先日、会社の人間に、男の子が誕生した。
時節柄、非常に、めでたいことである。(ん?)
本人が、喜んでいたので、支援できるところは何とかしたいものである。
子育てに対して、悩みを抱えてしまいがちな状況を、国の報告書が述べていた。
保健所も、相談所も、機能できていないらしい。
配偶者が、どの程度、育児に参加するか、できるかを、会社を含めて、
どう、制度化できるか。
制度化したルールを遵守した法人には、補助金を。などなど、核家族化した
世帯を、国をあげて、支えようとしている。
公園は、すでに、子供にとっての楽園ではない。
あらゆる禁止事項がはりめぐらせて、管理人が常駐するところでは、
公園に立ち入る人間さえ、邪魔だというニュアンスすら感じる。
自転車の乗り入れの禁止から始まって、球技はもちろん。危険を伴う走行?も
だめ、当然ながら、花火なども厳禁。ゴミくずの持ち帰りも当たり前なので、
ピクニック気分も味わえない。
おまけに、危険遊戯器具が撤去されていったため、あれも危険、それも危険で
今となっては、ほとんど、昔懐かしい遊具がない。
もともと、公園は、公共施設で、国が、借りたり、買ったりして作ったものだ。
よって、維持管理できる予算もばかにならず、売却したいと願う自治体もある。
子供の怪我で、いきなり国を相手取って訴訟をおこす親が増えたのも一因だ。
最近は、かなりの学校を開放して、親子学級など、開催するところが増えている。
老人のふれあいをテーマに、ちょっとした、地域社会の創出に力を入れている。
自分が子供の頃、公園を中心に、確かな地域コミュニティーがあった。
親が、目を離しても、安全なエリアが、あった。
まだ、立体的な建築物が少なく、縁側にいる、老人を含めた、「地域参加者」が
ゆるやかな観察者として、見守ってくれていた。
公園には、紙芝居と称して、今では、確実に、「近寄ってはいけません」
という風体の人間が、リヤカーをひいて、怪しげな食べ物をセットで提供
していった。自転車やら、野球は当然、格闘技にも似たゲーム。
なんでもあった。当然ながら、けがは当たり前。投げられた石を頭にぶつけ、
病院に担ぎ込まれた子供もいた。
裸の人間も、暑い夏には遠慮なく登場した。もちろん、日によって、泣かされる
子供もいた。異質な出会いも含めて、新しい出来事、発見を、リアルに経験
させていった、装置であった。
親も、それによって、オンオフができ、一人の時間も、買い物も、できた。
今は、外出するにも、何かをするにも、子供と一緒。
あれしてはだめ、これもしてはだめ。
大人の論理を、いきなり、子供に押し付ける。
幼児にとっては、電車の中やら、デパート、スーパー。行きたくないに
決まっている。最近は、子供の場もできはしたが、大人の場だ。
子供をしかる親を見かけるが、本来、連れてくるのが間違っている。
親としても、親の都合に合わせて、子供をあらゆる所へ連れて行くしかない。
しかしながら、場違いな子供は、当然、子供なりの反応をする。
親も、子も、ストレスのたまり放題だ。
この子さえいなければ、と、思わない人間がいたら紹介してくれ。
会社に対して、育児休暇を男性にも拡充とかいっているが、この都会では
そんなことでは、もう、無理。
子供の基本的な体力すら、この時代、どんどん低下していく。
児童会館だ、学校だ、スクールだ。ほとんど、室内じゃないか。
異質な、危険なものを、全て、はなから分離した空間で、何を学べるのか。
そして、両親、育児休暇だ。
そんな問題ではなかろうに。
そして、誰もが、わかっているはずなのに。
少子化の問題は、金、だけの話ではない。
ゆるやかに、社会が見守る、装置としての、場が、消えていったのが原因だ。
それを、無理やり、得ようとするがために、金がかかるだけなのだ。
多分、そんなことも、わかんないんだろうな。
時節柄、非常に、めでたいことである。(ん?)
本人が、喜んでいたので、支援できるところは何とかしたいものである。
子育てに対して、悩みを抱えてしまいがちな状況を、国の報告書が述べていた。
保健所も、相談所も、機能できていないらしい。
配偶者が、どの程度、育児に参加するか、できるかを、会社を含めて、
どう、制度化できるか。
制度化したルールを遵守した法人には、補助金を。などなど、核家族化した
世帯を、国をあげて、支えようとしている。
公園は、すでに、子供にとっての楽園ではない。
あらゆる禁止事項がはりめぐらせて、管理人が常駐するところでは、
公園に立ち入る人間さえ、邪魔だというニュアンスすら感じる。
自転車の乗り入れの禁止から始まって、球技はもちろん。危険を伴う走行?も
だめ、当然ながら、花火なども厳禁。ゴミくずの持ち帰りも当たり前なので、
ピクニック気分も味わえない。
おまけに、危険遊戯器具が撤去されていったため、あれも危険、それも危険で
今となっては、ほとんど、昔懐かしい遊具がない。
もともと、公園は、公共施設で、国が、借りたり、買ったりして作ったものだ。
よって、維持管理できる予算もばかにならず、売却したいと願う自治体もある。
子供の怪我で、いきなり国を相手取って訴訟をおこす親が増えたのも一因だ。
最近は、かなりの学校を開放して、親子学級など、開催するところが増えている。
老人のふれあいをテーマに、ちょっとした、地域社会の創出に力を入れている。
自分が子供の頃、公園を中心に、確かな地域コミュニティーがあった。
親が、目を離しても、安全なエリアが、あった。
まだ、立体的な建築物が少なく、縁側にいる、老人を含めた、「地域参加者」が
ゆるやかな観察者として、見守ってくれていた。
公園には、紙芝居と称して、今では、確実に、「近寄ってはいけません」
という風体の人間が、リヤカーをひいて、怪しげな食べ物をセットで提供
していった。自転車やら、野球は当然、格闘技にも似たゲーム。
なんでもあった。当然ながら、けがは当たり前。投げられた石を頭にぶつけ、
病院に担ぎ込まれた子供もいた。
裸の人間も、暑い夏には遠慮なく登場した。もちろん、日によって、泣かされる
子供もいた。異質な出会いも含めて、新しい出来事、発見を、リアルに経験
させていった、装置であった。
親も、それによって、オンオフができ、一人の時間も、買い物も、できた。
今は、外出するにも、何かをするにも、子供と一緒。
あれしてはだめ、これもしてはだめ。
大人の論理を、いきなり、子供に押し付ける。
幼児にとっては、電車の中やら、デパート、スーパー。行きたくないに
決まっている。最近は、子供の場もできはしたが、大人の場だ。
子供をしかる親を見かけるが、本来、連れてくるのが間違っている。
親としても、親の都合に合わせて、子供をあらゆる所へ連れて行くしかない。
しかしながら、場違いな子供は、当然、子供なりの反応をする。
親も、子も、ストレスのたまり放題だ。
この子さえいなければ、と、思わない人間がいたら紹介してくれ。
会社に対して、育児休暇を男性にも拡充とかいっているが、この都会では
そんなことでは、もう、無理。
子供の基本的な体力すら、この時代、どんどん低下していく。
児童会館だ、学校だ、スクールだ。ほとんど、室内じゃないか。
異質な、危険なものを、全て、はなから分離した空間で、何を学べるのか。
そして、両親、育児休暇だ。
そんな問題ではなかろうに。
そして、誰もが、わかっているはずなのに。
少子化の問題は、金、だけの話ではない。
ゆるやかに、社会が見守る、装置としての、場が、消えていったのが原因だ。
それを、無理やり、得ようとするがために、金がかかるだけなのだ。
多分、そんなことも、わかんないんだろうな。