goo blog サービス終了のお知らせ 

まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

秋の日が キャンプサイトを のぞき込む

2011年10月09日 | たまには旅など・・。

 この頃だと、ヤブ蚊とかの害虫も居ないし、そうそう、風もなくて快適やった・・・。一昨年は夜中に雨が降り出して・・・テントの中も水が入ってきて散々やったけど、今回はそういうこともなくて。

 

 私はいつも通りの6時起き。で、朝の散歩に出た。その近くに、昔からの「田の浦キャンプ場」というのがあった筈だと・・・歩いてみた。今もキャンプ場はあるのだが、誰も居ない・・・。キャンプ用の芝生はあるんだが、そこに車が入れないのでは荷物の搬入が大変だから、若い家族は敬遠するんだろうね。

 

 朝の七時になると、あたりも家族も起き出してきて・・・朝食の準備。朝食が終わると・・そろそろと片付けモード、撤収モードに入る・・・。設営の時には期待とか楽しみがあるもので、キビキビと動くが・・、撤収になると・・邪魔くさいというか面倒というかで、ついつい・・だらだらモードになってしまうもの。

 

 九時半ほどになると・・片付けも終わって・・続々と・・次の目的地に向かう車が動き出す。ここで、連泊の若者もいるみたいだし、大型のキャンピングカーあたりはゆったりとしたもの・・。

 

 けいこばぁから・・「勤務が終わったから、一緒にご飯でも・・」という連絡が入ったとかで、急遽、病院までお迎えに行ったり、途中でなぎちゃんのお買い物につきあったりしながら・・・鳴門方面へドライブがてら・・「梨」のお買い物・・・。「梨」だって、ちゃんとしたものを買うと、一箱で8個とか10個入りが2600円とかもする・・。うちの家族は・・・6個入りが200円とかのものを買う。

 

 国道沿いに新しくできたという漁協さんがやってる産直市場に寄った。

 

 で、そこの釣り堀ではやてちゃんが続々と魚を釣り上げる・・・。カワハギとかガシラとか・・・。おとなたちは・・大物のタイとかタコとかを狙うが、そういうものはすぐに糸が切れてしまう。はやてちゃんは・・小魚のおとなしいものをたくみに引っかけて釣り上げる・・・。

 

 帰りに・・東かがわ市引田にある「活魚料理讃岐家」に寄ってお昼になった。

 

 食事をしていると、窓から・・こんなものが。パラグライダーというんだろうかハンググライダーというんだろうかね。県境沿いの高い山から飛び出して、この海岸沿いに降りてくる・・・。

 

 これが私の注文した・・讃岐家A定食・・。これは少し・・・ボリュームがありすぎた。いつもはうどん一玉だからね・・・。

 

 午後からは・・・テントだの寝袋だのを干して片付けたりして、夕方からは・・・まだ、釣り足りないのか・・・はやてちゃんたちは海釣りに出かけてしまった・・・。

 

じゃぁ、また、明日、きっと会えるといいね。


手を打って 木の実しきりと 降っている

2011年10月08日 | たまには旅など・・。

 朝夕は寒いほどだが、日中は20数度を超える暑い毎日になる。そうは言っても真夏のような過激な暑さではない・・・。

 

 朝の間の1時間ほど散歩をした来たけれど、それだけで・・シャツが汗まみれになってしまった。さすがにシャワーを浴びるほどではないが、着替えはしなくてはならなかった・・・。

 

 早めのおうどんを食べて、午後からはお出かけだ・・・。ということで、町内のうどん屋「まなぶ家」に寄った・・・。ここもセルフのお店だ・・。

 

 左手から並んで行って、うどんの種別、玉の数、熱いのか冷たいのかを注文して、麺を受け取り、天ぷらもの、ご飯ものなどのサブメニューをチョイスして、右端でお会計を済ませる。その後、好きな席について食べる・食べ終わったあとで、食器を返却口から戻しておしまい・・・。

 

 この日は、かけうどん小にちくわの天ぷらで(180+100)の280円。

 午後からは・・・娘家族と一緒に、東かがわ市引田(ひけた)の大池オートキャンプ場へ移動・・。

 

 ここも一時期は閑散としていて、公衆電話も取り外したりとしたが、最近は安くて、近くで・・・みたいなことで人気があるらしい・・。この日は三連休の初日ともあって、オートキャンプサイトとかキャンピングカーサイトなんぞはいっぱい・・・。で、こうした、フリーサイトでのキャンプになった。

 

 左手の紅い建物が管理棟・・・。やはり、大阪あたりからの車が多いが、川崎とか札幌ナンバーの車も見かけた・・・。

 

 これがうちとこのサイト。中央のタープが食事とかのテント、右手が宿泊用。

 

 最近は、こういうコンロで、飯ごう炊飯とかパン焼きをやったり、あとは焼き肉をしたりと・・・。

 

 そろそろ、ご飯ができたかなぁ・・というチェック中・・。ご飯もほんわかとしたおいしいできになった。

 

 さすがに夜になると冷え込んできて、まきを燃やして暖をとって、早めにお休みしたのでありました・・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


そぞろ行く 藍の館の 金木犀

2011年10月01日 | たまには旅など・・。

 昨夜は・・・宿毛からのお客様が来られて・・・。ささやかながらのミニ宴会になった・・・。昨年の秋に・・・お邪魔した あの宿毛の方だ・・・。

 宿毛の実家から埼玉の実家へ(?)戻る途中に、我が家に立ち寄ってくれたもの。昨夜は少しばかりのごちそうでにぎやかな宴会となった訳だ・・・。

 で、念願の・・・徳島県脇町の「うだつの町並み」というのを見たいとおっしゃるので、午前中に行ってきた・・・。

 

 よく、「あいつはうだつの上がらん男でな~・・」などという、あの、「うだつ」だ。漢字では「卯建」と書くらしい・・。真ん中がけいこばぁ・・で、右が歯科衛生士学校で一緒だった「千谷(ちや)さん」左の男性がその千谷さんのご主人・・・。けいこばぁの頭の上の屋根に乗ってるのが「うだつ」・・。あ、奥方は・・今は・・ケアマネさん兼介護福祉士をやっとりますよ~。

 よくわからん・・・ってかいな。

 

 こういうもんだ・・・。家と家の境の屋根に、火災避けとか泥棒避けのために小さな障壁をつけてあるが、実際には火災防止にも泥棒避けにもならない・・。本気でやるならば・・屋根の下のほうまで完璧に障壁を出さないといけない・・。

 ま、こういう・・あってもなくてもいいようなものに多額のお金を使える男が・・「うだつのあがる男」。そんな無駄なことにはお金を使わないのが「うだつの上がらぬ男」なのらしい・・。

 

 このお姉さんも若いねぇ・・・。今まだ元気なのか知らんね。この看板の前は写真撮影のポイントみたい・・・。入れ替わり立ち替わりで写真に収まっている看板・・・。

 そういえば・・このボンカレーは徳島で作られているらしい・・。今も徳島で作られているかどうかはさだかでないが・・・。

 

  さてだ・・・。この袢纏は・・昨日に千葉から届いたものだが、この藍(あい)だ・・・。

 今日の、この・・徳島県美馬市脇町っていうのは、その昔、「藍商人」で栄えた町。吉野川流域で栽培された「藍」を船で運んで、商売になった。その利益で豪邸のような「藍屋敷」を構えて、「うだつ」という文化を起こしたところ・・・。

 

 で、これが・・・「藍」らしい・・・。「へ?これが・・?」

 今朝の「マリンママのひとり言」に出ていた・・イヌタデ・・と一緒じゃん・・・。それだし、どこにでもあるような雑草じゃろ・・・。

 プロ野球選手を目指す「独立リーグ」の「四国アイランドリーグPlus」の徳島チームが、「徳島インディゴ・ソックス」というらしい。詳しいことは知らないけれど。その・・「インディゴ」というのが「藍」のことらしい・・・。

 

 あ、北海道には彼岸花が自生しないと聞いたもので、お礼の意味を込めて・・・。

 

 白い彼岸花のプレゼント・・・。

 

 そのほかの方々にも・・我が家からのキンモクセイのお花のプレゼント。香りがお届けできたらいいのだけれど・・・。

 で、今日のお昼は・・・、そのお客様を高速道路のインターチェンジまでお送りしてから・・・、けいこばぁのおごりで、ここになった。

 

 東かがわ市白鳥(しろとり)という町にある「讃州うどん・ほそかわ」。ちょうど・・13時前の土曜日ということで・・10分ほど待たされた。ま、仕方がないかなぁと待ったけれど、うどん屋だからね・・・。回転は速い・・・。

 

 「今日は普通のぶっかけでいいでっしょ!」と奥方が言うもんだで、仕方なくそれにした。とにかく・・待つのは苦手なんだ・・・。これで・・350円。本来、食べたかった・・「ちくわの磯辺揚げ」を追加しても100円増し。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


台風の 去って路地にも 下駄の音

2011年09月09日 | たまには旅など・・。

 昨夜も自治会長さんと反省会やら作戦会議をやっていて、なんだかんだで・・・11時過ぎに寝たせいもあるのかどうか、朝目覚めたら・・・午前6時前やった・・・。ま、涼しくなったのと、朝が暗くなったせいもあるのかも知れない・・・。

 

 だから・・朝一番の7時15分発はあきらめて、8時半発のフェリーで島を出ることになった。だから、急いでご飯を炊いておむすびを作った・・・。朝ご飯も食べてお茶も用意した・・・。

 8時前に高速艇が着くが、先に紹介した・・伊勢大神楽(いせだいかぐら)の太夫さんが6人だか8人だかやってきた。車は港において、宿舎は丸亀港近くのホテルで泊まって島でのお神楽を舞うのらしい・・。

 

 お神楽というても・・・歌舞伎のような神殿前の舞ではなくて、「染太郎・染の助」みたいなサーカスみたいなお神楽を舞う・・・。そういう一行がやってきて、今日で三日目だとか。

 私は・・・8時半のフェリーで丸亀港に向かい、そこから塩飽本島(ほんじま)に向かうのだが、ここで1時間20分も待たされた。これが離島の悲しさだ・・・。

 

 10時40分発のほんじま丸に乗って・・・11時過ぎに塩飽本島の泊(とまり)港に着く。ほぼ・・お昼前ってことだ。そこでレンタ・サイクルを借りてサイクリングで笠島(かさしま)という集落に行く・・・。そこに・・例の・・ベーハ小屋があるというのだ。

 

 確かに・・・ベーハ小屋はあった。あったが、相当いたんでいているなぁと思った。これでは崩壊というか自然同化も遠くないなぁと思った・・・。

 その後、海岸の涼しいところで・・・お昼のおむすびを食べた。写真もあったが、今回は掲載しない・・。

 

 「国の伝統的建造物群保存地区」という「笠島まちなみ保存地区」を散策したのち・・・、

 

 咸臨丸乗組水夫・豊島兵吉の生家というおうちにお邪魔した。ここが・・・「ギャラリー・ARTE(アルテ)」というお店になっている。簡単な食事もできるし、カフェにもなっているらしい。そんな難しいことはわからないが、ビールを飲ませてくれるらしい・・・というのでお邪魔した。

 

 のどを潤したあとは・・・またもベーハ小屋を探す旅を続けたが、あまりにも暑くなってきたもので、ギブアップ。夕方まで走り回る予定をやめて、早々に帰宅することにした・・・。

 

 塩飽勤番所のお玉ちゃんほかにもご挨拶したかったけれど、お昼休みみたいだったので、ご遠慮申し上げて・・・素通りした。11月にはちゃんとお邪魔するけんね。

 

 その後、宝性寺に寄ったり、木烏神社に寄ったりした後、フェリー乗り場近くで缶ビールを飲んで休憩・・・・。

 

 昨年に作られた顕彰碑なぞを眺めながら一休みしたのち、14時過ぎの高速艇で本島を出た・・・。台風一過のあと、涼しくなっていたのに、今日は蒸し暑い一日で・・・熱中症になったのかと思うようなお疲れ・・・。

 

 早々にシャワーを浴びて・・・お休みすることにした・・・。お年なんだろうかねぇ・・・・。

じゃぁ、また、明日は元気にご挨拶、できるといいね。


飛び回る とんぼもたまには 羽休め

2011年09月06日 | たまには旅など・・。

 いろんな人のブログをみていると、やれ台北だ、大連だ、ドコール空港だとご婦人方の旅は豪勢なものだ・・・。それならば・・ということで、私が出かけた”海外旅行”はというと・・・、町内の島である・・・「手島」というところ・・・。

 

 朝一番のフェリーが丸亀港を午前6時15分だかに出港して、江の浦に着くのが7時前。それに乗って行くと・・・7時半に、この広島町手島という島に着く。海上約30分ってところか。

 

 もちろんお目当てはこうした・・ベーハ(米葉)小屋だ。そのためには、前夜からお米をといで炊飯器にセットして、6時には炊きあがるようしておいて、朝食を食べてから・・・おむすびを作って用意して・・・。なにせ、この手島には自動販売機もないし、お店すらない・・。ないことはないが・・・あてにはできないお店が一軒だけあるが、普段はシャッターが降りることが多いらしい。

 

 一週間前に来たときには、ここには「越屋根」という屋根がくの字にはなっていたが、まだ、形はあったのに、先の台風で壊れてしまっていた・・・。全く・・・崩壊は突然にやって来るね。

 

 この手島という島も・・・「塩飽(しわく)人名(にんみょう)領で、江戸時代にはそれなりに栄えたし、家大工が多く出たことも有名だった・・。いわゆる・・「塩飽大工」と呼ばれるものだった・・。明治になって「人名」という特権が消滅して、島の人々は農業を選ぶもの、島外へ大工として転身するものが出たが・・・先の大戦後までは大いににぎわった島だった・・・。

 

 戦後・・・日本の産業は大きく変革して、島の様相を一変させた。若者たちは島を出て働き、島に残ったのは老人たちばかりだった・・・。そこで養蚕や葉たばこの栽培などが行われたが、それも・・・貿易自由化などの政策によって崩壊・・・。昭和50年代には小学校も廃校になった。

 

 この島には・・・寄って立つ産業がなかったために、働く場を求めて・・・島を出るしかなかった・・・。今は・・・稲作すら行う人がなく・・ほそぼそと年金暮らしで生きているばかりだ。

 

 島をぐるりと歩いてみても・・・人に会うことはなかったし、ものの・・1時間で歩き終わった。持ってきた・・・缶ビールを飲んで休憩して、今度は逆コースで歩いてみても・・・やはり・・1時間ほどで戻ってしまう・・・。

 

 次に船が迎えに来るのは・・・12時05分・・・。まだまだ・・・3時間近くも待たないと船は来ない・・・。まるで時計がとまってしまったかのような空間・・・。見知らぬ島にぽつんとおいておかれたような空虚感と脱力感・・・。することもなく、行くところもなく・・・何をするでもない時間・・・。

 「ここはどこ・・・」「私はだれ・・・」みたいな異様な雰囲気の島・・・。あなたなら・・どうする?

 本屋はない。コンビニもない・・・。喫茶店などあるはずがない・・・。

 仕方がないので・・用意してきたお茶を飲んでおむすびを食べた・・・。

 

 用意してきた缶ビールはとっくに飲んで終わった・・・。

 それでもまだ・・・10時だ・・・。あと・・2時間・・・。仕方がないので・・・三度目の島の散歩に向かった・・・。島自体は大きな島だが・・・多くが山林で・・・その平地部分の集落をゆっくりと歩いて一時間ほど・・。山の中腹にはお寺や神社などもあるが、坂道を上っていく元気はもう無い・・。

 

 待ちわびて・・・待ちわびて・・・ようやく・・12時10分発の高速艇がやってきて乗り込んだ時には・・・思わず・・「助かった・・・」と思った・・・。

 

 家に着くなり・・・着替えもせずに・・・和室にころげこんで寝てしまった・・・。普段には絶対に昼寝なんぞしないのにね・・・。

 

じゃぁ、また、明日、きっと会えるといいね。


勝覚寺一行親鸞聖人750回大遠忌法要の旅・二日目

2011年05月25日 | たまには旅など・・。

 さて・・・今朝はゆっくりとした朝・・。ホテルを8時過ぎに出る・・・ということは、早めに起きて・・朝の6時前から朝風呂に入って・・着替えをして・・・朝食を朝の七時過ぎから食べて・・・8時過ぎに出発ってこと・・。

 

 北陸って、めったに来られないもので・・何もかもが珍しい・・・。この芦原温泉というのは・・水田用の灌漑用井戸を掘っていたら水田の中から温泉がわき出たということで、田んぼの中にある温泉だけれど・・、この田植え時期にはお客などいなくて、私ら30人が貸し切り状態・・。

 

 丸岡ICから・・北陸・名神自動車道に入って・・・多賀サービスエリアでトイレ休憩。9時50分から10時まで・・・。

 

 そこからは40分ほどで京都南ICに出る・・・。

 

 京都といえば・・「本願寺さん」だ・・。ま、人によっては「京都タワーだ」「いや、東寺だ」「清水寺だ・・」とさまざまだろうけれども・・。私にしたら・・・なんでか知らんけれど・・本願寺さんだ・・。「お東さん」はまた・・・別格みたいで、あんまし興味がない・・・。このあたり・・・というても、香川県東部では・・「大谷派」というのはなじみがないしね・・。

 

 これは・・・本願寺さんの「唐門:からもん」で国宝らしい・・。国宝をこんなところに置いておくんかねぇ・・・。

 このお隣にあるのがうちの本山・・・「興正寺:こうしょうじ」。「興隆正法:こうりゅう・しょうぼう」という言葉からとられたもの。正しい法を興してたかめる・・」というような意味らしい。京都には、先の本願寺派・大谷派・興正派・佛光寺派という四派の本山がある・・。

 

 これが・・いわゆる「三門」。空門・無相門・無願門を経て仏国土にいたる門であり、「三解脱門」とも呼ばれている・・・。

 

 こちらは・・「転輪経蔵」丸い棚に経典がおさめられている。ま、昔の回転式本棚だ。ここには「経」「律」「論」のすべての「国訳一切経」という経典が収められている。

 

 ここで、御門主さまとの記念撮影。真ん中の金色の略袈裟をつけているのが「花園真暢猊下」。赤い略袈裟が僧侶のしるし。うちのお寺の住職さん、坊守さんご夫妻と・・。この中に私もいるんです・・。

 ここで、宗祖親鸞聖人さまの750回忌法要が行われるということで、全国各地からお参りの人が押し寄せる・・・というても、人がおらんでしょ・・。実は・・一座400人限定ということで、県別・組織別に割り当てがあって、一座の法要には400人しか入れない仕組みになっている。

 それというのも、この御影堂(ごえいどう)は全席椅子席になっているので、ゆったりと法要にお参りができるように配慮されている。だから、何月何日の何時からの法要にはどこそこ県の第三組の山田寺さんと奥寺さんとこ・・・というような仕組みになっている。全席・・指定席というイメージ。だから・・境内には・・役職員とかサポートの職員しかいない・・。

 

 ま、実際には・・お土産売り場とかお茶の接待所とか、お弁当を食べる休憩所とかが用意されているので、それなりのにぎわいにはなっているはず・・・。

 

 こちらが・・阿弥陀堂という本堂なんだけれど、今回の主役は「親鸞聖人」さまだから、そのお木像がある、御影堂でのご法事となっている・・。

 

 お木像というのはこのようなもの・・。お数珠までが細かく刻まれている・・。このお木像の前で・・・750回忌の法要が行われるわけだ。私らも、このお木像の前で・・・僧侶になる「得度式」をやっていただいた・・・。

 

 今度の・・五〇年後の800回忌には・・・63+50=113歳か・・。たぶん・・・生きてはおらんじゃろうねぇ・・。だから・・今、行っておかねば・・みたいなことやね・・。

 

 本山では・・・13時から・・15時40分まで。その間におみやげを買ったり、おうどんを食べたりして。

 京都の桂川PAでトイレ休憩をして・・一路・・淡路島の淡路SAまで走る・・・。

 

 17時30分には淡路を出て・・・大内ICには18時30分に帰着予定・・・。三本松のお寺には・・19時ころかな・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

 


勝覚寺御一行親鸞聖人750回大遠忌法要の旅・初日

2011年05月24日 | たまには旅など・・。

 今日は・・所属寺院の「だんさん:団体参拝」の旅行日・・。今日から・・一泊二日の「プチ旅行」に出かける・・・。

 朝の六時に・・・昔の「NTT三本松」前に集合・・・。それから・・バスに乗って・・・高松自動車道「白鳥大内(しろとり・おおち)インター」に乗る・・・。でも・・朝から強い雨だ・・・。私はお寺に車を置いて、傘をさして・・旧NTT前に集合・・。お寺の院主(いんじゅ=住職さん)と一緒に出かけた・・・。

 

 このマップ・・、何の役にもたたん地図やね・・。どこがどこやらわからんがな・・。

 で・・、淡路島を走って・・・七時半過ぎに「淡路SA」でトイレ休憩・・。私の朝の薬には・・「利尿剤」が入っているから30分おきにはトイレに行きたくなる・・。これがつらかった・・。淡路までは1時間半ほどやからねぇ・・。

 

 明石海峡大橋を通って中国道に進んで・・・名神高速を進んで・・・大津SAは混んでいるので、次の草津PAでトイレ休憩・・。お年寄りが多いからねぇ・・。かくいう私も最近は・・トイレが近い・・・。この午前中は辛かった・・。ま、この頃になると雨も上がった・・・。

 

 その後・・・名神高速を走って・・・南條SAが11時過ぎ・・・。そこから・・・北陸道に入って・・・福井ICで下りる予定・・・。で、有名な・・・「永平寺」で昼食を食べて・・・自由参拝・・。出発は14時・・・。

 

 窮屈なバスの旅で疲れた手足を伸ばしてゆっくりとして・・。でも・・坂道、石段が多くて・・。こんなところで修業する「雲水」さんは大変やねぇ・・。私らには修行はないし、修行ができるような人間でもないし・・。この人・・「院主さん」ね・。

 毫攝寺(ごうしょうじ)は、浄土真宗「出雲路派」の本山。そこへお参りするのが・・・14時半過ぎ・・・。真宗十派のうちの一つ。

 

 ここは同じ真宗のお寺だから、「道服:どうふく」に「略袈裟」を着用する。お坊さんの制服ってことやね・・。で、今回の法要のための記念略袈裟を着用する・・。

 

 で、おそよ一時間のおまいり・・・ほか。静かなお寺という雰囲気やね・・・。

 

 その後・・・「東尋坊」を散策して・・・。

 

 若いころに来たことがあるが、どうにも高所恐怖症でねぇ・・。足元が見えるというのはどうにもこうにも気分がよくない・・・。若いころには・・・高いところが好きで・・・電柱とか鉄塔とか・・・が大好きで「けむりとなんとかは高いところが好き・・」と、馬鹿にされていたもんだったのだが・・。

 

 で、お泊まりは「芦原(あわら)温泉の宿・八木」というらしい・・。

 

 この左手奥には露天風呂もあった・・。気分だけでもお楽しみくださいな・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


山つつじ 花添えている 大師堂

2011年05月15日 | たまには旅など・・。

 さて・・朝からいいお天気になった・・・。洗濯物も干したし、お布団も干したし・・・ということで、朝の8時から・・・我が家の背後にある・・・高さ・・312mの「王頭山」に登ってみようと思い立った・・。ここだって、何度も登っているので珍しくはないが、今回は・・・その王頭山から・・心経山に抜けてみようと思い立ったわけだ。そのルートは・・今回が初めて・・・。

 

 我が家から山の方に歩いて行くと・・、こんな場所がある。柿の木が目印だということだった・・。左手の舗装道路は砂防ダムに向かう道路。真ん中の掲示板みたいなところに地図やらノートが置いてある。ここを右手に入る・・。

 

  そこから・・・すぐに尾根に出る急な坂道があって、そこを乗り越えたら・・・尾根に出て・・、あとは尾根伝いに歩いて行けばいい・・・。

 

 時期的には・・・暑くもなく寒くもなく・・・ときおり吹き上げてくる風が冷たくて気持ちがいい・・。ま、汗は流れるが・・・タオルでぬぐうほどでもない・・。

 

  こうした・・・花に集まる小さな蜂が耳につく程度で・・・そんなにあぶない虫にも出会わない・・・。 距離的にはわからんのだけれど・・、我が家を8時に出て・・王頭山には一時間後の9時には到着・・。途中で休んだりもしたし、「王頭砂漠」では写真を撮ったりしてゆっくりとしたつもり・・。頂上の三角点に着いたのが9時半・・・。

 

 これが・・・この山の名所とも言うべきところ・・。「王頭砂漠」とか「王頭地獄」とかいう・・。とにかく・・、ここだけは・・草が生えていない・・・。

 

 まるで、誰かが・・人工的に組み上げたような異様な空間がここにはある・・・。こんな石は、なんで転がって落ちないんだろうか・・・みたいな・・。

 

 でもねぇ・・、よく見ると・・・これらの石にも落書きが・・・。石に自分の名前とかを刻み込んである・・・。みっともないね・・。ここまで来て・・、こんな場所で自己主張するかね・・。

 ここから・・およそ・・・100mほど尾根を進むと・・・三角点に出る・・。

 

 この三角点にタッチして・・さらに尾根を進む・・・。

 

 これは・・・江の浦港をみたところ・・。その向こうの島影は・・・しわく本島(ほんじま)と、牛島・・・。その先の・・・瀬戸大橋はかすんでいて見えない・・・。

 

 一方・・、こちらは・・・佐柳(さなぎ)島と小島(おしま)・・・。この前ははっきりくっきりと見えたのに、今日は春霞なんだか、黄砂なんだか・・・ぼんやりしててみえない・・・。

 とりあえず、ここまで保存・・。

 三角点からまたも尾根を進んでいくと・・「心経山」という小さなプレートがある。それに従って・・・尾根を下ったり登ったり・・・。

 

 尾根を越えたら・・・この前と同じような・・・落ち葉だらけの草のない斜面を・・・転がるように下っていく・・・。でも、木の枝や幹に・・・ビニールテープが巻きつけてあるので、それを目印にして坂道を下っていくと・・・、この前に歩いた・・心経山の大師堂前に出た・・・。

 

 これが・・山頂にある・・・52番札所のお不動さんらしい・・・。これを確認して・・・・あとは・・・青木の県道まで駆け下りて・・・、今度は・・・徒歩で・・青木から・・・とぼとぼと歩いて・・・12時半過ぎ・・・。NHKののど自慢が終わる直前になって我が家に戻った・・・・。

 午後の部は・・・また、明日にでも報告するけんね・・。でも、今日もよく歩いたなぁ・・・。四時間半・・・というても、山道のアップダウンがあったからねぇ・・。

 じゃぁ、明日のために早く寝るけんねぇ・・といいつつ・・、こんな時間になってしもた・・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね・・。


初夏のハイキング 市井越え(続き)

2011年05月07日 | たまには旅など・・。

 いいお天気だったし、そんなにも暑そうにもなかったもので、ついつい・・勇気を出して・・・山越えをして「市井」という集落に行ってみようと思った・・・。

 というのも、昨日、札所を探してこの・・江の浦を歩いていると、市井の人が歩いてくるのに出会った。聞くと・・「山越えをしてきた」という。いまどき、山越えの旧道が歩いて通れるものかと思ったが、向こうから歩いてきたのならば、こちらからも歩いていけるのかな・・・と思ったことだった・・。

 

 この地図の、江の浦から・・ポニーの里近くにある・・・玉瀧寺(ぎょくりゅうじ)に続く「市井道」を歩いてみることにした。そのお寺の住職さんのブログによると・・1時間半程度だという・・・。だったら、往復しても3時間。お昼に出れば、夕方には戻れるなぁと思った・・・。

 

 江の浦の奥に、「鳴子観音堂」という28番札所の小さなお堂がある。その前から細い道を進んで・・・沢を超えて山道が伸びている。これなら歩けそう・・・・ということで山道に入って行った・・・。

 

 いまどき、この道を歩く人がいるんだろうか・・。草も生えていなくて、歩きやすい道だった。そこから、少しずつ道は上りになって30分もすれば第一の尾根を越える・・・。

 こうなると・・山道らしくなるが、こんな道があるのだから、年間に何人かは歩くんだろうね・・。この左手には・・王頭山(おうとうざん)が近くに見える。この王頭山には多くの人が登りに来るが、まさか、この市井道を歩く人は少ないはず・・。

 

 第一の尾根から見える・・江の浦港と、その向こうに見える・・・讃岐富士の「飯野山」。ここから引き返すと簡単だけれど、ここまで来たのだからと・・・再び歩く出すことにした。ここまでで・・・30分。そこからは・・・登ったり・・下ったり・・・の半ば・・歩きやすい山道。

 

 30分ほど・・・だらだら坂を行くと、最後の尾根にさしかかる・・・。これまでは・・・雑草や松の木やシダなんぞが生い茂る山だったものが、この尾根を越えると景色が一転する・・。

 

 背の高い木が林立していて草が生えていない・・・。この林の中をかすかに人が歩いたような跡を探して進んでいく。この坂道がきつい・・。まるで転げ落ちそうな急こう配・・・。そこに落ち葉が降りつんでいるので滑りやすい・・・。まるで・・・水のない沢のようなところを杖をつきながら・・・下っていく・・・。

 

 こんな道を下ってくると・・・竹藪が見えてきた・・・。もうすぐお寺だ・・と思った。和尚さんは・・「ぼや騒ぎのあったところ」に出たらしいが、私の降りたのはお寺の東のお墓の中だった・・・。

 

 お寺を出たら・・・たんぽぽの綿毛が迎えてくれた・・・。思わずに・・・下界に戻ったような気がした・・・。確かに・・・時間は2時半だった。

 それから・・・どうしようかと思った。本当は・・その道を逆戻りしようと考えていた。だから・・・往復3時間だなぁと思っていた・・。でも、こちらから、あの急斜面の山道を登る元気がなかった。その30分を越えたら・・・あとは気楽な下り坂が続くのだけれど・・。ま、そんなにも急な坂道なんだ・・。

 

 とにかく・・・歩いてきたのだから・・・歩いて帰らなければならない・・。途中・・コミュニティーバスがやってきたが、断って、歩いて戻ることにした・・・。市井から茂浦までは海岸線をひたすら歩く・・・。それでも・・・30分ほど・・。途中で・・見残した札所がないか・・と探しながら歩くこと30分。

 

 茂浦からは県道江の浦・茂浦線を南下する・・。この道も登り坂がきつい・・・。頂上の「山の神展望台」でしばしの休憩・・・。休憩たって、ペットボトルのお茶を少しばかり飲むだけ・・・。

 そこからは・・ゆるやかな坂道を下って・・・江の浦目指して歩く・・・。その半分くら下がったところから・・・この前に行った・・「江の浦池」への遊歩道を進み、池の堤防でも一休み・・・。

 

 そこからは・・・細いがしっかりとコンクリート舗装されている竹林の中の道を下って行って・・・江の浦集落に戻った・・・。時計は16時ちょうど・・・。しっかりと・・・往復3時間のハイキングになった・・・。

 洗濯物を取り込んで・・・お風呂に入り、汗を流してほっとしたものだった・・・。

 

 夜・・・自治会長さんがやってきたが、実さんは若いころから郵便局にいて、二十歳のころには速達電報をかかえて、この山道を20分で走って届けたのだという・・・。目が点になる・・・お話。20分???

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


実写版:3月30日の日記帳

2011年03月31日 | たまには旅など・・。

 さて・・・三月30日はいよいよ・・・海上保安庁に行く日だけれど、そこは午後からでないと公開していないので、午前中は・・海の科学館に行くことになった・・・。そこへは・・「ゆりかもめ」という電車にのって、「船の科学館前」という駅でおりる。

 

 まぁ、今回の旅で・・困ったことといえば・・この階段だ・・。節電のために、エレベータやらエスカレーターが全くと言うていいほど動いていない・・。なかなかにお年寄りには階段の上下はつらいものがあった・・。

 

 春休みになったとはいうても・・時期的な問題なのか・・見学者は数えるほど・・。館内は閑散としている分だけ、安心して落ち着いて見学ができた・・。

 

 こういう潜水具から・・丸木舟・芦船から始まって・・・船というものがこれでもか、これでもか・・と置いてある。

 

 この白地に黒の横線が入った帆船は・・「幕府船手組」のマーク。つまり、「幕府軍艦」であることを意味している。。、「鳳凰丸」とか「昇平丸」とか「観光丸」とか・・。ところが・・咸臨丸にはこのような縞模様がない分、「中黒長旗」というのぼり状の吹き流しがメインマストに掲げられていた・・。

 

 はやてちゃんの楽しみにしていたラジコンボート。普通の船とおなじように・・蛇輪を回すと方向がかわり、スロットルの操作で前進・後進・速度調節ができる・・。

 今日の昼食はこの建物内にある「レストラン・海王」で食べた・・。とにかく・・船の数が多くて・・なかなかに全ては見切れない・・・。

 

 午後からは・・砕氷船「宗谷」の見学・・。あの・・南極のオングル島の「昭和基地」まで人材や資材を運んだ船・・・。狭い艦内効率よく分割されていて・・長い航海にはしんどかっただろうなぁというような狭さだ。

 

 はやてちゃんは・・操舵室がお気に入り・・。「とりかぁじ、いっぱい~!」などとやっている。五月の連休には「あかつき2」で実船操作を教えるかなぁ・・。

 ここでも・・階段を上がったりくだったりばかり・・・。さすがに午後になると・・ギブアップ。青函連絡船の「羊蹄丸」は見学中止・・。もう、足がパンパンになっている・・。

 その後は・・地下鉄に乗って・・・築地市場近くの「海上保安庁海洋情報部」へ行って・・「英国軍艦シルビア号」について調査だが・・。

 

 こういう・・・天体測定器具とか測量機材が展示空いてあるが、まぁ・・難しそうなものばかり・・。

 

 

 こういう鳴門周辺の測量地図とか、釜石とかは見みえるのだけれど肝心の瀬戸内海のものはない・・。

 

 これが海軍少将の「柳楢悦」氏。海軍水路部を作った人・・。即ち、現在の海図の基本を作り上げた人ということになる・・。

 

 これが・・海軍の機密海図集。各種軍港の様子、軍艦の配備数などが期されている国歌の機密文書だったものらし・・。

 そういうことで、無事に今回の旅の目的はクリアー。空港近くで・・・軽くお飲み物なんぞを楽しんで、少しばかりの休憩・・・。足がいたくてねぇ・・・。

じゃ、また、今夜、会えるといいね。


実写版:3月29日の日記帳

2011年03月31日 | たまには旅など・・。

 この日も春らしい暖かな日になった・・・。九時半過ぎに家を出て、甥っ子のケイゴ君と、私たち二人は・・横浜に向かった・・。

 

 で、山手にある「外交官の家」なんぞを散策して・・・「横浜ブリキのおもちゃ博物館」に行ってみた。思ったより小さいお店で、3000点とかいうてたけれど、ぎっしりと並んでいるから、そんなに多いおもちゃではないような印象だった・・。ま、ブリキでできた人形・ロボット、船・汽車・自動車・飛行機・・・。あるわ、あるわ・・。

 

 ま、懐かしいなぁとは思ったけれど、それ以上でもそれ以下でもなかったなぁ・・。ま、こういうおもちゃがほしい年代でもないし・・。

 

 その後・・・横浜マリンタワーに案内してくれた・・。私は高所恐怖症だから・・高いところは苦手なんだけれど、まごのはやてちゃんのためならば・・と勇気を出して上がってみた。高さまでは記憶していないが・・・100m前後だろうかね・・・。どうにも、私は高いところが苦手だ・・。

 

 その後・・・日本郵船の「氷川丸」に乗った・・。実は、先のマリンタワーとペアの入場券になっていたもので・・。ま、実に大きな船だ・・。お金持ちはいい船室にとまれるらしいが、一般の人は狭くてきゅうくつな旅やったろうと思うね・・・。

 

 一等客室のお客さんはこんなテーブルでお食事だったらしいし、銀の食器とかで・・。三盗客室は小学校の食堂みたいなものかね・・。

 この船の機関室にはおどろいた・・・。とにかくでっかいエンジンが四つ・・・。まるで・・・小さな工場みたいなもんだった・・・。

  

その後・・・横浜中華街でお食事・・・。本場中国のお料理みたいなわけのわからんものを食べて・・そのあたりをおつゆだらけしてしまったし・・。どうにも田舎者のおのぼりさん風・・・。ま、そのあたりには、それらしき人が大勢いるしね・・・。

 

 食事が終われば・・・「赤い靴はいた女の子」探し・・・。こういう童謡も忘れ去られているみたいで、私が・・・下手な・・「あかいくつ・・・はいてたぁ・・・」と歌うと・・・「あ、これがそうか・・」みたいなことで、若者らが集まってきたが、やがてには・・・すっかりと忘れ去られてしまうのやろうね・・。

 

 その後・・・「横浜開港資料館に行ったり、海上保安庁横浜分室の「北朝鮮工作船展示場」にいってみた・・。

 

  ここの撮影は許可いるようなので・・自粛した。ま、とにかくでかい船だし、漁船を改造して工作船にしたのではなくて、最初からその目的のために作られた工作船だと言うことがわかる・・。とにかく・・大きなエンジンを四個も装備して高速化を図っているし・・・。

 で、今日の旅のしめくくりは・・・ここ。日本丸一世号・・・。

 

 この船はここのドックに保存されていて、実際の航海実習は・・「二世号」が担当しているらしい・・。

 

 これが・・・日本丸の通信室。右側の時計が沈黙時間入りの時計だ・・。

 機関室は・・思ったより小さなエンジンになっていた・・・。

 

 これが四個あったが・・・ちょっとしたトラックのエンジンみたいだなぁとは思った。ま、それが四倍になればパワーもあがるのだろうけれど・・。

じゃぁ、また、あとで・・。

 


実写版:3月28日の日記帳

2011年03月31日 | たまには旅など・・。

 とうとう・・この日がやってきた・・。昨年の秋頃から計画を練って練ってしたのに・・・突然の東北沖関東大震災・・・。田舎は特にわぁわぁ・・と大騒ぎ・・。物資がない、食料がない、電車が止まる、計画停電になる・・・。放射能があふれてる・・、被曝をするぞ・・。

 

 でも・・、この地球上、安全な場所なんてどこにもないんだ・・。それだし・・・誰かさんがいうておった、「クモの糸」・・。カンダタは自分だけ助かろうと思ってクモの巣からお浄土に逃れようとして、あとから来るものを追い落として・・・結局・・自分も地獄に落ちてしまう・・。

 そんな時だからこそ、お互い、助け合おう、分け合おう・・・みたいなことが必要なことだし・・。

 

 高松駅から・・・マリンライナーで岡山駅へ・・。それも・・・三便ほど早い便に乗って・・・。で、岡山駅でお昼だが、「こんなところまできて、おうどんは食べない・・」という我が儘な性格で・・・お豆腐と野菜サラダという簡単なお食事・・。

 

 でも、新幹線は指定席を予約してあるもので、それに乗るしかない・・。二時間あまりを岡山駅で過ごして・・。

 

 で、12時22分だかの「「のぞみ122号」だかに乗って・・・・東京の「品川駅」に着く・・。16時前だったように思う・・。3時間あまりの旅だった・・・。

 で、品川駅で・・・甥っ子のケイゴ君に会って、そこから・・浅草に向かった・・・。

 

 そう、これが・・・アサヒビール本社か・・。違う、違う・・。「東京スカイツリー・タワー」やがな・・。

 その後・・・「勝安芳」の銅像に案内されて・・・。ふーん、こんなものがここにあるんか・・。みたいな印象・・。

 

  そういえば・・、こうした表情の勝さん・・見たような記憶があるね・・。というて、勝さんの実物はみたことがないんやけれど・・。

 

 その後・・・浅草寺や仲見世を歩いて、けいこばぁのおみやげの「唐辛子」を探して歩いて・・・。ま、なんとか、おみやげも買ったしということで・・・弟のおうち、川崎まで戻って・・・。

 さてだ・・。「せっかく、あんちゃんが送ってくれたのに、まだ、計画停電にならんで、使ったことがないんや・・」ということで、「計画停電シュミレーション」・・・。

 

 これは・・・卓上ガスコンロ用のボンベを燃料にする・・アウトドアグッズのランタン・・。けっこう。明るかった・・・。

 

 あと・・、単二乾電池で照明するLEDランタンが二個。早めに準備をしておけば、ランタン生活も楽しめるかなぁとは思った・・。でも、今年の夏場は・・・大幅な電力消費がおこるから、こんな小手先では無理かなぁなどと・・。

じゃぁ、また、少しあとで。

 


旅に来て 空の重さや 弥生尽

2011年03月30日 | たまには旅など・・。

 さて・・・、横浜散歩で疲れた身体を・・・川崎の弟のおうちで休めて・・・、今日はお江戸の散歩。今日が本来の目的地・・。

 その目的地の資料館が開いているのは・・・「水曜日の午後1時から17時まで」だというので、午前中をどするべぇ・・ということで、お台場にある・・船の科学館に行くことにした。ここも東北の地震の影響でお休みをしていたのだが、私らのために特別にあけてくれることになった・・。本当は・・春休みになったということから開館してくれたものらしい・・・。

 

 ここでは・・船に関することがたくさん勉強できる。大きな船の形をした建物は一階から六階まであって、さまざまな海や船のことがわかる・・・。

 

 戦艦大和もいれば和船や潜水艦もいるし、屋外展示では「青函連絡船羊蹄丸」という連絡船もいるし、砕氷船宗谷もいる・・・。まさに船の科学館・・・。ところで・・咸臨丸もいるんだろうか・・・。

  ここがお休みならば・・・靖国神社の就遊館でも行こうかと考えていたのだが、私らの意向をくんでくれて開館してくれたのはありがたい・・・(ほんまかいな・・・)。

 

 で、お昼はおいしいラーメンでも食べて・・・元気をつけて・・・。

 

 今回のメインの目的地はここ・・。海上保安庁海洋情報部。つまり・・だ。さぬき広島にある「英国士官レキの墓」を調べていると、「英国海軍測量船シルビア号」を調べなくてはならない。そのシルビア号に関する資料がここにあるというのだ・・。

 

 で、さぬき広島では「英国士官レキ研究会」というものが立ち上げられたが、いろいろな事情があって、今回、私だけがここに来ることになった。そのついで、まごのはやてちゃんが監視役で、いとこのケイゴ君が道案内ということになったことは先に説明した通り・・。

 

 これは・・・「秘密海図」軍事機密の海図で、軍港や艦船の投錨地などが記入されたもの。

 これは六分儀という天体観測用器具。デジタル設備やコンピュータ機器のない時代に、海洋測量や水路図誌作成にかかわってきた先人達の貴重な資料がここにはある。

 

 これは・・「柳楢悦」。英国測量船シルビア号とともに瀬戸内海を測量した人で、津藩の下級武士だったが、選ばれて長崎海軍伝習所の第一期生として派遣され、勝鱗太郎や榎本武揚らと同期生だった。その後、海軍水路部を創設し、明治四年には海軍少佐に昇進、春日の艦長として北海道沿岸の測量をした。

 これが・・今の・・海上保安庁海洋情報部の前身であった・・。

 

 そのつながりとして働いたのが・・・。

 

 後の真珠王となった・・・、「御木本幸吉である。その足跡を追え!」というのが、今回の旅の指令である・・・。さてさて・・、どこまで・・・シルビア号と御木本幸吉の接点はしぼれるのだろうか・・。

 帰路は・・・羽田発 ANA537便 16:55発 18:10 高松着

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


赤い靴 探してハマは 春の風

2011年03月29日 | たまには旅など・・。

 さて、今日は横浜の旅である。本当ならば・・・「英国士官レキ研究会」のメンバーと一緒に横浜ほかを訪ねる予定であったのだけれど、少しばかり・・・段取りが狂ってしまい、私一人で横浜・東京の旅になる。

 ところが、「それじゃダメでしょ、ビデオちゃん!」ということで、監視役に孫のはやてちゃんがくっついて行くことになって・・・。「そんな・・・、ホテルに泊まるなんて、ダメでしょ、ビデオちゃん!」ということで、弟んちに泊まることになった・・・。

 で、「♪~・・・赤い靴・・・はいてた・・おんなのこぉぉ~」を探して・・横浜に来た・・。

 

 とにかく・・・お船だ・・。昨年春にも・・横須賀・・横浜にやってきたのだけれど、あいにくと・・月曜日だったもので、どことも休館だった・・。その・・リベンジということで・・・横浜に来た・・・。

 この記事は・・・「予約投稿」なので、実際の旅とは違うと思うけれど、それは事後に修正することにして。計画では・・・日本郵船氷川丸・日本郵船資料館・横浜開港資料館・横浜海洋防災基地・・・。

 

 この煙突の「白地に赤の二本線」が、「日本郵船:にほんゆうせん」の「ファンネル・マーク」だ。通常、この「ファンネル・マーク」は「社標」が使われている。これで、この船がどこの船かを識別する。こどもの頃の少年探偵手帳には、このような「煙突マーク」も重要な資料だとして載っていた。

 

 

 ここが・・・日本郵船の資料館やったかね・・・。とか・・。

 

 横浜開港資料館とかを見学して・・・お昼になれば・・・。

 

 横浜中華街でお食事して・・・。ま、このあたりは・・・歩いて見学することになるので・・・おなかもずいぶんとすくだろうしね。

 

 あとは・・・海上保安庁横浜分室に行って、「北朝鮮工作船展示場」を見学する予定。改修工事も終わって私たちをお迎えする準備ができているんだとか・・。

 

 これが・・北朝鮮の特殊工作船の残骸・・・。ほかに装備品の機銃とかも・・・展示されているらしい。

 

 その後は・・・「日本丸:にっぽんまる」一世号の見学・・。ここでは船内も見学できるんだとか・・。

 

 これは「国際信号旗」で、「安全なる航海を祈る」という意味の「UW旗」。港を出て行く船に対して、海の上での・・・「安全なる航海を祈る」という意味の旗を掲げる・・・。

 

 出港する船のメインマストには、その返礼として・・「UW1旗」が掲げられる。「安全なる航海を祈る」

じゃぁ、また、明日まで・・・「安全なる航海を祈る」

 


春の川 超えてのぞみの 叶う海

2011年03月28日 | たまには旅など・・。

 昨年の秋くらいから・・・横浜行きが浮上してきて・・・。ま、丸亀市沖のさぬき広島の過疎化が進む一方だし、他方では・・新造船「しわく丸」が今年の秋には就航するということもあって、「しま興し」として、何かやらんといかんなぁ・・ということで、あれこれと・・。

  

 そこで「英国士官レキ研究会」みたいなものを立ち上げて、イギリス海軍の「シルビア号」とはなんぞや・・・みたいなことから・・・、その資料が東京にあるぞ・・ということで、海上保安庁海洋情報部に行くことになった・・・。横浜はそのついでというか、参考資料を集めに行くということで・・。

 

 で、娘が春休みになったもので、高松駅まで、まごのはやてちゃんと二人を送ってもらうことにして、JRの高松駅をお昼前に出る・・・。

 

 11:10 JR高松駅発の「マリンライナー26号」に乗って・・・岡山駅には12:02分に到着予定。

 

 こういう・・・観光客用の車両には乗らず、普通の一般車両に乗って・・・岡山駅に・・。瀬戸大橋が珍しいという時期は済んだし、マイボートでこの橋の下を何度も通過しているし・・・。ことさら、高い料金を払って見るような興味もないし、趣味でもない・・。

 

 ここ最近は・・・マリンラーナーにも乗ったことがないし、岡山駅にも来たことがない・・・。数年前の夏だかには・・・京都の本山で「住職研修会」があったとき、京都駅から新幹線に乗って岡山駅経由、マリンライナーに乗って帰ったことはあるが、さだかな記憶でもない・・。

 ここでの乗り換え時間は11分。新幹線「のぞみ122号は・・12:23分発。

 

 これに乗って・・品川駅には15:46分着。3時間23分の旅かぁ・・。OA担当の時は全国を走り回っていたのだけれど、そういう時期も短かったなぁ・・。あとは・・地元周りばっかりになって・・・。個人的に旅に出る機会も趣味もなくて・・・。出不精というか・・・面倒くさがり屋だからね・・。

 

 旅に出る三要素というのがあって、「お金」「時間」「健康」なんだそうだ・・。この三要素が揃ったときには旅に出られるが、その三つの内のどれが欠けても・・旅には出られないのだそうだ・・・。でも・・「旅に出ようという意欲」というのも要素にはなり得るなぁと思ったものだった・・。

 

 品川駅には・・・甥っ子の「けいご」くんがお迎えに来てくれることになっている。そこから・・川崎までは電車に乗るのだろうね・・。都会の交通網は全くわからない・・・。

 

 ということで、今夜は・・川崎の弟の家にお泊まり・・。計画停電がないといいのだけれど・・。

じゃぁ、また、明日、きっと会えるといいね。 


ツイッター

<script type="text/javascript" src="//platform.twitter.com/widgets.js"></script>