が必要だからだ。その合間に、3階の「心臓病センター」に行ってきた。ここは、スタッフ・ルームというもので、昔風に言えば、「ナース・ステーション」。

 

 いつもいけずな看護師の「ちょんまげ・もっちゃん」がいたので、「元気になったので、もう、ここにはお世話になりません。今年、一年、ありがとうございました。」と、お礼の言葉を言ってきた。

 

 担当看護師の「ショーボブ姐ちゃん」はお仕事中だったので、お手紙をお願いしてきた。当分は、ここに来ることはないと自覚している。ちなみに、「ショーボブ」とは、「おかっぱ頭」を「ショートボブカット」と言うらしい。それを縮めただけのこと。深い意味はない。

 

 ドクターの診察では、体重が減ったことを褒めてもらったし、「防風通聖散」の効果を担当者みんなが注目しているという話だった。しかしのかかし、相変わらず、私の肺には、「胸水」が溜まっていて、「心不全係数」は良くはないという話だ。

 

 しかしのかかし、これは、「老化」現象で、今のところ、どうしようもないという。この水を抜いても、肺が小さくなっているので、すぐまた溜まってしまうという。今のところは、薬で、体液を排出するほかないという。ま、私も、苦しくてどうにもならない状態は脱出した気分。

 

 午後から、いつもの町内の「調剤薬局」に行ってきた。病院からファックスしておいた薬を調剤してもらうところ。病院でドクターや看護師さんが言うことに、「年末年始で、飲みすぎ食べ過ぎには十分に注意してください。」の言葉を、ここの薬剤師さんからも聞かされた。

 

 それは、「思い込み」というもので、最近は、年末年始だからと言って、ごちそうが出たり宴会をすることはなくなった。我が家は二日の日だけが「正月礼」という恒例の顔合わせ会で、奥方もその日しか休まないから、全くの普通の日の連続。昔のように「お正月だから・・」という、お祭り騒ぎは夢のまた夢。

 

 今月の「医療費」。病院の、「15,490円」には、酸素圧縮機のレンタル料「13,000円」が入っている。これは必要ないからとお願いするのだけれど、「まだまだ・・」と言って許可されない。休むと、私の肺はだんだん小さくなっていくらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「あのときの あの苦しみも あのときの あの悲しみも みんな肥料になったんだなぁ じぶんが自分になるための」という相田みつをさんの言葉から。心の苦しみは、歯を削るときに感じる痛みの様に、何も感じないわけではない。だが、それこそが、自分の器を削る痛みであり、それが終わった後の器の大きさは、平凡な人と同じではない。その時の痛みを知っている人ほど、そして大きな器を持っている人ほど、人の痛みを知ることができ、あるいは、かけてあげられる言葉がある。ホイットマンはこう言った。『寒さにふるえた者ほど太陽を暖かく感じる。人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る。』寺山修司はこう言った。『人生の暗い部分を見ない人間には、その深さはわからない。』シェークスピアはこう言った。『傷の疼きを感じたことのない者だけが、他人の傷痕を見てあざ笑う。』明石家さんまはこう言った。『やさしさを持った人は、それ以上の悲しみを持っている。』全ての経験は、後で必ず力になる。別に信じる必要はない。どうせ『なる』のだから。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。 


受診して 安堵ため息 親鸞忌

2018年11月29日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は10.5度から15.9度、湿度は88%から62%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の30日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 118/62-62 36.4°C-98% 65.8Kg 1018hPa,20°C,50% すっきりとした初冬の景色になってきた。体調はほぼ良好。

 

 今日は県立病院での予約診察日。予約時間は10:30-11:00。だから午前9時過ぎに病院に入った。ま、血液検査に1時間を要するので、9:30でもよかったのだが、たまたま、道路が混んでいなかったというか、信号機が順調に動いていたというか。少しばかり早く着いてしまった・・・という印象。

 

 だと、いきなり、「116番さん、中央処理室へお入りください」とのアナウンス。今日の私の受付番号は116番だった。で、いきなりの「検体検査」ということで採決された。今日は胸部X線検査も、尿検査もなかった。今月は一か月に二度目(11/1と11/29の二回)の診察だかららしい。

 

 さぁ、それからの1時間が待ち遠しい。その間にトイレに4回も行ったり、自販機でお茶を飲んだりと時間つぶしをするのだが、そういうときの時計は怠け者かあんまり動かない。

 

 これが私の担当ドクターの日浦ドクターである。平成19年の2月に「急性心不全」で緊急入院してからのお付き合いだから、もう、11年9か月余りもお世話になっている。だから、私のクセも性格も生活実態もお見通しの先生である。

 

 「あれ、体重が5Kgも減ってるじゃないですか。何かしましたか?」と、私の記録してある記録表を見ながらドクターが言う。「ええ、漢方の「防風通聖散」と、少し食べ物を変えましたが・・」と言うと、「じゃぁ、理想体重の60Kgまで落としましょうよ。あと、5Kgですよ。年末年始に食べ過ぎないようにね。それと飲み過ぎないように・・」で診察はおしまい。「今度は年末の27日の木曜日ですよ」。

 

 会計に行くと、「保険証は今月1日に拝見していますので、今回はいりません。それと、酸素圧縮機のリース料を頂いていませんので、本日、頂戴できますか」というので、「はい、用意してきましたが、何十万円要りますか」というと、「いえ、一か月分で結構です」という。「じゃぁ、来月は二か月分ですか」と聞くと、「いえ、来月分も一か月分です」という。

 

 前回の1日に支払わなかったし、19日の整形外科の診察の時にも支払わないし、今月も1か月分だけというのはおかしなものだと思っていたが、「そうだ、機械のリース料は1か月分。私が月に2度目の診察を受けたから二回、支払う必要があるのだと勘違いしていただけ。なんだか、おばかなお話だったということか。

 

 で、いつもの調剤薬局に行くと・・・。

 

 いつものように28日分のお薬が用意されていた。向かって右が漢方薬の「防風通聖散」で、左がこれまでの朝食後と夕食後の薬。昨年の今頃だと、27,800円くらいを支払っていたはず。毎月、薬代を支払うのに四苦八苦していたもの。それが今年からは二割負担になって18,000円ほどになった。ああ、それなのに、「あなたの制限枠はオーバーしていますから、薬代はいりません。」という。

 

先日にも整形外科で処方してもらった湿布薬もタダでいただけた。何がどうなって制限枠を超えたんだろうか・・・。ま、ありがたいことはありがたいことなんだけれども。これで、この週末の忘年会にはお値段のするお酒が買えそう・・・わくわく。

 

 ドクターに毎回提出しているこのデータは、

 

 心臓病の患者さんに記入を勧めているこの手帳からである。ここに手書きで血圧や心拍数、自覚症状や薬の飲み忘れチェックなどを記入するのだが、いまさら手書きでもあるまいと、パソコンで記録するようにしてもう四年。その量は膨大になっている。それを今は整理中・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「むつかしいお経を読めと言われて、「庄松助くるぞよ、庄松助くるぞよ」と読んだという。」という、小砂説教所跡にあったお皿のことばから。

 上の一条は、勝覚寺の先代住職は庄松同行を非常に愛撫せられ居りしが、役僧の一人がそれをうらやま しく思い、一つ庄松を困らせて恥しめんとて、三部経の中の下巻を取り出し、庄松に向かい、「お前は有り難い同行さんじゃが、この大無量寿経の下巻の、ここ の御文を読んでみよ」と云えば、庄松の答えに、「庄松を助くるぞよ、助くるぞよとかいてある」と云われたと。

 

 *「五劫思唯の大悲の本願も、ただかかる自分一人の為の御苦労であった、勿体なや」と御開山親鸞聖人は喜ばれた。わが身一人に、如来の本願を受け止める無学で経の読めぬ庄松の獲信、「庄松を助くるぞ」と読む・・・。これ、真の大経読解でもあろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


霜月が 壁の暦を 掛け替える

2018年11月01日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は10.2度から17.4度、湿度は78%から53%、風は2mから3mの北西の風が少しばかり。明日の2日は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日は月に一度の「予約診察日」。昨夜は1時間ごとにトイレに起きて、午前2時からは眠られなくなり、安定剤を飲んで6時まで寝ていた。おなかはやはり張ったまんまだ。

 

 ところが、病院に着くと同時にトイレに駆け込んでは検査、検査が終わるとまた、トイレ。

 

 採血と採尿があったが、そこでもまた、トイレ。検査が終わると、またトイレ・・。そうこうする間に、おなかはすっきりとしてしまった。体重は67Kgまで下がっていた。電機屋さんと病院では、そうなるものだ。

 

 採血から診察までの間は1時間が必要。待合室で待っている間にもトレイと自動販売機の間を往復。出すから飲む、飲むから出す・・・。なんじゃ、そりゃぁ・・・。

 

 ドクターの診察があったが、ドクターも不審顔・・・。結局の薬局で、漢方薬を追加することにしたらしい。もう、利尿剤は限界値ぎりぎり。「あなたに出す薬はありません・・・」みたいな印象。

 

 午後から、町内の薬局に行ってきた。

 

 で、出された薬を目にして、「なんだ、こりゃぁぁ・・」と思った。左の62のマークの入ったものが漢方薬で、「防風通聖散(ぼうふうつうしょうさん)」というもので、おなかの脂肪を燃やすものらしい・・・。うーん、そうきたのか。

 

 で、これを、朝昼夜の三回、食前30分前に飲むらしい。漢方薬とはそういうものらしい。まずは、おなかの脂肪を減らしてから、中身の内臓を調べるらしい。

 

 それと、安定剤を20錠と・・・

 

 尿が少ない時用の「とん服」も20錠と・・・。さぞかし、お値段するのだろうなぁと心配したが、

 

 薬代は、18,000円で済んだ。病院の3,070円は間違いだと思う。酸素圧縮機のリース代の16,000円を忘れている。これを来月に二か月分、請求されたら、ちと、きついなぁ。

 

 で、次回の診察日は、今月末の29日になった。はてさて、どうなるものやら・・・。

 

 今日の掲示板はあっさりとこれ。「反省することは反省する。でも一度寝たら忘れる」という、ヤクルトの生んだスーパーキャッチャーであり名監督であった古田敦也さんの言葉から。反省は大事だけど、それをいつまでも引きずっていると「暗くなる」。一度反省したなら、それを次回に活かせばいい。明日は明日の風が吹くものだ。もっとも、私は加齢のためか寝なくてもすっかりと忘れてしまうのだが・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


秋一つ 暮れて明日が まだ見えぬ

2018年10月04日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、断続的に雨の降っている所があった。気温は18.0度から21.1度、湿度は78%から88%、風は2mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の5日は、前線や湿った空気の影響で昼前まで断続的に雨が降る見込みらしい。

 

 今日は月に一度の「予約診察日」。薬の処方をしてもらう日でもある。

 

 で、恒例のパターンで、胸部レントゲン検査。肺に水が溜まっていないかの確認である。「はい、OKですよ」と、数分で検査は終わる。

 

 ついで、「検体検査」つまり、「採血」と「採尿検査」これも毎月の恒例行事。その後、血液検査に1時間を要するため、院内で待機。

 

 その間に、三階の心臓病センターに上がると、「あら・・元気そうじゃない」と、出迎えてくれたのが、入院時の担当看護師だった「ショーボブやち姐さん」。正確には、「ショートボブヘアカットの八千代姐さん」。

 

 「はい、その節はお世話になりました。入院中に無理を言って、取材に出してくれたので、その本が届きましたのでお持ちしました。」と、掲載誌を差し出した。入院中に「外出」ということで、インタビューに応じたので、「本が出たら見せてね~」というのは「お世辞」だっただろうし、「社交辞令」だったのだろう。でも、届けてきた。けなげで律儀な私であった。

 

 ほぼ、1時間ほど待って、10時過ぎに担当ドクターの診察になった。懸案の「胸水」は見えなかった。つまり、肺に水は溜まっていないのだ。ではなぜ、少し動くと呼吸困難になるのか・・。おなかにも水は溜まっていない。数字的にも問題はない。ドクターの眼には何の不審もないのである。では、なぜ、私は歩けないのか・・・。

 

 「もう、お薬の量は限界です。次回は11月1日です。様子を見るしかありません・・・」と、いつものお言葉で診察終了。肺結核も気管支炎の兆候もなし。内臓系のガンの予兆もない。手術した心臓は正常に動いているとのこと。

 

 いつもと同じお薬で28日分。やはり、運動不足か水分・塩分の取りすぎか・・・。

 

 医療費負担が二割になってからか、薬代が1万円ほどお安くなった。医療費には、「酸素圧縮機」のレンタル料金の1万円弱が含まれている。

 

 お昼からは、赤い羽根共同募金で法人格の数社を回って、無事、ノルマ達成。

 

 小さなことからコツコツと・・。

 

 早速に集まった公金を、社会福祉協議会へ納めてきた。他人様のおカネをいつまでも預かっていてはどうなるかわからぬもの。これでお荷物一つが片付いた。これが終わると、今度は、その赤い羽根共同募金の配分を受けるお年寄りを調べて、配分金をお渡しするお仕事が待っている。

 

 今日の掲示板はこれ。「晴れた日と 雨の日があって ひとつの花が咲くように 悲しみも苦しみもあって 私の人生が深くなる」というもの。

  「悲しみの意味」

   冬があり夏があり
   昼と夜があり
   晴れた日と雨の日があって
   ひとつの花が咲くように

   悲しみも苦しみもあって
   私が私になっていく
                   星野富弘

 「雨はイヤだ。」と言う人もいれば「恵みの雨」と喜ぶ農家の方もいる。病気をしたからこそ健康のありがたさがわかったり、空腹だからこそ、一つのおにぎり が最高のご馳走だと感じたり、辛く悲しい思いをしたからこそ、人のここころの痛みに寄り添えたりするように、悲しみも苦しみもあって私が私になっていく。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


寝ながらに 虫の一座の 大芝居

2018年09月06日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていた。気温は22.5度から30.8度、湿度は82%から58%、風は1mから3mの東南東の風が少しばかり。明日の7日は、前線や湿った空気の影響で断続的に雨が降り、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 今日の気圧は 1002hPa、気温は25度、湿度は55%。体重は65.6Kgでおなかの張りはない。

 

 今朝から北海道がひどいことになっている。昨日は関空だったのに、今日は北海道だ。まったく、地球が悲鳴をあげているみたいだ。いつもは朝ドラが行動の目安になっていたのだが、少しばかり早めに我が家を出て、県立病院に出かけてみた。

 

 これは、「日々記憶帖」で、毎日の体調他の記録帳である。8月に入る前から体重が徐々に増加してきて、おなかが張るようになって体が重くなってきた。だから、8月2日の予約診察の時に、「腹部CT検査」をお願いしてあった。

 

 赤線部分が体重の変化である。退院してきた5月中旬には60キロ台だったものが、ぐんぐんと増えてきて68キロを超えた。これはもう、入院級の体重増加である。

 

 これはてっきり、肺に溜まっていた胸水が溢れて、おなかに水のたまる「腹水」ではないかと考えたのだ。食べるものも同じ、飲む量も変化なし。運動量や行動量はやや控えめ・・・。なのに体重が増加しておなかが張るのは水分以外にないではないか。

 

 で、9時15分予約のCT検査だったが、8時45分にはOKが出て検査になった。

 

 胸部と腹部のCT検査は5分ほどで済んだ。拍子抜けのような速さだった。

 

 採血と採尿はルーチンワーク。これもあっさりと済んだ。でも、この検査に1時間ほどが必要になる。朝食抜きだから野菜ジュースを飲んだり、トイレに何度も走ったりしながら1時間を過ごす。

 

 検査の結果は昨年夏のCT検査と同じ。内臓脂肪と少しばかりの皮下脂肪もあるが、気になるような脂肪量ではないとのこと。腹水の滞留も、内臓疾患もないとおっしゃる。ましてやガンなどの兆候もないとおっしゃる。だと、あの膨満感は何なのだ。

 

 心不全ナースとの対話の中で、やはり問題は「水分管理」しかないという結論に落ち着いた。今年の夏は異常に暑かった。だから、ついつい、管理量よりも多く、水分を飲んでいたのじゃないか。がぶがぶと飲んだのじゃないか・・・ということになった。そんな些細なことなのか・・・。

 

 それが証拠に、九月に入ると体重が減少し、おなかの調子もよくなってきたではないか・・・ということになった。「大山鳴動ネズミ一匹」という結末に。

 

 もう少し尿の出がよくなる薬に変更することになった。3万とか4万円もの薬代が二割負担になったせいもあって2万円以下になったのはうれしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「阿弥陀仏と称える口で愚痴を言い」というもの。これまた、どこのどなたの言葉かはわからない。ご法座の席でお聴聞しながら「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・・」とお称なえしたその口で、お隣のおばあさんと愚痴の言い合いをする。よくあるお寺での一幕である。似たようなことばに、「墓参り 合わせたその手で 蚊を殺す」というものもある。私たちのこころというものは、そんなものなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


あきあかね ぐうたら屋根の 陽の光

2018年09月03日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、湿った空気の影響で夜のはじめ頃から曇り、雨や雷雨となる所があるらしい。気温は23.5度から32.1度、湿度は86%から68%、風は2mから5mの東南東の風が一時は強かった。明日の4日は、台風第21号が四国地方へ接近する影響で、暴風を伴った雨となり、雷を伴って非常に激しく降る所がある見込みらしい。

 

 強い台風が来るなんぞという天気ではない。今日の気圧は、1003hPa、気温は24度、湿度は78%が朝の数字。気圧は下がってきている。

 

 今日は病院へ行く日なので、まずは銀行に寄ってから。あと、農協さんと郵便局で残高確認記帳しておく。

 

 で、ちと、手続きのために所属自院に寄ってみた。海暁山海暁閣勝覚寺である。でも、鍵が厳重にかかっていて、誰の応答もない。本当に誰もいないのか。阿弥陀さんもいないのか・・・。そんなことはあるまいが・・。

 

 予定が狂ったので、朝のドライブをやっていたら、山道にこんなものが落ちていた。イノシシの子どもらしい。出会い頭に車と衝突したらしいが、自動車こそえらい迷惑だ。

 

 病院に寄って、私の診察はいつからかと聞いてみたら、13時からの受け付け開始だという。そこで、診断書をお願いしておいてから、うどん屋さんを探したら、徳島県との県境近くまで走ってしまった。「うどんや」と言ううどん屋さんである。

 

 温玉ぶっかけ小の冷やで340円。ネギ、大根おろし、おろししょうが、天かすはフリートッピング。海を眺めながらおうどんを食べた。

 

 13時ちょうどになったので再来受付機で受付をすませ、レントゲン室で胸部の一般撮影。ペースメーカーの位置を確認するためらしい。

 

 今回は採血も採尿もなくて心電図検査室に直行。

 

 次いで、心電図検査。心臓が正しく動いているかの確認。

 

 13時半からの診察は予定通り。ペースメーカーの上に電磁石のコイルみたいな輪っか状のものを置くだけ。それで電池の容量とかの状況がわかるらしい。何回手術したとかも記録されるらしい。

 

 そういう情報を、ペースメーカー手帳の「フォローアップ情報」ページに記載しておしまい。これを死ぬまで持っていなければならないそうだ。死というものが、すぐそばにあるという実感・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「苦しみをなげく人あり 苦しみを活かす人あり」というもの。いつもの町内の善楽寺さんの掲示板から。これまた、どこのどなたの言葉かはわからないのだが、過去に起きた不運な出来事は、すでに過ぎてしまった仕方ないことである。それをいつまでも引きずり、苦しみを背負い続けるか、それとも、それを活かして人のために役立たせるか、その発想には人生のつくられ方がまったく逆になることだろう。大切な一度きりの人生をしっかり見据え、考え、生き方を選択したいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


水のない 蝉の聞こえる 川がある

2018年08月02日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 丸亀地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、湿った空気や強い日射の影響で山地を中心に雨や雷雨の所がある見込みらしい。気温は25.8度から33.9度、湿度は92%から72%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の3日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みなので、暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとるようにして欲しい。

 

 今日も朝から蒸し暑い朝になった。

 

 昨夜は父親の49回忌ということで、三男の「たっくん」がお仏壇まいりに来てくれた。奥方が戻るまでに、先日に草を刈ったところがまたも草まみれになっているので、草刈りをやってくれた。

 

 で、たっくんと私ら夫婦の三人で簡単な夕食を囲み、飲んで呑んでしゃべった楽しい時間になった。ところが・・である。

 

 今日は、県立病院の予約診察日。朝の体重は64.4Kgだったので安心をしたが、その後、みんなで二階のベランダで朝食会をやった。その結果・・・65.6Kgにもなった。当然、ドクターのチェックが入った。仕方ないなぁ・・・。

 

 胸部レントゲン検査では異常なし。右の肺の胸水に変化はみられない。でも、最近、おなかが張るような状態になるというと、来月は腹部CT検査をすることになった。ドクターは、おなかには水はたまっていないはず・・・だというのだけれど。

 

 今のところ、おなかの具合が悪いくらいだから、来月の検査をお願いした。「脂肪がたまってるんですよ」と、ドクターは言うのだけれど。

 

 検査が終わればすぐに薬局に向かい、

 

 いつもと変わりないお薬を処方してもらった。

 

 心配していた医療費だけれど、二割負担になったものだから、2万+3万の予定が、1.5万+1.8万で、3.3万ですんだ。

 

 お薬が手に入ったら、一目散で丸亀港に向かう。予約してあるフェリーは15時ジャスト。余裕しゃくしゃくの13時半には港に着いた。時間があるので、港近くのスーパーで、追加の野菜や焼酎、日本酒を少しばかり追加買いをしておいた。日曜日に、三男が記念祭を見学して、島の家で一泊してカラオケをやるということになったからだ。

 

 今日のフェリーには、農用トラクターが乗っていた。町の農協さんで修理をしてもらったらしい。なんとものどかな風景である。

 

 島の家「暁光庵」に着いたのは、15時45分、我が家に着いたら16時前・・・。

 

 運び込んだ食材や飲みものを冷蔵庫に納めたら汗まみれになった。今日から5日間は、塩飽の住人になる。

 

 今日の掲示板はこれ。「カメはウサギにはなれないが、日本一のカメにはなれる」というもの。「一番はもちろん尊い。しかし一番よりも尊いビリだってある」。生涯を初等教育に捧げた東井義雄先生の言葉である。先生は師範学校に入学後、マラソン部に所属し、四年間もビリを走り続けた人である。いつも、走りながら考えた事は、「ウサギとカメ」の話だったという。「カメはウサギにはなれないが、日本一のカメにはなれる。俺はビリから逃れる事は出来なくても、日本一のビリになれるはずだ。ビリであることは恥ずかしい事ではない。怠ける事の方がよっぽど恥ずかしい」と書いてあった。

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


蓮咲いて 法に遭えよと いう教え

2018年07月05日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で激しい雨の降っている所があった。気温は24.1度から25.6度、湿度は96%から88%、降雨量は1mm/hから10mm/h、風は1mから3mの東の風が少しばかり。香川県では、土砂災害や河川の増水に警戒するよう呼びかけている。明日の6日も、西日本に梅雨前線が停滞するため雨や雷雨となり、夕方まで激しく降る所がある見込みらしい。

 

 そんな激しい雨の日だが、県立病院の予約診察日だから出かけなくてはならない。ま、雨だと言っても車で走れば何の問題もないのだけれど。

 

 駐車場から建物までは、少しばかり雨に濡れながら歩いて行った。走るということは、まだまだ無理だ。傘をさしていけばいいのだが、傘置き場に忘れてしまうのが常だ。

 

 病院では「たなばたモード」、こういう飾り付けをする看護師さんとか事務員さんとかがいるみたい。子供の字で「お金もちになれますように」と書いてあったが、もっと、夢はないのか・・・とつぶやいてみた。

 

 「サッカーでワールドカップにしゅつじょうするぞ」くらいは書いてもらいたいもんだ。「大きくなったらかんごしさんになれますように」という短冊もなかったな。

 

 恒例の胸部レントゲン検査をまず受けて・・・。その後、検体検査ということで採血と採尿。今日はトイレに行くのを我慢していて採尿はOKだった。

 

 診察までに30分くらいの時間があるので、三階の心臓病センターに上がってみた。で、担当看護師だった、「ショーボブ姐さん」(と言うても、私の娘みたいな年齢だ)に、退院後の血圧体重心拍数などのデータや、毎日、何をしていたかなどの記録を手渡した。ま、心配はしていないのだろうが、「元気でやってますから・・」という報告の意味だ。

 

 だいたいのところ、血液検査の結果が出るのに一時間弱かかるらしいので、10時過ぎになって、ようやく、ドクターの診察になる。その前に、「きむらさん・・」と近寄ってきたのが「心不全担当ナース」。

 

 「来たな・・」と、あらかじめ用意していた、この用紙を手渡した。「快気祝いのバーベキュー大会、どうやった?」というので、これで、「この通り、大丈夫でしたよ」と説明したが、退院直後は60Kg台だったのが、バーベキュー・パーティー周辺から、63Kg台になっていると、厳しいご指摘が。「ええ、これは食べ過ぎての体重増加で、その後は、62Kg台まで戻してますから・・」と説明して納得してもらった。些細なことを・・・。

 

 ドクターの診察では、「胸水は許容範囲内で収まってますね。」というので一安心。でも、やはり、少し歩けば呼吸困難になるし、重いものは持てないし、正座もまだまだできない状態はそのまんま・・・。奥方の言うように、「開胸手術をしたのだから、半年や一年では無理無理・・・」なんだろうか。ちなみに「足のむくみ」も今日はない。

 

 帰りに、調剤薬局で薬を受け取った。病院からファックス送信しておけば、帰る頃にはお薬ができているという計算。

 

 いつもと同じ28日分。薬局の請求書を見て驚いた・・・。

 

 これが、これまで・・というか、昨年までの分。今年は入院とかがあったので参考にはならない。

 

 それが、右端の14,000円になっている。左端は在宅酸素療法の機材のレンタル料金。先月、請求漏れだったとお詫びの電話があったが、まけてくれるという話にはならない。真ん中が、その機材のレンタル料金と今日の検査料・診察費の合計。そうなんだ、今月から医療費が「三割負担」から「二割負担」になったのだ。薬代がお安くなるのはうれしいものだ。

 

 これが、その「在宅酸素療法」の機械である。空気中の酸素を圧縮して、私の肺臓に送り込む機械で、夜間だけ、これを装着して寝ている。緊急用で、私の呼吸が止まりそうになったときに使うものだが、肺をふくらませて大きくするために、毎晩、使用している。このために、胸水が溜まりにくくなったのではないかと思っているが、ドクターは、「全く関係ありません」とにべもない。

 

 我が家の横を流れる河川はごうごうと音を立てていたが、夕方からは音も水量も減ってきたようである。

 

 今夜の掲示板はこれ。「人の悪を咎め 自分の悪には気がつかない」という本山興正寺の掲示板にあったことばから。人間は皆、こういう姿勢でいるのだろう。蓮如上人も『御一代記聞書』第 五十八条に「たれのともがらも、われはわろきとおもうもの、ひとりとしても、あるべからず。これ、しかしながら、聖人の御罰をこうぶりたるすがたなり。こ れによりて、一人ずつも心中をひるがえさずは、ながき世、泥梨にふかくしずむべきものなり。これというも、なにごとぞな れば、真実に仏法のそこをしらざるゆえなり」(『真宗聖典』866頁)と、明らかに教えてくださっている。人間というものは、自分の悪いところが見えないもので。このような在り方になるのは親鸞聖人の教えを身で聞いていないからではないだろうか。だから一人ひと りが本当に、自分自身に気づかせてもらう教えに遇わないと、永い人生が、休みなき苦しみになるのである。本当に真実の仏法に遇うてください、と訓してくださっているように私は聞いた。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


覚え立て うまく歌えぬ あまがえる

2018年05月24日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は16.4度から26.9度、湿度は84%から35%、風は2mから3mの西南西の風が少しばかり。明日の25日は、高気圧に覆われて晴れるが、午後は気圧の谷の影響で雲が広がる見込みらしい。

 

 すっかりと夏らしくなったものだ。という訳でもないが今朝も5時半に起きてしまった。最近は、22時半、1時半、4時半とトイレに起きて、5時半に起きてしまうことになる。

 

 さて、メインになるノートPCの動作が遅くなって、ブログの更新なんぞが遅くなる傾向になってきた。HDDを何度も掃除をするのだけれど、ゴミが貯まるのか、動きが重くなってしまった。

 

 そこで、TOSHIBAの中古PCを買ったのだけれど、Windowse10だった。これでは、プリンターなんぞが受け付けてくれなくなった。そこで、病院や講演会なんぞに使っていた、NECのノートPCをメインに置き換えることにしてインストール作業をやってみた。

 

 で、最近に買ったTOSHIBAのノートPCには、Office2016が入っているというので注文したのに、HDDにはそういうものは入っていない。「しまったなぁ・・」と思ったのだけれど・・。

 

 こういうファイルがついていた。これで、オンラインでダウンロードするものらしい。これならば何台でもダウンロードすれば使えるのかなぁと思ったけれど、そうは甘くないのか。

 

 だから、メインPCは、Windows7 で、左右のサブマシンが。Windows10という並びになる。

 

 Officeも進化しとるんだなぁと思いながらインストールをやっていた。

 

 しばらくマシン室から離れていたから、何がなんだかわからんようになるほど。普通は一台でなんでもかんでもやるのだけれど、ここでは、マシンごとに役目と任務分担が決まっている。

 

 昼からは県立病院での予約診察日。退院してから六日目の診察、ドクターもよほど心配しとるみたい・・。でも、体重も61Kg前後を維持しているし、血圧、体温などもほぼ一定。

 

 今日のオーダーは、胸部X線検査と心電図検査だったが、午後一番だったもので、あっさりと数分で終わってしまった。午後の診察の受付は13時半からだというので、三階の心臓病センターに行ってきた。

 

 ナースステーションではミーティングが行われていたが、私の姿を見かけて、担当だった、「ショーボブ姐さん」が出てきて、残っていた私の薬袋なんぞを返してくれた。

 

 で、私からは、病床日記をお渡ししてきた。これで、一応、この看護師さんとはお別れの筈。もう、お会いすることもないと思うのだけれど、私のこの身体、何が起こるかわからない。

 

 ショーボブ姐さんと、ちょんまげ・もっちゃん用の二冊である。これで、論文集も病床日記も一応の解決済み。

 

 今日の掲示板はこれ。「頂上ばかり眺めずに、まず目の前の一歩をどう歩むかです」という石川真理子さんのことばから。

 頂上ばかり眺めずに、まず目の前の一歩をどう歩むかである。
 目の前の一歩をとにかく大切に
 「遥かな山の頂上を眺めて、とてもじゃないけれど、これは登れないと言っているわけである。てっぺんばっかり見て踏み出したら、転ぶかもしれない。大事なのは、その頂上に続く目の前の一歩を、どんなふうに踏み出すか。できる限りの最良な一歩を踏み出すことに心を砕きなされ。その日その時々により良い一歩を重ねることが、いつしか高みへとおのれを導いていくのですから」 話題になった書籍「女子の武士道」である。著者の石川真理子さんのおばあさんは、武士の娘であり、そのおばあさんが真理子さんに教えた言葉五十五が紹介されている。その中の引用からである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


あじさいは 時の流れを 突きつける

2018年05月17日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 東かがわ市地方は湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は17.3度から27.3度、湿度は84%から70%、風は1mから3mの南東の風が少しばかり。明日の18日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、夕方から雨や雷雨となる所がある見込みらしい。

 

 朝方は晴れ間もあったのだけれど、しだいに雲が広がってきた。

 

 昨夜は4人部屋に一人で寝たのだけれど、今日はいきなり二人が入院してきて、今夜はおじさんばかりの三人部屋になるらしい。

 

 大きな声では言えないけれど、小さな声では聞こえない。ようやくにようやくに、こういう書類をいただくことができた。香川医大で30日、この県立病院で52日目。明日で、合計83日目になる。もうすぐ90日・・・という直前である。

 

 うれしいうれしい反面、大きな心配事が潜んでいる。それは、我が家では尿が出ない・・・という異常事態なのである。それで、香川医大に入院したのだし、心臓の手術で改善されたはずなのに、依然として尿は出ない。この病院だと2リットルも3リットルも出るのだけれど。

 

 で、看護師さんや薬剤師さんや、リハビリのコーチたちに相談したのだけれど妙案がなくて。ま、当然のように、日浦ドクターの耳にも入って、「とんぷく」だの「利尿剤」だの、酸素の吸入器だのが用意されてきた。

 

 で、退院に即しての、この「17条のお約束」がきつい。

 

 まずは第一条は香川医大の教授からの三か条・・・。
 ① 肺呼吸の練習をすること
 ② 大きな呼吸法にこころがけ
 ③ 気長に養生すること

 

 次に、この県立病院の外科部長からの三か条・・・。
 ④ 食事をきちんと取ること
 ⑤ 薬をきちんと飲むこと
 ⓺ 大きな呼吸をすること

 

 次に、ここの日浦ドクターからの三か条・・・。
 ⑦ 水分を取りすぎないこと
 ⑧ 塩分を取りすぎないこと
 ⑨ 動きすぎないこと

 次に、リハビリ担当の木曽さんからの四か条・・・。

 ⑩ 無理に運動をしないこと
 ⑪ その日の体調を考えて散歩すること
 ⑫ 熱中症に注意し、冷房を使用すること
 ⑬ 食事療法も守りましょう

 

 そして、最後に担当看護師・ショーボブ姐さんからの四か条・・・。

 ⑭ 働きすぎないこと
 ⑮ お仕事を詰めて入れないこと
 ⑯ 寝酒は厳禁、寝られなときには安定剤で
 ⑰ 体重管理を厳密に。2K以上増えたら即病院へ来ること

 

 うむうむむぅぅ・・・。

 

 「でも、たまの・・・自分へのごほうびはいいわよ~・・」という一言がうれしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「近くして 見えがたきもの 我が心なり」というもの。写っている車は私の物だが、見慣れない掲示板である。どこで見た物か記憶にない。『近うして見難きは我が心 細にして空に遍ずるは我が仏なり 我が仏は思議し難く わが心は広にしてまた大なり』 (秘蔵宝鑰)空海さんの言葉らしい。もっとも近くにある自分の心の姿が、実はもっとも見えにくいのだと解釈しているが、もっとも近くにあっても自分の耳も目も、口も頭も背中も見えていない。大事な物なのに自分には見えていない。そもそも、この「心」とは何を指しているのか。心はどこにあるのかと聞かれると、ほとんどの人は胸に手をあてる。本当にそうなのだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


手探りで 明日という日を 待つサツキ

2018年05月16日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 東かがわ市地方地方は気圧の谷の影響ではじめ曇っていたが、夜には高気圧に覆われて晴れてきている。今日の気温は15.8度から25.3度、湿度は88%から70%、風は1mから3mの南東の風が少しばかり。明日の17日は、湿った空気の影響で概ね曇り、夜遅くには雨の降る所がある見込みらしい。

 

 今朝の空はこのようなどんよりとした感じ。中央に見えるお寺の屋根が、さぬき手袋の発祥の寺、浄土真宗本願寺派の教蓮寺さん。ここの境内に「積善商会」が置かれて手袋産業がスタートした。

 

 今日もお昼前に散歩をしてきた。病院内一周の20分ほどの散歩である。少しは身体を動かさないと歩けなくなったら大変だから。

 

 ボランティアなのか、お仕事なのか、病院の敷地内で草刈りをしているおじさんがいた。お世辞にもプロだとは思えなかった。足元の草をみただけで、なんじゃこりゃぁ・・と思ってしまった。で、草を刈り残したまんま、刈った草をそのまんまで姿を消してしまっていた。

 

 で、私が見ていたのはおじさんではなくて、草刈り機械の方。エンジン音がしなくてモーター音がする。あ、充電式草刈り機だなと眺めていた。機械は使いやすそうだが、切り刃が悪いのか、まるで切れていない。

 

 私が使うのには、どんなものにしようか。ペースメーカーにはガソリンエンジンの草刈り機は使えない。ま、体力がもどってから考えることにしよう。

 

 さて、今日はJアラートの訓練が行なわあれた様子。でも、何が何だかわからない訓練だった。

 

 散歩のあとの水分補給兼糖分補給。塩分は要注意だけれど、糖分は禁止とは言われていないし、水分をごくごく・・も禁止だけれど、なめる水分はいいんじゃなかろうか。禁止食べ物には指定されていない。

 

 大きな声では言えないけれど、小さな声では聞こえない。この県立病院に入院して、今日で「51日目」、明日が「52日目」ということになる。病院のドクターも大きな決断をして、(というか、うちの奥方が決断して、)金曜日の18日の退院となった。奥方がお休みだからである。

 

 ということで、これは「ペースメーカー外来」というものだが、外来というよりも「病室診療」みたいになっている。これで、私のペースメーカーの様子を確認したらしい。ま、どうせ、18日には、私は香川大学医学部附属病院で、この「ペースメーカー外来」を受診するのだけれど、ここの病院はここの病院で、香川医大は香川医大の流儀での診察になる。

 

 で、こういう手帳に、フォローアップのデータを記入してくれた。これから先、9年間は電池の動作も大丈夫みたい。でも、肝心の肺臓とか心臓が壊れたら、このペースメーカーも動かなくなってしまうらしい。9年間、生命の保証ではないらしい。

 

 ま、見てもよくわからない内容ばかり。今日からまたも、四人部屋が一人部屋になってしまった。

 

 今日の掲示板はこれ。「世の中には二つのタイプの人がいる 一つは何かに挑戦しようとする勇気をくれる人。もう一つは 何かに挑戦しようとする時に その勇気を削ぐ人。」というもの。皆さんの近くにもきっと居る筈・・・、そんな人。「やったらええがなぁ、君ならやれるやろ・・」と、勇気をくれて応援してくれる人。うれしいではないか・・・。でも、反対に、「やめ ときぃ・・。そんなアホすんのは損やでぇ・・・。やめとき・やめとき」などと、はなからやる気を止めてしまう人・・・。どれだけ、悔しい思いをしてきたこ とか。幸せや成功というのは、何かを手に入れるからなれるものではない。今、この瞬間にも「幸せだ」「成功している」と感じるものである。今よりももっと素晴らしい人生を手に入れるためには、今の場所にとどまっていてはダメである。今の状況をドンドンと変えていきたいものである。そして、自分の人生を生きていくために挑戦している人に勇気を与える人になりたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


芍薬の 恵みあふれて 生きる夢

2018年05月14日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 東かがわ市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は16.2度から24.5度、湿度は92%から57%、風は2mから4mの西北西の風が少しばかり。明日の15日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 このおうちのアジサイの花も咲いて終わった。今日は初夏の暑さになった模様。季節の移ろいはすばやいものだ。

 

 今日は月曜日ということで、シーツ替えが行われた。ノリの効いた真っ白いシーツは気持ちがいい。

 

 これで、病室内が明るくなったように見える。

 

 今日は久々にシャワーを浴びて、頭もからだもさっぱりとした。家だと当たり前のように風呂に入るのだが、ここだと、なぜか面倒で、二週間あまりもシャワーも浴びていなかった。

 

 さてだ・・・。病院側も、そろそろと私を追い出そうと準備を始めているし、私もいい加減にここを出たいと念じている。で、病院としても、いったん、退院させたら、すぐに舞い戻ってこられても困る。そこで、考えられたのが夜間用の酸素マスク。私は、こんなものは断固拒否した。睡眠時無呼吸症候群ではあるまいし・・・。

 

 そこで、ドクターが考え付いたのがこれ。「酸素濃縮装置」というもの。つまり、部屋中に充満している空気の中から酸素を取り出して使う装置である。これを使って、「在宅酸素療法=HOT」しようというものである。

 

 これで、酸素を供給して、呼吸を助けようとするもの。夜間に苦しくならないように、酸素を肺や心臓に強制的に供給するもの。私の場合、昼間は苦しくならないのだが、夜間に呼吸困難になることが多いかららしい。

 

 これで、しばらく様子を見て、効果があるようならば、これを我が家に運んでもらって、夜間だけ、この装置で生命を維持させよとするもの。もちろん、頓服だの、利尿剤だの、安定剤だのの薬剤も用意はしておくらしい。

 

 先の「HOT」は、この言葉の略字である。ま、私の場合は、夜間、寝るときだけの起動になるけれど。そういうことで、病院側もそろそろと退院準備をはじめてくれている。

 

 今日の掲示板はこれ。「本気でやれば何でも面白くなる! 夢はでっかく!根は深く!」というもの。「あいだみつを」さんの言葉でもあるようだが、定かなことはわからない。大分県の出身である「後藤 静香(ごとうせいこう)」さんは昭和44年に84歳で亡くなられた方だが、その教えは現代にも生きているようだ。

 本気
  本気ですれば、大抵なことは出来る
  本気ですれば、何でも面白い。
 本気でしていると、誰かが助けてくれる。
  人間を幸福にするために、本気で働いているものは、
   みんな幸福で、みんな偉い。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


生かされて 今日も雨なり 野のあざみ

2018年05月13日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 東かがわ市地方は前線や湿った空気の影響で夕方まで雨や雷雨となるっている。気温は16度から23.0度、湿度は70%から96%、風は1mから3mの北西の風が少しばかり。明日の14日は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 天気予報通りに雨である。雨もまた大事、晴れもまた大事。

 

 さて、今朝も「コード・ブルー」の放送があった。「コードブルー、コードブルー。職員は2XX号室に集合!」という男性の声での放送。今日はあわただしく看護師やドクターが走り回っていた。レントゲン技師まで招集されていた。

 

 入院患者ならば、担当医師を呼べばいいじゃないか・・と、思うのだけれど、この「コード・ブルー」は、とにかく、病院にいる職員を招集する。というのも、何が起こったのか、起こっているのかがわからない状態だから「全員集合」なわけらしい。

 

 患者の原因がわからないとき、人手が欲しいときなどに多くの力と知恵を集めたい場合に招集されるのが、この、「コードブルー」らしい。

 

 この病院の場合、2XX・・・と放送すれば、「二棟のXX号室」、3XX・・・とアナウンスがあれば、「三棟のXX号室」とわかる仕組みらしい。

 

 さて、いつかも触れたのだけれど、この文字・・・「増悪」である。普通は、「ぞうお」と読んで、「激しい憎しみ」という意味になるのだが、病院では、これを、そうは読まない。これは、「ぞうあく」と読んで、「症状が悪化すること」を意味するのだそうだ。

 

 つまり・・・、心不全増悪を四回、四段階経過すれば、おしまい・・ということになるらしい。 

 

 危険がいっぱい・・・という感じ。

 

 これらで見ると、「塩分」「水分」「過労」「治療薬服用の不徹底」というのが危険分子みたい。アルコール、睡眠不足あたりにも要注意だな。

 

 今日、たまたま、テレビドラマの「コード・ブルー」を見たけれど、単なるドラマだなぁと眺めただけだった。ドクターヘリらしい切れの良さが欲しかったなぁと思った。

 

 今日の掲示板はこれ。「よいことばかり いつまでも続かない 悪いことばかりもいつまでも続かない」というもの。町内の善楽寺さんの掲示板にあったもの。美輪明宏さんの「正負の法則」によると・・・「幸福ばかりの足し算の生活をしていると、やがて地球上の法則で恐ろしい引き算がどっと押し寄せてくる」し、 健康法の本とか願望実現の指南本を書く著者は、病気(特に癌)で早死にしたり、素敵な恋人を得る本や幸せな結婚の秘訣本を書く人は、夫が家を出たり、険悪 になり離婚するという法則」かららしい。丹波哲郎さんとの対談によると・・・人生は、正負の法則で成り立っている。世の中、良いことと悪いことは相対して 起こる・・というのだが、ま、いろんな考えがあるものだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


花群れて まだ病室に 独り居る

2018年05月12日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 東かがわ市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は11.9度から21.5度、湿度は82%から59%、風は2mから3mの南東の風が少しばかり。明日の13日は、前線や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎから雨で雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 香川、東讃地方は、昔から土地が狭まいうえに水利は悪く、水稲耕作には恵まれた土地とはいえない状況下にあった。そこで、住民は農業だけに頼ることができなくなり、 天正年間(約400年前)に製塩業が起こり、寛政年間(約200年前)には、製糖業が起こった。いずれも讃岐三白の一つとして隆昌し、地域の生活を繁栄させたが、 明治に入り、外国産製品の輸入や技術の立ち遅れで衰退してしまった。加えて、白鳥神社に与えられていた朱印地という特権もなくなり、門前町としての賑わいと繁栄が姿を消すこととなった。

 

 このような環境下に、手袋産業にとっての大恩人、 両児舜礼と棚次辰吉の両名によってもたらされた手袋製造の仕事は、地域にとって恵みの雨となり、しっかりと根づくこととなった。 

 

 明治19年、白鳥村にある千光寺副住職両児舜礼は、寺の近くに住む明石タケノに恋をし、大阪へと駆け落ちした。

 

 生活費を稼ぐため舜礼は托鉢にまわり、タケノは隣家でやっていたメリヤス製品の賃縫いをはじめた。しばらくして、舜礼はこのメリヤス製品に着目し、托鉢をやめてメリヤス手袋の製造に専念することになるが、この年、明治21年が東かがわ手袋の誕生の年となった。

 

 当時の手袋はてぐつ(手靴)といわれた指無し手袋で、一つ一つ型紙にあわせて鋏で摘み、手廻しミシンで縫うといった、まったくの手仕事で量産は困難だったが、 船場商人を通じてよく売れ、舜礼はメリヤス手袋製造業の将来は明るいと見て、家業とし拡大する決心をした。

 

 明治24年1月、父の仏事に帰郷した際に舜礼は、 従兄弟の棚次辰吉(当時18歳)とタケノの親類筋の寺井カネ(当時18歳)と六車ルイ(当時19歳)を雇入れて連れ帰り、家業を拡大本格経営に移った。 しかし舜礼はその年の6月脳涙結昌病というめずらしい病気で39歳の短い生涯を閉じることになってしまった。

 

 舜礼の急死後、従兄弟の棚次辰吉が、未亡人明石タケノを助けて遺業を継ぐこととなった。その後、実質的後継者として手袋製造業の経営をはじめた棚次辰吉だったが、干し大根でつくる「ハリハリ」だけがおかずの日々という苦闘の末、大阪における手袋産業の地位を築きあげることに成功する。

 

 明治32年、棚次辰吉は故郷に錦を飾り、当時、衰退期にあった製塩業に従事する塩業民救済のため、松原村の教蓮寺住職楠正雄、村長橋本安兵衛の協力を得て教蓮寺境内に手袋製造所「積善商会(シャクゼンショウカイ)」を開設する。ここに初めて香川・東讃地区での手袋製造が始まることとなった。

 

 手袋製造業の種をまき、育てあげることに情熱を注いだ棚次辰吉は、その後[軽便飾縫機]など新しいミシンを発明し、世界特許をとるなど、視野を広く世界に開き、欧米諸国を視察して先進技術の研究導入にも力を注いだ。ミシン以外にも セーム加工機、手の大きさ測定器など24種類にわたる特許権を取得するなど経営者としては勿論、技術者としても業界発展のために貢献し大きな足跡を残した。

 

  種をまかれた手袋製造業は、その後も副業として着実に地域に定着するが、産業としての基盤を確立するキッカケは、大正3年に勃発した第一次世界大戦特需であった。

 当時、世界の手袋はドイツが生産の中心国であり、素材の生産、供給と完成した手袋の販売機能を担っていたのがイギリスということで、その両国が交戦国になったため、日本へ戦争特需として大量の注文が入った。この特需に応えるため、最盛期1000人を超える社員が働き、大規模な生産能力を備えた大阪手袋(株)、東洋手袋(株)の2社が受け皿になって対応、家内工業からの脱皮の一つのキッカケとなった。

 

 この本堂のすぐ横に、「手袋の始祖」とも仰がれている「両児舜礼」という人のお墓がある。元はこの地の塩田で働く農家の息子が岡山の両児山金剛寺に入って修行した。ここで、「舜礼」という名を頂戴して「両児舜礼(ふたご・しゅんれい)」という名になった。本名は、「棚次米吉」であった。31歳の時、この千光寺の副住職として戻ったが、土地のタケノという女性と駆け落ちし、大阪で苦労した。その時、メリヤスと手袋を知り、手袋の基礎を築いたが38歳で病死した。その手袋の芽は、タケノ未亡人といとこの棚次辰吉によって大きく成長し、東かがわ市の基幹産業にまで発展した。

 

 今日の掲示板はこれ。「病気を治すのがお念仏の御利益ではない どんな病気をもむだにしない心がお念仏の御利益である」という太田祖電のことばから。お念仏とは「おまじない」や「呪文」ではない。お念仏を称えても病気を治したりお金持ちになったりはしない。どんな病気になっても、生かされているこの私の生き方を、無駄にしないことこそがお念仏のありがたいこころなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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