goo blog サービス終了のお知らせ 

まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

冬枯れて 犬のあくびも 大げさに

2009年11月25日 | 歴史
またしても書いたばかりのブログを消してしまった・・・。再度・・書き直し。

 今朝は雨で始まった・・。雨だからと、先日のさぬき広島で出会った・・草刈りボランティアのおじさんに頼まれたお勉強を始めてみた・・・。このおじさんのいうことには・・「未来に語り継ぎたい話」としての「英国士官レキの墓」を元にして・・2016年には・・「150周年記念レキ祭り」をやろう・・・というものだ。2016年というのは、その海軍士官レキさんが亡くなった・・慶応(けいおう)二年(1866年)から数えて150年後ってことだ・・。

 このおじさん・・内緒だけれど、実は丸亀市役所のとある部長さんなんだ。そういう人と・・草刈りを通じて・・お友達になってしまって・・。そのなりゆきで・・「レキ祭り」にかかわりあうことになった・・・。

 ま・・深い話は別として・・。

 

 これが・・広島沖で海底調査をやった「英国軍艦シルビア号」と行動をともにした「第一丁卯(だいいちていぼう)丸」で、これに長崎伝習所で測量術を学んだ「柳楢悦:やなぎならよし」が乗っていて、レキらと行動をともにした・・というのだ。

 そこでは勝海舟とか咸臨丸乗り組みの水夫らと出あっていたはずなんだという・・。そういう可能性がないでもないのだけれど・・。

 そういうことで、私はその基礎調査をやっていたわけだ。で、最新鋭のレーザープリンターで資料をどんどこと吐き出して・・百ページほどの資料ができた。インクジェットとは違って早くてきれいだなぁと感心する・・。

 

 で・・十時過ぎからけいこばぁと・・三木町にある動物病院「光昇堂」で、ゴンちゃんの薬を買いに行く。一錠だけで・・1200円もする。これを明日の朝・・飲ませれば・・今度は五月まで要観察・・・。最近は倒れたりはしないのでたぶん、大丈夫だろうとは思うのだけれど・・。

 で・・、とあるスーパーで(というてもこのあたりでは・・マルナカなんだけれど)食材を買ったら・・こんなものが眼に着いた・・。

 

 韓国製の発泡酒で・・350mlの24本詰で1980円と言う安さ・・。試しに・・6本だけ買ってみたけれど・・飲みやすくてクセがない・・。まさに・・「のみごろ」なんだなぁと思う・・・。これはいいなぁと思った。のどに優しいし、お財布にも家計にもやさしい・・。

 その後・・、けいこばぁが一度は行きたい・・と言うてたおうどん屋さん「滝音:たきね」に行ってみた。私は何度も行ったことがあるんだけれど、お昼になると道路は混むし、駐車場はいっぱいになるわで・・人気のお店。だから・・11時前でないと落ち着いておうどんが食べられない・・。ま、混んでいたり、行列が好きな方もおいでにはなるのだけれど。

 

 そうはいうても・・普通のうどん屋さんだからね・・。特別・・金や銀のおうどんがあるわけやない・・・。行列をしてまで食べるような特別なおうどんでもない・・。普通の・・さぬきにある・・おうどんなんだけれど。

 で・・けいこばあは・・いつものかけうどん小におでん・・。私はしっぽくうどんが希望だったけれど、ここにもしっぽくはない・・。仕方がないので・・ぶっかけ小のぬくいん・・を注文した・・。250円であったような・・。

 

 このおうどんの中のレモンがねぇ・・最後までお出汁に残っていて・・なんとなくトロピカルな風味になったのが印象的・・・。レモン味のおうどん・・・みたいな。

 けいこばぁは・・「おいしいおいしい・・」を連発してかけうどんを食べていた。そんなに感動するような味でもおうどんでもないとは思うのだけれど、確かに麺がおいしいし、なめらかでつやがある・・。お出汁もそれなりにおいしいから・・最後の最後まで飲みほしてしまえる・・。残すのがもったいなくなるようなお出汁だし・・。ま、お勧めのお店ではあるね・・。

 

 そんなんで・・午後からも・・引き続いて・・幕府軍艦一覧とか・・海上保安庁水路部情報とか・・を調べていて日が暮れた・・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

葛の道 抜けてお寺の 鐘を打ち

2009年11月08日 | 歴史
 午後からは・・佐柳島に移動した・・。坂出の朝日海運さんの「朝日丸」というチャーター船を一日借り切っての島巡りの旅・・・。

 塩飽諸島二十八の島々は、昔は海でつながっていたために、郵便物も船で島々に運ばれたりしたらしいが、戦後は地図上の縦に区分されて、櫃石島や岩黒島、与島などは坂出市に属して坂出から高速経由でバスが出る。

 塩飽本島や牛島、さぬき広島や手島・小手島などは丸亀市に属して丸亀港から船が出る。高見島や佐柳島は多度津町に属していて多度津港からの船になる。だから・・島々を横に巡ろうとすると・・特船というチャーター船しかない・・。

 

 今回は・・その朝日丸で高見・佐柳の旅である・・・。佐柳の港に着いた一行は本浦の集会場に寄せていただいて、お茶をいただき、島田さん、ここでは「鐵五郎」さんのほうがおなじみなんだけれど・・、歓迎の挨拶を受ける・・。

 

 で・・、島の歴史というと・・やはり、神社やお寺に行くしかない・・。最初は八幡神社に参りして拝殿の中を見せていただく。拝殿内に奉納された和船の模型や絵馬などを見せていただく・・。その後・・、干満の井戸という不思議な井戸の見学・・・。満潮には水位が下がり、干潮になると水位が上がるという逆になる珍しい井戸なんだそうだ。

  

 その後、この島の旧庄屋さんの田本長太夫宅を見せていただく。島の庄屋さん宅だけあって立派な造り。柱や桁材も太くてしっかりとしたもの。欄間も一枚板のすばらしい彫り物の施されたものだし、いまだに・・槍や船突き槍などの武具も保管されている・・。

 

 この屏風も由緒あるものらしい・・。写真右上では入江会長が古文書を調べている・・。

 

 これが・・塩飽史談会の入江会長・・・。九十歳を越えているのに元気で、昔のことをその目で見てきたように話すんだから恐れ入る・・・。それに・・記憶力がすばらしい・・。日本の歴史がすらすらとよどみなく流れ出るのだから・・。

 その後・・乗蓮寺に移動して・・本堂(客殿)を拝観・・・。瀬野昇平という人の履歴書みたいなものを見る・・。この人が・・「安政六年正月咸臨丸御船ニテ米国桑港(サンフランシスコ)エ洋航、船将は勝安房守殿ニ御座候・・・」と書いてある。咸臨丸に乗って米国に行ったのは一度きり。その咸臨丸の水夫は50名。内35人が塩飽の水夫。その中に「昇平」という水夫の名前はない・・・。これはどうしたことやろうか・・・。

 

 これは・・富造という人のお墓。これは確認すみ。そして、こちらも・・。

 

 これは「前田高次」のお墓。これも確認すみで、アメリカ土産なども残されている・・。ま・・、そういうものを見たあとは・・、またしても朝日丸に乗り込んで・・、今度は島の北端にある「長崎」地区に移動する・・。歩けば・・40分も50分も歩くほどの距離。

 この地区の北端部にあるのが・・・。

 

 この「埋め墓」・・・。自然石を海岸で拾ってきて盛り上げたお墓。細長いものは「寝棺」を置いた上から石を盛り上げたもの・・・。盛り石の上の石碑には故人の俗名が刻まれていて・・誰のお墓がわかる仕組み・・・。

 丸くて小さな盛り石塚は・・地方(じかた)「多度津」や「丸亀」などの病院や施設で亡くなり、火葬されて島に戻り、遺骨だけを埋葬したお墓。だから・・小さい・・。

 

 一つの盛り石塚に二つ以上の石碑があるものは、親子とか夫婦の遺骨を同じ場所に埋葬したもの・・・。

 こことは別に少し離れた場所に、立派な石碑が建ててあって、そこには戒名や法名が刻まれている。それは参り墓。そちらに遺骨は納められていない・・。近年は・・・「○○家の墓」という家族墓が増えてきたそうだ・・。

 ともかく・・遺骨を埋葬した「埋め墓」と、立派な石碑に戒名を刻んだ「参り墓」があるのが「両墓制」といわれるもの・・。その・・代表格が、この佐柳島・長崎鼻の「埋め墓」である・・。

 で・・その帰りは・・さぬき広島には降りずに、丸亀港で下船して流れ解散・・・。久々に我が家に帰ったのでありました・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

路地陰に 猫たむろして 糸ススキ

2009年11月08日 | 歴史
 さて・・朝の片づけを済ませて・・帰宅の準備を済ませる・・。弟も魚が釣れずに・・いよいよ・・撤収・・。

 弟は八時半のフェリーで帰って行った。私も帰る支度をして、戸締りなどを済ませて・・江の浦港で待機・・・。自治会長さんや松本さんと三人で・・高見島・佐柳島に向かう「特船(とくせん)=チャーター船」を待つ。

 今日は・・塩飽史談会の例会で、塩飽諸島を訪ねる旅の一つということで、高見島に向かうことになったもの。船は・・島々を回って参加者を乗せて・・・さぬき広島に寄ってから・・高見港に向かう・・。

 

 今回の参加者は・・33名・・。歴史民俗資料館有志や丸亀城石会の有志なども含めての大勢の旅になった・・。

 高見島では・・西山先生ご夫妻の案内で高見島内を見学して回った・・・。

 

 天候も良く・・・風もなく・・海はおだやかに凪いで静かだったし・・・。

 こうした・・島々は・・・時間の流れが止まったような錯覚に陥る・・。自動車もバイクも見えないし、人影もほとんどない。まして・・自動販売機もなければ・・信号機もない・・。バス停なんか夢のまた夢・・・。

 

 高見や佐柳は・・・猫の島・・。江戸時代の千石船にネズミ退治のために載せられた猫が・・島々に降りて住み着いたとかと言われるが・・・ここかしこに・・猫の姿が・・・。

 塩飽の島々で特徴的なものが・・このお墓・・・。

 

 手前側の自然石を並べたものが・・遺体を埋めた「埋め墓」四角い石碑には故人の俗名が刻まれていて、誰のお墓かがわかるようにしている。

 その向こう側に立派な石碑が立ち並ぶ・・。これが参り墓・・。ここには戒名が刻まれているし、「○○家の墓」と刻まれたものもある。こうしたお墓を・・「両墓(りょうぼ:りょうはか)制」という・・・。個人ごとに・・二つのお墓があるということになる。

 

 この島には水田はなく・・簡単な野菜や畑作物を作る程度・・。多くが半農半漁だったという。今では・・漁師さんの数は減ったと聞いた・・・。

 

 高い・・竜王山の山裾にすがりつくように・・家々が立ち並んでいて、狭い坂道や石段を登り下りして生活してきた・・・。道の右手には隣の家の屋根が・・、左手にはこれまた隣家の高い石垣が迫る・・・。

 戦後には・・千人を越えた人口も・・高度成長時期ごろから人口流出によって過疎化が進み・・・今では空き家ばかりが目立ち、家屋の荒廃も進んでいる・・。

 

 島の高台にある「大聖寺」から見た瀬戸の海。目の前が・・「備讃北航路」巨大船がゆっくりと進んでいく。かつては、この海を帆柱にいっぱいに風を受けた北前船がいくらも幾らも行き交ったに違いない・・・。

 こうした海で育った若者の中に・・榎本武揚らと活躍した人物の一人、山下岩吉がいた。幕末期にオランダに留学し、あの「開陽丸」に乗って古川庄八らと帰国し、海で活躍した人物だった。そのお墓が・・このお寺の境内に建っている・・。

 

 一行は・・西山先生宅でお弁当を食べて・・13時過ぎに高見島を出発、今度は佐柳島に向かった・・・。

じゃぁ、また。

つわぶきの 花に誘われ 秋遍路

2009年11月04日 | 歴史
 昨日の写真がほとんど使い物にならないので、今朝も八時からお寺に出かけて写真撮影になった・・・。

 お墓というのが暗い場所や木陰にあったり、建物の影にあったりして、案外と光の届かない場所にあったりする。また、刻まれた字が手彫りのために、細くて浅いものだから・・・字を写そうとすると字にならない・・。

 

 フラッシュをたけば・・・それこそ真っ白くなって、のっぺらぼうになってしまう・・・。だから・・・写しても写しても・・何がなんだかわからない写真になってしまう。で・・自治会長さんのアイディアで、ダンボールに料理用のアルミホイールを張って、「レフ板」を作ったり、懐中電灯を持参したけれど、何の役にもたたなかった・・・。おまけに・・・持って行ったポケデジがまたしても壊れたし、一眼レフのデジカメも・・真っ白になって何も写らなくなった・・。何かの設定がおかしくなったんやろうか。ポケデジは・・電池を充電しなおすと動くようになった・・・。やれやれだわ・・・。

 

 こういうものは写るんだけれどもね・・。マジで・・「お墓のたたりやろか・・」と思うようになった・・・。おはかには行くのだけれど、おまいりはしないし、お線香をあげるでもない。まして、お花やお経をあげるでもないのだからして・・・。ただ・・挨拶もせずに・・・写真だけだからね・・・。

 

 で・・・その写真データをパソコンに整理しようとすると、フリーズしてしまうし、パソコンがまったく動かなくなってしまう・・・。まじで・・・「たたりやろうか・・・」と思ったりした・・・。

 だから・・・気分転換に・・釣りに行ってみたのだけれど、それとて・・・魚のたたりかしらんと思うほどに・・・何もつれない・・・。たまにかかるのは・・・フグばかり。

 

 釣りも早々にやめて・・・島を一周してみた・・。夏場には誰もいなかった島なのに、最近はぐんと釣り人が増えた・・・。アオリイカとかスズキだとかはまちだとか、カレイもあがっているそうな・・・。でも・・私には・・・何も来ない・・・。

 だから・・・島をぐるぐると走ってばかりだった・・・。

 午後からは・・・弓の稽古に広島神社の射場に行った。

 

 で、的場までの矢道の草刈とか掃除をして、環境を整備して・・精神修養かな。お掃除でもしたら、少しは上達するかなぁ・・なんて思ったりして。なにせ、弓道の手引き書、入門書には、歩き方とか座り方とかあいさつの方法とかみたいなことしか書いていないのだから・・・。

 でも、お掃除をしても・・・弓は簡単には上達しない・・・。

 

 夕方からは・・・我が家の前の草刈の続きをやった・・・。少しばかりだけれど・・・窓が少しあかるくなったかな・・・と。

じゃぁ、また。
 

背を丸め 風の中行く 連れ遍路

2009年11月02日 | 歴史
 で・・、今日は咸臨丸に乗り組んだ塩飽水夫のうちの讃岐広島からの11人中の八人のお墓の再調査とか弓の練習をするはずだったのだが、起きてみると雨・・・。それに風が強くなってきた・・・。木枯らしのような風が吹き荒れているのでは・・弓の練習になんぞならない・・。

 「それじゃぁ、だめじゃん・・」ということで、急きょ予定を変更して・・さぬき市に戻ってきた・・・。

 第一に・・愛用のコンパクトデジカメの「IXY」がまたも故障した・・。七月に修理をしたばかりなのに・・。昨夜はデジカメから発熱して煙が出だした・・。たぶん・・ご臨終かも・・。

 また・・・7500円もいるのかと思うと何も手がつかなくなった・・。だから・・代わりのコンパクトデジカメを持ってこなくては・・。これがないと何もできないんだわ・・。散歩するのに・・一眼レフは重すぎるもの・・。

 

 第二にお友達へのプレゼントが手に入ったので、それを大至急送り届けたいと思ったし・・・。ま・・・ゴミと言えばゴミなんだけれど・・。

 

 第三に、私のブログを見た人から・・10月5日のご門主さんが来られた時の法要の写真が欲しいという電話があったもので、それも至急・・CDにコピーして送り届けたいと思ったし・・・。なにせ、時間が過ぎたら忘れてしまう性分なもので、覚えている間に片づけておきたいと・・・。でも・・私のブログを見ている人がいるもんだわね・・。お寺関係の方なんかがねぇ・・。

 

 第四に・・、昨夜の自治会長さんとの話の中で・・広島の文化祭に、「咸臨丸乗り組み水夫のお墓」を写真で展示してはどうかという話になり、もちろん・・地図とかもつけて・・・。広島からは・・35人中11人が乗り組んでいて・・・、その中の8人のお墓が見つけてある・・・。あと・・三人がわからない・・。だから、文化祭で資料を展示したら、誰かが思い出すなりして新発見にならないだろうか・・・などとも考えて・・。

 その資料・・写真なんかを自宅のパソコンの中から探し出して・・足りない部分、不鮮明な部分を撮り直して・・資料にしたいなぁ・・なんて考えて・・。

 ま・・塩飽本島の特別展示には程遠い研究だし、足元にも及ばない資料だけれど・・。

 

 そんなんで・・8時半のフェリーに乗って帰って来て・・・途中でおうどんを食べたけれど・・デジカメがないので記録が残らない・・・。今までずっと・・デジカメと一緒、病院でもお寺でも一緒だったのに・・・カメラがないと不安で不安で仕方がない・・・。デジカメ依存症というものがあるんだろうかね・・。

 午後からは・・・ブログの整理やら荷物の発送なんぞをこなして・・。夕方からは・・お墓や咸臨丸の資料集め・・・。ほぼ・・資料はできたから・・、また、明日の朝から・・・さぬき広島に行ってきますね・・・。

 

 今日は久々にポチとお散歩もしたし・・しっかりと遊んであげたし・・。今日が二日で、明日が三日か・・。いいお天気になるといいんだが、なんだか、明日は寒そうな予感がするし・・。寒いと・・ちと・・・島はどうかなぁとも思うけれど・・。

 四日からは暖かくなるというので、今度こそは弓の練習とかもしっかりとやりたいし・・お魚釣りもできるといいね・・・。

 五日は・・いよいよ船舶検査・・・。たいしたことないといいね・・。船の前部左右に・・・船名「あかつきⅡ」が書いてないのが少し気になるけれど・・・。叱られたら叱られたとき。でも・・今まで・・6年間・・・それで走り続けてきたのにね・・・。

 

 そんなんで・・・またまた・・さぬき広島に逆戻り・・・。

 で・・、六日・七日と・・・弓の練習やら・・魚釣りやを楽しんで・・、八日は塩飽史談会の塩飽島めぐりで・・高見・佐柳島探訪の旅・・・。「特船(とくせん)」という・・・貸切客船で・・塩飽巡り・・・。ま・・仲間の皆さんとわいわいがやがやと・・・交流と親睦を深めてきたいもんです・・。

 で・・その次には・・うちの広島あたりが予定されるので・・その下準備とか・・予定をどうするのかも考える研修にもしたいなぁと・・。

 高見・佐柳は・・「猫の島」猫ともなかよくなれるかなぁ・・。

 

 そんなんで・・また・・しばらく留守になります・・・。九日には戻ってくると思うけれど・・また・・すぐに・・六日あたりに戻ることになるのかも・・・。

じゃぁ、また、来週、会えるといいね・・。


 

菊活けて 遠来の友 靴を脱ぐ

2009年11月01日 | 歴史
 この島の石碑・・・いわゆる墓石にはいろんな形がある・・。どこの文化なのだろうかと思うような石碑がある・・。

 いわゆる「年寄りの逆修墓」・・。

 

 これは・・年寄り宮本家のお墓・・。三メートルもあるような大きなお墓だが、生きている間に息子が建てたものらしい・・。この「年寄り」というのは「高齢者」という意味ではなく・・「大庄屋」みたいな役職で・・塩飽七島にわずか四人しか認められていなかった「役職」だったらしい・・。この四人が世襲制で島を統治していたようだ・・。

 

 じゃぁ、このお墓はなんじゃろ・・みたいな疑問が・・。

 南方民族のなかには、こうした石碑を建てる民族がいたのだろうか・・。少なくとも・・このあたりには見かけない形のお墓ではある・・。

 

 11時前になったので・・おうどんを食べた・・。これで・・250円だ。シイタケが甘辛く煮てあってお出汁もおいしかった・・。バザー会場の缶ビールは350mlが300円だったもので、少し歩いて、朝の自販機で250円で買った。同じものだった・・・。

 で・・11時を過ぎたので、港までお出迎えに行った・・。しかしのかかし、島の人は誰もお出迎えに来ない・・・。ま、みんな、持ち場・持ち場というものがあるのかも知れないけれど・・・。

 

 白いジャンパーの方が咸臨丸子孫の会の小杉さん。牛島の郡家滝蔵さんの子孫の方、広島の山下伊三郎さんの子孫の方、勝海舟の子孫の高山さんとか研究者の河本さんとか・・総勢八人の方がおいでになった・・・。

 

 思い出したように咲いた桜の花を楽しみながら・・お客さんを案内して、文化祭の会場へ。そこには・・受け入れ側の塩飽史談会の幹部の方がおいでになるもので。

 

 で、左端の入江先生をお呼びしてご挨拶。バッグを肩からかけてる方が勝海舟の子孫の高山(こうやま)さん・・・。ピンクのセーターの方が塩飽水夫の研究をされている河本先生・・。

 一行は・・木烏神社で昼食を食べてから塩飽勤番所に向かうとか・・。私は天候が怪しくなってきたので、12時35分のフェリーで島を後にするので、みなさんにご挨拶をして・・お別れ・・。一足先に・・勤番所に寄って、管理人の「たまちゃん」にお客さんが到着した旨を伝達して・・・フェリーに乗船・・。

 

 フェリーが13時15分に丸亀港に着いたころには・・雨がぽつりぽつりと・・。

 今度はさぬき広島行きの13時30分発のフェリーに乗り込むと・・雨が激しくなってきた・・・。広島に着いた時には土砂降り状態に・・。

 文化祭の演芸場は神社の境内だから・・雨になれば大変やろうね。テントはあるものの・・みんながみんな、テントの中には入れないし、もちつきんぞは外でやるんだろうにね・・。バザーもなにもかもが困ったやろうにね・・。

 おりしも・・さぬき広島ではいろは石ウォークというイベントで、13キロを歩く催しがあったけれど、みんなはあの雨の中を歩いたんやろうかね・・・。

 ともかく・・私は・・かろうじてセーフで我が家に飛び込んで、あったかい・・カリン温泉につかって・・・早めの夕食・・・。

 夜はまたも・・自治会長さんと・・広島の文化祭の打ち合わせ・・。飲んだり食べたりしながら・・・秋の夜長を楽しんだものでありました・・。

じゃぁ、また。

秋晴れて 太鼓の音や 無住庵

2009年11月01日 | 歴史
 で・・いよいよ・・11月になった・・。秋晴れのいい朝だった・・。でも、天気予報では・・午後からは雨になるらしい・・・。

 だから・・ということもあったし、単独での船に乗ってはいけないということも言われてるもので、マイボートが便利なんだけれど、あえて・・フェリーに乗ることにした・・・。

 だから・・朝の7時15分発の高速艇で丸亀港に・・。七時半に着く。そこから歩いて乗り換えて・・本島(ほんじま)行きのフェリーは七時四十分。切符を買って乗り込むと同時に船が出た・・・・。

 

 丸亀港から塩飽本島までは海上約40分。八時半前には本島泊(とまり)港に入港した・・・。マイボートだと一直線に10分ほどで到着するのにね・・。

 ここの秋の文化祭は・・午前九時半から始まると聞いていたもので、一時間余りを近くの散歩で過ごすことにした・・・。朝食を食べてすぐに出たものだから・・・おなかをすかせておかないとおいしいお昼にならない・・。

 港から西に海岸沿いに歩くと・・・泊という集落に出る。そこに木烏(こがらす)神社がある・・。ここが「演芸場」となるし、おうどんや焼き鳥・ビールなどのバザーの会場ともなっている。でも・・まだまだ・・準備中。バザーは10時開店とのこと・・。まだまだ・・間がありすぎる・・。

 

 で・・島の酒屋さんに立ち寄って・・・缶ビールを・・。ここは運転免許証を差し込むとお酒が買える仕組みになっている・・。そこで・・・のどをうるおしてから・・散策開始・・。

 この酒屋さんの裏手に浄土宗のお寺がある・・。あの法然上人が讃岐に流される前、一時、この島に滞在されて・・・笠島の専称寺におられたが、そのついでにここにもおいでになったということから・・浄土宗のお寺になっているが、無住(住職さんがいない)になっているみたい・・。

 

 そこから・・再び路地を抜けて木烏神社に戻り、町並みに沿って歩くと・・市役所の本島支所があり、そこが文化祭の展示場になっている・・。玄関脇ではお抹茶のお接待があり、建物内には婦人会の手芸作品、活花、日本画、手編みものなどが展示されていたりする。

 

 こども書道作品とか絵画展示とかがあったりして家族連れでにぎわっている。

 ここに毎年、特別展示があって、今年は大坂城ほかの残石について特別展示。この島からの石が、江戸城や大坂城、丸亀城の石垣に使われた・・・という研究の発表みたいなもの。まさか・・実物は展示できないので写真とかでの展示。

 

 山中に残る石に、こうした記号が刻まれていて、どこの藩の誰に頼まれたものかの刻印らしい・・。これと同じ刻印が・・江戸城や大坂城の石垣にも残っているのだという・・。

 この島は・・その後・・採石が行われなかったので、こうした遺跡が残されているが、隣の広島は、はるかに多くの石材を大坂城や江戸城などに運び出されたが、明治・大正・昭和・・と石材の切り出しや採掘が継続してきたために、古い遺跡が残ることなく続いたために・・古いものがなくなったものらしい・・。

 展示作品をみた後は・・木烏神社での演芸会を見ることにした・・。

 

 これは・・この島の和太鼓グループ「太鼓道・荊(イバラ)」の演奏・・。その後は・・小中学生による・・鳴子おどりなども披露された・・。

 

 あとは・・お年寄りたちのカラオケなども披露された・・。

で、ちょいと・・休憩。また・・お散歩に出た・・。

ご巡化に 雅楽染み入る 萩の花

2009年10月05日 | 歴史
 朝は肌寒くて・・薄暗くて・・六時15分まで寝てしまっていた・・・。

 次第に・・初秋から本格的な秋になっていくようだ・・。

 さて・・今日は、お隣のお寺さんの慶祝法要の行われる日・・。さぬき市長尾の・・「秀円寺」さんに行ってきた。うちの・・「東讃一組(いっそ)」は旧の大川郡をエリアとする教区で、十七のお寺からなる・・。

 

 このお寺に・・「総ご巡化(じゅんけ)」ということで、京都の本山からご門主さまがおいでになる。それに合わせて・・ご法事やら記念イベントやらを盛りだくさんに・・・。

 朝の間には、親鸞聖人750回大遠忌法要が行われ、記念法話があった。おうどんの接待を頂いて、午後からが記念行事・・。

 雅楽の演奏と舞人による舞楽が行われた・・・。この前の三人が「三鼓」と呼ばれる楽器衆・・。

 

 

 雅楽演奏は・・高松別院の「和鳴会」というお声明や雅楽をお勉強するグループ。

 その合間には・・オカリナ演奏が入り、さらに舞楽「落蹲」・・今度は青い鬼が登場する・・・。

 

 

 こういうものは眼にする機会がないもので・・圧倒されたね・・。雅楽をじかに聞く機会ってないでしょ。三鼓(さんこ)とか竜笛(りゅうてき)、笙(しょう)、なんて、眼にする楽器じゃないものね・・。それに・・舞だ・・。これには驚いた・・・。

 さらには・・「二胡」の演奏だ・・。

 

 この・・二胡が演奏される真中を通って・・ご門主さまが入場され、書院の休憩所に入られる・・。さすがのご門主も驚かれた様子・・。

 

 その直後で、本堂前に新設された・・親鸞聖人銅像の除幕式。

 

  記念撮影が三カット・・。三グループってことで全員がご門主さんと記念撮影・・。

 その記念撮影の合間のショット・・。

 

 みんなが整列するまでに、二胡に触られて、音を出そうとして苦労していた・・。なかなかに・・バイオリンでもそうだけれど、簡単には音が出ないのだ・・。


その後は・・一連の・・「ご巡化式」というのが・・いつも通りに行われて、ご門主さまをお見送りして・・今日のおしまい・・。気がつけば・・17時過ぎだった・・・。

 明日は・・うちのお寺の前にある・・「讃松寺」での総ご巡化式・・・。明日は・・記念行事もなくて、普通の永代供養の法要と、総ご巡化式で終わる予定・・。明日の天気が気になるばかりだな・・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

梨の実の したたりそうな 金剛杖

2009年08月26日 | 歴史
 いよいよと朝夕は涼しくなった・・。でも・・昼間は・・26度とか28度とかで・・けっこう・・暑かった。暑いというても、そんな・・無茶な暑さではないのだが・・。

 

 で・・、今日は・・近くて・・遠い・・「撫養街道」というものを探訪しようと思ったのだ・・。「撫養街道」というのは・・鳴門から・・阿波池田あたりを結ぶ旧街道みたいな印象がある・・。だから・・讃岐の・・旧の南海道みたいなもので、引田から高松・仏生山あたりまでを結ぶ街道のようなイメージかな。

 東かがわ市白鳥から、国道318号線を南下して、鵜の田尾トンネルを抜けて・・御所温泉から撫養街道に入って・・。そこから・・上板町を進んで・・・みたいなルート。

 ところが・・思いつきで走っても・・どこに何があるかがわからない・・。行っては戻り・・戻っては進み・・みたいなもので、時間と燃料を空費するみたいなもので・・・。

 上板町には・・畜産センターという施設があるんだけれど、「インフルエンザ流行のため見学は禁止」みたいな標示が・・。その先には・・製糖工場があって、資料館があるんだけれど、そこも休業・・。その先には・・「技の館」とかいう施設があるけれど、そこもお休み・・。

 で・・あっちに走り、こちらで行き止まりになってユーターンしたりして。

 

 ここは・・徳島県埋蔵文化財センターみたいなところ・・。ここへトイレ休憩に入って。ついでに・・お食事でもできたら・・と思ったが、そういう施設はない・・。案外と・・県とかの施設にはそういうやさしはないみたい・・。

 だから・・お食事するのも一苦労・・。

 

 ま、ここは・・見学無料ということだったもので、少しばかりお勉強やら休憩やら・・・。

 

 これは・・、古代人が・・「丹:に」という・・「朱色」の色素を集めているところ。昔は・・こういう色素は貴重なものだったとか・・。

 で・・、道の駅に行けば・・、食事ができるだろうと思って行っても、そういう設備はない・・。困ったもんだ・・。

 結局・・四国霊場第一番札所前で、セルフのうどん屋さんを見つけて入って・・。「徳島まで来て・・うどんかよ・・」みたいな気持がよぎったけれど、背に腹は代えられない・・。おなかがすいては・・・何もできない・・。

 

 とにかく・・なんでもいい・・、おなかをおこしてからだ・・ということで、「かけ小+ちくわの磯辺揚げ」=150+100=ということで、計250円。さすが、セルフのお店だ。ま、麺はやわらかいし、お出汁は薄いし・・みたいなことはあったけれど、おなかがすいていれば、なんだって・・おいしい。

 その後・・、一番さんの「霊山寺:りょうぜんじ」を見学・・。拝観でも参詣でもなく・・見学・・。来ては戻り・・、お参りしては進み・・みたいな感じであわただしい霊場やね。次から次からと・・お参りの人が波のように押し寄せてきて・・。

 

 これは・・おじいちゃんとおばあちゃんに連れられたお孫さん兄弟・・。ちゃんと、般若心経をよどみなく読み上げていた・・。おじいちゃん・おばあちゃんはは・・経本を見ながらだけれど、この兄弟は何もなしで・・最後の・・南無大師遍照金剛・・・まで、きっちりと。思わず・・一緒に読経しながら・・写真をとったわさ・・。こういう姿って・・いいね。

 私たちも・・「お念仏を子や孫に・・」とかといわれるのだけれど、なかなかに日常で・・お念仏をする機会はないし、それを・・子や孫に・・伝えるっていうのは物理的にも難しいけれど。こういう・・おじいちゃんがいればいいなぁって、思ってしまう。そして、こういう霊場みたいな場所があれば・・自然にお経も覚えらるのかなぁとも・・思ってみたり。場所や環境でもないのだろうけれど。

じゃぁ、また、明日、会えればいいね。

故郷の 偉人の影の 暑さかな

2009年08月21日 | 歴史
 今日も朝から蒸し暑いような気候で・・・、連日、エアコンの中でパソコンばかり叩いているのも精神的にも肉体的にもよくないなぁと考えて・・・。

 だからと言って、お散歩に出たり、ウォーキングをやったりするには蒸し暑さすぎる・・。熱中症になっても困るしね・・。

 で・・、前から気になっている場所へ行ってみようと思ったわけだ。

 

 これが、さぬき市志度というところに、今年の3月にできた・・「平賀源内記念館」。以前には・・源内先生旧宅というのがあって、そこに遺品館というのがあったんだけれど、その遺品館を移転して新築したのが、この記念館らしい。

 一階が展示室で・・エレキテルの模型とか、著作とか書物とか・・源内先生に関する資料を展示してあったり、DVDでの勉強とか・・。二階は研修室みたいだった。

 

 ま、小学生とか中学生あたりが勉強するにはいい施設かも知れないけれど、どういうわけだか・・石川とか千葉とかの県外ナンバーの車で中年の夫婦連れあたりが見学をしたり、お土産を買ったりしていた・・。

 入場料はおとな500円で、旧宅や薬草園も見学できる。

 

 旧宅は・・そこから西に約500mくらい離れているので、今回は車で移動した。気候がいいと、古い街並みを散策してみるのもいいものだし、この街の良さがわかるってものだ。そうそう、ここは・・桐下駄の産地でもあって、小さな下駄屋さんや下駄工場があるので、そのあたりをのぞくのも楽しい。

 

 で、こちらが・・源内先生の生家といわれる建物で、今は「旧邸」と呼んでいるらしい。ここに鉄筋の遺品館があるが、ここにあったものを記念館に移転したらしい・・。だから、遺品館は物置になってるそうだ。

 旧邸はお土産屋さんみたいになってるし、ここも研修設備のようだった。焼き物とか薬草などの勉強をするみたい・・。

 裏庭が薬草園になっているが、なるほどなぁ・・と思う程度。そんなに面積も広くはない。平成16年の台風の高潮で全滅状態になって、今は復元途中みたい・・。

 

 で、今回、ここを訪れたわけは・・・、

 

 これだ・・。これだ・・ではわからんが、これが「平賀源内」の銅像で、郷土の生んだ天才彫刻家の「小倉右一郎」が作ったものだという。確かに、そう、刻んである。

>昭和9年(1934)10月、平賀源内先生顕彰会により建立される。
作者は小倉右一郎[明治14年(1881)~昭和37年(1962)]。
台座には杉田玄白の“嗟(アア)非常ノ人、非常ノ事ヲ好ミ、行イ是レ非常、何ゾ非常ニ死スルヤ”が刻まれている。 
小倉右一郎は、さぬき市寒川町石田出身。東京美術学校彫刻科本科を首席で卒業。文展では特選を4回連続し、第三部彫塑審査員を続ける。代表作に上野国立図書館前の「小泉八雲」、靖国神社の「忠魂碑」。香川県では満濃池畔の「弘法大師」銅像、坂出常盤公園の「三土忠造」銅像。

 という説明文がある。

 一方、うちのお寺の勝覚寺にある庄松同行の作者は・・

>1881年香川県大川郡白鳥村に生まれる。1903年香川県立工芸学校を卒業、07年東京美術学校彫刻本科を卒業する。翌1908年第2回文展に入選し、以後入選を続けた。1915年第9回文展で「行人」が三等賞受賞、16年第10回文展で「暗路の人々」が特選となる。以後も文展、帝展に出品を続け、1956年第1回香川県文化賞を受賞する。1962年死去。以下略・。

 らしいという・・。

 全く・・おなじような経歴だが・・、生まれと出身地が違う・・。おそらく、同一人物だとは思うのだが・・ここだけがやや疑問・・。

 その確認というか、証拠調べみたいなものか・・。

じゃぁ、また。 

島の夏休み・前半戦初日・・。

2009年07月27日 | 歴史
 神戸から戻ると、今度はこどもたちを連れてさぬき広島に行くのです。朝の九時半過ぎに我が家を出発、私と孫のはやてちゃんとたっちゃんは高松に向かい、途中、香川県立図書館に立ち寄り、借りていたお袈裟の本二冊を返却、その後屋島西町に向かい、孫のなぎちゃんをお迎え、荷物などを積み込んで丸亀市に向かうという強行軍・・。

 けいこばぁは・・直接・・・丸亀市のパワー・シティーで食材のお買い物。一行はそのショッピングセンターで合流し、花火などを買い込み、港近くのうどん屋さん「太助」で昼食。たつやとはやてはざるうどん、けいこばぁはいつものかけうどん、なぎちゃんはわかめうどん、私は生醤油うどん・・。

 

 その後・・・十三時半のフェリーで島入り・・。とにかく・・男性三人の一週間分の食材とか着替えとかの荷物が多いので、みんなで手分けして荷物運びが大きな課題・・。そのためにけいこばぁもついてきたという次第。

 この日、島に向かったのは・・孫のはやてちゃん・なぎちゃん・神戸のたつやくんの子供三人に、けいこばぁと私の大人二人の五人連れ・・。

 

 子供たちはすぐに着替えて海に入って水遊び・・。そのときになぎちゃんの草履が砂に飲み込まれて行方不明に・・。水たまりを飛び越えた瞬間に砂浜に足をすくわれて・・、その間に・・ぞうりが砂に飲み込まれてしまって・・・。その後・・なぎちゃんはごきげんななめ・・。

 最初は・・家の前の砂浜(プライベートビーチみたいなもの)で遊んでいたんだけれど、波が激しくなったもので、近くの江の浦海水浴場に移動・・。そこだと保護ロープやらサメよけネットが張り巡らせてあるので安心だから。

 

 その後は甲路という集落の堤防で魚釣りをするが、ぴくりともしない・・。けいこばぁは夕食の支度・・。こどもたちは水遊びやら魚釣りで海遊び・・・。

 夕方の・・最終便の十九時のフェリーでけいこばぁはお帰り。明日はいつも通りの勤務らしい。その後、港の浮き桟橋近くの岩場で穴釣りをやってみると、ガシラやらベラやらがぽつりぽつりと・・。さすが岩場には大きな魚が潜んでいるもんだ・・。

 

 その後・・こどもたち・・、たつやくん・はやてちゃん、なぎちゃんたちは花火大会ですわ。吹き上げ花火がほとんどで、打ち上げとか手持ち花火とか線香花火なんぞは入っていない・・。それで・・1980円なんですって・・。花火も多種多様・・さまざまなものがあるんやね・・。

 

 子供たちはその後も・・まんがの本を読んだり、ゲームをしたりで大はしゃぎ・・。楽しい島の夜は更けていくのでありました。

じゃぁ、また。

ひょいと出た 道明かりかや 月見草

2009年07月16日 | 歴史
 今日は教区でのお勉強会に行ってきた。私たちは・・香川県東部の「東讃教区」というというエリアに住んでいる。だから・・「西讃教区」というのもある訳だが、大勢になると・・なかなかに大変なもので、香川県を二つにわけているのらしい・・。

 で・・「衣体(えたい)の世界」ということで、お坊さんの衣装全般についてのお勉強会だ。「衣体」というのは、法衣という和服とお袈裟をつけ、足袋をはいて、お念珠や中啓という扇を持った仏前用の衣装全体のこと。

 講師は京都の法衣屋さんの「川勝法衣店」の古市店長さん。本山に法衣などを納めているプロ中のプロらしい・・。私の法衣一式も・・このお店で買っている。

 

 法衣の歴史は・・お釈迦様の時代から始まるが、今回は・・明治以降くらいから・・現代までの法衣の歴史がおもなもの。最初のころは・・袍(ほう)とは和服のおなかまでしかないもの。袖と背中と左右の前までしかない。「偏衫:へんさん」ともいう。下は・・巻きスカートのような「裳:も」で、「もつけごろも」とか言った。つまり、着物の上下が別々だった。

 アニメの「一休さん」が腰につけている・・黒い腰巻きみたいなもの・・。あれも巻きスカートのようで、「裙:くん」というもの。今でもお掃除などの作務の場合に着用する。

 それが上下がつながって、「素絹:そけん」とか「直綴:じきとつ」と呼ばれ、道中着として改良されて「道服:」どうふく」ができたとか・・。普通、お坊さんが着ている・・黒い着物のことね・・。この・・研修生が着ている黒いころものことやね。

 

 この講師の着ているものは・・新作の「カラー道服」という色つきのもの・・。

 その後、戦争中には「黒衣一色運動」があったり、戦地で動けるように「洋服の衣:教服」ができたりしたそうだ。

 それから・・袴:はかまについても説明があり、いろんな袴を紹介してくれた。

 その後、七条袈裟、五条袈裟というお袈裟のお話から、輪袈裟、畳袈裟、式章などというお袈裟のお話から・・、檜扇:ひおうぎとか中啓という用具の説明とか、法衣や袈裟につけられる「紋」のお話とか・・。

 

 この金糸銀糸のお袈裟が「七条袈裟」というもので、大きな法要やお葬式などでお坊さんが着ているもの・・。数百万円もするらしい・・。

 こうした「衣体」は、服装条例という規則によって決められていて、お坊さんの位によって、色や紋の姿や数が細かく決められている。これを「堂班衣体」といい、自分勝手に好きな色を選んでもいいという訳では決してない。

 その後、袈裟や輪袈裟などについている「紋」の話になったが、そういうことは、先日の本山での住職研修会で勉強した歴史の中の「有職故実」や「衣紋道」に関連していてて、復習のようにもなった・・。鷹司家とか・・・のお公家さんや武家などの関連性とか、宮中、朝廷とのかかわりとか・・。。

 

 今・・、ホームページで「お袈裟のはなし」をまとめているが、今回、お勉強したことなども併せてまとめておきたいものだと思ったことである。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

茶が冷えて 京の料理や 鮎の笹

2009年07月08日 | 歴史
 二日目の八日は雨になった。朝から雨では・・本願寺さんのおあさじに行くのは面倒になった。それではダメじゃん・・。

 で・・朝の6時半からお掃除で、阿弥陀堂と御影堂のたたみ拭きをした・・。23年の宗祖750回忌大遠忌に向けて、畳替えをしたのやろうか、真新しい畳の匂いの中、から拭きぞうきんで畳を拭いていく。ま、それも・・五分かそこいらで終わる・・。30人ほどがやれば、あっという間に終わった・・。

 

 で・・、七時から朝食。みんなで食べる朝食は楽しいし、おいしい。ここでは必ず、「食前の言葉=一粒一滴、みなご恩、不足を言ってはもったない。感謝でおいしくいただきましょう。いただきます。」を唱和しないと食べられないし、食事が終わっても勝手に席を立ってはいけない。必ず、「食後の言葉=今、尊い食を終わって、心豊かに力身に満ちる。この心身をもっておのがわざに励みましょう。ごちそうさま」と唱和して、食べたものを全て片付けてから席を立つ・・・。

 八時から・・「ご晨朝(もう、読めるようになったかな?ごじんじょう・・やで)」この日は研修会の関係者なんぞで・・50人ほどがあつとめに出た・・。

 

 これら・・多くが「住職さん」一般社会で言うと・・「社長さん」ばかりやな。社長さんが本社で研修会をやっとるわけで、朝の朝礼で、会長さんがご挨拶をなさる・・・みたいな光景かな・・。いうたら失礼やけれど。

 で、二日目は・・教務部担当参務が「本山教化方針」についての講義。つまり・・営業方針みたいなお話をされる訳・・。簡単にいうと、私たちが売る商品は「信心」であり、「安心・安全な暮らし」なわけ。その・・大々的なイベント実践に向けての施政方針演説みたいなものやろうか、わかりやすく言うと・・。

 

 その後・・「声明:しょうみょう」の講義。実技指導というか、実地練習というか・・。お経の練習やね・・。これができないと・・お坊さんではないみたいなもので、お経が読めないお坊さんではあかんでしょ。

 ま、お声明というのは、節のあるお経・・。唄やね・・。梵唄(ぼんばい)っていうのやけれど、梵語(古代インドの言葉)のお経を、漢訳したものがお経。それに節をつけて唄うのが「梵唄:ぼんばい」で、それの有名なものが「天台声明:てんだいしょうみょう)」といわれるもの。大原流とか魚山流とか・・。うちは・・「円頓流」とか聞いたけれど・。天台声明の流れを受けたものらしい。

 

 この・・左端の後ろ姿の方ね、岐阜のお寺さんで、「修教さん」というの。一度、ブログを覗いてみてくださいな。がんばってはるなぁと思いますわ。

 で・・、この日のお昼には研修会も終わって閉会式があり、終了証書をいただいて・・解散、下山・・・。

 高速バスの時間が・・16時50分。4時間あまりをどうしようかと思ったけれど、小雨が降っていて・・三十三間堂まで行くにはしんどいし、おなかがすくし、めまいがするし・・。結局・・京都駅前のお店巡りなんぞで時間つぶし・・。

 

 さすが・・京都でっしゃろ・・。和服姿のご婦人があちこちを歩いてますなぁ・・。

 私は・・・安い鏡探し・・。夏休みの工作で・・とびきり自作のスーパー万華鏡を作りたいもので、その・・「表面鏡」探しやね・・。これが・・意外とないんですわ・・・。上等の厚い鏡では工作できないし、小さなものでは映らない・・。

 で・・16時50分の京都駅発の高速バス、JR四国の「エクスプレス京都号」に乗って・・・高速大内に降りたのが・・19時50分・・・。

 蒸し暑い・・一日になったですわ・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。



梅雨の中 安居の続きか 沙羅双樹

2009年07月07日 | 歴史
 で・・七月七日はたなばたさま・・。そんなことは関係なくて・・京都での朝・・。朝の5時には起きたものの・・、この日の研修会は・・10時から・・。

 お隣の・・本願寺さんへ「おあさじ」に出かけた・・。朝のおつとめである。

 本願寺さんの鐘は・・5時半に鳴る(もちろん、自動で・・機械仕掛けで・・)。その鐘で・・お寺の門が開かれる。(これは・・守衛さんが開けてくれる)

 

 誰も居ない・・境内はすがすがしい・・。そこを歩いて行くと・・、どこからともなく行列が蟻のように現れて・・・、たちまちにして・・阿弥陀堂がいっぱいになる・・。とにかく・・すごい・・。ぞろぞろと・・どこからか人々や僧侶が現れて・・・。学生(がくしょう)さんらしき、くりくり坊主やま新しいころもに身を包んだ若い方とか・・・。

 

 おあさじは・・6時から・・。「こーげん・ぎーぎー・・」という、讃佛偈のおつとめからだ。しかしのかかし、全国から集まって来るのだろうか・・。「なんとか念仏奉仕団」というたすきのようなものをかけた人たちが・・毎日毎日・・お堂いっぱいになるほど集まって来るのだ・・。

 それが終われば・・・御影堂(ごえいどう)で・・「正信偈(しょうしんげ)」のおつとめになる。一同は・・ぞろぞろと・・廊下をわたって・・御影堂へ移ってのおつとめになる・・。(阿弥陀堂は、ご本尊の阿弥陀様が安置してあり、御影堂は、開祖親鸞聖人さまを安置している)

 その後・・・コンビニでコーヒーとサンドイッチで朝食を食べて・・うちのお寺の「ご晨朝(じんじょう)」、朝のおつとめのことだ・・。こちらは・・数名だけがおまいりにきている程度・・・。それも・・研修生ばかり・・。

 「結界」という柵の向こう側が「内陣:ないじん」といい、出仕(勤務)するお坊さんがおつとめをする場所。手前側を「外陣:げじん」といい、参詣者がおまいりする場所。内陣に入るためには、「衣体:えたい」という、ころもと袈裟をつけ、足袋をはき、装束念珠(しょうぞくねんじゅ)=「長くて白い房のおじゅず」と中啓(ちゅうけい)=「赤い扇」を持って、威儀を正して歩かねばならない。

 

 うちのお寺でもおつとめは似たようなもので、阿弥陀堂では・・讃佛偈のおつとめ。その後、御影堂では・・正信偈のおつとめほか・・。「ご晨朝」には、宗務所の職員がおつとめをし、宗務総長や教務参務などの内局が出勤し、ご門主が出仕される。


 で・・ようやく・・本題の・・「住職研修会」が10時から始まった・・・。

 受付から始まり、開式の挨拶などがあり、「教化(きょうけ)」「教学」「歴史」などが初日の講義。教学は本願寺派の藤田徹文先生の「仏教が現代に提言できること」という講題で、「釈尊の教えた一つのこと」についての講義を受けた・・。さすがに・・わかりやすいお話やった・・。

 

 で・・、困ったことに、この朝から・・デジカメがまたしても壊れた・・。レンズセンサーが動かなくなって・・・ズームが全く使えなくなってしまった。昨日にはきちんと動いていたのに・・、朝のおつとめの前から・・レンズカバーが開かなくなったのだが、それはすぐに回復したが、ズームにすると電源が落ちる・・。困ったことになった・・・。

 

 ま、こうして・・僧侶研修会は・・座談会などを含めて・・・午後九時まで・・・延々と続いたのだった・・。

 私にすれば・・・朝の五時から・・夜の十時までの・・・永い一日になったことだった・・・。

じゃぁ、また。

南大門 梅雨晴れてあり 鯉の池

2009年07月06日 | 歴史
 今日から京都へ行くのだけれど、ちょうど、車検が出来上がって、納車の日になっていたもので、車で出かけることができなくなった。代車を私が乗って出てしまうと・・・自動車屋さんが困ってしまう・・。

 だから・・奥方が出勤前に・・バス・ストップまで送ってもらうことにした。九時半のバスに乗るのに・・・七時半に出かけるのだから・・永い永い・・一日になった・・。高速バスのバスストップで二時間も何をするのさ・・。

 

 で・・九時半前にJRバスに乗り込んで・・淡路島経由で京都まで高速道路で3時間・・。十二時過ぎに・・京都駅烏丸口に到着・・・。お寺に入るのは夕方・・。それまで・・どこで、何をするん??

 

 ま・・、どこかで何かを食べないとあかんし・・、でも・・、どこで・・何を食べればいいのか、田舎者にはわからん・・。ま、歩いてみようか・・と、歩き出した。

 荷物は・・駅ビルのコインロッカーに預けて身軽になって歩き出したんだけれど・・。で・・、バスの窓から見えていたお寺・・、「東寺」に行ってみようと・・。せっかく京都に来たんだから・・どこかのお寺でも拝観してみなければ・・みたいな気持ちかな・・。

 途中で・・お昼のおうどんを食べて・・。それは・・別のうどん・ブログのほうに書くとして・・。

 

 讃岐の歴史はわりあい詳しいのやけれど、とんと・・日本史にはうといもので、「東寺」というのが・・どんなお寺なんかも知らずに行ったわけ。ただ・・五重塔がでかい・・というのは記憶にあって・・。

 いつも・・京都に来ると、マイカーでもバスでも・・必ず・・この東寺の前を通るのだから・・一度くらいは・・表敬訪問しておかなくては・・みたいなもんか。

 京都では・・この・・五重塔よりも高い建物は建ててはいかん・・みたいな騒動があったような気がしたし・・。

 

 しかしのかかし・・、だだっぴろい境内に・・いろんな建物がやたらと建っていて・・・、大味なお寺・・・。細かな説明も案内もない・・。どこに行けばいいのか、何を見ればいいのかわからん・・・。

 最近の高校生の修学旅行って、数人連れが・・ガイドさん一人の案内で・・あちこちを見て回るんかね・・。そういう・・グループがうじゃうじゃとおるわけ・・。そのうちの女学生のうしろにくっついて歩いていると・・。

 お財布を出して・・入場料を払っている・・。「こりゃ、あかんわ・・」と思ったけれど、ま、マネをして・・500円の拝観料を払ったんだわ・・。「こんなお庭を見ても仕方がないやん・・・」みたいなものだな・・。

 

 ところがだ・・。この・・お堂の中に入って・・びっくり仰天!!。眼が点になった・・・。

 薄暗い・・お堂の中には・・・国宝級の・・仏像が・・ずらずらずらずら・・と。それも・・でかい・・でかい・・仏像が・・・。写真集でしか見られないような仏像ばかりだ・・・。これには・・・言葉を失った・・・。

 当然・・・「撮影禁止」なんだ・・・。

 今・・お袈裟の研究をやってるんだが、そのお袈裟の資料が・・目の前にあるんだ・・。それもとびきりの資料がだ・・・。おもわずに・・・のどが鳴った・・。

 高校生が・・・変な顔をして・・私をにらみつけた・・。

 すぐに・・売店で・・絵はがきやら雑誌やらを数千円分も買ってしまった。後日・・スキャナーで読み込んで紹介するからね・・。(仏さんの写真なんか、見たくもないか・・)。

 講堂の中にもすさまじいばかりの仏像群がずらりと・・。これには・・圧倒されてしまって・・・。日の暮れるのを忘れていたほどだ・・。

 

 うちの本山、興正寺に入ったのは夕方・・。宿舎には誰もいなくて・・その夜は私一人・・・。風呂も・・トイレも・・洗濯機も・・私一人の専用みたいなものやった・・・。

 普通、ホテルなんかに行くと・・、トイレはどこやろか、洗面所はどこやろかと迷う事ってあるじゃないですか。夜中なんかだと・・。でも・・、ここって(お寺の内部・・)我が家みたいな感覚で歩き回れるの・・。そんなにたびたびは来ていないんだけれど・・。それが・・不思議な感覚・・。

 阿弥陀堂の裏手の後門(ごうもん)から・・研修会館の中を通って、御影堂の裏手の後門を越えて・・表対面所から婦人会館の洗濯機まで・・暗闇でも歩いていける・・・。まるで・・我が家みたいなもんだ・・。


じゃぁ、また。


 
 

ツイッター

<script type="text/javascript" src="//platform.twitter.com/widgets.js"></script>