どこの街でも見かける風景。
駅前に、商店街が設置している「時計」。
当たり前だが、正確に時を刻んでいるものもあれば、
なんとなく、時を知らせているものもある。
ほのぼのともしているし、意外にも、街の顔だったりもする。
合ってようが、不正確であろうが、今までは特に問題でもなかった。
いつのまにか、止まっていたり、
慌てた商店街の人間が、脚立を持ち出して、直したり、
高架専用車の料金に「目を飛び出せながら」、直すこともある。
が、最近は、止まったままにしている所を見受ける。
張り紙をするところもある。
要するに、1分でも、「間違っている」と、
それによって、「被害」を受けたと、訴える住人が出てきたからだ。
北海道で、池のある公園。
悲惨な事故だが、親子のバーベキューが開催され、
「目を離した隙に」、子供が池に落ちて亡くなった。
大きな公園で、昨日今日できた公園ではない。
長くそこにあって、池全体に柵を講じていることもなかった。
が、裁判で、市に2500万円もの「損害賠償」が課せられた。
水戸で、3月10日、どうやら「水戸納豆の日」らしいんだが、
昨年から、記念行事に、納豆早食い競争なるイベントが開催されていた。
昨年は、自由参加ということもあって、
「腹」に自慢の参加者が、わきあいあいと......。
本年から、参加費を500円だが、徴集することになった。
そして、グループ制で、女性を含んだ3人を単位とした。
それは、昨年、大会を聞きつけた、ホームレスの人達が、
繰り返し、集団で、参加し、それが、どうみても「ただ食い」に
見えたのが、今回の措置につながったようだ。
最近のニュースでは、顔にモザイクのかかった「関係者」が、
ほぼ匿名で、インタビューに答える。
それを必ず、セットでとりあげるテレビが多くなった。
昔では、考えられなかったことだ。
報道は、記者が、ある意味、記名形式で発言することで、
その能力なり、責任を前提にしていた。
安易過ぎる、「関係者」の発言を集めたものが、
記者そのものを、単なる「媒介者」に仕立て上げることを、
存在理由を毀損させていることを、
理解しているのだろうか。
そして、「関係者」や近隣に住む「住人」が、
責任の意味を履き違えて、安易に発言することを、
増長させてしまったか、
そういう「武器」を、安易に与えてしまったのか、
テレビは、もう少し、真剣に考えたほうがいい。
2チャンネルを、目の敵のように「危険」なものとして、
各マスコミ、新聞、テレビなどは、そう論じるが、
実は、一番厄介なのは、まじめに「世論を喚起する」「世論を導く」など、
それを当たり前のように言ってのける、
新聞だったり、テレビだったり、する。
駅前に、商店街が設置している「時計」。
当たり前だが、正確に時を刻んでいるものもあれば、
なんとなく、時を知らせているものもある。
ほのぼのともしているし、意外にも、街の顔だったりもする。
合ってようが、不正確であろうが、今までは特に問題でもなかった。
いつのまにか、止まっていたり、
慌てた商店街の人間が、脚立を持ち出して、直したり、
高架専用車の料金に「目を飛び出せながら」、直すこともある。
が、最近は、止まったままにしている所を見受ける。
張り紙をするところもある。
要するに、1分でも、「間違っている」と、
それによって、「被害」を受けたと、訴える住人が出てきたからだ。
北海道で、池のある公園。
悲惨な事故だが、親子のバーベキューが開催され、
「目を離した隙に」、子供が池に落ちて亡くなった。
大きな公園で、昨日今日できた公園ではない。
長くそこにあって、池全体に柵を講じていることもなかった。
が、裁判で、市に2500万円もの「損害賠償」が課せられた。
水戸で、3月10日、どうやら「水戸納豆の日」らしいんだが、
昨年から、記念行事に、納豆早食い競争なるイベントが開催されていた。
昨年は、自由参加ということもあって、
「腹」に自慢の参加者が、わきあいあいと......。
本年から、参加費を500円だが、徴集することになった。
そして、グループ制で、女性を含んだ3人を単位とした。
それは、昨年、大会を聞きつけた、ホームレスの人達が、
繰り返し、集団で、参加し、それが、どうみても「ただ食い」に
見えたのが、今回の措置につながったようだ。
最近のニュースでは、顔にモザイクのかかった「関係者」が、
ほぼ匿名で、インタビューに答える。
それを必ず、セットでとりあげるテレビが多くなった。
昔では、考えられなかったことだ。
報道は、記者が、ある意味、記名形式で発言することで、
その能力なり、責任を前提にしていた。
安易過ぎる、「関係者」の発言を集めたものが、
記者そのものを、単なる「媒介者」に仕立て上げることを、
存在理由を毀損させていることを、
理解しているのだろうか。
そして、「関係者」や近隣に住む「住人」が、
責任の意味を履き違えて、安易に発言することを、
増長させてしまったか、
そういう「武器」を、安易に与えてしまったのか、
テレビは、もう少し、真剣に考えたほうがいい。
2チャンネルを、目の敵のように「危険」なものとして、
各マスコミ、新聞、テレビなどは、そう論じるが、
実は、一番厄介なのは、まじめに「世論を喚起する」「世論を導く」など、
それを当たり前のように言ってのける、
新聞だったり、テレビだったり、する。