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まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

梅雨となり 京のお寺は 静かなり

2009年06月09日 | 歴史
 その昔・・・、インドのお坊さんは托鉢をやっとたんですが、そういう所では雨季と乾季というものがあって、晴れてる時期と、雨の時期があった。当然・・、雨の時期には托鉢には行けない・・。傘や合羽を着て・・修行もできないわけで。

 まして・・雨季には・・虫などの生き物がごそがさと這い出してくる。そういう時期に歩いたら虫たちを踏みつぶしてしまう・・。だから・・歩けない・・。

 だから・・この・・雨の時期には出歩かずに・・お勉強をするようになった。これを・・「安居:あんご」といい、「安居寮」というものができて、お勉強をする時期になった・・。京都の「龍谷大学」の前身も・・その・・「安居寮」というものやった・・。

 

 だからして・・、本山あたりでは、この時期に勉強会を開く・・。これを・・「安居」といい、この時期には・・「安居寮」が開設される・・。

 そういうことで・・京都の本山に・・お勉強に行った訳だ・・。

 平成10年頃からは・・毎年・・お勉強に行ってたんだけれど、あの台風があってからは・・それどころやなくなって・・しばらくお休みをしていたんだけれど、時間的な余裕も生まれたもので・・久々に・・京都に行ったってわけだ。

 

 朝の五時半に起きて・・お隣の西本願寺の「おあさじ」という六時からのおつとめに出て・・・おなかをすかせておいて・・、七時からの朝食・・。これがおいしんだ・・。で・・八時からは・・うちの寺の「晨朝:じんじょう」という朝のお勤めに出る。これにはご門主さまがご出仕される大事な朝のお仕事。

 これが終われば・・講義が始まる・・。今回は「浄土論註」に学ぶ・・・という難しいお話。

 

 昔の中国に・・曇鸞大師という方がいて・・あるとき、病気になった。そこで、不老長寿の秘法を学んだが、三蔵流支という仏師に出会い、「数年ほど長生きしたところで何になるのか。この経典には永遠の命が説かれていると」教えられ、その仙術の教典を焼き捨てて仏教に帰依した。そして書き上げた書物が・・「浄土論註」という解説書ということ。

 その・・お勉強という訳だが・・大学の講義並みだから・・・難しい,難しい・・。

 

 ま、最後には試験というか、レポート提出があるから・・寝るわけにもいかないし・・。あ、このおばちゃん・・寝てはるなぁ・・。

 二泊三日の研修会だけれど、宿泊費と食費は無料・・。交通費だけ出せばお勉強代がただだということで・・全国からお坊さんたちがやってきている。この講師の先生は西本願寺の「補教」という偉い先生らしい・・。

 私が本山で勉強したときの教授が、「田舎の勉強よりも、都の昼寝」ということを教えてくれたが、田舎でいくら勉強しても勉強にはならないが、都で昼寝をしていてもなんだかんだとお勉強になる・・みたいなお話やった・・。確かに・・そう思うことがしばしば・・。

 

 普段には知ることのできない・・本山の最新情報やら、仏教界の動きや流れ・・、お寺さんの持つ悩みやら・・お坊さんたちの生の生活のありようだとか・・。

 皆さんは・・右足から歩き出しますか、左足からですかね・・。意識したことはないですかね・・。お坊さんは・・左足から歩かないといかんのです。階段を上るにも・・・左足をあげて段に上がり、右足を上げてそろえる。「左・右」「左・右」と一段ずつ上がるんです。右足で一段、左足で二段・・みたいに、普通は歩くでしょ・・。これを・・「さ(左)・う(右)」「さ・う」というんですね・・。

 この左から歩くのはなぜか・・みたいな話。左大臣が上職で、右大臣がその下・・みたいな位置関係にあるとか・・。お雛さんのお内裏さんは左に置くとか・・。つまらん話の中にも・・「なるほど・・」というようなお話があちこちで聞こえる・・。さすが・・お坊さんの世界やね。

 

 最近は・・便利になったものか、合理化なのか・・、昼食と夕食はこういう・・お弁当にペットボトルのお茶・・。ま、無料だから・・・おいしいですよ。

 朝食だけは・・お茶碗にお味噌汁・納豆・のり・・などのセルフサービスで食べ放題・・・。これがまた・・おいしい。

 夜は・・自習とか自分でのお勉強・・・。ま、ほとんどが夜の京都の町に消えて・・おふとんだけが並んでますわ・・。

じゃぁ、また。
  

いっせいに ほたるが描く 新銀河

2009年06月05日 | 歴史
 今朝も朝から雨だった・・・。これでは草刈りもできないしなぁと・・、先日に「こまめちゃん」から教えてもらった・・「阿波街道」についての展示を見に行くことにした・・・。「文化の森総合公園」にある「徳島県立博物館」での展示だということだった・・。

 徳島市内へは・・・沖州とかに二年ほどは通ったんだけれど、あんまり・・地理的に詳しくない・・。でも・・ゼンリンの電子地図情報で検索して出かけたんだけれど・・。

 国道11号線で・・徳島市内へ・・。そのまんま・・55号線に進んで・・小松島市に向かう・・。ところが・・うっかりと標識を見落としたらしくて・・・小松島市内へと入ってしまった・・。あわてて・・Uターンして逆戻り・・。その途中にある・・「丈六寺」に寄ってみた・・。ここも十数年ぶりだろうか・・懐かしい場所だった・・。

 

 ここは・・古くから藩主たちの護持があったらしく・・古い五輪塔やら墓石が立ち並んでいる・・。曹洞宗という禅寺らしい・・・。

 この建物が・・・観音堂・・。お寺の名前になっている・・「一丈六尺:4m80Cm」の聖観音さまの座像が安置されている・・。これがその・・観音さま。

 

 観音さまの中では・・日本一大きいものだとか・・。定朝(じょうちょう作みたいな作風だとかと書いてあった・・・。

 さらに・・・徳島市内へ戻って・・・川に沿って西に進むと・・・大きな建物が見えてきた。それが・・「文化の森総合公園」だった・・。来てみると・・「あ、そうだ、そうだ・・・」と思うのだが、そこまでの道筋がわからない・・。

 

 ここには・・博物館やら美術館やら図書館やらと・・文化的な建物がまとまってあるみたい・・。常設展示では・・生物の骨格標本とか、石とか・・恐竜の骨とか・・農具とか土器とか・・さまざまな展示が・・これでもか、これでもか・・と並んでいる。

 その・・・一部のコーナーに、この企画展示が行われていた・・。

 

 この・・阿波街道の一つが・・・我が家の旧宅横にあって、今の阿波市から大影を通り、五名を経由して・・我が家を通り・・昔の南海道・・・さぬき市田面を経て高松に向かっていた・・。だから・・子供の頃には・・・いろんな人たちがやってきたし、また、いろんな人たちが帰って行った・・。

 中でも怖かったのが・・「辺土」と呼ばれた・・放浪の人たちや、病気をかかえて歩いていた人・・。阿波でこ・・という・・人形遣いや猿まわし・・・。妖しい物売りやら・・物乞いをしてあるくお遍路さんたち・・・。

 だから・・石仏の写真とかを見ると・・「あ、これ、知ってる」「あ、この建物、あった、あった・・」みたいな・・・。

  

 今は・・・大坂峠越え、鵜の田尾トンネル越え、大影・五名越え、大窪寺越え、清水峠越え・・、塩江・相栗峠越え、三頭トンネル越え、まんのう・三好線の東山峠越え、猪ノ鼻トンネル越え、薬師峠越え、曼荼峠越えなどと、自由に阿波と讃岐は結ばれているが、その昔は・・細い山道を牛を連れ、馬を連れて・・歩いたものらしい・・。だから・・、牛の墓、馬の墓、犬の墓などという石仏があちらこちらに見ることができた・・・。

 

 今日は・・、こまめちゃんのおかげで・・いい勉強というか、いい復習になった一日でした・・。おおきにです・・。

 昨日に・・沼から持って帰った睡蓮・・・、元気に花を咲かせてくれているようです。

じゃぁ、また。

遠くから 風やってきて 海となる

2009年05月29日 | 歴史
 鐵は熱いうちに打て・・とかいうし、手紙は翌朝に書けとかいう・・・。

 感情とか精神の起伏の状態を察してのものだろうと思う・・。こうした・・ブログも似たようなもので・・・感動したことは・・「鉄は熱いうちに打つ」ほうがいいし、怒りに似たような憤慨や不満は・・翌朝になり、冷静になったころに書くのがいいのかもしれない・・・。

 そうは言いながらも・眠たくなって寝てしまったり・・・、飲み過ぎて・・そのまんまになったりすることが多いのだろうけれども・・。

 

 私どもの宗派のご門主さんが・・全国の末寺の寺院をお回りになる・・「総ご巡化(じゅんけ)」の一環として・・香川県東部の「東かがわ市」の二ヶ寺においでになった。

 我が教団には・・全国に500ヶ寺ほどがあって・・、四年がかりで全ての寺院をお回りになるもので、この年末で・・ほぼ全部を廻られるのだそうだ・・。

 うちのお寺には・・昨年だかにおいでになったように記憶している。

 

 で・・、午後一時からは・・東かがわ市引田の善覚寺さんにおいでになって、本堂でのおつとめ。赤い畳の上に座られているのが御門主さま。この畳には・・御門主さましか座れない・・。「御畳台」とかいうたかな・・。

 手前側の紫の輪袈裟をつけたのが・・私たちの組(そ)の・・法中(ほっちゅう)さんがた・・・。その前のえんじ色の輪袈裟の方が・・・宗務総長。お坊さんの中で一番に偉い方・・内閣総理大臣・・・みたいな方。今回は・・「随行長」というお役目らしい・・・。

 つまりは・・御門主さま・・というのは・・我が国で言えば・・「天皇陛下」みたいな方かな・・。

 

 で・・皆さんと一緒に記念撮影・・。なかなかに・・こういう機会もないもので、みなさん・・勢揃いして・・・。檀家さんや総代さん、仏教婦人会の方々なんぞが整列してお出迎え・・・。

 その後・・・ご門主さんは・・・同じ東かがわ市三本松にある・・・大信寺さんへ・・。

 

 これは・・お出迎えする法中さんがた・・。すでにお気づきかもしれないが・・、それぞれの輪袈裟の色・長さ・幅・・で、それぞれの役職が決まっている・。この茶色系の輪袈裟の方が・・そこの寺院の住職さんや寺族の方。金色の短い輪袈裟(半袈裟)が総代さん・・。

 

 ご門主さんの輪袈裟は・・金色で・・鳳凰の刺繍が施された立派なもの・・。幅も厚いような印象が・・。

 それぞれの寺院では・・おつとめ・ご親教(門主のお話)・宗務総長の挨拶などがあり、門主ご真筆の「お名号」の贈呈・記念品の贈呈なんぞがあって、総代さんほかからお礼の言葉があって、記念撮影となる。

 そういうことで暮れてしまった一日でありました・・。

じゃぁ、また。
 


白い野は 吉祥を呼び 杯高し

2009年01月25日 | 歴史
 相変わらず・・・冷たい朝になったです・・。のどにじんじんと響くような冷たさです・・・。

 体調は・・・すこぶる快調。で・・、久々に犬を連れてお散歩もしてみたです。

 

 昨夜には雪が降ったんでしょうか・・・。田んぼにはうっすらと白いものが・・・。雪と・・氷が混じったような風景・・・。

 この日・・・25日は、塩飽史談会の会長を永くやってこられた、「塩飽本島」の入江先生の「文化庁長官表彰」の受賞祝賀会がある日・・・。

 体調不良で欠席しようか、めったにないことだから・・・何としても参加しなければ・・・という思いが交錯する。お葬式はかろうじて回避できたが・・。その分、やっておかねばならいお仕事ができない・・。

 そんなことを考えながら・・・散歩をすませて・・・パンなどで朝食を食べた。

 ケイコばぁ・・は、今日も日勤だと出かけて行った。

 私もスーツに着替えて・・・車で出発した。午前八時半過ぎ・・・。

 26日の午前中は・・・近所のお葬式のお手伝いに行かないといけないもので、その半日分を・・・今日、やっつけておいて、それから・・丸亀の祝賀会に行くことにしたわけだ。そこまで・・せんでもええのやけれど、どうしてもやっておきたかったのだ。

 

 すると・・高松市内に入ると・・・吹雪になった。周りは一面・・・雪で真白。

 九時過ぎに会社に着いた・・・。一階部分の故障修理部門だけが忙しそうに走り回っているが・・・ほとんどの部分は真っ暗で・・・冷え冷えとしている。

 二階の事務室に入り・・・数通の請求書の書類やら、メール確認やら・・できる作業を片付けていく・・・。

 お昼前に・・・会社を出て・・・丸亀に向かう・・・。もう、雪の影はない・・。

 午後一時前に・・・オークラホテルに入り、受付を済ませる。

 

 連絡をもらった・・・咸臨丸子孫の会からの生花も準備されていた。会長の小林さんや事務局の小杉さんにも挨拶を済ませた・・・。

 会場には・・・塩飽本島の文化財保護団体や各自治会代表などが半分を占め、私たちの塩飽史談会や咸臨丸子孫の会などの団体が半分を占めるような祝賀会。

 

 今年・・三月で退職をすれば・・・有り余る時間がやってくる。その時間の半分は・・・さぬき広島などの塩飽の島々で過ごしたいと思っているので、こうした会合で・・せいぜい・・PRもやっておいて・・・と思ったわけである。

 家内のけいこばぁ・・も、そういうことを大切にしなさい・・というし。

 

 この祝賀会は・・・私の次の人生への第一歩でもあると・・感じたことだった。

じゃぁ、また。

忘れたく 忘れてはならじ 震災忌

2009年01月17日 | 歴史
 一月十七日は、阪神淡路大震災の起こった日・・・。あれから・・14年・・。あの時に赤ちゃんだった子が・・・、今年は・・・15の春を迎えるのか・・。

 その直後に・・・けいこばぁと・・神戸を訪ねたが・・・、屋根瓦がすべてずり落ちた家と・・・屋根にブルーシートをかけた家のなんと多かったことか・・。

 

 けいこばぁの兄、トシオちゃんを探して・・・兵庫区・・。昔の私の職場周辺では・・・一階部分がぺっちゃんこになったお店や馴染みのタバコやが全くなくなっていたことや、自動車会社などのビルが、まったく・・・押しつぶされて・・カーテンばかりがゆれている姿は痛ましかった・・・。

 

 午前中は・・・そういうニュースが多かった。また・・、そういう・・ニュースを見ながら・・・あのころのことを思い出していた・・。

 さて・・、この日は・・・金物屑や電池などの引き渡しがあったので、それを・・Web上から電子マニュフェストを投入しなければならないのだが、その資料がないので、仕方なく・・・高松の事務所まで車を走らせた・・・。

 このマニフェスト投入は、引き渡しから三日以内と法律で決められている。ということで、月曜日に投入予定が・・・おやすみしなければならなくなったので、急きょ、こういう・・イレギュレーなことをしなくてはならなってしまったもの。

 最近は環境問題には監視がきつく、手順を間違えると「不法投棄」という犯罪になってしまうのだ・・。

 で・・・資料を元に・・・Web上からマニュフェストを投入して・・・家に戻った。

 つまり・・・、普通の状態には戻れている。それでいて、めまいがするとか、動悸がするとかということはない。

 

 さて・・、私の心臓は・・・パイナップルのような壁の厚い心臓で・・良く言えば・・「スポーツ心臓」、悪く言えば・・「先天性心筋症」。だから・・伸縮の動きが悪い・・・。そこから・・・不整脈が出る・・。それだから・・、高血圧と、不整脈の治療を・・・薬を飲んで・・・コントロールしている。

 イラストのように・・、動脈硬化・アルコール・高血圧・先天性というおもな要因によって、慢性の・・・心臓病ということにはなっている。なってはいるが、特段に・・・痛みや苦しさや動悸や・・なんぞという・・・症状はない。全くない。

 この心臓病に・・・「風邪」「過労」「ストレス」「暴飲・暴食」の引き金が働くと・・・「心不全」という症状が発生する・・・・。これが・・大変なのだ。心不全にも軽いものから・・・死にいたるものまであって、「首つり自殺」も・・便宜上・・「心不全」だし、心臓発作で死に至っても・・「心不全」、水におぼれても、ショック死も・・「心不全」と報道される。

 そういう・・例は別として・・、既存の心臓病に風邪とかストレスが加われば・・・「心不全」が起こり得るってことだ・・。これは・・かなりな・・時限爆弾・・・。

 これからは・・風邪をひかないようにし、過労やストレスを溜めないようにし、アルコールをほどほどにしなければ・・と思う昨今である・・・。

じゃぁ、また。

初詣り 信心の声も うすぐもり

2009年01月07日 | 歴史
 今日は・・・所属寺院の坊守さん(住職さんの奥様)から・・「初詣りに行こうよ~」と誘われて・・・、「ハイハイ・・」と、出かけたのでありますよ・・。

 初詣りっていうから・・修正会(しゅしょうえ)か除夜会(じょやえ)の案内かと思っていたらば・・・「佛婦(ぶっぷ)の会」だというのですよ・・。あ・・、お手伝いなんやなぁ・・と納得して出かけたのでありますよ・・・。「佛教婦人会」には・・私は・・・属しておりませんもので・・・、当たり前やね・・。

 

 こんな・・・感じで・・・ご婦人ばかり・・・。たまに・・お世話人とかで・・男性の顔も見えますけれど・・・。

 ここは・・倉敷市の・・清楽寺というお寺。私が・・教師の資格を取るために入学した・・・華園学院の・・仏教要論の教授だったのが・・この・・三木先生。

 いろいろと・・難しい講義を受けましたです・・。「時期」の「時」とは空間であり・・、「期」とは・・すなわち・・「人である・・」みたいな・・。全く・・・哲学・思想の世界でありましたでしょうか・・。

 

 そう・・、この・・・「まどか・・なにがし」という歌手に似た先生・・。

 その先生のお寺に初詣りして・・、おつとめをし、先生の法話を聞かせていただいて・・・。

 学院を出て・・・、もう、すでに十年近く・・・。すっかりと・・先生にもご無沙汰でした・・・。あ・・、こんなに・・近い所にいてはったんだ・・みたいな・・安心感も感じたことでした。すっかりと・・本山にもご無沙汰ですし・・。
 
 

 このお寺・・・、最近は・・・「佛画の寺」として売り出し中なんですと・・・。と、言っても・・・、お寺を売りに出しているわけやないのです・・。

 天井から・・・腰板から・・・そのあたり・・・一帯に・・・「佛画」が・・あふれておるのですよ・・。それも門徒さん、信者さんたちが・・・コツコツと書きあげた絵なんですと・・。

 で・・「佛画の寺」なんですと・・。住職さんもやりてだが・・、それに従って働く・・・門徒さんも門徒さんやね・・。私やったら・・・絵を描こうと思い立つかなぁ・・・と、やや、疑問。絵だからね・・。誰ばぁ・・、彼ばぁ・・描けるもんやないし・・。

 

 この金色の屋根を・・専門用語で・・「宮殿:くうでん」と呼ぶのだけれど・・・、その真上には・・・見えないだろうけれど・・・、恵比寿さんが鯛を釣っている絵があって、その前には・・・瀬戸大橋が描かれているの・・・。

 ほぼ・・浄土真宗らしくない絵柄なんだけれども・・・住職さんはあっけらかん・・・。ここには・・・大きな声では言えないけれど・・・お大師さんもおまつりしてあるし・・・いろんな観音さんやいろんな仏さまの絵も堂々と掲示してある・・。

 ま、それぞれに、お寺にもそれなりの事情というものがあるようです。

 さて・・、

 

 法話が終わりますと・・・、自由に内陣(ないじん)にも入らせていただけます。普通は・・内陣に入るには・・「衣体:えたい」という・・・定められたころも・・(色衣:しきえ)や、お袈裟(けさ)を着用しなければならないのです。

 で・・、内陣周辺の仏画や、お荘厳(しょうごん)なども手に取るように拝見させていただけました・・。

 で・・お別れの時がきました・・。

  

 三木先生ご家族の御見送りを受けて・・・、私たちは・・昼食のために・・県魚連の施設に向かいました。そこで、昼食を食べ・・お土産を買って・・・。

 午後の部の・・倉敷の・・アイビィースクエアーに向かいました。そこでは・・絵画展や・・クラボウの歴史なんぞを見学し・・倉敷の町や倉敷紡績という会社の歴史なんぞを学んだことでした・・。

 

 

 そんなで・・、少しばかり・・風邪気味で・・のどがいがらっぽくなった私でした・・。

じゃぁ、また。

おおらかに 歴史御殿に 菊の花

2008年12月17日 | 歴史
知り合いの・・・塩飽史談会のお世話役の加藤先生から電話があって・・・「入江先生が文化庁長官賞を受けたから・・・祝賀会をするんで・・、木村先生もぜひとも出席してください・・」とのこと。ここでは・・全員が・・「先生」なんですよ・・。だから・・・私も・・・なぜか・・「先生」なんです・・・。背中がむずかゆい・・・。私も一応は・・・民俗学者兼歴史学者だから・・。本当は・・・狛犬学者というべきなんだろうけれど・・。

 

 四国新聞社の記事によると・・・

 「地域の文化財保護と普及に貢献したとして、史跡塩飽勤番所(香川県丸亀市本島町)の顕彰保存会前会長で同会顧問の入江幸一さん(88)=同所=が文化庁から長官表彰されることが決まった。入江さんは3月、伝統文化活性化国民協会の2007年度地域伝統文化功労者にも選ばれており、「塩飽の文化と文化財保持に努めてきたことが評価され、大変感謝している」と喜んでいる。

 入江さんは1976年、国史跡・塩飽勤番所の保存に努めようと同会を設立。全国でただ一つの勤番所の歴史を伝承するとともに、資料整備や本島観光のPRにも貢献してきた。

   

 28年間会長を務め、今年5月、顧問に退いた入江さんは「みんなの協力がありやってこれた」と感慨深げ。「過疎化が進んでいるが、後継者の育成が残された仕事。受賞が本島観光にスポットが当たるきっかけにもなればうれしい」と話した。

 長官表彰は今回、入江さんのほか落語家の笑福亭仁鶴さんら26人が選ばれた。11月6日、文部科学省で表彰式を行う。・・・」とのこと。



 ぜひとも・・・一月には出席させていただきたいものです・・・。

じゃぁ、また。


狛犬が 秋空を見て 高笑い

2008年10月16日 | 歴史
 秋晴れのいい気候になったもんです・・。

 狛犬の資料を整理してると・・・、私の記録と・・・丸亀市の堀家先生の調べたものに違いが何カ所か発見されて・・・。狛犬の奉納年月日とか、それを奉納した願主とかが・・・幾分か違う・・・。
 違うままでは済まされない・・・し、気分が落ち着かない。時間もないし・・・  ということで・・・さぬき広島に向かった。
 

 朝の六時に我が家を出て・・・会社によって・・・。電子マニュフェストを一件発行しておく・・。前日に・・・伝送装置の引き渡しがあったもので・・。

 で・・・7時半には会社を出て・・・丸亀港へ・・。そこから・・9時20分だかのフェリーで・・・島に渡る・・。

 10時過ぎには島に着いて・・・早い昼食を食べて・・・神社巡りが始まった・・・。

 

 調べてゆくと・・・私の調査のほうが正しいと思うようになった。確かに・・江戸時代後期から明治初期にかけて・・・石に字を刻むのは手仕事・・・。だから・・字が細くて浅い・・・。それが風化をすれば・・・字はほとんど読めない。感覚で読む・・・。経験で読む・・・。周囲の状況で読む・・・。

 橘□□五□ と、読めたとすると・・・、これは・・「橘屋吉五郎」と読むみたいに・・。間違っている可能性は・・・ほとんどない・・。周囲に・・・「橘屋吉五郎」と刻んだものが・・無数にあるからだ・・。

 石□□左□□ も・・「石工半左衛門」と読む。まるでパズルのようだし、クロスワード・パズルみたいな・・・推理の世界・・・。そう読み切るには経験と・・・数。石工というのは・・狛犬や灯籠や鳥居を作る・・石大工のこと。

 この・・・半左衛門は・・・丸亀の石屋さんだった。あちらこちらに・・・この名前が刻まれている。有名だからわかるだけのこと・・。  年代も・・周囲の石像物の奉納されたものや形式や姿などから・・・推理して読む。

 そんなこんなで・・・さぬき広島にある狛犬の調査を終えたので・・後はのんびりとお風呂に入り・・・早めに夕食を食べて・・・。

 普段には見ることのない民放テレビを見ながら・・・深酒をしたのだった・・。

じゃぁ、また。

雨の日は 歴史散歩の 菊の花

2008年10月14日 | 歴史
 14日はあいにくの雨になりました。

 ホテルには咸臨丸子孫の会の会長と事務局長、それに佐藤学芸員と私の四人が宿泊・・・。出発は九時とのこと。朝食を食べて・・・私は車を港まで取りに行く。

 この日は・・・西山ご夫妻の案内で・・多度津町立資料館を表敬訪問。ここの館長さんは・・咸臨丸子孫の会とともにオランダまで旅行されて、咸臨丸が作られた造船所を見学されたんですよ・・。

 で・・市長さんから・・・「イワキチ・ヤマシタ・・・」と挨拶されて感動したのだとか。そりゃそうでしょ、遠い異国の地で・・ふるさとに生きた人の名前を告げられたのですから・・・。

 



 山下岩吉という人は・・・高見島に生まれ・・幕末にオランダ留学し、そこで船の艤装を学び・・・、新造船の「開陽丸」に乗って帰国・・、榎本武揚とともに函館戦争に参加・・・のちに赦されて・・・海軍造船所に勤務した方・・。退職後はふるさとの高見島に戻って自適の生活だったらしい・・。

 

 館長さんの好意で・・その山下岩吉さんの遺品を見せていただいた・・・。

 白髪のご婦人が・・・館長さん。書類を開いてるのが佐藤学芸員・・。手前が子孫の会の会長と事務局長・・・。みんな・・真剣そのもの・・。

 

 これは角度を変えて・・・西山ご夫妻ら・・。

 佐藤学芸員をJR多度津駅までお見送り・・。ホテル組4人と西山ご夫妻とで・・さぬきうどんの昼食・・。

 時間調整のために・・・丸亀城内にある丸亀市立資料館を表敬訪問。ここで「漆」の展示を見学・・・。


 

 古い時代から・・漆がいろんなものに使われてきたのを教えられた・・。

 13時になったので、丸亀市教育委員会文化課を表敬訪問して・・今回の旅はおしまい・・。

 西山ご夫妻とはここでお別れして・・・子孫の会のお二人を・・高松空港までご案内。帰る途中ですから・・・ついで・・です。

 14時過ぎに・・・高松空港まで送り届けて・・・また・・来年です。  こうして・・、私の旅もおしまいです・・。

じゃぁ、また。

秋焼けに 遠きロマンを 語り継ぎ

2008年10月13日 | 歴史

 さて・・二日目・・・。飲み過ぎて・・・頭がいたい・・・。で・・朝のお散歩。歩かないと・・・意識が回復しない・・・。ま、歩いても・・・昨夜の記憶は戻らないのだけれど・・・。ま、一種の自己満足・・・。

 その後・・・朝食・・・。賄方小頭はてきぱきとその準備・・・。お味噌汁がおいしい・・・・。

 やがて・・・塩飽史談会のメンバーが三名ほどやってきて合流・・。みんなで・・・港までお出迎え・・。函館資料館の学芸員の方がおいでになるので・・その歓迎式典・・・(そんな大げさなもんやない・・)。  

 私たちが・・・北海道のことを知らないように・・・北海道の方は・・・塩飽というものが全くわかっていない・・・。「しわく」という言葉自体がわからない・・。そりゃ、そんなもんだと思ってしまう・・。  で・・「塩飽・・特別講義」  

 このお部屋が「塩飽文庫」というお部屋で塩飽に関する文書・古文書などを保存しているお部屋。ここには・・・普通の人は入れない。塩飽史談会とか・・塩飽の「旧人名:にんみょう」とか・・・。そそ・・。この塩飽勤番所は今も・・・人名の共有財産。だから・・・私たちは無料で入れる。そうは言っても・・・普段には200円を支払うが、今回の場合の公的行事では・・公然とタダで入れる。

 偉そうにいうが・・・私は・・本来は部外者・・。最近はすっかりと塩飽人をやってるけれど・・。本来は「人名」ではないが・・。こういう場合だけは・・入江会長にくっついているだけで・・・「人名扱い」されるというわけ。「人名」というのは・・・「大名」みたいなものらしい。今では・・・何の特権も義務もない・・。明治になって消滅してしまった・・・階級みたいなもの。その昔には税金を払わない代わりに・・・軍役が課せられていた。

 おりしも・・この日は・・・与島ウォーク・ラリーだかで・・・、50名単位で四組・・・、総勢・・・200名もの方が・・この塩飽本島にやってきて・・・勤番所とか笠島とかを見学にやってきて・・・。  その合間に・・・勤番所の説明を・・・函館博物館の学芸員に・・・。

   手前が・・・佐藤学芸員。おじいちゃんが・・・入江会長。ほかは・・塩飽史談会とか子孫の会の方々・・・。  

   ここには・・・こういうものとか・・・  

 こういうものとかの・・・咸臨丸乗組員がアメリカから持ち帰った遺品がいくつも展示してある・・。咸臨丸研究には欠かせない場所・・・。

 この後・・・藤本小頭宅で・・・鯛飯のご馳走を食べて・・・。  

 その藤本小頭のご先祖・・・。咸臨丸に乗り組んでいた実次郎さんのお墓にお参り・・・。  あとは・・笠島町並保存地区を見学して・・・・夕方の船で島をあとに・・・。  

 そこで・・・解散したはずなのに・・・。

 ゆったりと・・丸亀のホテルでシャワーなんぞを浴びていると・・電話・・。  「六時半から・・反省会です・・。お願いしまぁす・・・」  あわてて・・・着替えて・・・走って・・おりて・・・。

 今度は・・讃岐龍馬会塩飽社中の会長さんが・・・歓迎会・・。  

 またまた・・・深酒をしてしまった・・私でした・・。

 じゃぁ、また。


晴れてなお 塩飽の雲の なつかしさ

2008年10月12日 | 歴史
 日曜日の朝・・・6時前に起きて・・・前日から用意していたお荷物を積み込んで・・・時速・・・?Kmで・・・丸亀港までひた走りです・・。  通常だと・・・1時間20分程度・・。でも・・フェリーが7時20分発だと思い込んで・・・。実際は・・・7時40分だから少しばかり余裕・・・。
 

 いい天候になったもんです・・。もう・・ここからは・・・右手に缶ビールです。すばらしい・・旅に乾杯!

 私のブログをごらんの方はご存じでしょうが・・・「咸臨丸」我が国最初に太平洋を横断した船です。その乗組員の子孫の方々が作る・・「咸臨丸子孫の会」その会長さんと事務局長さんが塩飽においでになる・・。

 それを・・黙ってみていては・・・いけない。そういうことで・・塩飽本島へ・・。  

 ま・・いろいろあるんですが・・中略・・・。

 島に着くと・・・レンタサイクルを借りて・・・狛犬探検・・。今年の自由研究を・・・急遽差し替えて・・・「丸亀市の狛犬」にしたもので・・その補足調査。

 何度行っても探しあぐねた神社の狛犬に・・・リベンジ・・。

 今回は・・・ようやくに・・見つけました・・・。

 それは・・その途中にある・・・「夫婦倉」廻漕業で繁栄した証でしょうか。珍しい形の倉ですね・・。  

 最近の方々が・・・「咸臨丸」を知らないように・・・「狛犬:こまいぬ」もまた・・・誰も知らないのです・・。地元にいても知らない・・・。そんなもんです。

 歴史探訪・・・っていうと・・・大げさに聞こえるし、学問をやってるようにも思えますが・・「あなた、今朝は何を食べましたか?」と聞かれて・・・「あれ・・、何を食べたかなぁ・・」と・・考えることが歴史散歩なんです。

 自分ちの過去・・・所属する地域の動いてきた毎日・・・。そんなものを振り返ることが・・・歴史探訪・・・。難しいことやないんです・・。  

 私と同じフェリーだった藤本小頭はお布団を干したり・・お部屋の掃除。

 11時過ぎにやってきた・・・子孫の会の会長と事務局長をお迎えして・・・小頭宅で休憩・荷物を預けて・・・港にある食堂でおうどんの昼食・・。「所見坊:じょうけんぼう」という名前のお店。

 午後は・・・近くにある・・・「木烏神社:こがらすじんじゃ」の秋の例大祭。塩飽史談会の会長さん・・・入江さんがお役目をやってるというので・・表敬訪問。お祭りに参加して・・・ちゃんとみんな・・・玉串奉奠までやりました。

 で・・記念撮影・・。  

 そ・・これが・・・咸臨丸乗組員 鉄砲方水主小頭兼賄方・・・の子孫の・・・幹事役・藤本船長。ヨットの船長さんです。大阪で木工所をやっとるようです。

 その船長さんが・・・アウトドアで簡単に食べられる料理をいくつも作ってくださって・・。  

 そんなこんで・・・ま・・・関係者・・お友達も呼び出して・・・なごやかな交流会になったことでした・・・。

 時計が零時を過ぎたか・・・なんだとかに・・・全員・・・ばたぁーーんQで・・お風呂にも入らずに寝てしまったことでした・・。

じゃぁ・・また。

先日の 映画村から おもうこと

2008年09月28日 | 歴史
 いきなり・・涼しいを通り越して・・・肌寒さを覚える・・。

 

 私は山奥の村に生まれたもので、こうした路地が妙に気になる。その先に何かがあるようで・・・興味深くて・・しかし・・おそろしかった。

 海岸沿いの漁師町にありがちな路地・・・。

 

 昔はこうした民家が多くて・・・入り口から入ると、そこが土間で・・その奥に台所というか・・・釜屋があって、かまどがあった。

 住居部分は・・・田の字の四間造りで、上がりはな、その奥が座敷。その隣が納戸で・・・手前が台所だった。

  

 いろりは・・・照明でもあったし、暖房器具でもあったし、煮炊きする調理器具でもあったし、家族団らんのための大切な用具でもあった。

 こういう・・設備がなくなって・・・家族関係は希薄なものになったように思う。それだけではないのだろうけれども・・。

 いろりにも座る場所が決まっていて、正面奥が・・・トト座。主人が座る場所。手前がカカ座。奥さんが飯をよそったり、汁を盛ったりする場所。向かって左側がムコ座。来客用の場所。右側が子供の座る場所だった。

 

 私らの小学校もこんなものだった。先生の机も確かに・・・こういう位置にあって、こういう形の机だった・・・。

 正面上部には日本の歴史年表なんぞが張ってあったように思う・・。

 
 

 蓄音機は・・・運動会くらいしか記憶がない。普段にはオルガンとかピアノだったような・・・。

 

 私らの小学校も木造で・・・これの二階建てバージョンみたいなものだった。

 それがいつしか鉄筋コンクリートの立派な校舎になったけれど、来春には・・休校になってしまうらしい。新入生がゼロなんだそうだ。こんなに人がいるのに・・子供がいないなんて・・・。なんたるこっちゃぁ・・サンタルチア・・・。

じゃぁ、また。

秋空は どこに行ったか 寒霞渓

2008年09月25日 | 歴史
 遠いからと・・・そのまんまにしていたお仕事・・・。小豆島での公衆電話ボックスの調査も・・・期限がぎりぎりになったので、ようやくに思い腰を上げた。

 今日は天気が悪いが・・・午後からは晴れそうだというので出かけたのだが・・。

 

 今年は・・「オリーブ100年祭」とかで・・・各種のイベントが行われている様子・・・。あまり・・興味がないので・・お仕事優先・・・。

 とりあえず・・・乗った船が・・・草壁港に着いたものだから・・、そこから・・東に進んで・・・西村のBOX・・・池田のBOX・・を経て・・土庄町へ。

 

 世界一狭い海峡・・・土淵海峡を経て・・・土庄交換所へ・・。

 

 その後・・・土庄港近くでお仕事をして・・・

 

 これは・・・「平和の群像」というモニュメント。

 お昼のおうどんも、この土庄町で食べて・・・。

 午後からは・・・島の北側を進んで・・・小海とか大部とかでも調査をやって・・・、大部から寒霞渓に上がって・・・安田に降りて・・・みたいなコースになってしまったです。

 天気が良ければ良かったのですが・・・あいにくの曇り空・・・。

 なんか、すっきりとしない一日になりました・・。

じゃぁ、また。

高見島への旅・・。

2008年09月17日 | 歴史
 17日の朝は雨だと思っていたのに、いい天気になった。

 <これは行かなければ・・・>と、すぐさまに用意をして・・6時半に我が家を出た。途中・・・24時間営業のスーパーで食材を調達する・・と言っても、漬け物と・・梅干しと・・マカロニサラダと豆腐と納豆・・・。こういうものがあれば数日は過ごせる・・・。

 丸亀港には・・・8時半に着いた。時間は1時間弱あった。近くを散歩したりで船を待って、9時25分だかのフェリーに乗って・・またもさぬき広島に入った。

 10時過ぎに・・・家に着いて・・一休みしていると・・自治会長さんがやってきて、「台風の来ない間に・・行って来るかな」という・・。

 そういうことで・・・13時過ぎに船を出して・・・お隣の島・・「高見島」に向かった。海上・・・約10分。やや・・波があった。

 

 浜の港に船を着けて・・・高見島を歩き出した。

 ここも・・物音ひとつしない島だ・・・。人影も見えない・・。二人は・・墓地に向かう。ここも両墓制(りょうはかせい)の残る島だ。

 

 手前が埋め墓・・・、遺体を埋めた場所だ。その向こうに立派な石碑がならんでいるが、これが拝み墓とか参り墓という。なんでこんなことをするのかについてはいろんな説がある・・。

 台風の影響で・・天候が危ぶまれる・・・。潮加減もよくないので・・・今回はあんまりはゆっくりとできない。

 

 高見は石積みと石段と急坂で有名な島。急峻な山肌にすがりつくようにして民家が張り付いている。坂道の幅は狭く、郵便配達や宅配便の人は苦労するだろうし、足の不自由なお年寄りではなかなかに厳しい石段だ。

 

 そのためか・・家屋の多くが空き家となっていたり、雨戸が固く閉じられている。草に覆われてしまった民家も多くなった。

 

 これはプロパンガスや重い荷物を高い場所に運ぶための策道・・・ケーブルカーだが、最近は使われたような形跡がない・・。

 島で元気なのは・・・

 

 猫・・・。島の海岸沿いには、あちらこちらで猫を見かける。

 大きなうねりが出てきたようなので、早々に高見島を後にした二人だった。

 夜は二人で塩飽談義になってしまった。

じゃぁ、また。

さぬきうどんの本場だけあって・・・

2008年09月01日 | 歴史
 観音寺市のその西に・・・豊浜って町がある。

 そこで・・・事故が多発する交差点があって、近く・・・改修工事が行われるらしい・・。その工事に際して・・公衆電話ボックスが邪魔になるので撤去するらしい・・・。

 その調査のために・・電子地図システムで検索したらば・・・その近くに・・・

 「讃岐うどん神社」なるものがある・・・。<なんじゃろ・・>

 というので・・・行ってみた。公衆ボックスからは30mくらいの距離。

 

 これが・・・その神社。それらしい神社だが・・・・、実は・・・「讃岐うどん」といううどんの製造工場・・・の敷地にあって、うどんのお世話になっているものだから、うどん神社を作ったものらしい・・・。別名を・・「丸金神社」ともいうんだそうな。それが・・・会社名・・・。

 ご丁寧に・・・事務所の裏口には・・「讃岐うどん神社社務所」の看板まで・・。

 

 これが・・・ご神体らしい・・・。海の・・網岩と・・・陸の石臼を組み合わせたものらしい・・。こうしてみると・・・人の顔になっているのかなぁ・・。

 

 これが・・その由来を書いてある看板。ま・・、それらしいことを書いてある。

 このあたりがうどん造りにはいいところだ・・・みたいなことだ。

 で・・・ご丁寧に、こんなものまで・・・。

 

 どんぶり塚・・・。ここは・・・製造工場なもので・・・どんぶりなんて出てこないだろうに・・・。普通のうどん屋さんならば・・・使えなくなったどんぶりを供養するというのもわかるんだけれどもね・・・。

 社長さんは・・・まじめに・・こういものを考えたんだろうか・・・。

じゃぁ、また。

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