まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

慰安婦という問題。力不足ですが。

2007年06月30日 | 本・映画
米下院外交委員会で決議された、従軍慰安婦の問題。
正直、自分が考えを述べる、何かができる、という次元を超えたレベルにあるが、
一応、色々な考えを参考にするのは必然と、
「慰安婦」問題とは何だったのか 
中央公論新社から出版された本を読んでみた。

著者は、大沼保昭氏 
「アジア女性基金」の創設から、この問題に関わった方。
アジア女性基金は、7年3月にその使命を終えたが、
10年以上の歳月を通して、何をされたか、どうお考えになったか、
非常に興味をもっていた。

個人的には、このような「戦後処理」の問題について、
戦時の状況を、現在の尺度ではかる考え方には、組しない。
だから、戦争を憎む。戦争に反対する。
そういう発言をされている方々が、
往々にして、「この侵略戦争」と言う言い方をされるが、
当時の世界状況は、全てが、今で言う、何の「道理」も見出せない、
戦略戦争であったのは事実。

よって、侵略戦争だからこそ、我々が悪いことをした、だから謝罪しなければ
ならない。
そういう文脈は、失礼ながら、基本的には使用したくない。

何事も結果として、負ける戦争をおこし、ひいては、国民のみならず、
様々な方々を、悲惨で残酷な「戦乱に」巻き込み、
多くの「被害者」を出してしまった。
この事実こそ、冷静に断罪しないといけない、と思う。

(だからと言って、勝つ戦争だったらいいのか という話も良く聞くが、
 ここでは、戦争の是非論を話しているのではない。
 個人的に、戦争ほど最低な外交はないと、考えている。)  

世界的にも、第一次世界大戦の反省から、
様々な「敗戦国」に対する処理が考えられ、
いずれにしても、公平さなんて、もともと戦争に厳然たるルールなどないわけで
勝者がいかに裁くかに掛かってくるわけで、
それでも、2度と「立ち向かわせないように」
さりとて「恨みを買わないように」
そして「もうこんな戦争は不毛だから平和を希求するために」

そういうわけで、国家賠償のルールをつくってきたと理解している。
よって、サンフランシスコ条約なども、
冷静に、生産的な将来を築くために、「大人の解決」を
講じたんだとも、理解している。

さて、そこで、突然沸き起こった「従軍慰安婦」問題。
朝日新聞が火付け役だったことは、紛れもない事実だったんだが、
これまた個人的に思うんだが、
あの戦時中に、国家機関として、兵士のための「性処理施設」を
きっちりと「運営」したのは、日本だけだったんじゃないかなと。

当たり前だが、戦時下、古来より、どこでも野蛮な事実を散見できるし、
現在でも、当時の「爪あと」は、見受けられる。
あのスターリンでさえも、
あれほどモンゴロイドを憎んだのは、それが原因だという話さえある。

もちろん、そういう施設を管理すれば、
当然だが、それを目指して、どういう悲惨な「商売」成立してくるか、
それによって、訳も分からず幼いうちから、
人生を翻弄された女性が、痛ましい過去を背負うことになったか。

必然として、「増長」させてしまったのは、紛れもない事実であっただろう。
だからといって、戦火の中で、奔放に規律もなく、
無残な事実を野放しに出来るわけでもなく、
これこそ、現在の尺度で、計る事が出来ない、難しさがある。

この著者は、アジア女性基金創設から、非常に苦労を重ね、
もちろん、その戦後処理という、大変難しい内容に立ち向かわれてきた。
いわゆる「大枠」で講じられた「国家賠償」の取り決め。
被害を受けた個人レベルを、到底、救済できる訳ではないからだ。

個人を救済するために、医療補償として、考えながらも交渉するも、
韓国では、「反日ナショナリズム」の中で、
それを「受け取ることは、この先さらに求める、国家賠償請求にマイナスに
なることだ」と、もう、暴論に近いんだが、
補償を受け取る奴は、「裏切り者だ」。
韓国自身が遺族、被害者に送る、補償を打ち切ったり、
もう、かえって、大変な騒ぎをおこす当事者になってしまったりした。

ところが、同じ被害国として、この組織が認定した国。オランダ。
インドネシアを植民地にしていた関係で、
オランダ人も、「慰安婦」として、被害にあっていた。
同じく、個人レベルの被害者への救済として、国家間賠償が終了したといえども
根深い個人賠償の火種がくすぶっていた。

ところが、
 「オランダでの償いは、おおむね被害者から評価され、深い満足感をもって
  受け入れられた。」
オランダ政府も、支援団体も、非常に協力的で、
もちろん、アジア女性基金のスタッフの、心からの償いの労を、
どうあれ、深い感謝で受け入れ、どうあれ、許す。
そういう「交流」ができた。

実は、ここで、この本の意義を見てしまって、この先、どうしようか、
考えてしまった。
もちろん、中国は戦火になり、朝鮮半島では、日本人として、戦火に駆り出され、
オランダと内容が違うといえば、かなり違う。

ところが、様々な国家賠償を取り決め、履行し、国家間で条約も締結し、
さらに、資金も、援助も行い、謝罪についても繰り返し行う中で、
なぜか、ある2カ国だけが、この「負の連鎖」を超えられない。
生産的に、将来を見据えた、相互の「交流」ができない。

我々でも、仮に、謝罪し、償いをすることに関しては、
できる範囲ですることはやぶさかではない。
そして、完全とはいえないかもしれないが、「感謝と満足」を表明していただければ
思ってはいけないかもしれないが、こちらも深い「癒し」が得られる。
そして、多分、深い信頼が築かれ、2度と間違いは犯さない、
そういう「更生」の場を与えてくれる。

のに、どうもあの2カ国。
とことん、食らいついてくる感じなのだ。
どんな冷静な表現を考えても、もはや「いじめ」にも似た感覚を覚える。
絶対にこの負の連鎖を断ち切ろうと、思っても見ない方々。
そういう絶望感すら感じる時点で、
この先、どういう生産的な「処理」ができるといえるのだろうか?

そう思った時点で、この慰安婦問題。
もう、どんな手を尽くしてもこの2カ国と交流が出来ない。
こちらも「更生」できえない。
乞う考えたら、まるで不毛な問題に思えて、
この本ですら、もう、読もうという気力がなくなってきてしまったのだ。


今度は弁護士に母体回帰した被告。

2007年06月29日 | ニュースに絡んで
山口県光市・母子殺害事件の差し戻し控訴審公判。
自分のリンクにございます、DREAM/ING111
に、続々と詳細かつ、丁寧な解説がなされているので、
この件については、多くを言うまでもないと、考えていたが、

この3日間の集中審理を連日聞くに及んで、どうしようもない感覚に襲われた。
例の安田弁護士は、母胎回帰のストーリーを前面に、
殺意の否定を押し出している。
さらに、我々のやっていることが「司法を救う」とまで言い放つ。

本村氏が被告に向かって、「調子の乗っている」との感じは、
どういう先入観を持つまでもなく、
一連の報道を知っているものであれば、誰もが、そう感じ取れる。
例えば、被告が過去、母の自殺を語る際に流した涙の事実。
謝罪を遺族に述べたこと。

つまりだ、
この被告は、その時の状況において、
何にでも、誰にでも、なれるということ。

犯罪のことは犯罪者に聞けなんて言葉が、確かあったように思うが、
所詮、事実は小説より奇なりであって、
普通の人間が、常識的に思考できにくい「闇」にこそ、
犯罪という現実が生成される。

もちろん、当然、家政婦は見た、が人気を呼ぶように、
犯罪に、ある種の社会に潜む、不条理、遺恨、様々な歴史をかたどった
ストーリーによって生成される、
「理解できる」犯罪があるのも事実。

だが、今回の事件は、どう考えても「異常な事件」。
百戦錬磨の弁護士が、犯罪者のとった「行動」を、
我々に理解できるように組み立てなおし、
さらに、犯罪者の「闇」に光をあてて、
なぜ、そうしてしまったかを理解させて、真の償いをさせるために、
いくつもの要因を紐解いていく。

それが、我々に出来る、人間的な弁護活動だ、と仰っていた安田弁護士。
さすが、人権派と呼ばれる方だ。
全ての犯罪が、そう「理解」が及ぶのであれば、
確かに、全てが、ドラマであろうよ。

だけどね、犯罪は、何かの原因があって、その過程の上に積みあがる、
そういう世界観。
犯罪には、各々、特殊な「理由」があって、
当たり前だが、突発的で、暴発的で、到底理解が及ばない犯罪は、
まるであってはならないような、そういう理解の仕方。
えっつ?そうなの?

今回でも、ドラエモンがあって、魔界転生があって、母の死があって、
常識的な「道具」を組み立てることで、
何を「道理的」に理解しようとしているのか?

やりたいから押し入って殺害して捕まって、
裁判では、母の死で泣くこともあって、
友人には「そそのかされて」反社会的な手紙を送り、遺族を否定し、
そして今回は、殺意の否定をして、遺族を睨みつける。

どう考えても、この被告の、状況に合わせた「演出」。
まるで自分の欠片も見出せない、その場その場の雰囲気に、
突発的に何かを「やってしまう」言動。

誰が見たって、誰もが、そう思うであろう。
なのに、今回の弁護側。
弁護士が、彼にとっての「母体回帰」だろう。
頼りがいのある弁護士に見守られ、まさに「甘えつくして」
すがっていく、「気に入られるよう組み立てていく」様こそが、
すでに「自家撞着」はなはなだしい、そういう結果に陥ってはいまいか?

だから、今回は、遺族を社会を「敵に」見立て、
弁護士と共に「戦っていく」ストーリーを、
被告が選択したとしても、まったく、おかしくない。
それを「人権」という大儀妙分と死刑廃止のイデオロギーの枠組みで、
今回の事件を握りながら、言った、司法を救うという言い方。

まるで、「死」を作り出しておきながら、
死を、滔々と、第3者のごとく語りつくす被告。
本村さんが「尊厳の欠片も無い」と言わしめた、現実離れした被告。
この3日間、結局、何にも、彼から「死」というものへの「自覚」を、
誰もが、見出せていなかった。

自分は、そういう被告人に「仕立て」てしまった、弁護団に、
思いっきりの虚脱感と、脱力感を感じざるを得ない。
安田さんが掲げる、自覚させ更正させ、真の反省をさせる、
そうまで言い切った、ご自分の哲学。
今回の集中審理の中で、欠片も見出せなかった。

悪いけど、そもそも、21人もの弁護団が組まれること自体、
絶対に、おかしい。
まるで、自分の気に入った「案件」しか、集まらないかのような、
そういう「団体」に名を連ねた方々。
そうとられても、しょうがないよね。


乗り合わせた電車で見た光景。

2007年06月28日 | 雑感(日記)
本日は、日記を書き込むには無理のある環境で打たせていただいております。
また、こういう環境下で過ごすことが多くなりそうで、
とても、なんだか、辛いです。

さて、どのようにお伝えしたらよいのかわかりませんが、
Yahoo!のニュースカテゴリーで、意識調査というのをやっております。
調査はすでに60件くらいあって、
知りませんでしたが、ニュースやトピックスに連動させて
色々とやっています。

妖怪を見たことあるか?
なんて調査は、「国際日本文化研究センターが3万5千種の妖怪情報をデーターベー
ス化する構想を発表したことにちなんでの内容。
13241票。
まぁいいんですが、回答は「選択式」です。

見たことが無い。見たことがある。実は私が妖怪。

もう、地方新聞紙で、読者コーナー。毎週、毎日、アウトソーシングの金が無くて
編集員が自分で「占いコーナー」を作っているかのような作業が
みてとれます。
ええ、私は、昔、「ニコリ」さんなんて存じあげなかった頃、
クロスワードパズルを週に1回、死ぬ思いで作っていたことを思い出しました。
(読者プレゼントのためにです)

人間関係が希薄で不自由な場所はどこ?
(実施期間:2007年6月26日~2007年7月2日)
  2007年版の国民生活白書は人間関係の希薄化に警鐘を鳴らしています。人間関
  係が希薄なことで、あなたが最も不自由を感じている場所はどこ?

ということに関連して調査がありました。
回答は、次の5つ。
家庭、職場や学校、友人関係、地域社会、その他。
それぞれが841票、3245票、914票、6717票、850票。
と言った結果でした。

流れ的に、地域社会が断トツだったのは理解がいきますが、
えっつ?「職場や学校」?
これ、同じジャンルなんですか?
というより、世間的には、同じジャンルで括ってしまわれるものなんですか?

そこまで真剣にツッコミを入れるべきものではないかもしれませんが、
つい先日、乗った電車で、向かい合わせに座った4人組。
男女ペアで、やや混んでいる車両の中、2対2の状態で、
声をあげながら話が弾んでいました。

ええ、もう、聞きたくなくても、当たり前ですが、隣同士の話じゃないですから
聞こえまくりです。
なんだか、自分の側に座っていたペア。
ここぞとばかりに、男性の恋愛観に切り込んでいきます。
それを向こうから、ちゃかしながら、サラウンド状態で盛り上がっていきます。

ええ、もうすでに、この状態ですら「異常」なんですが、
お構いなしです。
そして、いやいや、いくつかのウオーミングアップがうちゃうちゃと続く中で
やおら彼女が、カットボールを内角高めに投げる!
「でさぁ、私のことはどういう風に見えるの」

「本気で話していい?」
うわーーー、いくかここで。
もう、なんだか、彼の話し方も上手いんだけど、
全員が、リスニング状態。

そしていくつかの会話の後で、彼女、冷静に向こう側の2人に向かって、
「やったぁー!私、今、こくられちゃった」宣言。
もう、なんだかわからない「ラジオドラマ」が進行していきます。

ああ、でね、またどんどん話がそれていきますね。
そうそう、学校と職場。
考えてみると、学校。勉強やら学問とか専門の「場」であることも確かだけど、
こういう男と女の付き合い。
ある程度あるんだろうけど、
利害も将来も、損得も責任も、大抵、考えなしに突き進める場なんだな、と、
勝手に納得。

職場なんて、他人の「不条理」を背負ってなんぼの世界に比べると、
なんてファンタジーでイージーなんだろうと、
つくづく、てめえの若かりし頃の「不甲斐なさに」
涙がでてくるのでした。

ということで、職場と学校って、同じジャンルなの?


いつものように、お金が無い北朝鮮がミサイルを。

2007年06月27日 | 隣国問題
北朝鮮が短距離ミサイル発射 日本海に向け1、2発

  韓国政府当局者は27日、北朝鮮が同日午前に日本海に向けて1~2発の短距
  離ミサイルを発射したことを明らかにした。中国製の地対艦ミサイル「シルク
  ワーム」か、旧ソ連のミサイルを改良した地対地ミサイル「KN02」で、射
  程はいずれも最大百数十キロ程度とみられる。韓国政府は通常の訓練の一環と
  みている。

時間が無いので、しっかりとは検索していないのだが、
最近、ミサイル発射実験で名前のあがった国は、
北朝鮮と、衛星を破壊して「無道ぶり」を問われた中国と、
イランとインドとパキスタンと、
アメリカは、迎撃ミサイルの実験で忙しいようだし、
日本も海上で、イージス艦での発射実験があったようだが、
こんなものだ。

なんだかんだと、お金で苦労しているといわれている北朝鮮の
飛ばしっぷりは、図抜けて多いようだ。
イランは、あの通り、核の開発こそ「命」と世界を敵にしてもやり通す感じだし、
インドとパキスタンは、昔から、今度何かあったら、
大変な戦争になるだろうと、噂が絶えないところだし、
アメリカは、言うまでも無いんだが。

結局は、勝手ながら、アメリカと中国をのぞいて、
宗教が絡んでいるように思っているのは、私だけであろうか?
そういう中で、北朝鮮の飛びっぷりは、
すごい。

考えてみれば、北朝鮮も、中国も、宗教の国ではない。
北朝鮮は、言い方を換えれば独裁国家だし、中国も「共産教」ともいえるが、
独裁的な国家だ。
他の国は、ミサイル、上げているのかしら?

実は、「金正日と日本の知識人」という本を、なんだか書評をみて買ってしまったが、
もう、ネット社会では、この本に書かれていること、
みな、ご存知で、目新しいことは無い。

ただ、年配の方など、こういう本でしか、その手の話題を入れられないので、
必要な本かもしれません。
しかも、独特の喋り方で人気をかもし出している、姜尚中さん。
思いっきり、この本で、否定されまくっています。
知らなかった人には、衝撃なんだろうな。

9条の改憲改悪を叫んでいる人に限って、
北朝鮮による、拉致問題を、同じように叫んでいる人が少ない。
北朝鮮が、「過去のことを言えば、何も手出しができなくなる」とふんで、
日本人を拉致してのは有名な話しで、
ミサイルを撃ち込もうが、拉致しょうが、麻薬を製造密輸しようと、
この手の平和主義者たちの、はりきった行動を、お見掛けしたことが無い。

あげく、「追い込んだら、大変なことになるんだから、言葉を尽くして
交渉をしなければならない」と、大真面目でいうだけで、
過去、そうやって、見てみない振りをして、
チベットだとか、ポルポトだとか、クルドとか、
様々な人権蹂躙の現場が、見過ごされてきたのも事実。

どうやって手に入れたかわからないが、
北朝鮮の恐るべき「銃殺処刑シーン」の映像を見ても、
平和主義者の方々から、何の行動も、意見も、正式に出やしない。

自分たちばっかりの平和主義者が、ことのほか、最近、目に付くのである。


ああ、同じことか。全部、今の世代が詰め腹を切らされる。

2007年06月26日 | ニュースに絡んで
久間防衛相がボーナス返納に異論 民主・高木国対委員長「パフォーマンス」と批判

  久間章生防衛相は26日午前の記者会見で、安倍晋三首相らが年金記録紛失問
  題の責任をとって夏のボーナスの一部返納を決めたことについて「どうかと思
  う。
  日本の風習かもしれないが、首相自らが就任前のことを防ぐことができたかと
  いうと、難しかった」と疑問を呈した。その上で、「(首相は)『自分の責任
  だ』と言っておられるが、自らの責任はなかったのではないか。気の毒だ」と
  首相を擁護した。
 
  一方、民主党の高木義明国対委員長は同日午前の記者会見で、首相や閣僚らの
  ボーナス一部返納を「目先のパフォーマンス(をするの)ではなく、年金をき
  ちんと受け取れる態勢を確立することが本当の責任だ」と批判した。

たまたま時間が無いので、すいませんこんな話題に食いついちゃって。
ただ、何度も申し上げているように、
こういう国を作ってきてしまったんだと、
思いのほか、がらがらポン、しないとしょうがない事実を
受け入れなくてはならないようだ。

日本の気質ということで、
「お上」のすることは、そうそう理不尽なことはあるめいと、
他国と、対して、地理的にせめぎあうことも無かったので、
「国の舵取り」など、
国民も、そうそう、現実的な話題として考えもしなかった。

なんだか、ずーーと、国が「事業」を起こし、
その分け前の中で、仕事を按分し、
ただひたすら、国とのやりとりが長かった時代が続いたものだから、
グロバリゼーションとか、
世界中を相手にした「経済活動」が盛んになると、

大リーグと比較されてしまう、日本のプロ野球と一緒で、
日本の政治やら、行政の仕組みが、
なんだかお粗末で、
蓋を開けてみたら、本当に「お粗末」だったんだと、
わかってしまった、ということなのかもしれない。

この辺で、びしっと!民主党が、
どういう風に、お金を国から「巻き上げて」、
再配分をするのか、
非難も覚悟で、がらがらぽんできればいいんだけど、

今日の朝日新聞に登場していた福島さんのように、
社民党は、ヨーロッパの労働党とか社会党とかに近いんですよ、
なんて仰っていたが、
全然、違うと思います。

お金持ちから、お金をひっぱって(税率を50%に復活させて)
再配分にまわすなんてことを言っていますが、
あまりにも簡単な意見過ぎて、大丈夫かなと心配になってしまいます。
でも、うなずいている人が、多数いるんだろうな。

自分は嫌だけど、消費税をなんとか、しっかりと考えていかないと、
悪いけど、「地方税」なんか、
本当の「裕福者」なんか、払う気あんのかなぁ、と思ってしまいます。
源泉税も地方税も社会保険料も、
本来は、一括して徴収しなければ、
随分、取りこぼしている気がする。

そういう仕組みを、本来、しっかりと審議すべきなのに、
なんてね。
そうしないと、結局、今回の社会保険庁みたいに、
過去の「瑕疵」を今の連中が払わなければならない。
どう考えたって、国民の気持ちはわかるけど、かわいそうだよね。

考えてみれば、同じように、年金の問題も、
まさに、今の「稼働中」の若い世代が、詰め腹を切らされることになっている。
ああ、同じことか。


国と住人との関係の変容について 長い、長すぎる文章が。

2007年06月25日 | 社会的全般
昨今、色々なケースで「公務員」が叩かれている。
今は下野したどこぞの元知事は、パブリックサーバントと名づけたものだが、
多分、本来の意味では、
我々が、不可能ではないが、出来かねることを「委託」している。
そのために存在していると考えているのだが。

もちろん、住民サービスであるとか、奉仕者という考えもあるだろうが、
例えば、警察に関しても、
当たり前だが、利害当事者がそのまま争えば、
多分、不毛な連鎖を生むであろうし、
周辺に存在する住人にとって、迷惑極まりない事態にもなる。

よって、そういう機関をつくって、業務を「委託」するのは
自然な成り行きではあるまいか。
人数が増え、さらに、外部からの人間の流入が増えてくれば、
当然、ルールを厳然と明確化しなければ、
最低限の公平感を維持できないわけだし、

商売一つをとっても、そこに住まう人間を対象にすることによってしか
成立できないわけだから、
その地域なり、エリアを相互に育てていくという「考え」は
普通、生じてくるものであろう。

本来であるなら、地域の自治。
こういうものが、昔、各地域において独自に存在していたが、
次第に、それが、「国」というものに置き換わると同時に、
自治、は、行政という公共の業務に置換されていく。

一方で、企業も、本来であるならば、地域と「共生」すべきなんだが、
もはや、ショッピングモールなど、
地域崩壊を招いている。
再生するんであれば、それなりに「意義」を感じるのだが、
そんな気を感じることは無い。

例えば、年金に関しても、本来、企業において取り入れられたシステム。
この国でいえば、戦争時に、ある意味、うまく利用したという事実があるが、
有能な労働者を、いかにつなぎ止めておくか、
多くの優秀な労働者を採用できるか、
そういう主旨から、忠誠心を最後まで、モチベーションが下がらないようにと
取り入れられたという経緯がある。

もちろん、今では、北欧でみられるように、福祉国家ということで、
世界的に有名な、国が主体になっておこなっている国もある。
ただ、ノルゥエーは、その総人口と、日本の国家公務員、地方公務員の
総数が同じというのも、なんだが規模が違いすぎて、
どう、参考にしたらいいのか判断がつかないが。

よって、本当であれば、企業年金。
そして、自営者は、その年金を、国に委託。
さらに公務員は、それが無いので、独自に共済年金に、
そんな経緯が多分、あった。

ところが、企業側は、年金業務が、破綻。
国に「返上」することになる。
それも続々と。

もちろん、この国では、当初より、国が年金を継続していた。
遺族年金やら恩給という形も含めて。
国を再興するために、この国を強くする必然もあって、
維持するために、必要なシステムとして、
戦後、大雑把ながら、また、なし崩し的に継続がされてきた。

もともと、公務員は、案外、民間に比べて「薄給」であったのも事実。
その「黒子」な業務においては、
確かに目立たず、最低限の「保証」の中で、
その「奉仕活動」を担保するために、老後の保障として、
年金が一つの「忠誠心」を維持する道具であったのも事実。
勲章の授与も、ある意味、同じような道具であった。

解雇もされない、その代わりにストライキがない。
年金を含めて、一生涯保証される、その代わりに思想信条の公平さを
求められ、集会やら政治活動が制限される。

そういう意味で、国民から、「委託」される業務を、
最低限とはいえ、給与を保証されながら、主張も無く誠実に業務を行う。
そういう全般の「理解」が、古くはあったように思う。
その為、公務員に対しての住民の理解も、尊重も、
今とは異なって、あった、ような気がする。

ところが、最近は、委託されるべき業務に、民間が名乗りをあげてきた。
さらに、国も、それを容認する発言、そして政策が立法化されてきた。

いわゆる、自治体とか政府という「仕事」の解体であり、見直し。
加速されてきた。

本来、住人は、当たり前だが、国という「枠組み」を通常意識しない。
実は、年金というものは、
国を成立させるために、国に忠誠をもたせるために、
言い方は変だが、必然の「道具」であった。

一方で、住人が国に委託している業務を、民間に任せることを「良し」
とする考え。
こうなってくると、次第に、国への「帰属意識」が薄れてくる。

本当は、国の為政者達は、年金というもの、いわゆる公務員にのみ、
考えていたのは事実。
さらに言うと、国に、帰属し、国に尽くし(とは言っても、戦前のそれではないよ)
正しく働き、納め、守る。
こういう国民を、国民と呼んで、大事にしてきたのも事実。

そういう受託と委託してきた、国と住人との関係が、
本来の年金にまつわる、ベーシックな考え方で、
もともとは、何かをしてくれるという、困った時の「保護者」では、
毛頭無かった。

ところが、変質した。
思いっきり変質した。
国と住民との関係が。

これが、現在、相互不信にまで上り詰めることになった、
ある意味、現在、我々がそして公務員までもが、
権利を大前提に主張する世の中なんである。

大丈夫かなぁ、こんなこと書いちゃって......。
上手くまとまってないよねぇ......。


いや、めちゃくちゃな内容になってしまった。

2007年06月23日 | 雑感(日記)
朝の番組で、例の読売新聞かな、記事にした「学校への親のクレーム」。
もちろん、クレーム自体、へんてこなものが多いし、
各方面で、結構な話題にもなった。
前から、散発的にではあろうが、この手の「親側の理不尽」な要求は、
いくつか記事になっていて、
常識的に考えて、普通、ありえないだろう、
のオンパレード。

ともかくも、識者が、大人を含め「消費者」として、
金を払ってんだから何でも文句を付けられる、そういう意識が顕著だと、
そういう話をするのだが、
これを「権利意識」の拡大化、なんて言葉で語られると、
ちょっと寒気がする。
ただの「馬鹿なわがまま」と、なんで言えないのかなぁ。

例えば、最近目にするのが、飛行機でのトラブル。
離陸時、なかなか携帯電話を切らずに「揉めたり」、
中には、隣の席に客が「いる」ことに納得がいかず暴れたり、
(ずーーと、乗るときには、横が空席を確認して乗っていたそうだ)
あはははは、2枚買えよ、横を空けたいんだったら。
なんて、航空会社が「強硬手段」をとれるようになったため、
問題客がクローズアップされたんだそうだが、

テレビでは、「大人の再教育」をどうしたらいいのか、
そういう意見に集約されていった。
初めてだなぁ、こういう意見をテレビで聞くのは。
学校問題は、所詮、大人側の問題だと、強く認識していたので、
どんどん、建設的な意見をしていってほしいものだ。

考えてみると、先に起こったこんにゃくゼリーの問題も、
「もち」という食品が、年末年始だけで、約200人もの人間を
死に追いやっている事実はなかなか問題にされない。
多分、このトピックスは、後世、もち時代とこんにゃく時代といった、
歴史的な「区分」によって、特記されることになるのであろう。

いずれも、「損害賠償」がセットで語られ、
さらに、道路に穴が開いていたから怪我をした、という
アメリカでおこった「古典的」な損害賠償が蔓延し、
当たり屋とか言われる、慰謝料搾取などが、おかげで駆逐され、
公共施設、自治体、国という、もっとも無防備な「団体」が
おそらくターゲットになり、

「権利意識」の拡大という大儀名分とともに、「あり」とされ、
後に、外資の損害保険屋が、この「ブーム」を裏で操作しているという事実
が明らかにされるも、
すでに時遅しで、

導入されてしまった、国民背番号制によって、携帯を余儀なくされた
ナンバープレートという身分証明書には、
義務付けられている保険の種類が記載されていて、
その種類によって、出来ること、出入りができること、
そのランクが決められ、ICタグによって管理される。

そうなってくると、いっそのこと、人物も、企業も、
保険屋が、リスクを管理し、損害を仲裁するという事実から、
全ての公共事業から、商品管理まで、あらゆる分野の「査定」を任され、
思いがけず、「小さな政府」が、ここに誕生する。

当たり前だが、各個人個人も、その管理からは逃れられず、
長者番付という、その昔、意味を喪失したランキングから、
国に対して、どのような「生産的な」貢献をして、
生涯払い込み保険料という、新たな、支払い長者番付なるものが、
結果的に、以降の「年金」に反映されることになり、

まさに、誰も、何も、文句がつけられないような、社会が誕生する。
それは世界の潮流となり、
どの保険会社が管理する「国」に、「国籍」を所有するか、
任意に決定できる時代となり、
応じて、紛争も、混乱も、
全てが、国際的に、コントロールされる時代となり、

この日本では、もちろん、国をあらわすマークは、
こんにゃく、という笑えない歴史が記されているのであろう。

ああ、ごめんなさい、こんなことばかり書いてしまって。
ああ、違うことを書こうとしていたんだけど、
色々作業しながらやっていたら、こんなん書いてしまいました。


本当に、大丈夫なんですか?中国。

2007年06月21日 | 隣国問題
こういった記事を読むと、
例の加ト吉のミートコロッケなんて、可愛い部類に見えてしまう。

中国でがんが死因の第1位に ここにも環境問題 水、空気、食品が汚染

  中国でがん患者が急増している。衛生省が発表した統計によると、昨年の中国
  人の死亡原因で、がんが初めて脳血管疾病を上回って1位となった。都市部で
  の死亡原因はがんが27・3%、農村でも25・1%と全体の4分の1以上。
  背景には深刻な環境汚染などが指摘されている。

  衛生省によると、2005年には中国全土で760万人ががんで死亡した。こ
  れは世界のがん死亡者数の13%に相当する。

  中国医学科学院腫瘍(しゅよう)研究所の陳智周研究員はがんの急増の3大原
  因として(1)空気、水などの環境汚染、特に地下水汚染(2)食品汚染
  (3)細菌・ウイルスの増加-を指摘。

  中国メディアによると、水質汚染が深刻な中国東部の淮河流域の瀋丘県には
 「がん村」と呼ばれ、がん患者が異常に多い村が100以上存在する。その中の
  黄孟営村は人口2140人だが、1990~2004年までの死者数の54%
  ががんだった。また孫営村は403世帯1663人のうち、1990年以降、
  がんになった人は186人。瀋丘県のがん発症率は72年には10万人に1人
  だったのが、現在10万人に320人と増加した。

  陳研究員は食品汚染について、家畜に使われる薬品や肉質向上のための飼料添
  加剤、野菜やくだものに使われる成長剤、殺虫剤などが、がん急増と関係があ
  るとしている。また、中国の週刊紙・南方週末(7日付)によると、「野菜な
  どへの重金属残留は慢性中毒を起こし、鉛の過剰摂取は血液病を、カドミウム
  の過剰摂取はがんを引き起こす」と警告している。

この間は、海が何らかの理由でしょうが、汚染され、
大量の「カニ」が岸辺に打ち上げられた。
その前にも、魚が大量に打ち上げられた、という報道があった。

我々の感覚では、もうそれだけで、「危険」を感じ、
その海に入ろうとか、近寄ろうとか、海の「臭い」から、色にまで、
非常にナーバスに考えるところ、
中国では、なんと、バケツを持ち出して、
タダで「食料」が手に入るとばかりに、大量に持ち帰ろうとする。

日本の高齢化のスピードが、近代諸国の中で、断トツに早い、
じゃなかった、中国の近代化のスピードが、断トツに早い、
そういうことなんであろうか?
中国という、ひとつの国として考えるには無理がある、
多くの人口と、民族と、そして、都市と、農村部という問題も抱えている。

「塩」を、我々は、ほぼ「天然」ものしか存じ上げないが、
工場の「廃棄化合物」で、たまたま出来た、塩の味がする「結晶」を、
食塩として「製造・販売」してしまう国である。
当たり前だが、これで死者が出ている。

強力な中央集権体制が、あらゆる情報を遮断し、
とてつもないスピードで、近代化を進ませて、
なにもかも、投げっぱなしのまま、何も参考にもせず、
何かを打ち捨てながら、省みず、
そういうイメージを抱きがちになる。

昔、中国の首脳は、伸びゆく中国を自信たっぷりに見やって、
このままでは日本は、20年もすれば勝手に滅ぶね、と言ったものだが、
案外、中国のほうが、内部から、がらがらと息絶えて行きそうな気がする。

北京オリンピックが間近に控え、
各国の報道も、ジャーナリストも、中国にわらわらと入り、
一方で、民主化路線を、対外的に「見せる」必要から、
国内のマスコミを、ある程度「自由化」させた。

多分、そんなところなんであろう。
今まで、誰も関心を抱きもしなかった中国事情。
ぞろぞろと記事化されている。
あまりにも「理不尽」「呆然」「ナンセンス」なことが、
反響を呼んで、さらに、記者が追いかける。

北京オリンピックなんて、しなければ、こういうことが表に出なかったろうに。
ただ、また、中国発の「光化学スモッグ」が、日本を覆うわけで、
人事では済まされない状況でも、ある。


ビジュアルで読む、細胞の話

2007年06月19日 | 本・映画
「新・細胞を読む―「超」顕微鏡で見る生命の姿」
講談社ブルーバクス。

正直、多くの本を購入できない事情から、以前、購入していた本を、
ひっくり返しては、読んでいる最中なんだが、
この本、一家に一冊!
お勧めの本でございます。

確かに、ハッブル望遠鏡で撮影した、宇宙の深遠を探る「写真」とか
そういうものは、必ず、揃えてしまう「口」なので、
この手の本が、必ずしも、必読の本であると言う表現は、
間違っているかもしれない。
ええ、個人的に、好きなだけです。

我々を構成する細胞は、約60兆個ともいわれておりますが、
以前にも書いたとおり、もともとは、1個の細胞が分裂してできたもの。
もう、この辺から、このボディーというものは、
ファンタジーすぎて、ついていけません。

細胞一つとってみても、顕微鏡で撮った写真やら、イラストは、
学生の頃からお馴染みではありますが、
ミトコンドリアまではOKとしても、リソソームとか、ゴルジ小体とか、
ATP回路とか、もう、突然「牙を向けられると」、
僕は、暗記物苦手だから.....。
という挫折を味わうことになります。

しかし、この本では、「写真」、しかもカラー。
きれいなイラストまでついていて、まるで、「ニュートン」という雑誌を、
見ているようです。
もう、特別な知識なしでも、充分、わが肉体の深遠を、
かなり、理解できること請け合いです。

ミトコンドリアにしても、植物で言う、「葉緑体」みたいなもので、
こいつがいないと、こいつがいないと、
我々どころか、細胞自身、生きていけません。

なぜ、こんなものを「装備」できたのか、これこそ、生物の発生の「謎」の
原点でもあるんですが、
この本では、丁寧に解説も加えています。
今では、ほとんどの設計図を人間側というか、主体の細胞に「強奪」され、
エネルギー生産のみに特化され、まさに奴隷状態。

とはいえ、ミトコンドリア。
酸素と栄養、結局、人間が食べ物を食し、酸素を吸入するこの営みは、
このミトコンドリアに、頑張ってもらうためのもので、
ええ、ほとんどそれに集約されてしまうという事実。
ええ、ミトコンドリのために、我々は、息をして、腹を空かしているのです。
そう考えると、しばし呆然でした。

ただ、このミトコンドリアは、「母系遺伝」で、父親の設計図はゼロ。
そのため、意外にも、一旦コピーが劣化してしまうと、
そのまま、それが遺伝してしまうため、
思わぬ「遺伝病」の原因が明らかになっています。
本では、見るも無残な状態の写真が掲載されていて、
さらに、このミトコンドリアが不全で、死産の子供もいると言う話。

たまには、人間と言う、思索をする生き物という、難しい話はおいて置いて、
自分を構成する、一からの話に耳を傾けてみるのも一興です。
これを読むと、納豆で痩せられるとか、ありがとうと「声をかけると」
水の結晶がきれいになるとかの、不思議話に「耐性」がつくこと請け合いです。

現在も読み進めております。
よろしかったらどうぞ。


年金問題の「本丸」は、本当は、どこ?

2007年06月18日 | 政治
まさに「鉄火場」状態の社会保険庁。
将来的に、日本年金機構として、装いを変え、
「新組織の発足に向けて、『業務改革』『職員の意識改革』『組織改革』を強力に
 推進し、国民の皆さんの信頼回復に尽くします。」

ということらしい。

でもね、今、多くの方々が、長官とか職員の問題に目が行ってますが、
さらに厚労省のマターとして、コムスン問題などに目が行ってますが、

「平成14年度末現在の厚生年金保険の積立金は137兆7千億円となっている。」

これ、本当に、あるんでしょうか?
  年金積立金は、平成12年度までは旧大蔵省資金運用部に全額義務預託され、長
  期固定金利で運用されていたが、財政投融資改革により、平成13年4月に預託
  義務が廃止され、厚生労働大臣が直接年金積立金を年金資金運用基金に寄託し
  て運用する仕組みとなった。
  ただし、平成20年度までは、年金積立金の一部は財務省財政融資資金に引き続
  き預託される。

財政投融資改革。
あれですね、一般会計とは別の、「母屋では粥をすすって、別室で牛肉を食べている」
ですっけ、そう表現された特別会計のことっすか?

確かに、旧厚生省は、年金福祉事業団ということで、ご存知のグリーンピア!
なんかで、大いに、「散財」してくださって、未だに、何のお咎めもなしですが、
あの、高速道路、鉄道、橋、ああ、国土交通省管轄ね、
郵政と年金、セットで、ながーーいこと、お役に立っていたはずです。

だから、そもそも、あるんでしょうか?
お金。

  平成14年度決算における厚生年金保険の収支状況は、基礎年金交付金等を控除
  した実質的な収入が29兆1千億円、実質的な支出が28兆7千億円となっており、
  収支差引残は3千億円となっている。

積立金が、結構な「支え」になっていて、
29兆円のうち、なんと3兆円は、「運用収入」でまかなっておりまして、
実質、運用していなければ、もう、「底が抜けている」状態なんです。

で、その運用益、あくまでも「益」ですから、元本はあるものとして、
考えておりますが、
確か、高速道路、天文学的な「借金」、45年かけて「返す」とされていますが、
ええ、どこに返すかって言うと、
年金、郵貯、そういうところに、大半世話になっているはずです。

さらに、地方自治体なんかが、第3セクターとかいって、
できもしない事業を、がんがんやった付け。
これも、お世話様になっているはずです。

えーっと、数字上はあるんですが、本当にあるんでしょうか?
国債の残高が540兆円とか言ってますが、
国債と、ひょっとして、「自転車操業」状態なんではないでしょうか?

最近、一時期は、そういう無駄遣いとか、運用の是非論など、
様々にございましたが、
結局、「いいように」使っちまった、議員さんも含め、
貸付金とか補助金などで、族議員といわれる方々の、
地方への「お土産」を含めて、
これこそ、屋台骨を揺るがしかねない、
大事だと。

で、組織を「別に作って」、今は、スケープゴートになってもらい、
解体目前の社会保険庁の職員の「密告」だと、噂されようとも、
ここが、一手に、「非難」を集中的に受けてくれれば、
そのモラリティーの「低い」原因が
本当にどこにあったのか、
当分は、誰も、大きな問題にせずに、済ませられるんじゃないかと。

どこぞの「年をめされたお嬢様が」
田中角栄の時代までが、いい政治だった、と仰っているようですが、
政治家に「金の使い方」の道しるべを、身をもって示した、
稀有な政治家だったことは、ええ、認めます。
でも、その時の「教え」が、今の日本を、大混乱にしている、
そのように思うのは、私だけでしょうか?

本当は、払う払わないとかいう問題だけでは、
済まされない状態になっているのでは、ないでしょうか?


ひょっとすると管理社会を望んでいるのかしら?

2007年06月16日 | 社会的全般
リンクにもご登場いただいている、なるもにあさんの
DREAM/ING111。
まとめて、自分が書いた記事をご紹介いただきまして、
もう、とりあえずですが、長々とやってきて、
滅多にあることではないので、恐縮しながら、喜んでおります。
嬉しかったです。ありがとうです。

正直、内容によっては、デリカシーにかけることを書いたりしたり、
山田教授の本を「格差社会」なのに、下流社会と書いてしまったり、
専門家の皆様から見ると、どうなってんじゃ、とお叱りを受けてしまいそうなんですが
さらに、襟を正して、事実誤認をしてしまわないよう、
気をつけてまいりたいと思っております。
そして、ごめんなさい。(今のうちから、何かの為に謝罪しておきます。えへっ)

デリカシーに欠けるといえば、この間、トラックが止まっておりまして、
産業廃棄物の会社所有のトラック。
商業地域では、自治体の「清掃車」は、ほとんど「民間委託」で、
燃えるゴミも燃えないゴミも、全部、民間の会社が請け負っています。
ご存知でした?

港区の赤坂で、区役所にゴミの出す日を聞こうとしたら、
「やっていません」。
わが耳を疑いました。
結局ですが、ビルの管理会社が、独自に契約している「会社」、
毎日、回収するということになっていました。
便利と言うか、高いのは高いけど、そんなでもないし。
そんな感じです。
でも、渋谷は、自治体、頑張っているようです。

ああ、話題が逸れました。
その産廃業者の名前が「グラウンドゼロ」。
すげぇ。
よく、つけたよね。
まるで、「株式会社原発ドーム」とか、ひょっとすると「有限会社エルサレム」?
とか危険を承知で申し上げると「合資会社アウシュビッツ」とか、
何か、当事者の国から見ると、何かを「逆撫で」するような
会社名でした。

そういえば、先ほどのテレビで、携帯電話を中心とした
「ネットいじめ」。
この話題を追っていましたが、なんか、プロフという呼称で、
全部の個人情報を「提示」する形での、変形SNS?みたいなものが爆発。
いやいや、中高生は、どこまで、お気楽なんだろうと見ていました。

自宅の住所、ぎりぎりの線まで、開示、しかも実名、写真入。
これで事件が起こったら、どこの「監督官庁」に、親はねじ込むんでしょうか?
こういう「事件の顛末」が、ストーリーとして、
紹介されているもんだから、
例えば、2ちゃんだとか、例の、個人の音楽ファイルのコピーだとか、
国がナーバスになって、締め付けてくるのも、よくわかります。

結局、消費者が、消費者同士で、食い合ってしまっている。
不思議と、こういう現象が、色々な場面で出現しているようです。
規制緩和、自由権、小さな政府、などなど、
国に「尻拭い」やら「責任の所在」をもっていくと、
それは、意外や意外、規制強化、自由の制限、大きな政府につながります。

この何年かで、国が制定した「法律」。
数百ですって。
もちろん「改正」も含めてなんですが、
多すぎねぇ?
というより、何いじっているか、誰も知らないんじゃないの?

マスコミも、結局は、市民が望む報道を、なんていっている間に、
どんどん、目指すべき方向とは、真逆の社会へとリードしている。

そういえば、こんにゃくゼリーで被害にあったご遺族の方。
伊勢原市と会社に、7500万円の損害賠償請求。
確かに慎重に扱わないといけない内容なんですが、
こんにゃく。
これ、その昔は、ダイエット食品だった気がするんですが。

もう、スーパーとか、コンビニも、陳列棚を、大人用とか、
「18歳未満立ち入り禁止」とか「60歳以上飲食禁止」とか、
あげくは、映画みたいに、映倫みたいな「食倫」がでてきて、
「この商品は身分証明書の提示が義務付けられております」
みたいな話にもなりかねない。

事件は事件だし、それに遭われた当事者の方々にはお気持ちを考えると
何も言うことが出来ないが、
最近は、事故も事件も、紙一重。
我々自身が、どう関わり、対処していくか、
その方向性如何では、「大好きな」自由が、思いっきり制限される
管理社会が、ITも高度化されてきているし、
進んでしまうと、思うんだが。


北欧を評価する声があるけれど。

2007年06月14日 | 社会的全般
関東が入梅しました。
日々の天気予報。高知県の雨情報が、毎日気になって仕方がありません。
ダムの状態は、どうなんだろうかと。
テレビでみた、干上がったダムの様子が、
未だに、映像として残っています。

今読んでいる本。
また、変なところだけを取り出してと、怒られるかもしれないが、
頭のいい方の「視点」というのは、
本当に、勉強になります。

というのは、簡単に記しますが、
よく北欧、特にフィンランドの社会福祉に関して、あそこはどうだ、なんて話を、
よく識者とか、野党の方々が持ち出しますが、
あそこの人口、500万人。
ええ、日本で言ったら、東京の「目黒区」と同じ規模。

スウェーデンで、900万人。
神奈川県の人口と、同じだ。
大阪府よりは、少ない。

なるほど、そりゃ、社会的な合意を取り付けて、
税金を高くしても、社会福祉にのめりこんでいけるよ。
もう、目的をもった、地方自治体レベル。

これを、日本の1億何千万人の規模に当てはめること事態、
本当に、「無理」があります。
そういう、知っているようで、実は、何を根拠として、解説されるか、
これを知らないと、普通に、そのマジックにはまってしまう。

ちょっと、わずかな内容ですが、
こういった視点は、ヒートしてしまいがちな、自分の頭を
少しだけ、大人にしてくれます。

年金問題をしらけつつ見ている若い層

2007年06月13日 | 政治
いつも言いたいことを言って申し訳ございません。
年金の問題も、何十年も前の記録がロストしていたり、
本当に、何をやっていたのだ、という状態です。

野党は、これでもか、と勢いが増しています。
街宣カーで、民主党の地方議員も絶叫しております。
年金問題。
歴代社会保険庁長官も、どんどん曝されていきます。

遠い昔、JRが、国鉄と呼ばれていたとき、
民営化ということで、大揉めに揉めていました。
その際、合理化ということで、
今では、スイカ、パスモで当たり前のようになった「改札」ですが、
昔は、駅員が、切符をかしゃかしゃと、それは職人のような「捌き」で、
切符を切っていました。

もちろん、不正に入場したり、キセルを試みようとした場合、
「おい、こら、お前」
と容赦ない呼びかけが、今でも、懐かしく思い出されます。

先日、前を歩く、見るからにいかつい不審な様子の男性。
改札で、いきなり「手」を、例のスイカを認識するところに「ばん!」と
押し付けました。
最初は、手に、スイカのカードを持っているのだろうと、
何の疑いも無く見ていましたが、
即座にエラー音と、閉まるとびら。

ああ、この人、「手」を認識させただけ。
単なる不正乗車、じゃなかった、不正降車。
そのまま、次に、同じ、私鉄に乗るようです。
同じように等間隔で、歩くのも、「同じ光景にでくわすくらいなら」
と、少し遅らせて歩くようにしました。

案の定、また「手」を、どんと、認識させたまま、
エラー音を後ろに、たからかに鳴らせたまま、ゲートを「突き破って」
入場してしまいました。
もう、こういう人、1ヶ月に、何人、みるでしょうか?
こういうシステム環境では、
駅員ですら、無力感一杯で、多分、スルー。

最近、会計学の本が、一部でバカ売れしていますが、
こういう客を相手に人員を増加した場合、コストに見合いません。
そんなことが書かれてもいるようです。

さて、その無人になった改札。
その当時は、もう労働組合が、もの凄い「運動」を繰り広げておりました。
ありとあらゆるビラ、演説、運動員、のぼりにハンドマイクと、
若かった時分、改札が自動化になることによって、
どういう「不具合」が生じてくるのか、
よく理解できていませんでした。

もちろん、こういう合理化は、人員削減と同時に語られ、
その危機感と、民営化に何をイメージしたのか、
その「恐れ」も含めて、あらゆる「闘争」に打って出たのではないでしょうか。
当然ながら、利用客にとって、その「変更」が、
どのように、何をもたらすかなんて、
そういうメッセージは、ほとんど無かったか、心に届きませんでした。

多分、同じように、社会保険庁。
年金番号の統一化と同時に、コンピュータ処理が、目標になり始めた頃、
労働組合は、頑張りました。
「合理化に反対」したのです。

それでなくても、労働者に、甘すぎる社会保険庁です。
あらゆるボイコットも含めて、
この最中に、ものすごい、モラルの低下が、当たり前ですが、起こりました。
当然の「運動」として、その闘争期間中に、
恐らく、その当時の人間は、今、大きな問題になって、
過去が問われるとは、思いもしなかったでしょう。

さてさて、年金の問題。
民主党は、これが「争点」として、まさに天王山のごとく、はりきっておりますが
残念ながら、若い世代には、いわゆる浮動票の連中には、
思いが届いてないような気が致します。

今回、マスコミも、野党も、映し出されるその「当事者」が、
どうも、高齢者に偏っているからです。
まさに、利害当事者ですから、当たり前なんですが。
ただ、一部では、すでに、
「年金を返せ」「払った分をどうすんだ」という声に、
そういう奴は、当時、いくらの「掛け金」を払ったんだ、
というリアルな話題に突入し始めています。

そして、その掛け金に対して、いくら支払われているという事実に
「驚愕」し始めています。
個人的に思うんですが、これ以上の、ヒステリックな「悪者探し」は、
多分、いい結果を生まないような気がしてしょうがありません。

国会は、国を作るために、あらゆる政策を「検討」する場です。
本当に、良いシステムを考えならなければならない今、
怒りの矛先ばかりを「安易に」求めるやり方は、
これも、また、何かを先送りにしているような気がして、

参議院選ですが、自民党。
このままでは、多分、議席、減らすかもしれません。
が、若い浮動票は、恐らく、ほとんど動かないでしょう。
ええ、高齢者の票が、いったりきたり、そんな結果が予想されます。

まさに年金問題は、今、まさにの利害関係当事者の、権利争奪戦としてしか、
どうも見えないのが、残念なんです。


社会保険庁の労働環境と、介護サービスの労働環境の格差

2007年06月12日 | 社会的全般
しつこい話題で申し訳ないんだが、
コムスン外部売却へ、会長が意向…ワタミとニチイ学館浮上

  コムスンの譲渡先を巡っては、居酒屋チェーンのワタミが11日、有料老人ホ
  ーム事業の取得に前向きな姿勢を示した。ワタミは2004年に介護事業の子
  会社を設立し、首都圏を中心に27か所で有料老人ホームを運営しており、事
  業のノウハウがある。ただ、被介護者の自宅などにヘルパーを派遣する訪問介
  護事業の取得には消極的と見られる。

  また、介護事業最大手のニチイ学館も、「コムスン利用者の移管がスムーズに
  いかない地域で協力したい」(広報室)としており、地域事情に応じてコムス
  ンの事業を受け入れる考えを示している。

24時間サービスをまがりなりにもやっているのは、大手ではコムスンだけ。
夜間訪問介護など、コストがかかりすぎて、ほとんどが見向きもしない。
特に、この4月から法の改正があって、
例の「自立支援法」とかいうやつ。
家庭を単位とした、地域で面倒を見ろという、あれだ。

病院でのリハビリも、入院も、短期で「追い出される」。
よって、家庭での負担も信じられないくらい増える。
介護サービスが、それを「補完」できるくらい、
ユーザーにとって、便利なものであれば別だが、
どんどん、締め付けが厳しくなってきた。

障害のランクは、当然、自治体の窓口で「決定」されるわけで、
その介護サービスの内容も、それに準じたもので、
サービサーは従わなくてはならない。
この「認定」ですら、結構、問題になっている。

テレビなどで、サービスが劣化した、なんてユーザーの声を取り上げていたが、
もちろん、サービサーの問題もあろうが、
いやいや、国が、勝手に、劣化させたのである。
もう少し、マスコミは勉強した方がよい。

今まで、できたことも、頼まれれば、やってあげたことも、
どんどん、できなくなっている。
それを越えて、例えば、入浴を、親切で手伝ってしまったとしよう、
介護認定レベルに合わなければ、「不正請求」の1歩となる。

質をあげようとか、ニーズに合わせようとか、
現場レベルの「葛藤」なんて、てんで見合わない。
できない、やれない、応えられない、のオンパレード。
これでは介護サービスをしようと思う企業がでてこないのは当たり前。

ワタミがテレビのインタビューに答えていた。
社長が「老人ホームは、損益分岐点を越えると、あとは全て儲けになるんです」
「我々は、入居率が90%。コムスンは60%台と聞きます」
なんて根拠で、コムスンの老人ホームだけを譲渡したいと。

この利得を前面に出した発言は、どうやら、今回は不問に付されているようだが、
ニチイ学館にしても、
24時間介護は、やっていない。
もちろん、この会社も、数年前に「不正請求」で監査を受け、
4000万円の返還をした「実績」がある。

ニチイの社長ですら、利潤を追求する、普通の企業の有り様では、
この仕事は務まらない、全く別物として考えなければやっていけない。
そういう発言をしていた。

多分、こうしたいくつもの情報をベースに、
最近のマスコミの「魔女裁判」、沈静化してきたように思うが、
正直言って、この「事業体」を解体してしまったら、
本当に、どうなってしまうのか。
「医療崩壊装置」として、以前、毎日新聞のことを引用させていただいたが、
このままでは、確実に、
「介護崩壊」を招きかねない。

社会保険庁の、内部資料が出てきて笑ったが、
労働組合が、労働条件として保険庁と取り交わした「覚書」。
パソコンの入力、5000タイプですって。
A4サイズで1枚半。
これが、1日の「限界」。
45分やったら、15分の完全休憩を入れろとか、
1日の限度が、トータル200分だとか、
本当に、いいご身分だ。

この自治労というか、労働組合を母体にしているのが、民主党。
国の労働者の「労働環境」を、現実離れしたまま放って置いて、
民に、過酷な「サービス」を、まさに押し付けている。

この問題は、まさに我々の問題なんである。
今まで、どうにか触れないで済ましてきた「付け」が、
一気に吹き出てきたというしかない。
誰もが「育てよう」という意識ももたず、
「押し付けよう」とするのであれば、

まだ国にまかせるよりはいいのか、国の方がいいのか、
金がかかっても負担できるのか、
民間の多少の瑕疵には目をつぶって、「対処療法」で済ますのか、
どうするのか、
もっと、冷静に生産的に、今回の「コムスン事件」は考えた方がよい。


格差社会へGO!

2007年06月11日 | 雑感(日記)
渋谷に西武百貨店がある。
個人的に、全くといって良いほど、縁の無いデパートである。
が、セゾンは別。
セゾンとくれば、「資金繰り」に世話になっている関係で、
えー、感謝いたしておりますが、

最近、セゾンカウンターの位置が変更になった。
7階に、すべてが移設された。
もちろん、セゾンカウンターの業務は、いわゆるキャッシングだけでない。
お得意様の、あらゆるサービスを受けるわけで、
実は、キャッシング関係者は、
なんというか、多分、肩身が狭い。

というのは、エレベーター、すぐ横に、並べられたキャッシュディスペンサー。
大概、返済の遅れとか、なんやら、機械で処理できる面々は、
「表通り」にある、「カウンター」のお世話にならず、
ここで、粛々と、作業をし、またエレベーターへ。
あくまでも、「水際で」という感じだ。
もちろん、照明も、裏通り的に、薄暗い。

もちろん、我々だって、表通りを、そもそも歩きたいとは、欠片も思わない。
相互の利害が一致した、そういう「場所取り」なのであろう。
ところが、たまたま、短期間の「融資」を受け、
その全額返済の為に、「機械」に並び、処理をしようとしたところ、
なんと、返済が早すぎたのか、カウンターでお世話になることになった。
機械の処理が、間に合わなかったらしい。

表通りだ。
ゆったりとした通路に、低いカウンター。
もちろん、簡単なブース作りになっていて、イスもくつろげる感じ。
ずらりと並んだカウンター。
温かい、そして、ほどよい、エレガンスな照明だ。

真ん中に、受付票を発行する、銀行でよくみる番号発券を受けるべく、
移動を開始すると、

「お客様、ご用件は?」
「返済ですが」
「機械は、お通しになられましたか?」
「ええ、返済のタイミングが早いそうなんで、カウンターで」
「さようですか、では、こちらへ」

おお、返済専用のカウンターがあるではないか。
3つも。
まるで、立ち食い蕎麦屋のカウンター状態で。

もう、まさに、天と地。
雲泥の差。
超格差社会。
下流社会まっしぐら。

そういった単語が、ずらずら、並ぶ。

立って、並ばされる。
もちろん、表通りのカウンターには、待つためのゆったりとしたソファーが
置かれ、雑誌を片手に、優雅に待つことを許されている。
が、こっちは、立って、並ばされる。

確かに、そういう扱いは、甘んじて受け入れよう。
決して、カウンターのサービスを受けられるくらい、
商品の購入だとか、何かのポイントだとか、
表向きの「貢献」は、できようがない。
まして、セレブでも、なんでもないし、そういう可能性も、
今のところ、ほとんど見出せないし。

だが、どうなんであろう。
「利益」の貢献度からして、
粗利28%(そろそろ20%を切ると思われるが)は、
結構、良い、お客様ではないのではないか?

ポイントが貯まって、交換なんて、そういうサービスの「埒外」でもある。
なんも、過剰な期待も、さらに言うと、
そういう余計なサービスをしなくとも、わらわら集まってくる、
とても「優良な顧客」ではないのではないか。

せめて、返す時くらい、お返しを申し上げる時くらい、
もうちょっと、温かな、なんと言うか、そういう「気配り程度」でも、
せめて、椅子くらい、あっても、さぁ、
いいんじゃないかと、
そう、思いもするのだが。

いや、いいんです。
ええ、気にしないで下さい。
笑って、お貸しいただける、それだけで、今の自分は、満足ですから。