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まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

今週のうどん紀行・・・。さらば、はったんじ練場店

2008年08月30日 | 歴史
 今週も・・・たくさんのおうどんを食べました・・・。

 まずは・・・今週末閉店の「はったんじ練り場店」での朝うどん・・・。

 

 普通の麺に・・・かけ出汁(ぬくいん)をかけて、大根おろしを乗せて、ネギを乗せて、おろしショウガを少し入れて、レモン汁を少し振り回し、しょうゆを少しかける・・・。そして・・ゴマをすってふりかけて・・七味唐辛子を少し・・・。これで・・・150円は安すぎる・・・。

 さて・・この日のお昼は三豊市・・・。三野町の「かつや」さんのかけうどん小・・。朝うどんを食べたもので・・・やわらかいものがほしくなって・・。

 

 上品な・・・いいお味です。さすが・・一般店。いうては悪いのですが片田舎・・・。場所もわかりにくいのに・・・、時間になれば」・・・あっという間に駐車場がいっぱいになります。このあたりでは有名店みたい・・。「喝屋」というのが正式みたいですが、いかめしいかどうか知らないけれど・・「かつや」になっています。

 で・・うどん屋制限時間ぎりぎりの・・・14時前に・・高松市寺井町の「千ちゃん」・・・「さぬきの夢2000」をおいしく食べさせてくれるお店です。

 

 さすがやな・・・と、思うお味です・・。

 で・・・火曜日は・・、朝うどんはやめです。おなか周りが気になりだして・・。でも・・、お仕事で立ち寄ったのが・・・悲しかな・・うどん屋さん前。

 

 マルナカ栗林店の裏手にあるひっそりとしたうどん屋さん。手打ちうどん・むらかみ・・・というたかな・・。双子のようなおばさんと・・そのおかあさんみたいなおばあちゃんが麺を打っていた・・。だからか・・・麺はやわらかいが・・・暖かみのあるおうどん・・・。180円には納得したなぁ・・。

 で・・お昼は・・・東かがわ市のうどん亭よだ・・・。しばらく・・・休業しとったんですが、営業再開です・・。ご夫婦でやってまして、夜は居酒屋になるような雰囲気・・・。

 

 ここでは・・ぶっかけ小をいただきました・・。480円はすこしばかり高いかなぁ・・・。一般店だから仕方ないか・・・。

 27日の水曜日・・・。朝うどんは・・・はったんじ練り場店のぬくいん小・・。

 

 ここは説明不要・・・。

 お昼は・・・うどん遍路の難関店・・。水曜日の午前11時30分から13時までの限定営業で、しかも限定・・100食のみ・・・。さぬきうどん・たんぽぽ

 

 身障者施設での限定営業・・・。釜玉・・・350円。打ったばかりの麺に生卵・・・、出汁がおいしかった・しょうゆでないところがいいのか・・。

 

 今度は・・・国分町の「山もり」というお店で・・・かけうどん+野菜かき揚げ天・・」180円+90円・・・だったかな・・・。

 28日の木曜日は・・・朝うどんはお休みです・・・。さすがにおうどんは・・もう・・うんざり・・かな・・・。

 と・・言いつつ・・・香南町の矢坪・・・という・・一般店に入ってました・・。で・・かけ小を注文して・・・。ここも一般店・・。

 

 ・・・。なんで・・・さぬきうどんって、こんなにおいしいの・・・。みたいな印象・・・。やっぱり・・さぬきうどんの原点は・・・しょうゆうどんと・・このかけうどんかなぁ・・と思ってしまう・・・。これぞ・・さぬきうどん・・・みたいな・・。

 で・・・お昼過ぎには・・・塩江町の「阿讃亭」のぶっかけうどん小・・・。

 

 麺はともかくとして・・・出汁は濃厚でおいしかった・・。お値段は500円だったかな・・。多少高め・・・ここは・・・、元々は・・古式そば・・のお店。うどんはおまけのサービスらしい・・。

 さて・・29日の金曜日・・・。来たるべくしてきた金曜日・・・。

 ラストはったんじ・・デー。

 

 はったんじ練り場店の最後の・・・「ぬくいん小」です・・。150円。最後の最後のトッピング・・・。最高のおうどんになりました・・・。

 

 で・・・、お昼は・・・観音寺市有明浜にある・・・「きたのうどん」。ここは一般店ならのこだわり麺が・・・。ここはここで・・・最高の麺でした・・。

 しっかし・・、よく・・食べたもんだ・・・。

じゃぁ、また。


今年も咸臨丸子孫の会がやってくる・・・らしい。

2008年08月27日 | 歴史
 昨年は・・・咸臨丸建造150周年ということで、私もがんばって・・・いろんな研究もしたし、実地調査もやった。昨年は・・・咸臨丸にあけて・・・咸臨丸に暮れた一年だった・・・。

 ところが・・・、その反動なんだかなんだか・・・、今年は・・・まるでやる気がない・・・。「高見島の歴史と民俗」の原稿集めの段階から・・・あふれ出てくる資料の山に・・・どこから・・どうすればいいのかがわからなくなって・・・。今は・・・全くの手つかず状態・・・。あかんな・・・とは思うのだけれど・・・。

 

 さぬき広島の文化祭は・・・11月の中旬だから・・・もう・・わずかしか時間は残っていない・・。高見の島にも行きたいと思ったが・・・いけずじまい・・。写真も少ないし・・・、文章が打てない・・・。気力が失せたみたいな・・。それだけ・・雑音が多いのだろうし、雑用が増えたのかもしれない・・。

 ま・・・、咸臨丸ほどの・・・意気込みがないのが本音かもしれない。

 

 昨夜・・・咸臨丸子孫の会の事務局の小杉さんから電話があった・・・。

 「今年も塩飽訪問の旅を続けたいので・・・十月にお邪魔したい」みたいな電話だった・・。函館市立博物館の学芸員の方が・・・塩飽を訪問したいというので・・やってくるらしい。

 で・・・塩飽本島で一泊するんだけれど、一緒に泊まってお話しませんか・・・みたいなことだ。宿は・・・幹事役の藤本さんちだから・・・気兼ねはいらないと思う・・・。でも・・・、民宿浜辺・・・もやめたみたい・・・。島も次第にさみしくなるね・・。

 

 うちも・・・農家をやめたもんだで・・たってきの行事予定はない。急なお葬式やご法事が入らない限り・・・,十月の体育の日前後の連休には・・・予定はないはず・・・。うちの「坊守さん」にも確認したが・・・「今のところ・・・OKよ~」ということだった・・。

 九月には連休があるもので・・・広島で缶詰状態で・・・高見のことを仕上げなければ・・・と思ったりした。

 

 今日は・・・あちらこちらで・・・この・・「夏水仙」を見た・・・。時期なんかなぁと思った・・・。

 涼しくなったら・・・本格的に高見の執筆をやらねば・・・だ。

じゃぁ、また。


 

今日は味の素の日なんだそうな・・・。

2008年07月25日 | 歴史
 今日は・・・暑くはあったが・・・古電話機の引き渡しについての立ち会いも・・・そう、苦しくはなかった・・。確かに汗は流れたけれど・・・蒸し暑さがない分・・・気持ちよくもあった・・・。

 日当たりの場所にいても・・・苦しさはない・・・。風が流れると・・・気持ちいい・・・。こういう・・夏って、好きだなぁ・・。

 さて・・・、今日は・・・「味の素の日」なんだそうだ・・。どうしてか・・って、調べてみた・・。

 

 明治41(1908)年、化学者で東京帝国理科大学(現:東京大学理学部)教授の池田菊苗博士が湯豆腐を食べていて・・そのうまみ成分に気がつき、「グルタミン酸塩を主成分とする調味料製造法」に関する特許を取った・・・。

 博士は,湯豆腐に入れた昆布から「うまみ」が出ることに着目し、その「うま味」がアミノ酸の一種であるグルタミン酸であることを突き止め、その製造法の特許を申請した。この発見は、翌年に鈴木製薬所(現在の味の素株式会社)により工業化されて・・・化学調味料として脚光を浴びた・・・。その新調味料の名前が「味の素」だった・・・。

 

 私がこどもの頃・・・昭和の30年代ころには・・・赤くて細長くて、角が丸いような・・・缶に入っていたように思う・・・。その缶の中には・・・白い粉状の粉末が入っていて、それを・・漬け物の上に振りかけると・・・おいしくなったような記憶がある・・。その後・・・、それに・・塩が混合されたような・・「味しお」という製品なんかが出たように思うが・・・。

 

 化学調味料は・・・身体によくないとかの風説だか・・情報だかが流れたり・・・いろんな説が流れたりして・・・我が家からは・・姿を消してしまった・・・。

 

 最近は・・・「味の素」も「AJINOMOTO」も使ってはいないと思うけれど・・・、あ、味の素・・・て、今もあるんだ・・・みたいな一日だった。

 子供の頃に読んだ・・・池田博士が・・昆布からグルタミン酸を抽出する話は・・・偉人伝のような感覚でわくわくしたような思い出がある・・・。

 

 そうか・・・味の素の日なんだ・・・と、あらためて・・思った。

 

 じゃぁ、また。


 

ペリー来航の日・・。

2008年07月14日 | 歴史
 今日も暑い一日になった。今から・・・暑い暑いというてても仕方がないが・・・しかしのかかし・・なんで・・こんなに暑いん??

 さて・・・、今日は・・・あの・・ペリーが上陸した記念日なんですと・・。

 1853(嘉永6)年、アメリカの四隻の黒船艦隊が江戸湾の浦賀沖に現れ、ペリー提督が久里浜に上陸して・・・、将軍への親書を手渡した日なんですと・・・。

 その・・・蒸気船をお茶の銘柄・「上喜撰」にかけて・・・「太平のねむりをさます上喜撰たった四はいで夜もねられず」などと・・狂歌に詠まれるほど、江戸の街は大混乱となった大事件・・・。

 

 幕府は、翌年のペリー再来に備えて品川沖に6基の砲台(台場)を作ったりしたが・・・、翌年に再来航したペリーとの間で「日米和親条約」が結ばれ、日本の鎖国が終った・・・というもの。

 

 幕府は、船上のペリーに対してまず浦賀奉行所与力の中島三郎助を派遣し、ペリーの来航が将軍にアメリカ合衆国大統領親書を渡すことを目的とすることを把握したが、ペリー側は幕府側の与力の階級が低過ぎるとして親書を預けることを拒否した。

 続いて同じく香山栄左衛門が訪ねたが対応は変わらず、親書は最高位の役人にしか渡さないとはねつけられた。香山は上司と相談する為に四日の猶予をくれるように頼んだが、ペリーは三日なら待とうと答え、さらに親書を受け取れるような高い身分の役人を派遣しなければ、江戸湾を北上して、兵を率いて上陸し、将軍に直接手渡しすると脅しをかけた。

 

 このとき第十二代将軍徳川家慶は病床に伏せていて、国家の重大事を決定できる状態には無かった。老中首座阿部正弘は、六月六日(同年7月11日)に国書を受け取るぐらいは仕方ないだろうとの結論に至ったため、嘉永六年六月九日(1853年7月14日)にペリー一行の久里浜上陸を許し、浦賀奉行の戸田伊豆守・井戸石見守がペリーと会見した。それが・・・今日という日にあたるらしい・・。

 ペリーは彼等に開国を促すフィルモア大統領親書、提督の信任状、覚書などを手渡したが、幕府は将軍が病気であって決定できないとして、返答に1年の猶予を要求したため、ペリーは返事を聞く為、1年後に再来航すると告げた。艦隊は6月12日(同年7月17日)に江戸を離れ、琉球に残した艦隊に合流して香港へ帰った。

 それからわずか十日後の六月二十二日(同年7月27日)に将軍家慶は死去すると、十三代将軍に家定が就いたが、彼は病弱で国政を担えるような人物ではなかった。しかし老中等にも名案は無く、国内は異国排斥を唱える攘夷論が高まっていたこともあって、老中首座の阿部は開国要求に頭を悩ませた。そこで彼は、広く各大名から旗本、さらには庶民に至るまで、幕政に加わらない人々にも、外交についての意見を聞こうとしたが、これは開幕以来初めてであった。国政に発言権の無かった外様大名はよろこんだが、名案は無かった。これ以降は国政を幕府ではなく合議制で決定しようという「公議輿論」の考えだけが広がり、幕府の権威を下げるものであった。

 NHKの大河ドラマ、篤姫のお話もこのあたりだな・・・。

じゃぁ、また。

さすがに暑くて・・・・避難生活・・・。

2008年07月07日 | 歴史
 昨年も・・・多くはマシン室で耐えたが・・・、今年の夏は・・そうもいかんらしい・・。


 

 これが・・私のマシン室・・。デスクトップが二台と,ノートPCが二台並んでます。ところがここには・・・冷房設備がない・・・。扇風機でゆだるような空気をかき混ぜて・・・・

 ま・・・山の中の一軒家だから・・・そんなでもない。九時を過ぎれば・・・肌寒くなるんだが・・・。

 

 寒くなっても・・・小さな虫やら蛾やら・・・ウンカみたいなものやがやってくる。まさに・・ここは・・自然の宝庫なんだ・・・。

 と、喜んでばかりおはいられない・・。
 
 

 んで、こんなちんけな事務所というか、隙間スペースでお仕事なのだ。真、お仕事というほどのものでもない。ただの・・・ブログ更新くらいなものだ・・・。

 ただ・・、ここのお部屋は・・・冷暖房完備。本当は・・・娘の部屋何だけれど・・・夏場だけ・・・臨時の借り上げ・・・。

 けいこばぁも・・・、ここで・・・おとまり。洋間の板張りのほうが、冷たくて・・・気持ちがいいのだそうだ・・。

 じゃぁ、また。


で・・・お葬式の当日です・・・。

2008年06月15日 | 歴史
 今回・・、お亡くなりになったのは・・けいこばぁのお父さんの妹さん・・。つまりは・・けいこばぁのおばちゃんです・・。

 まぁ・・いろんな・・・波瀾万丈の人生を生きてきて・・・最後は・・ふるさとの・・・浜松の介護施設にいたのですが・・・93歳の人生を終えたのです・・。

 本来ですと・・・けいこばぁ・・のお父さんとか・・その家族も参列しないといけないのですが・・、今回は・・・私たち夫婦がその名代として・・・参加です。

 

 これが・・・その・・会館です・・。お通夜・葬儀をここで行うのです・・。大きな町ですから・・・壱番館・弐番館・・・参番館・・四番館・・・と・・・すごい施設になっております・・。

 

 そのおばちゃんの娘さんのご意向で・・・家族葬ということで・・限られたものだけのお葬儀になりました・・。身内だけで・・・のお葬儀です・・。

 私たちも・・・このような葬儀で十分だなぁと話したことでした・・。また・・・そうなってしまうのではないのかなぁ・・などと。

 生まれてきたこの身ですから・・いつかは迎えなければならない問題ではあります・・・。

 


 葬儀と、その後の・・・三日法要を済ませると・・・いよいよお別れです・・。お花をひつぎの中に入れ・・・参列者で・・・棺を霊柩車に運びまして・・・斎場へ・・。

 私ら夫婦はそこで・・・お別れです・・。収骨までも立ち会いたいのですが・・・時間というものがありますので・・・お先に失礼させていただきます。四国までは・・・七時間ほどかかるものですから・・。

 

 13時過ぎにみなさんとお別れして・・・浜松西インターに入り・・・あとは一気に・・・昨日の逆コースで走りまして・・・19時過ぎに・・・我が家に戻りました・・・。帰りは・・・休憩が少なかった分だけ早くて・・・6時間で戻れました・・・。

 そんなこんなで・・週末が終わったことでした・・・。

じゃぁ、また。

 

早朝から・・・浜松に向かいます・・・。

2008年06月14日 | 歴史
 朝の五時起きです・・。何事が起きたのかなぁ・・・と・・。

 枕元の洋服が違います・・・。で・・・少しずつ・・・記憶を呼び起こしてゆくと・・・、昨夜の電話で・・・おばちゃんが亡くなって・・・その葬儀に・・けいこばぁと私が出かけてゆくような・・・段取りらしい・・・。お坊さんの衣装から草履からが・・・用意されております・・。

 朝の6時に我が家を出発して・・大内インターから高速に上がりまして・・・高松道から淡路島経由で・・中国道へ・・。そこから・・山陽道を経由して・・名神へ・・。

 新名神から・・伊勢湾岸道を経て・・・浜松に向かうのです・・。

 

 軽のライトバンですから・・・おしりが痛くなって・・・何度も休憩したり・・顔を洗ったりしながら・・・の走行です・・。

 途中で・・・朝食を食べたり・・休憩したりして・・・走り続けます・・。

 

 この新名神・伊勢湾岸道は新しいせいか・・車の数も少なく・・・走りやすかったです・・。

 十二時過ぎに・・・浜松西インターを降りて・・・浜松市内へ・・。それからが大変・・。

 郵便局で貯金を下ろそうとしたらば・・・ゆうちょATMは土曜日は・・午前中でおしまい・・らしい。

 で・・仕方なく・・コンビニでお金をおろそうとしたら・・・カードがない・・。なんやかんやで大騒ぎです・・。結局は・・・うまくいったのですけれど・・。

 

 で・・・14時過ぎに・・会館に到着しまして・・・ご挨拶やらなんやら・・・。しばらく・・休憩もさせていただいて・・・。

 17時から・・・お通夜です・・・。近くのお寺さんにお願いしてのお通夜です。私も・・・お葬儀用の・・墨袈裟・・・という黒いお袈裟をつけてのお勤めです・・。

 その後・・・参列した者だけで・・・ささやかな・・お通夜です・・。

 93歳の大往生のおばちゃんの思い出話にふけったものでした・・。

 

 で・・・、ここに各自がお布団を敷いて・・・そのあたりに雑魚寝・・・。おばちゃんと最後の一夜を過ごします・・・。そのうちに・・・一人が寝て・・・一人が寝て・・・みたいに・・・。

 そうして・・・お通夜の夜は更けたのでした・・・。

じゃぁ、また。

恐れ入りますが・・・メル・アドください・・・。

2008年06月03日 | 歴史
 些細なことで・・・アドレス帳がおかしくなりました・・・。メールが出せなくなりました・・・。

 サブマシンのものは・・・会社関係みたいなのが多いし・・・おとなりは・・・すっかりと中国語になっていて・・・。何が入り込んだのでしょうかね・・・。

 

 私を知っている人は・・恐れ入りますが・・・メールください。そうか、メル・アドを教えてください・・。うーん・・・、こんなんを何回もやってるなぁ・・。

 誠にすみませんが・・・メールください・・・。お願いします。

じゃぁ、また。

梅雨らしく・・・朝から雨になったです・・・。

2008年06月03日 | 歴史
 朝から雨になって・・・・。傘が手放せなくなってしまったことです・・。

 さて・・今日は「ムーミンの日」なんだそうです・・。六月三日だから・・・「ムー(6)ミン(3)」の語呂合せなんだそうで・・・。毎日が記念日なんですよね・・。トーベ・ヤンソン作の「ムーミン」を愛する日本のファンらによって制定されたのだそうです・・。

 

 それはさておき・・・今日は「雲仙普賢岳祈りの日」でもあるのですね・・。これは長崎県島原市が1998(平成10)年から実施しているもので、1991(平成3)年、雲仙普賢岳で大火砕流が発生したのは、今も記憶に生々しい・・・。

 避難勧告地区内で警戒中の消防団員、警察官、取材中の報道関係者等が巻き込まれ、死者40人、行方不明3人という犠牲者を出した事故でした・・。あっという間に・・大火砕流が・・・人々を飲み込んでしまった・・・。

 あのころは・・・BBS(電子掲示板)なんぞで・・・報道が優先か・・安全が優先か・・・みたいなことを大議論したことがある・・。有名な火山学者夫婦も火砕流に巻き込まれて死亡した・・・。痛ましい事故だったが・・・。

 

 さて・・・六月になると・・・誕生日が近くなって・・・年金関係とか雇用関係の煩わしい手続きが増えてきた・・・。60歳というのは・・・雇用関係の区切りみたいなものかな・・。

 今話題の・・・75歳・・・も大きな区切りと言えば区切り・・。75歳を肥えると・・・「林住期」というのだそうだ・・。ま、隠居というか・・・悠々自適に林や野に住んで・・・ゆったりとする・・みたいなものですか・・。

 0歳から・・25歳を学生期(がくしょうき)、25歳から50歳を・・・なんとかというて・・ま、働く時期なんだろうな・・。で・・・50歳から75歳までをなんたらいうて・・・どんな時代というたのかな・・。まるで・・覚えておらんのですな・・。困ったもんです・・。でも・・・人生の大きな節目を・・・25歳で区切るという・・・のはかすかに覚えている・・。

 

 とにかく・・とにかく・・、目の前に現れてくる・・・書類の束を・・・少しずつ・・・確実に・・こなしていくことしかないな・・・。

じゃぁ、また。


ご門主さまがおいでになりました・・。

2008年05月30日 | 歴史
 心配された天候も・・・、そう、くずれることはなく・・むしろ・・暑いくらい
・・・。

 私たちは・・九時出勤・・。けいこばぁも一緒です。けいこばぁは・・裏方・・。私たちは受付担当・・。

 

 午前十時からは・・・永代経・・というお勤めです・・。うちのおばあちゃんも・・お願いしてあったのですが・・・お勤めの対象になっておったのでしょうか・・。

 その後・・・法話がありまして・・・、法話というのは・・お釈迦様の説かれたお話を・・・やさしく・・・わかりやすくお話することです。

 

 感謝の日暮らし・・・のような内容であったかと・・。

 この法話が終わると・・・お食事です・・。お弁当をいただいて・・・

 ご門主さまをお出迎えです・・。

 

 うちの住職が案内して・・山門をくぐって・・・本堂で合掌礼拝して・・書院に向かわれます・・。

 その後・・本堂で・・お勤めをして・・門主さまのご親教・・、おさとしでしょうか・・・。ご法話でしょうか・・。

 その後・・宗務総長のお話がありまして・・・

 
 あと・・記念品の贈呈とか・・・があって・・・

 

 で・・総代さんがお礼を申し上げて・・・おしまいです・。



 都合・・・二時間くらいなものでしょうか・・。

 その後は・・・総会があって、お寺の傷み具合なんぞの報告があって・・。

 私たちは・・・後片付けをして・・・慰労会があって・・・

 永い・・・一日が終わった・・・と思えば・・・・

 我が家には・・・弟や・・・娘家族がやってきてて・・、さらにさらに・・・宴会となったのでありました・・。

 じゃぁ、また。

お寺のお手伝いで暮れました・・。

2008年05月29日 | 歴史
 午前中は・・・公衆電話の調査で終わったです・・・。公衆電話ボックスがやっかいものになってきた時代です・・。設置した時代は・・・どんなだったのでしょうか・・。今は・・・・邪魔者以外ありません・・。

 不思議に思うのは・・・、その公衆ボックスのすぐ横で・・・携帯電話を使う中年のおばちゃんです・・・。公衆電話の方が安いでしょうに・・・。

 ま・・・電話帳を繰る・・・あの煩わしさからすれば・・・、携帯電話の方がはるかに便利なのかもしれません・・。

 さて・・・。

 

 うちのお寺で・・永代経の法要と・・ご門主さまの歓迎行事とが行われるもので・・・、今日は・・・その準備とか・・お掃除とか・・。お手伝いで・・・一日が暮れました・・・。

 お寺というのは・・案外と・・・広いのです・・。本堂・・・書院・・茶室・・奥座敷・・・・、どこからどこまでやればいいのでしょうか・・・です。

 江戸時代に建てられたという・・このお寺には・・お殿様の間まであるんです・・。今回は・・・そこに・・ご門主さまがお座りになるというので・・念入りにお掃除です・・。

 

 明日は・・・朝から・・・夜遅くまで・・・、その行事で・・明け暮れてしまうのでしょうね・・。

 今夜は・・・早めでもないのですが・・お休みしますね・・。

じゃぁ、また・・。

ようやくに・・・デスクトップPCが戻ってきました。

2008年05月26日 | 歴史
 ようやくに・・・デスクトップのパソコンの修理が終わって戻ってきました。修理たって・・・HDDのドライブを交換しただけの話で・・・修理費は・・・三万円弱・・・。二百円かのおつりが戻っただけ・・。

 帰宅後は・・そのインストール作業に終わってしまった・・。プリンタードライバーとか・・・メールの設定だとか・・・アドレス帳のインポートだとか・・お気に入りのインポートだとか・・各種ソフトのインストール・・。

 

 慣れてしまうと・・・大きな油断があって・・、言語を・・中国語にしてしまったようで・・インターネット関連が・・すべて・・漢字ばかりの中国語になってしまって・・一時期は・・・大パニック・・・。

 それもどうにか解決して・・・大きなものは片付けた・・。ホームページ関連は間違うと大変なので・・・次回に繰り越した・・。当面・・・使えるまでに復旧した・・・。

 

 プリンター・ドライブの設定が終わったようだ・・・。あと・・まだまだ・・・デジカメ用のツールやらドライバーが残っているが・・これも明日にしよう・・。

 とりあえずは・・・メーラーと・・インターネット環境が整っていれば・・いいか・・・。住所録ソフトは完了したし・・・ATOKも搭載したし・・・ウイルス対策もやったし・・・。

 ふぅぅ・・・。また、明日からだ・・。お疲れ様・・。

じゃぁ、また。


集会場の解体工事です・・・。

2008年05月25日 | 歴史
 雨が降って・・・蒸し暑い夏になったです・・。

 で・・夏用の・・・ころもと・・夏用の五条袈裟を新調しましたのですよ。ころもは・・・色衣(しきえ)といって、お坊さんの位(堂班)によって・・色が決められているのですが・・・正式な場所には出る機会がなかったもので・・私服という・・好き勝手な色衣を着ていたのですが・・・、正式なころもも用意しておかねば・・と、新調。

 

 これが・・ころもや袈裟が入っている・・・「たとうし:畳紙」といいます。こうして・・和服類は保存しておくのです・・。

 

 これが・・その中身。上が・・色衣・・・黒のように見えますが・・・、深い緑色の上品な色衣・・・です。下手前が・・五条袈裟・・・、通常の法事奉賛の場合に着用するお袈裟で・・こちらは・・・深い紫色に・・・金紋・白紋が入っております・・。ともに薄くて・・・軽いものです・・・。両方で・・・十数万円というところ・・。

 それに・・・デスクトップ・PCの修理が終わったようです。こちらは・・三万円程度・・・。お船の修理費がいくらになるかなぁ・・。

 

 さて・・先週に引き続いて・・・地区の集会場の解体工事です・・。工事費を少しでも安くするために・・・全員集合でお手伝いです・・。新築工事費のいくらかは・・・さぬき市が補助してくれるようですが、解体工事費に補助は出ないもので・・・少しでも安くしたいと・・・あの手この手です・・。

 

 で・・屋根の瓦を外す作業から始めます。安く借り上げた・・・お友達のダンプに・・瓦をはぎ取って投げ込みます・・。瓦がすべて外されると・・いよいよ解体です・・。しばらくは・・プロに任せるしかありません。

 

 長い木材をチェンソーで短く切ってトラックに積み込み・・・希望する住民さんちに運びます。これを短く切って・・・お風呂をわかす材木に使うのだとか。

 柱などの角材は・・・適宜に・・・住民がトラックに積み込んで持ち帰ります。それぞれに用途があるようです。

 そういうことで・・・作業は午前中でおしまい・・。午後からは整地や周辺工事なので・・役員さんたちだけが残ることになって・・。

 そんなこんなで・・待ちわびた週末も・・・あっという間に・・・おしまいです。

じゃぁ、また。

住職継職法要のお手伝いでありました・・。

2008年04月29日 | 歴史
 いい天気になりました・・。今日は・・・昭和の日というのですねぇ・・。

 さて・・・同じ仲間うちのお寺さんで代替わりの法要がありまして・・。それのお手伝いに行っておりました・・・。

 11時半に受け付け開始・・・、着替えをして・・近くのあいいくえんという場所に行って・・・お稚児さんの管理・・・。

 

 13時半出発なのに・・・12時から待機ですわ・・。座る場所はないし・・・、暑いし・・・参ったです・・。ま、そんなこともいうてはいられないのですが・・。

 

 私もよくは知らないのですが・・・お寺さんのお祝いの行事には・・こうした・・稚児行列が行われるのですと・・。でも・・最近はそういうことも少なくなって・・・、こどもの一生の記念にとか・・・なんだかんだと・・・、今日の場合は・・・110人ですと・・。少子化の中で・・・よく集まったものです・・。

 それに保護者が一人か二人はつくもので・・・300名近い行列です・・。

 佛旗を持った総代さんを先頭に…雅楽衆・・僧侶・・・お稚児さん・・・お坊さん・・・お稚児さん・・・という行列が町内を練り歩くのです・・。今回は少し・・・短かったかな・・・。

 

 こうして・・・町内を練り歩いて・・・お寺に入って・・・本堂を進みます。お稚児さんは・・少しばかり休憩・・・。お坊さんは法要に入ります・・・。

 

 雅楽の演奏に誘導されて・・・一行は・・本堂へ・・。本堂には信徒の方が満座です・・。その中央を・・・僧侶やお稚児さんが進んで・・・お坊さんは指定された席に・・・。お稚児さんは控え室に入ります・・。

 それからが法要・・・。お稚児さん代表により・・・献灯献花・・・献香があって・・・法要が始まります。そうなると・・・私らも一呼吸・・・。

 そんなで・・・大切なお役目が一つ・・・終わりました・・・。

じゃぁ、また。

励まされ 今日の証しを 書き綴り 春雨の今日は ブログ記念日

2008年04月10日 | 歴史
 私がブログを始めたのは・・2005年の4月10日・・・、つまり・・・三年前の今日のことです。

 当時は・・・高松の社宅に避難していて・・・することもなく、考えることもなかったもので・・。それを娘が・・・「ブログでも書けばぁ・・??」というもので・・・始めたもの。当時は・・・HP(ホームページ)を立ち上げようとしたのだけれど・・・思いのほかに難しくて・・・。

 

 で・・・、ブログを始めて・・・書き綴ること・・・三年間。長いことやってると思ったのだけれども・・・まだ・・三年か・・。でも、その間に、一日のお休みもありません・・・。皆勤賞です・・。

 本当は・・・島に行ったり、旅行に行ったりで・・・お休みはあるのですが、このシステムは・・・投稿日時を修正できるのです。ですから、過去日にさかのぼって投稿できる・・・。だから・・・一日の欠落日もないということです・・。

 

 これは・・若き日の・・・さっちゃんと私と・・・娘。小豆島の岬の分教場に行った時のもの。たまたま・・・残っていた写真をスキャナーで取り込んだものです。

 

 間もなく・・・、この芝桜が有名になるころですね・・。ああ、そういう時期になったのかと思う・・・今日このごろです・・。これは・・その・・・2005年の芝桜の「愛のフラミンゴ」という作品でした・・・。

 明日から・・・私のブログも四年生です・・。

 じゃぁ、また。

 

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