人によっては、色々なお考えはあろうかと思うが、
福田氏の対談の中で、そうだよなぁ、と、思いつくことがあった。
福田氏の本流の作業から、引用する訳ではないので、申し訳なくも勝手させていただくし、
今回といい、何といい、福田氏の立ち位置すら斟酌していないが、でも、色んなこと
よく知っているなぁ。
「暴走族」について述べているところだったが、音ばかり煩くて、何しろ、のろのろ走っている、
名の通り、爆走するのであれば、字義どおり評価もできるが、何だあれ。としている段だ。
だったら、「徐行族」にしろ。
春先になると、最近は、めっきり減ったが、国道を運転していると、よくもまぁ、というくらい、
彼らの走行によって、渋滞を余儀なくされる。
そう、のろのろなのである。
対抗車線に踊り出る、元気な連中もいるが、そりゃ、危険がなさそうなときに限ってである。
徐行族のネーミング。いいなぁ、これ。
こんな風に、マスコミがとりあげ、さらに、巷でも、「最近、徐行族がうるさくてねぇ」
なんて会話が普遍化すると、状況が大きく変わりそうで、楽しい。
ここ数年、マスコミは、色々な事象を判断するために、言葉を定義してきた。
もちろん、海外の研究成果を援用し、一般的な解釈として成立している単語もあろう。
国内において、議論が深まり、普遍化していくことは、なるほどもっともなことである。
ただ、言葉というのは、恐ろしいもので、特に日本では、妙に人権意識が強く、
今まで、どうも触れたくない、否定的な側面を持つ、また、人間としてダークサイドに立つ事象を
優雅な横文字にして、回避しようとする風潮が、あるように思われる。
古来より、差別問題を含め、おおっぴらに論議をするという国ではなく、逆に、話すこと事態を
封印してきた。まぁ、最近の外交問題の対応にも遺憾なく発揮されている、
「これはこれは、そうとられたら、私どもの不徳の致すところで」という、何がどう、不徳を
いたしてしまったのか、論議を避けるあれだ。
まあ、いいか。
思ったのは、ストーカーという単語。そしてフリーター。
単なる変質者のはずなのに、ストーカーという単語を与えられると、一般人は、妙な錯覚を
覚えるのではないか。
現に、ストーカー対策について、あれやこれや論議されているとき、変質者という単語で
語っていた時分と、雰囲気がどうも異なるのを感じていた。
ストーカーにも、そうなる理由があるんだ、なんて変な人権意識みたいな雰囲気がでていたことに
驚いたことを覚えている。
だめだよ、犯罪者なんだから、勝手な横文字与えては。勘違いするって。
コミュティーに危機を生じる。特にこの国においては。
また、フリーター。
ひとつの職業者の一群みたいな定義づけ。これもどうなんだ。
まぁ、リクルートやら学生援護会が、その昔、自社の媒体を売らんがために作った言葉で、
単なる非定職者のことだし。昔でいう、立派な無職。
やがて、引きこもりが、ニートという言葉に代わって、フリーターも派遣会社の源泉となり、
まとめて、今の国に現れる、職業問題や、税問題、はては、少子化問題などへと発展するが、
働かざるものは、食うべからず。といった、当たり前のセントラルドグマが、ちっとも
問題にされなくなっている。
おまけに、今では、俺、フリーターです。って面接でしっかり言うんだ。
しかも、職業欄に、そう書くんだ。そして、なんと、家も借りられるんだ。借金もできるんだ。
というより、普通の権利を享受できるんだ。
10年前なんだが、できなかったはずだ。
だから、仕事をして、食っていく。それが、自立した、責任ある成人として、あらゆる社会的な
権利を享受できた、と理解していたが、今、関係ないもんね。
いつか、経歴欄に、「自分、6年間、ニートやってました」っていう人間、たくさんでてくるはずだ。
だから、なんか、勘違いできるような、ネーミング。
本来、もっている、ダークな意識を希釈させるような、薄めていくような、意味付けは、
してほしくないよなぁ。
誰彼か、その存在によって、リスクを被る人間がいる以上、その人間を免罪するような、論議のされ方は
いかんと思うわけだ。
でもね、排除する目的で、徐行族 。これは、やってみるべき。
みんなで、徐行族といって、後ろ指を指したいもんです。
福田氏の対談の中で、そうだよなぁ、と、思いつくことがあった。
福田氏の本流の作業から、引用する訳ではないので、申し訳なくも勝手させていただくし、
今回といい、何といい、福田氏の立ち位置すら斟酌していないが、でも、色んなこと
よく知っているなぁ。
「暴走族」について述べているところだったが、音ばかり煩くて、何しろ、のろのろ走っている、
名の通り、爆走するのであれば、字義どおり評価もできるが、何だあれ。としている段だ。
だったら、「徐行族」にしろ。
春先になると、最近は、めっきり減ったが、国道を運転していると、よくもまぁ、というくらい、
彼らの走行によって、渋滞を余儀なくされる。
そう、のろのろなのである。
対抗車線に踊り出る、元気な連中もいるが、そりゃ、危険がなさそうなときに限ってである。
徐行族のネーミング。いいなぁ、これ。
こんな風に、マスコミがとりあげ、さらに、巷でも、「最近、徐行族がうるさくてねぇ」
なんて会話が普遍化すると、状況が大きく変わりそうで、楽しい。
ここ数年、マスコミは、色々な事象を判断するために、言葉を定義してきた。
もちろん、海外の研究成果を援用し、一般的な解釈として成立している単語もあろう。
国内において、議論が深まり、普遍化していくことは、なるほどもっともなことである。
ただ、言葉というのは、恐ろしいもので、特に日本では、妙に人権意識が強く、
今まで、どうも触れたくない、否定的な側面を持つ、また、人間としてダークサイドに立つ事象を
優雅な横文字にして、回避しようとする風潮が、あるように思われる。
古来より、差別問題を含め、おおっぴらに論議をするという国ではなく、逆に、話すこと事態を
封印してきた。まぁ、最近の外交問題の対応にも遺憾なく発揮されている、
「これはこれは、そうとられたら、私どもの不徳の致すところで」という、何がどう、不徳を
いたしてしまったのか、論議を避けるあれだ。
まあ、いいか。
思ったのは、ストーカーという単語。そしてフリーター。
単なる変質者のはずなのに、ストーカーという単語を与えられると、一般人は、妙な錯覚を
覚えるのではないか。
現に、ストーカー対策について、あれやこれや論議されているとき、変質者という単語で
語っていた時分と、雰囲気がどうも異なるのを感じていた。
ストーカーにも、そうなる理由があるんだ、なんて変な人権意識みたいな雰囲気がでていたことに
驚いたことを覚えている。
だめだよ、犯罪者なんだから、勝手な横文字与えては。勘違いするって。
コミュティーに危機を生じる。特にこの国においては。
また、フリーター。
ひとつの職業者の一群みたいな定義づけ。これもどうなんだ。
まぁ、リクルートやら学生援護会が、その昔、自社の媒体を売らんがために作った言葉で、
単なる非定職者のことだし。昔でいう、立派な無職。
やがて、引きこもりが、ニートという言葉に代わって、フリーターも派遣会社の源泉となり、
まとめて、今の国に現れる、職業問題や、税問題、はては、少子化問題などへと発展するが、
働かざるものは、食うべからず。といった、当たり前のセントラルドグマが、ちっとも
問題にされなくなっている。
おまけに、今では、俺、フリーターです。って面接でしっかり言うんだ。
しかも、職業欄に、そう書くんだ。そして、なんと、家も借りられるんだ。借金もできるんだ。
というより、普通の権利を享受できるんだ。
10年前なんだが、できなかったはずだ。
だから、仕事をして、食っていく。それが、自立した、責任ある成人として、あらゆる社会的な
権利を享受できた、と理解していたが、今、関係ないもんね。
いつか、経歴欄に、「自分、6年間、ニートやってました」っていう人間、たくさんでてくるはずだ。
だから、なんか、勘違いできるような、ネーミング。
本来、もっている、ダークな意識を希釈させるような、薄めていくような、意味付けは、
してほしくないよなぁ。
誰彼か、その存在によって、リスクを被る人間がいる以上、その人間を免罪するような、論議のされ方は
いかんと思うわけだ。
でもね、排除する目的で、徐行族 。これは、やってみるべき。
みんなで、徐行族といって、後ろ指を指したいもんです。