まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

道徳って言うと、すぐにこういう考えを持ち出す人がいる。

2007年04月28日 | 教育、文化、少子化
少々最悪の事態を迎えており、対処に追われている日々なんだが、
落ち着いて、落ち着いて.....。

金曜日の朝日新聞朝刊に、「私の視点」というコーナーがある。
今回は、聖心女子大学加藤教授の投稿。
教育再生会議における 心配な「道徳を教科に」 というタイトル。

  教育改革の一環であるこの動きが、戦前の国家主義的な修身教育の復活に
  つながらないか、見極める必要がある。

うーーん。自分はこの方を存じ上げないが、本当に、必ず出てくる話だ。
確かに、教科として成績として判断されるとすれば、
「正解」が有無を言わさずという段取りにもなろうし、
危惧される状況も出ようというもの。
理解も出来る。

ただ、彼が危惧しているのは、
  「わが国が培ってきた倫理観や規範意識」を身に付けさせることが提言されたが
  そんな内容の教科書がつくられ、それを「正解」として学ぶ教育がされたら
  それは一元的な価値観の押し付けにとどまらず、道徳教育そのものを
  空洞化させるおそれがある。

  道徳には、数学のような正解が常にあるわけではない。
  むしろ各自が悩みつつ行動し、失敗や後悔を重ねるなかで知恵を身につけ
  人間的に成長することで、より正しい判断ができるようになるものである。

これなんだよね。
もう、かなり昔から、自分も知っているし、聞かされていた内容なんだが、
道徳って、本当に、自己責任みたいな試行錯誤の中で、見につけて、
自分の成長の「たし」にしていくものなんであろうか?

じゃぁ、宗教なんて、いらねえべよ。

さらに、これも、良く聞かされていたんだが、
  真に実りのある道徳の授業とは、彼らの疑問や葛藤を無視せず、
  「正しい」とされることでもあらためて吟味し、納得いくまで一緒に
  考えていくものであろう。

なんてね、小学校のレベルでこれをやれって、いうんでしょうか?
おいおい、ゆとり教育、そのまんまな基本方針みたいじゃないですか。

個人的には、昨今言われている、社会の「混乱」など、規範の逸脱など、
得体の知れない不安が蔓延している原因は、
ひとえに、正しいものへの不信感。疑問感。あるべき権威の喪失など、
社会全体で、試行錯誤をしているのか、
あるいは、この教授の言うとおり、納得いくまで、考えている最中なのか、
そんな拠り所の無い、無秩序化された世界があるからじゃないか?。

この、本当によく言われる、正しいものこそ疑え、というテーゼ。
もう、これが拡大解釈されると、ものすごい、力を、勝手に持ってしまう。
学校では、もう道徳とかいうのではなくて、
それこそ、教師を疑え、教師の待遇を疑え、ルールを疑え、
って、どんどん、疑わなくてもいいことまで、
勝手に自己都合に合わせた世界で、疑いを「強く」持ち始めて、
あげく、既成の体制を打ち破ろうなんて、もう、大混乱を生じさせてしまう。

確かに、この考え方は必要だし、おかげで、朝日新聞など、既成メディアに
対する「目を」持ち始めたわけなんだが、

  ただ自分や自分の社会の価値観に固執するのではなく、異なる価値観を
  持つ者といかに対話・協調していくか、をも考えなければならない。

なんてことを仰っていますが、
根本的に、今の子供達の大問題は、
この価値観が、何にも無いこと。
ルール・道徳にしても、もしかしてあるはずの歴史的な風土的な、
あるいは語弊を承知で言わせいてもらうならば民族的なもの。

いわゆる伝統的なものを含めて、固執も何も、とんと教えもしない、
なんだか消失・消滅しているわけで、
これがなければ、はい、相手の価値観なんか、対比的に見る目なんか、
出来るわけが無いでしょ。

人間て、そこまでご立派な構造をしているわけでなくてさぁ、
なにしろ、「掟」といっちゃってもいいや、
それを「学んで」こそ、自立した暁には、
ていう順序がありそうなもんで、

道徳やらルールを、なんだ、因習とか出来の悪い、悪習みたいな
最初からそういう目で、考えること自体、どうなのよ、と
最近、特に思うようになった。
昔の言葉や教えで、いっぱい、いいものあるよ。

だって、教育現場では、教師の「教壇」は、偉そうだから無くして、
それこそ生徒と同じ視線で、なんて無くしてしまうし、
授業開始の「挨拶」も、必要ないから、起立礼も「無くしました」
とやっちゃっている教育現場の中で、
この教授は、どこまで、現実を知って、こんなことを、
のほほんと、言っているのであろうか?

まずは、そこから、
ということが最近、どこもここも、すげぇないがしろにされている気がする。


連日中国のことを書きますが......。

2007年04月24日 | 隣国問題
連続するようで申し訳ないが、こんな記事がありました。

【春夏秋冬】聖徳太子以来の衝撃発言 大島信三

タイトルは、やや扇情的なんだが、記事中で紹介された内容。
  「胡錦濤(こきんとう)が2004年にフランスを訪問したとき、中国の国家
  主席は議事堂で演説することを要請しました。そのとき、フランスの国会議員
  の多くは出席しませんでした。議員たちは人権を踏みにじっている人物を人
  権、平等、博愛を擁護する聖地に招き入れることはできないと、反対を表明し
  ました。胡が演説している間、立ったまま背中を向けてボイコットを表した議
  員もいました」

日本では、一切伝わってこない内容である。
もちろん、歴史的な経緯もあるし、フランスが中国と言うよりも、
アジアに対して、結構、安易に何かを表明するのも事実だし、
これをとって、だから日本は、なんてことを言うつもりはないが、

  中川氏は15日、都内のホテルで講演し、昨年秋に安倍首相が訪中したにもか
  かわらず、中国側はトップの胡主席ではなく、温首相が訪日したのは「外交
  上、きわめて非常識」と厳しく批判したという。中川氏は、「日本のナンバー
  ワンが行ったのに、中国のナンバー3が来るというのは、外交儀礼からいって
  もおかしい」と指摘した。

という発言を、どのマスコミも、苦々しい口調で伝えていたのは、
ちょっと、謙り過ぎてんじゃないのかなぁ、
と思ったのは事実である。

イラクの問題で、アメリカの大義がどうのこうの、
そういうのは、理解もしている。
ただ、フセインが、クルド人に対して行った弾圧なり殺害に関して、
あれを国内の問題として、別レベルの話にしてしまおうという論議もあるが、
同じようなことが、考えてみれば、中国にもある。

外交上、足し算引き算で明快にできないことはある。
が、前回の書かせていただいたが、
靖国問題なり戦争責任は、それなりの事実と、成してきた一連の結果がありながら
一部のマスコミを除いて、
氷を溶かした訪問と、
あの中国を代表する人間に対して、
諸手を挙げるがごとき報道には、正直、困惑している。

この国のことである。
アメリカだとか、中国だとか、
1国で、自立できないことは、百も承知しているが、
言うべきことを、言わないで、
過去のことを持ち出されると、即座に、引いてしまうのは、
見ていて、実に、やるせない。

つくずく、戦略も、国益と言うものも、自立して行えない。
日和見主義というのも、一歩間違えれば、
八方塞ということにもつながる。
ただ、緑化運動と言って、山を緑のペンキで塗りたくる国と
一緒にやるのは、正直、嫌だなぁ。


これが今の中国の考え方。

2007年04月23日 | 隣国問題
ライブドアのナンバー1ブログで、もうお馴染みなんだろうけど。
「痛いニュース」

元のニュースがこれなんだが、
国営アミューズメント・パークで、ディズニー模倣 - 中国


写真は北京の石景山游来園で20日、来園者と遊ぶディズニー・キャラクターの「ド
ナルド・ダック」と2008年北京五輪のマスコット。(c)AFP/TEH ENG KOON


 【北京/中国 20日 AFP】「ディズニーランドは遠すぎる」をスローガンにする中国
  国営のアミューズメント・パークがある。この北京石景山游来園
  (Shijingshan Amusement Park)では、園内のスタッフがディズニーのキャラ
  クターである白雪姫と7人の小人たちに扮し、「シンデレラの城」や「マジック・
  キングダム」のレプリカを設置。

  ディズニーランドのイメージいっぱいだが、キャラクターを使用許可は一切、
  取っていない。中国の著作権侵害を端的に表す例として、米国政府は憤りをあ
  らわにしている。

さすが中国。
あのディズニーに宣戦布告とは。
勝手に、自宅のプールの底に「描かれた」ミッキーの絵ですら、
突っ込んでいったと、誠かどうかわからないが、
それほどまでに、あの団体は、強力です。

どんな国であろうと、その執拗さはほんまもんです。

ただ、中国の国営が、あらあらら。
もう、特許だろうが、知的財産権だとか、知らないを通り越して、
あっけらかんとしています。

あれだけの「商圏」をもっているからと、
「気を遣い過ぎるほど使ってきた」日本にとって、財界にとって、
もう腰が砕けるくらいのニュースではないでしょうか。

コピーされた「製品」は数知れず、
あのホンダですら、「まがい物」を購入した、ユーザーから、
「壊れたから直せ」といって、ホンダに乗り込んでくる世界。
消費者も、全く、関知しておりません。
 
新幹線が、中国に「輸入」されなくて、本当によかったとすら
個人的には思っていました。
確実に、コピーするはずです。

日本もそうだったんだと、そういう時代のことがあったのは事実ですが、
使用料とか、特許料、もちろん、むしりとられています。
発明された技術を、どのように加工したり、商品としてまとめていくか、
それに長けていたのが、日本でした。

が、そのまんま、コピーして、安く売りさばいていく。
発明者としても、かなりがっかりな、何のリスペクトもされていない世界。
だから、中国が脅威脅威といわれていても、
この中国では、発明品が、かように粗悪品的にコピーされていくから、
研究なんか、バカらしくて、ほとんどが、設備投資やら研究に投資しようと
思わない。

これが、きちんとされない限り、中国は、畏れるに足りず。
というのは的を得ているでしょう。
にしても、ミニーマウス。
人間の腕が出ているし。
粗悪品です。

こういうことは、素直に「酷い」と言ってやらなければならないでしょう。
でも、新聞をはじめとして、ことごとく、スルーなんでしょうね。


本当にわからないんだよね、公益法人って。

2007年04月21日 | 政治
そういえば、新宿の地下街にて、巨人軍のPRがされているが、
等身大の「上原」と、そして、実寸のホームベースまでの間に、
数十個の電球が一直線に、投げられるボールの軌道通りに壁に並んでいる。

上原のボールを実感して見ようという「コーナー」だ。
友人同士とか、カップルが、面白半分に、ホームベースに立つが、
これが、本当に、「速い」。
ほとんどが、「はえー」、「すげー」という声になる。
150kmの球速なんであろうか。

あっという間に、点灯したボールに見立てた、ランプが走ってくる。
そういう世界を実感できるということは、新鮮な驚きをもたらしてくれる。

新人材バンク、地方拠点8カ所に 基本設計案

  政府が国家公務員の再就職(天下り)斡旋(あっせん)を一元管理するために
  内閣府に設置予定の新人材バンク「再就職支援センター」の基本設計案が6
  日、明らかになった。50歳以上の全国家公務員の職歴などのデータを管理
  し、これをもとにセンターが求人企業との交渉や引き合わせを実施することを
  明記。国土交通省や農林水産省などの地方出先機関の職員についても、全国8
  カ所に拠点を置き、人事情報の整理や斡旋を行う。

どこかのテレビで、省庁の「天下り」は、実は、人員整理。
つまり、優秀な人間に与えるポストが、当たり前だが数が限られているので、
そうかといって、職場を確保しておかないと、優秀な人材を集められないので、
必要悪かもしれないが、必然なんだ。

そういう「説明」に、並んでいたコメンテーターは、
それが何か?さらには、渡りに見られるように、
何年かおきごとに、数億円もの退職金をもらえるような内容に、
それとこれとは、別の話だろう、と怒っていた。

渡りで、数億円もの退職金を貰える方は、かなりしっかり、長いこと
勤め上げた方で、それなりの地位に着いた人間が多いのは確かで、
出世競争に敗れた、または、本当に肩たたきにあった方など、
「肩身の狭い」民間で、雇われている方も多い。

問題なのは、「公益法人」の方だろうてば。

  国際交流や福祉、教育などを担い、公益性があり、所管の省庁に設立を認めら
  れた団体。法人格を人の集まりに与える社団法人(日本医師会など)と、財産
  に与える財団法人(日本相撲協会など)がある。法人税は原則非課税で、出版
  などの収益事業には課税される。 全国の財団・社団は約2万6000。国所
  管は約7000で、都道府県所管が約1万9000となっている。年間支出は
  19兆円を超える。

結局、小泉さんが、ほとんど「手をつけなかった」この公益法人。
「痛みを分かち合う」なんてフレーズが懐かしいが、
せっせと、財政難の中、お役人グループは、それぞれの系列を強化してきた。

もちろん、相撲協会とか、ご活躍中のものもあるが、
政治家の何やらも含めて、とかく、何の仕事をしているのか、
さらに、何に役に立っているのか、
いやいや、どうも、単なる「再就職先」の箱物としてしか
機能していないんじゃないかとか、
疑いの目で見られているのは、事実である。

だって、2万6千。
どんだけ、公益法人がやらなくてはいけない仕事があるんだよ。

民間に天下った役人さんは、優遇されている方も多いけど、
談合問題やら、その談合にすら絡めないのかと、攻め立てられて、
神経症になってしまう方など、
公益法人ののんびりさとは、ちょっと違う。

結局、政府が、人材の「出口」を抑えることをすれば、
実質的に省庁の「人事権」の最終武器を封じることにもなり、
多分、効果的。
この先、お役所が、自分のテリトリーを「拡大」し、しのぎを削る展開に
歯止めがかかることになれば、いいんだけど。

それにしても、センターの拠点を作るんだって。
まぁ、これは、しょうがないか。
作るの大好きだなぁ。


低年齢化する犯罪を生み出す家庭はどうなんだ。

2007年04月20日 | 教育、文化、少子化
少年法が改正される。多分。

少年法改正、今国会成立へ 与党修正案を衆院法務委可決

  衆院法務委員会は18日、刑事責任を問えない14歳未満の少年について警察
  の調査権限を強め、少年院送致を可能にする少年法などの改正案の与党修正案
  を自民、公明両党の賛成多数で可決した。
  今国会で成立する見通し。
  政府が提出した改正案を大幅に見直し、警察の権限規定の一部を削除。少年院
  に収容する対象を「おおむね12歳以上」に限った。民主党との共同修正を目
  指していたが、与党は急きょ、採決の強行に踏み切った。

与党が当たり前のように言っている、凶悪犯罪の増加、
これは、何度も繰り返すが、むしろ減っているのは事実である。
そう言っている政治家の世代が「人口比率」という正当な比較で、
犯罪件数が最も「高かった世代」というのは、
最近になって、ようやく知られてきた事実である。

ただ、最近言われている、凶悪犯罪の「低年齢化」。
これは、ごめんなさい、資料を見つけられません。
どうなんでしょうか?

中途半端な知識で申し訳ないんだが、
そもそも低年齢の子供が、なぜ、凶悪な事件を起こすか。
反対する議員が述べるに、
  この少年法改悪法案は生育発達過程にある少年に対する教育的福祉的施策で立
  ち直りを促すという少年法の基本精神に反するものです。
というのがあるが、

どうやら社会的には、立ち直りを促す、というレベルではなく、
やらせない、事前に防がなくてはならない、
そういう感じになっている気配がある。

というのは、事件を起こしてしまった子供。
現状では、被害者に全くと言っていいほど、情報が入らない。
なんだかよくテレビで、加害者の親から、謝罪の言葉すらない、
など、様々な切り口で報道がなされるが、
考えてみると、
この「教育的福祉的施策」って、どういう風に機能しているんでしょうか?

個人的に、この少年法改正に関して、年齢を下げる、小学生まで含まれる、
そういうことより、
どうして、低年齢の子供たちが、犯罪に走るのか。
これが、大問題。

様々な研究もされているだろうし、食の問題だとか、ゲームのやりすぎだとか、
昼夜の逆転だとか、地域コミュニティーの崩壊だとか、
都市の空間の問題だとか、電磁波だとか、格差問題の1現象だとか、
多分、国も予算を突っ込んでは、あらん限りのことをしているはず。

だが、いじめ問題でも、そうだったんだが、
学校システムのせいだ、教師の力量の問題だとか、ゆとり教育だ、
いやいや受験戦争がおこしたひずみだ、
など、各論、様々な報告がある。
が、どうも、よくわからない。

ええ、もう本当に個人的な意見で、申し訳ないんだが、
ごく一部を除いて、
「家庭環境」をしっかりと論述した報告書は、どこにあるのかしら?

週刊新潮で取り上げられていた記事で、
小学生の男児が、女児に「暴行」。アダルトビデオと同じことをしてみたかった。
というあの驚愕な事件の顛末を報告していたが、
加害者の父親。あれは、どう考えても、「常識が無い」。
学校側も、娘さんにもそれなりの理由があったんだなんて発言もあったと、
これは、大馬鹿野郎共だろう。

あげく、被害者に引越しを促しては、当事者の母親同士が、
慰謝料と言うことも含めて引越し代を負担する、なんて段取りになったら、
例の父親が、警察に通報し、「妻が恐喝されている」とねじこんだなんて
あごが外れてしまいます。

ええ、小学校5年生でしたっけ、
加害者となってしまった児童。
一刻も早く、その「教育的福祉的施策」を発動して欲しい。
だって、いまだに、同じ学校に「通学」してんでしょ?

その家庭が、どう考えても、「だめ」なの状況的に明確じゃない。
ここだろう。問題にしなくてはならないのは。
「子供に罪は無い」というのは、充分理解しております。
ええ、むしろ、「巻き込まれてしまっている」という風にすら感じております。

虐待されている凄惨な子供の事件とか、昨今、多く目に付く中で、
親が生み出してしまった、犯罪、ともいうべきものを、
どう、社会的に、福祉的にカバーできるのか、
子供を、優先的に、まさしく「保護」していかないと、
被疑者なんて言葉で、逮捕、なんてことは、
あまりにも悲しいシステムだと。

簡単ではない問題であることは承知のうえで、
未然に防ぐことも、かなり難しいのも承知の中で、
更生させなくてはいけない「親」がいる。
その環境から保護をしなくてはならない子供がいる。
そういう議論を、ちょこっと、もう少しやっていただけると、
かなり納得も出来るんだが。


おざなりな書き方に見えてしまうんですが。

2007年04月19日 | ニュースに絡んで
このような書き方をすると、また色々とご叱責をいただくかもしれない。
ごめんなさい。

便座発火 ウォシュレットお前もか

  ウォシュレットの発火・発煙事故が明らかになった。平成11年3月から13
  年12月まで約18万台販売された製品で、29件の事故が起きていた。
  製品内部の基板装置の不完全なメッキ処理が原因だ。利用するさいの振動で部
  品同士がこすれてメッキがはがれ、通電性が悪くなり、発熱・発火に至った。

  それにしても、ウォシュレットの事故は残念だ。ノズルの角度の調整、水温の
  安定性確保、個人差の解消などウォシュレット開発時の苦労はテレビなどでも
  盛んに紹介された。その後、他社も参入し、暖房、消臭・脱臭・芳香、節電な
  どの機能を備えた機種や音楽が流れる機種まで登場した。
  業界あげて「快適なトイレ空間」を競うきっかけを作り、「ここ数十年で日本
  人の生活を変えた重要な製品」との評価さえある。その誇りを忘れず、わずか
  なミスで信頼を失墜させるような事態を起こしてほしくない。

本当に、ウォシュレットは、誇るべき、日本の「文化」になりつつある。
あのマドンナも来日した時に、まず持ち帰りたいとしたのは、
このウォシュレットだった。

総じて日本のメーカー品は、安心感がある。が、
最近は、オイルファンヒーターやらガス湯沸かし器、方々で「問題」が
事件化してきている。
そういう意味で、「お前もか」と、言う気持ちは理解できる。

ただ、機械は故障するものである。
こういう実感が、自分もそうだが、実は、あんまりない。
故障すること事態に、慣れていない。
以前、さんざん、VAIOのコンピュータに関して、
二度と買うもんか!と噛付いてはみたものの、
あれは、壊れやすいものなんである。

今は、凄く、落ち着き払ってきたもので、
また、VAIOの売り場を見て歩く自分がいるものだ。
ははははは。

ただ、火災になるかもしれない、人命が危うくなるかもしれない、
これは、その壊れると言うこととは次元が違うのは事実で、
メーカーとしても、即座の対応が必要なはずだ。
事故と故障とは、内容が異なるのである。

そうとはいえ、
  ウォシュレットの発火・発煙事故が明らかになった。平成11年3月から13
  年12月まで約18万台販売された製品で、29件の事故が起きていた。
この「確率」。0.017%。
  最初の発煙事故から公表まで約3年間かかっている。原因特定に時間がかかっ
  たとTOTOは説明するが、動きが鈍いといわれても仕方あるまい。

  温水洗浄便座ではINAXでも事故が起きていた。直接肌と接する、就寝中も
  外出時も通電状態にしている場合が多いなどの特徴を考えると、安全・安心へ
  の配慮に「やり過ぎ」はない。利用者も外出のさいにはコンセントを抜くこと
  などを考えてもいい。

いやー、この文章は、書くことが無かったからつけたような感じが否めない。
本当にそうなのか?
なんて、ことを、考えてしまうこと事態、いけないのかなぁ。
言うところは、そこじゃないだろう、と思ってしまうんだが。

どうやら、原因が判明した。考えられる事態は収拾に向かったと思われる。
今後も安心できるトイレライフが送れると思う。
メーカー側も、あらゆることを想定した検証を、日々行っているはずだが、
今回は、そういう意味で、解明に時間がかかったことで、
消費者に不安を与えたことは、素直に認めて欲しい。

なんて感じにしてもらわないと、
なんか、いいのか?こんな風に、安易に危険を煽ってしまって。
最近、こういう報道が、多くないか?
例文集でも、あるのかしら?


消費主体として、不満を表明しなければならない。

2007年04月18日 | 社会的全般
経済活動が多岐にわたり、社会が複雑化すると、
必然的に、それぞれの抱える問題が「細分化」される。
そのために、大きな政府 が必要となってくる。
そういう解説は、いくつかの本に書かれている。

消費主体として育て上げられた「我々」という存在は、
どうやら、便利、不便を、合理的に、短絡的に解釈できる
思考を持ち合わせることなった。
よく言われる、歴史的にも主人公は「市民」である我々という考え方も、
いやいや、どうやら、「物」があって始めて、我々は存在するのではないか、

昔から、どうやらそういう危機意識が世界的にあったようだ。

「下流志向」という本に書かれていたが、
こういう切り口は、なかなか自分的に発想ができなかったんだが、
最近の傾向は、(いい加減な引用で申し訳ないんだが、)
いかに自分の不満を表明していくか。

特に、家庭内で、生活システムが便利になり、簡便化された環境では、
そもそも、実感できる「ありがたみ」が把握しにくくなる。
さらに、そのプロセスが見えにくく、まさにサービスが「提供」される
そういう段取りになってしまうと、
まさに、消費主体者としては、
「受ける側の」の理論を発動しやすくなり、感謝という気心が
案外、発動しにくくなる。

勢い、一番クローズアップされてしまうのが、
「わずらわしい人間関係」という話。
むちゃくちゃな理解をしてしまったかもしれないが、
自分が考えられる、合理的な範疇に収まらない、
そうすると、

その人間を「受け入れる」という作業に関して、
不満を表明することが、手っ取り早くも、自分という主体を維持できる
だって、消費者としては、等価交換だし、
この人間を受け入れるとした場合、
その価値を、自分が「見合っている」ということを、
認めた、という事実に、我慢がならない。

この我慢がならない、ということは、自分の価値をどこに置くか、
そんなの、当たり前なんだけど、
客観評価ではないから。
かなりの「インフレ」であることは間違いない。

よって、誰もが認識できる「偏差」の中に納まっている人間と
関わる場合において、自分も「認める」
イコール、自分の価値を代替できる。

どうやら、そういう世界観をもった集団になってきているようだと。

よって、あなたを認めることは、自分を認めてしまうこと。
それが、恐怖になるのは必然で、
相手に、雰囲気に、空気に振り回され放しになってしまう、
だから、人間が、怖くなる。
新しい人間と出会うのも怖くなる。
相手の「価値」が判然としないと、「価値交換」ができなくなる。

だから、身内を褒めない。
必要以上に、外に向かって、否定的な見解を述べる。
自分に「ぶれのない」軸があれば、平気なんだろうけど、
そりゃ、難しいよね。
と言う感じだ。
なんてね。

ええ、半分以上、自分の意見です。
ごめんなさい。
こんな風に理解してしまったんですが、
だめでしょうか?


この戦い方はどうなのかしら?

2007年04月17日 | 政治
たまたま目に付いた感じのままに、取り上げてしまう不明をお許しください。

詳報、そのまんま知事vs報道陣 激バトル「定例会見は必要?」

  宮崎県の東国原英夫知事(49)は16日の定例記者会見で、会見開催の意義
  をめぐり、県政記者クラブの報道陣らと激しい舌戦を展開、会見場が不穏なム
  ードに包まれるひと幕があった。知事が会見の冒頭で「定例記者会見は必要で
  すか」などと逆質問。対する報道陣が「稚拙な質問」と応戦し、“バトル”の
  第1Rのゴングが鳴った。会見は結局、予定通り行われたが、大きな遺恨を残
  す形となった。

多分、この話題も、様々に展開されているんだろうな。

当初、個人的には、その頑張りも、未知数ではあるものの、努力のされ方も
行動も、好意的に見ておりました。
ただ、時折使用される「言葉」に、どきっとさせられることもあり、
不必要な誤解を招くんだろうなぁ、
ちょっと、「突っ込めないよなぁ」
なんて感じてはいましたが。

マスコミさんなど、特に、ニュースキャスターさんが仕切る番組では、
もちろん、事前にレクチャーはあるんでしょうが、
出演される知事よりもはるかに、話す内容を吟味して
「攻撃」してくるわけです。

よくもまぁ、あんなにテレビに出るよなぁ、
と、その度胸ぷりに敬意を表していたものです。
ああ、詰まっているよ、ああ、口が回ってないよ、
ああ、同じことを繰り返しちゃっているよ、
と、いくつかの場面で、防戦一方になるのは目に見えていたはずです。

だから、「ネタ」としてのフリートークは、
そういう世界でお育ちになっただけに「得意分野」かもしれませんが、
例のタミフルに関しての受け答えは、
正直、引きました。

彼は何度も、「高高度の意図を」みたいなことを言って、
理解してもらえないとは、なんて仰っておりましたが、
あれを、ネタとしては理解できても、政治家としては不問にできるだけの
ものではありませんでした。

ええ、いわゆる「空気が読めていない」という感じが、
最近、大きく漂い始めてきたんです。

で、この記事。
あちこちで、「記者クラブ」の存在を理由に戦っている知事はおりましたが、
定例会見を「ネタ」に戦う知事は、はじめて見ました。
これも、「戦いどころ」が、違うんじゃないのかなぁ、と
感じておりましたが、

  一方、この日の会見では就任直後から続くテレビ出演について「出過ぎ」とい
  う批判のメールが一部から届いていることを明らかに。知事は「公務をおろそ
  かにしているつもりはない。テレビ、メディアに出続けて(宮崎の)PRはし
  なきゃいけない」と説明。週末には頻繁に上京しテレビに出演していることか
  ら、嫌いなのは県政記者クラブだけ?

こういう風に、書いてしまうメディアに、
過去の映像何やらで、さかさまになって笑いを取る映像やら、
下品な笑いを振りまく映像やらで編集されると、
まさに、「県民がどう思っているのか聞いてみてくださいよ」
という話にもなりかねません。

能力と演出は、履き違えると、色んな「わき道」が用意され、
勝手に「脚色」されてしまうのは、
利用しているつもりで、利用されているという
ごく当たり前の「世界」。

ご存知のはずであろうに、と思ってしまうわけです。
だからこそ、戦う内容をこそ、吟味していかなくては、
こういう風に揶揄され、いつかは、スポイルされてしまう。
そういう世界のはずです。

今回のことは、映像でも拝見しましたが、
内容はともかくとして、「喧嘩売っているなぁ」と感じた人が多かったんでは
ないでしょうか。
オーラーを感じることができませんでした。
頑張ってほしいものです。


久しぶりに園内を歩きました。ディズニーシー。

2007年04月16日 | 雑感(日記)
来年、ディズニーランドが25周年を迎える。
おめでとう。
まだ早いよね。
どんぴしゃ、干支が「ねずみ」にかかるだけに、
よかったね、何かがフィーバーするかもしれないね。

続々と、建造物が建ち始めている「舞浜駅」周辺。
気合の入れ方が違います。
入場者数も復活したという話し。
ランドもスペースマウンテン。リニューアルも28日?に解禁。
着々。

連休前ということもあって、穏やかな感じ。
シーは相変わらず、時折吹く風が寂しい。
連休には、破壊的に混むんだろうな。

そういえば、1回500円で、球を投げたり、転がしたりして、
穴に入れたり、皿に止まったりすると、非売品のぬいぐるみがゲットできる、
あの「現金商売」。
また、人形、変えやがりました。
1年に1回に、どうして、できないんだ!

取り続けてしまう、消費者の身にもなってください。
お願いです。
クリスマスバージョンとか、それは、なんとかやりくりします。
ベースは、変えないで下さい。
しかも「露天」が2箇所になってから、
かかる経費が、「倍」ではすまなくなっています。

「無駄に大きい」と評判のぬいぐるみですが、
「無駄にお金がかかる」と評判になっていることも事実です。

そういえば、初めて、ジャファーの「着ぐるみ」をまじまじと見ました。
アラジン集団は、アラジンとジャスミンは、生身です。
真冬でも、彼らは、常夏のいでたちです。うわー。
アブーは、当たり前ですが、着ぐるみです。

で、ジーニー。
水色のテンション高いだけの、何かにしか見えません。
もう少し、ボリューム感があれば。
顔のでかさだけが、気になります、
あれと、記念撮影は、ちょっと、ねぇ。

ところがジャファー。
いける。
とにかく背丈が高い。威圧感がある。
おまけに、どれもこれも「愛想」だけはかかさない集団なのに、
極めて自然に「どけ」
人払いをする気ぐるみに、新鮮な感動を覚えました。

これは、撮りました。
撮らなければならない、そういう気にさせる、本能を揺り動かされる
そういう一品でした。
どうぞ皆様、あしらわれながら、しつこく頑張ってください。

そういえば、その昔、夏の真っ盛り、
子を抱えた主婦の大集団に取り囲まれ、大パニックになっていた
ミッキーを見たことがありました。
もちろん、係員が2名もついていましたが、
もう、抑止力も実力行使も「通用しません」。

「こっちむけー」の大音量の中、可愛そうに、ミッキーの顔と胴体が
エクソシストになっていたことを、思い出しました。
皆さん、顔に手をかけることは慎みましょう。
あれ、ぐるり、回ります。
ファタジーな世界が、一瞬にしてホラーになってしまいます。
子供の目に、トラウマ、じゃなかった、現実を見させるのは、
もう少し、後でもいいかと、思います。

そういえば、シーにて、シンドバットの大冒険?
アトラクションがリニューアルされていました。
ストリーが大幅に変更され、かなり、理解も納得もいく世界観になっていました。
いままでのは、単に、冒険というより、泥棒活劇だったもので。
それでも、気持ちよく、「空いて」います。
乗り放題です。

こんなもの、誰が考えたんだ?
なんて、言ってはいけないことですが、せめて、カリブくらいには
して欲しかった。いや、ミートザワールドくらいには.....。


温家宝さんより朱鎔基さんの方が氷を溶かしたと思うんだけど

2007年04月14日 | 政治
久しぶりに土日、連休。
昨日も、桜が満開の信州に日帰りで出向く。
帰りしな、呼んで頂いたタクシーに乗るが、話し好きの運転手。
一晩で、2人しか拾えなかったと、深刻な話で「盛り上がる」。

特に地方は、車社会。
とは言っても、通常、タクシーが必要な場合は、電話で呼び出す。
迎車料は180円。
「これが問題なんです」という話。

というのは、松本市内であっても、タクシーは電話で呼び出すもの。
「流し」て走っている際、道端で、車の流れを見ている人がいた。
交差点で停車をしようと、スピードを緩めると、その方がダッシュしてきた。
「ようやく止まってくれた」

ええ、「手を上げて」タクシーを止める文化が、無いらしい。
「困ったもんなんですよ。いっそのこと、ボディーにタクシーは
手を上げていただくと、その場に止まりますって、書こうかなと思うんですよ」
だから、ホテル、飲み屋街、そういう盛り場でしか、
客を拾えない、もしくは日中のビジネスマン。

極端な話題かもしれないが、そういうこともあるのかしらと。
ギャグ?でも、本当に、そう言っていたもん。

そういえば、中国から温家宝首相が来日。
いまや朝日新聞の最大のスポンサーと言われている創価学会。
温家宝首相とのツーショットを、唯一報道。
あははははは。

胡 錦濤さんは、アメリカ、アフリカなど行く先々で、
飛行機を買ってやる、何を売ってやる、と、飛び回る「商人」として、
特にユーロ圏内では、「いい取引相手」とした観が強いが、
日本では、何が話し合われたんだろう?。

立命館で始球式を行うなど、農家では「鍬入れ」を行い、
とにもかくにも「マスコミ」にネタを提供するのは、上手かった
と言わざるを得ない。

その昔、朱鎔基さんだっけ、あの筑紫さんのインタビューに応えたり、
若者達と、タウンミーティングみたいなことをしたり。
今回の温家宝首相よりも、もっと、日本よりの発言をしていた。
江沢民、ちょっとパワーが落ちている時期だったからかもしれないが、
日本は、朱鎔基さんの発言に、狂喜乱舞したのは事実。

それに比べれば、今回の温家宝さんは、パフォーマンスだけでしょ。
朝日新聞などは、中国・温首相、「日本の反省評価」 国会演説

  中国の江沢民前国家主席は、いわゆる歴史問題について「永遠に語らなくては
  ならない」と主張してきたが、今回の温首相の演説は、現在の中国指導部が、
  歴史問題を前面に掲げた前指導部とは一線を画していることを印象づけた。

  ただ、日本側に「態度の表明と約束を実際の行動」で示すよう求めた。具体的
  には述べなかったものの、靖国神社参拝問題などで日本側にクギを刺した形だ。

もっていくねぇ、靖国参拝に。
江沢民は、酷かったね、なんてことは、朝日新聞は言わないんだろうけど、
温家宝さんは、中国を意識しての「発言」。
日本の援助を最大限に評価していることから、
単に、
「そういう方針に切り替わったんであろう」。

狙いは、公害対策技術とか環境問題に関する技術?
知的所有財産権やら、特許侵害に関して、今もっても「野放図」な国だから、
日本に期待することって、
根こそぎ「技術」を持って帰りたい、になるよね。

それが「国益」に基づいた「外交」というものでしょう。
どのマスコミも、フレンドリー一色な報道が多いけど、
マスコミがこれでは、いつまでたっても、北朝鮮にしても、どこにしたって、
やられっ放しには、なるよね。

戦後、「ソ連」が強力になって、アメリカの旗色が悪くなったとき、
東京神田の「古本屋」街で、社会主義やら共産主義の本が、
根こそぎ売れまくったという時期があったのは事実。
なんだか、そういう方々が、今でも、政治家に事業者に学者に多いのも事実。
あと、マスコミにも。

当たり前だけど、こちらとて、中国の市民に対しては、何のわだかまりも無い。
一連の「無邪気」な報道をみていると、
相変わらず、なんだかなぁ、と思ってしまうのでした。


書かないでいようと思ったけど.....。

2007年04月12日 | ニュースに絡んで
皆さんが取り上げていることなので、今更なんだ、ということですが、
例の、石原「新」都知事。
舌下事件として、まぁ、いつものことなんでしょうが、
兵庫県知事に噛み付いた件。
あの阪神大震災のこと。

阪神大震災「首長判断遅く2千人犠牲」 石原氏が発言

  石原慎太郎氏は8日夜の会見で防災策に触れ、「神戸の地震の時なんかは(自
  衛隊の派遣を要請する)首長の判断が遅かったから、2000人余計に亡くな
  ったわけですよね」と発言した。阪神大震災の被災地で反発が出ている。

「そんな認識だと心配」 井戸・兵庫県知事が石原氏批判

  井戸知事は阪神大震災について「明け方の突発的な上下動が激しい地震で、多
  くの犠牲者が圧死だった。公的救済が入る前に、地域住民による救済が必要な
  状況だった」と言及。

朝日新聞の記事を中心にいたしましたが、朝日らしいと言うか、
マスコミのいつもの書き方が、ここにも出ています。
「阪神大震災の被災地で反発が出ている」
という表現。
いつもながら、「OOと言われている」「OOという声があがっている」
など、不明な書き方をしています。

もちろん、その反発の主は、兵庫県知事なんですが、
この人も、参戦でした。

News23 多事争論

  しかしながらそのうち2000人が、自衛隊の出動要請が遅れたから失われた
  のかも知れないという、これがまた石原さんらしい、例のよっての短絡した考
  え方ではないかと私は思います。現場であれだけの死者が出たのはなぜなのか
  と言えば、建物の中で非常に脆弱なものがあって圧死された方が多い。それか
  ら、簡単に火事になるような建物が多かった。そのことが多くの死者を出しま
  した。

お分かりの通り、この発言の「肝」は、自衛隊の派遣要請についてです。
もちろん、散々、言い尽くされたテーマです。
その教訓もあって、新潟地震の際には、わずか4分間で危機管理室が発動、
自衛隊の派遣要請に着手。
国も、自治体も、機能的に動くことが出来ました。

で、この一連のやりとりで、あちらの世界で「槍玉」に挙げられているのは、
もちろん兵庫県知事の
「公的救済が入る前に、地域住民による救済が必要な状況だった」
という発言でした。

あの当時、自衛隊派遣要請に、頑として抵抗したのは、
社会党でした。
土井たかこ氏のお膝元ということもあって、
「戒厳令」になる。憲法違反だの声で、出動したのは4日後という
まさに震災地の人々が、声を上げたかったのは、
この「公的」な支援の遅れであったことは、事実です。

なのに、朝日は
「阪神大震災の被災地で反発が出ている」という表現。
考えようによっては、兵庫県人が選出した首長です。
あの石原氏に言われて「面白いはず」はありません。
が、正直、今後訪れるであろう、「関東大震災」において、
自衛隊の救援活動は、機能的にシステム的に整備され、
いざと言う時に、対処でき得る様に、していて欲しいものです。

ええ、石原氏は、極端かどうかは別にして、かなり「前のめり」に
システム化を図っているのは事実です。
あの東京マラソンでしたっけ、あれも、災害、防災システムの
シュミレーションであることは言うを待ちません。

筑紫さんはさらに続けます。
  もし自衛隊の出動が人命を救うんだという風に考えている知事がいるとすれ
  ば、普段のそうではない、建物を燃えないようにする、壊れないようにすると
  いう方の対策には力点が入らなくなるという疑いが出てきます。どうぞその辺
  は間違えないで東京都の運営をこれからやって欲しいものだと思います。

この発言。
結局、この人の行き着くところは、あくまでも「無責任」です。
建物を燃えないようにする。
誰が、どういう手法で、行うのでしょうか?
あの、「偽装建築」という問題にしても、
天文学的な「コスト」を、各自治体がとれないことから、
暗礁に乗り上げていると言うのに、

既存の住宅、マンション、アパート。
どうやって、住人に説得するのでしょうか?
また「公的資金」を出せば良いじゃないかとでも言うのでしょうか?

こういうレベルの「建設的」でもないファンタジーな意見と、
救援活動としての自衛隊を同列に並べる「ご意見」。
相変わらずの筑紫さんの、「哲学」に無責任を感じざるを得ません。

平和を愛するという文言が、唱えていれば、平和になるんだという、
あの「言霊信仰」。
それと、意識は、どうやら「同一」でしょう。
自分は、現実的な、国民の、市民の命を預かる首長に、それを望んではおりません。


アメリカでは、蜂と南京虫が......

2007年04月11日 | ニュースに絡んで
昆虫って、未だに発見されていない、特定されていない、
そういうものをあわせて、500万種とも1000万種とも言われています。
すごいよね。

食物連鎖ということではないんだが、
特定の昆虫に、頼って、共生のような感じで、生き延びる「草花」も
いるわけで、
この地球が、酸素だらけから、二酸化炭素に覆われた今日、
陸地に進出してきたのは、動物だけでない。

草木も、その昆虫を、時には避けながら、時には利用しながら、
その仕組みは、驚くべき複雑さを持っている。

怪奇 消えるミツバチ 米24州に拡大 “過労死”?…原因不明

  米国全土でミツバチが巣箱から集団で失踪(しっそう)する怪現象が広がって
  いる。養蜂(ようほう)業者の減少で、みつの採集などの作業を通じて過度の
  ノルマを課せられたことによる“過労死説”も出ているが、原因は分からず、
  国家養蜂局(NHB)が緊急調査に乗り出した。養蜂業への打撃に加え、ハチ
  を介した受粉に依存するアーモンドやブルーベリーといった140億ドル(約
  1兆6000億円)規模の農作物への深刻な影響が懸念され始めた。

1ヶ月も前のニュースなんで、とうに、聞き及んだ方も多いと思うが、
死体も発見できていないということなんで、「失踪」ということらしい。
何百万匹も?
テレビで、嘆く、農家の映像を見たんだけど、養蜂家は言うに及ばす、
その蜂のおかげで、作物を育てていた農家まで被害が甚大。

  疑われる原因については「過剰なノルマがハチに与えるストレス」「農薬の影
  響」「ハチの免疫系を破壊する疾病」などが挙げられているが、特定には至っ
  ていない。

でね、
南京虫、全米で大発生 「昆虫学最大のミステリー」とも

  米国で半世紀前にほぼ根絶されたはずのトコジラミ(南京虫)が近年復活、感
  染報告が急増している。衛生的な先進国で大発生する原因は不明で、「昆虫学
  最大のミステリー」(サンフランシスコ・クロニクル紙)とも呼ばれる。

  同紙によると、サンフランシスコで昨年約300件の南京虫感染が報告される
  など、全50州で発生が確認された。業者に依頼すると、駆除費は住宅1軒で
  最高5000ドル(約60万円)に上る。(時事)

南京虫

  刺咬されると、激しいかゆみが生じる。俗に、刺されると肌に2つの赤い痕跡
  (刺し口)が残ると言われるが、実際には刺し口は1つである事の方が多い。
  体躯が比較的大きいことから、電気掃除機で家の隅々を丁寧に吸引することで
  駆除も可能である。

ええ、蜂のことは、「古い」話題だったんだけど、
南京虫まできたら、備忘録的に書いて残しておきたいなぁ、
と思ってしまったんです。

すいません、個人的な趣味に走って、すいません。
特段、これと言って、なんだか、どうしょうもなくて。


個性を伸ばすって、幼少期に、凄すぎるテーマだ。

2007年04月09日 | 教育、文化、少子化
仕事帰りに、ふとしたことで考えてしまったんですが、
勝手なことを書かせていただきます。

教育の現場で、「個性」を伸ばす。
それが大きな方針として考えられているようですが、
「どうして、それを守らないといけないんですか?」
といった感じで、校則やら考えられているモラルに、まず疑問を感じ、
教員に与えられている「環境」を、特権として疑問を感じる方向に、
どうやら、意味をとり始めているようだ。

小学校とか中学校レベルだと、個性と自由を、簡単に履き違えるのも
いたしかない、かもしれない。

もともと「生き物」として、個体で生きていくことは、不自然。
猿の研究から言っても、集団生活を経験しない個体は、
生命リスクが高くなるのは当然、さらに言うと、
成体になってから「組み入れられた」集団で、生活も営むことができない。

集団生活の「ノウハウ」は、どうやら高等生物に、なればなるほど、
後天的に学習されなければならいない、そういうことが理解されている。

というわけで、人間も、幼少期から、「集団生活」を学ぶ。
当たり前の必然であるということだ。

大人は、どういうわけか、「強制的」で「有無を言わせない」「集団生活」に
かなりの抵抗があるようで、何かの大きなトラウマをもっているようで、
このシステムにえらい「過剰」に反応する方が多い。

当たり前だが、大人の集団生活とは違って、子供の集団生活は、
何かの利害関係やら、集団生活のための「何か」で生産性を寄与するとか、
別の集団と何かを交渉して、有利に、何かを推進していくとか、
そういうミッションすらない、シンプルなものだ。

よって、普通言われているように、非常に「つまらない」ルールが多い。
だから、大人が勝手に子供に押し付けたようなものに映ったり、
果ては、子供が本来持っている、自由な感性を奪うものとして、
大いに議論されたりしている。

ところが、この「個性」とか「自由」という単語。
これが幼少期における「わがまま」とか「相手を尊重しない」という風には
誰も、考えを及ぼさない。
当たり前だが、個性は結構。
自主性も結構。
それが、相手の、個性とか自主性と「折り合い」がつけばね。

この折り合いがつかなければ、つまるところ、「戦い」になる。
個が際立てば、相手の個を侵食するのは、
この社会、当たり前のことで、どこにも大きな問題がごろごろ転がっている。

さらに「僕は一人でやっていけるから、このままでいいんだ」なんて、
「ませた子供」の言い方に、「偉いわねぇ」なんて感じだが、
何をどうやって「やっていけるのか」、どんな大人も「考えないように」
している。

さらに言うと、一人で、という言葉には、生き物的に、身も蓋も無いことだが
「食べていく」という本来のミッションがあるわけで、
現在では、確かに、集団を必要としなくても、食べていけるシステムがある。
が、これは、その為の技術を習得し、ある程度社会を「俯瞰」できる
力を習得した後、「想定」出来うる「生き方」である。

それでも、自分の「感性」と、異なる「感性」の存在を、
折り合いをつけながら、オンリーワンを目指していっているわけで、
また、集団生活で、何を学んだか、
水を飲むにしても、ご飯を食べるにしても、肉を食べるにしても、
誰かの「力」を借りてこそのことだと、
そういう世界の成り立ちにまで「思いを寄せられる」ことによってのみ、
「生かされている」自分を自覚でき得る訳で、

そういう意味で、ありきたりの集団生活。
ベーシックな集団生活の「場」を、経験し、学んでいく上で、
違うかもしれないが、
「個性を伸ばす」という方針は、どう考えても、
違う意味合いに取られているような気がする。

どう考えても、幼少期に必要な「目標」とは、思えないのだ。
その「個性」って、何?
ってな具合に、誰も、明確に定義づけすらしようとしない。

考えようによっては、この日本も、学校と同じように、
大きな枠での「集団生活」である。
残念ながら、人間は、「個」で生きていけるほど、簡単にできていない。
そして、個性を最大限に主張すると言うことは、
この世界では、紛れも無く、相手の個を侵食してしまうことに他ならない。

それを、幼少期に、いきなり与えるって「方針」。
何かを叫んでいる、そういう人々は、本当に、考えて言っているんだろうか?


少年サンデーの部数が落ちているんだって。

2007年04月08日 | ニュースに絡んで
どうやら週刊少年サンデーの売上部数が落ちているらしい。
結構、悲惨なことになっているらしい。
ひょっとすると、サンデーを愛読していると、公言している私は、
「マイナー」「ちょっと違った感性」をお持ちの方と、
見られているのだろうか?

少年サンデーは、少年マガジンより、「つまらない」と思われているのだろうか?
ショック。

確かに、少年ジャンプのように打ち切りも無く、
比較的、ロングで書かせる傾向があって、
マンネリ化が否めない、そういう話もあるが、
(危なかった犬夜叉が、最近、クライマックスに向けているようで、
 ちょっと面白くなってきたが)
長期掲載マンガが多い、ということは、新規作品を掲載できない。
それは、新規読者を呼び込むことができない。

そういうことなんだろうか?

劇画タッチの作品やら、一目でわかる「悪者」やヒーローに欠けている
作風が多いのも確かで、
下品な、そのまんまじゃん、というコミカルモノも少ない気がする。
裸も、確かに、少ない気がする。
ヤンジャンを10とすると、ヤンサンのH濃度は1ぐらいかもしれない。

おぼっちゃま雑誌と言われているのも、頷ける。
毒というものが、確かに無い気がする。

ただ、個人的には、今が、実は、言葉が多いようだが、何かを気にしているようだが、
一番、面白い。
と思っている。

結界師でしょ、ケンイチでしょ、ガッシュでしょ、ワイルドライフでしょ、
あれっつ?
これだけだっけ?

おかしいなぁ、もっとあった様な気がしたんだけど......。

ヤングサンデーも、最近、お気に入りですよ。
「度胸星」を打ち切った「恨み」は、未だにございますが、
今は、OKです。
イキガミは、どうしても好きになれないんだが、
ゆうきまさみ氏の連載はいけているし、北崎拓氏も、危なっかしいけど、
ギリギリのところで品質を保っているし、
ひかりの空のかざま氏。もう、坂田さんの影響出すぎ。風の大地を
書きすぎちゃって、全体的に、くどくなりすぎ。

えっつ?話題、違っています?

頑張ってください。小学館様。
コロコロで満足していては、だめだと思います。

いつからオープンになるのかなぁ、選挙のネット利用。

2007年04月07日 | 政治
明日が都知事選の投票日。
浅野氏の参加によって、随分、無風状態が長かった都知事選も盛り上がった。
最後まで、何をやりたいのかわからない浅野さん。
一時期は、ひょっとすると、という可能性と、
一部の教職員とかなんやらの、猛烈な支持もあったが、
民主党に支援を求めるにあたって、熱も冷めた。

浅野さんは、多分、ワイドショーで、宮崎さんが漏らしたように、
落選してしまったら、ニュースキャスターにでもなるんだろうな。

ユーチューブに削除要請=政見放送投稿で-都選管

  8日投開票の東京都知事選の候補者の政見放送がネット上に投稿されていると
  して、都選挙管理委員会は5日、米動画投稿サイトのユーチューブと国内サイ
  トのアメーバビジョンに削除を要請した。政見放送のネット投稿が野放しにな
  っている中、選管が削除要請するのは極めて異例。
  政見放送は公職選挙法で放送する回数が決められているが、今回の都知事選で
  は過激な主張を展開する一部候補の放送内容が話題となって投稿が相次ぎ、問
  題視されていた。

「明るい選挙推進」なんとかが、メールを利用した、
ネットを利用した、イベントをおこなっていたことを、以前、書きました。
なるほど、選挙も、ネットに関して、無視は出来ないんだなあと、
今後の可能性を感じていましたが、
あれは、単なる「売名行為」だったんですね。

確かに、政見放送なるものが、NHKという「公共放送」にのみ許された
1回限りの、公平性を維持した内容であることは理解しています。
ただ、ドクター中松氏が仰るように、
各テレビ番組は、もっぱら、石原、浅野、黒川、ドラエモン(敬称略)を
出演させるだけで、
あれは不公平だと、噛み付いたのには、笑えるんですが、真実です。

これだけ、「録画」ができて、再現性ができうる、今日、
何を持って、インターネットの利用に、厳しく当るのか。
もちろん、放送局は、がんじがらめの規制があって、
それなりに監督管理できるからでしょうが、
ネット=野放しという感覚が、多分、どうにも我慢が成らないんでしょう。

できれば、あれだけの予算をもっている「明るい選挙推進」なんたらも、
ぜひ、今回の「騒動」を、調査し、数値化し、
何に影響があっての功罪を、取りまとめていただきたいものです。

選挙を通して、政治に参加するということは、
国づくりの「根幹」です。
ネット上での、あらゆる解説なりブログ、記事を通して、
実は、多くの若者が、政治に参加してきているはずです。

「世代間戦争」など、揶揄される向きもありますが、ネットの世界が
若者の特権と言う見方と、アウトロー的なレッテル貼りは、もう、
通用しないんじゃないでしょうか?
意図的な番組制作が昨今問題になっている以上、
ネットを規制することは、もはや、何の根拠もないことだと考えます。